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2008/06/29

「処分されるペットたち」から

DAYS Japan 2008年6月号の特集「処分されるペットたち」から冒頭部分を引用する。
日本全国に点在する動物愛護センター。ここでは、主に飼い主から放棄・息された犬猫や、迷い犬猫などを保護している。元の飼い主や新しい引き取り手が現れないかぎり、多くは「1週間」前後で殺処分となる。返還や譲渡がままならない場合の殺処分も管理業務のひとつなのだ。

「動物愛護センター」という名前なのに、その職員は動物を殺すことを強いられているのだ。
この記事に書かれている事実を箇条書きにする。

・全国で1年に犬14万頭、猫23万匹。
・うち35万頭(匹)が殺処分になる。
・殺処分には「ドリームボックス」という二酸化炭素処理装置が用いられる。
・犬が二酸化炭素で窒息死するまで3〜5分 (旧型の装置だと10分)。
・猫は呼吸が浅く犬よりも長く生き続け、意識がなくなる瞬間まで鳴き続ける。
・多い時には一度に20〜30頭の成犬が処理される。

特に印象に残ったのが次の2点。

持ち込まれる理由の多くは「噛み付く」、「子が生まれすぎた」、「(飼い主が) 病気のため」、「引っ越しのため」などだが、「家族で旅行に行きたいから」、「血統書付きの犬から生まれた子がボロ犬 (雑種) だったから」というのも少なくないという。

そして、動物愛護センターで働く人々を「犬殺し」と呼ぶ人間がいるそうだ。職員の子供も学校で「お前の親父、犬を殺してんだろう」と問いつめられると言うケースもあり、家族にすらその職業を隠している職員もいるという。

もちろん棄てる人と差別する人は同じではないだろうが、差別する人間には、なぜ動物愛護センターで働く人々が犬を殺さなければならないのか想像がつかないのか。

さて... 朝日新聞は動物愛護センター職員も「死神」と呼べるのだろうか。

発言において考えが足りないと思われる鳩山大臣だからといって、職務でやっている(まあそれだけではなさそうだが) という点では同じであろう。

そしてその職務を必要としているのは私達なのだ (私自身は死刑反対の立場だが、今の段階では代替がない以上ここは現在の法律・秩序を守るという意味で書いている)。

これらの話で思い出すのは、井沢元彦「言霊」に書かれている「穢れ」の概念だ。

戦争のリスク、犯罪など、世の中に不浄なものは存在し、それに対処することは必要であるにも関わらず、それを職業 (軍隊、警察官など) として一部の人におしつけることで不浄なものが自分の周りにないかのように振る舞う。さらには差別までする。井沢は「言霊」において、この病理を平安時代にさかのぼって分析している。

我々日本人に求められているのは、現実を直視し、どのような社会にしていくのかを議論して行くことだと思う。法務大臣や動物愛護センター職員を批判、差別するのではなく、自分達が彼等を必要とする社会にしていることを認識し、今後もその社会を受入れて行くのか彼等が不要になる社会を築いていくのかを選択して行くことだと思う。

玄倉川氏が、「死神」という言葉は、法務大臣の業務を適切に表現していると主張され、一連の記事をあげられている。特に「死神の仕事(2)」は、その説明としてよく整理されていると思うし、私もその部分の主張には同意する。

玄倉川氏は「死神の仕事」で、
法務大臣の仕事、つまり「誰にいつ死を与えるか決定する」のが死神の仕事そのままであることを知らない、あるいはそれを否定して死神という「言葉」に怒る姿が私にはグロテスクに見える。厳しい現実から目をそむけて「言葉」にアレルギーを起こすのは偽善的だ。

と述べている。

同じ立ち位置からの発言にも関わらず、私と玄倉川氏の批判の対象は異なっている (私は朝日新聞を、玄倉川氏は朝日新聞を批判する人を批判している)。

その一つの理由は、「死神」には非難のコノテーションが含まれているということにある。
私が批判しているのは、自分が当事者ではないからといって、自分が拠って立つたつ秩序、法律を遂行する人を非難する朝日新聞の姿勢だ。朝日新聞に限らず法務大臣を殺人者呼ばわりする人たちも同様だと思う。

