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2009/08/10

核兵器のない世界に向けて

こんばんは。

今年も原爆の日が休みだったので、平和祈念式典のテレビ中継を見ていました。

オバマ大統領が、演説で核兵器の削減に関して語ったというのは知っていたのだけれど、ちゃんと聴いてなかった。

テキストはこれ。 CBS News 2009.4.5 Transcript: Obama On Reducing Nuclear Arms 聴きながらテキストを一所懸命追いました。
as the only nuclear power to have used a nuclear weapon, the United States has a moral responsibility to act.
ふむふむ、ここが道義的責任に触れたところか。 そして、核兵器のない平和で安全な世界を追求するコミットメント
So today, I state clearly and with conviction America's commitment to seek the peace and security of a world without nuclear weapons. (Applause.)
私からも拍手。 オバマの評価できるところは、現実主義者でもあるところだ。
I'm not naive. This goal will not be reached quickly -- perhaps not in my lifetime. It will take patience and persistence. But now we, too, must ignore the voices who tell us that the world cannot change. We have to insist, "Yes, we can." (Applause.)
すぐにできるとは私も思っていない。スタートラインとしてこれで十分だ。大事なのはこの意志を育てて行くことだろう。仲間を増やして行く。皆が同じ意志をもったとき、世界は変わるだろう。
I hope someday you'll join us And the world will live as one
これ自体は理想主義的な言葉だけど、理想を求める仲間を増やして行くことは現実的な目標だ。現実主義というのは現状に甘んじることじゃない。 具体的な施策も重要だ。 1) 米国が核兵器を削減し、他国にも同様に迫る。(単独で減らす訳ではない) 2) NPTを強化する。強制力を持たせる。一方、国際燃料銀行などで平和利用を推進する。 3) テロリストに核が渡らないようにする。狙われやすい核物質を4年以内にセキュアに管理する国際的な取り組みを始める。 追記: なんだ日本語訳あったんだ。 在日米国大使館: バラク・オバマ大統領のフラチャニ広場(プラハ)での演説

2007/08/13

原爆に対する温度差

おはようございます。今年は原爆について書いておかないとという気になっています。

ちょっと前になりますが、毎日新聞で、原爆に対する日米の認識の「溝」に焦点をあてた連載がありました。

A−Bomb:/上 ニュージーランド人記者が見たナガサキ (2007年7月17日 東京夕刊 → 魚拓)
A−Bomb:/中 英国人記者が見たヒロシマ (2007年7月18日 東京夕刊 → 魚拓 )
A−Bomb:/下 ロサンゼルス支局記者が見たアメリカ (2007年7月19日 東京夕刊 → 魚拓)

特に3番目の記事には、絶望の中にも光明が見える。反・核兵器の姿勢をとる人が若い人のほうで多くなってきていると言う。またマスコミも「国益」という観点からではあるが、核兵器使用に批判的な論説が出てきているという。

ここでは被爆国日本とそれ以外の国の温度差を見ているのだが、日本国内でもヒロシマ・ナガサキとそれ以外の地域で温度差があるのだと思う。それに気づかされたのは核武装論議の是非が話題になったときだ。長崎で育った人間としては、Noという結論が見えている議論に思えたのだが、どうもその前提が共有できていないことが分った。

小学校では夏休みの間に登校日というものが2、3回あるのだが、長崎ではそのうち1日は8月9日に設定されていた。昔はそれが日曜日でも登校日になっていたはず (私は日曜にあたった記憶はない) で、ある年から日曜の場合は変更になることが風化を助長すると議論になった。宿題ブック「夏休みの友」にもその日は原爆がテーマになっていた。

毎年そのような教育を受けていれば、自ずと原爆が何か、他の兵器とどう違うのかは身にしみてわかる。麻生外務大臣も、子供の頃からそんな教育が必要だったのではないか。今からでも遅くないから勉強し直して来い。

高校生平和大使

こんにちは。帰省中、父から「高校生平和大使」に関する本をもらいました。

高校生平和大使 ー ビリョクだけどムリョクじゃない! (監修: 高校生1万人署名活動実行委員会)

高校生平和大使は、高校生の代表が国連へ行って平和を訴えるもの。1998年から始まって今年で10年目になるそうだ。第4回からは1万人署名活動を始め、署名を携えて国連に行っている。また、今年から新たな取り組みとして世界の195カ国/地域の指導者に向けて核兵器廃絶を訴える英文の手紙を出した。災害の被災地へ支援物資を送ること、各種団体から呼ばれ経験を話すことなど、活動はどんどん広がっている。

