Ouora: "なぜ「ら」を抜いて話してしまうのでしょうか?" の回答
・『「ら」抜き言葉』という言い方は適切ではありません。
・これは正しい進化です。
新情報と旧情報を区別するとか (「恋人がサンタクロース」)、対比 (「(他の飲み物ではなく) コーヒーが飲みたい」) などの役割がある。と書いたのの補足でもあります。
これまで中国古典を依拠していたものを、日本の古典からとるというのは、安倍首相が可能性を言及していたようで、それ自体は「やっぱりな」という感じ。新元号は「零和」。「ゼロサム」の意。 #uso800— R. Yoshihiro Ueda (@ryokan) 2019年4月1日
出典は万葉集の「梅花(うめのはな)の歌三十二首」の漢文で書かれた序文「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」からとった。「令月」と「風和ぎ」の関係が微妙。本来なら2字熟語は、「気淑く」と「風和ぎ」の対比からとか、形容詞-名詞や動詞-目的語などの関係からとるものじゃないかな。そういう意味でいうと「令和」=「和を命令する」のような印象になる。「和をもって尊しとなす」という聖徳太子17条憲法を思い出すという意味では良さそうだが、要は「揉め事を起こすな」、「不満があっても抑えろ」という「空気読め」文化の走りだよね。
大辞林 第三版の解説 (コトバンク)と、「令」は「命令」の「令」でなく、「めでたい」とか「よい」という意味であることがわかる。そうならばやっぱり「形容詞-名詞」となる選択にしてほしかったな。まあ「和」は名詞でもあるんだけど。
れいげつ【令月】
① 何事をするのにもよい月。めでたい月。よい月。
② 陰暦二月の異名。
「国書か漢籍かということはどうでもよく、国を超えて共有される言葉の力、イメージを喚起する元号だ」本来の意味はどうでもよくて、新しい言葉として、新しい意味を付け加えていけばいいのかもしれない。「明治」が「維新」、「大正」が「デモクラシー」や「ロマン」、「昭和」が「復興」や「レトロ」というコノテーションであるように。
書物や文書の翻訳は言うに及ば ず、字幕翻訳でも通訳でも、そこには必ず「原文」があり、それを翻訳した結果としての 「訳文」が存在するわけである。これに対して、社会学、民族学、人類学などにおいて用 いられる「文化翻訳(cultural translation)」という考え方においては、「原文」も「訳文」 も、テクストとしては、ただちには確定しがたいのである。講義自体もオムニバス形式になっていて、それぞれの講師が自分の専門の中での文化翻訳の事例について語る。
「文化翻訳」の身近な実例を最低ひとつ、具体的な作品名とともにあげ、講義の内容を参照しつつ、どうしてその事象が「文化翻訳」と言えるのか、また、その事象がメディア・文化圏を超えるために必要な要件はなにか、序論・本論・結論の体裁を守って論じなさい。(2000字程度)
12月24日 もうあたりはすっかり暗くなった頃
公園で犬を連れてこごえてるおっさんがいた
おっかなびっくり近づいてみると
犬だと思ったのはなんとトナカイだった
ねえ ちょっと聞いてよ 私の彼
そこら辺のとは ケタ外れ
すごくお洒落な彼
出会いは私の方から一目惚れ
言うまでもなく、「危ない」という形容詞に直接「です」を付けるのは誤用だ。に対して、過去の文学作品中でも自然に使われている例を多く挙げ、誤用ではないとしている。
我々は 《話し言葉》 を用いるとき、聞き取りやすい言葉、わかりやすい言葉を使ったほうが、相手によく伝わることを、経験から学んでいる。駅員が 「危険ですから」 ではなく、「危ないですから」 とアナウンスすることによって、外国人や子供を含むより多くの人たちに理解を促すことができれば、そのアナウンス自体の目的を達成したことになるのではないだろうか。に強く同意する。言語は人に伝えるためのものなのだから。
本当は正字・正仮名遣いで書いた方が望ましいよなぁ…ということになるんだけど、これはまた別の話ということで。と書かれているからだ。九十九式氏はここでは態度を表明していないが、歴史的仮名遣いを使う主張をしている人は存在する。彼等は「伝わる」ことを「伝統に忠実である」か何か (彼等は「美しさ」と呼ぶかもしれない) よりも低く評価している。
「ウエダさんのお宅でよろしかったでしょうか (いきなりなぜ過去形?) 」とか「こちらがコーヒーになります (いつなるんだよ)」など腹立たしい言葉が多くありますね。と書いたら、pacer3さんから「過去形の日本語ってのは、昔からえん曲の丁寧語としてあったようですね。」とのコメントいただいた。
乱れた敬語とされている「よろしかったでしょうか」は文法的には全く間違っていない。「た」は婉曲表現であると明海大学井上史雄教授。井上史雄に関しては以前取り上げたのだけど、彼の著書は基本的には言語の使用のされかたをそのまま受け入れるスタンスだった。「婉曲表現である」というのは、現在そのような使われ方をされているということだろう。文法的には全く間違っていないというのも、構文的に間違っていなくても、意味論的に間違っているものや運用論的に間違っていないということの検証が必要だろう。
「た」は他のありようがありえないような確定性、排他的な断定性を表す。承認を求めているようにみえて、否定を許さないというニュアンスがあることを指摘している訳だ。
...
