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2018/02/20

山本篤と千葉正也トーク

2月16日森美術館で、アーティスト2人山本篤と千葉正也のトークイベント
トークセッション MAMコレクション+MAMスクリーン「アーティストとアーティストについて語る」
が行われました。

山本篤は「MAMスクリーン007」で映像作品をずっと上映しており、千葉正也は「MAMコレクション006:物質と境界―ハンディウィルマン・サプトラ+千葉正也」で作品を展示しています。

今回のイベントは、「アーティストとアーティストについて語る」ということで、それぞれが相手と一緒に語るという形式です。一緒に山本篤のキュレーションを行った徳山拓一氏、ハンディウィルマン・サプトラ+千葉正也のキュレーションを行った熊倉晴子氏も参加しています。
第1部:19:00~20:00「山本篤の作品について千葉正也と語る」
第2部:20:00~21:00「千葉正也の作品について山本篤と語る」

しかし「山本篤の作品について千葉正也語る」というより「山本篤の作品について千葉正也語る」と言った方が良いような進行でした。そこがまた面白かった。というかこんなに笑えるトークは初めてでした。

お互い以前から親交があるとのことで、お互いをリスペクトしているのが分かります。しかし千葉正也のリスペクトのしかたはちょっと違います。山本篤の映像作品ははっきり言ってお馬鹿映像なんですが、それをそのまま「無駄に長い」とか、「 (アートスペース) オンゴーイングで無駄に尊敬されている」とか、「一番の駄作の作品を見ましょう」とか言っちゃいます。でも「無駄に長い」と言いながら、「最後まで見ると『やった、終わった』と思える。いいものを見たという感覚が残る」と言っています。『やった、終わった』も褒め言葉なんでしょうね。

実際お馬鹿映像なんだけど、真面目に馬鹿をやっているということが分かります。"Custom-made Street Funkiness" はヒップホップファッションの二人が、道で拾ったゴミをどんどん身体に貼り付けて行くもの。山本は、「ヒップホップカルチャーはよく知らないけど、身体にたくさん持ち物をつけて自慢する感じ」と語ります。千葉はそれに対して、「知らなくてよくここまで特徴を捉えている」とまたこれも褒め言葉。

私は紹介された中では、"Long Walk, Guts Poses" が好きです。サラリーマンふうの男性が、何かいいことがあったのか、歩きながらなんども小さくガッツポーズをする、だんだんポーズが大きくなって、上着もシャツも脱いだりする。

「無駄に長い」というように15分くらいの作品が多いのですが、今回「MAMスクリーン007」ではそれぞれ2分程度のダイジェストになっているそうです。長いものを何本も見ると時間がかかってしまいますから仕方ないのかもしれません。

一方、山本は千葉が学生時代から売れたことから入ります。素直に尊敬しているようです。山本のトークは、山本の千葉作品の解釈を真面目に話します。千葉の絵画作品には、白い石膏像が描かれているのですが、これはヘタウマ。絵画は上手いので、上手いばかりだと普通に上手い作品になってしまうので、その中に偶然性を入れるために石膏像を入れているということです。

山本によると、千葉は2つのギアを持っているとのこと、1つ目は誠実に絵画を描く世界、もう一つは、ストーリーを持ってそれを乱す自由な世界。貪欲にチャレンジする、ブレークスルーするためのアクションだと言います。

そのあとは山本から千葉への質問になり、対談のようになってきます。千葉は制作のアイデアが常にたくさんあり、10年くらい前のアイデアを作品化することも多いとのこと。今回の出展作品《2013年のパワフルヤングボーイ》も10年前のアイデアだそうです。昔遠野に「さすらい地蔵」というのお地蔵さんがあって、若い男性が投げるという風習があったのだが、今はもう固定されて設置されている。しかし移動することがそのお地蔵さんの本来の姿なら、森美術館に持ってきて展示をしようということになり、交渉するも叶わず、その経緯を含めた作品になっています。作品のそばにその企画書のようなドローイングも一緒に展示されています。

千葉の話で印象に残ったのは、アートとお金の話です。2002年頃、Penなどでアート特集があると、この作品はなんぼだとか常にお金の話がでる。一般向けの雑誌だったらまだ仕方がないところもあるが、若いアーティストもお金の話をしていて、それとは違う生き方をしたかったとのことです。やっぱり真面目なんですね。