初めは長崎の高校生2人または3人だったのが、被爆60年にあたる2005年第8回からは全国から募集して、5名になった。長崎県内から35人が集まって選考会を行い、県外からは作文で選考するのだがそれも90通集まったそうだ。

選ばれたらそれでOKというのではなく、国連軍縮局部長の前でスピーチするための練習もある。最初はキャピキャピしていた高校生も、だんだん顔つきが変わってくるという。

3年前私は、「語り継ぐ意志」
自分でもびっくりするくらい、戦争の悲惨さ、核兵器の悲惨さよりも、未来の希望、それを若い人たちが受け継ぐというところが、私の琴線に触れていることがわかります。
...
こういう若い人が増えてくれることが、地球にとっての唯一の望みのように思えてきます。

と書いた。この時には知らなかったけれども、高校生平和大使のような活動が芽生え育っていたんだ。これらがずっと続いてほしいし、またこの卒業生がふえることで、平和の声を広がっていって欲しいと思う。

関連情報(原水禁ニュース)

長崎発・高校生の平和活動 (2004年)
「第8回高校生平和大使」 国連へ核兵器廃絶の署名を提出 (2005年)
《高校生平和大使》10年目の取り組み (2007年)

2007/08/12

62年目の夏、長崎原爆慰霊祭

こんにちは。長崎より関東の方が暑い気がします。夜は確実にこちらが暑く寝苦しいです。



今年の夏休みは自転車旅行はお休みして、3年ぶりに長崎に帰省してきました。3年前初めて長崎原爆慰霊祭(正しくは「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」でした。このあと全部「平和祈念式典」に修正)に参列したのですが(「語り継ぐ意志」)、今年も参列してきました。

政府は被爆国の自覚を 62回目の長崎原爆の日 (長崎新聞 ナガサキ・ピースサイト)

田上新市長にとって初めての平和祈念式典です。また、安倍首相にとっても最初の平和祈念式典での挨拶の年になります。

田上市長による「長崎平和宣言」 (内容自体は起草委員会によるもの)は、3年前のもののように全世界に訴えかけるものとは異なりますが、ロジカルに戦略的に核廃絶をめざす道を、特に国に向けて訴えており、これはこれで意味のあるものと思いました。核武装論議、久間発言など、最近の状況に対する懸念も押さえられいます。

配られた冊子にはことばの解説が含まれています。今回初めて知ったのですが、「非核兵器地帯」というものがあるそうです。
特定の地域内の国が核兵器の生産、取得、保有、配備などをすることを禁止するとともに、核保有国がその地域に核攻撃をしないと約束した「核兵器のない地帯」のことを意味します。

特にモンゴルは、既に1998年にその地位を得ているとのこと。
モンゴルは、1992年(平成4年)の国連総会において、一国非核の地位を宣言し、核保有国に対して、非核の地位を尊重し安全保障を供与するよう求めました。これを受けて、1998年(平成10年)の国連総会で決議が採択され、一国非核の地位が確認されています。

日本こそこういう取り組みをしないといけないと思いますし、第一号の座を逃したとしてもすぐに続くべきだと思いました。

「今回初めて知った」と書きましたが、実は3年前の平和宣言の解説の中にも含まれていました。ただそれが、日本と韓国と北朝鮮の3か国を「非核兵器地帯」にしようとするという「北東アジア非核兵器地帯構想」の中に記載されていたので、実現性のかけらもないものとしてまともに読んでなかったのでした。

なお、モンゴルの「一国非核の地位」に関しては、ぶんさんのブログの「モンゴルをもっと知ろう!」に背景を含め記載されており、参考になります。

被爆者代表による「平和への誓い」は、感情の込め方がちょっと過ぎるなと私は感じたのですが、娘は泣きそうになったと後で言っていました。それだけでも子ども達を連れて行って良かったと思います。

さて、安倍首相の挨拶ですが、3年前の小泉首相の挨拶が心のこもっていないとおりいっぺんの挨拶だったので、正直あまり期待していませんでした。むしろ安倍首相は改憲を政策の柱としており、その点をこの挨拶でどのような扱いで含ませるのかという点に注目していたのです。しかし、意外にもこれまでの主張を翻し、憲法遵守の立場を宣言しました(参照)。また、「国連総会への核軍縮決議案の提出」など、積極的に核軍縮へのリーダーシップをとることを明言しました。

