もちろん、難民受け入れにも積極的なはずだよな!
安倍首相が「シリア難民の受け入れの前に日本は解決する課題がある」といったらしい。
Abe says Japan must solve its own problems before accepting any Syria refugees (ロイター 2015/09/29)
この記事の英語記事の表題をみて、「国内に問題を抱えているからその解決が先」というのは単なる言い訳で、他の国だって国内問題をそれぞれ抱えているんだ、いつになったら解決できるんだよ、と思っていたのですよ。
いや難民受け入れに関しては、「国内に問題を抱えている」というのは確かだと思う。それは差別意識だ。自分たちも生きるのに大変なのに、なんで難民に助けないといけないの? 難民が仕事をしたらますます日本人の仕事の口がなくなるじゃない? という発言を見るたびに鬱になる。いやいや、彼らは生活の向上のために国を出てきた訳じゃないよ、命からがら逃げ出しできたんだ。それをまず理解しようよ。その人たちに日本人ができることはなんだろう。
その答えはエルトゥールル号遭難事件で、和歌山の人たちがとった行動だろう (Wikipedia エルトゥールル号遭難事件)。彼らは自分たちの非常用の蓄えさえ犠牲にして犠牲にして、トルコの人たちを助けた。それって愛国者の皆さんの誇りじゃないの?
もとに戻ると、命からがら逃げ出しできた難民に対して、稼ぐためによその国に行く不法移民と同じ扱いをするの? 君たち来なくても労働力は足りているよ。それよりも前に、女性にも活躍してもらわなくてはいけないし、高齢者にも活躍してもらわなければならない、とか言える?
えっ?
安倍首相「難民受け入れは?」と問われ「女性の活躍、高齢者の活躍が先」
2015/10/02
2008/07/18
考えない人間を作る教育
おはようございます。
森巣さんが、卒業式における国歌斉唱問題で、起立斉唱しない人は自分の考えを持ってそうしているのであり、その人達を処分するのは教育の場に相応しくないという主旨のことを書いていた。
[今ソースが確認できないのであとで追記 → 最後に追記しました。]
ここは森巣さんの認識は正しくないと思った。「愛国」教育の目的は盲信する人間を作ることだろう、もちろん教育する側はそういうことは言っていないけどね。
そしてそれはかなり成功していると思っていた。
内田樹先生のブログに「アメリカ人はどこまで」という記事があった。はは、アメリカ人はよその国のこと知らないんだよな、と思いながら読んでいたら、後の方は日本の若者の話になっていた。最後の方で、
と書いてあった。
マスコミのこととか、死刑制度のこととか、裁判員制度とか、格差社会とか、左翼と右翼のこととか、最近いろいろなことがつながっていると感じます。
追記: 森巣博氏の記事はCOURRiER Japon 2008年5月号でした。前半は御自身の息子さんのお話。移民である森巣氏の息子さんは集団行動が出来ないのだが、オーストラリアの教育関係者は、息子さんの才能を発見し、環境を与え、15歳で大学、18歳で大学院に入学した。そのころオーストラリアには飛び級の制度がなかったので、既存の規則よりも子供の才能を伸ばすという信念を優先させたということになる。
これに対して日本の教育はどうなのかということが後半の主張になる。
・神奈川県教育委員会は君が代斉唱の際に不起立などの行動をとった職員は罰するとした。
・学校運営に大きな支障があるからという理由である。
・それがどのような支障というのであろうか。おそらく思想統制なのだと思う。
・不起立の職員は「愛国心」に欠けているということであろう。
・思想改造が必要と判断しているのであろう。東京都などは不起立の教職員を、北朝鮮のように「研修所 (= Re-education Camp)」に送り込んでいる。
・「愛」の反対は「憎悪」ではなく、「無関心」だ。[心理学者の共通認識]
・無関心な教職員は、命ぜられるまま起立することであろう。
・信念に従って不起立を貫く教職員たちは、(信念に従って起立する教職員と同様に) 「愛国者」だと思う。
不起立だけでは、「愛」と「憎悪」の区別はつかないだろう。しかし、国を「憎悪」しているならば、教職について次世代の日本人を育てることはしていないはずである。おそらく、思想統制を進める (= 自分で考えることをやめさせる) 日本の現状を憂いての行動だと思う。
私の「愛国心」も、そういう愛国心だ。
