2007/04/25

ルート225

こんばんは。大後 寿々花です (ウソ)。

先日、レンタルビデオ屋にいって、せっかくだからテレビで放映されそうにないのをと思って探していたのですが、パッケージに書いてある説明を読んで借りてきました。

ルート225

なかなか学校から帰ってこない弟 (いじめられていたのだ) を迎えにいって、二人で帰ってくる途中にパラレルワードに入り込んでしまうエリ子。そこは、ほとんど同じだけど微妙に違う世界で、大きく違うのは両親がその世界にはいないこと。二人はもとの世界にもどるべくいろいろ試行錯誤を重ねる...

というような内容で、冒険活劇なのかと思っていたのですが、普通の町内で話は淡々と進むのです。両親のいない世界を冷静に受け止めるエリ子が不思議な感じを醸し出します。盛り上がりに欠ける展開なのですが、最後まで見てしまいました。

で、最後は、「え〜? これで終っちゃうの?」という結末なんですが、次の紹介ページをみると、もとの世界に戻ろうとする過程、心の動きを味わうものだったんだと納得しました。実際私も盛り上がりに欠けるといいつつも、最後まで飽きずに観ていた訳で。
ルート225 − 映画作品紹介

そのあとしばらくこの映画のことが気になっていました。そして、主演女優の多部未華子と言う人のことも。

テレビを見ていて、あれっ、この人と思ったのはこのCM
サントリー天然水 (南アルプス)
バスを待つ間ダンスの練習をしていて、バスが来たのにも気づかず踊っている女の子。この子でした。

そして、もしかして、この前NHKで放映されたドラマは... と思いました。
「すみれの花咲く頃」
HDDレコーダーに録って、ちょっとだけ観てそのままにしていたのを観ました。上記リンク先にもあるように、やはり多部未華子の主演でした。

多部未華子 オフィシャルサイトも見てみました。事務所の所属タレントの一人としてではなく、彼女ひとりのために、しっかりプランニングしてお金かけて作り込んでいます。期待の大きさが伺えます。

そうそう、市川実日子と洞口依子 (→ iWebを使ったHP!) を思い出しました。

2007/04/23

新市長田上氏に期待

こんばんは。夜中に目がさめちゃった。

統一地方選挙の後半戦終りましたね。私の地域では後半はなかったのですが、やはり長崎市長選がいちばん気になっていました。

長崎市長選:事件に配慮、万歳控え 田上氏 (毎日新聞 2007年4月23日 → 魚拓)

田上氏は、私にとって「伊藤市長が亡くなって急遽出馬したもう一人の人」という認識だったのですが、「長崎さるく博」の企画者だったのですね。

「さるく博」に関しては、以前「カステラ一番は何?」でふれただけで感想は何も書いていなかったのですが、市民からボランティアを募ってガイド役をやってもらうなど、広告代理店まかせではなく、市民参加型のイベントで、すばらしいと思っていました。ボランティアで参加した市民にとっても、ガイドする上で長崎のことをより知ることになっただろうし、より愛着が増したのではないかと思っています。

こうのような企画を出して成功させた人だったら、より市民に密着した市政を行ってくれるのではないでしょうか。短い選挙戦で信頼を勝ち得たのには、市民の信頼が基盤にあったのですね。

もちろん、平和への祈りを世界に発信してくれることにも期待しています。また、暴力、テロに対しては断固として排除し、それによって市政を曲げないことは言うまでもありません。

さて、今回の選挙で気になったのは、亡くなった伊藤前市長の長女で、今回落選した横尾氏の妻の優子さんの言葉。
 優子さんは「本当にありがとうございました。父伊藤一長はこの程度の存在でしたか。父は浮かばれないと思います。残念です。父の愛する長崎でこんな仕打ちを受けるとは思いませんでした」と声を詰まらせた。
「この程度の存在」とか「こんな仕打ち」とか、勘違いも甚だしいと思います。

「弔い合戦」という旗を掲げることで票を集めることを苦々しく思っていた、いやむしろ、政策や人物に対する判断よりもそういうことで票を入れてしまう人々にはうんざりしていたのですが、今回はそうならずに良かったと思います。いやもちろん私は横尾氏のことを知らないので市長として不適切だと思っていた訳ではありませんが、この優子さんの言葉を聞いて、そうならなくて良かったと確信しました。

最後にもう一度、田上氏の今後の市政運営に期待を表明してこの稿を終えたいと思います。

2007/04/18

許せん

まだ背後関係は分からないのですが、許せません。

長崎市長:銃撃され心肺停止…選挙事務所前 男を逮捕 (毎日新聞 2007年4月17日 → 魚拓)

