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2012/05/19

「課金」の誤用が気になる

最近「課金」が話題ですね。

ネットを見ていると、「課金する」という言葉が「料金を課する」という意味とは逆の「料金を払う」という意味で使っていることに気づく。実際にゲームをやっている人が「課金する」という言い方をしているのだ。

ドリランドに課金しすぎてヤバイことになった:キニ速

この人はユーザーみたいですが、次のKAWANGOってドワンゴの社長じゃないの? (「ドワンゴ会長?「kawango」氏、人力検索はてなで質問中 ほか」をみると会長みたいですね。本人は否定しているそうだけど)。 課金する側だけど、あきらかに「会員が課金する」という使い方をしている。

Twitter / KAWANGO: 今週はじめてわかり、ドワンゴ社内で衝撃が走ったある数 ...(リンク先ははてなブックマーク - もとの投稿は消されているようだ)
今週はじめてわかり、ドワンゴ社内で衝撃が走ったある数字を紹介する。ニコニコのプレミアム会員80万人のうち、携帯のメールアドレスで登録して課金しているのは18万人。そのうちPCでのアクセスを一回もしていないユーザは11万人。
他にも以下のような記事で「課金」が「支払う」意味で使われている。
最初にこの現象に気がついたのは4年前。

「人はなぜゲーム内アイテムにお金を払うのか」 デジタルジェネレーションが生んだ新しい経済価値について,成蹊大学の野島美保氏にあれこれ聞いてみた

ブックマークコメント
「鯖代の足しにしてください」「運営がんばってください」というメッセージを添えて課金(しかもあんまり有利にならないのに)してくれるユーザーばかりです。
というのがある (前は複数あったように思うのだが)。

この記事本文は明確に「お金を頂く」方の立場から書かれているので、この記事を読んだ人の中では誤用はすくないということはあるだろうが、これ以降数年で誤用が定着しているように感じる。

もう少し調べたらこんな情報があった。

課金とは (カキンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
本来この言葉は「料金を課する」、つまり提供者が利用者から料金を徴収することを指すのだが、インターネット上では主体が完全に逆転した解釈のほうが定着している。

「課金されたものに納金する」→「課金する」のように略された形になる。

税金を納めることを"納税"と言わず"課税"と言うぐらい異なった用法である。

とは書いてあるものの、その後は
インターネット上で課金と言えば主に、オンラインゲームなどの内容に利用料金を払うことを指す。使用料を払うこと。
として、その用法で統一してある。

「大百科」にこういう書き方されては、それが正しいと思うよね。KAWANGO氏もここで勉強したんではなかろうか。

ところで、このことを書いたらツイッターで松永英明氏から以下のようなコメントをいただいた。

@ryokan 課金を「金を課す」ではなく「課される」の意味で使って違和感がない人たちって言語感覚鈍いですよね。
8:33 AM - 14 May 12 via モバツイ / www.movatwi.jp . · Details

私はこれに対して、

@kotono8「課される」の意味でも使っていないと思います。「課金する」と能動態で使っていますから。本来の意味とか考えたことないだろうと思います。
8:14 PM - 14 May 12 via Twitter for iPhone · Details

と書いたが、松永氏から

@ryokan 受身形じゃなく意味だけ受け身という気持ち悪い表現はいくつかあるように思いますよ。「商品が店で売ってる」(売られている、ではなく)という表現もありますので、「金を課されることをする」で「課金する」に違和感がない人たちがいそうです。
9:00 PM - 14 May 12 via TweetDeck · Details

とまたコメントを頂いた。これに対しては私はうまい説明をもっていません。

別の観点で「〜を課する」ものとして「課題」があるが、これの反対語には適切な言葉がない。「課題への回答を提出する」、さらには、「課題を提出する」というような使い方になってしまう。あとは「課題やらなくちゃ」のように「課題 - する」という形で使われるのではないか。こういうところから「課金 - する」という使い方になったということも考えられる。

いずれにせよ、「課金」を「お金を払う」の意味で使うのは、現段階で誤用といえるだろう。私は言葉の意味の変遷には寛容なほうだとは思うが、全く逆の使い方が併存してはコミュニケーションを阻害するので避けた方が良いだろう。

たとえ国立国語研究所が許しても、このウエダが許しません。

2011/03/02

産業日本語研究会シンポジウム

まず長尾先生の基調講演 「知識インフラと日本語」。前回の知の構造化シンポジウムのときと同様、「知識」と「知」の関係。「知」には慣習や善・得に支えられているもの、という話が導入になる。その後情報の分析の話が中心になった。

分析の目的には、日本の産業の強化、イノベーション推進があるようだ。日本は要素技術はもっているものの、iPadのようなものを実際に出すのは外国の会社に先を越されている。

人文科学、社会科学的視点をもった、経済・社会にインパクトを与える研究開発が必要になる。SNS 的に人をつなぐ必要がある。それをサポートする知識インフラが必要になる。これは各分野の知識データベースをゆるいつながりでつないだようなもので、4月からはじめる科学技術基本計画 に取り入れられている。

後は言語技術の重要性であるが、これに関しては皆さん合意ができているだろうことですので、省略します。

発表資料はここから入手できます。→ 「第2回産業日本語研究会・シンポジウム」発表資料

2010/03/01

言葉が専門家と一般人をつなぐ

こんばんは。

先日24日に休みをとって、第1回産業日本語研究会・シンポジウムに行って来ました。大雑把にいえば、人間にもコンピュータにも分りやすい日本語を作ることを目指した研究会です。

その中で、「理解しやすい日本語を作る先行的な取り組み」として、司法の分野と医療の分野が紹介されていました。これらの場合、「専門家にしか分らないような日本語を一般人にも分るようにする」ことを目的とした取り組みです。

興味深かったのは、その取り組みの構造が恐ろしく似ていたことです。

まず目的が、「必要に迫られて」ということです。司法の分野は裁判員制度の導入で、医療の場合は「インフォームドコンセント」です。

これまで裁判は、検索、弁護士、裁判官という、いずれも司法試験を通った人で行われてきました。そこに司法の素人である裁判員が加わることになります。正しい判断をするためには、正しく理解しなければ行けません。そのために、専門用語で構成された法律、冒頭陳述や求刑など裁判で作成される文章を理解できるようにしなければならないということです。