私は、これまで安倍首相に対しては批判的でしたが、この方針転換が本当ならば安倍首相支持にまわろうと思います。今後継続してウォッチしていく必要があるでしょう。

瀬戸智子さんも、「62年目の長崎」で、この発言を評価されています。ただし、この発言が国内向けのみの発言でないことを釘をさしておられますが。



長崎の夏は暑い。平和祈念式典では、冷たいお茶と凍らせたおしぼりを参列者に配ってくれ、助かります。配っているのは高校生くらいのボランティアの人達。救護所の人々、警備の人々などを含め、式典が多くの人に支えられていることを実感しました。

2007/07/07

やっぱり、しょうがない

おはようございます。

先日の「しょうがない」は、私にしては核兵器廃絶に対して消極的な意見のように見えるかもしれませんが、今後が大事ということが私のスタンスです。

らふぃさんの「それでいいのか」で、米国特使の原爆投下正当化発言に対して日本政府が抗議しない、ということを知りました。

米特使、「原爆使用が何百万人もの日本人の命救った」 (asahi.com 2007年07月04日 → 魚拓)
「原爆正当化、抗議せず」と官房長官 米特使発言 (asahi.com 2007年07月06日 → 魚拓 - いつも毎日新聞使ってるのですが載ってないみたい)
塩崎官房長官は5日の記者会見で、米政府のロバート・ジョセフ核不拡散問題特使が広島、長崎への原爆投下を正当化する発言をしたことについて、「発言の性格は個人的に行ったものだと聞いている」と述べ、日本政府として抗議しない考えを示した。

らふぃさんの記事に対する私のコメント。
国内に対しては原爆投下を容認で責任を問う一方で、加害者側の正当化にはスルーですか。こちらのほうこそ強く抗議しなければいけないのに、それは結局「しょうがない」と思っていることを露呈していると言わざるを得ません。

内弁慶にも程がある、ってこった。

政府もマスコミも結局「アメリカじゃあしょうがない」と思っている。それが、前回書いた、
しかし、「しょうがない」は今も続いている。

悲観的なトーンが強かったですね。

関連記事があります。

きっこのブログ 2007.07.05 ジョセフ発言に文句が言えない腰抜け総理
きっこのブログ 2007.07.06 どこまでも卑屈なアベ内閣
-- ジョセフ発言とそれに対する官房長官の発言に関して。久間辞任会見に関しての記事もある。
天木直人のブログ 2007.07.05 ジョセフ核軍縮担当米国特使の発言と日本政府の対応の甘さ
-- きっこのブログでリンクされていたもの。
長崎新聞 2007.07.06 米特使が原爆正当化 「被爆の実相見るべき」と県民
-- 長崎の反応を伝えている。
AFPBB News 2007年07月05日 米高官の原爆発言に日本政府は不快感
-- 安倍首相が「原爆を許すことはできない」との自身の見解を明らかにした。

最後の記事、ここだけ「安倍首相がジョセフ特使の発言に不快感を示した」ってことになってるんですが、一般論を述べただけの感じだなあ。で、記者会見だけですか。やっぱり内弁慶ですか。

さて、らふぃさんの記事はここがメインじゃありません。らいふぃさんの主張は、「日本は世界の平和のリーダーシップをとれ」です。
核をめぐる外交思想・平和哲学の面で国際的なリーダーシップをとることを、何よりもその被爆の経験からかつて期待されていたのは日本だったのではないでしょうか。非核・非武装を国是に掲げながら、被爆による反核思想を感情論として片付け、客観的な外交哲学と政策による理論付けを怠って来た日本の、政府、官僚、メディア、研究者、それらすべての怠慢(或いは無能)のつけが表面化しようとしているように思えます。

私も日本が世界の平和の目標とされるべき考えてきました (「日本良い国 清い国」など -- 世界征服宣言じゃないぞ)。

らふぃさんは、それだけではなく、感情論だけでなく、思想面/哲学面で論理構築を行うべきとおっしゃっている訳です。私もずっと日本の戦略の欠如を憂いてきました (「環境/ビジネス/カルチャー」 -- これは主に地球環境保護のための戦略に関してですが)。らふぃさんのような人が日本のリーダーとなってくれれば、少なくともブレーンに入ってくれればと思うのだ (って心酔し過ぎですか?)。

