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2005/06/27

沖縄戦終結メモ

おはようございます。例年夏になると新聞、テレビで平和を考える特集が組まれます。だんだん縮小傾向にあったのですが、今年は戦後60年ということで例年より多いような気がします。

6月23日は沖縄戦終結60年でした。何か書いておくべきだと思いながらできずにいました。関連リンクをメモとして残しておきたいと思います (少しずつ追加したいと思います)。

なお、6月23日を沖縄慰霊の日とするのはふさわしくないと、brotherjinさんが指摘されています (「沖縄慰霊の日に」)。6月23日以降も多くの民間人が亡くなっている。「(補稿)沖縄慰霊の日に」も含めて、深い考察があります。

毎日新聞 2005年6月22日
戦後60年の原点: 1945年6月23日、沖縄戦終結(その1) 「捨て石」苦難今も
戦後60年の原点: 1945年6月23日、沖縄戦終結(その2) 「本土並み」は遠く
  -- 「沖縄県民斯(か)く戦へり」で有名な大田中将の電文もあります。
戦後60年の原点: 1945年6月23日、沖縄戦終結(その3) 米海兵隊の沖縄
戦後60年の原点: 1945年6月23日、沖縄戦終結(その4止) 沖縄の進む方向
戦後60年の原点: 沖縄・2005年 慰霊の日・60年 消えゆく記憶

感想はうまく書けません。これらの文章で伝えられることを薄めてしまうだけのような気がします。

最も強く感じることは、沖縄を「本土」と分けて考えているということ。

沖縄を「本土」と分ける意識は今でも続いている。沖縄には在日米軍専用施設の約75%が集中している。そしてその負担を国全体で負う意志のある人、具体的には沖縄から基地を移転させたときに自分の住む地域に受け入れる覚悟がある人は少ない。自分自身もその覚悟はできていないので、差別に加担しているともいえるのだ。

戦後60年の原点: 在沖米軍基地は「不要」、沖縄70%・全国45%−−世論調査


その他の関連リンク
沖縄慰霊の日: 稲嶺恵一・沖縄知事の平和宣言(要旨) (毎日新聞 2005年6月23日)
沖縄慰霊の日:小泉純一郎首相あいさつ(要旨) (毎日新聞 2005年6月23日)
  -- 以前「語り継ぐ意志」でも書きましたが、表層的という印象です。

2005/06/22

ジャーナリズムの役割

こんばんは。

昨日「長崎原爆投下1ヵ月後のルポ」に関して感想を書いたのですが、その中で、「(毎日新聞は) 情報操作に結果的に (または積極的に) 協力していることを自己反省も含め書いています」と書いた。具体的には、「クローズアップ2005: 長崎原爆ルポ(その2止) 米の戦争報道規制、今も」(毎日新聞2005年6月17日)の
米軍の動きを直接取材し、戦況を伝える上で極めて限られた機会なので従軍した。だが、制約が多い中、当局が提供する取材の場を利用せざるを得ない。開戦前のガスマスク装着訓練の記事は、実際には存在しなかった化学兵器の脅威を強調する効果をもたらしたはずだ。 
横須賀を母港とするキティホークには複数の日本メディアが「配属」された。新聞やテレビへの登場機会を増やし、日本に家族を残す乗員の士気高揚につなげる狙いがうかがえた。戦場の現実を伝えるという本来の責務とは別に、「国際的な反戦世論の中での戦争遂行」という米国の国益に沿った「宣伝役」として使われた側面も否定できない。
の部分を指している。

これについて書き忘れていたことがある。それは「今はどうなの?」ということだ。

サマワに駐留する自衛隊、最初こそ各社から派遣されていたが、早い段階で各報道機関は撤退していると聞いている。自衛隊宿舎への砲撃等のニュースがあったが、それは自衛隊から送られてくる情報をイラク国外で受け、「サマワ発」として送っていたはず。いわば大本営発表だ。

その後抵抗がはげしくなると、自衛隊は宿舎に籠りっきりであるとか、ハローワークにイラクでの給水活動と思われる求人があったとかいう情報も流れている (噂と切り捨てるつもりもないが、真実と鵜呑みにするつもりもありません)。これらに関してはマスコミによる検証はなされていないように思う。そんな中で1年間の派遣延長も何事もなく決められた。

このように、口で反省してもなー、今後、それから今、どのように取り組むのか明らかにしてもらいたい、と思っていたところに、きっこさんのブログにこんなことが書かれていました。

きっこのブログ 2005.06.18 「サマワで被爆した自衛隊員たち」(「被曝」ですね)

帰国した自衛隊員の奥さんにできた赤ちゃんに生まれながらにして障害って悲惨すぎる。これも鵜呑みにするつもりはないのだが、信頼できる情報が他にある訳ではない。報道機関は帰国自衛隊員の調査を行ってもよいのではないか。そういうことを行うことが、「反省」を示すことではないのか。もちろん自衛隊から拒否される可能性は高いと思う。しかしそれならば、自衛隊が隠そうとしている事実を報道すれば良い。その事実が真実を語っているといえるだろう。

ライブドアの堀江社長の既存ジャーナリストを軽視する発言に対して、多くの既存ジャーナリズムが、プロのジャーナリストでないとできないことがあるということを主張していたとおもう。我々はそれを見せていただくことに期待している。

追記: トラックバックが来ていて、「噂の一人歩き」って書いてあるので事実を示して否定してくれていると思ったのですが、そうではありませんでした...
私の記事はむしろ「噂の一人歩き」を抑え事実を追求することをジャーナリズムに期待する内容なのに、愛・蔵太ももうすこし調べて (というかちゃんと読むだけなので) ものを書いてほしい。

コメント
 Commented by ネオ筑摩屋松坊堂 at 2005-07-15 11:11 x
>事実を示して否定してくれている
「無い」ことを証明するのは「悪魔の証明」なのでできません.
まあ,声が大きくなれば問題の期間に生まれた自衛官の子女を
政府が片っ端から調査したりするかも知れませんが.