医療の分野の「インフォームドコンセント」も同様に、治療の方針を患者側が納得した上で進めないといけないので、納得する前に理解できる必要があります。それまでは「先生にお任せ」であったので、説明の必要すらなかった場合もあるのですが、これからそういう訳にもいきません。
その改革のプロセスも似通っています。その専門家と、専門外の人 (その中で特にNHKなど日本語で伝えるという意味では専門家) でタスクを作ります。数ある専門用語の中から重要なものをピックアップし、ひとつひとつ専門家が意味を説明し、非専門家が分らないところを聞いて、それからどういう言葉なら理解できるのかを議論します。

またこのプロセス自体も手探りで作って行ったと言うことです。

タスクメンバーの関与の仕方が変わって行ったというのも共通しています。最初はやり方がわからないことによる試行錯誤もあるし、専門用語をどうやって簡単にするのかが難しいこともあって、それほど皆さん乗り気ではなかったようですが、次第にこの議論が面白くなって来たと言うことだそうです。みなさん素人と言っても別の分野では専門家な訳で、知的好奇心を刺激するのでしょう。また何でも真剣にやれば次第に面白くなって来るものです。

面白かった例は「冒頭陳述」を「検察が考えるストーリー」 (すみません今資料がなくてうろ覚え) に言い換えるときに、検察側の反発が大きかったということです。「ストーリー」というと、如何にも作り話に聞こえ、検察側が誘導しようとしているみたいに聞こえてしまいます。しかし、本来裁判はこの冒頭陳述が証明付けられるかを争うプロセスです。有罪率が高かったり、推理ドラマでは裁判前に犯人が参りましたと言うところを見せられて来ていますから、日本人は検察のいうことは正しいものと捉えがちです。またマスコミも、冒頭陳述のそういう位置づけを説明せず、あたかもそれが実際にあったことをそのまま報道しているかのような書き方をしています。

結局この「ストーリー」でいくことにしたそうですが、この名前の変更だけでも、これまで常識と思っていたことを考え直すきっかけになるでしょう。それは検察にとっても同様じゃないかと思います。これまで正しいものとして受け止められて来たものが、そうでないかもという目で見られるのですから、自ずと説得力のある書き方に変わってくるのではないでしょうか。

ただ本当は単語の意味の問題だけではないのですけどね。そういう意味で、次のイベントは気になります。

2010年3月7日 裁判員裁判におけるコミュニケーション・デザインの学際的研究

2009/11/23

いちるの歯型

こんにちは。ご無沙汰しておりました。

なんかね、ブログの書き方忘れちゃって。いくつかイベントに行ったので、すこしまとめておこうと思います。また、気づいたことのメモを引っ張りだしてまとめたいと思います。

まず、この表題「いちるの歯型」。えっ、何?と思うでしょ。新聞の見出しにあったものです。

釜山射撃場火災:「いちるの歯型」生存確認 (毎日新聞 2009年11月17日 → 魚拓)

「いちるの望み」以外の使い方を初めて見ました。初めは「いちる」という人名かと思いました。ピヨピヨ。
 当初、家族が死亡を確認したものの、後に生存が判明した長崎県雲仙市の中尾和信さん(37)は、全身の90%にやけどを負っており、意識不明の重体。17日にも皮膚移植手術が行われる。

家族は15日夜にも中尾さんが搬送されていた釜山市内のハナ病院を訪ねたが、中尾さんの外見は見分けがつかないほど皮膚の損傷が激しかったため、本人ではないと判断。同行した雲仙市職員らに、別の遺体を中尾さんと取り違えて確認してしまうほど気落ちしていた。

しかし、16日になってから、口を広げて歯並びを撮ったパノラマ写真を持って再び病院を訪問。中尾さんは口に吸引ホースをくわえた状態のため、すべての歯並びは比較できなかったものの、前歯の特徴で本人特定に至ったという。
「いちるの望みの歯型」という意図なんでしょうが、「いちる」を「いちるの望み」の短縮形として扱うのは誤用なのではないかと思います。

「いちる」の辞書内容を見てみると、

Yahoo!辞書 - いち‐る【一×縷】
1 1本の糸。また、そのように細いもの。
・「船は—の黒烟を波上に残し」〈鉄腸・南洋の大波瀾〉
2 ごくわずかであること。ひとすじ。「—の望みを残す」
となっています。

「る (縷)」は、いとへんがつくことからも想像がつきますが、「 (糸のように) 細い」ことが含意されています。「望み」に対しても、糸のように細い手がかりをたぐっていくという比喩的な用法と思われます。「わずか」という意味も書かれていますが、これも量というよりも、太さまたは糸の数にかかるものだと思います。

新聞で使われているのは規範的な表現と一般的に見なされている訳で、誤用が定着する危険を感じてしまいます。

2009/10/29

形容詞+「です」って違和感ありますか

おばんです。

ちょっと前の記事になるが、こんな記事があった。

蟹亭奇譚 2009-10-22 [ことば]「形容詞 + です」という日本語の用法について

ここでは、 九十九式 (復活してたんだ ... ) の『変な日本語(1) 「危ないですから」 』
言うまでもなく、「危ない」という形容詞に直接「です」を付けるのは誤用だ。
に対して、過去の文学作品中でも自然に使われている例を多く挙げ、誤用ではないとしている。

私も誤用ではないと考えるし使ってもいるが、形容詞+「です」って違和感があるという人がいるのも理解できる。自分自身でも「危ないです」とか「大きいです」と書く時にはほぼ毎回そのまま書くか言い換えるか判断しているのだ。それは、「食べれる」や「来れる」など、一般には「ら抜き言葉」と言われる「上/下一段動詞、カ変動詞の可能動詞化」を使う時にも同様だ。