このニュースを聞いて最初に思い起こされるのは、前の市長本島さんのこと。まだご存命だったんですね。

長崎市長銃撃:「2代続けて銃撃は異常」…本島・前市長 (毎日新聞 2007年4月17日 → 魚拓)

ここには書かれていませんが、本島さんは、天皇の戦争責任について言及したのでした。言い方は覚えていませんが、当然あると考えているということを表明したのでした。

長崎市長は平和を希求する人でないとなれません (以前の記事: 長崎市長という仕事)。どういう理由であれ暴力は許せませんが、このような暴力による言論の封殺は特に許すことができません。この前の加藤紘一氏の実家の放火に対して、マスコミの論調はあまりつよくなかったように思います。マスコミ同士の非難合戦などやっていないで、力を合わせて糾弾してもらいたいと思います。

追記: 日本中の人々の願いにもかかわらず、18日未明なくなられました。ご冥福をお祈りします。

2007/04/16

不思議な砂

おはようございます。大槻です (ウソ)。これもプラズマで説明がつくんですけどね... (ウソ)

YouTube: Magic Sand 
リンク切れなのでこちらを → ニコニコ動画 魔法の砂 Magic sand
Amazonで売られていた。→ Magic Sand【マジックサンド】  全6種セット ガチャガチャ魔法の砂 Magic sand

水に濡れる表面積を少なくするように集まる性質があるらしいです。

この団結力、見習わないとね。ぇ

2007/04/15

「フェミニズム」と「フェミズムのようなもの」

こんにちは。小山田ノンです (ウソ)。

前回の記事でちょっとふれた、「なぜフェミニズムは没落したのか」 (荷宮 和子) の感想。

1980年代の後半はバブルの時代で、最近は「バブルへGo!」なんて映画も出来て見直されているけれど、あまり肯定的な捉え方をされていないと思います。少なくとも私はこんな時代はおかしいと思いながら過ごしていました。そうそう、「新人類」なんて言葉もあったな。

しかし、この時代に働き始めた女性から見ると、がんばって働けば自立が得られる、そういう実感が得られた時代と肯定的に捉えられていことが語られています。それは、バリバリのキャリアウーマンがというのではなく、普通に生活を楽しみたい、おしゃれしたい、美味しいものをたべたい、普通のOLが、という意味で普遍性をもったものとして扱われています。

自分で働いて実力で自立する生き方が共有されていた。

これが、筆者のいう「フェミズムのようなもの」。

なぜ「フェミニズム」とわけているかというと、「上野千鶴子に代表される」フェミズムに対する嫌悪感がベースにある。私達はあの人達とは違うという感覚。
女を見下してやまない「大人男」と同様、80年代フェミニストもまた、「仕事はできるけれど、可愛いものになんか興味のない女」と「かわいいものが大好きな、仕事のできない女」とに分断しなければ、「女」という生き物を理解することができない類の人間だった。
という文に代表されると思う。

本来「フェミニズム」は女性全体のためにあるはずなのに、一部の女性にしか適用できないものにしてしまったことを批判している。リーダーならば本当は、私達になにをすべきか教え、私達をひっぱってくれなければいけなかったのに。

それに対するものとして位置づけているのが林真理子。働いて稼いで、自分の欲しいものを得て自分のやりたいことができる、そういうことを伝えてくれた。手本を示してくれた。

その意味で松田聖子も自分達の側に立つ人間として扱われている (先日NHKで松田聖子を扱ったドキュメンタリーをやっていましたが、自立する女性として同世代の女性から支持されていることが描かれていました。ちょうどこの本を読んだところだったので、タイミングがよかったな)。

さてこの「自立」だが、「風邪をひいたとき、一人暮らしをしていてよかったとつくづく思う」という文がでてくる。女性にとっては、実家では風邪をひいても気兼ねなく寝込むことができない、ということらしい。それまでは結婚しなければそういう立場を得ることができなかった。雇用機会均等法ができて、「実家から通うこと」が就職の条件から外れることで、手に入れることができた立場。男性にはあたりまえにあったものなので、気づかない視点だと思う。

これ以外にも、DCブランドに対する思い、「アンアン」派と「JJ派の違い、大人の女性に受入れられようになったキャラクターグッズ、少女マンガの傾向の推移など、男性では分からない分析が多く、その意味でも興味深く読めた。主張が散漫になるようにも見えるが、主張を支える意味で必要な部分なのだと思う。

これも主張に必要だったのだろうが、この本で流れているもう一つの対立軸は世代の差。フェミズムの没落の原因にフェミニズム派への反発があるのなら、「フェミズムのようなもの」は残っても良さそうではある。でもそうなっていない。団塊ジュニア以降には「がんばってもしょうがない」という価値観が流れているというのだ。