「MAMコレクション006」では2点しか出ていないですが、もっとたくさん見てみたいと思いました。

2017/04/29

アルフレド・ジャーの講演を聞いてきた

4月18日、森美術館で、「アージェント・トーク031:崩れゆく絆―アルフレド・ジャーが見る世界のいま」を聞いてきた。

最初に携帯電話の電源を切ってくださいと言われる。いつもだったら「電源を切るかマナーモードにしてください」と言われるところだが、今日は「電源を切ってください」だけ。さらに主催者側からだけでなく、本人からも言われる。スマートフォンでノートをとるつもりだったが、これだけ言われるのだからと思い、電源も切った。後で思うと、講演に没入してくださいということだろう。その価値はあった。

まずアルフレド・ジャー (Alfredo Jaar http://www.alfredojaar.net/) のポリシーが述べられる。「作品を制作する前にコンテキストをちゃんと理解する」。綿密な調査を基に作品制作を開始する。

アーティストトークというと、まずこれまでの作品をスライドで見せることが多い。アルフレド・ジャーも過去の作品というかプロジェクトの話から始まる。

しかし最初のスライドは女性水泳選手が泳いでいるところ。正面から撮ったものだが、スイミングゴーグルと水しぶきで誰かわからない。

Wikipedia "Death of Alan Kurdi" より 
次のスライドから4枚は、大きな話題となった、難民ボートで遭難して亡くなった子供の写真とそれを抱きかかえる男性の写真。Alan Kurdi という名前だそうだ。
Wikipedia "Death of Alan Kurdi"

この4枚の写真はその後もプロジェクトの切り替えの時に間に挟むように使われる。その間アルフレド・ジャーは無言だ。

そう、これは伏線だ。

プロジェクトの一つはスウェーデンの街に美術館を作る話。Skoghall はスウェーデンの製紙の街。製紙工場で働く人のために会社が街を作った。住宅も学校も病院も図書館も。ただ美術館はなかったので、美術館を作るプロジェクトにアルフレド・ジャーが呼ばれる。アルフレド・ジャーは美術館を作るために調査を開始する。住民に聞き取り調査をするが、別に美術館がなくても良いと考える人が多くいた。

アルフレド・ジャーは紙を主に使った美術館を作る。地元のアーティストにも紙を使った作品を制作してもらう。また、子どもたちが紙を使った作品を作るワークショップも開く。ただ、この美術館は1日限定のオープンで、次の日には燃やしてしまう。住民に「美術館のある生活」を理解してもらい、そしてそれがなくなった生活を理解してもらうことが目的なのだ。

その目的は達せられ、その後恒久的な美術館が建てられることになった。

Lights in the City はカナダモントリオールでのプロジェクト。ホームレスが市民から見えない (透明な) 存在になっていると感じているのに対して起こされた。ホームレスが一時宿泊施設に入りスイッチを押すたびに、モントリオール旧市街にある Marché Bonsecours (ボンスクールマーケット) のドームに設置された赤いLEDライトが灯る。

フィンランドは難民の受け入れ率が非常に低い。そこで、100万冊のパスポートを用いたインスタレーションを作った。

東日本大震災に対して彼のリサーチは被災した小学校にも向けられる。黒板を用いたインスタレーション «生ましめんかな» があいちトリエンナーレ2013に出品された。

次第にプロジェクトから現実の世界の認識に入る。

Alan KurdI 君の写真は世界中の人々の心を打った。世界の多くの新聞が彼の写真を一面トップに使った。普段はゴシップを取り上げるタブロイド紙も同様だ。難民受け入れの機運は大きく盛り上がった。

しかし今、その機運は縮小しつつある。英国のEU離脱の一因は難民というかEU全体から入ってくる移民の受け入れ問題にある。フランスも極右政党国民戦線のルペン氏が力を伸ばしている。

そしてアメリカではメキシコからの移民を排斥する主張のトランプ氏が代表になった。ただトランプに対してはヨーロッパは批判的で、イギリスではトランプをイギリスに呼ぶなという声が盛り上がっている。

アジアではヨーロッパに比べ難民に対する意識は低い。中国では習近平がトランプを歓迎している。日本に至っては最悪で、真っ先にトランプに会いに行った。

希望はカナダのトルドー首相だ。難民歓迎イベントでインドの民族舞踊が披露された時、トルドー首相は民族衣装で一緒に踊っているところがビデオで流された。

アルフレド・ジャーも難民問題を題材にしたプロジェクトを行った。公園で青い立方体の箱を配る。その箱は内側に、Alan君が打ち上げられていた浜の写真をAlan君を抜くように加工した写真が印刷されている。裏返しに箱を組み立てると表面にそのの写真が出る。また、遭難した難民を救助する NPO Migrant Offshore Aid Station (MOAS) への寄付を呼びかけるメッセージがふくまれている、

