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2009/09/08

新宗教:巨大ビジネスの全貌

こんばんは。

今日の帰りに買って来ました。

週刊ダイヤモンド 9/12号

特集は
新宗教
巨大ビジネスの全貌
Part 1 総選挙の明暗! 新宗教代理戦争
Part 2 幸福の科学 野望の果てに
Part 3 20大新宗教全データ
Part 4 新宗教 驚きの資産力!
Part 5 池田大作のいない創価学会
Part 6 初調査! 全宗教法人信者数ランキング
幸福の科学の信者数が創価学会より多い、とか、20大新宗教の本部の写真とか、新宗教の分派・分裂の系譜とか、興味深い内容が満載。週刊ダイヤモンドは以前の創価学会の特集のときもそうだったけど、力が入っています。

今回話題の宗教の今後は、せばさんが心配されている点も載っています。
創価学会になるか
「オウム」に転ぶか
って、どちらにしても ... ゲフンゲフン...

ビジネスという視点でとらえているので、いろいろ面白いことが書かれているのだけど、感想は差し控えておきます。また東條英貴さん (IP アドレス 61.119.160.xxx)のような人からコメントが来るかもしれないし。

2009/06/07

人命より重い価値がある宗教って ...

... やっぱりおかしいだろ。そう教義に書いていないという反論はあるかもしれないが、このような事件が起きてしまう背景には、日常の宗教活動の中で「教義は人命よりも重い」と思わせるものがあるということだろう。これまで何度もデモを行っていて (個人に対してこの言葉が適切かどうかも分らないが)、それ以前には爆弾テロも行われていたのだから、宗教指導者もこの事件を予見し、発生を容認していたと非難されても仕方がない。

クリスチャン・トゥデイ (2009/06/04) 米中絶医銃殺事件、カンザス州当局が容疑者を起訴
ロイター (2009/06/01) 米ミズーリ州、中絶手術担当医が教会で射殺される

クリスチャン・トゥデイのトップには「だから、あなたがたは、 “はい” は “はい”、 “いいえ” は “いいえ” とだけ言いなさい。(マタイ5:37)」という教えが書いてあるな。「考えるな」という意味だな。

クリスチャン・トゥデイにはこんな記事もあった。

クリスチャン・トゥデイ (2009/3/31) 強姦で妊娠の9歳少女中絶関係者の破門、処分取消
大司教は、少女の命が危険であっても胎児2人の命は救われるべきであり破門はしかるべき処分、と主張していた。

これも「少女の命が危険であっても教義は守られるべき」という主張だろう。

これはキリスト教の話ではないが、

クリスチャン・トゥデイ (2009/3/12) 男性を家に入れた75歳女性に国外退去処分 サウジ
イスラム教の戒律が厳格なサウジでは、宗教警察が数千人体制で男女の接触を厳しく監視している。

75歳女性が「男女の接触」て。こっちも自分で考えることをやめさせられた結果だろう。
前にも書いたけど、"Imagine"から。

Nothing to kill or die for 殺したり命を捧げたりするのに値するものは何もない
And no religion too 宗教だってそう (生命を犠牲にするのに値する宗教なんてない)

追記 (関連リンク)

Katie Couric's Notebook: Dr. Tiller (2009/06/02)

2009/01/25

The Digital Vatican

教皇庁がYouTubeにチャネルを開きました。

イタリア語 http://jp.youtube.com/vaticanit
英語 http://jp.youtube.com/vatican

「光臨」って言葉は、こういうときのためにとっておかなくちゃいけなかったですね。

YouTube - Benedict XVI: internet a new way to speak of God
So that the Church and its message continue to be present in the great aeropagus of social communications as defined by John Paul II and so that it is not a stranger to those spaces where numerous young people search for answers and meaning in their lives, you must find new ways to spread voices and images of hope through the ever-evolving communications system that surrounds our planet
インターネットを用いないと人々に声を届けられないし、インターネットは多くの若者が人生の意味と答を探している場所だから、ということなんでしょうね。

2005/07/20

利用される人の命

こんばんは。

先日のロンドンの同時多発テロは、自爆テロではなく、騙された可能性もあるそうですね。騙されたといっても、多くの人を殺そうとした、実際に多くの人を殺したことには変わりはないのですが。

