2018/01/17

災害とアート

阪神淡路大震災から23年。

昨日1月16日、森美術館で行なわれた「カタストロフと美術のちから展」プレ・ディスカッション・シリーズ 第3回「阪神・淡路大震災から20余年:体験とその継承」を聴きに行きました。

3回目なんですね。2回目は行けなかったけど、1回目はいつあったんだ? と思ったら2016年の3月にあった「大惨事におけるアートの可能性」で、これには出ていたのでした。

今回の第一部は3人の方のプレゼンがありました。

甲南女子大学文学部メデイア表現学科教授 河﨑晃一氏
兵庫県立美術館学芸員 江上ゆか氏
アーティスト 平川恒太氏

河﨑氏は、震災当日、芦屋市立美術博物館の職員でした。自宅をある程度片付けたら、午前中には美術博物館に出勤し、被災した収蔵物の片付けに当たります。その後2月8日には文化庁から「文化財レスキュー隊」の打診があり、中山岩太写真スタジオ、大橋了介宅から資料搬出など行います。

2000年に行なわれた「震災と美術」展のお話がありました。堀尾貞治氏が被災地をスケッチした作品が印象的でした。

河﨑氏は、「美術がなんの役に立つのか」ということを、皆が、そしてアーティストも考えたと語ります。パフォーマンスや音楽のように即効性のあるものと違って、アートは記憶を担うものと考えているとのことでした。

江上氏は、主にその後に開いた美術展の話が中心です。まずは河﨑氏も触れた5年目2000年の「震災と美術」展です。これは震災を直接に扱ったものと限定する一方で、プロのアーティストだけでなく、絵本や子どもの絵を含み、幅広く紹介していました。作らずにはいられなかった状況を伝えることを狙いとしていました。

特に印象に残ったのは「5年目だからできた展覧会」というところです。それ以降になると記憶が薄れてくる。その前だと心の傷がまだ大きく、皆がまだ向き合う準備ができていない。

10年目は「再生」をテーマにした公募展と記念事業。20年目の2015年には展覧会「阪神・淡路大震災から20年」に合わせて、阪神間の美術館、ギャラリーなどで、全9回のリレートークを行なったということです。
アートアニュアルオンライン 2015年01月16日 阪神・淡路大震災から20年 ―江上ゆか(兵庫県立美術館学芸員)

この9館のうち半数以上は震災後に作られたもの、またその職員の多くが震災時にいなかった人も多いと江上氏は語ります。そのような当事者ではない人がこのような企画を行うことには抵抗があったそうです。その中で詩人の季村敏男氏の「死者こそ当事者、それ以外の人は当事者ではありえない」という言葉がありました。当事者が亡くなっているのならじゃあ誰が伝えるのか、ということを考えたら、自分たちが伝えるほかにありません。また、もっと死に直面した人でも、その直後のままではなく、人はだんだん変わって行かざるを得ないといこともあります。

もう一つ心に残ったのは、展覧会のアンケートに、感想ではなく、自分の当日の体験をぎっしり書いてくれた人がいたということです。その人は多分今までそれは自分の心にしまっていたのでしょう。江上氏は「心のふたを開いてしまった」とおっしゃっていました。

平川恒太氏は、「記憶のケイショウ」というタイトルでお話をされました。カタカナの「ケイショウ」は、「継承」であり、「形象」、「警鐘」でもあります。

彼の作品に、藤田嗣治などの戦争画を黒一色で描いたTrinititeというシリーズがあります。トリニタイトは原爆実験によってできた人工鉱物です。戦争画であること、黒一色で塗りつぶされたように見えること、画材は原爆の副産物、ということで多重の意味を持っています。

第2部は、インディペンデントキュレーターの長谷川新氏と森美術館の近藤氏を加えたパネルディスカッションです。色々な話題が出ましたが、阪神淡路大震災のこの年は「ボランティア元年」と言われるだけでなく、住民が芸術の制作に関わる動き、芸術祭の取り組みの始まりでもあったということが印象に残りました。

というのは、アートの役割として、記録・記憶だけではなく、アートを作ることによる心の癒し、再生・創造を担う役割があるのではないかということを質問しようと思っていたからです。東日本大震災では、遠藤一郎氏の「未来へ号」、Chim↑Pom の「気合い100連発」、蔡國強のいわき回廊美術館での花火パフォーマンス、キュンチョメが帰宅困難者のお年寄りと一緒にPhotoshopでバリケードを消していく作品があった。阪神淡路大震災の時はそういう取り組みはあったのか。


ウソをつくった話 The Story of Making Lies (2015) Short version

"KI-AI 100" by Chim ↑ Pom - YouTube

その答えの一つが「住民が芸術の制作に関わる動き」であったと思います。また、河﨑氏の話の中にも、復興住宅の前の広場をアート作品にした話がありました。それ以外はあまり大きな動きはなかったようだ。大きく違うのは、そこに多くのアーティストが住んでいて、アーティスト自体も被災者だということでしょう。また周りの人も必死で生きようとしている中、アートだ! と花火をあげるのも難しかっただろうということは想像に難くありません。

次の第4回は3月11日に予定されているそうです。次回も参加したいと思います。

参考
artscape (2018/1/15) ディアスポラ・ナウ!~故郷(ワタン)をめぐる現代美術
  -- キュンチョメ作品に言及があります。

追記
震災ということで、巨大クリスマスツリーの話題もちょっとだけでした。このプロジェクトに対する批判は置いておいて、今回、震災に関して口をつぐむ傾向があった被災者の人たちが直接にNo! の声をあげたのは今回が初めてと言っていいとのことでした。

Buzzap (2017/11/20) 神戸市の樹齢150年のあすなろを使った「世界一のクリスマスツリーProject」が醜悪すぎると話題に

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