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2022/05/15

沖縄復帰50年と日本人の意識の変化

今日は沖縄復帰50年になるそうです。

毎日新聞 2022/5/15 沖縄、日本復帰から50年 米軍基地、低い県民所得…残る課題

沖縄復帰の当時は、沖縄の人々はもちろん悲願の日だっただろうが、日本人全体が歓迎モードに包まれていたと思う。同じ日本人として気持ちは一つという感じだった。本土にも沖縄にもいろいろな考えの人々もいただろうが、そのころは中学生だったので、そのようなことに思いは及んでいなかった。

最初に沖縄に行ったのは1980年だった。そのころまだ「卒業旅行」という概念は知らなかったのだけど、友人に誘われて沖縄に行くことになった。まだ復帰して8年しかたっていなかった訳で、今考えるとまだ観光化が進んでいない状況だった。米軍の影響についても、住民の負担ということを感じとることはできず、異国情緒の一つの風景としか見ていなかったのだと思う。

それから海洋博などを経て沖縄も発展してきた。本土との格差は縮まってきていると思ってきた。

一方で、地位協定のもと、米兵によるレイプ事件やヘリコプター墜落事故など、泣き寝入りを余儀なくされている状況が続いていることも知り、日本政府の忖度というか弱腰に歯がゆい思いをしてきた。

特に米軍基地の割合が復帰前より高い70%を超える状況になっていることは最近知って驚いている。

それよりも驚くのは沖縄以外の日本人の意識の変化だ。最初に「日本人全体が歓迎モードに包まれていた」と書いたが、今は、自分たちが受け入れたくないものを押し付ける先だと考えている人が増えているように思われる。基地がなきゃ生きていけないんだから、基地があってありがたく思え、という意識。

原発と同じ構図だ。

ウクライナに対しても同じ構図を感じる。武器は供給してやるから、民主主義のために戦ってくれと言っているようなものだ。


日本がこんな形で分断していくのは見たくない。

2012/11/18

沖縄の人たち 山城知佳子

昨日 2012年11月17日から「会田誠展:天才でごめんなさい」が開催されており、初日の昨日はトークセッションも開催され、こちらも参加して来ました。会場外に立ち見が出るほどの盛況でした。

これに関しては別稿で書きたいと思います。ここでは、同期間に行われている「MAMプロジェクト18 山城知佳子」アーティストトークにも参加して来たので、その感想を書いておきたいと思います。


 肉屋の女

トークは山城さんと森美術館キュレーターの近藤さんの対談形式で行われました。山城さんはあまり雄弁な方ではないようで、近藤さんが話題をふってそれに答えるという形で進行がなされました。

過去の作品を紹介して、最後に今回の作品「肉屋の女」に話題がなった時も、近藤さんが作品の背後にあるストーリーを補足説明していました。作品に出てくるものに様々なメタファーを感じ取った近藤さんがそのことを質問すると、全体で「肉」を表現したい、出てくる人間も肉を食べそして肉として食べられることを意識しているとのこと。作品の中のに出てくる洞窟 (沖縄ではガマ) もその中で一般人が自決をした沖縄戦のイメージを重ねているのかという問いに対しても、人間の体内の穴を奥まで進んで行くイメージとのことでした。

作品に対して、その意図を問うと「作品そのものを見てください、感じてください」という日もいて、山城さんもそういうタイプなのかと思ったのですが、答えを聞いて行くとやはりコンセプトが少しずつ出て来て、現代アートはやはり概念であり言葉なんだなと思います。

沖縄の住民に関しても、周りからは住みやすく人々も楽天的なように見えるけれども、そこに住んでいる人は、基地があって、レイプが身近に感じられ、逃げ場のなさを感じているとのことです。沖縄に住んでいる表現者は、そのことを考えざるを得ない。

そういう背景を聞いたので、セッションの最後の質問の時間では「肉屋の女の女性には悲しそうな表情が見える、それは意図したものか」と聞きました。「そういう意図はなく、役者さんにそういう指示も出していない。むしろたくましさを表現した」とのことでした。また「むしろ肉に群がる男達 (労働者) に悲しさを感じる」とのことでした。出演者の女性の表情は、山城さんが男達に向けている目なのかもしれません。

山城さんの作品には、黙認耕作地、その中のマーケット (闇市)、黙認浜 (これは山城さん命名の言葉)、壊される自然、辺野古の海など、沖縄、日本を考えさせられるモチーフが色々出て来ます。同時期に開催されている『黙認のからだ』(2012年11月17日(土)–12月22日(土)、Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku) も行ってみようと思います。

