2011/02/16

森美術館 MAMCナイト

もうだいぶ前になっちゃいましたが、森美術館で行われた MAMCナイト に参加してきました。これはMAMC メンバー向けのイベントなんですが、メンバー外への無料招待に当選したのです。

現在行われている「小谷元彦展:幽体の知覚」展を解説付きで2回まわります。1回目の解説はキュレーターの荒木夏実さん、2回目はコンサヴァターの相澤邦彦さん。コンサヴァターというのは、美術作品の保存と修復を行うお仕事の人で、現代美術には関係なさそうに見えるのですが、今回は現代美術でコンサヴァターがどう関わるのかを聴かせてもらいました。

小谷元彦展は以前カテジナ・シェダーのアーチストトークがあったときに見たので、3回見たことになります。八面スクリーンに映し出される滝の作品があるのですが、前回は並んでいる人が多くて断念したのを、今回はゆっくり鑑賞できてよかったです。

小谷は彫刻家ですが、動かない作品だけでなく、このような動きのあるものも制作しています。他にも、髪の毛で編んだドレス、狼の毛皮で作ったドレス、映像作品もあります。髪の毛で編んだドレスは、京都のお寺にある髪の毛で結った太い綱にインスピレーションを受けたそうです。

解説によると、コンセプトだけの作家ではなく、彫刻家としての確かな技術をもっているという評価がなされているそうです。能面をモチーフにした作品も面打ち師に師事してから作ったとのこと。

コンサヴァターの相澤邦彦さんのお話では、現代美術での関わりとして「予防保全」という考え方があるとのことでした。巨大な彫刻作品を壊さないようにどのように運び、展示するか。今回は、美術館の壁に穴をあけて支柱を通し、作品の目立たないところにワイヤーを伝わせて固定するといったことも行われています。

保全という意味で、現代美術は現代美術なりの難しさがあるということでした。それは、様々な素材を使うことで、新素材の情報を常に仕入れないといけません。プラスチックという素材は出来てからまだ百年そこそこ。いつまでもつのかまだ分かっていない。だが、アーチストにとって魅力的な素材の一つ。他の素材では表現出来ないものもある。

保全の敵は、湿度、温度、光だけでない。人が入るとほこりが舞うし、虫を連れてくる場合がある。昔は美術館を締め切って燻蒸を行っていたが、人体や環境に悪いので、今は湿度や温度のコントロールを含めた統合的な対処に移って来たということです。前の展覧会では、部屋一杯に生土を使った作品があり、最初に土を焼き、湿度をうんと下げたりしたとのこと。

私は、この前の展覧会にも行ったのですが、実は繋がっているその隣の部屋の展示では、霧が出てくる作品があったのです。その点で難しかったのではないかと質問してきました。湿度を下げた影響で、霧があまり出なかったとのことでした。あらあら。

粉機の展示には写真作品もありました。デジタルで製作された作品は、修復するのではなく再出力すればいいのだが、出力機器がいつ迄あるのかという問題もあるし、保存メディアにも寿命がある。またデジタルデータのフォーマットもいつ迄も使われている保証はないということです。確かに自分が持っているDVDも劣化するんですよね。テープのときと違ってじわじわ劣化するのではなくて、いきなり見れなくなるから厄介です。

MAMCのメンバーになれば、美術館や展望台にいつでも行けるだけでなく、こういうイベントやカクテルパーティーにも参加できるのですが、年間21,000円はちょっと出せないな。私は年間パスポート 5,250円を買うかどうかで悩むレベルです。

そうそう、今3大個展といわれている他の二つ、曽根裕高嶺格も見に行かなくちゃ。

関連記事:
不可能で限界があるから彫刻は面白い―小谷元彦 アーティストトーク (これは行っていませんが)
flickr MAMCナイト 1/25/11

《スケルトン》の形状に、興味津々で見上げます

2011/02/13

みんなソニーが大好き2

週刊ダイヤモンド 2月12日号の第2特集は「SONYを去ったエース社員たちからの提言 ヤメソニーに訊け!!」。これは技術者としては考えさせられた特集だったな。元ソニー社員のソニーに対する愛が伝わってくる。

以前書いた「みんなソニーが大好き」は、ソニー部外者からの愛を感じて書いたものだったけれど、もちろん社内の人の方が愛は強いだろう。そしてここに集まって来ている人たちは、ソニーを愛しながらも、もしかしたらその愛の強さ故に去らざるを得なかった人たちとえるのではなかろうか。いわばソニーに片思いし続けた人たち。

この特集の中に、1969年のソニーの求人広告 "「出るクイ」を求む! 英語でタンカの切れる日本人を求む" が出ている。そういう人たちが集まってできた会社。しかしソニーは次第に変わってくる。

「みんなソニーが大好き」 で書いた中に、クリステンセンの「マーケティング部門が市場分析を重視するようになったため、ソニーは破壊的技術を創り出せなくなったのである」というのがあった。私は、"市場調査で分かるのは、「今よりちょっとだけいいもの」なのです。"と書いた。そのときは知らなかったけど、ヘンリー・フォードが「もし私が顧客に彼らの望むものを聞いていたら、彼らはもっと速い馬が欲しいと答えていただろう」と言っていたんだね。

