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2017/04/09

Analogy Learning

21_21 DESIGN SIGHTで行なわれている「アスリート展」のイベント、トーク「アスリートのコミュニケーション」に行ってきた。「コミュニケーション」とか言われると行かざるを得ないよね。

「アスリートのコミュニケーション」と言っても、「ファイト!」とか「チェストー!」とか「どんまい」とかそういうことではない。最初に「コミュニケーション」の定義が示された。「言語化する = イメージを言語に変換する」ことで、ここでは典型的には「コーチがどう技術を伝えるか」ということになる。

コミュニケーションの難しさは、選択肢が無数にある中で適切な表現を選ばなければいけないことにある。それはお互いに共有する前提 = 背景情報によって異なる。相手が何を知っているかを知らないと最適な表現は選べない。

慶応大学の加藤貴昭准教授はスポーツの動きの研究を行っている。身体が勝手に反応する「ゾーン」の話、自分の動きを考えすぎるとうまく動けなくなる「チョーク」の話などがあって、"Implicit Learning vs Explicit Learning" の話があった。"Explicit Learning" は直接技術を教えることに対して、"Implicit Learning" は違う表現で教える。学習者はそれを受けて自分で正しい技術を習得する。このほうが、一定期間経った後に覚えている割合が高いという。

"Analogy Learning" は Implicit Learning の一手法。類似性、比喩表現で教える。フリースロー2750回連続成功のギネス記録を達成したトム・アンベリー氏は、その秘訣を「頭上にあるクッキーの瓶に手を突っ込むように」と語ったという。その他、バレエなどでは「操り人形が上から吊るされているかのように立つ」みたいな表現がされているのは知られていることかと思う。

展覧会の一つの出品作品がこの "Analogy Learning" をテーマにしている。例えば「地面を熱したフライパンの上だと思って走る」というアナロジーに対して、右に走っている映像、左に熱したフライパンの映像を配置する。

この作品を作るために、加藤氏が学生に与えた課題「アスリートから自分のアナロジー表現を聞き出してくる」の結果を使った。慶応大学のクラスだと、周辺に各分野のトップレベルのアスリートが多いからこういう課題が出せるという。なるほど、地方大学では難しいだろう、また東大でも難しいかと思った。

最初に、コミュニケーションでは共通する背景知識が重要だということを書いた。アナロジーは、相手も知っていると思われる一般的な知識を用いるので、その点はクリアできているのだと思う。また、「地面を熱したフライパンの上だと思って走る」を言葉にすると「地面への接地面積、時間を短くして ... 」ということになろうが、これを実際にやろうとすると、先に述べた「チョーク」が起き、うまく体が動かない。

アナロジーはスポーツの分野だけでなく、いろいろな分野に適用可能だと思った。実際に使われているのだと思う。自分が何かを説明する上で活用を考えていきたい。

2017/02/16

ラップの文化翻訳

2017年1月11日から開講していたオンライン講座「文化翻訳入門-日本と世界の文化コミュニケーション-」を受けていた。

文化翻訳とは「単に言語を翻訳し、意味を伝えるだけでなく、その文化的意味、背景を含めて伝えるものである」とかいった定義を最初に語ってくれればいいのだが、最初の講義は、文化翻訳とは何かが明確にできないというところから始まる。
書物や文書の翻訳は言うに及ば ず、字幕翻訳でも通訳でも、そこには必ず「原文」があり、それを翻訳した結果としての 「訳文」が存在するわけである。これに対して、社会学、民族学、人類学などにおいて用 いられる「文化翻訳(cultural translation)」という考え方においては、「原文」も「訳文」 も、テクストとしては、ただちには確定しがたいのである。
講義自体もオムニバス形式になっていて、それぞれの講師が自分の専門の中での文化翻訳の事例について語る。

  • 文学: 小説と詩 (日中の詩)
  • 映画、テレビドラマ
  • マンガ
  • 演劇
「今だからこその江戸美術」のときと同様に、最後にレポートがある。
「文化翻訳」の身近な実例を最低ひとつ、具体的な作品名とともにあげ、講義の内容を参照しつつ、どうしてその事象が「文化翻訳」と言えるのか、また、その事象がメディア・文化圏を超えるために必要な要件はなにか、序論・本論・結論の体裁を守って論じなさい。(2000字程度)
 「今だからこその江戸美術」のときは400文字だったのに今回は2000字。制限を気にせず自由に書けるとも言えるが、2000字も書くことがない場合はつらい。

最初の講義で出てきた「散文は翻訳できるが韻文は翻訳できない。音韻の再生や原文の語順の再現を求められるからである」(Jacobson 1959) を踏まえ、韻文であるラップを題材に取り上げた。

以下私が出したレポート。すこしブログ用に整形した。

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ここではラップをとりあげる。

ラップの特徴として「韻をふむ」ことがある。

例えばRun-D.M.C.の曲 "Christmas in Hollis" の最初をみてみよう。
https://www.youtube.com/watch?v=OR07r0ZMFb8

It was December 24th on Hollis ave in the dark
When I see a man chilling with his dog in the park
I approached very slowly with my heart full of fear
Looked at his dog, oh my god, an ill reindeer

ここでは、"park" と "dark" が、"fear" と "reindeer" が韻を踏んでいる。

そこでこの日本語訳をみると、次のようになっている。
12月24日 もうあたりはすっかり暗くなった頃
公園で犬を連れてこごえてるおっさんがいた
おっかなびっくり近づいてみると
犬だと思ったのはなんとトナカイだった
ここには押韻はない。「いた」と「だった」で「た」が同じであるが偶然であろう。

最初の講義で、『「韻文」は翻訳できない』という命題があった。すなわち、「意味」は翻訳できるけれども、「韻文」の「形式」は翻訳できない、翻訳先の言語で原文の「形式」は再現できない、というものである。正確に言えば「形式」は翻案によって新たに作り出す必要があるということだ。

この日本語訳はそこまで努力して原詩の世界を再現する労力を放棄している (CDについてきた日本語訳であり演じるための訳詞でないので当然である)。押韻以前に、音数を揃えてメロディーに乗せること自体が難しい。

では日本語ではラップという文化は輸入されていないかというとそうではない。日本語ラップというジャンルが存在する。

日本語ラップの初期のヒット曲 "DA.YO.NE" をみてみよう。
ねえ ちょっと聞いてよ 私の彼
そこら辺のとは ケタ外れ
すごくお洒落な彼
出会いは私の方から一目惚れ
と全て「れ」で終わっているが、押韻の意味では「え」段で揃えているということになる。そのあとも「会社では凄腕」、「何だって完璧で」と続くことになる。