2008/03/30

自分ではなかなか死ねない

自分の意志ではなかなか死ねるものではない、と思う。私はその勇気がないということを言っているのだけど、きっと多くの人がそうなのではないかと思う。

ましてや集団に属する人の意志が、死を選択するという方向で揃うとは考えられないのだ。

私には人に死ねとも言えない。殺す勇気もない。まして自分の家族や隣人に対して。

尊敬する長老が決めたとしたら? 村人に死ねと自分から言い出すような人だったらもともと尊敬されていないだろ。尊敬する人が、そう言いださなければならない状況に追い込まれているのを知っていたら、そしてそのように追い込んだ人達からは自分も逃げることは出来ないと知っていたら、その選択を受入れるかもしれない。

well-formedな「命令」という形ではなかったのかもしれないが、住民がそうとらえなければならなくなるほどの関与はあったとしか考えられないだろう。そしてそれは第三者から「命令」に見えておかしくない。

「俺とデュエットしないとセクハラするぞ」

リンク:
朝日新聞 社説:集団自決判決?司法も認めた軍の関与 (魚拓)
 「沖縄ノート」には座間味島で起きた集団自決の具体的な記述はほとんどなく、元隊長が自決命令を出したとは書かれていない。さらに驚かされたのは、元隊長の法廷での発言である。「沖縄ノート」を読んだのは裁判を起こした後だった、と述べたのだ。
-- 誰かにそそのかされたんですね。

毎日新聞 社説:沖縄ノート判決 軍の関与認めた意味は大きい (魚拓)
読売新聞 社説:集団自決判決 「軍命令」は認定されなかった (キャッシュ禁止)
産經新聞 【主張】沖縄集団自決訴訟 論点ぼかした問題判決だ (魚拓)

なお、私の主張は「命令」があったか否かの事実認定の問題ではない。住民がなぜ「集団自決」に至ったのかということを想像してみてもらいたいということだ。

以前「沖縄戦終結メモ」で参照した仁さんのブログへのリンクをもう一度あげておきます。
◆木偶の妄言◆ 「沖縄慰霊の日に」
◆木偶の妄言◆ 「(補稿)沖縄慰霊の日に」

2006/04/01

石垣島へ行ってきた

こんにちは。ご無沙汰しておりました。今日はウソなしでいきます。

子ども達の春休みを利用して (本人は年度末進行を他のメンバーに任せて)、石垣島へ行ってきました。

3/29 西表島へのツアー。星砂の浜、由布島、仲間川 (写真)。由布島は商業主義がちょっと鼻につきました。

3/30 石垣島をレンタカーで廻りました。写真は川平湾。

3/31 竹富島に渡ってレンタサイクルで廻りました。写真はコンドイビーチ。

また行きたくなりましたよ。

2005/06/27

沖縄戦終結メモ

おはようございます。例年夏になると新聞、テレビで平和を考える特集が組まれます。だんだん縮小傾向にあったのですが、今年は戦後60年ということで例年より多いような気がします。

6月23日は沖縄戦終結60年でした。何か書いておくべきだと思いながらできずにいました。関連リンクをメモとして残しておきたいと思います (少しずつ追加したいと思います)。

なお、6月23日を沖縄慰霊の日とするのはふさわしくないと、brotherjinさんが指摘されています (「沖縄慰霊の日に」)。6月23日以降も多くの民間人が亡くなっている。「(補稿)沖縄慰霊の日に」も含めて、深い考察があります。

毎日新聞 2005年6月22日
戦後60年の原点: 1945年6月23日、沖縄戦終結(その1) 「捨て石」苦難今も
戦後60年の原点: 1945年6月23日、沖縄戦終結(その2) 「本土並み」は遠く
  -- 「沖縄県民斯(か)く戦へり」で有名な大田中将の電文もあります。
戦後60年の原点: 1945年6月23日、沖縄戦終結(その3) 米海兵隊の沖縄
戦後60年の原点: 1945年6月23日、沖縄戦終結(その4止) 沖縄の進む方向
戦後60年の原点: 沖縄・2005年 慰霊の日・60年 消えゆく記憶

感想はうまく書けません。これらの文章で伝えられることを薄めてしまうだけのような気がします。

最も強く感じることは、沖縄を「本土」と分けて考えているということ。

沖縄を「本土」と分ける意識は今でも続いている。沖縄には在日米軍専用施設の約75%が集中している。そしてその負担を国全体で負う意志のある人、具体的には沖縄から基地を移転させたときに自分の住む地域に受け入れる覚悟がある人は少ない。自分自身もその覚悟はできていないので、差別に加担しているともいえるのだ。

戦後60年の原点: 在沖米軍基地は「不要」、沖縄70%・全国45%−−世論調査


その他の関連リンク
沖縄慰霊の日: 稲嶺恵一・沖縄知事の平和宣言(要旨) (毎日新聞 2005年6月23日)
沖縄慰霊の日:小泉純一郎首相あいさつ(要旨) (毎日新聞 2005年6月23日)
  -- 以前「語り継ぐ意志」でも書きましたが、表層的という印象です。