この原因はあまり分析されていない、というよりも私が納得できていない。私にはバブルがはじけて不況が続いているからという理由に思えるのだが、それだったら景気が良くなるとまた「フェミズムのようなもの」は復活するのだろうか (政府発表では不況を出して長い間上昇を続けているということなのだけど)。

筆者は「雇用機会均等法」の存在をあげている。ここは主張が分かりにくい点ではある。いくつもの観点が出てくるが、「雇用機会均等法」以降、女性の生き方が「結婚」をめざすか「仕事」をめざすかが、人生のいろいろな節目で選択を迫られるようになったこと。均等法を勝ち取った世代とあたりまえにあった世代の差。自分達の世代が女性が働くことの辛さをつらさを伝えすぎ喜びの伝え方が足りなかったのではないかという反省...

いろいろあるけれど、やっぱり次世代以降の姿勢を問題視している点が大きいように感じる。うーん、こう書くと「近頃の若いもんは」になってしまうのだけど。少なくとも、頑張っている自分と自分の世代に対する自負は好ましく感じた。

さて最後にこの本における男性の捉えられ方に関して。この本の初めの方では、男性と女性が同権でないことが、自分達が頑張ってきたモチベーションであることがわかる。それは「私より共通一次の点数が低い男よりも安い給料で働かなきゃいけないわけ!?」という言葉に代表されている。しかし最後になると「男自体がバカだから (戦争を起こす、差別する)」という論調に変わってくるのだ。
結局、私の本音を言葉で表現してみるなら、男女平等主義者でも女権拡張論者でも男女共同参画論者でも男性敵視主義者でもなくって、ただ単に私は、男性蔑視主義者であるに過ぎないんだなー
最初に書けよっ!

そういう意味で、殿方にはお勧めしませんことよ (← 女子かっ)。

2007/04/11

「団塊の世代」というキーワードがひっかかる

こんばんは。「選挙なんか何の意味もない!」と言いたくもなるよね。

選挙報道で、へえー、なるほどと思ったのは次の記事。

選挙:東京都知事選 団塊諸君、まだまだだな 世代対決、太陽族の勝ち−−石原氏当選  (毎日新聞 2007年4月9日 東京夕刊)

特にこの部分
 石原氏の選対本部長を務めたのは、元内閣安全保障室長の佐々淳行さん(76)。佐々さんは30(昭和5)年生まれで、東大安田講堂事件や連合赤軍浅間山荘事件で警備の指揮を執った。団塊の世代には「自己犠牲の精神がなく『みんなで渡れば怖くない』の共同連帯無責任だ」と手厳しく「いつまでたっても、おれたち昭和1ケタがやらなきゃいけない」と話す。
東大安田講堂事件、連合赤軍浅間山荘事件のころから敵同士だったのね。浅野氏や吉田氏がそこにいた訳ではないと思うけど。

つい最近読んだ「なぜフェミニズムは没落したのか」 (荷宮 和子) も、著者自身の世代を団塊の世代と団塊ジュニアに挟まれたくびれ世代と位置づけ、その視点で分析したもの。とても面白かったので、これはまた別稿で感想を書きたいと思います。

セクシーボイスアンドロボ、だって

こんばんは。岸田今日子です (ウソ)。

テレビを見てたら、こんなドラマが新番組として始まっていました。

セクシーボイスアンドロボ

なんじゃこのタイトルは、こんな番組の前宣伝やってたかな、とか、主役二人は誰? とか思いながら見始めたのですが、妙に魅力的で最後までみてしまいました (このため「サラリーマンNEO」は急遽録画に変更)。

まず引き込まれたのは、映像表現のおもしろさだったのですが、設定も面白くて。
主人公の女の子は、七色の声をあやつり、また、雑踏の中で人の声を特定できる耳を持っています。
また、主役二人 (コードネーム: セクシーボイスとロボ) は今後スパイになるようで、その親玉は浅丘ルリ子。ありえない設定。なんか「傷だらけの天使」を思い出しました (これは探偵だったですけどね)。

それから、全体を流れるテーマの「人は一人で生きているのではない」も魅力的でした。
これは、「誰かの助けを得て生きている」というのではなくて、
「人が生きていく上で誰かに影響を与えずにはいられない」ということ。
きっとまた見るだろうな。

2007/04/09

ペンギンは、鳥が空をとぶように、水中を泳ぐ

こんばんは。空飛ぶペンギンです (ウソ)。飛ぶ鳥を落とす勢い (ウソ)。飛鳥で自転車から飛び出した、っていうのはホントの話ね。


飛鳥の前日は大阪へ子供2人と一緒に行ってきました (奥さんは奈良で旧友と再会)。

まず行ったのが海遊館。世界最大級の水族館ということですが、なんといっても大きな水槽が売り物です。館内マップで示されているように、建物の中心に大きな水槽 (マップの9番) があって、それを螺旋状に取り囲む形で観覧順路が設けられています。この大きな水槽は太平洋 (水槽ガイド参照) の魚を集めており、ジンベエザメやオニイトマキエイ (マンタ) からアジの群れまで共存しています。