リオデジャネイロ・オリンピックでは希望の光が見えた。これまで国を出てオリンピックに出場できなくなった難民で初めて難民選手団が組まれたのだ。その中の一人が女子競泳のユスラ・マルディニ選手。そう、最初に出された写真の選手だ。彼女は海を渡ってギリシャに行く。そこで命の保証を得たのだが、彼女は水泳がやりたかったので、そこを出て幾つかの国を経由してドイツにまで行く。そうやって夢をつかんだのだ。

1時間半惹きつける講演で、帰りのエレベーターでは「消化しきれないね」という声が上がっていた。この機会を提供していただいた森美術館に感謝します。


この日、4月18日は、ヨコハマトリエンナーレ2017のアーティスト発表があった日だ。ヨコハマトリエンナーレ2017のテーマは「孤立」と「接続」。各国が自国ファーストで内向きになり孤立していく世界をどのように接続していくことができるのか。プレスリリース  (PDF) から引用する。
本トリエンナーレでは、「接続」と「孤立」をテーマに、こうした相反する価値観が複雑に絡み合う世界の状況について考えます。そして、人間の勇気と想像力や創造力がどのような可能性を拓くことができるのか、開国、開港の地・横浜から新たな視点を発信します。
今年 Socially Engaged Art 展 で、難民のライフジャケットを用いたインスタレーションを披露したアイ・ウェイウェイが、やはりライフジャケットを使った作品を出すという。

この日聞いたアルフレド・ジャーの講演は、「孤立」と「接続」に合致していると思う。ヨコトリ2017で彼の講演を再度聞きたいし、皆にも聞いて欲しいと思うのだ。

同じく講演を聞いていた人の記事:

2017/01/06

会期終了間近なので…

... 次の二つの展覧会に行ってきた。
宇宙と芸術展はこれまでも何度か行っているのだけど、トークイベントのついでに行ったという感が強くて、あまり真剣に見ていない部分も多い。そういうところを見て来なきゃと思った。

ただやっぱり古文書とか望遠鏡などの博物館的展示物にはあまり興味がもてず、あるのを確認した程度になっていたと思う。

チームラボも2回見てきた。次回上映待ちの列で、子どもが「これ怖い」といっているのに対して、お母さんが「もう一度見たら大丈夫かもしれないよ」と言っていたのがおかしかった。

それよりもこれまで見る機会がなかったMAMスクリーン (映像作品の上映) を一部だけど見てきた。特に瀬戸桃子《Planet Z》の映像が気持ち悪くて良かった。また、 ジャン・ワン《月面経済特区》では、中国が月の資源を採掘し地球で売って経済大国になっている姿を描いていて不気味だった。


MAMスクリーン は前期後期とわかれていたんだね。前期はスプツニ子! さんも出てたのか。見逃して残念だ。


原美術館の篠山紀信展は、原美術館の各部屋、庭園で撮影したヌード写真展。撮影された部屋に展示されているのは面白い。きれいなヌードだけど、それ以上のものは感じることができず、さっと見て帰って来た。 

外にも展示されている。わかる?
実はBankART NYKの柳 幸典「ワンダリング・ポジション」も見たいと思っていたのだけれど、森美術館で予想以上に時間を使ったので断念。

2014/01/10

アージェント・トーク022

1月7日、森美術館で行われた

アージェント・トーク022:「具体:すばらしい遊び場所」展から考える日本美術のグローバルな位置

を聞いてきました。

「具体」に関しては一昨年国立新美術館で展覧会が開かれたので行って来ました(→「具体」展)、昨年はニューヨークのグッゲンハイム美術館で開かれていました。そのキュレーターの一人ミン・ティアンポさんのトークです。

日本の美術をどう世界の中で位置づけるか。それは今も日本の美術界のテーマであるのでしょうが、現在は村上隆以外は海外に打って出るような動きはあまりみられないと感じています。もちろん個人個人では意識している人も多いのでしょうが (ヴェネチア・ビエンナーレで日本館として賞をとった田中功起もその一人でしょう)、全体の力になっておらず、日本の中で分ってもらえればいいというようなスタンスに見えます。

このトークの中で面白かったのは、「具体」が雑誌というかカタログを作成して世界の美術家に送付していたということ。今はインターネットが使えますが、当時そういうものはない中で、世界に発信していたというところです。数こそ多くは配れませんが、物理的に存在するものは強いですね。

美術というと、美しいか美しくないか、されに現代でいえば、好きか嫌いかの差しかないように感じていましたが、全世界の中で相対化し美術の歴史の文脈の中に位置づけることが重要なんですね。国際公用語としての英語はそのためには重要ということで、会場とのQ&Aの回答中に言われていました。

