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2005/10/18

申し訳程度

こんばんは。けんかに強いって、誉めたばっかりなのになあ。

憲法に違反って言われちゃったし、毎年終戦記念日に参拝って公約にしてるし、って訳で

小泉首相靖国参拝:無言で拝殿一直線 疑問、歓声、耳貸さず (毎日新聞2005年10月17日)

ポケットから、さい銭を取り出してさい銭箱に...
「二礼二拍手一礼」の神道形式でなく、頭を垂れて30秒余り手を合わせ、最後に再び一礼。
前回までと違って本殿には入らず、記帳もしなかった。

って腰ひけてるよね。

朝から今日参拝! ってニュース流れてるし、時間まで示しているので、
これは本気!
中国や韓国とのケンカに勝算持ってる
って思ったんですが...

参拝賛成派、反対派のどっちからも評価されないような気がします。政府内部も困っているようですね (毎日新聞 2005年10月17日)。

ケンカに強いのって、ただの内弁慶なのかなあ。
え、私の立場ですか?
長期的には、代替施設推進を支持(2004-08-01 「靖国の問題」)
短期的には、「靖国」を外交カードに (2005-06-10)
です。

なんかがっかり、という方は → 今日もクリック!

2005/06/10

「靖国」を外交カードに

こんばんは。日本の2つのゴール、どかんという派手さはありませんでしたが、見直すとなかなか巧い技がありましたね。

私は基本的には靖国に対しては代替施設推進の立場をとっていました(「靖国の問題」)。中国が靖国問題を出すことは確かに内政干渉ではあるでしょうが、それがなくとも、日本人として宗教に関係なく追悼の意を表すことができる施設が必要という立場です。もちろん中国につけいる隙を与えたくないというのもあります。

しかし、今ここで止めてしまっては、中国を増長させるだけで、今後さらに悪影響を及ぼすでしょう。いっそのこと、戦犯だけでなく、空襲で亡くなった人々、銃後を守っていた来た人々、明治以来富国強兵の「富国」のほうで頑張ってきた皆さん、結局日本人全員を祀っちゃえば、相手も振り上げた拳の行き先を失って見物なんじゃないのとも思っていました。でもこれも強要できないんですよね、分祀を強要できないのと同様に、民間の宗教施設だから。

そんななか、以下の2つの主張を読み、自分の中で考えがすっきりしたと思います。

娘通信♪さん: 中国と靖国問題・・内政干渉と党派相克

浮世風呂さん: 河野議長の勇み足:本当に「国益」を守れるのか?

娘通信♪さんは、
中国はこの件を
単なる歴史認識の問題だとは思ってはいない。
彼らが公式的に何を言おうと、
その本音は 
 「日本を従属させる」 
この一点のみ。
と指摘し、日本国内の意見の対立は中国を利するだけと主張されています。一致団結して中国の圧力をはねのけろということですね。

一方、浮世風呂さんの主張では、「河野洋平・衆議院議長は三権分立の原則を崩すな」という主張も柱ではあるのですが、もう一つの柱は、「ただ自粛するだけでは、国益にならない。何らかの譲歩 (国連安保理・常任理事国入りなど) を引き出せ」ということでしょう。

譲歩を引き出すのは難しいかもしれませんが、主張する価値は大いにあると思います。少なくとも圧力をかければ折れる日本ではないことを認識させることができます。靖国問題は、もともと国内問題のはずで、普通なら外交カードになり得るものではありませんが、相手が言ってくれるおかげで外交カードに使うことができますね。
日本国内の対立もうまく使いましょう。

昔55年体制のとき、吉田内閣等は、野党の反対意見を上手く利用してアメリカから譲歩を引き出したと聞いたことがあります。本当は自分も引き出したい条件なのですが、「これがないと野党を抑えきれない」といって、アメリカを折れさせたそうです。昔私は「反対だけで何の譲歩も引き出せない野党」と思っていたのですが、それなりに価値はあったんですね。

さてここで私が何をいおうとしているかと言うと、河野議長やその他参拝自粛論者に、「参拝を自粛するように」ではなくて、「参拝を自粛することで、中国から常任理事国入りの協力をとりつけろ。ガス田開発をやめさせろ、尖閣諸島でガタガタいうのを止めさせろ、...」と言ってもらう。小泉首相はそれを受けて、「国内の意見に抗い難くなったので、この問題で助けて欲しい」と下手に出る姿勢をみせながら主張する。

これには、日本は色々な意見を自由にいうことができる国だということをアピールする効果もあると思います。

これで解決するなんて妄想は持っていません。交渉が決裂しても失うものはありません (ガス田は別ですが)。先に述べたように、日本も一筋縄でいかないことを認識させられれば十分だと思うのです。

追記: SIGHT 24号を買ってきました。特集の一つが「反日を検証する」で、毛里和子さん、藤原帰一さんのインタビューが載っています。SIGHT自体は平和指向が強く、その意味で左寄りと言えるでしょう。しかし、どちらの論者も対立軸で考えるのではなく、プラグマティックな視点から中国との関係をどう築いていくかを論じており、参考になります。藤原帰一さんは小泉首相の靖国参拝をやめれば良いという主張ですが、毛里和子さんのインタビューの中で、
取り引きと言うのも考えられるんでしょうね。安保理常任理事国入りを中国が支援するかわりに、首相在任中は靖国神社の公式参拝はしないとか
とありました。いや、同じ考えがあった、というわけで単なる紹介です。なお、毛里さんはこれがやはり難しいことは認めています。