しかしわたしがMedlineで検索した限りでは,催奇形性が「ある」とは認められませんでした.
「研究が政府に握りつぶされている」? 学術研究というのは,特に西側諸国においては,報道よりも何よりも自由なものです.

そう言えば,「劣化ウランで白血病が起きる」と主張する論文は,わたしが探した限り1本しかありませんでした.それが,フセイン政権下で行われた学会の会議録w

 Commented by yoshihiroueda at 2005-07-16 02:22 x
★ネオ筑摩屋松坊堂さん、
確かに一般には列挙による「無い」ことの証明は困難ですね。ただ私が欲しいのは「現在までにイラクに派兵された自衛隊員」と範囲が限定されるので全員健康診断+問診は可能と考えています。もちろんブロガーがそれをできる訳ではないので、「噂の一人歩き」を嘆いているのは、列挙ではなく論理的帰結から否定してくれることを期待したのです。
ネオ筑摩屋松坊堂さんがMedlineをサーベイされた上での結論ですので今のところ信頼性あるのだと思います。日本政府が全世界の研究を監視し握りつぶすなんてことも考えていませんしね。

2005/06/20

長崎原爆投下1ヵ月後のルポ

こんばんは。「平和への祈り」のカテゴリはひさしぶりになります。

先日毎日新聞に「原爆ルポ 60年ぶり発見」という記事が1面トップになっていました。

毎日新聞2005年6月17日
速報
長崎原爆:米記者のルポ原稿、60年ぶり発見 検閲で没収(写真付)
長崎原爆ルポ:ジョージ・ウェラー記者原稿全文 その1その2その3

毎日新聞2005年6月17日朝刊
1面 長崎原爆: ルポ、60年ぶり発見 米記者「放射線障害」詳述−−GHQ、公表許さず
2面 クローズアップ2005: 長崎原爆ルポ(その1) 当時、公表されていたら…
3面 クローズアップ2005: 長崎原爆ルポ(その2止) 米の戦争報道規制、今も
12面 戦後60年の原点: シリーズ特別編 長崎原爆、幻のルポ(その1) 奪われたペン
13面 戦後60年の原点: シリーズ特別編 長崎原爆、幻のルポ(その2止) 隠された地獄
30面 長崎原爆ルポ: 投下1カ月後に取材受けた元米兵捕虜、記者の忠告鮮明に(その2止)
31面 長崎原爆ルポ: 未知の症状、闘う医師 60年前の凄惨、今に(その1)

毎日新聞2005年6月17日夕刊
長崎原爆ルポ: 反響 「60年の空白」に怒り

長崎に生まれ育って、原爆資料館は何度も行きましたが、外傷がほとんどない状態で人が死んでいくことの悲惨さに関してはあまり伝えられていないように思います。「ガラスびんと一緒に溶けた手」など他の展示の凄惨さに隠れて印象が薄くなっているだけかもしれませんが。むしろ「はだしのゲン」(これも通して読んだことはないのですが) から先に知ったような印象が強い。このウェラー記者のルポは、1ヶ月後であることから、そのなんだか分からない死因の恐怖が伝わってきます。

毎日新聞では報道機関として、戦争報道、検閲に関しても多くの言及があります。
・これが当時アメリカ、全世界の人々の目に触れていたら、核規制の声が強まっていたはず
・ベトナム、湾岸戦争、イラク戦争でどのような規制/検閲が行われたのか

検閲は戦前のことのような印象を受けますが、イラク戦争が行われている (終わったことになってるんでしたっけ) 現在も続いていることが分かります。情報操作に結果的に (または積極的に) 協力していることを自己反省も含め書いています。

原爆に関しては、今も無知と知らせることの拒絶が続いています。米国ではスミソニアン航空宇宙博物館で原爆展を行うことになっていたのが中止に追い込まれたことがありました。「原爆が戦争の終結を早めた」という「意見」をいうのはいい(毎日新聞 2005年6月18日 「原爆開発60年: 米テネシー州で記念行事 譲らぬ「正当化」−−“終結”一役が誇り」)。しかしその前に、原爆投下で起こった「事実」を知ってもらいたい、知った上でその意見言えよ、と思います。

NPT会議が先日何の成果もなく終わりました。核兵器を持つことが特権であって、特権は先進国だけで十分だ、いや開発途上国でも持っているところがあり、先に持ったもの勝ちというのはおかしい、という論点だけが議論されているように見えます。ここで議論している人々にも長崎、広島の原爆資料館に行ってもらいたい (NPT会議にあわせて訪米されたKEN-NYEさんのレポートによると、国連内で原爆展が行われたそうですね)。

また、日本政府自らが核兵器の悲惨さを積極的に伝えてもらいたいと思います。別に日本人が唯一の被害者だということを強調しなくてよいです。人類にとって破滅の恐怖の元であることを伝えてもらいたいと思うのです。

コメント
 Commented by rkya at 2005-06-20 15:31 x
ほんとですね。今回のルポのように闇に葬られた記録があるのは
以前から言われていたことで驚きもしないけれど、どんな国も
核兵器なんて持っていいわけないんだって、ばしっ!と
言えないもんでしょうかねぇ日本政府は。・・・言えないか(-_-)

 Commented by yoshihiroueda at 2005-06-20 23:15 x
★はるかさん、
ばしっ!と言えないかもしれませんが、おずおずとでいいので、「あのー、ちょっと言わせてもらうと(いや断られてもいうつもりなんですけどね)、こんな結果になりますけど」って言うべきなんじゃないかと思います。

