以前書いた「みんなソニーが大好き」は、ソニー部外者からの愛を感じて書いたものだったけれど、もちろん社内の人の方が愛は強いだろう。そしてここに集まって来ている人たちは、ソニーを愛しながらも、もしかしたらその愛の強さ故に去らざるを得なかった人たちとえるのではなかろうか。いわばソニーに片思いし続けた人たち。
この特集の中に、1969年のソニーの求人広告 "「出るクイ」を求む! 英語でタンカの切れる日本人を求む" が出ている。そういう人たちが集まってできた会社。しかしソニーは次第に変わってくる。
「みんなソニーが大好き」 で書いた中に、クリステンセンの「マーケティング部門が市場分析を重視するようになったため、ソニーは破壊的技術を創り出せなくなったのである」というのがあった。私は、"市場調査で分かるのは、「今よりちょっとだけいいもの」なのです。"と書いた。そのときは知らなかったけど、ヘンリー・フォードが「もし私が顧客に彼らの望むものを聞いていたら、彼らはもっと速い馬が欲しいと答えていただろう」と言っていたんだね。
週刊ダイヤモンドでも本社機構の肥大を問題にしている。ハルトムット・エスリンガー 「デザインイノベーション デザイン戦略の次の一手」 にもソニーのことが書いてあった。出井さんは巨大企業に必要なビジョンを出せなかったという評価。
しかし今のソニーは、1945年に東京通信研究所を立ち上げた井深大が、盛田昭夫とともに会社を興したころとは、大きく異なっている。井深と盛田が第一線を退いて、老い、やがてこの世を去ったとき、ソニーが失ったものは創業者だけではなかった。そのときに会社の魂も失われた。私は外から見ていて、出井さんは、ハードとソフトとネットの統合というビジョンを出しているんだなと感じたけど、きっと整合を持った形でビジョンをインプリメントできなかったんだと思う。どこで読んだかわすれたけれど、ソニーの技術者は、彼のような技術出身でない経営層を「文官」と呼んでいるそうだ。自分達は「武官」。出井さんは武官の心をつかめなかったのだろうね。土井利忠さんがソニーの技術者から愛されていると感じた (以前の記事) が、それと対照的なのではないかな。いやここはあくまで外部からの見方ですが。
'グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた' の著者 辻野晃一郎さんも出てくる。辻野さんへのインタビューの中で、同じくソニーを辞めた知人の言葉を紹介している。
「辻野さん、ソニーって会社の名前じゃなくて、生き方ですよね」こういう言葉には心動かされる。
他にもソニーの生き方を志した人の話が出てくる。2005年にソニーの若手社員だった三根さんは、Googleを訪問して「ここは21世紀のソニーだ」と思ったそうだ。三根さんの入社は2001年以降で、その時代にはソニーは変わって行っているころだと思うけど、ソニースピリッツというものは残っていたんだろう。
この記事の中には希望も見いだせる。今でもソニーには、出る杭や、出る杭を目指す人材が集まって来ることだそうだ。大事にして欲しいと思う。
他にもソニーに関して書いた記事があります。
ソニー製品しか買わない (2005年3月21日)
Tokyo Designer's Weekに行って来た (2005年11月10日)