英語においては、押韻は、
 母音(列) (+ 子音)
と子音も含めての一致をみるので、バリエーションは豊富だ。ここで母音列とは、ai, au, ei, ou, eaなどである。また母音の長音も別の音とみなされる (a: など )。

先の例では
"park" と "dark" = a:k
"fear" と "reindeer" = ir
となる。

一方、日本の場合使える子音は「ん」だけで、パターンが少ない。

ならべてみると、
 母音のみ: あ、い、う、え、お
 母音列: あい、あう、いい、えい、おう
 上記に「ん」がついたもの
とせいぜい20個程度になる。

できる詞はどうしても単調とならざるを得ない。下手な歌い手だと御詠歌に聞こえるほどである。

しかしこのような制約の中で、日本語ラップというジャンルが形成されているということは、頑張っていると言えるのではないだろうか。

このように、ラップにおいては作品ごとの翻訳、翻案はほとんどなされていない。これはラップにおいては形式の翻訳が難しいためであった。しかし、日本では「ラップ」という文化自体を輸入し、日本に根付かせていると言える。作品ごとではなく、文化全体として翻訳して身につけていると言えるのではなかろうか。

それは、天婦羅、ラーメン、カレーライス、トンカツを日本流にアレンジして日本文化と言えるものに仕立て上げた日本の「たくましさ」と言うべき特質と考える。
(1467文字)

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レポートの提出が終わると、次は他の受講者のレポートの採点。採点基準が示されており、それを満たしているか否かで採点する。中間点がないのでやりやすいが、「満たしていないと断言するのは酷か」みたいなレベルの時に ×をつけるのはためらわれる。

一人が他の受講者5人を採点することになるので、自分のレポートは5人から採点されることになる。その中の中央値が自分の得点になる。今回満点だったので、5人中3人は満点をつけてくれたことになる。

採点者はコメントもするのだが、ラップを取り上げた点、説明がわかりやすい (特に韻をふんでいるところ) と、好評価をいただいた。これは自分が目指したところでもあるので素直に嬉しい。

2016/07/10

「今だからこその江戸美術」受講修了

日本版MOOC (Massive Open Online Course) のgaccoで、「今だからこその江戸美術 Edo Visual Culture As We Really Should Know It 」 を受けていました。

4週に渡って開講しており、各週に課題があります。いつも締め切りギリギリで提出していました。

最初の3週は4択のテストで、ちゃんと講義を聞いていれば答えられるのがほとんどですが、最終週は400字レポートでした。5つのキーワードを含めて400字にまとめるのは、なかなかしんどい。

レポートの設問は
18世紀英国最大の文化的発明とされるピクチャレスクについて、その出現の経緯から日本への(ありうべき)影響まで、400字以内で概述せよ。ただし次のキーワードを必ず含めること。
1. サブライム
2. 土井 有隣
3. クロード・グラス
4. 横浜絵
5. スコットランド
というもので、「江戸美術」と言いながらヨーロッパの状況を踏まえて回答しなければなくて、なかなか面白いでしょ? 気合入れて書きましたよ。

レポートを提出すると、他の受講者のレポートの採点です。5名の受講者を採点し、良いところ改善すべきところなどコメントも書きます。

せっかくなので、自分が書いたレポートをここであげようかと思いましたが、まだ締め切り前なのでやめておきます。次週加筆します。採点基準も一旦消しました。→ 加筆しました。

私のレポートです。
ピクチャレスクは、辞書的には「絵のような」という意味であるが、風景画においては、危険な場所を対象にしていることと、絵に画家の視点、構想が込められていることを特徴とする。

イギリス人はイタリアへの旅行グランドツアーにおいて、アルプスの山越えという危険な行為の克服が新たな感動であることを知った。この人間への試練を与える荒々しい自然を崇高(サブライム)と表現し、絵の題材にした。スコットランドは高い山、崖が多い海岸が多くイギリス人 (イングランド人) にとって、題材の宝庫である。

視点に関しては、イギリス人はフランス的な均衡を好まず、不均衡な構図を好んだ。風景もクロード・グラスという凸面鏡に写して写生していた。

日本にもピクチャレスクの影響が見られる。長崎派の土井有隣は崖や枯れ木などのピクチャレスク的題材を選んだ。北斎の絵は構図が特徴だし、あるものを取捨選択してフレームに収める視点が横浜絵にも見られる。(398文字)
採点基準に関しですが、これまで受講した「デザインのまなざし」や「イノベーション入門」では採点基準は決まっていても採点者の主観や知識が影響するものだったのに対して、今回は指定されたキーワードが含まれているかどうかで採点するので、自動的に決まってしまいます。そのキーワードが正しく理解されて適切なコンテキストで使われているかは関係がありません。この点は一所懸命作文したのにがっかりという感じ。

あとこれ以外に点数は1点と少ないですが、指定していないキーワードが使われているかどうかで加点があります。400文字中に全部のキーワードが含めれらていることなど考えにくいので、100点は絶対取れない設計になっていました。評価項目に「富嶽三十六景」に言及しているか、というのがありました。「北斎の絵」を「富嶽三十六景」にしておけばよかった。ちょうど400文字に入ったし。

2012/08/20

ひかり*くうかん じっけんしつ

NTT インターコミュニケーションセンターで行われている ひかり*くうかん じっけんしつ に行って来ました。展示会タイトルに "ICC キッズ・プログラム2012" とつけられているように、子供向けのプログラムではあります。

いくつかの小部屋に分けられていて、それぞれの小部屋では光と影の関係を見せてくれます。

実験ですから、参加できます。模型鉄道をゆっくり走る電車には、小さな光源が載せられていて、鉄道の周辺におかれたものの影が周囲の壁、天井に映ります。周辺のものを自由に置き替えて影の出来方の違い、電車が動く効果を確認できます。ざるのような網状のものは特に面白い。

これどこかで見たなーと思ったので、帰って検索してみました。

必見!鉄道模型による光と影のアート (元気!本気!勇気!)

The Tenth Sentiment / 10番目の感傷(点・線・面)という作品で、第14回文化庁メディア芸術祭のアート部門優秀賞・受賞作品でした。メディア芸術祭には2010年と2012年には見に行っているが、2011年第14回には行っていないので、ここオープンスペース2010で見たのでしょう。

その制作者のクワクボリョウタが、今回パーフェクトロンというユニットとして出展しているのですね。

当日は閉館19:00からアーチスト・トークがあったのですが、そこまで待つ元気がなくて帰って来ました。

8月26日には小学生対象のワークショップがあります。もう事前締め切りは過ぎてますが。

2009/02/25

iKnow!を使ってみている

こんにちは。"I Know" といえば、ポール・サイモンですね! (→ YouTube: "I Know What I Know")

APIなんか提供されてて技術的にも面白そうと思い、iKnow!に登録してみました。そういえば、めめんさん、ゆきさんもユーザでしたね。

まだコースをいろいろ試している訳ではないのですが、基本的に語彙を増やすことがねらいのようだ。発音や聞き取りのスキル向上はどうなんだろ?