森巣さんが、卒業式における国歌斉唱問題で、起立斉唱しない人は自分の考えを持ってそうしているのであり、その人達を処分するのは教育の場に相応しくないという主旨のことを書いていた。
[今ソースが確認できないのであとで追記 → 最後に追記しました。]
ここは森巣さんの認識は正しくないと思った。「愛国」教育の目的は盲信する人間を作ることだろう、もちろん教育する側はそういうことは言っていないけどね。
そしてそれはかなり成功していると思っていた。
内田樹先生のブログに「アメリカ人はどこまで」という記事があった。はは、アメリカ人はよその国のこと知らないんだよな、と思いながら読んでいたら、後の方は日本の若者の話になっていた。最後の方で、
今の日本社会では「知性的にならない」ことに若者たちは知的エネルギーを集中している。
無知は情報の欠如のことではなく、(放っておくと入ってきてしまう)情報を網羅的に排除する間断なき努力の成果である。
「知性的になってはならない」という努力を80年代から日本は国策として遂行してきたわけであるから、これはスペクタキュラーな「成功」なのである。
と書いてあった。
マスコミのこととか、死刑制度のこととか、裁判員制度とか、格差社会とか、左翼と右翼のこととか、最近いろいろなことがつながっていると感じます。
追記: 森巣博氏の記事はCOURRiER Japon 2008年5月号でした。前半は御自身の息子さんのお話。移民である森巣氏の息子さんは集団行動が出来ないのだが、オーストラリアの教育関係者は、息子さんの才能を発見し、環境を与え、15歳で大学、18歳で大学院に入学した。そのころオーストラリアには飛び級の制度がなかったので、既存の規則よりも子供の才能を伸ばすという信念を優先させたということになる。
これに対して日本の教育はどうなのかということが後半の主張になる。
・神奈川県教育委員会は君が代斉唱の際に不起立などの行動をとった職員は罰するとした。
・学校運営に大きな支障があるからという理由である。
・それがどのような支障というのであろうか。おそらく思想統制なのだと思う。
・不起立の職員は「愛国心」に欠けているということであろう。
・思想改造が必要と判断しているのであろう。東京都などは不起立の教職員を、北朝鮮のように「研修所 (= Re-education Camp)」に送り込んでいる。
・「愛」の反対は「憎悪」ではなく、「無関心」だ。[心理学者の共通認識]
・無関心な教職員は、命ぜられるまま起立することであろう。
・信念に従って不起立を貫く教職員たちは、(信念に従って起立する教職員と同様に) 「愛国者」だと思う。
不起立だけでは、「愛」と「憎悪」の区別はつかないだろう。しかし、国を「憎悪」しているならば、教職について次世代の日本人を育てることはしていないはずである。おそらく、思想統制を進める (= 自分で考えることをやめさせる) 日本の現状を憂いての行動だと思う。
私の「愛国心」も、そういう愛国心だ。
2007/02/22
「他国を尊重」はあるけど
こんばんは。
先の投稿「考える力と同調圧力と愛国心といじめと企業不祥事と」では、「愛国心」だけでなく、「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」という文言がちゃんとはいっているから、ということで安心する訳にはいなかいことを書きました。資料が今手もとにあるので、メモしておきます。
高橋哲哉: まだ間に合うのなら(1) 戦争に突き進む日本 (DAYS JAPAN 2007/2) には、満州事変は侵略と断定され、国際連盟を脱退することになるのだが、そのときの昭和天皇の名で出された詔書には、
高橋は、法律は作成する際にはあまり厳格にせず、解釈の幅をもたせるほうが為政者、官僚にとって望ましいという。国旗国歌法も、国会審議中には「教育現場で強制することはない」と答弁されていたのに、実際は厳しい締め付けが行われている。
私も共謀罪の時には、「政府答弁を全部法律内に明記させろ」と書いた。法律に何ができて何ができないかを書くことは重要なことなのだ。
このことは、別のコンテキストでも指摘されている。
よびかけ:自転車を歩道に閉じこめる道路交通法改正に反対のパブリックコメントを (松浦晋也のL/D 2007.01.27)
道路交通法改正では、
以下の引用は、松浦が引用している疋田智の「週刊 自転車ツーキニスト」からの引用 (つまり孫引きね)。
教育基本法の改正前に、一部の人が警鐘を鳴らしていたのは知っていたのだが、問題の大きさに気づかずそのまま通過させてしまったのは悔やまれる。