こちらも利用された女性の話が出ています。

毎日新聞 2005年7月19日
現場発:女テロリスト、自爆失敗 起爆装置不発、哀しい結末−−パレスチナ

テロが未然に防がれたのはよかったというべきなんですが、この女性の動機、この女性の今後の運命、背後にいるこの女性を利用した人たち... これらのことを考えると複雑な思いが交錯する。

人の心を利用する宗教、その宗教を利用して人の命を利用する人々 ... 「多神教礼賛(アニミズム礼賛)」の繰り返しになってしまうのだが、そんな宗教は何のために存在しているのだろうか、という思いが募る。

2004/08/28

創価学会の経済力 (週刊ダイヤモンド2004.8.7号より)

こんにちは、一休です (ウソ)。

前の記事の補足として書こうとしていたのですが、長くなりそうなので分けます。

週刊ダイヤモンド2004.8.7号 特集「創価学会の経済力」で書かれていることの紹介です。

・総資産10兆円 (不動産9兆円、現金預金など1兆円)
・収入年間4000億円以上 (学会員の寄付2000億〜3000億円)
・一般企業が証券を売却する際、証券会社はキャピタルゲイン課税分を差し引いた額を支払う。学会はその価格で買ってその日に市場価格で売る。宗教法人には課税されないので差額はそのまま学会にはいる。(いまは規制されているらしい)
  アナタゼイキンヲハラッタツモリデスガ、スベテガッカイニハイッテマスカラ。残念!
・44万基の墓石完売。これまでに3000億円の収入。「墓は多くあった人ほど偉い」(by 池田大作)
・学会の施設が集まる信濃町 (右は週刊ダイヤモンドより)。監視カメラやマジックミラーの小窓が点在する。学会の看板をカメラでとった途端、道路の辻々に警備員が...
・聖教新聞の印刷は各新聞社系の印刷会社に委託
・池田名誉会長に関する「特集記事」をカラーで掲載した地方紙は2001年の段階で40をこえ、現在も増え続けている。
・創価学会会長は世襲しないと発言しているが、SGI (創価学会インターナショナル) は長男の博正氏が就任。

どう? 読みたくなったでしょ。もう売られていないので図書館で読んでね。

コメント
chikyutotomoni の投稿: 2004年8月28日 3:09 PM
こわいですね。こわいですよ。身近なひとがはまっています・・・。
週間ダイアモンドですか?すごいですね。勇気ある記事です。
学会員は毎年かなり寄付していますが、巻き上げられているという感覚がまったくないのが問題です。寄付すればするほど、功徳があるとかなんとか・・・。マインドコントロールです。

n0n0n の投稿: 2004年8月28日 5:23 PM
良寛さん!
はじめまして、のんです。
ご質問をありがとうございました。「夏おたべ」食べられると良いのですが・・・。
いつも、色んな方に変身されるんですね。今日の「一休」さんには(ウソ)がありますが、、昨日の「良寛」さんには(ウソ)がありませんでしたネ^^エへ。
お茶と甘い~おたべでも、どうどすかー!

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月29日 11:24 AM
★chikyutotomoniさん、
ありがとうございます。
宗教は価値観を共有することが必要ですが、他が見えなくなっては困りますね。
・人を殺せと命令する宗教は正しい宗教ではありません。
・必要以上のお金を要求する宗教は正しい宗教ではありません。

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月29日 11:27 AM
★のんちゃん、
訪問ありがとうございます。

> 昨日の「良寛」さんには(ウソ)がありませんでした
ぎくっ

huttonde の投稿: 2005年3月27日 10:13 AM
はじめまして。突然お邪魔します。
最近ネット上で騒がれていることに「人権擁護法案」があります。
推進派の中心は、池田創価の走狗公明党と、その支持を是非とも得たいという、自民党の闇に塗れた野中の子分、古賀誠一一派です。
大雑把に言えば、この法案が通ると、公明党(創価)・総連・民潭・一部解同の独壇場となりかねず、設立される人権委員会によって、国民主権が奪われます。
誹謗中傷どころか、批判や疑問の発言までも処罰されかねません。
これについて各宗教団体関係者からの発言を聞いたことがないので、冗談抜きに心配です。
詳しくはこちらを↓
人権擁護(言論弾圧)法反対! http://blog.livedoor.jp/no_gestapo/
宗教関係者や、それらに関心のある方々にも是非、なんとしても広く知られることを希望します。よろしくお願いします
<(_ _)>

yoshihiroueda の投稿: 2005年3月27日 9:52 PM
★huttondeさん、
コメントありがとうございます。宗教だけの問題ではないですよね。ただ今回も廃案にありそうなのであまり大騒ぎしていないのですが、マスコミが騒がない分問題が大きく、予断を許しません。