それから、以下のように書かれている。
ネット世論も「死刑は当たり前、法相を死神よばわりするのはひどい」というのが一般的らしい。

私は先にも断り書きを入れたが、死刑反対の立場で朝日新聞を批判している。死刑制度の廃止は、制度に従って生きている人を非難することでは達成されないと思う。

追記: 呉智英氏も、この「死に神」発言の中に「穢れ」に根ざした差別意識があることを指摘しているそうですね。平成鸚鵡籠中記 土岐正造さんが「素粒子死に神コラムは差別意識に根差す」で伝えています。

2008/04/26

死刑って無力だよな

許せないという思いと、それでも死刑はなくすべきという思いが、ぐるぐる交錯する。その中に「死刑よりもつらい刑」という考えも混じる。

死刑を歓迎する人の多いのはわかる。「正義感」の強い人達なんだろう。国家による、力による「正義」の実現に重きをおく人達。それとともに自分がその「正義」の側にあることを再確認できる。

その対極にあると思っていた人からも今回の死刑を歓迎する言説があって、これには違和感を覚える。とはいえ、私も今回被告から新たに出てきた主張を聞くと、もうこのようなことを二度といえないようにしてしまえとも思う。

冤罪の可能性を考えると取り返しのつかない死刑は避けるべきというのには同意する。また、法務大臣に最終的な執行の決断をさせるのもどうかと思う。その意味で鳩山邦夫のいうことには一理あると思う。法務大臣の仕事がそれだけだったらロボットかサルか鳩山邦夫でも法務大臣にしておけばよいのだけれど。執行役の人だってやりたくてやっている訳ではなかろう。

死刑でなく無期懲役または終身刑(名前は違うがどちらも同じようなものらしい)にするということは、税金を使って彼等を養うことだという主張もあった。しかし、その刑が社会にとって効果があるなら(犯罪の抑止力とヒューマニズムの実現)、社会が負担すべきコストだと思う。

宅間守以来、抑止力という意味も揺らいでいる。死刑になりたいから人を殺したという事件も最近何回か聞いている。しかしこれは昔からあるのかもしれない。

今回新たに出てきた(というより私が気づいた)意見がいくつかあって、それぞれ考えさせられる。
ひとつには、今回の判決が、純粋な法律、判例からでなく、世論に影響を受けていることを問題視しているものがあった。さらには厳罰化の流れを進めるために、世論を誘導する情報の出し方をしていると言う指摘もあった。弁護側は検察側よりも筋の通った主張をしているというコメントを前回戴いたが、その部分は全くと言っていいほどニュースに載らず、被告の馬鹿げた主張が大きく報じられた。

そしてこの動きは、ネット規制、児童ポルノ規制、自衛隊官舎ビラ配り事件など、それぞれをとってみると文句のいいにくい規制の積み重ねで、少しずつ国民に対しての縛りを強化していく意志がみえるとする意見もあり、それも怖いことだと思う。

「死刑制度のパラドックスについて」 (In its right place)も考えさせられる意見。人間の生命が最も尊いから殺人に対して死刑をもって償う、死刑をもって抑止するということであるならば、(死刑を受ける)人間の生命よりも大事なものがあることを示唆している(それは「秩序」や「正義」) があるというのだ。

「人間の生命が最も尊い」というのも絶対的なものとはいえず、単なる合意なのかもしれない。秩序を守り、自分たち自身の正義感を満足させるための。

そして、「社会正義の臨界??光市母子殺害事件高裁判決」(地を這う難破船) では、
所謂快楽殺人者は、被害者の殺害を前提とする性犯罪者は、死刑台に送られて然るべき、あるいは、死刑台に送らないことには仕方がない。そうした認識と見解に私は同意せざるをえない。
彼らを終身刑に処したとき。獄中において生き続ける彼らは、延々と自身の犯行を想起して、ひとり愉しむだろう。愉しみ続けるだろう。死ぬまで。直裁に言うなら、マスターベーションし続ける、ということ。自身の犯行を繰り返し繰り返し想起することによって。