その語彙も、英単語ひとつに日本語の意味がひとつかふたつしかアサインされていないのはどうなんだろ。そういえばこんな意味もあったね、というのが選ばれていたりすると、「なるほど英語圏ではこちらの意味が普通なのか」という発見もあるけど。"carry-on" (形容詞) に「機内に持ち込める」なんて意味が与えられていると、へ〜なんて思う。

しかしこれだと英単語の意味や、使うシチュエーションの差なんて身に付かないんじゃないかな。「提出する」って "hand in" と "turn in" と "submit" が対応するんだけどどう違うんだろ。

練習の中に、日本語から英語を選んだり、綴りをタイプするのがある。1回のセッションでは10個だけに限定しているのでその中で選ぶのには困らないのだけど、何日かやっていると前に出てきたものも復習の意味で入って来る。そのうち困るだろうなと思っていたら、"recent"と"latest"が一緒の回に出てきた。"~ models" や "~ album" のようにコンテキストがあれば分るけど、単語だけ与えられるのもあってどうしようもないよね。

今「まずはTOEIC基礎・リスニングセクション」をやっているのだけど、これは最後までやるとして、この後どうしようかな。リーディングセッションをやってみるか、それとも基礎の次の上級やってみるか。それともこれはやめて、今までのようにPodcastingの英語だけにするか。

2008/09/30

どんな教育を受けてきたのだか

日教組に問題があると考えているのなら、その問題を指摘して、改善策を提示すればよろしい。

「解体」て。ものを考える力がないとしか思えない。

問題点ってもしかしてこれですか。「民主党を支持している」。

民主党を支持している組合はひとつずつつぶして行く気ですか? 挙国一致にしたいですか? 戦後民主主義教育が間違っていたとおっしゃいますか?

中山恭子さんも、夫の思想信条が変えられないというならば、おっしゃるとおりでしょう。しかし、ものの考え方は教えられると思います。

橋下大阪府知事も応援されて迷惑なんじゃないの? 大阪府民全体がバカにされていると思うべきだ。

2008/07/18

考えない人間を作る教育

おはようございます。

森巣さんが、卒業式における国歌斉唱問題で、起立斉唱しない人は自分の考えを持ってそうしているのであり、その人達を処分するのは教育の場に相応しくないという主旨のことを書いていた。

[今ソースが確認できないのであとで追記 → 最後に追記しました。]

ここは森巣さんの認識は正しくないと思った。「愛国」教育の目的は盲信する人間を作ることだろう、もちろん教育する側はそういうことは言っていないけどね。

そしてそれはかなり成功していると思っていた。

内田樹先生のブログに「アメリカ人はどこまで」という記事があった。はは、アメリカ人はよその国のこと知らないんだよな、と思いながら読んでいたら、後の方は日本の若者の話になっていた。最後の方で、
今の日本社会では「知性的にならない」ことに若者たちは知的エネルギーを集中している。

無知は情報の欠如のことではなく、(放っておくと入ってきてしまう)情報を網羅的に排除する間断なき努力の成果である。

「知性的になってはならない」という努力を80年代から日本は国策として遂行してきたわけであるから、これはスペクタキュラーな「成功」なのである。

と書いてあった。

マスコミのこととか、死刑制度のこととか、裁判員制度とか、格差社会とか、左翼と右翼のこととか、最近いろいろなことがつながっていると感じます。

追記: 森巣博氏の記事はCOURRiER Japon 2008年5月号でした。前半は御自身の息子さんのお話。移民である森巣氏の息子さんは集団行動が出来ないのだが、オーストラリアの教育関係者は、息子さんの才能を発見し、環境を与え、15歳で大学、18歳で大学院に入学した。そのころオーストラリアには飛び級の制度がなかったので、既存の規則よりも子供の才能を伸ばすという信念を優先させたということになる。

これに対して日本の教育はどうなのかということが後半の主張になる。

・神奈川県教育委員会は君が代斉唱の際に不起立などの行動をとった職員は罰するとした。
・学校運営に大きな支障があるからという理由である。
・それがどのような支障というのであろうか。おそらく思想統制なのだと思う。
・不起立の職員は「愛国心」に欠けているということであろう。
・思想改造が必要と判断しているのであろう。東京都などは不起立の教職員を、北朝鮮のように「研修所 (= Re-education Camp)」に送り込んでいる。
・「愛」の反対は「憎悪」ではなく、「無関心」だ。[心理学者の共通認識]
・無関心な教職員は、命ぜられるまま起立することであろう。
・信念に従って不起立を貫く教職員たちは、(信念に従って起立する教職員と同様に) 「愛国者」だと思う。

不起立だけでは、「愛」と「憎悪」の区別はつかないだろう。しかし、国を「憎悪」しているならば、教職について次世代の日本人を育てることはしていないはずである。おそらく、思想統制を進める (= 自分で考えることをやめさせる) 日本の現状を憂いての行動だと思う。

私の「愛国心」も、そういう愛国心だ。

2008/07/12

そして裁判員制度 - 転び公妨 [3]

「転び公妨」続き (2)。

裁判員制度は、国民が政治の一つの柱である司法に関与することで、民主主義をより良く実現する方策として打ち出されているものと思う。たぶん。

しかし、ディベートなどを教育されていないところに導入するというのは次期尚早だという意見があり、私もそれには同意する部分が大きい。まあショック療法としてはありかもねとも思うが。

ただ問題はディベートだけではないと思う。検察側が法律をちゃんと適用して立件したということに疑問をもたないことも問題となるだろう。

なにかの間違いで自分が被告席に立つかもしれないということを考えた方が良い。そこで裁く人達は、そういう疑いを持たない人達かもしれないのだ。

情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)カナダのメディアリテラシーに学びたい〜ここまでやるか…
カナダの教育は、政府はあなたたちをだますかもしれませんよ、という教育、日本の教育は、政府は信用できますよ、という教育。どちらが、本当に市民にとって有利な政府をする意欲があるかは明白だろう。 
騙されるかもしれないという認識をもって、政治に接することで、政治に対する評価は厳しくなる。そのような厳しい評価に耐えた党が政権を取る…すばらしい。
追記: この記事は「カナダde日本語」(美爾依さん) の「植草一秀氏の痴漢冤罪事件」で知りました。植草一秀氏の事件に関しては、「転び公妨」の最初の記事で、「2回目はもうどうしようもないと思ったのだが...」と書きましたが、2回目を擁護する人達が存在するという事実、主張する内容から、既存メディアが伝える内容を鵜呑みにしてはいけないと思うのだ (もちろん擁護している人の主張も鵜呑みしている訳ではない)。