とすれば、何故「よろしかったでしょうか」がむかつくのかは略自明であろう。
英語では助動詞の過去形が丁寧として使われるのですが、そこには共通する何かがあるのかもしれませんね。と書いた。
「よろしかったでしょうか」の「た」は「婉曲表現」であると国語学者の井上史雄氏は述べているらしい。そうなの? ただ、「よろしかったでしょうか」の〈外資系起源〉説があったと思う。英語では、will you…?よりもwould you…?の方が丁寧な表現であるように、時制を過去にすると丁寧になるということがある。「よろしかったでしょうか」は外資系企業の英語の接客マニュアルを和訳するときに〈丁寧としての過去〉を素直に直訳してしまったのが起源なのだと。と書きつつ、その出典は忘れてしまった。と書いている。私は「共通する何かがある」と書いた時に、誤解のことも意識していた。
dismissive 形容詞(思い上がった態度で)(…を)却下する[はねつける]ような?of ...?と「思い上がった態度で」という但し書きがついている。ふむふむ。
『もし空が飛べたら』というお題で皆さんからメッセージを募集します。と言ったら、もう一人のパーソナリティ (男性) が
『空が飛べたら』ではなく『空を飛べたら』でしょ。と言った。
日本語で何かを成しているものにとって、本書をひも解くことは納税に匹敵する義務である、と。その前に梅田望夫が紹介してたんだね。
事実についてはそれほどおかしなことが書かれているとは思いませんでしたが、その代わり「へ〜」と思えるような目新しいことも出てこなかったように思います。しかし、その事実から導き出される推論や意見がどうにも飛躍が多いように思えてなりませんでした(これが一番苦痛だった)。ふむふむ。
ところでこれは世間的に「優れた評論」になるのでしょうか?僕にはどうしても「自分の言葉に対する思いを勢いで書き綴ったエッセイ」としか思えませんでした。なるほど、そういう評価をする人がいるということは忘れないでおこう。
基本的に非教育分野の人が「教育で○○すべし」という教育論系の書籍はトンデモまじっていること多いんで、まず読まない。書籍だけではなく、そういう教育論をやたらとぶつ人は、大体ロクでもないんで、いいフィルタリングになってる。教育論って、別に専門知識なくても、誰でも何か言えちゃう分野だから、そういう人が混じりやすいんだろうけど。これは分る。この理由ならエアレビューも許せます。
周知のように、十五世紀に西洋の大航海時代がはじまるまで地球の多くの部分は無文字文化であった。それが、朝鮮半島との近さが幸いして、日本列島は、四世紀という、太平洋に浮かぶほかの島々と比べれば僥倖としかいいようもない時期に漢文が伝来し、無文字文化から文字文化へと転じたのである。文字文化の仲間入りをしたのを記念した「文字の日」をつくり、ブラスバンドに演奏させぽんぽんと花火をあげて祝いたいような ーー あるいは、漢文明に感謝の意を表して、銅鑼を打ちパチパチと爆竹を鳴らして祝いたいような慶ばしいできごとである。ことに小説家にとってそうである。なんてね。
「深く政府の為に?する処なり/新聞雑誌 54」というのがあった。たぶんこの主語は一人称なので、上の「杞憂します」のところでは誤用だろうと書いたのですが、「取り越し苦労であってほしいけど私はこういう心配をしている」という複雑な心境を含んだ文なのかもしれない。ということは検索結果にもそういう心境を含めたものがあるのかもしれないね。
from scratch ゼロから, 初めから.と載っていて、私も聞いたことはあるし意味も知っているのですが、日本語で「スクラッチから」と言われるとすごく違和感があります。最近は慣れましたが。
http://twitter.com/nekosuzu/statuses/413494382
ふーむ。けまらしい、とは、見知らぬ人たちが出会って圏を作りつつあることへのDISりを意味していたが、今は、既に知っている人たちの馴れ合いをDISることを意味している。
Twitter検索 : けまらしい
非常に多く使われていて驚いた。
けまらしいを造語だと知らない人がいたのか…
「あの人たちが仲良くするせいで私が不快になる」っていう気持ちを表現する新しい言葉を作ったらどうか。たとえば、「けまらしい」と言うことにしよう。
ものを書くのに何故、話し言葉に品格が必要なのか。それはあなたが何かを書こうと思った時、心に出てくるのが普段の話し言葉のはずだからだ。話し言葉が文章に反映するのである。人に読んでもらえる文章を書きたいなら、先ず(1)等身大の言葉を使うことである。言葉に品格がでて、説得力ある表現となる。さらに(2)手垢の付いた表現や紋切り型の表現を使わない。なぜならこれらの表現は、文章を「安く」してしまうからある。その上で(3)常に他人の目で自分を見る、つまり客観的な視点をもつことだ。そして(4)日本語の本質ともいえる敬語を使いこなせるよう心がけることである。... しゅん。
戯曲 (おしばい) 『無口な二人』 一幕一景いかがでしょ。
女 のー。
男 ...。
女 のー。
男 ん?
女 のー。
男 わ?
女 な!
男 あ?
女 さー。
男 ん?
女 い...。
男 ふ。
女 の?
男 あ。
女 く?
女 く?
男 ん...。
女 の!!
男 くー。
女 て。
男 て?
女 て!
男 ん。
女 か。
男 ん。
女 け。
男 く。
女 め?
男 め。
女 ん...
ー 幕。