2012/12/31

2012年にいった展覧会

今年も最後になりました。また今年行った展覧会をまとめてみたいと思います。
昨年 (「2011年アート系イベント」) よりは少ないけど、結構いってますね。なんかまだ忘れているような気がする。

今年良かったのは
  • ぬぐ絵画展: やらしい目で見るためじゃないよ!というアピールに苦労していた様がよく分った。
  • 石子順造的世界: マンガ、キッチュな世界等普通の美術展と違う雰囲気が楽しめた。
  • 松井冬子: 制作途中の素材等の展示もあって充実していた。
  • エリック・ギルのタイポグラフィ展: ページにあわせて文字を修飾する等、昔は手間かけてたんだねえ。
  • 村山知義: 装丁、ポスター、舞台装置など様々な分野での活躍。
  • アラブエクスプレス展: どうしても戦争や文化を考えさせられる展覧会。
  • 「具体」展: 当時の熱気が感じられた。
  • 与えられた形象―辰野登恵子/柴田敏雄: これも若い時代の熱気が感じられた。
  • 山口晃: そんなに大きなスペースではないのだけれど作品ごとのディテールが楽しめる。
  • 会田誠: カオスラウンジみたいなスペース、18禁エリア、でかい作品などバラエティに富む展示。これはもう一枚チケットがあるので行く。
ベスト10なんて出せる程行ってないと思ったけど10個になりました。

追記: 地中美術館 (写真) に行ったの忘れてました。

DSCF1690

2012 in review

以下、WordPressが作ってくれた今年のレポートです。これとは別に「今年行った展覧会」作成中。

WordPress.com 統計チームは、2012年のあなたのブログの年間まとめレポートを用意しました。


概要はこちらです。
2012年にエベレスト山の登頂に成功したのは600名でした。2012年にこのブログは約5,600回表示されました。もしエベレストに登った人たちだけがブログを見たとすると、同じ表示数に達するには9年間かかる計算になります。
レポートをすべて見るにはクリックしてください。

2012/11/18

沖縄の人たち 山城知佳子

昨日 2012年11月17日から「会田誠展:天才でごめんなさい」が開催されており、初日の昨日はトークセッションも開催され、こちらも参加して来ました。会場外に立ち見が出るほどの盛況でした。

これに関しては別稿で書きたいと思います。ここでは、同期間に行われている「MAMプロジェクト18 山城知佳子」アーティストトークにも参加して来たので、その感想を書いておきたいと思います。


 肉屋の女

トークは山城さんと森美術館キュレーターの近藤さんの対談形式で行われました。山城さんはあまり雄弁な方ではないようで、近藤さんが話題をふってそれに答えるという形で進行がなされました。

過去の作品を紹介して、最後に今回の作品「肉屋の女」に話題がなった時も、近藤さんが作品の背後にあるストーリーを補足説明していました。作品に出てくるものに様々なメタファーを感じ取った近藤さんがそのことを質問すると、全体で「肉」を表現したい、出てくる人間も肉を食べそして肉として食べられることを意識しているとのこと。作品の中のに出てくる洞窟 (沖縄ではガマ) もその中で一般人が自決をした沖縄戦のイメージを重ねているのかという問いに対しても、人間の体内の穴を奥まで進んで行くイメージとのことでした。

作品に対して、その意図を問うと「作品そのものを見てください、感じてください」という日もいて、山城さんもそういうタイプなのかと思ったのですが、答えを聞いて行くとやはりコンセプトが少しずつ出て来て、現代アートはやはり概念であり言葉なんだなと思います。

沖縄の住民に関しても、周りからは住みやすく人々も楽天的なように見えるけれども、そこに住んでいる人は、基地があって、レイプが身近に感じられ、逃げ場のなさを感じているとのことです。沖縄に住んでいる表現者は、そのことを考えざるを得ない。

そういう背景を聞いたので、セッションの最後の質問の時間では「肉屋の女の女性には悲しそうな表情が見える、それは意図したものか」と聞きました。「そういう意図はなく、役者さんにそういう指示も出していない。むしろたくましさを表現した」とのことでした。また「むしろ肉に群がる男達 (労働者) に悲しさを感じる」とのことでした。出演者の女性の表情は、山城さんが男達に向けている目なのかもしれません。

山城さんの作品には、黙認耕作地、その中のマーケット (闇市)、黙認浜 (これは山城さん命名の言葉)、壊される自然、辺野古の海など、沖縄、日本を考えさせられるモチーフが色々出て来ます。同時期に開催されている『黙認のからだ』(2012年11月17日(土)–12月22日(土)、Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku) も行ってみようと思います。

2012/10/28

雨で出現する壁画

雨で濡れると現れる樫の木の壁画。アメリカコネチカット州ハートフォードのダウンタウンに先月公開された。

木の部分以外は防水加工されており、濡れると木の部分だけが色が濃くなって、壁画が出現する。

Photograph by Erika Van Natta

雨で濡れると、と書いたが、スプリンクラーが取り付けられていて、毎日午後3時に作動させている。

モチーフはCharles De Wolf Brownellの "Charter Oak"。Wikipedia記述ではわかりにくいので日本語の説明を探しました。
Link USA アメリカ州辞典 > コネチカット州チャーターとは植民地の勅許状のことで、イギリス人から植民地を守るためこの樫の木のうろに勅許状を隠したことに由来するそうです。コネチカットの歴史に重要な意味を持つモチーフなんですね。
制作風景

制作の様子。アトリエでステンシルシートをカットして壁に貼付けたとあるが、現場でもカットしているようです。

引用元: The Water-Activated Oak Tree Mural in Hartford.