週刊ダイヤモンドでも本社機構の肥大を問題にしている。ハルトムット・エスリンガー 「デザインイノベーション デザイン戦略の次の一手」 にもソニーのことが書いてあった。出井さんは巨大企業に必要なビジョンを出せなかったという評価。
しかし今のソニーは、1945年に東京通信研究所を立ち上げた井深大が、盛田昭夫とともに会社を興したころとは、大きく異なっている。井深と盛田が第一線を退いて、老い、やがてこの世を去ったとき、ソニーが失ったものは創業者だけではなかった。そのときに会社の魂も失われた。
私は外から見ていて、出井さんは、ハードとソフトとネットの統合というビジョンを出しているんだなと感じたけど、きっと整合を持った形でビジョンをインプリメントできなかったんだと思う。どこで読んだかわすれたけれど、ソニーの技術者は、彼のような技術出身でない経営層を「文官」と呼んでいるそうだ。自分達は「武官」。出井さんは武官の心をつかめなかったのだろうね。土井利忠さんがソニーの技術者から愛されていると感じた (以前の記事) が、それと対照的なのではないかな。いやここはあくまで外部からの見方ですが。

'グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた' の著者 辻野晃一郎さんも出てくる。辻野さんへのインタビューの中で、同じくソニーを辞めた知人の言葉を紹介している。
「辻野さん、ソニーって会社の名前じゃなくて、生き方ですよね」
こういう言葉には心動かされる。

他にもソニーの生き方を志した人の話が出てくる。2005年にソニーの若手社員だった三根さんは、Googleを訪問して「ここは21世紀のソニーだ」と思ったそうだ。三根さんの入社は2001年以降で、その時代にはソニーは変わって行っているころだと思うけど、ソニースピリッツというものは残っていたんだろう。

この記事の中には希望も見いだせる。今でもソニーには、出る杭や、出る杭を目指す人材が集まって来ることだそうだ。大事にして欲しいと思う。

他にもソニーに関して書いた記事があります。

ソニー製品しか買わない (2005年3月21日)
Tokyo Designer's Weekに行って来た (2005年11月10日)

2011/02/06

知の構造化センター シンポジウム

2月5日、東京大学知の構造化センターのシンポジウムを聴きに行きました。

東京大学・知の構造化センターシンポジウム

Ustream 中継がありました。アーカイブは以下。
会場の東大福武ホールは、各席に電源があり、今回は無線LANも提供されて、ハッシュタグ #cks11 も宣言されたので、多くの人がTwitterで発信していました。Togetterまとめ ができています。発言者数が 1月の"Japan Innovation Leaders Summit" のときほど多くなかったので、まとめもまだ見やすいと思います。

長尾先生は、精力的にさまざまところで講演されていて、私もできるだけ聴きに行っています。今回はこれまで話があった国立国会図書館のデジタル化、著作権法改正の話が中心だったのですが、1994年の日本初の電子図書館となった京大図書館の話は私は初めてて でした(って勉強が足りんということなんですが)。ただ全文検索が出来るというのではなく、書籍を目次の構造で構造化しており、部品単位に得ることができます。これはGoogle Booksでも実現されていない機能です。コピペ論文は一般によくないとされているが、この図書館で部品単位でばらばらにされたものを再構築した論文は必ずしも悪いと思わないという発言が印象的でした。

12月の暮れの東京芸大シンポで「芸術・文化のアーカイブの検索」に関してはなされたそうで、その話も今回のお話にも入れたかったが時間が足りないということで軽く言及されただけだったのが残念でした。東京芸大のシンポジウムはあらかじめ知っていたら参加したのにと思います。

セッション1 「思想」の構造化は、今回の目玉だと思います。岩波の雑誌「思想」の90年分をデジタル化し、MIMAサーチで検索、分類、分析可能にしたということです。検索結果をコンテキストで分類されるので、果物のアップルと、IT企業のアップルを分けて得ることができます。文書の類似性でリンクが貼られ、思想界が俯瞰でき、また年代別にトピックの変遷を知ることができます。「これは研究のツールとして使える」と、文科系の先生が興奮されていたという話が印象に残りました。

その文科系の研究にとっての価値は、ビデオレターとして登場したコロンビア大学キャロル・グラック先生の話で裏付けられます。
知の構造化は、知の「脱」構造化にも繋がる。私たちの思考を制約している既存の枠組みから私たちを解放する可能性も持っている。
既存の研究も「〜派」という枠組みに囚われずに見直すことにより、新たな発見、新たなものの考え方が生まれるとすると素晴らしいことだと思います。会場の意見などを聞いていると、既存の枠組みだけで考えるだけではダメで、枠を超えた思考が人文系研究者に求められるようになるだろうという観測でした。学会の大御所の抵抗もあると思うのですぐには変わらないかもしれませんが、ITが社会を変革することの現場に居合わせたような気がしました。エジプトのデモの前夜のような感覚と似ているのかもしれません。

午後は技術が中心であまり新鮮な話もなかったのですが、Wikipediaの分類、マップ化のデモは興味深かったです。この分類技術も昔からあるものではあるのですが、Ajaxを使ったズーミングと画像でWikiページを表現することを組み合わせたインターフェースが魅力的です。→ Wikipedia SOM Visualization

パネルディスカッションでは、いろいろな側面から議論が行われ、その点ではテーマが絞られていなかったと思います。その中で、東大辻井先生の『人類史上初めて「知識」を客観的な研究の対象としてみることができるようになったのではないか。』という発言が印象に残りました。