2005/08/06

語り継ぐ夏 '05

こんばんは。今日は涼しかったですね。え〜なんて反論しないで、そういわせて下さいよ。

毎年夏になると、新聞やTVで平和に関する特集が組まれます。今年は戦後60年ということではやい時期から特集が組まれていたので、そういう感覚はすくないかもしれませんが、なんで夏だけという感じはあるかと思います。

でもね、1年中将軍様やテロや内戦や人権運動の弾圧等のニュースが流れていると、戦争も仕方ないのかと思えてくる。なぜ戦争は避けたいのか、避けなければいけないのかを、忘れないようにしないといけないと思うのです。語り継がれた人により、語り継ぐ意志が継続される。少なくとも長崎では、語り継ぐ意志をもたないと、語り継ぐ意志が弱いと市長になれない (「長崎市長という仕事」)。それが長崎市民の語り継ぐ意志だろう。

昨年は長崎の平和祈念式典に参列してきました。今年はここ関東で平和のこと、平和を守るために何をしなければならないのかを考えていたいと思います。とはいえ、新聞記事やTV特番を追いきれてませんが。

ナガサキ・ピース・サイト
NHK 平和巡礼2005
元ちとせ「死んだ女の子」(坂本龍一アレンジ・プロデュース)
-- 正直いってあまり心に響かなかったな。

コメント
 Commented by rkya at 2005-08-07 08:44 x
スケールが大きくなりすぎるとピンと来なくなってしまうので、
60年というのにこだわりすぎないで欲しいな、ってのもありますが、
中国や韓国のように恨みつらみじゃなく、未来の平和の為に
戦争や核兵器の悲惨さを語り継ぎ、考えようという日本の姿勢には
誇りすら感じています。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-08-08 11:02 x
★はるかさん、
おっしゃるとおりです。時代の雰囲気に流されず、ひるまず、誇りを持って平和な世界を先導していく日本であって欲しいと思います。

 Commented by n_ayada at 2005-08-08 22:57 x
戻ってきました。
この度、新しいブログを立ち上げました。
まったく勝手が違うので、まだ思うようにいきません。
公開するには自信がありませんが、ぼちぼち手直ししていければと思います。
よろしければ、一度見てやってください。まだ、あいさつ程度しかアップしていませんが。
http://hula.seesaa.net/

2005/06/20

長崎原爆投下1ヵ月後のルポ

こんばんは。「平和への祈り」のカテゴリはひさしぶりになります。

先日毎日新聞に「原爆ルポ 60年ぶり発見」という記事が1面トップになっていました。

毎日新聞2005年6月17日
速報
長崎原爆:米記者のルポ原稿、60年ぶり発見 検閲で没収(写真付)
長崎原爆ルポ:ジョージ・ウェラー記者原稿全文 その1その2その3

毎日新聞2005年6月17日朝刊
1面 長崎原爆: ルポ、60年ぶり発見 米記者「放射線障害」詳述−−GHQ、公表許さず
2面 クローズアップ2005: 長崎原爆ルポ(その1) 当時、公表されていたら…
3面 クローズアップ2005: 長崎原爆ルポ(その2止) 米の戦争報道規制、今も
12面 戦後60年の原点: シリーズ特別編 長崎原爆、幻のルポ(その1) 奪われたペン
13面 戦後60年の原点: シリーズ特別編 長崎原爆、幻のルポ(その2止) 隠された地獄
30面 長崎原爆ルポ: 投下1カ月後に取材受けた元米兵捕虜、記者の忠告鮮明に(その2止)
31面 長崎原爆ルポ: 未知の症状、闘う医師 60年前の凄惨、今に(その1)

毎日新聞2005年6月17日夕刊
長崎原爆ルポ: 反響 「60年の空白」に怒り

長崎に生まれ育って、原爆資料館は何度も行きましたが、外傷がほとんどない状態で人が死んでいくことの悲惨さに関してはあまり伝えられていないように思います。「ガラスびんと一緒に溶けた手」など他の展示の凄惨さに隠れて印象が薄くなっているだけかもしれませんが。むしろ「はだしのゲン」(これも通して読んだことはないのですが) から先に知ったような印象が強い。このウェラー記者のルポは、1ヶ月後であることから、そのなんだか分からない死因の恐怖が伝わってきます。