DesignWorksでも取り上げられていました。

2012/10/21

アラブエクスプレス展と関連シンポジウム

Microsoft SkyDrive のオンラインドキュメントを試すつもりでアラブエクスプレス展の写真をまとめていたのだけれど、あわせて関連シンポジウムの感想まで記載しました。

アラブエクスプレス展

追記: 森美術館のFlickrアルバムに写真が載っていました。せっかく真ん中 (卯城氏とサルキシアン氏の間) に写っているのに下向いてiPhone見てました。
休憩時間にも交流するアーティスト達。左から小泉明朗氏、卯城竜太氏、ハラーイル・サルキシアン氏、スプツニ子!氏

追記 (2017/1/7):関連シンポジウムの感想は上記SkyDrive (今はOneDrive) のドキュメントからここにも転記します。

シンポジウム


9月29日には森ビル内の六本木アカデミーヒルズで行われたシンポジウム「ポップアップ・マトハフ@森美術館—マトハフ・アラブ近代美術館共催シンポジウム 遠くて近い、近くて遠い、アラブと日本:アーティストの役割とは何か」 (2日目)にも参加して来ました。このシンポジウムは無料で、展覧会はここでもらったチケットで行って来たのです。実はチケットくれるんじゃないかと思って、それまでは行っていなかったのです。

2日目のセッション2 「歴史をたどって」では、出展アーティストのハラーイル・サルキシアンとアーティスト小泉明郎の対談。

サルキシアン氏はトルコ生まれのアルメニア人で現在はシリアに住んでいます。トルコによる虐殺がありながら、トルコでは逆にアルメニア人がトルコ人を殺したというように教えられているアルメニア人虐殺事件 (Wikipedia)。彼はイスタンブールでひっそりと暮らすアルメニア人家族を撮影した作品を発表しています (今回出展しているものは別)。

小泉明郎氏は、「特攻に行く青年が両親に向けた出征の言葉を発する」という場面を映画撮影しているというシチュエーションの映像作品を紹介されました。監督が「もっとサムライを表現して」と煽り、出征兵士役の青年がそれに応えて撮り直すのを繰り返すうちに、だんだんエキサイトして行くもの。

この二人のトークでは自ずと戦争、平和がテーマになって行きます。その後の質問の回答の中で「日本人にはスイッチがある、いずれ (自爆テロの) テロリストになる (素養を持っている)」という発言がありドッキリしました。

セッション3 「キッチュなものの力」では出展アーティストゼーナ・エル・ハリールさんがスカイプによる出演し、スプツニ子!さんが会場でという変則的なセッションでした。

セッションのテーマは、二人に共通するポップなものの影響だったのですが、やはり女性ということでジェンダーのことも話題になります。アラブ世界の中で女性アーチストは活動しにくいのではないかということを質問しようと思っていたのですが、先に女性から同じ主旨の質問がありました。レバノンの女性は解放されているほうとはいえ、やはり活動には制約があるようです、外国人と結婚しても国籍は変えられないということでした。

最後のセッションは1日目も含めた出席者全員によるディスカッションです。森美術館の南条館長の発言で、現代アートという共通言語があり、アラブ圏というひとくくりにするのは本来は間違っているという旨の発言が印象に残りました。

この「地域でまとめた展覧会を行うことの是非と意義」は、この前のトリエンナーレ学校のテーマ「アジアの近現代アート」との関連もあって考えさせられました。

現代アートという世界共通言語の中で生きているという意味では地域性はないというのもわかるけど、アーチスト個人は、日本なら日本の影響を、イスラム教国ならその影響を受けているだろうし、それが作品にも滲み出てくると思うのです。また、作品を見る人にも受け入れられるものを作るベクトルは働くと思います。アジアの美術の発展の過程で、欧米人がアジアに期待するものを作って来た歴史もあるとのことでしたので、同様の外からの期待もそうですが、アラブ内部の期待と言うか嗜好も影響するのではないかと思います。それらからなにかしらアラブ的なものもやはり出て来るのではないかと思ったのです。

その点を質問してみました。アーチストの皆さんは、受け入れられるかは関係なく、自分の内面から湧き出る衝動を作品にする、と言っていました。でもそれは、もう売れているから、これからも売れるからじゃないのかと思うのです。売れるというと下世話だけど、評価は気になるのじゃないかと思うのです。

その意味で小泉さんの答えは納得がいきました。 オランダに呼ばれた時は、日本人として呼ばれた意味を考えた。しかしいつまでもそれにとらわれていては、自分の作品にならない。成功している人は皆、そういうプロセスを経て、自分なりのものをつかんだとと言えるだろう。 ということでした。

しかしビッグネームも、やはり、売れた作品から売れるものをつかんで売れるものを作るんだろうと思います。村上隆はこの意味での別格として、奈良美智も草間彌生もそうじゃないかと思うのです。売れなきゃ描き続けてない、売れたから描き続けられている、という側面はあるでしょうが。

売れることは関係ない、売りものでない作品を作っている人だって、賞をとるとか、大きな個展を開けるとか目標になるんじゃないでしょうか。

そういうことを考えさせられるシンポジウムでした。

2012/09/25

IOS6 Apple製Mapで「独島」を検索したら...

... こんなのが出て来たよ!



多分「独島」で検索 → 正しくは「竹島」→ 「竹島」で検索

その前に「竹島」で検索したのだ (どうも検索結果が履歴に影響されるようだ)。


引いてみると ...