裁判員制度も権力を監視する仕組みとして捉えなければならないと思う。そのためにはカナダのような教育方針がなければならないと思うのだ。

冤罪に関しては、特に痴漢冤罪に関しては男性諸氏は不安を持っていると思う。植草一秀氏の事件とは別の日常のレベルで起こりうる話で、被害者の証言がそのまま証拠として受入れられる以上、疑いをはらす方法はないに等しい。ましてや裁判員から印象でエロオヤジ認定を受けたりしたらどうしようもないと思う。

2007/08/30

宿題済んだ?

おはようございます。今年は9月1日、2日が土日なので、宿題の提出にちょっと余裕あるね。

宿題代行ウェブサイト、韓国で大流行 (AFP BBニュース 2007年08月27日)

「料金は1件につき8000ウォンから1万ウォン(約980円から1230円)」だって。子供にとってはちょっと大きい金額だよね。「有料で宿題を代行するウェブサイトが500サイト以上、存在している」って数もすごいな。そのうち宿題ポータルとか、価格.comみたいなのが現れると思う。

ところで、
 専門家らは、こうしたウェブサイトが子どもたちに「欲しいものは何でも買える」という間違ったメッセージを送るのではないかと懸念している。
って、間違ったメッセージとも言えないけどね。ただそんな金を持たせるほうが考えもの。また、その金が親の働きによって得られていることをちゃんと理解させないといけない。

2007/08/13

原爆に対する温度差

おはようございます。今年は原爆について書いておかないとという気になっています。

ちょっと前になりますが、毎日新聞で、原爆に対する日米の認識の「溝」に焦点をあてた連載がありました。

A−Bomb:/上 ニュージーランド人記者が見たナガサキ (2007年7月17日 東京夕刊 → 魚拓)
A−Bomb:/中 英国人記者が見たヒロシマ (2007年7月18日 東京夕刊 → 魚拓 )
A−Bomb:/下 ロサンゼルス支局記者が見たアメリカ (2007年7月19日 東京夕刊 → 魚拓)

特に3番目の記事には、絶望の中にも光明が見える。反・核兵器の姿勢をとる人が若い人のほうで多くなってきていると言う。またマスコミも「国益」という観点からではあるが、核兵器使用に批判的な論説が出てきているという。

ここでは被爆国日本とそれ以外の国の温度差を見ているのだが、日本国内でもヒロシマ・ナガサキとそれ以外の地域で温度差があるのだと思う。それに気づかされたのは核武装論議の是非が話題になったときだ。長崎で育った人間としては、Noという結論が見えている議論に思えたのだが、どうもその前提が共有できていないことが分った。

小学校では夏休みの間に登校日というものが2、3回あるのだが、長崎ではそのうち1日は8月9日に設定されていた。昔はそれが日曜日でも登校日になっていたはず (私は日曜にあたった記憶はない) で、ある年から日曜の場合は変更になることが風化を助長すると議論になった。宿題ブック「夏休みの友」にもその日は原爆がテーマになっていた。

毎年そのような教育を受けていれば、自ずと原爆が何か、他の兵器とどう違うのかは身にしみてわかる。麻生外務大臣も、子供の頃からそんな教育が必要だったのではないか。今からでも遅くないから勉強し直して来い。

2007/02/22

「他国を尊重」はあるけど

こんばんは。

先の投稿「考える力と同調圧力と愛国心といじめと企業不祥事と」では、「愛国心」だけでなく、「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」という文言がちゃんとはいっているから、ということで安心する訳にはいなかいことを書きました。資料が今手もとにあるので、メモしておきます。

高橋哲哉: まだ間に合うのなら(1) 戦争に突き進む日本 (DAYS JAPAN 2007/2) には、満州事変は侵略と断定され、国際連盟を脱退することになるのだが、そのときの昭和天皇の名で出された詔書には、
わが国は国際平和の確立を求めてやまざるものであり、国際協力親善を望んでやまぬのである。
と書かれていたという。また、愛国心教育のための教師向け解説書「修身科講座」には、この天皇の詔書を掲げて、
第一に、自他国家国民の互の権限を尊重愛護し、第二に自他国民の文化の理解尊敬に務めて互の意志の疎通をはかり、第三に民族的人種的偏見に陥らず、第四に経済的の共存共栄をはからねばならぬ
と書いてあったという。高橋は、これは、新・教育基本法と同じだと言っている。すなわち、新・教育基本法の「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」という断り書きは、何の意味ももたないものにすることができることを指摘しているのだ。今だって戦争は国際平和の名の下に行われている。

高橋は、法律は作成する際にはあまり厳格にせず、解釈の幅をもたせるほうが為政者、官僚にとって望ましいという。国旗国歌法も、国会審議中には「教育現場で強制することはない」と答弁されていたのに、実際は厳しい締め付けが行われている。

私も共謀罪の時には、「政府答弁を全部法律内に明記させろ」と書いた。法律に何ができて何ができないかを書くことは重要なことなのだ。

このことは、別のコンテキストでも指摘されている。

よびかけ:自転車を歩道に閉じこめる道路交通法改正に反対のパブリックコメントを (松浦晋也のL/D 2007.01.27)

道路交通法改正では、
1. 子どもや高齢者、買い物目的などでの利用の場合
2. 交通量が多く車道が著しく危険な場合 
 の二つの場合に限り、歩道での自転車通行を認める
という方向の改正案が検討されている。