2005/01/10

文句をいうなら汚したほうへ言え

こんにちは。杉原千畝です (ウソ)。

こんなニュースがありました。

毎日新聞1月10日 (リンクはYahoo!ニュース)
少林寺拳法 「卍」紋章を変更 香川・多度津の本部
(新しいマークは少林寺拳法オフィシャルホームページからリンクをたどって見て下さい。今のマークも出ています。)
「卍」はナチスのかぎ十字(ハーケンクロイツ)を裏返した形になっているため、欧米のユダヤ人団体などから反発が続いていた
って逆だろ。まんじが先にあって、ハーケンクロイツがそれを裏返しにしたものだ (補足: 成立は違うけどね)。

ユダヤ民族の諸君へ。ハーケンクロイツを連想するのは分かるが、文句は卍を穢したドイツ民族に言え。

ドイツ民族の諸君へ。私達が卍を穢しました、ごめんなさい、卍に罪はありません、我々が悪の象徴とするために卍を「裏返して」使いました (補足: design-lifeさんのコメントにありますが、逆卍ももともとあって、いい意味をもっているそうですね)、って全世界に発信しろ。毎年各国の主要紙に全面広告をだせ。ユダヤ民族が納得するまでだ。ドイツ民族にはもっといいたいことがあるが、人道的見地から控えておきます。

少林寺拳法グループの皆さんへ。卍は君たちだけのものじゃない。君たちが折れたら卍全部が使えなくなるまでいわれなき批難が続く。猪木だって必殺技が封印されたら困るだろ。使ってきたんだったら最後までちゃんと主張しろ。「世界中に少林寺拳法の普及」なんて利己的な理由と天秤にかけるな。

記号をけがすな。記号に罪をおしつけるな。卍がハーケンクロイツを連想させるというのなら、世界には虐殺や侵略のシンボルそのものといえるものがたくさんある。ダビデの星はパレスチナ侵略虐殺の象徴だ、十字架も中東と中東までの経路に対する侵略と略奪を行った十字軍の象徴だ、二度と使うな、と言われたら皆さんどーする?

補足: 日の丸もずっと昔から使っているものだ。侵略戦争のシンボルだから使うなと言う論調はおかしいだろ。

たとえアラファト議長が許してもこのuedaが許しません。

コメント
Commented by n_ayada at 2005-01-10 15:53 x
>ダビデの星はパレスチナ侵略虐殺の象徴だ、十字架も中東と中東までの経路に対する侵略と略奪を行った十字軍の象徴だ
このへんの歴史認識は、もっとしっかりする必要がありますよね。私も含めて、勉強しましょう。

 Commented by night_in_tunisia at 2005-01-10 17:05 x
イスラム圏の人にしてみたら十字架は侵略のシンボルなんじゃないかなー。いや、よく知らないけど。僕はうえださんに賛成。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-10 20:36 x
★n_ayadaさん、勉強するのはやぶさかでないのですが、どう勉強したらよいのでしょうね。
一部だけ切り取られて引用されると誤解を受ける可能性がありますが、私ダビデの星や十字架を使うなという論調に与していません。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-10 20:36 x
★night_in_tunisiaさん、コメントありがとうございます。自分の見方が全てではない、自分の価値観だけで他者を否定するなということを言っています。もちろん、人命、人権、愛など人間に共通する価値観はあるべきだと思いますが。

 Commented by fumi_o at 2005-01-10 23:45 x
お久し振りです♪
全然話は違いますが、青森県弘前市の銘菓に
#卍最中(まんじもなか)
というのがあります。:-)
こちらのサイトで確認できますよ。↓
http://ajiwai.or.jp/ajiwai_data/no146/page_02/page_02_data.html

 Commented by n_ayada at 2005-01-11 00:54 x
私の文章力が無いばかりに、言いたかったことと反対の意味に受け取られたようです。この記事には賛意を示したつもりだったんです。
反省・・・・・

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-11 04:12 x
★fumi_oさん、いらっしゃいませ。コメントしていませんが私も継続して拝見しています。卍って弘前市の市章でもあるんですね。で、弘前市のホームページも見てみましたが、宗教的な意味はもたせてないんですね(弘前市のホームページの「市政」の下に「市議会」や「産業」と同じレベル、しかも「産業」の前に「りんご」ってあって微笑ましい)。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-11 04:17 x
★n_ayadaさん、真意を誤解して申し訳ありません。あの部分はわざと挑発的に書いて、自分でもぴりぴりしていたので、あの部分だけ取り出されると誤解を受けたかと思いました。
賛同いただけてありがたいです。

 Commented by まきこ at 2005-01-11 19:20 x
にゃはは。おもしろい。
ハーケンクロイツは、ナチス党の党章だから、もしこれを誰かが使い出したら「おまえどういうつもりでそれ使ってるんだ」っていわれるのは当然ですよね?
日の丸は、大日本帝国の旗なわけじゃないからOK? 
ってことは、大日本帝国の面々は、日本のみなさんに、「みなさんが親しんできた旗を侵略に使って、嫌われる旗にしてしまってごめんなさい」って謝って、侵略した国々には「みなさん、私たちはこの旗を使って侵略しましたが、これはもともと侵略のシンボルではありません」ってわかってもらうまで説明する必要があったってことになるのかな?
そうかもねー。でなきゃ、あの旗、使いにくいですよね。
ところで日の丸って、大日本帝国以前から日本の人たちに親しまれていたのかな。よくわかりません。

 Commented by design-life at 2005-01-11 23:46 x
この記事確かに気になりました。デザインに身を置く者として、安易に謝罪して欲しくないものです。アメリカの友人とも話していたんですがユダヤの人々は、特に被害妄想が強いのかこの手の事(言い出したらキリがないし、同じような矛盾も秘めているのに)に神経質になっていますよね。マークを問いただすより、本質を問いただして欲しい。ちなみに卍ネタで言うとインドネシアの「スワルテチィカ」という逆卍の紋章(と言うかシンボル)があるのですが、それは幸福の象徴でもあるんです。たった一つの言いがかり(言い過ぎかもしれませんが)が諸民族の文化を犯すのはおかしいことです。。