Apple独自のマップ非難する人多いけど、というか私も面白がっていたけど、この例で帳消し。私はアップルを全面的に支持します!

2012/08/21

韓国との関係で参考になるリンク

いろいろ見ていると分らないことも多いのですが、感情的にならずロジカルな記述が掬えるものを集めてみました。

外務省:竹島問題
竹島の領有権に関する我が国の一貫した立場
  1. 竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土です。
  2. 韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。※韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立した以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません。
韓国外務省にもこういうページがあって、各項目ごとに相互リンクがあればいいのにね。でも「韓国側からは、... 明確な根拠は提示されていません。」ってきっぱり書かれている。

元韓国人だけど竹島を日本領だとする証拠ってさ
外務省にうまくまとめられてんだな
しかもいろんな言語で(ちょっと英語はわかりづらいところもあるけど)

もっとこれ広めようぜ
韓国人が湧いても韓国語もしくは彼らが得意()だとする英語の
サイトのリンクでも貼り付けてやればいい
この中で、「学校で一方的に自国の主張のみ習って、日本側の主張は無いと言われて以降それに関して調べようともしないから、そもそも日本がこういう主張をしているって事自体知らない人が多い」という記述が気になった。一方、韓国の国民もちゃんとした資料を示されれば考えるだろうというような記述がある。これだけ発展して教育も熱心な国なので、一枚岩で話の通じない民族なんて思わない方がいいと思う。

日本側も学校では外務省HPに載っているようなことは習わないので、外務省HPの「竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土です。」という主張しか知らず、それで満足しちゃっているところがあると思う。

で、そういう人は最初に聞いた論を信じちゃうのだろう。「嫌韓」のブームってありましたね。作者ツイッターやってるんですね。

Togetter 『嫌韓流』シリーズの参考文献と引用の精度
Togetter 『嫌韓流』シリーズの参考文献と引用の精度(その2)
Togetter 李氏朝鮮時代に清へ50万とも60万とも言われる強制連行があったという言説と史料の裏付け
弾薬庫/「美女三千人」貢納言説について

最初のまとめでは、山野 車輪 (@sharinyamano) 氏の、最初は「 (検証を) 出版前にさんざんやってますよ」と言っていながら、後の方では「これ、僕か編集さんのどっちかが確認取っているはずなんですけどね。」とか「まぁ最終的な責任は僕にありますが、確認作業をまかせるところも当然あります。何しろ情報量が膨大なので。」とか「うーん、確認取れてないけど、例え一箇所でも穴があったとしたら、反省だなー。」とかだんだんヘタレになって来て面白い。

「ロジカルな記述が掬えるもの」というのをあつめていたのであった。それはこの中の @jpn1_rok0 氏の発言をたどって行けば良いと思う。

韓国とは少し離れるけど、この人の下記記述も面白かったな。

jpn1_rok0/日本における元寇の評価に対する私見

最後に、以前私が書いたものも挙げておきましょう。リンク切れが多くなっていて使えないものになっているのが残念。

2005/03/19 対馬の日
2005/03/23 竹島問題の解説が…
2005/04/07 事実は事実と
2006/04/23 日韓交渉妥結って…
2006/04/26 韓国大統領、堂々と対処の方針

2012/08/20

山下以登さん個展「ふくろとじ」

8月19日、山下以登さん個展「ふくろとじ」へ行って来ました。



HB FILE COMPETITION Vol.22
藤枝リュウジ賞 山下以登個展【ふくろとじ】


2013年8月17日(金)~8月22日(水)
11:00~19:00(最終日のみ17:00まで)
<Opening Party>8/17(金)18:00~20:00

HB Gallery
渋谷区神宮前4-5-4 原宿エノモトビル1F
03-5474-2325
(東京メトロ 表参道駅A2出口より徒歩3分)

受賞おめでとうございます。

山下以登さんの展覧会は、2008年に個展「さよならブルーマンデー!」(ブログ投稿)、2010年「クロムイエロー」、昨年「キップル雑食系」に行っています。その他にもEN博、マッチ箱展などのグループ展でも作品を拝見していますし、昨年は「私の未明展」でのトークも聴かせていただいています。

昨年「キップル雑食系」で、あれ?と思ったのですが、今回の作品はそれよりも大人向けになって来ています。なるほど「ふくろとじ」というのはそういうことでしたか。おじさんとしてはもっとリアルな表現のほうが ... グハ!☆(゜o゚(○=(-_-;パンチ

ギャラリーには山下さんが挿絵や表紙を描かれた書籍、雑誌もおかれているのですが、それも今回はかなり増えていました。

一人の作家さんを続けて見ていると、作品の傾向の変遷や、活躍の場が広がっているのが分って楽しいですね。

その日はこの後、同じく表参道 Espace Louis Vuitton Tokyoでの 『AWAKENING』展、娘の大学美術部の合同展「心展」、NTT インターコミュニケーションセンターで行われている「ひかり*くうかん じっけんしつ」に行って来ました。

ひかり*くうかん じっけんしつ

NTT インターコミュニケーションセンターで行われている ひかり*くうかん じっけんしつ に行って来ました。展示会タイトルに "ICC キッズ・プログラム2012" とつけられているように、子供向けのプログラムではあります。

いくつかの小部屋に分けられていて、それぞれの小部屋では光と影の関係を見せてくれます。

実験ですから、参加できます。模型鉄道をゆっくり走る電車には、小さな光源が載せられていて、鉄道の周辺におかれたものの影が周囲の壁、天井に映ります。周辺のものを自由に置き替えて影の出来方の違い、電車が動く効果を確認できます。ざるのような網状のものは特に面白い。

これどこかで見たなーと思ったので、帰って検索してみました。

必見!鉄道模型による光と影のアート (元気!本気!勇気!)

