『「転び公妨」って言葉 ... 』の最後に
高知バス白バイ衝突事件なんてのもあることを忘れてはいけないと思う。と書いた。この件に関してはこれ以上の言及をしていなかったが、最高裁で上告が棄却されたそうだ。新聞には載っていないようだ。
きっこのブログ: 警察による大犯罪を見て見ぬふりの最高裁
バスに乗っていた生徒たちは、完全にバスが停まっていたと訴え続けてきた
→ 最高裁判断: 関係者の証言は信用できない
事故直前にたまたま現場を通りかかったまったく無関係なドライバーの目撃証言
→ 最高裁判断: 供述者が第三者というだけで、その供述が信用できるわけではない
新証言 (事故の翌朝に事故現場を見に来た人の証言)「スリップ痕などどこにもなかった」
→ 最高裁判断: 上告理由にあたらない (高知白バイ事故=冤罪事件進行中「判決でました 」)
-- 注: 通常上告は新証拠/証言がなければ認められない。この最高裁判断は新証言の存在を認めていない、提出を認めないという意志の表明といえる。
バイ隊員の仲間の証言 (事故現場を見えない位置からの目撃証言)
→ 最高裁判断: たとえ関係者であっても、警察官の場合は信用できる
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「日本は法治国家なのだろうか?」という問いに、ただただ暗澹たる思いになる。
さて森巣さんのコラム、COURRiER Japon 9月号の第16回は「日本は法治国家なのだろうか?(後)」の矛先はマスコミと警察に向けられている。
じつはわたしは、不審人物や犯罪者たちがどこにかたまって存在するのか、知っている。おそらく、日本国民の大多数も、知っている。マスメディアも報道しないだけで、知っている。ところがそれを告発すると、警察に狙われるのは、逆に告発者の側となってしまうのである。これは、警察のことを言っているのだ。
警察で行われてきた裏ガネ作り。これは横領した公金を返納した、ということですんでいるけれども、その中で様々な犯罪が行われてきたことは全く問われていない。下っ端は偽造領収書に署名捺印させられたが、これは虚偽有印私文書作成・同公使。その他それを強要した上司は強要罪、さらに脱税など8つの犯罪をあげている。それらが全く問われていないのだ。
きっこのブログの記事のタイトル「警察による大犯罪を見て見ぬふりの最高裁」も、それにつながる。
裁判員制度が始まったら、市民の目でこれらの警察の犯罪を抑えることができるのだろうか。裁判員は外部からの情報を遮断されるのだろう? 裁判所が証拠として出したものだけで判断しないといけないのでは監視のしようがないのではないか。
(すみません、この部分正確なところは理解していません。裁判が始まるまで情報をシャットアウトするなんてことが可能な訳はないと思うのですが、どのようにして裁判所提供の情報だけで判断することが可能なのでしょうか。)
マスコミの報道は知ることができるのだろうか。しかし...
森巣さんのもう一つの矛先はマスコミだった。このような法治主義下の不平等を放置するマスコミ。
海外、というか主に英語圏のマスコミと日本のそれとの決定的な相違は、日本のマスメディアは素朴な質問を発さない部分にある、と思う。権力に遠慮しているのか、それとも単に頭が悪いだけなのか。権力に媚びる。そして、権力のおこぼれにあずかろうとする。今回の事故、というか事件でも同様だ。
「高知白バイ事故=冤罪事件進行中」ブログの記事「今日の記者会見」から引用する。
誰も片岡さんのことを真剣に考えてくれてはいないようだ。(県内一社を除き)追加トラックバック - 裁判員制度に疑問を抱いている人達がいます。
なんで自分の頭で考えてくれないのだろうか?
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記者会見の後、会見場を出た片岡さんに声を掛けたそうな若い記者が何人もいました。この事故や裁判の経緯を知らなくてもいいんです。
知らなきゃ『知らないんですけど教えてください』で聞けばいい。
村野瀬玲奈の秘書課広報室: 冤罪の高知白バイ・スクールバス衝突事故 (裁判員制度、大丈夫とは言えない気がします... (6))