 Commented by hrcod at 2005-01-12 18:46 x
はじめまして。
記号の持つ力というか、与える影響にびっくりしました。自分を表す一つのツール、または象徴としての意味の上に、いろいろなものを背負って成り立っているものなのだなぁ、と感じました。それだけ影響のあるものとして、その対象としてデザイン(記号)は意味あるものだと痛感しました。しかし、その一方で「記号に罪を押しつけるな」という一節にはとても共感します。
それにしても、時には吐き捨てていたり、それでいて鋭い文章。こんなに爽やかに共感できたのは初めてです。思わずコメントしてしまいました。

 Commented by smpinkd at 2005-01-12 22:49 x
はじめまして。色々と考えてしまいました。もっと勉強しなきゃ。
僕なんかは単純に世界的に広めたいのなら仕方ないんじゃないかと思ってました。少林寺拳法の関係者にしてみれば、グローバルに展開して、いずれは「オリンピック競技」になんてことの方が重要なんですよ。伝統よりも繁栄の道を選んだのですね。きっと。
この新しいマークが卍を超えるものだったら大拍手だったんですけどね。って話題が逸れてしまってますね。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-13 00:05 x
★たまごの距離のまきこさん、いらっしゃいませ。そんなにおもしろいですか?
私は「大日本帝国の面々」と日本民族を分けて考えていません。反戦を貫いた人もいるでしょうが、日本全体が戦争を歓迎または容認する空気になっていたのだと思いますので。といって批判するつもりもなく、ただ今後二度と過ちは繰り返しませんという決意につなげたいと思っています。
他国のシンボルをけがした訳ではないので、積極的に謝る必要はないと思いますが、日の丸が侵略のシンボルだと言われたら、そうではないことを根気づよく説明して行くしかないかと思います。もちろん多くの日本人がそこまでして日の丸にこだわる必要ないと思うのなら別なのですが、私は日の丸のデザインには愛着がある。色を3つ並べたデザインが多い中で、シンプルでユニーク、力強いデザインだと思う。鉢巻きに日の丸描いて「合格」なんて書けば勉強にも身が入るというものです。
話がそれました。日の丸の歴史は古いはずですが、どれだけ親しまれていたかに関しては分かりません。日の丸の歴史は国粋主義的な観点から書かれたものは多くみつかるのですが、客観的な記述を見つけることができません。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-13 00:16 x
★design-lifeひらさわさん、トラックバック+コメントありがとうございました。おかげさまで今日のアクセス倍増しており、とってもありがたいのだけれど、とってもコッパズカシイデス(ってすみません、PROP DESIGNさんの文章をパクってみました)。特にデザイン関係の人にとってはコンセプトから考えに考え抜いて作ったものに別の意味を与えられ、さらに謝罪すると言うことは相手の主張を認めることで受け入れがたいと思います。
おっしゃるとおりこれは「文化」であって、「文化」というのは「共有する価値観」のことです。それを否定するのが、一神教の宗教をもつ民族の不寛容性だと思います。
http://ryokan.exblog.jp/796210

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-13 00:30 x
★ hrcodさん、いらっしゃいませ。
言語は私のテーマの一つなんですが、言語も記号の一種で、同じような力を持っています。次の記事も関連していることを書いているので読んでいただくとありがたいです。うちの奥さんからはそんなかたいテーマで書いても誰も読んでくれないんじゃないのと言われているのですが。
http://ryokan.exblog.jp/1495261
それから、文章に関して過大な褒め言葉をいただきありがとうございます。てれるなあ。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-13 00:45 x
★smpinkdさん、いらっしゃいませ。
smpinkdさんもデザイン関係か建築関係なんですね。どちらにしろ新しいデザインを作る場合にはターゲットに響くだけでなく、多くの人に受けいれられるものにするのは重要だと思います。ただそのために伝統を犠牲にしてもらいたくないです。

 Commented by 鍵 at 2005-01-14 13:50 x

 Commented by あのう at 2005-01-14 19:08 x
>まきこさんは
みしるしもって戦争や紛争を人間は何千年やってたと思ってるんですか。
>ってことは、大日本帝国の面々は、日本のみなさんに、「みなさんが親>しんできた旗を侵略に使って、嫌われる旗にしてしまってごめんなさい」>って謝って
学校教科書受け売り程度の知識でよく言う。
中韓以外の国の当時の日本の対応とか国情しらべてみろ。
欧米的覇権侵略とまた違った側面がある。
インドネシアやフィリピン、台湾じゃ尊敬されてる日本人が沢山居た。
偶には相容れないかもしれんが対立側の情報も調べてみろ。
そんな浅はかな知識で国叩きなんぞ虫唾が走る。

 Commented by 聞きかじり at 2005-01-14 22:37 x
卍や逆卍は単なる記号でなくて漢字のように意味をもった文字(凡字、チベット仏教の文字)じゃなかったっけ? 卍は「和」を意味し、逆卍は「力」を意味して双方を持たざれば人々を涅槃に導くことができないんじゃなかったっけ?卍からハーケンクロイツを連想するのは容易に想像できるが、言葉を尽くして説明したのかな?という気はしますね。残念です。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-14 22:40 x
★錠さん、「少林寺拳法がナチスより前」とは書いていません。「卍が(ナチスの)ハーケンクロイツより前」と書きました。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-14 23:22 x
★あのうさん、まきこさんは、「ということは」で始めているので、仮定を置いた場合の話をしていると思います。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-14 23:24 x
★聞きかじりさん、逆卍の存在は知りませんでした。ありがとうございます。「言葉を尽くして説明したのかな?という気はしますね。残念です。」という点は私も同意します。