宗教法人への課税 (2)


みなさん、おはようございます。良寛です。

先日書いた宗教法人への課税 (1)では、「固定資産税に関しては別途」と書いていました。今日はその宿題の提出です (まだたくさん宿題が残ってるんだよー、もうすぐ夏休み終わっちゃうのに)。

法人税の場合は「(利益を目的とせず) 宗教活動に必要なお金を集めているだけだったら課税はない」と書きましたが、固定資産税も導入すると、お寺や神社すべてに税金がかかってしまいます。以前キリスト教の幼稚園の園舎改築のため仮園舎を提供しているお寺を紹介しました。その中から一部引用します。
お寺は宗教法人として税制で優遇されているから地域社会に尽くしたい。仏教だのキリスト教だのと堅い事を言わず、困ったときはお互いさま、という双方の合意。
こういうところに税金をかけるのは申し訳ない。一方で、全国に全国50ヶ所に「池田」と言う名前のつく施設を持ち、約600か所に池田専用室をもつ*団体が固定資産税を免除されていて良いとは思わない。(* 1988-89年当時DAYS JAPANより)

神社、仏閣は境内を公に提供しています。公園みたいなものですし、緑も提供し、ヒートアイランドを抑える働きをもっています。この分は非課税にしましょう。逆に補助しても良いくらい (してるのかな)。一方、必要以上の (信者数に応じて) 閉じた土地、建物には課税する。

いかがでしょう。

追加トラックバック

■ web-log nostalgiaさん: 神殺し
-- 鎮守の森を守れない (これだけではないですが) 人間を嘆いています。特定の個人や団体の利益のためでなく、公共の利益にかなう土地に対しては「逆の固定資産税=補助」を行ってもよいのではないか、これによってこんな哀しい光景を減らしていけるのではないかと思います。

コメント
ssnostalgia の投稿: 2004年11月23日 8:51 AM
こんにちわ。TBありがとうございます。
緑は偉大だと思う。環境を考える上でも精神的な健康を保つ上でも。
建物を作るとき緑化率という行政指導がありますが、建物際にへばりついた緑はあまり意味をなしていないと思う。
寺社に限らずまとまった緑には手をつけるべきではないです。
東京の緑地面積は世界最低の基準ですし。。

yoshihiroueda の投稿: 2004年11月23日 8:59 AM
★ssnostalgiaさん、
コメントありがとうございます。
私もアニミズムを信仰しているので、土着信仰の対象としての神社、鎮守の森は重要と思っており、なんとか守っていきたいものです。お金に対する信仰に負けちゃっているのが悲しいところですね。

2004/08/16

宗教法人への課税 (1)

以前予告しましたが、週刊ダイヤモンド 8月7日号 「特集: 創価学会の経済力」を読んで

最も強く感じたのは
・宗教法人への課税がなされないのはおかしい
ということです。

このことをいうと必ず「信教の自由の侵害」という反発が出ますが (他の宗教からも)、注意していただきたいのは、
・法人税は収入にかかるのではなく利益にかかる
ということ (固定資産税に関しては別途)。宗教活動に必要なお金を集めているだけだったら課税はないということです (創価学会も同様で、創価学会に課税せよと言っているわけではないことにご注意ください)。それに反発があるということは...

必要以上のお金を要求する宗教は正しい宗教ではありません。
たとえ日蓮聖人が許してもこのuedaが許しません。

なお、
森田実の時代を斬る 2004.8.10
Q君への手紙(PART3[20])
『週刊ダイヤモンド』(8月7日号)の特集「創価学会の経済力」を読みましたか?

