ジョギング渡り鳥
監督:鈴木卓爾
主演:中川ゆかり
2016 年 3月19日 新宿 K's cinemaにて公開
主演の中川ゆかりさんが、横浜トリエンナーレサポーター活動のゲストトーク「目に見えない『空気』を見る、撮る、観る。」のアシスタントとして参加されたのがきっかけで知ることになったこの作品。インディーズ作品で、普段見ている娯楽作品のようなものは期待できないので、正直自分一人では見に行こうという気にはなれなかっただろう。そこで見せてもらった予告編でも"SF"とは書かれているもののそんなシーンがありそうにもないし。
予告編
誘われて、たまには違ったものを観るのも良いかと思って、参加することにした。
いろいろ説明しにくい作品なので、まずあらすじというより世界観の設定だけサイトの「あらすじ」から引用する。
遠い星からやってきたモコモコ星人は、神を探す長い旅を経て地球にたどり着いた。母船が壊れ帰れなくなった彼らは、とある町の人々をカメラとマイクで観察しはじめた。人間のように「わたし」と「あなた」という概念がない彼らは、いつしか町の人々が直面している「わたしはあなたではない」という近代人間的事実に直面する―。果たしてモコモコ星人は「神」と出会うことができるのか。このモコモコ星人というのが、「あらすじ」の写真にあるように、Star Warsのジャワ族のようにボロのような服装をまとった人たち。この人たちは、普通の地球人からは不可視の存在のようだ。
そのモコモコ星人が観察・撮影している地球人の中で複数のエピソードが並行して進んでいく。その中に元オリンピックランナーを取材する男の話と、自主制作映画をつくっているダメ男の話がある (これは自分自身のパロディかな)。これらはやはり観察するものとされるものの関係があり、その関係を観察するモコモコ星人という2つのレベルの層が組み込まれている。そしてそれらを鈴木監督が観察・撮影して映画化しているわけで、3つの重層になっている。
このようなことが何の説明もなく観客に提示される。モコモコ星人も地球人の登場人物の背景も説明されない。それぞれの話の流れは交互に断片で観客に提示され、観客は断片を繋いで理解しなければならない。観客である私たちは、自分は一体何を見ているのかを考えなければならない。そこで動いている役者は、演技なのか素なのか、いやもちろん演技ではあるのだけれど、演技している演技なのか素であることを演技しているのか、混乱させられる。UFOを吊っているピアノ線が見えたり、宇宙人もそれらしい格好をしていないのも、演技なのか現実なのか、その層をあいまいにするための仕掛けのように思える。
そのため、ずっと考えながら観ていなければならない。鈴木監督の上映前の舞台挨拶で「眠たくなるかも」とおっしゃっていたが、そいうやって観ていたら3時間近くある作品でもそう長く感じなかった。
そうやって考えながら観なければいけないのは、「あなたはついて来れますか」という監督から観客への挑戦状に思える。他の人の感想でも、「複数回観ると見方が変わってくる」というのがあるそうだ。第1回目で登場人物の位置付けを理解してもう一度最初から観ると個々のエピソードの断片やそこに映っているものの意味がわかるのかもしれない。
なお、初日は毎上映回で舞台挨拶があったが、その後もいろいろなイベントや特典があるそうです。サイトトップのニュースをチェックして行くと良いと思います。
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