これでは罰を与えたことにならないし、抑止力にもならないだろう。

また、「快楽殺人者は根本的に反省しない」とも述べられている。そうすると反省を待っての死刑はあり得ないのではないか。結局宅間のときと同様に、死刑が執行されても無力感しか残らないのではないか。

ここで一旦死刑からはなれる。毎年自殺者が3万人以上いる(平成10年から - 警察庁資料PDF)。うつによるところは大きいとはいえ、死ぬことよりもつらいことがあるということだろう。自殺を実行してしまった3万人以外にも苦しみ続けている人が大勢いる。ギャンブルによる借金など本人に責任がある場合もあるが、それだって死に値する責任か? そしてそれ以外の多くの人はむしろ他の人よりも自分の責任を強く感じる、いわば「良い人」だから死を選ぶのだろう。

自殺者と犯罪者の苦痛を同じ軸に載せるのは不適切であることは認めるが、納得がいかないでしょ?

といろいろ考えが交錯する中で、ベストだとは思っていないが自分の中で残っている考えがある。それは「終身刑よりもつらい刑」。何がつらいのかは人によって違うので複数の意見を取り入れる必要があるだろうが、私が前回出したのは「ガレー船の漕ぎ手」だった。ほかにも考えればいろいろだせるのだろうけど、自粛しておきます。

■ 追加トラックバック

情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊): 「殺人」の嘆願をした32万人の方へ〜あなたは自殺する3万人のことを考えたことはありますか?
-- 自殺者との対比は同じ視点。ただ、 "「殺人」の嘆願をした" ... という書き方をしても何も響かないだろうな。これって執行命令を下す法務大臣を「殺人者」と非難するのと根は同じ。EUを基準にしても響かない。むしろ比較するなら中国か韓国だろう。

梟通信〜ホンの戯言: 死刑についてどれだけ知っているか 読売新聞社会部「死刑」
-- この人も死刑反対の立場。

2007/05/25

量刑の軽減を主張するのは許せるけど...

... 殺意はなかったなどと主張するのは許せない。

山口・光の母子殺害:元少年側「傷害致死」 検察側「死刑が相当」−−差し戻し審 (毎日新聞 2007年5月25日)

事実
弥生さん(当時23歳)を強姦目的で襲い、抵抗されたため首を絞め殺害。泣き続けていた長女夕夏ちゃん(同11カ月)を床にたたきつけたうえ絞殺した。

弁護側の主張
弁護側は、独自に行った法医鑑定から殺意を否定。「弥生さんについては、騒がれたため口をふさいだら誤って首を押さえ続け窒息死させた。夕夏ちゃんについては、泣きやまないので首にひもをまいて、蝶々(ちょうちょう)結びにしたら、死んでしまった」などと傷害致死罪を主張。強姦目的についても「被害者に中学1年の時に自殺した母親を重ね、甘える思いで抱きついた」などと否定した。

どう言い換えても、殺すことが目的だったことは明らかだ。

だいたい、殺人の構成要件に「殺意」が含まれていること自体がおかしい。考えればどうなるか分るだろ、というか、考えなくても分るだろ。

なお、私は死刑自体は反対です。死刑反対を訴えるのは良いですが、その手段としてウソの主張をするのが許せないのです。

追記: 以前読んで頭に残っていた記事。私の文はこれらの記事が頭にあって書いたものということさえ忘れていました。申し訳ありません。

世に倦む日日さん: 「本村洋の復讐論と安田好弘の怠業 − 山口県光市母子殺人事件」
反米嫌日戦線「狼」さん: 「山口母子殺人事件についての安田弁護士の言い分」