 Commented by SUSI at 2005-01-15 01:29 x
初めまして&既出だったらごめんなさい。
非常に不思議なんですけど、イスラエルはフィンランドやスウェーデンのルーセン伯爵家に文句をつけたことがあるのでしょうか? 青い逆卍(ハカリスティ)はルーセン家の幸福のシンボルであり、フィンランドは一時国章にしていました。さすがに紛らわしいので、1944年11月からは青十字を国章にしておりますけれども。現在でも、フィンランドにおいて青い逆卍はフリーパスです。
WW2時、NSDAPが意匠として使っていたのは45度右に傾けた逆卍で、正確には逆卍じゃないんですけどねえ。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-15 03:42 x
★SUSIさん、情報ありがとうございます。ルーセン伯爵家のことは初めて知りました。なにをもって反発されるのかよく分からなくなってきました。

 Commented by かかしA at 2005-01-15 05:53 x
『ゴルゴ13”裏切りのスワスチカ”』にこのネタがありました。
ハーケンクロイツはオカルトに傾倒したナチスが、スワスチカというチベットの卍をデザイン化したもの、と説明してありました。

原因は来歴も知らずに嫌う人の方にあるのでしょうが、「一々、頭に血が上った人たちに対応するリスクを負うよりはいっそ変えちゃったほうが楽だ」というのも、まあもっともな考え方かなと思います。
もしどこかの団体のように「我々の勝利だ」などと宣伝に利用されたらたまったものではないでしょうが、今の所そういった話はないようですし。

しかし政治の尻拭いを、無関係な第三者がさせられるというのは、非常に苦々しい話ですね。

 Commented by kotaro at 2005-01-15 07:25 x
少林寺拳法を少し習った者です。道着の左胸には卍の印がありました。級や段が上がっていくと,黒色卍が緑卍,赤卍,黄色卍などと替わっていくので,練習の励みにもなったものです。

少林寺拳法を学ぶとき,同時に教典を渡されました。中には,聖句,誓願,信条,道訓などが書いてありました。それらの教えの元に,鍛錬を積んだものです。自分のためと人のために。その内容は総本山のHPにもあります。ぜひ一読されたい。少林寺拳法は,自己確立と自他共楽のためにあるのです。

そのマークとしての卍が,理解なき怨恨によって変えられるというか,自己規制してしまわれるのが残念です。これには少林寺拳法総本山の開祖である故宋道臣先生も悲しんでおられるのではないでしょうか。

少林寺拳法を世界に広めるためには,その形だけ物理的にできていったってだめだというのは,やってる人間なら分かるはずです。卍マークも新しいマークと同様に広めていって,少林寺拳法がめざすものを文字通り説いていってほしいと願っています。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-15 11:17 x
★かかしAさん、コメントありがとうございます。逆卍の由来ですが、親衛隊の略称がSSでそれをデザイン化したものというのもありました。
http://www.ne.jp/asahi/mili/surva/dooberu/manzi.html
私は少林寺拳法グループにはもっと頑張ってほしかったのですが、民間団体に期待し過ぎなのかもしれませんね。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-15 11:23 x
★kotaroさん、コメントありがとうございます。少林寺拳法はそういう理念も重要視しているのですね。そういう理念を学んだ方にとっても、その理念まで曲解されているような無念さがあるのはとても理解できます。

 Commented by newright at 2005-01-15 21:27 x
蒸し返すようですが日本の国旗が云々について・・・

ドイツが過去の過ちを悔いて逆卍を封印したことは相手の気持ちを慮った評価できる贖罪の方法ではあるでしょう。けれど一方の日本が戦中のシンボルでもあった日の丸を捨てなかったことはまるっきり過去から目を背けた開き直りなのでしょうか。
戦中の日本が何をしたとかしなかったとかいまさらな議論です。法的に裁かれ、賠償の責務もある程度果たしたはずのわたしたちがいまさら何を否定し、あるいは自らを貶める必要があるのでしょうか。
キリスト教の十字架はそもそも十字架に架けて神をその手で殺めてしまうという人間の犯した最大の罪を決して忘れないという意志によってシンボル化されたものです。
自らの過ちを認めて、それを繰り返さないために罪を背負っていくことは、そうした意思を保つ限りにおいて誇れる行為です。過去の罪をシンボルと一緒に捨て去って、わたしたちは変わりました、というほうがよっぽど楽なことだと思います。

ただそんなことをすっかり忘れて、旗についている汚れを躍起になって洗い流そうとするくらいなら、そんなものは捨てちゃったほうがいいですけどね。

 Commented by 赤井報道 at 2005-01-16 10:47 x
昔、十字軍の遠征で侵略されたイスラム諸国では、赤十字の十字はタブーなので旗が違います。旗の図案は「剣を持った赤い猿の絵」です。
やはりタブーになるんでしょうな。

だがそれに過敏になり、他人に強制をするのもどうかと思う。
人が嫌うものをわざわざ誇示するのは単なる嫌がらせでしょうが、別に
自分が嫌いなのなら避ければいいだけ。また卍や逆卍を使う方も、十分な説明をして自分に意図的な非は無いと理解させればいい。
相手の立場を理解し、無意味な言葉狩りや記号狩りをすべきではないと思う。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-16 14:16 x
★newrightさん、コメントありがとうございます。おっしゃる通りだと思います。今後も平和を築いて行こうとする意志が重要ですよね。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-16 14:19 x
★赤井報道さん、イスラム世界における赤十字の扱いに関しては初めて知りました。ありがとうございます。
> 無意味な言葉狩りや記号狩りをすべきではない
私も同じ思いです。