The Tenth Sentiment / 10番目の感傷(点・線・面)という作品で、第14回文化庁メディア芸術祭のアート部門優秀賞・受賞作品でした。メディア芸術祭には2010年と2012年には見に行っているが、2011年第14回には行っていないので、ここオープンスペース2010で見たのでしょう。

その制作者のクワクボリョウタが、今回パーフェクトロンというユニットとして出展しているのですね。

当日は閉館19:00からアーチスト・トークがあったのですが、そこまで待つ元気がなくて帰って来ました。

8月26日には小学生対象のワークショップがあります。もう事前締め切りは過ぎてますが。

2012/08/19

「具体」展

もう1ヶ月前になりますが、国立新美術館で行われている「具体」展に行って来ました。

「具体」-ニッポンの前衛 18年の軌跡
展覧会Facebookページ: http://www.facebook.com/gutai.nact

「具体」というグループの存在自体知らなかったのだけれど、時代を切り開いていった集団だったんですね。彼らの熱気とその変質が感じられる展示でした。

「熱気」というのは、「これまでになかったものを作る」ことを目指していたことが伝わります。様々な素材、動く作品、音の出る作品、美術館から出たインスタレーション、アクションペインティング等制作方法、観客が参加することで成立する作品、朽ちる等変容を受容した作品 ... きっとグループ内でも、誰が最初にやったかで競争になっていたのだと思います。

きっとそこには、作品を「売る」という意識はなかったでしょう。しかしフランス人美術評論家ミシェル・タピエ氏がこのグループを世界に紹介し出したことで「変質」が始まります。彼は画商でもあったため、作品が売買の対象になります。売るためには保存、移動ができないといけません。前衛であることには変わりはなかったでしょうが、活動の中心がタブロー形式の絵画に移って行きます。

これは想像ですが、作家の意識も「新しい」ものよりも「売れる」ものにシフトして行ったのではないかと思います。ある作品が売れたら、同じような傾向の作品が求められるようになる。それは「画風」という意味で非難されることではないですが、グループ内では、また個人としても葛藤があったのではないかと思います。

最初の「新しいもの」というところに戻ります。

展覧会の解説には、これが関西の、しかも、高級住宅街を擁する芦屋を中心する活動だったので、受入れられ育ったとありました。土地全体に進取の気性に富んでいたとのことでした。展覧会もデパートで行われるなど、上流階級だけでなく、一般にも受入れられていたんでしょう。

展覧会の休憩室では、当時のニュース映像が流されていました。「これが新しい芸術というものらしいです」みたいな表現があって、分らないけれども受入れる姿勢が微笑ましく思いました。今だと、私は分ってますよ的なスタンスで伝えるんじゃないでしょうか。



これ知らなかったんですが、作品だったんですね。当時の再現だそうです。ニュース映像の中では、この紙を破るパフォーマンスが「まさに横紙破り」と紹介されていました。



これは外に展示してあって、見逃してしまいました。「水の彫刻」の再現。過去のニュース映像では「前衛芸術を見て頭が痛くなった人は、これで頭を冷やしてください」って言ってて実際に子供が頭にあてていました。当時は触れたんですね。

9月10日までです。

2012/08/06

Feel on! 使ってみた

どうやって知ったのか忘れちゃったけど、Feel on! for Twitter というアプリの存在を知って使いはじめた。タダだしね。
Feel on!だから面白い!SNSマルチポスト機能も搭載されて、ますます楽しくなった新感覚のTwitterアプリです。
SF Japan Nightでの優勝をはじめとして、国内外で数々の受賞と高評価を獲得しています。
手書き風文字、マンガつきで表示されます。



自分で投稿する時にイラストを選択することもできる。これだと、普通のTwitterアプリを使っている人にもイラストが見れる(下記リンク先)。

https://twitter.com/ryokan/status/231726538851221504

しかし面白いのは、イラストが自動で選択されるとき。投稿内容に反応しているようだ。





怒っているとき (上)。[徳力さんのツイート使わせていただきました]



「映画」に反応している。



「調べる」に反応している。



「いいね!」でサムアップ。「曲」でヘッドホン。



文字化けにはこんな。



もとから「日本語にしか対応していない」と書いてある。

イラストには特別なバリエーションもあるようだ。



松岡修造の似顔絵もあった。「熱い」に反応して出て来たかな (笑)。

2012/07/16

個人向けグリーン電力証書「えねぱそ」

グリーン電力証書は、大規模イベントに使うだけでなく、個人や小規模事業者でも使うことができる。それが「えねぱそ」。サイトは別になっているがやはりエナジーグリーン社の商品だ。

これはオンラインで購入申し込みをすることもできるし、パタゴニアの直営店およびオンラインショップで購入できる。購入に関してはハードルが低い。小規模事業者でも環境保護への取り組みをアピールしたいところにはうってつけだろう。メリットの最初に、「選んだ発電所の電気を、ご自宅やお店で使っていると表明する権利が得られます。」と書かれている。宣伝に使えるということだ。

仕組みもちゃんと書いてあるし、これが自然エネルギーの普及に繋がることも示されているのだけれど、やはり気になるのは、買う人が理解して買っているか、買った小規模事業者が宣伝に使う時にお客様にちゃんと伝わるかどうかだ。