毎日新聞では報道機関として、戦争報道、検閲に関しても多くの言及があります。
・これが当時アメリカ、全世界の人々の目に触れていたら、核規制の声が強まっていたはず
・ベトナム、湾岸戦争、イラク戦争でどのような規制/検閲が行われたのか

検閲は戦前のことのような印象を受けますが、イラク戦争が行われている (終わったことになってるんでしたっけ) 現在も続いていることが分かります。情報操作に結果的に (または積極的に) 協力していることを自己反省も含め書いています。

原爆に関しては、今も無知と知らせることの拒絶が続いています。米国ではスミソニアン航空宇宙博物館で原爆展を行うことになっていたのが中止に追い込まれたことがありました。「原爆が戦争の終結を早めた」という「意見」をいうのはいい(毎日新聞 2005年6月18日 「原爆開発60年: 米テネシー州で記念行事 譲らぬ「正当化」−−“終結”一役が誇り」)。しかしその前に、原爆投下で起こった「事実」を知ってもらいたい、知った上でその意見言えよ、と思います。

NPT会議が先日何の成果もなく終わりました。核兵器を持つことが特権であって、特権は先進国だけで十分だ、いや開発途上国でも持っているところがあり、先に持ったもの勝ちというのはおかしい、という論点だけが議論されているように見えます。ここで議論している人々にも長崎、広島の原爆資料館に行ってもらいたい (NPT会議にあわせて訪米されたKEN-NYEさんのレポートによると、国連内で原爆展が行われたそうですね)。

また、日本政府自らが核兵器の悲惨さを積極的に伝えてもらいたいと思います。別に日本人が唯一の被害者だということを強調しなくてよいです。人類にとって破滅の恐怖の元であることを伝えてもらいたいと思うのです。

コメント
 Commented by rkya at 2005-06-20 15:31 x
ほんとですね。今回のルポのように闇に葬られた記録があるのは
以前から言われていたことで驚きもしないけれど、どんな国も
核兵器なんて持っていいわけないんだって、ばしっ!と
言えないもんでしょうかねぇ日本政府は。・・・言えないか(-_-)

 Commented by yoshihiroueda at 2005-06-20 23:15 x
★はるかさん、
ばしっ!と言えないかもしれませんが、おずおずとでいいので、「あのー、ちょっと言わせてもらうと(いや断られてもいうつもりなんですけどね)、こんな結果になりますけど」って言うべきなんじゃないかと思います。

2004/08/11

長崎市長という仕事

長崎平和祈念式典に出て、長崎市長は (もちろん広島市長も) 通常の市の運営のほかに、ナガサキの声を伝えるという役割を担う存在なんだということを改めて感じました。選挙でもそういう点が評価されているのだと思います。

長崎新聞に「非核の時代へ =伊藤市政の軌跡=」という連載がありました。

2004年 原爆・平和連載企画

これをみると、高い評価もある一方で多くの批判もあるようですね。私が感動した平和宣言も市長自らの筆によるものではなく、「起草委員会」の手によるものとのこと(広島は市長自ら)。荒削りでも良いので市長としての強い意志が反映されるほうが良いのではないかと思います。

市長と言えば、本島さんのことを思い出さざるを得ません。昭和天皇の戦争責任に関しての言及で自民党の公認を得られず、当時の社会党はこれまで対立候補だった本島さんを支援することを決め、自民党候補を破って当選したのでした。発言自体は至極抑制されたトーンであたりまえのことを述べただけと見えましたが、言及すること自体がタブーだったのでしょう。その中で長崎市長として勇気をもった発言だったのだと思います。

私は長崎市民ではないので選挙権はありませんが、今後も長崎市長は長崎市民の平和への祈りを言葉に変えて世界に主張し続けていただきたいと思います。上記の連載記事の最後のインタビューで、来年の60回平和祈念式典を集大成となるようなものにしたいということが語られています。「被爆者や市民、若い世代はもちろん、平和に貢献してきた内外の方々に参加してもらえるような形」というのに期待しています。私は式典の有効性を疑問視する記述をしましたが、「語り継ぐ」とう点だけでも意義のあるものと思うようになりました。
コメント
jinsei1 の投稿: 2004年8月14日 7:58 AM
何だろな?にコメント、有難うございました。>抵抗の低い水着。いえ、申し訳ない。トラバもさせて頂きました。

jinsei1 の投稿: 2004年8月14日 2:25 PM
有難うございます。(日日更新・行進を、密かに心がけてやってます)常任理事国入りと、九条廃棄とを取引する様な言辞が、あの穏健派と目されていたパウエルからも漏れる昨今。みんなでもっとシッカリ連携して九条は守らねばと思うものです。お互い頑張りましょう。