 Commented by KEN-NYE at 2005-01-26 15:02 x
 赤十字は国際組織があって、その下に各国の組織がありますが、イスラム圏では十字を使わず「赤新月」になっていますね。「赤新月」の言葉はイラクのニュース等でお馴染みかと思いますが。

http://rcehime.parfe.jp/kokusai51.html

 日の丸って美しいですよね。3歳児でも書けるし、遠くから見ても間違えようがない。「色の順番どうだっけ?」と悩むこともない。私の知識が間違っていなければ、元々貿易船だったか軍艦だったかが国籍を明確にするために使い始めたのがそのうち「国の旗」と認められるようになったもので、明治時代ぐらいからでしょう。意匠としては大昔からあるようです。
 侵略戦争に対する非難を全身で受け止める日の丸も可哀相です。そろそろ、受けるべき人が非難を受け止めなければ?

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-27 01:19 x
★KEN-NYEさん、前のコメント通り、私はイスラム圏の赤十字のことは知らなかったのです。「赤新月」というのはKEN-NYEさんの情報で初めて知りました。ありがとうございます。日の丸は守って行きたいもののひとつですね。
 Commented by 赤井報道 at 2005-03-08 00:47 x
日の丸はシンプルで、それでいて美しい。
明治時代、この日の丸を売って欲しいと言ってきた国もいるほどです。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/hinomaru.html
>遂にはフランス(泉欣七郎・千田健共編『日本なんでもはじめ』 注、安津素彦『国旗の歴史』によればイギリス)が、正式に政府代表を立てて明治新政府に対し、「日の丸を500万円(当時の金額)で我が国に売却して欲しい」と依頼してきたのです。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-03-08 02:59 x
★ 赤井さん、日の丸を売ってくれという依頼があったことははじめて知りました。教えていただきありがとうございます。売ってくれといわれるほどだと知ってますます誇らしくなりますね。また、売らなかった明治政府にも感謝したいと思います。

 Commented by 23 at 2005-04-27 14:55 x
少林寺拳法は以前から外国では違うマークを使っていますた。今回の変更は団体内部の利権がらみではないかと言われれおり、怒っている少林寺拳士がたくさんいますよ。ちなみに、少林寺は中国の少林寺にパテント料みたいなものを貢いでいることでも有名ですが

 Commented by yoshihiroueda at 2005-04-29 07:36 x
★23さん、情報ありがとうございます。23という名前のところは2ちゃんねる当該スレッドへのリンクなんですね。少林寺拳法と中国の少林寺は組織的なつながりはないとはいいながら、そういう関係(ロイヤルティ?)はあるんですね。

 Commented by 昔習ってました at 2007-09-23 16:20 x
う~ん、やはり他の国に遠慮してマークを変えたというのはどう考えてもばかばかしい。
ホントウの理由があるがそれを公表できないのでもっともらしい理由をとってつけたと考えるのが良いのでは?23さんの言うように利権がらみってのが妥当なところでしょう。
中国の少林寺かどうかはわかりませんが、もっと俗っぽい個人もしくは団体に、「俺たちが権利もっているから使うなら金払え」って言われていたとか。

 Commented by yoshihiroueda at 2007-09-23 23:49 x
★ 昔習っていた方、
昔の投稿にコメントをいただき少々驚いています。なにかあったかな?
他のスポーツが体育協会みたいな組織になっているのに対して、日本の少林寺は個人が立ち上げた組織のようですね。そういう意味で情報公開も十分でないのだと思います。単なる言い訳に使われたのだとしたらユダヤ団体の皆さんにも迷惑な話ですね。

2004/12/16

開戦の功労者

♪つっぱることが男の... あ、こんばんは。嶋大輔です (ウソ)。

毎日新聞 2004年12月15日
ブッシュ米大統領:「イラク誤報長官」らに「自由勲章」を授与−−ローマ法王と同格
ブッシュ大統領は「米国が世界に与えたよい影響を象徴している」などと称賛した。
ぬぁんだと! 「よい影響」って、ざけんじゃねーぞ。はっきり、開戦の功労者って言えよ。「アメリカにイラクを攻撃する自由を与えた」って。

2004/11/13

こんな人たちが世界の命運を決めている

おはようございます。ヒラリー・クリントンです (ウソ)。

いまごろ米国大統領選挙の話題で申し訳ありません。「ブッシュとケリーは同じ穴のムジナ」と書いたので、結果はどちらでもよさそうなものではあるのですが、今は発言を反省しています。

誰も真正面からは逆らえない国アメリカ。その方向を決めるのがこんな人たちだという事実。これらの人が自分が正しかったと確認させないためにも、ブッシュが当選してはいけなかったのにと思う。

■サッカーマム: 「倫理」なんて言葉を口にするな

選挙後「報道ステーション」で、選挙の結果を左右したオハイオ州の「サッカーマム」と呼ばれる人たちのインタビューを行っていました。

サッカーマムとは何か。子供をサッカークラブに入れている母親達のことなんですが、自分の子供の教育に力を入れているような人たち、価値観としてはキリスト教倫理観に目覚めた人たち (若い頃はそうでもなかった) をさしています。これらの人たちが妊娠中絶に反対の立場をとるブッシュを支持した。インタビューでは戦争と倫理とを比較してどうか聞いていましたが、「戦争のことも大事ね。どちらが大事かは簡単にいえないけど、私はブッシュに入れた。そういうこと」といっていました。戦争のことなんか考えてもいなかった、って感じだったぞ。

雷鳥日記さんの「サッカーマム」反米嫌日戦線さんの11月6日の記事「【400本目】『息子よ、アメリカって国はいい国だ。大統領さえ要らないくらいな!』」に説明と意見が書かれています。