自分ではOKと思っていても読み手が気にすると思えば避ける。余計なところで読み手の思考を中断したり、突っ込む隙を与えたくない (「ソンナトコロニコダワッテナイデ、ホンブンノナイヨウヲヒョウカシテクダサイヨ」)。

話がそれた。「大きいです」に違和感のある人も

「大きいですね」
「大きいですよ」

は、すっと入ってくるのではないだろうか。

「大きいですが ...」

はどうだろう。

このように日本語は (言語はかもしれない) その前後によって容認される度合いが大きく変わってくる。九十九式氏のように、「です」を「だ」に変えると受入れられないのが分るでしょ、というのは意味がない。「です」を「だ」に変えるから受入れられなくなるのだから。

蟹亭奇譚氏の記事では最後の段落
我々は 《話し言葉》 を用いるとき、聞き取りやすい言葉、わかりやすい言葉を使ったほうが、相手によく伝わることを、経験から学んでいる。駅員が 「危険ですから」 ではなく、「危ないですから」 とアナウンスすることによって、外国人や子供を含むより多くの人たちに理解を促すことができれば、そのアナウンス自体の目的を達成したことになるのではないだろうか。
に強く同意する。言語は人に伝えるためのものなのだから。

一方、変えないようにするという立場も一定の範囲で理解ができる。「変えない」=「皆が共通に理解できる」=「伝わる」なのだから。「一定の範囲」と書いたのは、また九十九式氏の文章に戻るが、最後に
本当は正字・正仮名遣いで書いた方が望ましいよなぁ…ということになるんだけど、これはまた別の話ということで。
と書かれているからだ。九十九式氏はここでは態度を表明していないが、歴史的仮名遣いを使う主張をしている人は存在する。彼等は「伝わる」ことを「伝統に忠実である」か何か (彼等は「美しさ」と呼ぶかもしれない) よりも低く評価している。

最後に、出版社ディスカバー21の社長干場さんがこういう発言をしている。

hoshibay: 「危ないです」は書籍編集では「危険です」か「危ないのです」に直します RT @masakocafe9516: 丁寧に言う時は使います。RT @mayumiura RT @maruyama097: 「危ないですから」に違和感を持つ人がいること、初めて知りました。 (Sat Oct 24 16:24:31 +0000 2009)

本の現場では「形容詞+です」はまだ避けるべき表現なのだろう。それは先に書いた読み手を考えるというところにつながる。

ただ「の」を入れるというのは、どうなんだろうね。例えば「大きいです」に「の」を入れて、「大きいのです」にしちゃうとニュアンスが変わってしまうと思う。強調されるだけでなく、理由を意図しているような感じをうける。

デアル調で書いてみるとニュアンスの違いが見えて来るかもしれない。

「大きい」と「大きいのだ」。

「今日の富士山は美しい」と書くとそのままでもすっと入るけど、「今日の富士山は美しいのだ」だと、「だから何?」と聞きたくなる。

さきほど、「です」を「だ」に変えるから受入れられなくなるのだ、と書いておきながらなんだよと思われるかもしれないが、ここでは接続可能かという構文上の話をしている訳ではなく、ニュアンスの話ということでご了解下さい。

2009/10/17

「よろしかったでしょうか」の意味

こんにちは。

先日、「いらいらさせる言葉 [英語編]」で、
「ウエダさんのお宅でよろしかったでしょうか (いきなりなぜ過去形?) 」とか「こちらがコーヒーになります (いつなるんだよ)」など腹立たしい言葉が多くありますね。
と書いたら、pacer3さんから「過去形の日本語ってのは、昔からえん曲の丁寧語としてあったようですね。」とのコメントいただいた。

そういう使い方のことをしらなかったのだけど、ちょうどその前10月9日にNHKで放送された、「みんなでニホンGO!」という番組で「よろしかったでしょうか」がとりあげられたそうだ。

はてな匿名ダイアリー 2009.10.10 これでも「よろしかったでしょうか」を認めない奴は何が不満なんだ!
乱れた敬語とされている「よろしかったでしょうか」は文法的には全く間違っていない。「た」は婉曲表現であると明海大学井上史雄教授。
井上史雄に関しては以前取り上げたのだけど、彼の著書は基本的には言語の使用のされかたをそのまま受け入れるスタンスだった。「婉曲表現である」というのは、現在そのような使われ方をされているということだろう。文法的には全く間違っていないというのも、構文的に間違っていなくても、意味論的に間違っているものや運用論的に間違っていないということの検証が必要だろう。

ちょっと補足すると、運用論的に間違っているというのは、「○○部長はいらっしゃいますか?」と電話で問われて、「はい、そばにおります」と答えるようなもの。

この匿名ダイアリーの人は、NHKの取材をまとめるとOKと結論づけられたものが、一般のアンケートでは否定的であることに対して、それはクレームをつける人が (特に東京で) 多いからであって、言葉狩りであるとして断罪している。

これに対して、次のような意見もあった。

Living, Loving, Thinking: 「よろしかったでしょうか」はやはりよろしくない
「た」は他のありようがありえないような確定性、排他的な断定性を表す。
...
とすれば、何故「よろしかったでしょうか」がむかつくのかは略自明であろう。
承認を求めているようにみえて、否定を許さないというニュアンスがあることを指摘している訳だ。

さて私は最初「ウエダさんのお宅でよろしかったでしょうか」は腹立たしいと書いた。これは電話での第一声に対しての反応で、実はレストランで確認される「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」は私自身は問題視していない。

レストランでの注文の確認のシーンはこうだ。
・ご注文を繰り返させていただきます。
・ハンバーグステーキセットと ...
・ご注文は以上でよろしかったでしょうか。

ここで過去形にしているのは、私の理解を述べた、その表明 (過去というより完了) に対する承認を得ている訳で、決して客が注文するものを押し付けている訳じゃない。

一方で電話の「ウエダさんのお宅でよろしかったでしょうか」は、「私は (カモ顧客候補リストをみて) 電話をかけた、その電話番号は間違ってなかったか」ということを問うている訳だ。