2004/08/09

語り継ぐ意志

長崎に生まれ、高校まで長崎で過ごしたのですが、生まれて初めて平和祈念式典に参列してきました。

いろいろ考えさせられることの多い体験でした。

・式典の開始まで配られた小冊子を読んでいました。特に伊藤市長による「平和宣言」は、アメリカ市民の皆さん、世界の皆さん、日本政府、若い世代の皆さんへのメッセージで構成されており、それぞれ連帯を求めるものになっています。特に「この若者たちの情熱に希望の光を見いだしています」というところでは、涙が出そうになりました。

・式の進行を高校生男女2名が務めていました。力強くハッキリした口調は頼もしかったのですが、特に最初に「我々が平和への思いを引き継いでいく」(すみません、正確には覚えていません) という意志が示された時には、また涙が出そうになりました。

・式典の最後の方で、「千羽鶴」という歌の合唱がありました。曲や合唱は私の好みではなかったのですが、配られた小冊子の歌詞をみているとまた涙が出そうになりました。鶴を折る際にわき起こる色々な思いを綴ったものですが、特に
未来への希望と夢を
虹色の鶴に折る
というところ。

自分でもびっくりするくらい、戦争の悲惨さ、核兵器の悲惨さよりも、未来の希望、それを若い人たちが受け継ぐというところが、私の琴線に触れていることがわかります。とびげりさんのブログの記事でも「平和は受け継いでゆくから、見守っていてください」とあって、こういう若い人が増えてくれることが、地球にとっての唯一の望みのように思えてきます。

と思う一方で、毎年開催している式典が、世界にどのような影響を与えているのかという無力感も感じます。また、日本政府に対しても同様で、小泉首相の挨拶も表層的にしか聞こえませんでした。もちろんここであまり大きな約束、宣言をする訳に行かないのは分かりますが、「感動した」くらい言って欲しかった。

もとに戻ります。「怒りのヒロシマ、祈りのナガサキ」と言われるようですが、私もその長崎市民のメンタリティを引き継いでいるように思います。しかし、それだけでは世界は変わって行かないと思っています。常に主張を発信し続けないといけないと思います。

戦争をいろいろ理由をつけて正当化しようとする人たちがいます。
たとえノーム・チョムスキーが許しても、このuedaが許しません。

関連リンク:
ナガサキ・ピース・サイト
今後の希望=若い人たち(網羅できないはご容赦ください。決して年齢で選別しているわけではありません):
「灯籠を流しました」(by とびげりさん)
「黙祷。」(by 祥さん)
「きょうは」(by yukiさん)
「合唱」(by 日日光進jinsei1さん): 平和宣言と同様にアメリカ政府ではなくアメリカ市民の皆さんへのメッセージになっています。

コメント 
tobigerihippy の投稿: 2004年8月10日 12:56 AM
こんばんわ、とびげりです。私も、6日〜広島で原爆について勉強して今日関東に帰ってきました。「語り継ぐ意思」とのタイトルですが、私も実際に被爆者の方にお話をお聞きして、「語り継ぐ」必要性、いや『責任』を痛感しました。私達の年代は戦争を知らない世代だから、平和・戦争…偉そうに語ってはいけないんじゃないか?と心のどこかで思っていたんですが、その認識は間違いだったんだ、とはっきりわかりました。実際、被爆者の方は、風化されていく現実に、凄く危機感を持たれていました。私達若い世代は、戦争を語る権利はないかもしれないけど、戦争の悲劇、惨劇を語り、広める責任、義務があるんだと思い直しました。そして、8月6日だけの記念日としてではなく、常にその心を持ち続けること、伝え広げ続けることが大切だと気づきました。まだ、ブログの方には書いていないのですが、広島レポを今週中に書くので、遊びにいらしてくれたら嬉しいです

design-life の投稿: 2004年8月10日 12:59 AM
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PASS:
チョムスキーの著書は僕も読みましたが、同感です。彼は、太平洋戦争が起こった背景を理解していない。当時の世界経済の活動の枠組みから外されたことが、日中戦争や太平洋戦争に繋がっていった訳だけど、侵攻を推進した日本(もしくは暴走を留められなかった当時の政府)の状況を世界が見放した事実を隠していますよね、アメリカって。靖国参拝も堂々とやっても良いと思うし、被爆国として世界世論に訴えてもなんら恥ずかしくないと思うのですよ。アメリカの教科書にどんなにちっちゃく扱われているか、真実を知れば日本の世論が許さないと思うのです。

tobigerihippy の投稿: 2004年8月10日 12:59 AM
連投ですみません。さっき、写真だけの時にコメント書いてしまいました。書き途中だったんですね!!トラックバック、ありがとうございました!