「命の軽重」という観点から言えば、イラクの人々の命の重さよりも胎児の命の重さを重く見ているということ。問題はそれだけでなく、レイプで妊娠してしまう母体のことも考えなければならない。きっとサッカーマムにとっては他人事なんだろう。私は生まれてくるべき命を守っている、その自己満足だけが重要なのだろう。原理主義者はものを考えなくて楽でいいのは確かだが、自分が不幸を押し付けていることを認識してもらいたいものだ。

■ テロなんか関係ない人々

選挙報道を見ていると、中部南部はブッシュ、東部と太平洋沿岸はケリーと綺麗に分かれていることが分かる。私はこれらは単に田舎は保守的、都会はリベラルという違いかと思っていました。

そんなとき、『仏蘭西の空を仰いでみる。』さんの『キーワードは「わが身に降りかかる危機」?』を読みました。ここには、
超高層ビルが立ち並び国際的に有名な都市を抱える州ではすべてKerry,ほぼ絶対間違いなくビン・ラディンのターゲットにもならない州はBush。
本人達は自分だけがよければという明確な意識はないかもしれないが、やはりここにも世界を見る意識はない。もっと言えばアメリカ全体を考える意識さえない。

ここにトラックバックしているSeven Seas & A Lonely Islandさんの「IQとジョージ」で紹介されている「アメリカのそれぞれの州のIQとどっちを選んだかの比較表」もおもしいぞ。

■ 誤りを認めない人々

記者の目:ブッシュ大統領再選=佐藤千矢子(北米総局) (毎日新聞 2004年11月5日)
ブッシュ氏を深く信じ、イラク戦争は正しかったと信じた国民が、嫌な現実を直視しなければならなくなった時、最も簡単なのは、大量破壊兵器は見つかっていないと考えることだ。
ニューメキシコ、コロラド、アイオワ、ウィスコンシンの激戦州4州で、9割の人が「イラクに大量破壊兵器はあったはず」と答えたそうな。「イラクにあったに違いないよ。どこかの国に移転されてしまったんだ」。

チョムスキーが指摘するように報道されていないという側面は大きいのだろうが、それよりも、知る必要がない、知りたくない、というメンタリティなのだと思う。

■ これからの日本

ブッシュでよかったと思えることがひとつある。それはアメリカが双子の赤字などでますます力を弱めるだろうと考えられること。


田中 宇が「非米同盟」で、その点を指摘している (アメリカ自身がその方向を目指しているという主張は同意し難いが)。

日本は、この泥舟に一緒に乗るのではなく、いつでも逃げ出せるようにしておかなければならない。ましてや、国民の (特にお年寄りの) 財産である郵貯を献上して泥舟が沈むのを遅らせてはならない。どうせ沈むのだ。沈まないとしても支えるのに犠牲になる必要はない。でも今の小泉首相を見ているとそういう戦略が立てられるとはとても思えないのだ。

2004/11/09

命の軽重 (4) 人種・民族で重さが違うのか

「命の軽重」このシリーズ最後になります。

人種・民族で重さが違うのか。
私は同じ重さと思いたい。みんなにもそう扱ってほしい。

これで終わり、でいいはずなんですけど、続きがある。

自分から心理的に離れた人の「命」、「死」に実感がもてない。アフリカ、チェチェン、クルド、パレスチナ、北朝鮮、世界中で殺戮や餓死する人たちが大勢いる。そのことを考えるときは心が痛む。だけどそれらの人々の死は自分の生活を脅かさない。まだ新潟で生活の基盤を失った人の苦しみのほうが実感できる。

それは仕方のないことなのかもしれない。これだけ多くの人が苦しんでいたらとても全部の人を救えない。

だが、自分の手で殺したり、自分では殺さないまでも殺す人を支持・支援しているとなるとどうだろう。今アメリカや日本がやっていることはそういうことなのだ。9.11同時テロでたくさんの人々が亡くなった。彼等は無辜の人々で、彼等を死にいたらせたテロは憎むべき犯罪。それではビンラーディンを拘束するためにアフガニスタンで生活している無辜の人々の命を奪うのはどうなのか。アメリカ人や日本人がアフガニスタンの人口の多くを占めていたらどうだったのか。ビンラーディンが日本に潜伏しているという情報が入ったらどうだったのか。

こう考えると我々はアフガニスタンの人の命に重さがないと評価していると考えざるを得ない。それはイラクの人々に対しても同じ。しかもイラクにはビンラーディンはいないのだ。フセインはいたけど、大量破壊兵器は持っていないと言っていたし、それは真実だった。

『「無限の正義」という名の算術」(ライフログにも載せているアルンダティ・ロイ著/本橋哲也訳「帝国を壊すために」に収録) にはこのように書かれている。
1996年に、当時アメリカ合州国の国連大使だったマデリーン・オルブライトが、アメリカ主導の経済制裁の結果、50万人のイラクの子どもが死亡した事実をどう思うかと聞かれて、テレビの全国ネットで、こう答えた。それは「たいへん難しい選択だったが」が、あらゆることを計算に入れれば、「払うだけの価値がある代価だった」と。
払ったのは何に対する代価だったのだろう。そしてその代価を払ったのはアメリカ人じゃない。

太平洋戦争を集結させるために必要だったと言われた原爆も、あの時点では使う必要がなかったはず。戦争終結後、ABCC (原爆傷害調査委員会) は、被爆者を対象に原爆の放射線が人に及ぼす影響を調べた。治療方法を研究したのではなく、効果を調べたのである。その当時のアメリカ人にとって日本人の命の重さがどれだけだったか分かる。

われわれ日本は今はこの国の最大の支援者であることを忘れてはならない。それも意見や忠告をする意志もない、手放しで賛成する支援者なのだ。ブッシュの再選で小泉首相が首相である限りこれが続くことになると考えられる。

