2019/12/23

なぜ「ら」を抜いて話してしまうのでしょうか?

... と質問されたので答えました。

Ouora: "なぜ「ら」を抜いて話してしまうのでしょうか?" の回答

・『「ら」抜き言葉』という言い方は適切ではありません。
・これは正しい進化です。



まず、『「ら」抜き言葉』という言い方は適切ではありません。これは、上一段動詞/下一段動詞/カ行変格活用動詞未然形 + 助動詞「られる」が以下のように変化しているという見方に基づくものです。

上一段:「見る」+「られる」= 「見られる」→ 「見れる」
下一段:「食べる」+ 「られる」=「食べられる」→ 「食べれる」
カ変:「来る」+ 「られる」→ 「来られる」→ 「来れる」

ちなみに他の活用では

五段:「読む」+「れる」→ 「読まれる」
   「走る」+「れる」→「走られる」
サ変:「〇〇する」+ 「れる」→ 「○○される」(「勉強される」、「受賞される」など)

というように「られる」ではなく「れる」が付きます。これを見ると、活用の種類に関係なく「れる」をつけたという見方ができるわけです。その見方をすると、『「ら」抜き言葉』という言い方が適切に見えるかもしれません。

しかし、ここで意味を考えてみましょう。

「れる/られる」には4つの役割があります。受身、尊敬、自発、そして可能です。ここで 『「ら」抜き』 の形を見てみると、可能の場合にしかこの形にならないことが分かります。

では五段動詞、サ変動詞の場合はどうでしょうか。自発は適切に適用できる動詞が少ないのでおいておくとして、受身、尊敬は考えられますが、可能という見方はしにくいですね。

では可能を言いたいときにはどうするかというと、「可能動詞」を使います。五段動詞の「え」段 (仮定の「~ば」がつく形*) +「る」の形をとります。

  「書く」→ 「書け - る」
  「読む」→ 「読め - る」
  「走る」→ 「走れ - る」

「走れる」は一見『「ら」抜き言葉』に見えますが、成り立ちが違います。

では、上一段/下一段/カ変には可能動詞はないことになっていましたが、作ってみましょう。

上一段:「見る」→ 「見れ - る」
下一段:「食べる」→ 「食べれ - る」
カ変:「来る」→ 「来れ - る」

と、先に『「ら」抜き言葉』と言っていたものと同じ形になりました。これが可能の意味しかないので、このような「可能動詞化」と考えた方が自然です。

注*:「来れる」に関しては、仮定形は「来れば (くれば)」ですが、可能動詞は「来れる (これる)」ですので、仮定形ともまた違います。このため「え」段としました。

補足: 「ら」抜きではなく、ar抜きという見方があり、統一的な説明ができます。
→ Togetter: 「ら抜き言葉」で抜かれているのは「ら」ではなかった?「目から鱗」「言われてみれば確かに」
カ行五段:「書かれる」kakareru → kakeru「書け - る」
マ行五段:「読まれる」yomareru → yomeru「読め - る」
ラ行五段:「走られる」hashirareru → hashireru「走れ - る」
上一段:「見らる」mirareru → mireru「見れ - る」
下一段:「食べらる」taberareru → tabereru「食べれ - る」
カ変:「来られる」korareru → koreru「来れ - る」

ではサ変は可能動詞化できるのでしょうか。「〇〇すれ - る」も「〇〇せ - る」という言い方はありません。サ変だけちょっと違っていて、可能を言いたいときには「○○できる」という言い方を使います。

これで全部の活用の種類に対して、可能と受身/尊敬/自発を分離できました。もともと「れる/られる」に4つの役割があってあいまいなため毎回どの意味で使われているのか文脈から考えないといけませんでした。しかしこれにより可能の意味が切り離されたため、あいまいさを減らすことができるようになったわけです。

そうです。これは正しい進化ということができるでしょう。

なお、まだこの変化は定着しているとは言い難いです。反発する人も多い状況です。このため、無用のトラブルを避けるためには、少なくとも書き言葉では、上一段/下一段/カ変の可能動詞化は避けた方が良いと思われます。

また、上一段/下一段/カ変の可能動詞化を容認する人でも、「考えれる」はまだ受け入れられないような気がします。これは今後違和感がなくなっていくのかもしれません。

以上です。次回は『「さ」入れ言葉』について、問われれば答えます。

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