以下の引用は、松浦が引用している疋田智の「週刊 自転車ツーキニスト」からの引用 (つまり孫引きね)。
 一見、自転車のために必要な措置だから、と、勘違いされがちな本条項だが、その「特に危険」という判断は、誰が行うのか、そして、その「特に危険」は、どこまで解釈が可能なのか。そこの部分があえて無視されている。だが、その判断の主体が警察当局になるであろうことは、火を見るより明らかだ。
 また、その書き方において、「特に危険な場合の措置」は、あくまで「例外的措置」のように見えるのだが、それが「例外」である保証はまったくない。
 いや、この「例外」は、必ず「将来の標準」になるために用意されていると見た方が妥当だ。
 何しろ、警察は、こと自転車に関しては、「例外」を、実質的な「標準」に、「標準」を実質的な「禁止条項」にしてきた、大きな実績があるのだ。
 1978年の悪夢を思い出してみれば分かるだろう
 悪名高い道路交通法第63条は「自転車は原則的には、車道の左側を通行するべきもの、しかし、指定された『自歩道』だけは歩道通行可」と定めている。
 つまり、自転車の歩道通行はあくまで「指定された歩道だけの例外的措置」だったのだ。ところが、その結果、78年以降、この国において実際には何が起きただろうか。
 日本のあらゆる歩道が、自転車で溢れ、歩道の状況は絶望的な混沌状況に陥ってしまったのは、誰が見ても明らかなとおりだ。
警察が法律を自分の都合の良いように解釈するのは、オウム信者がカッターナイフを持っていただけで銃刀法違反で逮捕されたことで現実味を持って知った。このときは相手がオウムだったら世論も受入れたが、そのときに感じた恐怖を忘れてはならない。

教育基本法の改正前に、一部の人が警鐘を鳴らしていたのは知っていたのだが、問題の大きさに気づかずそのまま通過させてしまったのは悔やまれる。

今後は「私は国を愛しているからこそ、あなたの意見を批判する」という立場を堅持していく必要があると思うのだ。

2007/02/18

考える力と同調圧力と愛国心といじめと企業不祥事と

おはようございます。血糖値が低いと考える力が落ちますよね?

先日「インドの衝撃」のコメントで、
教育の再生は重要だけど、教育基本法の改正よりも具体的な中身が必要なのになー。愛国心なんていいだすとますます考えない人間を増やしそうだ。
と書きました。

私自身は愛国心は必要だと思っていますが、その愛国心は「日本を良くしていきたい」と思うということで、「他の国よりも・・・」であることとは思っていません (参照)。

しかし「愛国心」という言葉は、「日本を戦争へ導いていった力」というコノテーションがついています。いやそれは日本に限らず、「他国よりも自国の利益を中心に考える」というコノテーションがついているのだと思います。

新・教育基本法には
伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと - 第二条(教育の目標)五

という形で記載されており、他を排除することを避けている文言がはいっています。しかし、戦前もそうであったにもかかわらず蔑ろにされてしまったという話があります。資料が手もとにないのでこれに関してはまた後日。

コノテーションだと書きましたが、「非国民」という言葉とセットになって使われることを考えると、既に第一義の意味になっているといっても過言ではありません。「私は愛国者ではない」と宣言する人達がいます。「私は郷土は愛しているけど国を愛している訳ではない」という人もいます。彼等は、この言葉で自分が修飾されるのを避けたいと考えているのだと思います。

調和を重んじる日本人は、同調圧力が特に強いと思います。「空気読め」という言い方にもそれが現れています(参考 - 分裂勘違い君劇場)。その中で、「愛国心」という一見逆らい難い概念が提示されたらどうなるか。一丸になって進む先は、これまで見てきたとおりだと思うのです。
いじめも同調圧力ですね。いじめられないようにいじめの側にまわる。

同調圧力は企業内部でも起こっています。不二家の問題に、戦前の日本を見る大前研一。
「産業突然死」の時代の人生論 第64回「不二家の不祥事」を繰り返す日本人の体質
 なぜこんな愚かな事件が起こるのか。わたしは、親や教師が悪いと考えている。「親の言うことを聞きなさい」「先生の言うことを聞きなさい」と子どもに言い聞かせている。そういう教育ではどんな大人が育つのだろう。社会経済生産性本部が新入社員に調査した結果によると、上司から、自分の良心に反する指示を受けた場合に、指示通りにすると答えた人がいまだに4割近くもいるそうだ。
そして最初にあげた「考える力」。大前はこう書いています。
 先生(文科省)の言うことだけを覚えて、自分の考えや思考方法を持たない人々が会社に入ってくる。ホンダやリクルートのような社風の会社に入れば、生存競争から次第に個性を発揮するようになる。しかし、そうした生徒が年功序列はもとより、同族支配、ピラミッド組織の底辺に入れば、まともに順応してしまう。会社によっては白いネコを見て上司が「あれはクロだな?」と質問したら、まじめに「はいクロです」と答えるまで訓練しているところもある。またそういう業界もある。
そして、戦前の日本とのつながりに言及しています。
 長い物にまかれろというのは日本人の昔からの体質なのかもしれない。戦前の日本でも、みんな「この戦争はおかしい、負けるに違いない」と思いながら、戦争に突入していった。竹槍で本土決戦とは、ものすごいことだが、皆そう口には出していた。

「長い物にまかれろ」と言う言葉も同調圧力のことを示しているんですね。

考える力を育てること、そしてそれを主張すること、同調圧力に負けないこと、同調を教育しないこと、それらを教育の現場で教えていかねばならない。それが教育改革だろうと思うのだが、今の安倍政権で進めているのはその逆だと思うのです。そういうことを考えながら「インドの衝撃」を見ていました。

ここ数日ずっとそういうことを考えていたのですが、その中でこんな記事がありました。

innocuous idiot: [memo]すべてが「チョイ」になる - 「チョイワル」「チョイオタ」と同調圧力の裏表の関係について
  -- 「チョイオタ」と言葉にも同調圧力を感じとる嗅覚がここにあります。

2006/12/31

ネット君臨

こんばんは。匿名希望です。

毎日新聞で、「ネット君臨」という連載が始まります。

ネット君臨:ネット社会を考える連載、新年スタート ブログでご意見募集中 (毎日新聞 2006年12月26日)
私たちの生活や仕事をネットに依存するあまり、いつの間にかネットそのものに支配されてはいないでしょうか。社会がゆがめられていく矛盾も抱えているように思えます。ネットの利点を生かしながら、どう共存していけばいいのか。将来のネット社会をどう築けばいいのか。それを読者の皆さんと考える連載を目指します。
ということで、私ももう一度ネットとの向き合い方を考えたいと思います。

連載に連動するブログも始まっています。
まいまいクラブ: ネット君臨
トラックバックは受け付けていないようですが。

以前、私は、「公の場で意見をいうことは行動を起こしていることでもある」で、
これまで私は、子供がネットを使うことの可否判断を、被害者になりうる可能性で考えてきたが(リスクを低くする方策が分かっているか、リスクを受けれる覚悟があるか、など)、その前に加害者になる可能性も考えないといけないと思う。
と書いた。