で、森田実は
「『週刊ダイヤモンド』編集部が創価学会を真正面から取り上げた勇気に敬意を表したいと思います。 」
と述べています。週刊ダイヤモンド記事中で、創価学会とマスコミの経済的な関係も記載されていますが、そういう状況の中で勇気ある力の入った記事だと思います。その記事に関しては、旧DAYS Japanの記事『「池田大作の悪」最後の大報道』とあわせて別途紹介したいと思います。

追加トラックバック:
ば○こう○ちの納得いかないコーナーさん:「ズバリ聞きます!(3)」
-- 「宗教法人への非課税制度って、本当に必要だと思いますか?」というアンケート

コメント
yodaway2 の投稿: 2004年8月16日 3:19 PM
自民党にとって、公明党との連立は麻薬に手を出したようなものではないかと考えていました。
一つの特定の宗教によって、政治が、かなりの程度で左右されてしまうとしたら、それはとても怖いことです。
このような、いまの政治状況は、10年前には想像もできないことでした。
経済の構造改革については、私は、リンク先の森田氏とはじゃっかん、異なる立場に立っていますが、政治の構造改革については、賛同したいと思います。
こちらの、今後の論考に期待します。

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月18日 12:28 AM
森田さんの考え方は影響を過大評価しているとも思えます。それは森田さんの他の記事でも同様に思います。ただ、静かに状況の悪化が進んでいくのにたいして国民が鈍感なだけかもしれない、それが戦争に導いたのかもしれない、とも思うのです。

giants-55 の投稿: 2005年12月16日 11:43 PM
初めまして。
書き込み及びトラックバックして戴いただけではなく、記事内で自ブログを紹介して戴きました事、誠に有難うございました。
巨大宗教法人のマスメディアへの支配力は、想像以上のものが在る様ですね。こちらでも取り上げている創価学会も、主要新聞社の印刷所に機関紙のみならず、関連会社の出版物等を印刷委託しているとの事で、出版不況の中その莫大な金銭は、マスメディアを”黙らせる”には余り在る程なのだとか。
ウエダ様が御指摘の通り、宗教法人に関わる何から何迄課税という”網”を掛けろというのではなく、明らかに利益を産み出している部分に掛けるべきだと思います。一般企業でいう所の必要経費も認めるべきでしょう。
唯、宗教法人の場合、利益部分なのか否かがかなりグレーゾーンに在ると思われますので、その線引きは厳格に行なうべきだと思います。
本当に、”まともな”宗教法人で在れば、いかがわしい組織と選別させる意味でも、自ら「課税せよ!」と主張すべきですよね(笑)。
これからも宜しく御願い致します。

yoshihiroueda の投稿: 2005年12月17日 6:42 AM
★giants-55さん、
マスメディア支配は気になるところですね。テレビ局内には隠れ学会員がいるらしい(「宗教」のカテゴリの別記事で紹介していた…つもりだったんですが抜けていました)。
グレーゾーンに関しては、まず収支決算を明らかし、監査が入れるようにするところから始めて行けば良いと思っています。監査によって必要経費か否か判定することができると思います。

かいてん の投稿: 2008年11月9日 11:14 PM
宗教法人の剰余金には非課税。
認められた34業種の収益事業の利益には22%の税率。(一般法人は30%)、その利益の20%は本体への寄付金として損金算入。
固定資産税はまったく非課税。
が現行税制です。

yoshihiroueda の投稿: 2008年11月9日 11:43 PM
★ かいてんさん、解説ありがとうございます。
あとキャピタルゲイン課税もありますね。
http://ryokan.exblog.jp/938130/

東條英貴 の投稿: 2009年9月5日 4:29 PM
もしあなたが死んだら成仏できないかも。
成仏しても宇宙規模の神や仏があなたを絶対許さないかも・・。
なぜなら・・・
諸天皇・戦国武将全てこのご法度事を守り続けてきたから。国民が嫌がった自民党も守ってきたからね

yoshihiroueda の投稿: 2009年9月5日 6:54 PM
★ 東條英貴さん、
論理が分りません。
先人が守って来たのは金づるとしての宗教じゃないはずですが。

2004/08/03

多神教礼賛 (アニミズム礼賛)

遅くなりましたが、愛のまぜご飯さんの「分離フェンス」から、お約束していたトラックバックです。

上記記事にコメントした内容をすこし整理したいと思います。

宗教、特に一神教は、人の心を利用し、戦争に駆り立てる元凶のひとつという思いを日々強くしています。 ユダヤ教をはじめとして、イスラム教、キリスト教 (一部を除く)、オウム真理教 (補足: 松本智津夫に対する個人崇拝ですよね)、...