買う人が理解して買っているかというのは、特にパタゴニアの店舗などで購入する際に説明を受けて買っているかということだ。お店の雰囲気に流されて買っちゃうじゃないかとも思う (日本のサイトにもないけど、お店ではシーシェパードを支援しているなんて書いてないだろうし)。オンラインショップにも簡単かつ適切な説明は書いてあって、少なくともレビューを書いている人はちゃんと理解していることが分る。

より気になるのは宣伝に使う場合で、前の記事にも書いたが、
宣伝に使う時に「環境付加価値」の説明なんか書いてもお客さんに読んでもらえないと判断すると「自然エネルギーで賄ってます!」ですますだろう。
お客さんはそれを見て、どういうことか詮索しないだろう。

「環境付加価値分」を購入するなんて分りにくい構図よりも、いっそのこと寄付といってしまえばいいじゃんとも思う。

グリーン電力証書に関して

ここ数年、「このイベントには全て自然エネルギーで作られた電力が使われています」といったキャッチコピーを見ることが多くなった。特にアースデイなどエコ関係のイベントや、自然環境保護を訴えるコンサート等で多く見られる。

とはいえ、現在の太陽光発電や風力発電で、その場で発電してそのイベントで使える電力が賄えるとは思えない。また、そのイベントのために風力発電所や太陽光発電所から送電線をひく訳にはいかないだろう。

自然エネルギーによる電力を謳っているところでは、グリーン電力証書というものを購入するということだ。

なるほど、グリーン電力証書を買って、そのお金が風力発電所や太陽光発電所に行けば、実質的に自然エネルギーによる電力を買っていることになるわな、と思った。

想定したのはこんな仕組み。ここではイベントが東京電力管内であると仮定する。
  • 電気の使用者は、グリーン電力証書を買う。電気自体は東京電力が供給するものを使う。
  • グリーン電力証書の代金は、一部手数料を除いて、自然エネルギー発電所に行く。その代金分の電力は東京電力に供給される。
  • 東京電力は、電気の使用者へ提供する電力分が、自然エネルギー発電所からの供給分で相殺される。一部手数料を受け取る。


これにより通常は東京電力から自然エネルギー発電所に対価がはいるところを、グリーン電力証書を経由して電力使用者から対価がはいることになる。これが東京電力の買い取り価格よりも高い値段であれば、自然エネルギー発電所にとってもプラスになり、自然エネルギー振興に繋がるだろう。

と考えていた。

しかし、グリーン電力証書を発行しているエナジーグリーン社グリーン電力証書 証書のしくみ (図はリンク先から引用) を見ると、お取り引きの電力会社 (ここでは東京電力) との間は「従来通りの電力供給」となっている。また、自然エネルギー発電事業者と地域電力会社の間は「電力販売」となっている。これはともにここには通常の対価が発生していることを意味する。



とすると、電力使用者は、東京電力とエナジーグリーン社に二重に支払いが必要になる。また、自然エネルギー発電所も地域電力会社とエナジーグリーン社から二重に支払いを受け取っていることになる。

このような認識は正しいのか、エナジーグリーン社に問い合せた。その結果、その認識は間違っていないことが分った。

ただし、こちら (「グリーン電力とは」) には次のような図がある。



グリーン電力証書によって「グリーン電力を買う」のではなく、自然エネルギーであることの「環境付加価値」分を買うことになっているとのことだ。「ご購入頂いたグリーン電力証書のグリーン電力相当量は、環境に優しい自然エネルギーによる電気を利用したとみなすことができます」とある。

言い換えると、「環境に優しい自然エネルギーによる電気を利用した」と言える権利を購入したということができると思う。

もうひとつ分ったことは、自然エネルギー発電事業者が発電する全てがグリーン電力証書の対象ではない、ということだ。自然エネルギー発電事業者は発電してそれを地域電力会社に売るだけでなく、自分たちでも使う。設備を稼働させたり、自社で働く人のための照明や空調などに使うと言うことだ。これが前の図の「場内消費」。この限られた「場内消費」分だけが、グリーン電力証書の販売対象になる。

以上、ホームページから分ることと、エナジーグリーン社に問い合せた内容をまとめた。

一番の疑問は、グリーン電力証書を購入することで「イベントをグリーン電力で賄っている」と言えるかということだったが、これには納得していない。また、一般に正しい理解がされているかと言えばそれも疑問に残る。

グリーン電力証書を導入しているところを見ると「環境付加価値分を購入している」ということは分る。例えば丸紅の「株主総会会場でのグリーン電力使用について」。しかし、グリーン電力証書を使っている会社がそのことを宣伝に使う時に「環境付加価値」の説明なんか書いてもお客さんに読んでもらえないと判断すると「自然エネルギーで賄ってます!」ですますだろう。

一般の人にどれだけ伝わるか疑問だ。誤解を招く使われ方をしているのではないか、その認識に関しても問い合せてみたのだが、それにはまだ結果が来ていない。

2012/05/19

「課金」の誤用が気になる

最近「課金」が話題ですね。

ネットを見ていると、「課金する」という言葉が「料金を課する」という意味とは逆の「料金を払う」という意味で使っていることに気づく。実際にゲームをやっている人が「課金する」という言い方をしているのだ。

ドリランドに課金しすぎてヤバイことになった:キニ速

この人はユーザーみたいですが、次のKAWANGOってドワンゴの社長じゃないの? (「ドワンゴ会長?「kawango」氏、人力検索はてなで質問中 ほか」をみると会長みたいですね。本人は否定しているそうだけど)。 課金する側だけど、あきらかに「会員が課金する」という使い方をしている。