知るか。電話掛けてって頼んでねーよ。

腹立たしいというのがご理解いただけると思う。

ところで「いらいらさせる言葉 [英語編]」でいただいたコメントに対して、私は、
英語では助動詞の過去形が丁寧として使われるのですが、そこには共通する何かがあるのかもしれませんね。
と書いた。

"Living, Loving, Thinking"のSUMITA氏は、
「よろしかったでしょうか」の「た」は「婉曲表現」であると国語学者の井上史雄氏は述べているらしい。そうなの? ただ、「よろしかったでしょうか」の〈外資系起源〉説があったと思う。英語では、will you…?よりもwould you…?の方が丁寧な表現であるように、時制を過去にすると丁寧になるということがある。「よろしかったでしょうか」は外資系企業の英語の接客マニュアルを和訳するときに〈丁寧としての過去〉を素直に直訳してしまったのが起源なのだと。と書きつつ、その出典は忘れてしまった。
と書いている。私は「共通する何かがある」と書いた時に、誤解のことも意識していた。

以前「コーヒーが飲みたい」という文に対して、「コーヒーが何を飲みたいのかな?」という形で間違いを指摘している人がいた。この人は、主語と目的語があって、主語は「〜が」、目的語は「〜を」で示さねばならないという固定的な考えを持って言っているのだと思う。きっと日本語で「私はコーヒーが飲みたい」というのが自然な文として認識できなくなっていたのであろう。

2009/10/12

いらいらさせる言葉 [英語編]

こんにちは。

表題は「うぜ〜言葉」とかしたほうが良かったかもね。日本語だと「ウエダさんのお宅でよろしかったでしょうか (いきなりなぜ過去形?) 」とか「こちらがコーヒーになります (いつなるんだよ)」など腹立たしい言葉が多くありますね。それから最初書いた「うざい」とか、自分の考えを表現できず、「あなたとは関わりたくない」という意味しかない言葉。

もちろん人を不快にさせる表現は日本語だけではない。

ABC Newsにこんな話題がありました。
Oh, Anyway, Whatever! (video)
'Whatever' So Totally Top Annoying Word Poll (text)

以下投票結果。

whatever 47%
you know 25%
it is what it us 11%
anyway 7%
the end of the day 2%

最初の "whatever" に関しては、"Slang: The people's Poetry"の著者でもあるインディアナ大学英語学マイケル・アダムス准教授"whatever"は、言い方にもよるが、dismissivenessを示す言葉になりうると言う。

"dismissiveness"とは何か、辞書には"dismissive"
dismissive 形容詞(思い上がった態度で)(…を)却下する[はねつける]ような?of ...?
と「思い上がった態度で」という但し書きがついている。ふむふむ。

"you know"は、キャロライン・ケネディが使っているところが出ているけど、同意を求める言葉。日本語では「ご存知の通り」か。これ言われると、知らない方がいけないみたいな感じになる。日本語でそれよりも押し付けがましいのは、「〜じゃないですか」かな。「私って、〜な人じゃないですか」なんて言われると「知らねーよ」と言いたくなるな。

上に出て来た言葉は日本語に比べて気にならないな。それって、私が英語のニュアンスが分らず、一方で日本語のほうがその後ろにあるコノテーションを感じ取ってしまうからかもしれない。

2009/05/06

*? 空が飛べたら

おはようございます。僕の翼には羽根がある (ウソ)。

先日ラジオを聴いていたときの話。

女性パーソナリティが
『もし空が飛べたら』というお題で皆さんからメッセージを募集します。

と言ったら、もう一人のパーソナリティ (男性) が
『空が飛べたら』ではなく『空を飛べたら』でしょ。

と言った。

その後「あらためて『空を飛べたら』というお題で ... 」と訂正したのだけど、私は『もし空が飛べたら』で全然おかしく思わなかったんだけどな。

『お酒が飲めたらいいのに』はOKだよね。

確かにGoogleで『空が飛べたら』を検索したら、結果は『空を飛べたら』ばかりだった。中島みゆきのせいもあるけど。

『お酒が飲めたら』とどう違うのだろうか。

「が」は主語を表すと認識している人も多いと思うが、それだけではなく、新情報と旧情報を区別するとか (「恋人がサンタクロース」)、対比 (「(他の飲み物ではなく) コーヒーが飲みたい」) などの役割がある。

『お酒が飲めたら』は、「水ではなくお酒」という対比の意味を考えればOKといえるのだろう。一方で『空が飛べたら』がおかしいと思われるのは、「飛ぶ」と言ったらそれは「空を」以外にないから、という理由が考えられる (高く飛ばず空中に浮くだけでも「空を飛んでいる」という言い方をするよね)。

昔から言語学では「象は鼻が長い」なんて問題にしていたけど、最近の言語学ではどのように扱われているのかなあ。外国人に日本語を教えるときに、「は」と「が」の区別を教えるのは苦労しているようですね。

今日のテーマにあまり関係ないけど中島みゆきの『この空を飛べたら』。歌は加藤登紀子。

[http://www.youtube.com/watch?v=rW5r7-q9-5I]

追記: 表題の「*? 空が飛べたら」の「*?」は、"*" (非文 = 文法的に正しくない文)、"?" (と断言してしまうのは controversial だよね) の意。

2009/04/01

急にアクセスが増えたら ...