一神教は、自分の神が唯一であること、そしてそれを信仰することのみが安寧、幸福を得る手段だと教える。そうすることでしか信仰をつなぎ止められないのだとしたら、弱い宗教と言わざるを得ない。また、容易に (戦争に、金儲けに) 利用されてしまう点も弱い。

それに対して多神教は寛容です。とくに私の神様は、自然の中にそこらじゅうに存在しており、
・全てのものに魂が宿っている
・自分が自然の中で生かされていることを感謝するように
・自分の命も人の命も生き物の命も粗末にするな
(食べるためなら命を奪うのは仕方がないが感謝しながら食べなさい)
と教えてくれています。

これこそ誇れる宗教だよなー、でも人前ではいわないけどと思っていたところに、以下のような記事を見つけました。

毎日新聞 2004年6月5日 東京朝刊
オバさんの逆襲: 平和の砦=小林洋子

バックナンバーリストの1番下で、今にも消えそうなので、著作権法上まずいと知りながら全部引用します。世界平和のため見逃してくれよー。
オバさんの逆襲:
平和の砦=小林洋子
東京都目黒区にあるB幼稚園はキリスト教の幼稚園である。この4月から、しばらく園舎改築のため近くの仮園舎に転居しているのだが、その仮園舎というのは、何とお寺なのだ。 
お寺は宗教法人として税制で優遇されているから地域社会に尽くしたい。仏教だのキリスト教だのと堅い事を言わず、困ったときはお互いさま、という双方の合意。 
子供たちがちいさな手を合わせて神に祈るとき、賛美歌を歌うとき、伴奏はどうするのだろうか、まさかオルガンの代わりに木魚で拍子を……想像を膨らましてクスッと笑う。 
「こんなことは日本でしかありえないでしょう」と地区のユネスコ協会長は嬉(うれ)しそう。私たちはクリスマスには神の子の誕生を祝い、大晦日(おおみそか)は除夜の鐘を神妙に聞き、初詣では神社でかしわ手を打つ。そんな自分たちを宗教に対して無節操だと自ら揶揄(やゆ)してきた。 
しかし、良いではないか。それは「鷹揚(おうよう)」ともいうのだ。アメリカとイラクの泥沼の戦いをはじめ、世界のあちこちでは日夜宗教の違いによる諍(いさか)いや殺し合いが起きている。そんな殺伐とした世界の中で、宗派も教義も超えて「困ったときはお互いさま」とお釈迦(しゃか)様とキリスト様が仲良く並ぶ。そういう日本の文化を、私は美しいと思う。 
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦(とりで)を築かなければならない」。ユネスコ憲章の前文の思想を実現できるのは、力で征する米国ではなく、心で包み込むことのできる日本なのかもしれない。(コラムニスト)=毎週土曜日に掲載
いかがでしょう。これまで日本の宗教観は鷹揚だと言う評価はあったと思いますが、これこそが世界平和を実現する文化であると積極的に評価したものは見たことがないように思います。

人を殺せと命令する宗教は正しい宗教ではありません。
たとえジョンレノンが許しても、このuedaが許しません。

Nothing to kill or die for 殺したり命を捧げたりするのに値するものは何もない
And no religion too 宗教だってそう (生命を犠牲にするのに値する宗教なんてない)
"Imagine"より

追記: 私の神様はMother Natureと呼ばれています。記事のタイトルもちょっと変えてみました。

追加トラックバック

■ 瀬戸智子の枕草子さん 「宗教」
■ web-log nostalgiaさん 「11'09''01」
■ たまごの距離さん 「神を忘れて」
■ 仙波眞弓のココロさん 「私の宗教」
■ petite fleur de cabochard (PFCさん - コメントも戴いています) 「神は妄想だ−宗教との決別−」補足

コメント

night_in_tunisia の投稿: 2004年8月3日 12:01 PM
僕も一神教というかキリスト教は何か人を戦争に駆り立てる何かがある気がします。「人をあやめてはいけない」、と教えているはしから「異教徒は殺してよい」ですからね。同じ神を信ぜずは人に非ず、なのか。ところでライフログ使いまくりです。ご教示有難うございました。

