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2005/05/30

日本海海戦100年...

... ということでこの話題が続きます。

先日、毎日新聞で、ドイツの特集がありましたが、今度は「日露戦争100年」が3ページに渡って特集されていました。最近力がはいっているなあ。

毎日新聞 2005年5月26日
戦後60年の原点: シリーズ特別編・日露戦争100年 近代化の到達点に光と影
戦後60年の原点: シリーズ特別編 日露戦争100年(その1) 一丸から独裁へ
戦後60年の原点: シリーズ特別編 日露戦争100年(その2) 戦勝導いた近代化
戦後60年の原点: シリーズ特別編 日露戦争100年(その3止) 主戦論で速報合戦

全体を通じて、「日露戦争物語」の紹介でも言及した「歴史認識」という視点がある。日本人の自信過剰、大正デモクラシーへのつながり、非西欧社会の脱植民地化の促進など。一方、ロシアにとって専制体制の崩壊を早め、民主主義が成熟する前に政治的空白を招いたことが書かれている(その3)。ここでは「両国にとって不幸だった」とあるが、共産主義の台頭は、第2次世界大戦後の冷戦につながるので、ロシアだけにとどまらず世界全体に対する不幸を招いたといえる。

「歴史に学ぶ」ということで言えば、(その3)の「戦争回避の可能性」では、ドミトリー・パヴロフ・モスクワ工科大教授(ロシア政党史)が、ロシアが学ぶべき教訓について述べている。「日本とは友好的でなければならない。北方領土は返してもいい(ただし返すとなれば、ほかの領土がどうなるのかという見極めが大事)」と書いているのは、ロシアにもそういう考えがあることを知って驚いた。また、 日本の横手慎二・慶応大教授(ロシア政治外交史)は、ロシアの軍事思想家スヴェーチンの著作(1910年と37年に発表、ソ連崩壊後、秘匿されていた37年の著作が売り出された)で、日本陸海軍の分析がなされ、20世紀の戦略は日本によって開かれたと評されていることに、ショックでしたと語っている。日本で日露戦争以降冷静な分析がなされていないことを考えると、正直な感想だろう。

(その3)には「メディアが引き出すべき教訓」も検討されている。みんなが同じ方向を向く「なだれ現象」のこと、「恐露病」(その1) 、「非戦論者」を排除したのは「守旧派」のレッテルを貼ることと変わりがない(これは私も同意見)、「統制は受けても政府のいいなりにはならないという見識もプライドもあった」、など。

「丁字戦法はなかった?」(その2)の話もおもしろい。また、秋山は「日露戦争で精根尽き果てた」と評されたことに対して、孫の大石尚子衆院議員「違いますね。戦争から帰ってきてから6人も子供が生まれてるんですよ」(その3)と語っているのもおかしかった。

2005/05/29

愛国無邪気

こんにちは。ほとんど書き終わった段階でブラウザが落ちてしまいました。とほほ。今度は先にテキストエディタで書くことにします。

以前、江川達也の「日露戦争物語」を紹介しました。このマンガのテーマは「歴史に学ぶ」、「成功は失敗の始まり」だと考えています。

現在ストーリーはまだ日露戦争に達しておらず、日清戦争の黄海海戦 (1894年) を描いています。3週間くらい前の回のタイトルは「愛国心と歴史認識」。一旦戦闘を描くのを中断して、軍歌「勇敢なる水兵」の歌詞の引用から始まります。