調べてみたくなるよね。

なぜ急に? ブログ検索で最近使っている人を調べた。どうもこのせいらしい。
goo注目ワード ピックアップ・・・けまらしい (2009年3月31日(火)15:00)
「けまらしい」だけだと Google検索で3位なのですが (私の記事はほとんど2位の加野瀬さんの記事を参照しているだけなんですが)、「けまらしい コミュニケーション 用語」で検索すると1位になるんですね。
しかしこの組み合わせをみんながいっせいに使ったのは謎だ。

2009/03/04

日本語訳がおかしいのか元の英語がおかしいのか

3月3日朝は使えてたので1レッスン終えて結果がセーブされる ... というところでダウンが始まった。まあ5分ぶんだからいいけどね。

2008/11/20

日本語が亡びるとき

あたし彼女
ウソ
てか
な訳ないじゃん
みたいな

... すみません、ふつうに戻します。

話題のこの本読みました。

日本語が亡びるとき—英語の世紀の中で
水村 美苗
4480814965

最初は下記で知った。

404 Blog Not Found 今世紀最重要の一冊 - 書評 - 日本語が亡びるとき
日本語で何かを成しているものにとって、本書をひも解くことは納税に匹敵する義務である、と。

その前に梅田望夫が紹介してたんだね。

My Life Between Silicon Valley and Japan 水村美苗「日本語が亡びるとき」は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う。

梅田望夫が読めと言っても、そうですか、としか思わないのだけれど、この本は私は読む必要があるだろうな。Amazonでもう売り切れたということなんだけど、まあ3〜5日のことだし待てるかと思って発注。でもいまは3〜5週間待ちになってた。

待ってる間にも、取り上げるブログが出ていた。

思索の海 (若手言語学者 dlitさん) 例の本(書評というか感想文)
事実についてはそれほどおかしなことが書かれているとは思いませんでしたが、その代わり「へ〜」と思えるような目新しいことも出てこなかったように思います。しかし、その事実から導き出される推論や意見がどうにも飛躍が多いように思えてなりませんでした(これが一番苦痛だった)。

ふむふむ。
ところでこれは世間的に「優れた評論」になるのでしょうか?僕にはどうしても「自分の言葉に対する思いを勢いで書き綴ったエッセイ」としか思えませんでした。

なるほど、そういう評価をする人がいるということは忘れないでおこう。

ARTIFACT@ハテナ系 『日本語が亡びるとき』を読まずに騒動だけ見た感想

読まずに、て。でも、
基本的に非教育分野の人が「教育で○○すべし」という教育論系の書籍はトンデモまじっていること多いんで、まず読まない。書籍だけではなく、そういう教育論をやたらとぶつ人は、大体ロクでもないんで、いいフィルタリングになってる。教育論って、別に専門知識なくても、誰でも何か言えちゃう分野だから、そういう人が混じりやすいんだろうけど。

これは分る。この理由ならエアレビューも許せます。

実際読んでみて、すごく複雑な思いだ。梅田望夫のように手放しで賞賛するものでもないし、かといって読む必要なし、読んで損したというのでもない。

文章的には、第1章、第2章の自分の経験を語っているところは、すんなりと入って行けるし、瑞々しく情景が浮かぶ。さすが小説家と思う。しかも、本論に続く伏線が的確に埋め込まれている。

このころにはdlitさんの評価をすっかり忘れていましたよ。

しかし、3章は読むのが苦痛だった。段落のレベルではまだ筋が通っているのだけれど、全体の論旨が頭の中で再構成できないのだ。同じことが何度も繰り返して出てくるし。4章以降は少しましになる。繰り返しも意識して構成している。また、フィールドが日本語になるので、物語の部分に瑞々しさが戻る。

そして4章以降には日本語に関する主張がだんだん含まれて行く。しかし、その主張は飛躍が大きく、納得させられるようなものではない。

あれ、dlitさんの感想と同じだ。

「自分の言葉に対する思いを勢いで書き綴ったエッセイ」というのもそう思う。「自分の言葉に対する思い」というより明治時代の「日本近代小説」に対する思いかな。そういう見方をすると、微笑ましく読める。なにしろ、評論ぽく論理を展開しているかと思ったら、その中で「そう。あの大好きな吉川英治。」とかでてくると思わずにやりとしてしまいますよ。それから、こんな記述も。
周知のように、十五世紀に西洋の大航海時代がはじまるまで地球の多くの部分は無文字文化であった。それが、朝鮮半島との近さが幸いして、日本列島は、四世紀という、太平洋に浮かぶほかの島々と比べれば僥倖としかいいようもない時期に漢文が伝来し、無文字文化から文字文化へと転じたのである。文字文化の仲間入りをしたのを記念した「文字の日」をつくり、ブラスバンドに演奏させぽんぽんと花火をあげて祝いたいような ーー あるいは、漢文明に感謝の意を表して、銅鑼を打ちパチパチと爆竹を鳴らして祝いたいような慶ばしいできごとである。ことに小説家にとってそうである。

なんてね。

そしてこういう人を手放しで賞賛する梅田望夫も微笑ましい。

先に「複雑な思い」と書いた。これは段落レベルの主張には納得させられるところも多いからだ。それらは、自分で「日本語はどうなるのか」、「どうあるべきなのか」、「そのために何をすべきか」を考える題材になる。

そして、「文学」とはなにか。「今の文学は文学じゃなく、明治時代の近代日本文学こそ日本の宝である」と考えるような人をなぜ作ってしまったのか (ただの「昔は良かった」年寄りというのではない理由がある)。いろいろ考えさせられる本であることは間違いないと思う。

それ以外にも、「日本の政治家が英語でちゃんと主張できないのは英語力の問題とは違う」とか、「読むことと書くことの違い」とか、考えることは多い。バラバラに書いてあるから、あるテーマに沿ってピックアップしながら再度読む必要があるだろう。

それからこの本に関して書いている人がたくさんいるので、それらも読まないといけないね。読まないといけないと言うより、それぞれ違った観点から書いてあってよむと面白そうだ。

追記:

毎日新聞 書評 今週の本棚:池澤夏樹・評 『日本語が亡びるとき…』=水村美苗・著 (魚拓)
-- この評自体は手放しでの賞賛でどうかとは思うが、確かに現在の日本の独立が保たれ日本語が国語として成立したのが僥倖であったという部分の記述は面白かった。

2008/11/10

ワインバーグの文章読本

ワインバーグの本は久しぶり。金曜日に本屋に行ったらあったので買ってしまいました。

ワインバーグの文章読本ワインバーグの文章読本
伊豆原 弓

翔泳社 2007-11-20
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副題は「自然石構築法」。本を書くのを自然石で壁を構築するのに喩えている。統一感のある美しい壁を作るためには、色や風合いの揃った自然石を集めなければならない。不足しているところにちょうどはまる大きさも必要だ。