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月4日 4:23 AM
たぶん聖書には「異教徒は殺してよい」とは書いていないはずで、本文でちょっとだけ触れましたが宗教自体も利用されているのだと思います。ただ、利用される宗教も弱い宗教だといわざるを得ないし、聖職者がそれに対して何も抗議しない(しているのかもしれないが大きな力にはなっていない)のも、もともとその宗教の教義であると理解されても仕方がないのではないかと思います。いずれこのことも考えをまとめたいと思います。

heteheete の投稿: 2004年8月4日 9:58 AM
おはようございます。素敵な記事のご紹介ありがとうございます。八百万の神々を敬ってきたという歴史と、水に流すという気持ちを大切にしてきたおおらかな日本は、戦争仲裁の出来る唯一の国だと思っていたのですが、多国籍軍参加、九条改正に向かっているのがとても残念です。

plummet の投稿: 2004年8月4日 2:11 PM
はじめまして。ご意見には賛同します。が、ちょっと。一神教が悪いというよりも、その神様が「信徒しか救済しない(イスラム)」「民族しか救済しない(ユダヤ)」から偏狭になるのではないでしょうか。などとあちこち聞きかじりの知識からすると思えてきます。その意味で「救済」なんて概念が出てこない日本の神道(古神道)は仰るとおり特異ですね。自然崇拝型宗教の特徴でしょうか。その他、気になったのがオウム真理教の記述。オウムはインド仏教から派生しているようですので、一神教に含めるのはムリがあります。仏教は多神教というか神様がいませんから。

plummet の投稿: 2004年8月4日 2:12 PM
連続で失礼します。長すぎるって怒られてしまったので。コメントでnight_in_tunisia さんのおっしゃることは、キリスト教よりむしろイスラム、ユダヤに当てはまりますね。旧約聖書とコーランには、相手を限定するけれども「その敵をうち殺しなさい」という言葉が入っています(パレスチナとイスラエルの争いは旧約聖書のその辺りが一因のようで)。新約にはそれはなかったと思われますが、キリスト教徒の聖典はもちろん新約聖書です。むしろ「殺せ」と命じられていないのはキリスト教徒だけのようです。ちなみにイスラム教には「領土に攻め込まれたらたたっ殺して追い返せ」という「防衛ジハード」なる概念があるそうです。成人男子モスレムの義務だとかで。蛇足ながら、ヨーロッパには過去、イスラム支配でありながらユダヤ教徒、キリスト教徒も内包した王朝があったそうです。隣国の王朝に攻め滅ぼされたそうですが(隣国はキリスト教)

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月5日 1:24 AM
★plummetさん、コメントありがとうございます。
・偏狭な一神教がよくないのではというご指摘はそのとおりだと思いますが、一神教で「信徒しか救済しない」ものでないのがあるのでしょうか。
・オウム真理教はわざとあげました。あげた理由も書こうと思って忘れていました。なぜ一神教に加えたかというと、松本智津夫個人崇拝だからです。仏教の一派のような言い方をしているのは知っていますが、仏教と全く関係のない教義 (というものがあれば) です。ほかにも個人崇拝になっている宗教は多くありますね。
・旧約聖書には「その敵をうち殺しなさい」という言葉が入っているとは知りませんでした。ありがとうございます。

plummet の投稿: 2004年8月5日 4:40 PM
 ははは、揚げ足は取らないでください。逃げちゃいます。
 記事本文だと、一神教が悪い、とストレートに言っているように読めたものですから、そうではなく「信徒しか救済しないといった部分で信徒自身が先鋭化して偏狭になる」ことがいけないのだろう、という提起の意味だったんです。ちょっと過程をはしょりすぎましたね、分かりにくくて失礼しました。
 要するに蛇足で示したように、先鋭化し偏狭にならなければ、一神教(という言葉も実はおおざっぱですが)の信徒同士が共存出来るわけですし、『一神教は、人の心を利用し、戦争に駆り立てる元凶のひとつ』(引用)という表現は厳しすぎるかなと思ったということなんです。
 ちなみに記事本文で挙げられているタイプの多神教だと、一神教と違って「神様に救済してもらう」という概念がなかったりしますね。その辺が大きな印象の違いを生んでるなと思ってます。

plummet の投稿: 2004年8月5日 4:47 PM
また連投すいません。

「その敵を〜」の部分ですが、旧約聖書は「民族を土地から追い出したやつら(事実上パレスチナ人のこと)は殺して、もとの土地へ帰れ」みたいに書かれてます。コーランでは「侵略してくるやつらは殺していい」と書かれてます。ユダヤとパレスチナが殺し合うはずですね。こういうのを乗り越えた共存国家があったというのが驚きです。ひょっとしてご存じないかたも見ているかもしれないので念のため、旧約聖書はキリスト教とはほぼ関係ありません。