傷を負った水兵が、敵艦の状況を訊く。上官は、まだ沈没していないが戦闘不能になったと答える。それを聞いた水兵は安心して死んでいく。

ちょっと長いですが、一部だけ削ると真意が伝わらないと思いますので、テキスト部分をそのまま引用します。
日清戦争 黄海海戦の様子は
この「勇敢なる水兵」という
軍歌として
多くの日本人に歌われ、
日本人の記憶に
刻み込まれた。 
しかし、 
この軍歌は
この海戦の実像を
知らせるものではなく、 
日本人の戦意を昂揚させ、
愛国心をかき立てる
歌でしかなかった。 
ここでまた一つ
物語が生まれ、
日本人の現実を直視する目が
失われていくのだった。 
この戦争の実像を知り、
現実を直視し、
教訓を引き出そうとする者は
100年以上経つ現在でも
数少ない。 
この物語の主人公
秋山真之は、 
現実を直視する
努力を忘れぬ
男であるため、 
当然の如く
この戦争の後に
この戦争の実像を研究し、
教訓を引き出そうとした。 
現実を直視し、
平時における
過去の戦史の
たゆまぬ研究による
未来の戦術・戦略の
独創こそが
軍人にとって、
士官にとって、
参謀にとって、
指揮官にとって、
最も重要な
仕事である。 
かたや
物語を作る者は、
現実を歪め
気持ちよくなるように
脚色を加え
戦争を意図的に美化していく。 
国民国家の原動力、 
愛国心を高めるため、 
現実は歪められ、
人々の心に
美しく広がっていく。
  -- 山本権兵衛が、海戦史を編纂する小笠原大尉に美談に仕上げることを依頼するシーン 
戦争に勝利するためには
兵達の戦意を
昂揚させなければならない。 
志気の衰えは
敗走を誘発する。 
戦場では
嘘をついてでも
やる気をかき立てねばならない
場合がある。 
兵たちに
共通の妄想 (ファンタジー) を
信じ込ませねばならない。 
しかし戦争で
現実を歪めて認識した者に
率いられた軍は、 
惨めな敗北が
待っているのである。 
この時代
有能な将官とは、 
現実を確実に
把握できる者であり、 
なおかつ
兵卒の心をつかめる者、
妄想を操れる者で
なくてはならなかった。
  -- 今は国民に事実をそのまま伝える訳にはいかないと考える山本権兵衛の心中 
しかし
自らが
妄想の虜になってはならないのだ。
  -- 1941年、最初に真珠湾を叩けば早期講和に持っていけると考える連合艦隊司令長官山本五十六の妄想 
国民国家の原動力、
愛国心を高めるため、 
数多の
戦場の物語が
作られていく。
  -- 死んでもラッパをはなしませんでした、玄武門一番乗り、勇敢な水兵 
しかし
この愛国心が
この50年後、 
日本という
国民国家を
滅亡の危機へと
追いやるのである。
現実を直視できていないのは、今の韓国、中国の姿だと思う。
一連の反日暴動、
それを謝罪しない中国政府、
国際世論に慌てる中国政府、
アメリカが信頼していないことを伝えられ怒り出す韓国政府、

それらを伝える報道と、論じる評論等により、
日本人は、これまで歪んだ歴史認識を持っていたことを少しずつ知り、
事実を認識したいと考えるようになってきたと思う。

ただ、これによって育ってきた愛国心が
今の中国や、太平洋戦争前の日本と
同じレベルであってはいけないと思う。

偏狭な愛国心でなく、
国際社会にどのように貢献できるか、
国際社会をどのように導いていくか
考えていかなければならないと思う。
日本だけでは生きていけないのだから。

「国際社会をどのように導いていくか」って、妄想かもしれませんね。

2004/08/15

歴史に学ぶ - 日露戦争物語


いつもは反戦の立場に立って書いているのですが、日露戦争100年ということで、このマンガの紹介をしたいと思います。第二次世界対戦の終戦記念日 (敗戦記念日) に、この導入はへんですね。「太平洋戦争の失敗はこのころ既に始まっていた」ということがわかる、江川達也もそれを意図していると思うからです。

なお、このマンガは現在連載中で、秋山真之の少年時代からはじまって、今は日清戦争を描いています。

この11巻では、「死んでもラッパを離しませんでした」のエピソードが描かれています。同じ頃、補給の確保に失敗した責任をとって自害した古志正綱大隊長の話が出てきます。前者は美談として語られますが、後者は大きく扱われることはありませんでした。江川はこれが逆だったら歴史は変わっていただろうと語っています。NHKで日本の敗因というシリーズをやっていましたが (角川文庫で出ているようです)、インパール作戦では、作戦会議で補給路の確保ができないという懸念を述べた人は積極性が足りないと批難され、結局泥沼に入って行きました。これに限らず太平洋戦争では前線の拡大にも関わらず補給は軽視されたようですね。

また、13巻では、平壌の清側の要塞を攻めるところが描かれていますが、誰もいなかった玄武門に対して一番乗りを果たした兵卒が賞賛されたことが描かれています(もちろん批判的に)。

NHK日本の敗因では、ガダルカナルでの戦闘のこともありました。銃剣をもって一斉突撃し、機銃掃射で全滅するというのを、失敗したにもかかわらず何回か繰り返したとのこと (大胆な要約はご勘弁を)。これは日露戦争でうまくいったので、ということを言っていました。日露戦争物語もこのあたりになると、ガダルカナルを意識した記述がでるでしょうか。

日露戦争物語の連載では、現在、清の艦隊との交戦が描かれています。本体命令を無視した行動を取る坪井司令の意図が明かされるが、それは2か月前の海戦で自らがおかした失敗の反省をいかしたものだということがわかる。

明治日本で民間人が必死に富国強兵に邁進する姿も描かれており、「歴史に学ぶ」ということがこのマンガの全体のテーマと思う。そういう意味で今日終戦記念日にマッチした話題ではないかと思います (強引でしたか?)。

ただ、絵と字が細かすぎ、読む気を削ぐのが難点です。