ネットをリアルと区別する考え方があるが、ネットはリアルの一部なのだ。電話の先に人間がいるように、ネットの先にも人間がいることを忘れてはならない。電話なら知っている人一人だけだが、複数の誰か知らない人がそこにいるのだ。

電車で化粧をする女性が多くなってきたが、自分の知らない人はいないのも同然という考え方がベースにあるのだと思う。普通見てみない振りをしてくれるだろうけど、化粧しているところをずっと観察されていたら、いないのも同然とは思わないのではないだろうか。

ネットも同じことなのだ。自分がやっていることは、駅で人前で演説したり、ひとりぶつぶつ毒づいていたり、歌ったり、踊ったり、作品を貼り出したり、作品を解説したり、ものを売ったり、募金を呼びかけていたりしていることなのだ。大きな駅でやっているか小さな駅でやっているか程度の差があるだけ。小さな駅であったとしても、お祭りでもあればすぐに人は集まってくる。自分はそこで何を行っているのかを意識して行動しなければならない。

逆にそれがわかっていて、駅に行って声を出すねらい、目的が明確ならば、自分の行動を意識してコントロールできると思うのだ。そのような目的を人にしっかり伝えられるコミュニケーション能力があれば、まだ安心してもいいと思う。

2006/10/28

補習のほうが楽しく学べるかも

こんばんは。ゆうひが丘の総理大臣です (ウソ)。

単位不足問題、すごい広がり方ですね。今なら言える、って感じでしょうか。

対策として、受験後に補習をするところがあるようですね。解決策としては、受験生にとって最も望ましいものではないかと思います。

基本的に単位って時間の問題なので、暗記を目的とした詰め込み授業をしなくてもよくて、生きた知識を学ぶチャンスじゃないかと思います。特に世界史のような教科だと、それぞれ歴史の事件は人間が起こすドラマという視点でみなおすと面白いんじゃないかな。「そのとき歴史は動いた」などを教材にして。

受験終了後に補習で単位をとることを制度化して毎年そのようなスケジュールでやってもいいような気がしてきたぞ。

2006/08/03

公の場で意見をいうことは行動を起こしていることでもある

プール事故少女のご両親は今、市や管理会社の責任を追及する前に、自分を責めているに違いない。

・排水溝のふたが開いているのを知っていたら、そばに行かないように言ったのに。
・流水プールで流される子供とのそばにいるようにぐるぐるプールサイドをまわることも必要があるならやったのに。
・それでもそばに流されることは避けられないから、プールに入れないようにしたのに。
・監視員がそばに行かない様にと注意しているのを知っていたら...
・プールの管理体制がずさんなことを知っていたら...
・そもそもプールに連れて行ったこと自体が間違っていたのだろうか...

今回の事故は両親にとって不可抗力だったと分かっていても、多くの親はそう考えると思う。また、多くの親がそう考えることを想像するのは難くない。

今回の事故は、管理運営側の問題が既に次々明らかになっている。この段階においてもなお親の責任を問うのは、犯罪の二次被害と同じレベルと言えるだろう。「いじめられる方も悪い」、「性的犯罪を誘う服装をするほうも悪い」と責めるのと同じようなもの。

本音を言ったのは適切ではなかったが、多様な意見のひとつであって、世の中に多様な意見があるのは認めるべきであるという主張だが、公の場で意見をいうことは行動を起こしていることでもある。例えば差別的な考えを持っている場合、それを「意見」として発言するのは差別になりうる (場合による)。ブログに書くことは公にすることという認識がない点も問題のひとつであろう。

この高校2年生も皆さんからの意見をうけとめ反省もしているようなので触れないでおこうと思ったが (その点を評価するコメントもみられる)、この2点は曲げる意志がないようなので、この稿を書いています。

これまで私は、子供がネットを使うことの可否判断を、被害者になりうる可能性で考えてきたが(リスクを低くする方策が分かっているか、リスクを受けれる覚悟があるか、など)、その前に加害者になる可能性も考えないといけないと思う。

追記 (1): その後 「コメントに答える・その3」で、親に責任を問うのが誤りであったことに気がついていただけたようです。ひとつひとつのポイントを真面目に考えているようですので、今後に期待できると思います。

追記 (2): お母さんはそばにいて
母親「娘の体つかんだ…」 埼玉プール事故 (産經新聞 2006/08/03)
瑛梨香ちゃんが流水プールの吸水口に吸い込まれた瞬間、母親(38)はプール内で娘のすぐ後ろに立ち、プールサイドに上がるため反動をつけようと潜る娘の姿を見ていたという。
「吸い込まれた!」。プールサイドで注意を呼びかけていた女性監視員が気づき、大声で叫んだ。直後に母親も娘の名を叫び、自分の腕を吸水口に突っ込んだ。
「瑛梨香の体の一部をつかんだ」と母親。しかし秒速2.4メートルの水流が母娘を引き離した。
お母さんの無念さはいかばかりかと思います。

コメント

Commented by sofia_ss at 2006-08-03 01:53
過去にも何件も吸い込まれ事故がありましたね。
そのたびに、教訓が活かされていないと思ってました。そして今回も。
安全管理とは、起こり得る出来事をいくつも想定して、誰が現場にいても適切に対処できるようにシミュレーションしマニュアル化しなくてはいけない、と素人のPTA役員でさえ、心がけています。
いや、今回はそれ以前の管理の問題ですね。親御さんの無念さははかりしれません。

未熟なものは、大人でもネットするべきではないと思っています。
ネットで知るより、まず実際の人と向き合っていろいろな体験をするべき、というのは、一貫した私の意見。
両方のバランスが上手に取れれば、すばらしい道具なんですけれどね^^

Commented by sprewell8_daisuki at 2006-08-03 08:54
うわ、すごい祭りになってたんですねー>リンク先。

>ブログに書くことは公にすることという認識
そうですよね。件の高校生にはその意識が抜けていたのかな。
最後には反省もしているようだけど、反論の反論みたいになって見苦しかったです。
私が、政治とかについてブログで書く時は「これは公に意見をいうべき」と思う時です。
だから反論される方にもきちんと説明していこうという姿勢でいますが、なかなか難しいんですよね。

>加害者になる可能性
これって、ネット以外でもそうですよね。
性犯罪だってネット詐欺だって、被害者にならないように教育するのとおなじように、加害者にならないような教育も大事だと思います。
今って、「だまされる方が悪い」「被害者にも落ち度がある」って風潮で、根本の「悪いことはいけない」ってのが抜け落ちてて悲しい気分にさせられます・・・・。