2012/11/18

沖縄の人たち 山城知佳子

昨日 2012年11月17日から「会田誠展:天才でごめんなさい」が開催されており、初日の昨日はトークセッションも開催され、こちらも参加して来ました。会場外に立ち見が出るほどの盛況でした。

これに関しては別稿で書きたいと思います。ここでは、同期間に行われている「MAMプロジェクト18 山城知佳子」アーティストトークにも参加して来たので、その感想を書いておきたいと思います。


 肉屋の女

トークは山城さんと森美術館キュレーターの近藤さんの対談形式で行われました。山城さんはあまり雄弁な方ではないようで、近藤さんが話題をふってそれに答えるという形で進行がなされました。

過去の作品を紹介して、最後に今回の作品「肉屋の女」に話題がなった時も、近藤さんが作品の背後にあるストーリーを補足説明していました。作品に出てくるものに様々なメタファーを感じ取った近藤さんがそのことを質問すると、全体で「肉」を表現したい、出てくる人間も肉を食べそして肉として食べられることを意識しているとのこと。作品の中のに出てくる洞窟 (沖縄ではガマ) もその中で一般人が自決をした沖縄戦のイメージを重ねているのかという問いに対しても、人間の体内の穴を奥まで進んで行くイメージとのことでした。

作品に対して、その意図を問うと「作品そのものを見てください、感じてください」という日もいて、山城さんもそういうタイプなのかと思ったのですが、答えを聞いて行くとやはりコンセプトが少しずつ出て来て、現代アートはやはり概念であり言葉なんだなと思います。

沖縄の住民に関しても、周りからは住みやすく人々も楽天的なように見えるけれども、そこに住んでいる人は、基地があって、レイプが身近に感じられ、逃げ場のなさを感じているとのことです。沖縄に住んでいる表現者は、そのことを考えざるを得ない。

そういう背景を聞いたので、セッションの最後の質問の時間では「肉屋の女の女性には悲しそうな表情が見える、それは意図したものか」と聞きました。「そういう意図はなく、役者さんにそういう指示も出していない。むしろたくましさを表現した」とのことでした。また「むしろ肉に群がる男達 (労働者) に悲しさを感じる」とのことでした。出演者の女性の表情は、山城さんが男達に向けている目なのかもしれません。

山城さんの作品には、黙認耕作地、その中のマーケット (闇市)、黙認浜 (これは山城さん命名の言葉)、壊される自然、辺野古の海など、沖縄、日本を考えさせられるモチーフが色々出て来ます。同時期に開催されている『黙認のからだ』(2012年11月17日(土)–12月22日(土)、Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku) も行ってみようと思います。

2012/10/21

アラブエクスプレス展と関連シンポジウム

Microsoft SkyDrive のオンラインドキュメントを試すつもりでアラブエクスプレス展の写真をまとめていたのだけれど、あわせて関連シンポジウムの感想まで記載しました。

アラブエクスプレス展

追記: 森美術館のFlickrアルバムに写真が載っていました。せっかく真ん中 (卯城氏とサルキシアン氏の間) に写っているのに下向いてiPhone見てました。
休憩時間にも交流するアーティスト達。左から小泉明朗氏、卯城竜太氏、ハラーイル・サルキシアン氏、スプツニ子!氏

追記 (2017/1/7):関連シンポジウムの感想は上記SkyDrive (今はOneDrive) のドキュメントからここにも転記します。

シンポジウム


9月29日には森ビル内の六本木アカデミーヒルズで行われたシンポジウム「ポップアップ・マトハフ@森美術館—マトハフ・アラブ近代美術館共催シンポジウム 遠くて近い、近くて遠い、アラブと日本:アーティストの役割とは何か」 (2日目)にも参加して来ました。このシンポジウムは無料で、展覧会はここでもらったチケットで行って来たのです。実はチケットくれるんじゃないかと思って、それまでは行っていなかったのです。

2日目のセッション2 「歴史をたどって」では、出展アーティストのハラーイル・サルキシアンとアーティスト小泉明郎の対談。

サルキシアン氏はトルコ生まれのアルメニア人で現在はシリアに住んでいます。トルコによる虐殺がありながら、トルコでは逆にアルメニア人がトルコ人を殺したというように教えられているアルメニア人虐殺事件 (Wikipedia)。彼はイスタンブールでひっそりと暮らすアルメニア人家族を撮影した作品を発表しています (今回出展しているものは別)。