Twitter / KAWANGO: 今週はじめてわかり、ドワンゴ社内で衝撃が走ったある数 ...(リンク先ははてなブックマーク - もとの投稿は消されているようだ)
今週はじめてわかり、ドワンゴ社内で衝撃が走ったある数字を紹介する。ニコニコのプレミアム会員80万人のうち、携帯のメールアドレスで登録して課金しているのは18万人。そのうちPCでのアクセスを一回もしていないユーザは11万人。
他にも以下のような記事で「課金」が「支払う」意味で使われている。
最初にこの現象に気がついたのは4年前。

「人はなぜゲーム内アイテムにお金を払うのか」 デジタルジェネレーションが生んだ新しい経済価値について,成蹊大学の野島美保氏にあれこれ聞いてみた

ブックマークコメント
「鯖代の足しにしてください」「運営がんばってください」というメッセージを添えて課金(しかもあんまり有利にならないのに)してくれるユーザーばかりです。
というのがある (前は複数あったように思うのだが)。

この記事本文は明確に「お金を頂く」方の立場から書かれているので、この記事を読んだ人の中では誤用はすくないということはあるだろうが、これ以降数年で誤用が定着しているように感じる。

もう少し調べたらこんな情報があった。

課金とは (カキンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
本来この言葉は「料金を課する」、つまり提供者が利用者から料金を徴収することを指すのだが、インターネット上では主体が完全に逆転した解釈のほうが定着している。

「課金されたものに納金する」→「課金する」のように略された形になる。

税金を納めることを"納税"と言わず"課税"と言うぐらい異なった用法である。

とは書いてあるものの、その後は
インターネット上で課金と言えば主に、オンラインゲームなどの内容に利用料金を払うことを指す。使用料を払うこと。
として、その用法で統一してある。

「大百科」にこういう書き方されては、それが正しいと思うよね。KAWANGO氏もここで勉強したんではなかろうか。

ところで、このことを書いたらツイッターで松永英明氏から以下のようなコメントをいただいた。

@ryokan 課金を「金を課す」ではなく「課される」の意味で使って違和感がない人たちって言語感覚鈍いですよね。
8:33 AM - 14 May 12 via モバツイ / www.movatwi.jp . · Details

私はこれに対して、

@kotono8「課される」の意味でも使っていないと思います。「課金する」と能動態で使っていますから。本来の意味とか考えたことないだろうと思います。
8:14 PM - 14 May 12 via Twitter for iPhone · Details

と書いたが、松永氏から

@ryokan 受身形じゃなく意味だけ受け身という気持ち悪い表現はいくつかあるように思いますよ。「商品が店で売ってる」(売られている、ではなく)という表現もありますので、「金を課されることをする」で「課金する」に違和感がない人たちがいそうです。
9:00 PM - 14 May 12 via TweetDeck · Details

とまたコメントを頂いた。これに対しては私はうまい説明をもっていません。

別の観点で「〜を課する」ものとして「課題」があるが、これの反対語には適切な言葉がない。「課題への回答を提出する」、さらには、「課題を提出する」というような使い方になってしまう。あとは「課題やらなくちゃ」のように「課題 - する」という形で使われるのではないか。こういうところから「課金 - する」という使い方になったということも考えられる。

いずれにせよ、「課金」を「お金を払う」の意味で使うのは、現段階で誤用といえるだろう。私は言葉の意味の変遷には寛容なほうだとは思うが、全く逆の使い方が併存してはコミュニケーションを阻害するので避けた方が良いだろう。

たとえ国立国語研究所が許しても、このウエダが許しません。

2012/04/22

Bringing colour to life


Canon Pixma: Bringing colour to life from mcgarrybowen London on Vimeo.

インクをスピーカーの上で踊らせて高速撮影した映像作品 (キヤノンのプリンターのCM)。制作過程が語られている。

2012/03/04

原久路の写真作品

Design Your Trust というサイトを見ていたら、レトロな写真があって興味が引かれた。

そのリンク先"Painterly Photography by Hisaji Hara" * には、
これらの写真は見たことがあるような気がするかもしれない。日本の写真家 Hisaji Hara は近代画家バルテュスの絵画の構図を注意深く再現している。バルテュスの描く少女は、少し薄気味が悪くエロチック。オリジナルはゴージャスな部屋でだらけている少女の絵だが、それを新しいメディア (写真)、新しいシチュエーションで再創造した。オリジナルほど脅威的ではないが、危険な香りが残っている。(意訳)
とあった。日本人から見たら、Hisaji Hara (原久路) のほうが危険な香りがするけどね。

* リンク切れ/同じ記事が "My Modern Met" にある。

オリジナルとどう違うか並べてみた。もとのサイズの絵はそれぞれリンク先にあります。

The room

  

Katia Reading

 

Golden Years

 


原久路のサイトのニュースによると、2月24日から3月31日までロンドンのマイケル・ホッペン・ギャラリーで個展が開催されているそうだ (→ リンク)。

原久路公式サイト Exhibitions/Works に他の作品もあります。

2012/02/27

ユーミン、松井冬子、上野千鶴子

2011年12月18日に松任谷由実氏×松井冬子氏 クロストークに参加してきたのだけど記事にしていませんでした。その時点で展覧会自体は見ていなかったので、2月11日に松井冬子アーティスト・トークがあるのでそのとき行ってあわせて見てから書こうと思っていたのですが、それも出遅れて満員で入れず、展覧会も人が多そうなのでパスして、女子美卒業制作展に行っていました。このぶんだと、いつになるか分らないしなー。