今後は「私は国を愛しているからこそ、あなたの意見を批判する」という立場を堅持していく必要があると思うのだ。
先の投稿「考える力と同調圧力と愛国心といじめと企業不祥事と」では、「愛国心」だけでなく、「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」という文言がちゃんとはいっているから、ということで安心する訳にはいなかいことを書きました。資料が今手もとにあるので、メモしておきます。
高橋哲哉: まだ間に合うのなら(1) 戦争に突き進む日本 (DAYS JAPAN 2007/2) には、満州事変は侵略と断定され、国際連盟を脱退することになるのだが、そのときの昭和天皇の名で出された詔書には、
わが国は国際平和の確立を求めてやまざるものであり、国際協力親善を望んでやまぬのである。と書かれていたという。また、愛国心教育のための教師向け解説書「修身科講座」には、この天皇の詔書を掲げて、
第一に、自他国家国民の互の権限を尊重愛護し、第二に自他国民の文化の理解尊敬に務めて互の意志の疎通をはかり、第三に民族的人種的偏見に陥らず、第四に経済的の共存共栄をはからねばならぬと書いてあったという。高橋は、これは、新・教育基本法と同じだと言っている。すなわち、新・教育基本法の「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」という断り書きは、何の意味ももたないものにすることができることを指摘しているのだ。今だって戦争は国際平和の名の下に行われている。
高橋は、法律は作成する際にはあまり厳格にせず、解釈の幅をもたせるほうが為政者、官僚にとって望ましいという。国旗国歌法も、国会審議中には「教育現場で強制することはない」と答弁されていたのに、実際は厳しい締め付けが行われている。
私も共謀罪の時には、「政府答弁を全部法律内に明記させろ」と書いた。法律に何ができて何ができないかを書くことは重要なことなのだ。
このことは、別のコンテキストでも指摘されている。
よびかけ:自転車を歩道に閉じこめる道路交通法改正に反対のパブリックコメントを (松浦晋也のL/D 2007.01.27)
道路交通法改正では、
1. 子どもや高齢者、買い物目的などでの利用の場合
2. 交通量が多く車道が著しく危険な場合
の二つの場合に限り、歩道での自転車通行を認めるという方向の改正案が検討されている。
以下の引用は、松浦が引用している疋田智の「週刊 自転車ツーキニスト」からの引用 (つまり孫引きね)。
一見、自転車のために必要な措置だから、と、勘違いされがちな本条項だが、その「特に危険」という判断は、誰が行うのか、そして、その「特に危険」は、どこまで解釈が可能なのか。そこの部分があえて無視されている。だが、その判断の主体が警察当局になるであろうことは、火を見るより明らかだ。警察が法律を自分の都合の良いように解釈するのは、オウム信者がカッターナイフを持っていただけで銃刀法違反で逮捕されたことで現実味を持って知った。このときは相手がオウムだったら世論も受入れたが、そのときに感じた恐怖を忘れてはならない。
また、その書き方において、「特に危険な場合の措置」は、あくまで「例外的措置」のように見えるのだが、それが「例外」である保証はまったくない。
いや、この「例外」は、必ず「将来の標準」になるために用意されていると見た方が妥当だ。
何しろ、警察は、こと自転車に関しては、「例外」を、実質的な「標準」に、「標準」を実質的な「禁止条項」にしてきた、大きな実績があるのだ。
1978年の悪夢を思い出してみれば分かるだろう
悪名高い道路交通法第63条は「自転車は原則的には、車道の左側を通行するべきもの、しかし、指定された『自歩道』だけは歩道通行可」と定めている。
つまり、自転車の歩道通行はあくまで「指定された歩道だけの例外的措置」だったのだ。ところが、その結果、78年以降、この国において実際には何が起きただろうか。
日本のあらゆる歩道が、自転車で溢れ、歩道の状況は絶望的な混沌状況に陥ってしまったのは、誰が見ても明らかなとおりだ。
教育基本法の改正前に、一部の人が警鐘を鳴らしていたのは知っていたのだが、問題の大きさに気づかずそのまま通過させてしまったのは悔やまれる。
今後は「私は国を愛しているからこそ、あなたの意見を批判する」という立場を堅持していく必要があると思うのだ。
2007/02/21
絶対的な忠誠って
こんばんは。教育のこと、愛国心のことにはまだ続きがあるのだけど...