また、建物の壁側にもいくつかのエリアに分かれた水槽群があります。これらも階をこえて設置されているので、水面上と水中の生態をみることができます。

さて、ペンギンですが、南極大陸の水槽にいます。水面上ではペンギンの歩く姿や、水中から陸に上がる姿を見ることができ、水中では泳ぐ姿をみることができるのです。

で、このペンギンが泳ぐ姿ですが、やっぱり鳥だったのね、と再認識させる泳ぎ方です。鳥が滑空するようかのような動きをするのです。

ただ、今回は一羽しか泳いでなかったのが残念でした。

チリの岩礁地帯で群れをなして泳ぐイワシもおもしろいですよ。口をあけてエサを取り込みながらぐるぐる廻っているので、ある方向から口をあけていっせいに向かってくる様を見ることができるのです。


右は遊覧船サンタマリア号。海遊館の前の波止場から出ています。でも、これには乗らず、ユニバーサルシティポート行きシャトル船に乗って、ユニバーサルスタジオジャパンの前まで行きました。ユニバーサルスタジオジャパンに行くのが目的ではなく、ただ船に乗りたかっただけ。


今回持っていったガイドブックは、「玩大阪,一級棒!」。哈日族 (はーりーぞく、日本ファンの人々のこと) の台湾人 哈日杏子さんの本です。以前台湾に行った際に記念に買ってきたものです。当然中身は中国語なんですが、推測しながら読むのも楽しいですよ。

そいうえば、旭山動物園でもペンギンが飛ぶところが見られるという記事があったのを忘れていました。

Everything in Life is Only for Now (by せば教授) 「生活記録 in 旭川(その2)」
ペンギンの行進も見ることができるそうで。ここにも行ってみたいです。

追記: 旭山動物園に行ってきました。→ 阿寒湖摩周湖知床層雲峡旭山動物園旅行の巻

2007/04/08

桜舞い散る...

... って誰の歌だったかな。最近、サクラを歌った歌が多くてごっちゃになりますよね。

こんにちは。ケツメイシです(ウソ)。


今日はよい天気だったので、選挙に行った後は近所に買い物のついでにお散歩。駅から少し離れた郊外型店舗の並ぶ道なんですが、桜並木になっていて、毎年見事に咲きます。みんな集まってくるからなのか、ゆっくり楽しみながら運転しているからなのか、渋滞っぽい。

既に少し葉桜になってますが、この1時間くらい前まではもっと全体がピンクだったんですが。また桜の舞い方もいい感じでしたよ。

以下の写真は1週間前のもの。この日はお弁当をもって公園まで行ったのでした。まだすこしつぼみもありましたが、見頃と言っていいでしょうね。どちらからというと私は少し花びらが舞っているほうが好きですね。


2007/04/04

明日香村にて

こんばんは。ご無沙汰しておりました。 先週は関西方面に行っていました。25日は大阪、26日は飛鳥へ行ってきました。



写真は高松塚です。ちょうど下記作業の準備中だったんですね。

高松塚古墳:石室解体作業が始まる クレーンでつり上げ (毎日新聞 2007年4月3日)

貸し自転車を借りていろいろ回る予定だったんですが、最初の高松塚から次を目指す途中、坂道をある程度スピード出して下りているときにブレーキ操作を誤り、大転倒してしまいました。ママチャリなのに。あまく見すぎたようです。前のめりになって両手のひらから道に突入。

皮がむけるくらい擦りむいただけでなくて、吐き気がするという、以前骨折したときの症状と同じだったので、嫌な予感です。冷や汗も止まらないし。 奥さんに駅近辺まで行ってもらって、応急処置のための薬を買ってきてもらい、また、病院を探してもらって、駅前のインフォメンーションセンターの人に送ってもらいました。

X線写真をとってもらったところ、幸い骨折はしていないようでした。でも痛みはその後も続いたので、2日後にもういちど見てもらった時も写真をとってもらって、関東に戻ってから行った病院でもまた写真をとられるという。

こういう時に家族の存在に感謝ですね (いつもでしょ、って? いやそうなんですけど)。奥さんは適切な対処をしてくれるし、子ども達は不平不満を言ったりしないし。

その後まだ時間があったので、家族は自転車にのって、私は歩いて回るという別行動。この写真は最後に合流して駅で息子に撮ってもらったものです。

もう少し写真を載せますね。と思ったのですが、ケータイのカメラで撮ったのにまともなのがなかった。失礼。