ひとつの壁を作るために自然石を揃える (ひとつのテーマの本を書くために材料を揃える) のはたいへんだ。特に最後が埋まらず苦労する。

しかし複数の壁を同時並行に作っているならば、そしてその後にも別の壁を作るつもりならば話は違ってくる。良い自然石を見つけたら全部持って帰り、どの壁にあうかを決めて行けば良い。文章も同じで、日常生活で気になったものはとっておき、どの作品に使うか分類していく。どこにも入らないものは次回用の分類に入れる。

もちろん素材があるだけではだめでその取捨選択、組み合わせ方が重要になる。この本もページ数で言えば多くをそこに割いている訳だが、この本の根幹にこの「自然石構築法」のコンセプトがある。

実はもっと重要なポイントがある。それが

興味のないことについて書こうと思うな。

というルールだ。

でも書きたくないものを書かないといけないことがある。そのときはどうするの?
与えられた課題を受入れ、知性と想像力を使ってそれを変える

と言っている。

ここにはそれ以上のことは書かれていないが、与えられた「課題」に逸脱しない範囲で、明示的に示されていない期待を裏切るということだろうな。レポートにサスペンスタッチを入れてみたり、例示に古典を引用 (本歌取り) したりとか。さじ加減は難しいと思うが、その工夫がただのお仕事をワクワクするものに変える。

なるほどと思わせるところは色々あるのだが、そのなかで「使えない石を捨てる」という章でおもしろい概念があった。まず、あるレシピから「タマネギをバターでキツネ色になるまで炒め、タマネギは捨て、バターをとっておく」という部分をとりだし、
わたしの書くバターには、捨てたたまねぎの風味がとじこめられている。

と書いているのだ。1語につき少なくとも5語を検討した上で選んで残りを捨てるという自分のルールを示し、
不思議なことに残した言葉の中には、もうそこにない言葉の風味がとじこめられているのだ。

と書いている。

これはすごく分る。自分でもそういう書き方をする部分がある。その時に選んだ言葉には、採用しなかった言葉の思いが込められていて、使わなかったけど言いたいことを汲み取ってねと思うことがある。もちろん気付かれないことが多いけど、気付いてくれると本当に嬉しいものだ。自分でも後で読んで気付かないことがあるのでもっともな話ではあるのだけれど。以前書いたものを後で読んで思い出すと、それ以外の書きようがなかったんだと思うこともある。単に成長してないだけかもね。

ワインバーグの本は、プログラミング、ソフトウェア開発プロセス、問題発見/問題解決、コンサルティングというコンテキストで大学時代から読んできた。この本はそれらとはちょっと毛色が違うが、これまで多くの本を書いてベストセラーも出してきた著者のものなのでそれなりの期待を持って読んだし、それは裏切られなかったと思う。しかしこれまでの本よりも内容は薄めとは言えるだろう。

2008/07/28

新世代ギャル用語最前線

こんばんは。清水圭です(ウソ)。

今度は本家シブケイから。

【ティーンズラボ】2008-07-26 「あのかれぴ、もれてない?」−渋谷で探る新世代ギャル用語最前線

ここでも、
数カ月前に流行った言葉が全国規模で広がるころには、すでに友人グループやクラス単位の「内輪レベル」で新たな流行語が生まれているのが、この世代の特徴だ。

と書いてあるが、最前線のサンプルって、たまたまそのグループで使われているだけのものもあって、これをひとつひとつ覚えることは意味のあることではない。覚えて使うと「なにこのオジさん」って言われるのがおち。

じゃあなんでこういうのを取り上げているかというと、時代の雰囲気が分るような気がするから。「KY」って言葉は、多様性を許さない危険な兆候だと思うけど (過去記事)、そういう雰囲気があることをあぶり出させた功績があると思う。

この中で気になったのは、会話に対する適当な返事や面倒くさい時に使う「マジか」。
「マジか」を筆頭に、「面倒くさいから」「適当に会話したい」などの理由で、会話を円滑かつ穏便に「流す」風潮が目立っている。面と向かって言わない代わりに、表向きの相づちで会話をつなぎ、言われる側も空気を察してそれとなく会話を流す、そんなコミュニケーションが、さまざまな「適当」系言語を派生させる。

近頃の若いもんは、面倒くさいとか思いながら会話してるんだ、そりゃ問題だなー、なんて最初は思ったのですが、よく考えたらこれって若い人達に限らないような。

そういうえば、英語でしゃべらナイトで、英語における"How are you?"には意味なんてなくて、答なんか聞いちゃいない、マジで症状を語られたらかえって困る、なんか言ってたな。言葉を交わすこと自体が意味があるんだ。

2008/07/12

きぅ

そういえば、「憂慮する」とか「懸念する」とか言うべきところで「杞憂する」って使う人いるよな。

あ、今特定の人を指して書いている訳じゃないので、気にしないで。

Google検索: 「杞憂すべき」 → 約 89,600 件
-- これはほとんど間違いだと思う。

Google検索: 「杞憂する」 → 約 486,000 件
-- 「杞憂する前に...」とか、「ひたすら杞憂するスレ」とか正しく使われているようだ。

Google検索: 「杞憂される」 → 約 253,000 件
-- 「いろいろ杞憂されるより...」など「尊敬」で使われていて間違いじゃないのが多い。[→ 追記]

Google検索: 「杞憂します」 → 約 287,000 件
-- これは自分のことを言っていて間違いの場合が多いんじゃないかな。

「用杞憂」っていうのもあった。なんだろうと思ったけど、「要求」の書きまちがいのようだ。
ところで、辞書をひくと(三省堂提供「大辞林 第二版」より「杞憂」)、用例に
「深く政府の為に?する処なり/新聞雑誌 54」

というのがあった。たぶんこの主語は一人称なので、上の「杞憂します」のところでは誤用だろうと書いたのですが、「取り越し苦労であってほしいけど私はこういう心配をしている」という複雑な心境を含んだ文なのかもしれない。ということは検索結果にもそういう心境を含めたものがあるのかもしれないね。