中川自民幹事長:「忠誠心なき閣僚は去れ」講演で苦言呈す (毎日新聞 2007年2月18日 → Web魚拓)
今日のテレビは、こんな低レベルのことを言わなければいけないのかという態度を見せながらも、小泉時代と映像を比較したり、今日はどうだったか報告したり、軽くてテレビに向いた話題だったようですね。
でも、これって自民党の「釣り」じゃないのかなあ。内閣のダメなところをみせて、それを国民から叱らせることで、「絶対的な忠誠」、「自己犠牲の精神」、「一糸乱れぬ団結」の必要性を国民に認識させて、次は国民に求めるという。
穿った見方のしすぎですかねえ。
中川自民幹事長:「忠誠心なき閣僚は去れ」講演で苦言呈す (毎日新聞 2007年2月18日 → Web魚拓)
今日のテレビは、こんな低レベルのことを言わなければいけないのかという態度を見せながらも、小泉時代と映像を比較したり、今日はどうだったか報告したり、軽くてテレビに向いた話題だったようですね。
でも、これって自民党の「釣り」じゃないのかなあ。内閣のダメなところをみせて、それを国民から叱らせることで、「絶対的な忠誠」、「自己犠牲の精神」、「一糸乱れぬ団結」の必要性を国民に認識させて、次は国民に求めるという。
穿った見方のしすぎですかねえ。
2007/02/18
考える力と同調圧力と愛国心といじめと企業不祥事と
おはようございます。血糖値が低いと考える力が落ちますよね?
先日「インドの衝撃」のコメントで、
私自身は愛国心は必要だと思っていますが、その愛国心は「日本を良くしていきたい」と思うということで、「他の国よりも・・・」であることとは思っていません (参照)。
しかし「愛国心」という言葉は、「日本を戦争へ導いていった力」というコノテーションがついています。いやそれは日本に限らず、「他国よりも自国の利益を中心に考える」というコノテーションがついているのだと思います。
新・教育基本法には
という形で記載されており、他を排除することを避けている文言がはいっています。しかし、戦前もそうであったにもかかわらず蔑ろにされてしまったという話があります。資料が手もとにないのでこれに関してはまた後日。
コノテーションだと書きましたが、「非国民」という言葉とセットになって使われることを考えると、既に第一義の意味になっているといっても過言ではありません。「私は愛国者ではない」と宣言する人達がいます。「私は郷土は愛しているけど国を愛している訳ではない」という人もいます。彼等は、この言葉で自分が修飾されるのを避けたいと考えているのだと思います。
調和を重んじる日本人は、同調圧力が特に強いと思います。「空気読め」という言い方にもそれが現れています(参考 - 分裂勘違い君劇場)。その中で、「愛国心」という一見逆らい難い概念が提示されたらどうなるか。一丸になって進む先は、これまで見てきたとおりだと思うのです。
いじめも同調圧力ですね。いじめられないようにいじめの側にまわる。
同調圧力は企業内部でも起こっています。不二家の問題に、戦前の日本を見る大前研一。
「産業突然死」の時代の人生論 第64回「不二家の不祥事」を繰り返す日本人の体質
「長い物にまかれろ」と言う言葉も同調圧力のことを示しているんですね。
考える力を育てること、そしてそれを主張すること、同調圧力に負けないこと、同調を教育しないこと、それらを教育の現場で教えていかねばならない。それが教育改革だろうと思うのだが、今の安倍政権で進めているのはその逆だと思うのです。そういうことを考えながら「インドの衝撃」を見ていました。
ここ数日ずっとそういうことを考えていたのですが、その中でこんな記事がありました。
innocuous idiot: [memo]すべてが「チョイ」になる - 「チョイワル」「チョイオタ」と同調圧力の裏表の関係について
-- 「チョイオタ」と言葉にも同調圧力を感じとる嗅覚がここにあります。
先日「インドの衝撃」のコメントで、
教育の再生は重要だけど、教育基本法の改正よりも具体的な中身が必要なのになー。愛国心なんていいだすとますます考えない人間を増やしそうだ。と書きました。
私自身は愛国心は必要だと思っていますが、その愛国心は「日本を良くしていきたい」と思うということで、「他の国よりも・・・」であることとは思っていません (参照)。