小泉明郎氏は、「特攻に行く青年が両親に向けた出征の言葉を発する」という場面を映画撮影しているというシチュエーションの映像作品を紹介されました。監督が「もっとサムライを表現して」と煽り、出征兵士役の青年がそれに応えて撮り直すのを繰り返すうちに、だんだんエキサイトして行くもの。

この二人のトークでは自ずと戦争、平和がテーマになって行きます。その後の質問の回答の中で「日本人にはスイッチがある、いずれ (自爆テロの) テロリストになる (素養を持っている)」という発言がありドッキリしました。

セッション3 「キッチュなものの力」では出展アーティストゼーナ・エル・ハリールさんがスカイプによる出演し、スプツニ子!さんが会場でという変則的なセッションでした。

セッションのテーマは、二人に共通するポップなものの影響だったのですが、やはり女性ということでジェンダーのことも話題になります。アラブ世界の中で女性アーチストは活動しにくいのではないかということを質問しようと思っていたのですが、先に女性から同じ主旨の質問がありました。レバノンの女性は解放されているほうとはいえ、やはり活動には制約があるようです、外国人と結婚しても国籍は変えられないということでした。

最後のセッションは1日目も含めた出席者全員によるディスカッションです。森美術館の南条館長の発言で、現代アートという共通言語があり、アラブ圏というひとくくりにするのは本来は間違っているという旨の発言が印象に残りました。

この「地域でまとめた展覧会を行うことの是非と意義」は、この前のトリエンナーレ学校のテーマ「アジアの近現代アート」との関連もあって考えさせられました。

現代アートという世界共通言語の中で生きているという意味では地域性はないというのもわかるけど、アーチスト個人は、日本なら日本の影響を、イスラム教国ならその影響を受けているだろうし、それが作品にも滲み出てくると思うのです。また、作品を見る人にも受け入れられるものを作るベクトルは働くと思います。アジアの美術の発展の過程で、欧米人がアジアに期待するものを作って来た歴史もあるとのことでしたので、同様の外からの期待もそうですが、アラブ内部の期待と言うか嗜好も影響するのではないかと思います。それらからなにかしらアラブ的なものもやはり出て来るのではないかと思ったのです。

その点を質問してみました。アーチストの皆さんは、受け入れられるかは関係なく、自分の内面から湧き出る衝動を作品にする、と言っていました。でもそれは、もう売れているから、これからも売れるからじゃないのかと思うのです。売れるというと下世話だけど、評価は気になるのじゃないかと思うのです。

その意味で小泉さんの答えは納得がいきました。 オランダに呼ばれた時は、日本人として呼ばれた意味を考えた。しかしいつまでもそれにとらわれていては、自分の作品にならない。成功している人は皆、そういうプロセスを経て、自分なりのものをつかんだとと言えるだろう。 ということでした。

しかしビッグネームも、やはり、売れた作品から売れるものをつかんで売れるものを作るんだろうと思います。村上隆はこの意味での別格として、奈良美智も草間彌生もそうじゃないかと思うのです。売れなきゃ描き続けてない、売れたから描き続けられている、という側面はあるでしょうが。

売れることは関係ない、売りものでない作品を作っている人だって、賞をとるとか、大きな個展を開けるとか目標になるんじゃないでしょうか。

そういうことを考えさせられるシンポジウムでした。

2011/08/29

現代美術とキャプションと解説

森美術館で開催されている「フレンチ・ウィンドウ展:デュシャン賞にみるフランス現代美術の最前線」、今日8月28日が最終日なんですが、田口行弘のトークを聞いた時に見ていながら何も書いていませんでした。

「デュシャン賞」という訳で、「レディメイド」という概念を確立した有名なデュシャンの便器、「泉」が出ていた。私には「泉」の芸術的価値は分らないけれど、当時センセーションを巻き起こしたと言うことは、無視されなかったということで、その議論を起こす価値があったということだろう。そしてその概念「レディメイド」は、いわば常識として定着している。

今行われているヨコハマトリエンナーレに、冨井大裕の "belt is standing" と "measure" が展示されている。作品には素材が書いてあるのだが、それぞれ「ベルト」と「メジャー」。 先日ヨコハマトリエンナーレでサポーター活動したときは、音声ガイドの貸し出しと回収の係りで、回収した音声ガイドを貸し出し窓口に運ぶ時にこの横を通るのだが、その際に観客の反応も見ていた。やはりデュシャンに言及している人もいました。

面白かったのは子供が「そのままじゃん」と言っていたことで、共感してしまった。 デュシャンが使った方法がまだそのまま通用するのかという妙な感慨があります。それともデュシャンと違って何か加工がしてあるのかもしれませんし、何か別の意図が込められているのかもしれません。

ちょうどヨコハマトリエンナーレ関連の情報を調べていたら、横浜美術館のキュレーター天野太郎氏の文章があった。

ヨコハマ創造界隈 VIA YOKOHAMA 第13回 説明を要する現代美術 - 「キャプション論」、再び-
近代以前においては、例えば絵画はその主題とした神話、歴史、宗教において、それらの教養を十分に備えた受容者だけが、キャプションを必要としないで鑑賞出来た。

...

