もうだいぶ前のになるのだけど、THE BIG ISSUE 10/1号に手塚るみ子と赤塚りえ子の対談が載っている。同時期に生きた二人の異なったタイプの漫画家の、同じ世代の娘二人。なかなか面白かったですね。
赤塚「でも、やっぱり父が描いた漫画が一番好きだったよね?」
手塚「いや、ファンではなかったと思う(笑)。... やっぱり10代の頃は少女漫画の作家さんがすごく好きだった」
とか、そんな会話も面白い。手塚るみ子は、「少女漫画家のサインをもらって来て」と父手塚治虫によく頼んでいたらしい。
でもやはり同じ感覚が共有されているのが発見されると面白いかな。
手塚治虫の言葉「親や先生にまっすぐ生きなさいと言われ、自分がそうしたいのか分らないまま突き進んで、結局思った方向に到達できなかった時、今まで何をしてきたんだと自分を見失う。そして親や学校や社会のせいにする。真っすぐに進めなくていいから自分で納得できるゴールに着ければそれが一番」
赤塚不二夫の言葉 (酔っぱらっている時)「最後につじつまがあってりゃ、何やってもいいんだよ!」
今の時代ではなかなか得られない精神の自由さだよね。
最後に対談はこう結ばれている。
手塚るみ子:自由って「自らを由 (よし) とする」と書く。自分が納得できた時に初めて、いろんな意味から開放され、自由が得られる。
赤塚えり子:野次馬やって、自分で納得して、最後に「これでいいのだ!」になればいい。
今「就活」という言葉を聞くと、今の若い人達が可哀想になってくる。我々の時代にも「リクルートスーツ」という言葉くらいはあったけどね。その「就活」も、自分を見つめ直し鍛え直す良い機会ととらえる前向きに捉える若い人達。その健気さに対して、この二人の大漫画家の言葉を贈りたくなる。しかし、そう思う自分も彼等にとっては傍観者にしか過ぎない。彼等も自分の人生を必死に生きている。
いただいたトラックバック
Tracked from 流れゆくままに at 2009-12-02 22:45
タイトル : 「ジンクス男の恐怖」なのだ
これでいいのだ!とyoshihiroueda さんがおっしゃってるので、思い出しました。 こどもの頃、天才バカボンの読者でした。単行本あつめてました。赤塚不二夫氏の、ナンセンスギャグ、実験的作品には、正直、ついていけてなかった部分もあるのですが、今になってわかる作品もあります。 作品タイトル「ジンクス男の恐怖」は、しっかり記憶に残ってます。この作品に出てくるのある男は、朝起きると、「朝日新聞、毎日新聞、、、、」と、毎朝、七つの新聞を破くのです。そして、朝食は生卵。かならず、毎朝おなじ行動を......more
2 件のコメント:
手塚治虫は雲のうえの人、姉が大ファンでしたが、私はブラックジャックくらいしかこどもの頃には読んだことがありませんでした。今から読んでみたいとは思いますが、膨大な作品量に、何から読んで良いやら^^
赤塚不二夫はちょうど天才バカボンの読者でございました。が、赤塚氏の、ナンセンスギャグ、実験的作品群に、こどもの私は意味がわからず、笑えませんでした。今でもいくつものシーンが脳裏に浮かんできます。今ならその意図するところが、少しずつわかるようになってきました。こちらもまた、読み直したいなぁと思いました。
それぞれの娘さんの作品は、失礼ながら、全く存じ上げません。作品はともかく、対談はおもしろそうですね。私も、自分の娘に、どんな言葉を残してあげられるか、考える世代になってしまいました。少なくとも、頑張って働く男の後ろ姿を、見せてやらねば!
★ pacer3さん、
私も子供時代に漫画雑誌はあまり縁がなくたまにしか見ないので、どうしても連載ストーリー漫画よりもギャグ漫画の方に行ってしまいます。それなのに天才バカボンなどはだんだん実験的なものが多くなってそれはそれで面白かったけど単純にたのしむことができなくなって行きました。
娘さん二人とも漫画家ではありません。プロデューサーみたいなことをしているのかな?今は親も悩みながらもがきながら生きているので、自信を持った言葉を伝えるというのが難しくなっていますね。
おっしゃるように、私も頑張って生きているというのが伝えられればいいかと思っています。
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