しかし「愛国心」という言葉は、「日本を戦争へ導いていった力」というコノテーションがついています。いやそれは日本に限らず、「他国よりも自国の利益を中心に考える」というコノテーションがついているのだと思います。
新・教育基本法には
伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと - 第二条(教育の目標)五
という形で記載されており、他を排除することを避けている文言がはいっています。しかし、戦前もそうであったにもかかわらず蔑ろにされてしまったという話があります。資料が手もとにないのでこれに関してはまた後日。
コノテーションだと書きましたが、「非国民」という言葉とセットになって使われることを考えると、既に第一義の意味になっているといっても過言ではありません。「私は愛国者ではない」と宣言する人達がいます。「私は郷土は愛しているけど国を愛している訳ではない」という人もいます。彼等は、この言葉で自分が修飾されるのを避けたいと考えているのだと思います。
調和を重んじる日本人は、同調圧力が特に強いと思います。「空気読め」という言い方にもそれが現れています(参考 - 分裂勘違い君劇場)。その中で、「愛国心」という一見逆らい難い概念が提示されたらどうなるか。一丸になって進む先は、これまで見てきたとおりだと思うのです。
いじめも同調圧力ですね。いじめられないようにいじめの側にまわる。
同調圧力は企業内部でも起こっています。不二家の問題に、戦前の日本を見る大前研一。
「産業突然死」の時代の人生論 第64回「不二家の不祥事」を繰り返す日本人の体質
なぜこんな愚かな事件が起こるのか。わたしは、親や教師が悪いと考えている。「親の言うことを聞きなさい」「先生の言うことを聞きなさい」と子どもに言い聞かせている。そういう教育ではどんな大人が育つのだろう。社会経済生産性本部が新入社員に調査した結果によると、上司から、自分の良心に反する指示を受けた場合に、指示通りにすると答えた人がいまだに4割近くもいるそうだ。そして最初にあげた「考える力」。大前はこう書いています。
先生(文科省)の言うことだけを覚えて、自分の考えや思考方法を持たない人々が会社に入ってくる。ホンダやリクルートのような社風の会社に入れば、生存競争から次第に個性を発揮するようになる。しかし、そうした生徒が年功序列はもとより、同族支配、ピラミッド組織の底辺に入れば、まともに順応してしまう。会社によっては白いネコを見て上司が「あれはクロだな?」と質問したら、まじめに「はいクロです」と答えるまで訓練しているところもある。またそういう業界もある。そして、戦前の日本とのつながりに言及しています。
長い物にまかれろというのは日本人の昔からの体質なのかもしれない。戦前の日本でも、みんな「この戦争はおかしい、負けるに違いない」と思いながら、戦争に突入していった。竹槍で本土決戦とは、ものすごいことだが、皆そう口には出していた。
「長い物にまかれろ」と言う言葉も同調圧力のことを示しているんですね。
考える力を育てること、そしてそれを主張すること、同調圧力に負けないこと、同調を教育しないこと、それらを教育の現場で教えていかねばならない。それが教育改革だろうと思うのだが、今の安倍政権で進めているのはその逆だと思うのです。そういうことを考えながら「インドの衝撃」を見ていました。
ここ数日ずっとそういうことを考えていたのですが、その中でこんな記事がありました。
innocuous idiot: [memo]すべてが「チョイ」になる - 「チョイワル」「チョイオタ」と同調圧力の裏表の関係について
-- 「チョイオタ」と言葉にも同調圧力を感じとる嗅覚がここにあります。
2004/05/25
愛国者宣言
私は、たぶん、愛国者。
ただしそれは右翼的な愛国とは違う。左翼とも違う。
中国、朝鮮、ロシア、アメリカ、どこにもへつらわず、正しいことを正しく主張できる、名誉ある地位を占める日本であってほしい。
ただしそれは右翼的な愛国とは違う。左翼とも違う。
中国、朝鮮、ロシア、アメリカ、どこにもへつらわず、正しいことを正しく主張できる、名誉ある地位を占める日本であってほしい。
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