近代以降においては、教養を強化するため、キャプションは不可欠のものとなった。キャプションを必要としない「教養」ある人々が受容者であった時代から、「教養」を身につけるために美術を「学ぶ」ためのキャプションを必要とする受容者の出現が、こうした事態を生んだのだ。無論、近代の美術が、「美」の芸術から「概念」の芸術へシフトしてきたこともまた、作品が、キャプション=テキストを強く要請してきた理由の一つに挙げられるだろう。

キャプションがないとどう見ていいか困るというのは、コンテキストは違うものの、先日 名和晃平展で経験したことだ。

さらに、
横浜トリエンナーレに代表されるような現代美術では、キャプションばかりか、作品を巡るテキストはある意味で必須だ。例えば、主会場の一つ横浜美術館で、最初に遭遇する中国のアーティスト、尹秀珍(イン・シウジェン)の作品。まるで映画のフィルム入れのような金属の容器に、布らしきものが詰められた《one sentence》という作品。

会場で、与えられる情報は、このキャプションと、何よりも作品自体。これでは、何のことやら、謎めいたままだ。

と書いている。

実は、言及した音声ガイドはその穴を埋めている。トリエンナーレの総合ディレクター逢坂恵理子横浜美術館館長がそのことを語っている。

ヨコハマ経済新聞【インタビュー】2011-08-07
ヨコハマトリエンナーレ2011・逢坂総合ディレクターに聞く
今回のヨコトリが挑む、新たなステージとは?

音声ガイドの貸し出しもあります。

―それは画期的です。普通、現代美術の展覧会ではあまりしませんよね。現代美術のファンは、説明を嫌う人も多いですから。

そうなんです。でも今回は、現代美術にあまり馴染みない方にも来て頂きたいので。

私自身はまだ音声ガイドの内容は知らないのだが、今度観客として行く時にはぜひ借りてみようと思う。

2011/05/01

田口行弘のインスタレーションアニメーション

インスタレーションアニメーションという言い方は本人はしていないかもしれません。インスタレーションを少しずつ動かしてそれをコマ撮りしてひとつの映像作品にしたもの。


森美術館で展示が行われているのですが、先日アーチストトークを聴きに行ってきました。

MORI ART MUSEUM [MAM PROJECT] 田口行弘
ベルリンを拠点に活躍する田口行弘(1980年生まれ)は、ドローイング、パフォーマンス、アニメーション、インスタレーションが混然一体となった「パフォーマティブ・インスタレーション」で近年注目を浴びています。日用品や家具、スタジオの床板までが命を吹き込まれたように踊りだす映像は、静止画像を繋げる古典的なアニメーションでありながら、現代にも何らかの可能性を示唆してくれます。
ここには「パフォーマティブ・インスタレーション」とありますね。 森美術館の壁の一部を使って同じようなインスタレーションを作っています。上記のビデオの最後にあるものですが、会期中に今後も少しずつ変わるんじゃないかな。 会場の中で制作風景のビデオも流していました。上記のビデオの2番目の畳を使ったものなんですが、畳を持っている人たちに、川の対岸からメガホンで指示している風景が面白い。「次、最後尾の人、畳をもって先頭へ移動してください」なんて。

トークでは、これらのインスタレーション以外に、香港で行った街を駆け抜けるパフォーマンスの話がありました。固定ビデオカメラをセットして、その前を全力で駆け抜けて行くのです。海に飛び込むところまであって、警察から不審尋問されているところの写真もありました。 インスタレーションをアニメーションにするというと石田尚志の作品もありました。これは「アブストラクトアニメーションの源流」で見たのでした。 石田尚志 作品

そうそう、ストップモーションアニメと言うとこれも思い出しました。


2011/02/16

森美術館 MAMCナイト

もうだいぶ前になっちゃいましたが、森美術館で行われた MAMCナイト に参加してきました。これはMAMC メンバー向けのイベントなんですが、メンバー外への無料招待に当選したのです。