じゃあこれにて逃げます。

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月6日 6:22 AM
★plummetさん、補足説明ありがとうございました。素人の書いた素朴な感想ですから(といって逃げているわけではないですが)、大胆すぎる一般化があると思います。それに対して怒るわけでもなく認識不足を説明していただけるのは大人の対応だなーと思います。助かります。プロテスタントの教会へは行ったことがあり、牧師さんが新約聖書を引用して話をしているのは知っていたのですが、聖書は旧約と新約と一緒になって売られているので、旧約聖書を使う場合もあるのだと思っていました。ありがとうございました。今後もよろしくお願いしす。

祥 の投稿: 2004年8月11日 10:23 AM
場違いなコメントかもしれませんが申し訳ありません。
俺は宗教には否定的です。
宗教自体を否定しているわけではなく、俺の中に信じる宗教が無いという意味で。

俺は宗教や価値観はその人の中にあるものであって
影響されることはあっても
強要や批判されるものではないんじゃないかなと思います。
その人なりの価値観があり
その人なりの幸せや喜びがある。
時には悲しみを乗り越えるために宗教を必要とするのかもしれない。
しかしそれはその人の中に起きるものであって
他人が批判するものではないのではないかと思います。

宗教を持つ人が他の宗教の批判をしたり
自分の宗教への賛美や勧誘をすることも
争いへの引き金になってるのではないかと思います。
自分の信じる宗教を信じ、
他人の信じる宗教を認めることこそ
平和への道なのではないのかなと思います。

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月11日 10:32 PM
★祥さん、コメントありがとうございます。
> 自分の信じる宗教を信じ、
> 他人の信じる宗教を認めることこそ
> 平和への道なのではないのかなと思います。
この点同意します。私の主張の趣旨も「他人の信じる宗教を認める」寛容性が重要ということです。
私の批判は、宗教そのものに対してではなく、他を認めない偏狭な宗教、人命や人権よりも宗教を重んじる宗教に向けられています。

小林洋子 の投稿: 2004年9月6日 3:57 PM
yoshihirouedaさま初めまして。毎日新聞で「オバさんの逆襲」のコラムを書いています小林洋子です。「平和の砦」をyoshihiroさんのブログでご紹介いただいてありがとうございました。
これは柿木坂にある「ベテル幼稚園」のお話で、「貸してあげた」お寺は「立源寺」といいます。子供たちが実際に木魚を伴奏にして賛美歌歌っているかどうかはまだ確認に行っていないのですが、もう今月の10日で仮園舎の使用は終わりになるようです(^-^)。
今日たまたま「小林洋子」の同姓同名でいかに沢山の方々がいらっしゃるのか試しに検索をしていましたら貴方様のブログと出会ってしまい、おそまきながらコメントを残させていただきました。読者の方とこんなコミュニケーションができるなんて、インターネットって素敵ですね!

yoshihiroueda の投稿: 2004年9月6日 11:29 PM
小林さん本人からコメント頂き、ありがたい限りです(最初は著作権侵害の警告かと緊張しました)。
> 読者の方とこんなコミュニケーションができるなんて、インターネットって素敵ですね!
はい。私はまだ交流が少ない方ですが、リンクを辿って行くと例えば平和の輪が無限に広がっているような錯覚さえしてきます。「新しい希望」といったら言い過ぎかもしれませんが。

PFC の投稿: 2006年7月26日 9:57 PM
はじめまして。heteheeteさんのブログから参りました。古い記事へのコメントで申し訳ありませんが、この記事の内容に共感しました。TBの代わりに自分の名前に記事のリンクをしました。言葉足らずですが、見ていただけると嬉しいです。

yoshihiroueda の投稿: 2006年7月28日 12:25 AM
★PFCさん、いらっしゃいませ。
PFCさんの記事拝見しました。平和を求める姿勢は同じだと思いました。この記事は昔書いたものですが、自分でも気に入っていて、あとからもトラックバック追加しています。