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2008/01/17

反捕鯨テロが許せないのは当然なんだけど...

... こういう批判もある。

米有力紙が痛烈に批判
なぜ日本は捕鯨を擁護し、アイヌのサケ漁を禁止するのか
(COURRiER JAPON 2008年2月号)

なんだこれ?と思って読んだ。
捕鯨を日本の伝統だとして擁護するにもかかわらず、日本政府は北海道に暮らすアイヌ民族の伝統的な狩猟や漁業権を長年規制してきた。特にアイヌの主食である天然サケの捕獲は厳しく制限され、07年に認められた数は1700匹。これでもかつての20匹という数字に比べれば増えている。
アメリカ人がネイティブ・アメリカン (インディアン) にしてきたことを考えれば、お前が言うなと言いたくもなるのだが、これが事実なら (水産庁の漁業交渉人という立場の森下氏も認めているので本当なのであろう)、反省すべきところだと思う。

「日本は単一民族国家である」という誤解は、政治家の失言などからときどき表面化するが、こういう失言があって批判されて初めてそうでないことに気づかされるくらい、我々はアイヌ民族のことを忘れている。少なくとも日本文化を語る際には全ての日本人の共通の価値観みたいな言い方をしてしまうのだ。普段忘れているだけならまだしも、このような文化を無視した制約を課してしまっては罪が深い。

この問題は、欧米、オーストラリアが、自分の価値観 (「クジラは頭がいいから食べるな」) で日本の文化を批判しているのと相似形だ。このためこの問題を放置しておくと、欧米の批判に対する反論は天唾になってしまう (もちろんクジラの問題がなくとも放置しておいてはいけない問題だが)。

少数民族の問題を知らないことに関しては、森下氏も指摘している。
そして日本国民は、アイヌのサケ漁についてはほとんど何も知らない、と森下は付け加えた。「(国民が問題にしないと) 政府も動こうとしないんです」
ところでこの記事はもともとロサンゼルスタイムズの記事なのだが、感情的な捕鯨批判は行っておらず、「欧米の活動家たちの感情的な反対運動に屈せず、持続可能な漁猟を守るために戦っている」という日本の立場をきちんと書いている。

オーストラリアもそのような姿勢を見習ってもらいたい。また、オーストラリはアボリジニに対して行ってきたことを思い出してもらいたいものだ。

それから今日テレビで知ったのですが、オーストラリアでは環境保護を旗印にしたラッド氏が政権をとり、京都議定書も批准したそうですね (2007年12月04日 AFPBBニュース「オーストラリア新首相が京都議定書を批准」)。それは望ましいことなのだけど、反捕鯨も環境保護の一環になっていて、反捕鯨の運動を先鋭化させるあまりCO2削減そっちのけになるのではないかと心配です。