追記: コメント欄にも書いたが、私は「杞憂」を動詞として使ったことはないと思う。というか動詞として使われることを知らなかった。今回調べていて思ったのは、動詞として使う使い方はやっぱり自分には受入れ難いなということ。たとえ「杞憂される」として尊敬の助動詞をつけたとしても、「あなたの考え方は取り越し苦労に過ぎない」というニュアンスが含まれる。もっといえばそこには考え方の姿勢そのものを否定するニュアンスが感じられる。それだったら、「XXXというのは (YYYなので) 杞憂だ」というように具体的に杞憂である点を (理由を含めて) 指摘した方が良いと思う。

追記(2): 追記した内容に関して、お前今まで知らなかったのかよ、なんて指摘されたらどうしよう・・・

どこかで動詞として使ったことがあるのを単に忘れていたりしただけだったらどうしよう・・・

「きぅ」ってなんだよ、って言われたらどうしよう・・・

2008/06/10

ペプラー's スシバー 訳せないネタ

おはようございます。ジョン・カビラです(ウソ)。

昨夜やっていたNHK「英語でしゃべらナイト」は特別企画で「ペプラー's スシバー 訳せないネタ」というのをやってました。日英で訳し難い表現をみんなで語り合うもの。

日本語では「よろしくお願いします」、「いつもお世話になっております」などがあげられてて、まあそうだろうなと思うけど、英語から日本語へ訳しにくいものがおもしろかったな。

"How are you?" なんていうのは疑問文になっているけど、答なんかだれも聞いちゃいないというのがおかしい。まじめに体調を説明されたりなんかしたら引かれちゃうんだそうだ。

青井アナが、映画 "Juno" (バーガーホン欲しい) のエレン・ペイジにインタビューして、イマドキの女の子の言葉を仕入れてきて披露していた。"slutty"って言葉なんだけど、何にでも使う、って言ってて、美味しいハンバーガーに対しても使うって言ってたので「イケル」とかそんな感じかなと思ってたら、そこに集まっていたネイティブのみなさんは一様に「え〜」って感じの反応だった。若い子は反対の表現を使いたがるので、"nasty" とか日本語で「ヤバい」みたいな感じなんだろうって言ってたけど、そこにいた人達にはまだちょっと受入れ難い表現みたい。"bad" (マイケル・ジャクソン) もそんな感じだけどもう死語だそうだ (そういえば "nasty" はジャネット・ジャクソンだね)。ほかに"naughty"とかあげていた。
逆に日英で共通する傾向のことも話していて、これは興味深かったな。文の途中で語尾あげって最近日本語で多くて私は抵抗があるのだけど、英語でもそんな使い方をするそうだ。英語でも反応を読みながらしゃべるんだね。同様に日本語の「とか弁」にあたる "and stuff" や "something like that" を使うようになってきてるって言ってた。

でもそこに集まってた英語ネイティブの皆さんも、日本語も不自由なくしゃべれる人ばかりなので、日本語に染まっちゃったところがあるかもしれないね。
再放送は6月12日(木)深夜3:10〜、6月13日(金)午後3:15〜。Stay tuned! (ってここNHKじゃないし)

その後NHK教育でチャロってやってるから見てね!と言われて見た。そしてその次も英語番組だったよ。

2008/06/09

「スクラッチから」って使います?

おはようございます。今日は宝くじの話ではありません。
Joel on Software

Joel on Softwareを読んでいたら、「あなたが絶対にすべきでないこと PART I」に「プログラムをスクラッチから書き直す」という表現が出てきました。

「スクラッチから」という表現は、コンピュータ業界で使う人が多いのを知っているのですが、ちゃんとした書籍では始めてみたような気がします。

辞書 (goo 辞書 三省堂EXCEED 英和辞典) では、
from scratch ゼロから, 初めから.

と載っていて、私も聞いたことはあるし意味も知っているのですが、日本語で「スクラッチから」と言われるとすごく違和感があります。最近は慣れましたが。

コンピュータ業界でない人にはどれくらい受入れられているのでしょうかね。英語圏で長く生活した人は、コンピュータ業界の人でなくとも使っているかもしれませんね。
みなさん、いかがでしょう。

2008/03/13

コンピュータイリラリッ?

コニャニャチワ。って実は夜だったのだ。天才バカボンのパパなのだ(ウソ)。

英会話スクールGABAが配信しているPodcastでこんな会話がありました。

MC: 私パソコンが苦手なんですよ。
英会話教師: So did you say you're コンピュータイリラリッ?
MC: What?

私も「ラリラリッて何?」って思いましたよ。

computer illiterate = コンピュータ音痴

だそうですよ。「コンピュータリテラシ」という言葉は使うのにね。こんな発音だったんですね。ってテキストで示されても分らないか。

ダウンロード → vol97.m4v (7分過ぎに出てきます)
PodcastのRSSはここ → RSS

それ以外に「〜 音痴」という言い方を紹介していました。

運動音痴: athletically challenged
方向音痴: directionally challenged

これは使えそうだね! 日本語での不謹慎なPolitically Correct用法で「ルックスが不自由な」とか「オツムが不自由な」とか言うよな。英語では"aesthetically challenged"とか"intellectually challenged"だな、なんて考えていたら、本当にそれに近い表現が存在するんですね (→ Wikipedia: ポリティカル・コレクトネス)。でも「身長が低い」 → "vertically challenged"て。日本語だと「縦方向に不自由」か。

脱線しました。閑話休題で本題に戻ろうと思いましたが、申し訳ありません、本題ではもう語る話題がありませんでした。

追記: 分裂勘違い君が、『「頭悪い・退屈な・痛い英語」を話さないための7つのテクニック』のひとつとして、"vertically challenged"を例に挙げていた。上記Wikipediaの記述も読んだ上で自己責任でご使用下さい (笑)。