Commented by Boodoo People at 2006-08-03 19:07 x
後出しじゃんけんで勝ち誇るなって w

Commented at 2006-08-03 19:07 x
非公開コメント

Commented by yoshihiroueda at 2006-08-03 20:32 x
★ そふぃあさん、
今回の事故で見直しが進むと思いますし、そう信じたいところですが、これまでなぜ反省が生かされなかったのかについては疑問に感じます。誰かが無くなるまで改善されないとは思いたくない。
子供のネット利用に関しては、そふぃあさんのことを考えながら書いていました。

Commented by yoshihiroueda at 2006-08-03 20:36 x
★ すぷりーさん、
ただ「反省しています」ですませたり、ブログを閉じたりせず、ひとつひとつに関して考えて答えているのは分かるので、今後に期待したいです。
加害者側になることの危険性はネット以外でもあるというのはそのとおりですね。カルト宗教とかネズミ講とか。

Commented by yoshihiroueda at 2006-08-03 20:40 x
★Boodooさん、
別に。

Commented by yoshihiroueda at 2006-08-03 20:44 x
★ 鍵さん (at 2006-08-03 19:07)、
お母さんの無念さはいかばかりでしょう。
http://www.sankei.co.jp/news/060803/sha046.htm

2006/02/18

ほめるな

おはようございます。ホメロスです (ベタでごめん)。

ずっと「ほめて育てる教育」、「叱らない教育」に違和感をもっていたのですが、この本を読んでその理由がわかったような気がします。

違和感というのは、
・これで「しつけ」はどうやってやるのだろうか。
・しつけがなされていない子 (+ その成長した姿である大人) が増えている。
・そうやって育った親がまたしつけがなされていない子を育てている。
・これで日本は大丈夫か?
...

私は、「ほめて育てる」の本質が悪いのではなく、本質を理解せず「ほめて育てる」というスローガンだけで育てているのではないかと思っていました。

しかし、この本では、「ほめて育てる」自体を批判しています。

・動物に芸を教える「シェーピング」と同じやりかた。
・本人の内発的なモチベーション(これを「アモーレ情熱」と呼んでいます)を壊す。
  -- これは実験で検証しています。
・ほめられない行動に価値を見いだせない = 生活の活動そのものに喜びを見いだせない。
・この結果、「生きる力」をそいでいる。
・指示されないと行動できない人を増やす。
・失敗耐性を低下させる。

それから、「ほめるな」といっても、自然にほめたくなってほめることを否定していません (それも場合によっては我慢した方がよいとも書いてはいますが)。そのほめる行為は、(調教という) 意図をもってなされたものではなく、真に評価されていることがほめられる側にもわかるからです。

この本では、この問題に対しての解決策を提示しています。ただそれはマニュアル化されたものではありません。距離をもって見守ること、厳しさをもった真の愛情、ひとりの人間として尊重すること、を説いています。

もっとはやくこういう本に出会えたら良かったのにと思いました。ぜひ多くの人に読んでほしいです。読んでそのまま鵜呑みにするのではなく、一緒に考えていただきたいと思います。

追加トラックバック
常習女さん 「エラくてスゴいやつ」
  -- 「プライドを持ってある程度の満足感の中暮らしている」人に対して、「哀れんで褒め殺す」ことが相手に与える打撃。「哀れんで」の部分は異なりますが、褒めることが逆に傷をつけるという点で相通じるものがあると思います。
ARTIFACT - 人工事実 - さん 「誉め上手に人は集まる」
  -- ここで述べられている内容は同意できるものではありますが、ほめる側の視点で、ほめる側の利益のことを述べていることにご注意ください (そのこと自体を否定している訳ではありません)。

2005/12/14

バイトで塾講師したことがあります

こんばんは。ドラゴン桜です (ウソ)。

学生のとき、ちょっとだけ塾で講師をしたことを思い出した。

この駅の近く。そう、京都府宇治市です。神明小も近くにあるのに今気がついて驚いている。

大学の学生課だったか、学生援護センターだったかで見つけて、普通よりも時給がいいので、とりあえずいって見るべと思っていってみた。ちょっと京都市内からは遠かったんだけどね。

受験勉強をやってきて、その範囲に関しては人に分かりやすく説明できる自信はあった。中学時代の友達は、ウエダは教えてくれるのはいいんだけど「てめーこんなのもわからんのか」なんて言うんだよ、って後でうちの奥さんに訴えてたけど。

行ってみたら、普通の主婦のおばさんがやっているようなところだった。共同で始めたんだけど、ほかの人は抜けたと言っていた。

塾で決まったテキストがあるわけではなく、もちろん指導方針もない。アルバイト講師の私に、「教えるための問題集を選んで下さい」なんて頼んでいた。バイト時間外だったけど探しに行きましたよ。

始めてみてカルチャーショックを受けた。

塾には勉強をしに来ているものだと思っていたのだけれど、そうじゃなかったみたい。全部が友達同士みたいで、授業に関係ない話で盛り上がっている。私もその話題に参加している仲間のような扱いだった。

問題集も、先に回答集を配れと要求する。それでは考える力はつかないだろと思って経営者に相談したら、生徒の言う通りにして下さいとのこと。

学校の先生みたいに、不良生徒を更生させるなんてことが必要になるとは思っていなかったし、その覚悟もモチベーションも持っていなかった。また、ケンカ慣れしているような人だったら生徒を抑えつけることもできたんだろうけど、その経験も肝っ玉も持ち合わせていなかった。

結局3ヶ月くらいでクビになったのだが、挫折感よりも開放感のほうが大きかったなあ。やれやれ、って感じ。

クビになったのは、思うように生徒の数が集まらなかったからということだった。コスト削減ですな。代わりはそのおばちゃんがやることにしたそうだ。この子供たちの親は、そういうところと分かっていてこの塾に入れていたのだろうか。

今回の事件で、
バイト講師って、生徒を教えることのモチベーションは高くなかったんだろうな。
塾側も、バイト講師を使う程度にしか教育のことを考えてなかったんだろうな。
親はどういう基準でこの塾を選んだんだろう。
と思った。

2005/12/11

絵から心理が読めるのか

...という記事が、先にも紹介した日経BizTech No. 010にありました。パオロ・マッツァリーノさんの「日経よく読まない人」という連載コラムです。

こんにちは。ムンクの「叫び」のモデルです (ウソ)。

このコラムで知ったのですが、
こどもが書いた絵を見れば、心の状態や健康状態を把握できるとする理論の解説書は、思いのほかたくさん存在します。
だそうです。その先駆けのひとつが浅利式。