応募が1650通あったそうです。定員200名ですから結構な倍率ですね。

ユーミンは松井冬子にあわせて (対抗して?)、着物で来ていました。松任谷由実の実家は呉服屋さんだそうで、古いけど良いものだそうです。アレンジして着こなしているのだとか。

ひとしきり、今回出されている作品の中でユーミンが気に入ったものとか、話題の作品の話をしていたのだが、途中で「実は客席に上野千鶴子先生が来られているんですよ」と上野千鶴子を紹介。どこにいるんだろうと思ったら私の斜め後ろの方で、本当に一般客として来ていた。立ってはくれたものの、ステージに上がることは固辞されたので、話が変な方向に走ることがなく一安心。

上野千鶴子は、以前「美人なだけじゃない」で書きましたが、どうも持論を主張するために松井冬子を使っている感があって、フェミニズムがどうこうというのではなく上野千鶴子には嫌悪感を感じた。でも今は松井冬子もそのときよりはあしらいになれた感じ。

その直前に読売新聞に上野千鶴子が松井冬子のことを書いた文章が載ったそうで、ユーミンが新聞をみせていました。「リストカットとか、そういうこわいことが書いてあるんですが、本人はそんなことないんですよ」なんて言っていた。ユーミンも苦々しく思ってたんだろうな。また、対談の中で「松井冬子さんってこう見えて実は体育会系ですよね。そうでないとこんな大作作れない」とも言っていて、それも上野が与えようとするイメージを否定するために思えた。

まあフェミニズムはおいておいても、松井冬子の作品の話をすると、グロテスクなものの扱いとか生と死とかそういう話になる訳で、小学5年生のとき初めて猫の死体に触れそれがきっかけになっている話や、子羊の死体をもらって冷凍したものをアトリエにおいていた話とか面白かった。

ユーミンが美大生だった話も出て来た。加山又造が先生で、「音楽やっているんだったら、(提出作品として) アルバム持って来なさい」と言われた話をしていた。加山又造を「サル」とか「エロ」とか言っているのも面白かった。

芸術論のまとめとして、何を描いたかではなく、「対象と筆のストロークが一致する瞬間がある」、それは音楽で「歌詞とメロディーが一致する瞬間がある」のと通じるという話だった。

松井冬子アーティスト・トークも聴きたかったな。「東京藝術大学の博士論文を講演形式で紹介します」ということなので、CiNiiを探したのだけど見つからなかった。
追記: 国立国会図書館にはありました。→ 知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避 
ここからたどるとCiNiiにもあることが分りました。→ → 知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避 

参考:ART TOUCH 絵画と映画と小説と 2008.04.28 「松井冬子と上野千鶴子」

2012/02/20

政策決定に対する科学の役割と課題

昨日 (2月18日) 下記ワークショップ (シンポジウム) に行って来ました。

「ファンディングプログラムの運営に資する科学計量学」第2回ワークショップ

主旨引用します。
科学者が政策の現場からエビデンスを求められても、それをシンプルな科学的合意事項として提供することには様々な困難がつきまとうと考えられます。現代の科学技術自体や科学技術を巡る社会・自然の状況を考えれば、エビデンスそのものが複雑になり、すなわち、専門家以外にはなかなか理解しがたいものとなることも避けがたいといえます。このような状況において、政策の現場では、科学的なエビデンス、とりわけ定量的なエビデンスへのニーズは益々高まっており、一連の「科学技術イノベーション政策のための科学」プログラムに脚光があたっております。
複雑な状況の中で作られつつある科学的知見を提供する第一線の研究者が見た科学的エビデンスについて学び、さらに議論を進め、政策のためのエビデンスについての理解と対話を共有することを目的とし、本ワークショップを企画いたしました。
これはもともと政府の補助金をどのプロジェクトに出すか決定し、理由を示せるようにする、という文脈で始まったものと思っていて、またそれは企業においてどのプロジェクトを進めるかを感ゲル上でも役立つだろうと思って参加のですが、そういうプロジェクトの定量的評価までは至っていなくて計量学という感じにはなっていませんでした。でもそれがかえっておもしろかったと思います。

むしろ、放射線量の基準妥当なの? とか、地震発生の確率って何? とか、可能性は限りなく低いがゼロとはいえないという科学者よりも、スパッと指針を出してくれるトンデモさんのほうが受けるとか、そういう昨今の話題にマッチしていたように思います。

最初の、江守正多氏による「地球温暖化政策とエビデンス」は、IPCC (気候変動に関する政府間パネル) の役割に関して。そう、二酸化炭素が温暖化を引き起こしている、とか、それは陰謀だ、とかいう話につながる話です。

IPCCは政策を決めるところではなく、政策決定のためのエビデンス (証拠というか科学的裏付け) を提供する役割を担っているところということでした。政策決定はCOPが行います。

恣意性を避け、透明性を上げるために、一次草稿のレビュー、二次草稿のレビュー、最終草稿のレビューを行います。一文単位で合意を決めて行きます。レビューコメントひとつひとつに回答を行ってそれも公開するそうです。

IPCCの報告書にはエビデンスだけということで、「気温上昇を2度以下に抑えるためには、CO2排出量を1990年比25%~40%減にしなければならない、4度以下に抑えるためには ...」というような書き方になります。そう書いても、IPCCの報告書が「CO2排出量を1990年比25%~40%減にしなければならない」と書いたようにCOP合意で記載されそうになったので、前提を記載するよう文言修正を要求し変えてもらったと言うことでした。報告書出しただけでは終らないんですね。

牧野淳一郎の「スパコン開発とエビデンス」もちょっと前に話題になった「京」に関することです。「京」は世界一にはなった訳ですが、プロジェクトとしての成功はまだ終っていません。世界一をとることが目標ではなく、そのコンピュータを役に立てることが本来の目標であるべきですから。「べき」と書いたのはそのプロジェクトの目的目標も明確ではないらしい、それは失敗プロジェクトの共通の特徴、ということで牧野氏は「失敗」という断定を避けながらも、このプロジェクトの問題点を語ります。私が特に気になったのは、官僚主導ということでした。官僚が専門家委員会を選ぶが選ぶ専門家によって結論はだいたい見えてくる。官僚は中身には詳しくなく、また2-3年で異動するため専門的知識をつける前にその部門を去ってしまう ...