2008/02/16

川上未映子の文体

おはようございます。モーニング娘。です(ウソ)。
先日、芥川賞を受賞した川上未映子さんのインタビュー記事がありました。
特集ワイド:文学と音楽の関係 芥川賞受賞・川上未映子さん (毎日新聞 2008年2月13日 → 魚拓)
ふんふん、文章のリズム感の良さが評価されているのか、音楽との関係ってありそうだね、と思いながら読んでいたのですが、実際の文章を読んで驚いた。
 <それがあんたの信条でしょうが、は、阿呆(あほ)らし、阿呆らしすぎて阿呆らしやの鐘が鳴って鳴りまくって鳴りまくりすぎてごんゆうて落ちてきよるわおまえのド頭に、とか云(い)って、なぜかこのように最後は大阪弁となってしまうこのような別段の取り留めも面白みもなく古臭い会話の記憶だけがどういうわけかここにあるのやから、やはりこれはわたしがかつて実際に見聞きしたことであったのかどうか、さてしかしこれがさっぱり思い出せない。>(「乳(ちち)と卵(らん)」より)
読みにくいよ!
と最初は思ったのですが、今読み返すとそうでもないな。新聞で読んだときは縦書きだったけど、横書きになったら違うのかも。それとも何回か読めば慣れるのか。とすると慣れるとはまるのかも。
句点(「。」)がないことに関しては、
「文章の切り際ですね。『。』(句点)が、音楽の中で見る、私が感じる美しさに相当する部分だと思います。(自分が書く文章の中に)なかなか『。』が出せないのは、それも関係あるかもしれません。音楽は、途中どれだけダラダラダラってなっても、最後にバチンって止まればかっこいい、っていうのがあるんですよ。だから、『。』ってそういうものだ、と思っている部分があるのかもしれない」
と本人の分析があります。
普通は文を長くつなげるよりも、短く切って行った方がリズム感があると言われていると思います。句点をあまり使わない野坂昭如も、読点(「、」)は多く使っていて、読んで行く上でそんなに苦痛ではなかったと思います。
読み返してみると、この川上未映子の文体は句点とか読点とかと言うよりも、繰り返しとか、そこから音が聞こえるような語の選択とかそういったものから来るのかもしれないなと思います。文字をずらずら追って読んだのではダメで、一旦頭の中に入れてもう一度読むと良いのかも。選考委員の言葉からも、そういう点が伺えます。そう言う訳で、最初と印象が違ったのはそういうことだったかと一人で納得しているのでありました。「声に出して読みたい日本語」に加えると良いかもしれません。
特に次の評価が印象に残りました。
文学、音楽、演劇、ダンスなど多くの分野で批評活動をしている佐々木敦さんは「作家は、その人にしかない言葉の使い方や選び方ができるのが一番の才能。『ここでこういう言葉を使うか』というような、ハッとさせられる使い方をするかどうかが、文学と、文学でないものを隔てる」と指摘する。その上で、川上さんの作品を「言葉に力がある。それが彼女の才能であり、あらすじの説明では出てこない」と言う。
文学を世界観やストーリーではなく文体で見ているんですね。
私も、海老沢泰久や沢木耕太郎など、文体が好きな作家がいるのですが、それにしてもストーリーを追って読んでいる訳で、文体は二次的なものと思っていました。絵画では印象派とかキュビズムとかスタイルが鑑賞の対象になるのに対して、文学では絵画ほどスタイルを取りざたされることはないと思います。芸術学部では絵画や彫刻のテクニックを教えているのに対して、文学部ではどんなことを教えているんだろうか。
日本語とリズムと言う点では、最近の日本語ラップの韻の踏み方は昔に比べて進化しているように思います。Miss Mondayを聴いていてそう思いました。それから、浅井健一。UAが「日本語の歌詞は音楽の邪魔にしかならず、なるべく邪魔にならないような歌詞にすることを心がけて歌を作っているのだけど、浅井さんの曲は日本語が邪魔になっておらず音楽になっている」というようなことを言っていて、それは私には実感できなかったのだけど、その後浅井健一のことが気になっています。
最後は脱線しちゃいましたが、久しぶりに文体のことについて考えさせられました。

2007/12/07

「本当にありがとうございました」って言葉 ...

... いやもちろん知っているし使ってもいるのだけれど。
はてブで人気エントリーにあがっていたこの記事
はてな匿名ダイアリー「ある日女性専用車両に乗ってたら」
読んでほのぼのさせてもらったのだけど、この中で、
どう見てもオタです本当にありがとうございました
って表現、なんだこれ?と思った。
よく見るとリンクがついているじゃないですか。リンクをたどると、「本当にありがとうございました」で検索されて、そういう表現がわらわら出てきた。
どうみても確信犯です。本当にありがとうございました
どうみてもうわばみです。本当にありがとうございました。
どう見ても陰謀論です本当にありがとうございました
どう見ても童貞だとバレバレです、本当にありがとうございました。
どう考えても二浪です。本当にありがとうございました。
どうみてもDVD販売目的です。本当にありがとうございました。
スッキリしたかったのに何故か今ではどう見ても鬱状態です。本当にありがとうございました。
...
どうみても「ありがたい」と思ってません。本当にありがとうございました。
って早速使ってみたくなった。thessalonike4氏も指摘されているが、流行語大賞は、それ以外に使いようのない固有名ではなく、こんな応用の効く言葉にしてほしい。
[流行語大賞に関しては、以前書いた。→ 「流行語大賞」]
はてな村の言語感覚おもしろいな。2ch語にも魅力のある表現が多いが、それよりもこっちに惹かれてしまいます。

2007/12/06

Will と be going to の使い分け

両方とも将来のことをいうときに使うのだけれど
be going to ... 発話する前から計画していた時
will ... 発話のそのときにやると決めた時
と使い分けるそうだ。
BBC Leaning English - Grammar Challenge というPodcast で初めて知りました。サイトはここ → "Will & going to"
先週は、過去の出来事でも、聞き手にとって「新情報」ならば現在完了を使う、っていってた。最初の文でその事実を伝えたら、その後は過去形を使う。なるほどー。
"The President has just quit! He left his office a few minutes ago for the last time. It was a complete surprise to all of his staff."