「浅利式 絵画診断事典」

上記リンクから引用:
子供の描いた絵に信号が出る 
兄弟ゲンカや子供の怒りが絵に表れる
体の苦痛や病気が絵に表れる
子供の愛情要求が絵に表れる
怪獣の絵に秘められたものとは?
葉っぱのない花の絵の意味は子供が絵の中に描いたキリンの意味は?
幽霊ばかり描くのは?
ロボットの絵ばかり書くのは
迷路ばかり書くのは
火や火事の絵が多いわけは
子供が「予知絵」を描く
丸い顔が描けない子供の問題点とは?
??など沢山の具体的事例から学べます。
確かに青少年による犯罪があると、加害者の絵や卒業文集が引っ張りだされ、それだけを見ると確かに異常とも思えるのですが、この本では、何でもわかるという勢い。

この本で解説している「さまざまな色の意味」も上記サイトに載っています。
白: 警戒心、失敗感
黒: 恐怖心、母の抑圧
赤: 不満、非難、攻撃、健康、興奮、活動的
黄: 愛情要求、耳鼻疾患、変声
黄土: 劣等感
緑: 虚弱、疲労、悲哀、偏食
紫: 疾病障害、後遺症(その心理的影響)
マッツァリーノさんは、
要するに何色で描いても心に異常が発見される仕組みです。何も描かずに白紙で出すと、「白は警戒心の強さを表す」と判定されます。
と書いています。

50年前に「発見」されたと書かれていますが、この理論の根拠は、マッツァリーノさんによると、

・教員・小学校校長として長年子供の絵を見てきた経験と、統計的裏付け
・でもその統計は「七人中五人に当てはまった」程度
・例えば「手のひらに眼がある絵を描くのは中耳炎を患ったことがある子」
  → でも中耳炎はほとんどの子が一度はかかる病気。

そういう眼で上記「浅利式 絵画診断事典」のサイトを見るとおもしろいぞ。特に3ページ目。

マッツァリーノさんはまた、ちゃんとした学者が学問としてやっていることに対しても批判しています。心理学者の三沢直子さんは、20年以上にわたるテストで、「小学生の絵が幼稚化しており、それが学級崩壊や少年凶悪犯罪の頻発と関連がある」と分析しているそうなのですが、絵の幼稚化は子供が絵を描く時間が少なくなったからで、絵の描き方をちゃんと教えていないでそういう分析をすることも批判しています。

統計は、常に、その内容、それに対しての解釈を疑ってかかるべきものと思います。「ものは言いよう」になっていないかチェックする必要があるということです。

朝ご飯をちゃんととっているかということと成績の相関があることが示されたら、「成績の悪い子は朝ご飯を食べさせてもらえない」と言ってみよう

追記: ぶんさんの「紹介せずにはいられない記事」で紹介されていた記事紹介せずにはいられない記「黒いサンタ」を読んで、昔書いたこの記事を思い出しました。その紹介された記事をここでも引用しておきます。
 私の三男が幼稚園の時、他の園児の絵と描き方が違うので、家庭に問題があるのではないかと呼び出されました。そこには三十数人の園児がそれぞれに描いた可愛いサンタの絵がありました。
 その中で、息子の絵はおでことほっぺ、ひげの3カ所が黒いクレヨンで汚れていました。「上手に描けているなぁ。でも、黒いのは何かなぁ」と尋ねてみると、彼は得意満面で、「サンタさんは、えんとつから入ったから、すすがついていて黒いんだよ」。その言葉を聞いたとき、抱き上げて「よう描けたなぁ」と褒めてあげました。

2005/06/12

青春18きっぷか青春サイクリングか - どっちを選ぶ?

こんにちは。青春2.0です (なんだそれ)。

以前は夏休みはなにしようかなーとずっと前から考えて、計画自体も楽しみでしたね。最近はそんな余裕もなく、気付いた時にはもう直前になっているということが多くなっていました。

これではいかん、ということで、今年は青春18きっぷを使うか、自転車で3泊くらいの旅行をしようかと考えています。旅行自体にはあまりきっちりした計画は立てないのですが、行くぞと決めておかないとそのまま流されそうですので。それに自転車旅行の場合は、自転車を買うところから始めないといけないのだ (っていばるな)。

自転車を買おうと思っても、何を買えばいいかすら分からないのですよ。昔はツーリング、ランドナー、スポルティーフ、ロードレーサーくらいしか種類がなくて、小旅行にはランドナーって決まったのですが。今お店にランドナーなんておいてないし、サスペンションなんかついたごついのとか、軽いけど20万円以上するのとか、圧倒されるのばっかり...
やっぱり軽いのがいいですね。昔持ってたのが13kg位だったかなあ、やっぱりそれくらいが適当だと思います。それからタイヤはチューブラーでないほうがいいですね。それ以外のことはあまり分からないので、勉強から始めないといけないのがつらいところです。
結局決まらなくて、鉄道での旅行になるかもしれません。

ところで青春18きっぷと書いたのですが、まだあるのかな。

それよりも体力が心配ですよ。結局温泉でのんびりしてきました〜って報告になるかも。

追記: 結局自転車を買いました。8/9-11 2泊3日自転車旅行に行きました

2005/04/29

教科書問題はドイツに学べ

こんにちは。ueda.txtです (なんだそれ)。

先日「事実は事実と」で、教科書問題に関して書きました。毎日新聞にこんな記事がありました。

毎日新聞 2005年4月28日
日本と世界: 同じ?違う? 頭悩ます教科書

みんなさまざま。特に現代史は今を教えることと同じですから、中国、韓国と同様に、現政権が教えたいことに歴史を歪曲するしかないのだろう。

この中で、ドイツの進め方は学ぶべきところが多い。
ドイツは学者による教科書の共同研究委員会を周辺国とともに設置し、偏見や敵視をなくす努力を続けている。また、ユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)や周辺国を侵略した歴史は、教師が独自の教材で教えることも多いのが実情だ。
ここで「努力」とかかれているが、利害関係のある周辺国との調整には、本当に努力が必要だと思う。

反省を行動で示すというのはこういうことを言うのだろう。日本もこのようなことを続けていれば、周辺国につけこまれる隙を作らずに済んだのに、と思う。

一方で、周辺国にも努力が必要だ。周辺国に相手の努力の姿勢も尊重する姿勢がなければうまくいかない。ましてやロジックが通じないならば、「研究」にもならないだろう。その意味ではドイツはラッキーなのだと思う。

本当は、「ドイツはラッキー」で済ますべきことではないのだろう。将来のため、あきらめてしまっては仕方がない。ちゃんというべきことを言いながら、日本はちゃんと言うべきことを言う国という評価を国際的に得ていくことによって、少しずつ変えていくしかないのだと思う。