藤垣裕子さんのコメント "「数量化、政策のための定量化」の陥穽~ポーターの「数値への信頼」より" も興味深い内容でした。現在ポーターの「数値への信頼」という本を翻訳しているそうですが、そこからの教訓を話していただきました。民主主義の世界になって、何かが問題であり替えなければならないと言うためには、裏付けとなるデータが必要になるが、データを集めるためにも権力が必要になる (インターネットの時代になって変わって来たところではあるだろうけど)、データを収集するだけで人の行動を変容させる、そのデータ自体が権力を持ち始める (例えばデータにより正常と異常に分ける言葉が定義される)。一方でそれでもデータによる定量化は、距離を越える技術になる (グローバルに適用できる指標になる) というところがポイントのようです。

という訳で、期待とは違っていたけれど、期待とは違う収穫が得られた半日でした。

追記: 資料はここで公開されています (しのはらさんサンキュー)。→ 第二回ワークショップ報告

2012/02/18

石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行

行って来ました。

石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行 府中市美術館



石子順三は評論家です。評論家の視点で展覧会が構成されるのは珍しいとのことで、私の記憶にはありません。

展覧会は三部構成になっています。展覧会のサブタイトルにあるように、美術、マンガ、キッチュです。

美術評論家の時代は、虚と実を評論の視点におき、芸術が現実の生活と乖離していくことに疑問をもち、それを気づかせるものをとりあげています。特に、企画に関わった「トリックス・アンド・ヴィジョン展」(1968年)に多くが割かれていました。全然関係ないですが朝の番組でトリックアートが取り上げられていて、似た作品もあったのでグッドタイミング。

個人的には横尾忠則が自らをスターのように作品に取り上げているのが面白かった。

マンガの時代は、正直言ってあまり興味が持てませんでした。収集したマンガ単行本が十数冊あるので時間のある人は見て行くと良いと思います。

ここのコーナーの目玉は、つげ義春の「ねじ式」の全原画。私は「ねじ式」は文庫版だけど持っているので真面目には見なかったのですが、ちょっと見たかぎりではほとんど覚えてないことに気がつきました。

このコーナーで興味をひいたのは林静一の自主制作アニメ2作品。

最後はキッチュのコーナー。ここだけ写真撮影可だったので撮って来ました。

キッチュコーナー展示

世界堂の広告があることは知っていたのですが、行ってみたら「モナリザグッズコレクション」のひとつとして展示されていました。モナリザがなぜよくモチーフに使われるのか、その興味から集められた作品だそうです。


また、ここには食品サンプルが出展されてて、一般のアート作品と同様に説明にミクストメディアと書かれていました。普通なら「油彩、カンバス」とか「シルクスクリーン」とか書かれる場所ね。「ミクストメディア」というのはそういうジャンルに入らない、という意味以外ないな。

2月26日までです。

2012/02/13

女子美卒業制作展 2011

2月11日、女子美大の卒業修了学年選抜学外展 女子美スタイル2011(→ スペシャルサイト(音が出ます)) へ行って来ました。横浜美術館で松井冬子講演を聴いてから行こうと思っていたのですが、満席で入れないという情報を入手、松井冬子展覧会のほうも激込みということだったので、急遽こちらのみに。

見応えがあって、なかなか楽しかったです。

目的「ブログ掲載」として写真撮影許可とったのでいくつか載せて行きますね。

la pluie / 松本来夢さん
R. Yoshihiro Uedaさん(@ryokan)が投稿した写真 -


cycle. / 木下咲香さん
R. Yoshihiro Uedaさん(@ryokan)が投稿した写真 -


夢子屋 / 三原由貴さん
R. Yoshihiro Uedaさん(@ryokan)が投稿した写真 -


昔の駄菓子屋風の作りで、中には女の子のメンコとか紙袋に入って中が見えないフィギュアを売ってる不思議な世界。

和菓子少女 / 松尾康子さん
R. Yoshihiro Uedaさん(@ryokan)が投稿した写真 -


兵馬俑みたい。

作品名忘れちゃった。ごめんなさい。再生 / 松井靖果さん、だったかな。
R. Yoshihiro Uedaさん(@ryokan)が投稿した写真 -


カオスラウンジを思い出しました。この中では珍しいです。

夢裡 / 小山千晶さん


裏地に彼女の思い出が描かれている布が展示されていて、それの上に制作過程やその布を纏っている姿が投影されています。自分は自分だけで出来ているのではなく、蓄積された記憶とともにあることを表現しています。

Dolce 集い語らう優しい時間 / 田中春奈さん


大きな作品も多かったのですが、これってどう保管されるのかなあ。美術学生というと貧乏というイメージしか持ってないのですが、今はスポンサーをみつける能力ももたないといけないのだろうか。

それから、これって選抜なんだけど、選抜されなかった作品もある訳で。その差はなんだろう。「アートの評価ってなんだろうね」を思い出した。