「ファンディングプログラムの運営に資する科学計量学」第2回ワークショップ
主旨引用します。
科学者が政策の現場からエビデンスを求められても、それをシンプルな科学的合意事項として提供することには様々な困難がつきまとうと考えられます。現代の科学技術自体や科学技術を巡る社会・自然の状況を考えれば、エビデンスそのものが複雑になり、すなわち、専門家以外にはなかなか理解しがたいものとなることも避けがたいといえます。このような状況において、政策の現場では、科学的なエビデンス、とりわけ定量的なエビデンスへのニーズは益々高まっており、一連の「科学技術イノベーション政策のための科学」プログラムに脚光があたっております。これはもともと政府の補助金をどのプロジェクトに出すか決定し、理由を示せるようにする、という文脈で始まったものと思っていて、またそれは企業においてどのプロジェクトを進めるかを感ゲル上でも役立つだろうと思って参加のですが、そういうプロジェクトの定量的評価までは至っていなくて計量学という感じにはなっていませんでした。でもそれがかえっておもしろかったと思います。
複雑な状況の中で作られつつある科学的知見を提供する第一線の研究者が見た科学的エビデンスについて学び、さらに議論を進め、政策のためのエビデンスについての理解と対話を共有することを目的とし、本ワークショップを企画いたしました。
むしろ、放射線量の基準妥当なの? とか、地震発生の確率って何? とか、可能性は限りなく低いがゼロとはいえないという科学者よりも、スパッと指針を出してくれるトンデモさんのほうが受けるとか、そういう昨今の話題にマッチしていたように思います。
最初の、江守正多氏による「地球温暖化政策とエビデンス」は、IPCC (気候変動に関する政府間パネル) の役割に関して。そう、二酸化炭素が温暖化を引き起こしている、とか、それは陰謀だ、とかいう話につながる話です。
IPCCは政策を決めるところではなく、政策決定のためのエビデンス (証拠というか科学的裏付け) を提供する役割を担っているところということでした。政策決定はCOPが行います。
恣意性を避け、透明性を上げるために、一次草稿のレビュー、二次草稿のレビュー、最終草稿のレビューを行います。一文単位で合意を決めて行きます。レビューコメントひとつひとつに回答を行ってそれも公開するそうです。
IPCCの報告書にはエビデンスだけということで、「気温上昇を2度以下に抑えるためには、CO2排出量を1990年比25%~40%減にしなければならない、4度以下に抑えるためには ...」というような書き方になります。そう書いても、IPCCの報告書が「CO2排出量を1990年比25%~40%減にしなければならない」と書いたようにCOP合意で記載されそうになったので、前提を記載するよう文言修正を要求し変えてもらったと言うことでした。報告書出しただけでは終らないんですね。
牧野淳一郎の「スパコン開発とエビデンス」もちょっと前に話題になった「京」に関することです。「京」は世界一にはなった訳ですが、プロジェクトとしての成功はまだ終っていません。世界一をとることが目標ではなく、そのコンピュータを役に立てることが本来の目標であるべきですから。「べき」と書いたのはそのプロジェクトの目的目標も明確ではないらしい、それは失敗プロジェクトの共通の特徴、ということで牧野氏は「失敗」という断定を避けながらも、このプロジェクトの問題点を語ります。私が特に気になったのは、官僚主導ということでした。官僚が専門家委員会を選ぶが選ぶ専門家によって結論はだいたい見えてくる。官僚は中身には詳しくなく、また2-3年で異動するため専門的知識をつける前にその部門を去ってしまう ...
藤垣裕子さんのコメント "「数量化、政策のための定量化」の陥穽~ポーターの「数値への信頼」より" も興味深い内容でした。現在ポーターの「数値への信頼」という本を翻訳しているそうですが、そこからの教訓を話していただきました。民主主義の世界になって、何かが問題であり替えなければならないと言うためには、裏付けとなるデータが必要になるが、データを集めるためにも権力が必要になる (インターネットの時代になって変わって来たところではあるだろうけど)、データを収集するだけで人の行動を変容させる、そのデータ自体が権力を持ち始める (例えばデータにより正常と異常に分ける言葉が定義される)。一方でそれでもデータによる定量化は、距離を越える技術になる (グローバルに適用できる指標になる) というところがポイントのようです。
という訳で、期待とは違っていたけれど、期待とは違う収穫が得られた半日でした。
追記: 資料はここで公開されています (しのはらさんサンキュー)。→ 第二回ワークショップ報告