2023/04/21

ChatGPTに南京事件について聞いてみた

 ChatGPTは知らないことでも答えてくれる。その場合、ウソも混じっているというより、基本うそばっかりだ。→ うえぶろぐ.info BizTech ChatGPTで遊ぶ (1) エゴサーチ

でもよく知られていることの場合はウソはないのではなかろうか。

試してみた。

Q: 南京事件での犠牲者数はどれくらいでしょうか。エビデンスを含めて示してください。

ChatGPT:

南京事件(1937年の日中戦争中の南京市での大量虐殺)における犠牲者数については、正確な数字は不明であり、歴史的な議論が続いています。しかしながら、一部の研究者は、数十万人の民間人が殺害されたと推定しています。

以下に、南京事件に関するいくつかの研究と推定される犠牲者数を示します。

  • 国際連合調査団の報告書(1945年)によると、南京市内およびその周辺地域で20万人から30万人の中国人が殺害されたとされています。
  • 中国人民解放軍南京解放紀念館は、南京事件で30万人以上の民間人が殺害されたとしています。
  • 日本の外務省が発行した調査報告書(1946年)では、死者数は13万人から20万人であるとされています。
  • 日本人歴史家の松本健一は、南京市内で死者10万人、市外でも同様に10万人以上が殺害されたという推定を行っています。

犠牲者数に関しては、証拠や主張が異なることから、確定的な数字を示すことは困難です。ただし、南京事件は多数の民間人の殺害、強姦、略奪などの戦争犯罪が行われたことが証言や記録から明らかになっており、重大な事件であることは否定できません。

「確定的な数字を示すことは困難、だが、多数の民間人の殺害、強姦、略奪などの戦争犯罪が行われたことが証言や記録から明らか」と、穏当な書き方になっている。とはいえ細かいところはどうだろうか。

  • 国際連合調査団の報告書(1945年)→ そんな調査団はなさそう
  • 南京解放紀念館 → 30万人と言っているという記述自体は正しそう (Wikipedia 「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」によれば「紀念館の館長は、30万人という数字は、南京に至るまで日本軍が戦争しながら殺害した人を含めた数字であり、南京市内にいなかった人を含む数字であると説明した」とある)
  • 外務省が発行した調査報告書(1946年)→ 確認できなかった
  • 日本人歴史家の松本健一 → Wikipediaの記述 「南京事件」に、以下のような参考文献があった
    秦郁彦、東中野修道、松本健一「決定版「南京事件」最新報告は「捕虜処断」をどう見るか」『諸君!』 2001年2月号,pp128-144.
    「諸君!」だからこんな多い数字だ出るはずがないと思ったが、その内容を記載したと思われるページを見ると、松本は『中国人にとって、「大虐殺」というのは、「大量の人々が惨たらしく殺された」というほどの意味であって。人数が三千であろうが、三十万であろうが、「大虐殺」にかわりはないわけです』と発言しており、また、『一方では、一九三六年に南京市が正式に行った人口調査では百二万という数字が出ていて、南京戦後の一九三八年の八月の調査で三十万八千となっている。この二つの数字は公的なもので信憑性が高いのですが、この間の七十万の人口減をとらえて、逃亡を別にして、二十万、三十万の虐殺があったと主張する推論もありうるわけです』と、むしろ「無かった」説に反論する立場をとっている。
この松本健一の南京事件に関する発言を探す中で、こんな本が出ていることも知った。

もう一度ChatGPTに聞いてみます。

Q: 南京事件は本当はなかったんじゃないでしょうか。そういう主張を多く見ます。

ChatGPT:

南京事件の存在について疑問視する主張が存在することは事実ですが、歴史的な事実や証拠から見ると、南京事件が実際に起きたことは確かです。

南京事件は、1937年に日本軍が占領した南京市で、多数の中国人が殺害、強姦、略奪などの戦争犯罪を受けたとされています。この事件は、戦時下における多数の目撃者、生存者、日本兵や外国人の証言、報道、写真、映像、文書、国際社会の報告書などによって裏付けられています。

例えば、南京事件を目撃した中国人や外国人の証言や報告書は、多数存在しています。また、南京事件についての証言や報道は、当時の日本の新聞や雑誌、海外メディアにも掲載されており、それらは今でもアーカイブされています。さらに、南京事件についての写真や映像も多数残されており、それらは現在でも確認することができます。

このように、南京事件は多数の証言、報告書、写真、映像などから確認される、歴史的な事実です。そのため、南京事件が存在しなかったと主張することは、証拠や事実を無視した、否定的な主張であると言えます。

エビデンスを求めなかったのもあって、ここではきっぱり断言している。「なかった」派の主張を聴くのは時間の無駄という思いさえわいてくる。