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月10日 1:29 AM
書き終わったと思ったらすぐにみなさんからコメントを頂き、おどろいています。みなさん、ありがとうございました。
★とびげりさん、おっしゃるとおりです。長崎に限らず新聞などでは「風化」は毎年問題にされています。私は被爆者ではないですが、父親が被曝者です(ちょっと字が違います。爆弾投下後すぐに被災地援護活動の任務で長崎に戻ったときいています)ので、本来はいろいろ聞いていないといけないのですが、あまりお互い自分のことを話したがらないし聞きたがらない性格なのでしらないことだらけです。この点反省しないといけないですね。体験の風化は避けられないかもしれませんが、平和への意志は風化を避けさらに強化できると思うのです。それには若い人のなかでその意志のある人を増やして行くことと思います。ナガサキでは、原爆資料館や学校の教育で、その意志を風化させないようにしています。私の小学校のころは、8月9日は夏休み中の登校日に設定してあり、平和を考える日になっていました。

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月10日 1:49 AM
★design-lifeさん、すみません。冗談のつもり*で書いたので、誤解させてしまいました。私はチョムスキーを批判しておらず、むしろ信奉しているといっていいくらいです(言語学以外)。また、design-lifeさんがおっしゃるような批判点を知りません(参照文献等示していただければ幸いです)。チョムスキーの、ジャーナリズムで公開された情報を基に論理を組み立て、矛盾点をつき、ものごとの裏に隠された本音を看破するという、その手法に信奉しています。*冗談: 「たとえXXXが許してもこのuedaが許しません」(XXXには決してそれを許さないであろうと衆目の一致する人名/組織名を入れる)というのを基本フォーマットにしようとしています(昔のテレビ番組のパクリです)が、今回外してしまいましたね。

祥 の投稿: 2004年8月10日 5:42 PM
コメントありがとうございます。俺は今回自分としても意図的にトラックバックを多くの人に飛ばしました。それによって原爆や戦争に対していろいろ考える人が多くいる人を知ると同時に原爆について考える人同士を少しでも繋げることが出来たんじゃないかなと思います。自意識過剰なのかもしれませんが。今の自分にはこのことについて無責任に語り継ぐことの出来るほどの知識や思想がありませんがそこで立ち止まってるだけじゃだめなんじゃないか?と思わされました。知らない、分からないで逃げているだけではいけないんですよね。

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月10日 6:38 PM
祥さん、コメント+TBありがとうございます。> 無責任に語り継ぐことの出来るほどの知識や思想がありませんあまり堅苦しく考えなくて良いと思います。知っていることを話せば、もし聞いている人がそれ以上のことを知っていれば補足してくれますよ。「原爆について考える人同士を少しでも繋げることが出来たんじゃないかなと思います。」とおっしゃっているように、それは知らない人に、この輪の広がりを伝えたんじゃないですか。また、ブログのことを知らない人にも、ブログには同じ想いを持った人々のコミュニティがある、ということを伝えるのもできることのひとつと思います。多くの人が声に出せば変えていける。私はそう思います。

jinsei1 の投稿: 2004年8月14日 3:36 PM
トラバ有難うございます。実は中学時代の恩師が、爆心地近くで疎開住宅の取り壊しに学徒動員されて、ヒロシマのピカにやられた被爆者のお一人です。授業のある日黒板に「怒りの炎を燃やせ」と書かれたのを今でも、鮮やかに思い出します。でも、今はすっかり丸くなられ、呼ばれてはインドへ、パキスタンへ、アメリカへ、あるいは日本の各地へ原爆の悲惨を伝えに、後遺症を押して活躍されています。

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月14日 7:32 PM
★jinsei1さん、その先生はまさに語り継ぐ人なんですね。丸くなられても「怒り」は静かに伝えられているのだと思います。我々もその怒りを横に、次世代に伝えて行かねばならないと思います。