現在行われている「小谷元彦展:幽体の知覚」展を解説付きで2回まわります。1回目の解説はキュレーターの荒木夏実さん、2回目はコンサヴァターの相澤邦彦さん。コンサヴァターというのは、美術作品の保存と修復を行うお仕事の人で、現代美術には関係なさそうに見えるのですが、今回は現代美術でコンサヴァターがどう関わるのかを聴かせてもらいました。

小谷元彦展は以前カテジナ・シェダーのアーチストトークがあったときに見たので、3回見たことになります。八面スクリーンに映し出される滝の作品があるのですが、前回は並んでいる人が多くて断念したのを、今回はゆっくり鑑賞できてよかったです。

小谷は彫刻家ですが、動かない作品だけでなく、このような動きのあるものも制作しています。他にも、髪の毛で編んだドレス、狼の毛皮で作ったドレス、映像作品もあります。髪の毛で編んだドレスは、京都のお寺にある髪の毛で結った太い綱にインスピレーションを受けたそうです。

解説によると、コンセプトだけの作家ではなく、彫刻家としての確かな技術をもっているという評価がなされているそうです。能面をモチーフにした作品も面打ち師に師事してから作ったとのこと。

コンサヴァターの相澤邦彦さんのお話では、現代美術での関わりとして「予防保全」という考え方があるとのことでした。巨大な彫刻作品を壊さないようにどのように運び、展示するか。今回は、美術館の壁に穴をあけて支柱を通し、作品の目立たないところにワイヤーを伝わせて固定するといったことも行われています。

保全という意味で、現代美術は現代美術なりの難しさがあるということでした。それは、様々な素材を使うことで、新素材の情報を常に仕入れないといけません。プラスチックという素材は出来てからまだ百年そこそこ。いつまでもつのかまだ分かっていない。だが、アーチストにとって魅力的な素材の一つ。他の素材では表現出来ないものもある。

保全の敵は、湿度、温度、光だけでない。人が入るとほこりが舞うし、虫を連れてくる場合がある。昔は美術館を締め切って燻蒸を行っていたが、人体や環境に悪いので、今は湿度や温度のコントロールを含めた統合的な対処に移って来たということです。前の展覧会では、部屋一杯に生土を使った作品があり、最初に土を焼き、湿度をうんと下げたりしたとのこと。

私は、この前の展覧会にも行ったのですが、実は繋がっているその隣の部屋の展示では、霧が出てくる作品があったのです。その点で難しかったのではないかと質問してきました。湿度を下げた影響で、霧があまり出なかったとのことでした。あらあら。

粉機の展示には写真作品もありました。デジタルで製作された作品は、修復するのではなく再出力すればいいのだが、出力機器がいつ迄あるのかという問題もあるし、保存メディアにも寿命がある。またデジタルデータのフォーマットもいつ迄も使われている保証はないということです。確かに自分が持っているDVDも劣化するんですよね。テープのときと違ってじわじわ劣化するのではなくて、いきなり見れなくなるから厄介です。

MAMCのメンバーになれば、美術館や展望台にいつでも行けるだけでなく、こういうイベントやカクテルパーティーにも参加できるのですが、年間21,000円はちょっと出せないな。私は年間パスポート 5,250円を買うかどうかで悩むレベルです。

そうそう、今3大個展といわれている他の二つ、曽根裕高嶺格も見に行かなくちゃ。

関連記事:
不可能で限界があるから彫刻は面白い―小谷元彦 アーティストトーク (これは行っていませんが)
flickr MAMCナイト 1/25/11

《スケルトン》の形状に、興味津々で見上げます

2009/11/09

アイ・ウェイウェイ展

同じ9月23日は、「アイ・ウェイウェイ展 - 何に因って?」も見てきました。

森美術館 アイ・ウェイウェイ展
2009年7月25日(土)〜11月8日(日)

すみません。今日が最終日です。近くの人はまだ間に合います。めずらしく写真が撮れる美術展なので、カメラを持って行きましょう。

実は前日の7月24日にプレス発表会があって、ブロガーへの招待もあったのですが、そのアナウンスがさらにその前日Twitterで行われて、夜10時くらいまでは受け付けていたようなのですが、連絡したのですが間に合いませんでした。プレス発表の雰囲気を味わいたかったのに、残念。



プーアール茶を固めて作ったTea House。床にも茶葉が敷き詰めてあります。お茶の香りはその場でしか楽しめません。



巨大な集積木材のオブジェ。ここからだと何を示しているか分りませんが ...



カメラをもって、上にかざして撮った写真。中国大陸の形になっているのです。



こちらは逆にくりぬかれた部分が中国大陸の形になっています。



巨大なタンスみたいな直方体がならんでいます。実際にタンスと同じように作っているんだったかな。実際のタンスとは違って、丸いあなが開いていますが、その位置が少しずつずれています。覗くと...