2004/08/17

不敬の輩

私は愛国者 (愛国者宣言)。

上記言明と直接関係はありませんが、天皇を尊敬しています。

自分の影響力と責任を誰よりも強く認識され、言葉、行動を選ばれておられる。

この自由な時代で、自制には、並々ならぬ強い意志が必要であることは想像に難くない。

私だったら、天皇メルマガとか天皇ブログを作って、好き勝手なことを言わずにはいられないでしょう。
・日出ずる処の天子、日没する処の民に致す、「だまっとれ」、とか
・社会保険庁、朕の臣民のお金をネコババするとは何事だ、とか
・ナベツネ、さっさと引っ込め、とか (辞任したけど)
・さとう珠緒、30過ぎてそのしゃべり方やめろ、とか

しかし、まだまだこの国には、その言葉を絶対ととらえる人々が多くいます。軽はずみな言動はできませんし、昭和天皇の代を含め戦後59年、国民に対してはねぎらい、激励の言葉などのみに抑えられています。尊敬の念を抱かずにはおれません。

その天皇に対して、
「天皇が靖国に敗戦60年に参拝いただければ、天皇にしか果たせない国家に対する大きな責任を果たしていただくことになる」
(毎日新聞 2004.8.15 靖国参拝:「敗戦60年には天皇も参拝を」石原都知事)
と責任の遂行を求めるあなたは何様でしょうか?

追加関連記事

ぷち総研(priestkさん): 「西園寺公望の皇室観」
コメント
priestk の投稿: 2004年10月27日 1:20 AM
>yoshihirouedaさん
TBありがとうございました。トラバ返しさせていただきました。
今上で125代目にもなりますので、天皇制は半永久的に続くような錯覚に陥ります。しかし、天皇はおそらく、僕らが思っているよりも非常に不安定で、微妙な社会的バランスの上に成り立っている存在だと思います。外国を見れば、ちょっとしたことで王室バッシングが吹き荒れています。天皇が私的発言を慎み、宮内庁が厳格な報道規制を採用しているのも、基本的には皇室を維持しようとすればこそでしょう。天皇制廃止を主張する左派ならばともかく、保守政治家を辞任する某知事がこういう発言をしたことには、あきれるしかないですね。

yoshihiroueda の投稿: 2004年10月27日 11:52 PM
★priestkさん、
石原知事の言動は単純でよく分かりますよ。戦前から続く天皇を利用しようとするパターンそのものですから。むしろ気がつかないように利用する知恵がついたら怖いと思います。

2004/08/01

靖国の問題

靖国問題、コイズミ首相はどうする気?——ここはがまんと思うけれど。からトラックバックです。最初コメントで書いていましたが、長くなりそうなのでトラックバックにします。

上記記事のコメントでaosamさんが指摘されるように、靖国問題にはいろんな問題が絡み合っています。

・戦没者だけでなく戦犯 (もちろんこれも一律にするわけにはいかないのはyodaway2さんのコメントで指摘されるとおり) も祀られていること、
・戦没者でも「賊軍」に属していた人 (西郷隆盛とか) は含まれていないこと、
・戦争で犠牲になった民間人は含まれていないこと、
・神道の宗教法人であること
などです。

設立の目的が国家のために戦うことを奨励することであった以上、「自国の戦没者を慰霊している」と単純化したくても、そうは見えないというつっこみどころが満載なのです。そしてそれを指摘するのは中国人だけではなく日本人にもいます。もちろん中国の主張をそのまま受け入れている人もいるだろうし、中国の主張とは異なるけれども近隣諸国との軋轢を避ける必要があってそういう意見の人もいるでしょう。しかし上記あげた側面を考慮すると純粋に日本人として靖国参拝に反対している人がいるのは想像に難くありません。

「自国の戦没者を慰霊している」というように単純化したいならば、別の施設を作るべきという考えがあります。また、それはすでにある (千鳥が淵) という意見もあります。千鳥が淵に行かず靖国に行くということは、その単純化を拒否しているとも言えるかもしれません。遺族会の影響力が強いので靖国ではないといけないのかもしれません。

首相にも信教の自由がある以上、参拝に対して云々するのはどうかという意見もあるでしょう。宮沢さんはプライベートで参拝し、公式には明らかにしていません (側近に尋ねられたら、それはもうすませたからいいんだ、と言ったらしい)。これはこれでスマートだとは思いますが、問題を先送りにしただけだといえます。

私の考えを言っていませんでした。他国から非難されるのを避ける以上に、自国民として純粋に戦争の犠牲者を敬う場がないことは不幸です。国民の議論を深め、別の施設を作るなり、千鳥が淵を公式にそのように定義して、子孫として慰霊の意を表し、今後新たな犠牲者を増やさないような決意を表明する場と、公式な行事が必要だと考えています。

追加トラックバック (「内政干渉」だけでない分析をされているみなさん):
インターネット民主主義実験室さん: 「謝罪と靖国参拝」
◆木偶の妄言◆さん: 「靖国参拝の不思議(上)」
  -- 別の記事へのトラックバックをいただいていますが、上記記事に歴史的な背景説明が詳しいです。

追記: 靖国問題のまとめ資料
靖国参拝問題: 基本がわかる 「靖国」とは? (毎日新聞 2005年6月20日)