月の満ち欠けみたいなイメージが現れます。



壁、床、前面が写真で埋め尽くされています。それぞれの写真は、北京オリンピックを前に、これまであった建物がいっせいに取り壊され現れた巨大な空間を撮ったものです。土地は原則国家のものであった中国では、こういう開発が一気にできるのです。

一方で、アイ・ウェイウェイはあの、北京オリンピックのメーン会場である鳥の巣の設計にも大きく関わっています。

中国の伝統を壊し新しいものに置き換えて行く過程、そういうものに疑問を抱きながらも、新しい中国を築いて行くのに関わる自分。そういうジレンマを作品の中に込めているのかもしれません。

追記: そうだ、広瀬香美さんもこの展覧会に行ったって書いてました。
夜ブログ)「トリの巣スタジアム」の人 (2009.10.20 18:00)

2009/07/12

「万華鏡の視覚」展

こんにちは。久しくウソ自己紹介していなかったので岩崎宏美の名前を使おうかと思ったのですが、以前「万華鏡クイズ」で出してましたよ。

先週、「今日行った展覧会」のひとつとしてリストアップして、マイケル・ジャクソンホメオパシーの記事でそれぞれ1作品だけ言及したのだけれど、他にもおもしろいものがいろいろあったので感想を書いておこうと思う。



今回の森美術館の企画は、ティッセン・ボルネミッサ現代美術財団のコレクションから選択したもの。このサイトにも
The Kaleidoscopic Eye
Thyssen-Bornemisza
Art Contemporary Collection

としてこの展覧会を紹介し、森美術館に展示したものがリストアップされている (→ Exhibitions)。

「万華鏡」でまとめているということもあり、面白いと思ったのは、光、鏡を使った作品。

今回の看板になっている、
Carsten Höller
Y


Y字型の光のトンネルのようになっていて、この光が回転するように順次点灯する。昔の「タイムトンネル」みたいだ (って分る人も少ないか)。トンネルの先には鏡がおいてあるので、ずっとつながっているように見える。

John M Armleder
Global Domes XII


ミラーボールが12個吊るしてあって、それぞれに光があてられ、光が壁や見ている人の上で交差する。まあ、ミラーボールを使って作品を作ることを考えた時に、まずはこんな作品を考えるだろうという気はするけれど。

Hans Schabus
Reißbrett Nr(s). 74, 84


2005年ベネチア・ビエンナーレ オーストリア館の模型とコンセプト図。オーストリア館そのものが作品になっている。オーストリアの山脈に建物全体が包まれているような感じでもあるし、この山は木造船をひっくり返したような構造になっている。

こういう建物全体をひとつのアート作品とするのは安藤忠雄など日本人が得意とするようなところでもある。日本の場合は万国博などでそのような出すのだけれど、美術展に出すのもいいのではないかと思った。

Sarah Lucas
Bunny Gets Snookered #3


パンストでできている。詰め物もパンスト。普通の事務用の椅子にのっているし、一部は椅子と一体化している。ちょっとぎょっとするね。

2009/07/06

今日行った展覧会

こんばんは。今日は疲れたので早く寝なきゃ...

今日は次の展覧会に行って来ました。

#1 森美術館 「万華鏡の視覚」展 → Tokyo Art Beatの情報展覧会トップページ
-- 最終日だったので ... 「万華鏡」でまとめるのはどうかとは思うが、面白かった。

#2 国立新美術館 野村仁「変化する相 -時・場・身体」 → Tokyo Art Beatの情報国立新美術館の展覧会のページ
-- 七夕イベントに参加すると無料というのに惹かれて行ったのだけど面白かった。

#3 国立新美術館 国際墨画会展 → 国際墨画会お知らせ
-- 最初水墨画かよと思ったのだが、色使いなど既存の水墨画とは異なる作品もあって楽しめた。

#4 たばこと塩の博物館 イラストレーター170人が描く「わたしの句読点」 → くれまむさん情報TIS展示会情報
-- 和田誠、及川正通、宇野亜喜良、長友啓典など有名どころがたくさん ... 山下以登さんのかわいい作品以外はあまり印象に残っていなくて申し訳ない。

国立新美術館の展示場は広いのですね。森美術館と同様、余裕をもった展示ができていて快適でした。とはいえ広いということはそれだけ歩くということですが。乃木坂駅と六本木ヒルズ間を徒歩で往復、渋谷→タバコと塩の博物館→原宿と徒歩で移動したので疲れました。それなのに帰りにプールで泳いで来たし。