北朝鮮のことを話していなかった。北朝鮮には多くの飢えで苦しんでいる人がいる。日本は援助をすべきなのか。したいよね、ちゃんと苦しんでいる人に届くのなら。軍にだけ支援物資がいくのは避けたい。どういう支援方法があるのだろうか。

トラックバック先
□ 天木直人・マスメディアの裏を読むさん: 「11月1日 ◎ 香田さんの惨殺は始まりに過ぎない...」
-- 「テロに屈しない」という小泉首相の言葉は、日本がイスラエル寄りの米国と一緒になって、そのようなアラブの武装抵抗勢力と戦うという宣戦布告なのである。
□ 反米嫌日戦線 LIVE and LET DIEさん: 「京都・奈良が爆撃の対象にならなかったという神話」
-- 原爆は京都に投下されなかったが、ヒロシマ・ナガサキに投下された。 ドイツではなくて日本に。 奴らにすれば、日本人なんぞ「黄色いサル」でしかなかったのである。

2004/11/06

命の軽重 (3) 香田君は自分で自分の命を軽視したのではないか

「命の軽重」3回目です。

命の軽重 (2) では、「自己責任」と「命の重さ」の関係に関して考えた。「自己責任=自分でリスクをとって行動を起こした場合、命はそれだけ軽くなるのか」という問いに対して私の提出した答えは、「否。死に値するだけの責任は存在しない。ただし命を救える確率が等しい訳ではない」である。

今日の問いは、
人が社会に提供する価値によって命の重さが変わるのか。
今日は先に答えを提出してしまおう。
原則 No.
「原則 No.」ってあいまいですね。外交官であれ、ボランティアであれ、ジャーナリストであれ、呑気な旅行者であれ、みんな同じ命。法の範囲内でできる最大限の努力を尽くそう。犯罪者だったら? 法治国家としては、法治国家であることを示すためにも、命を救って、裁判にかけて、それで罪をつぐなってもらう (判決によっては死刑ということもありうる)。要人または何かのシンボル的存在 (たとえば報道の自由の象徴など)だったら? 「法律の範囲の中で」を弾力的に解釈する必要があるかも。いわゆる超法規的措置というもの。(日本人にとって)「テロに屈しない」という価値観よりも守るべきものが大きければ、「テロに屈しない」が戒律であったとしてもそれを破らざるを得ないだろう。「人間の命の重さは同じ」というのはきれいごとにすぎない。「人間の命の重さ」の部分は同じだが、その上に付加価値が載っているというべきか。

さて、今日の表題「香田君は自分で自分の命を軽視したのではないか」に関して。「人が社会に提供する価値によって命の重さが変わるのか」は、ちょっと乱暴な言い換えになるかもしれないが、「人が社会に提供する価値によって人間の価値は決まるのか」ということだ。これは何人かのブロガーの皆さんが指摘されていることだが、香田君は自分を価値のない人間だと考えたのかもしれない。さらに、どうせ生きていても仕方がないと思ったのではないだろうか。推測の域を出ないのだが、そうでなければリスクを軽視した、というより無視した理由が思い付かないのだ。

[補足: あらためてブロガーの皆さんの意見を読むと、「みんな若い頃は無茶やるよね」という意見も多かったですね。それもそうかも、いやいや、いくらなんでも無茶を超えたレベルだろ、とも思う。]

香田君がイラクに旅立った理由に思いを馳せるみなさん
designcafe■さん:「自己責任って・・」
田口ランディのアメーバ的日常さん: 「魔法が消えていく」
何でも書き書きエッセイさん: 「脳足リン、餌食に」
Tomorrow's Wayさん: 「香田さんの死に。すべての、無力を思う。」
浮世風呂さん: 「「いのち」を思わずにいられない」
ぼちぼち行こうよさん: 「回り道の人生を」

ところで、命の軽重 (2)で「自己責任」と「命の重さ」の関係を、命の軽重 (3)で「提供する価値」と「命の重さ」の関係を、というように分けて意見を述べた。分けたのには理由があって、そうでないと信念が揺らいでしまうのだ。一緒にすると「忠告を聞かずイラクに入った呑気な旅行者」の命の重さは?となる。もっといえば、「忠告を聞かず、所持金100ドル程度しかもたず、短パンTシャツで、イラクに自分探しの旅に行った呑気な旅行者」だ。これでは、悪魔の囁きが聞こえないようにするのは難しい。

コメント
 Commented by ethnic at 2004-11-07 08:43 x
TB、コメントありがとうございました。正直言って命の重さは生活環境によって変わっていくものだろうと思います。生まれ育ったところ、社会的位置づけ、周辺事情等によるのではないかと思います。生き物という視点で見ると一つの事例ですが、子どもの数が多い国は貧しいし、子どもも病気や栄養不良でドンドン死んでいきます。だからこそ命が続くようたくさん産みます。子孫を残すための本能。こういうところでは命は客観的にも主観的にも軽く見られているし見ているのではないでしょうか。社会環境のなかでの命の重さは、固体としては生まれたときは同じでも変化していくのではないかと思います。本来的ではないかもしれませんが、貨幣価値で見ると、生命保険金も賠償金も環境、そして本人とのかかわりに対する命の価値代金みたいになってもいますし・・・・。難しいですね。(^_^.)

 Commented by yodaway2 at 2004-11-08 12:58 x
さまざまな議論に接しつつも、私にとって香田さんの死は、実は他人事に受け取れないところがあるのです。これがホンネです。命の重さ――について言えば、それは米軍の爆撃に巻き込まれて亡くなっているイラクの人々もいれば、日本では今回の地震で亡くなっている方もいると思います。それゆえ、本人の無謀さが原因となっている香田さんに同情や共感を抱くのは、当然にして疑義の生まれるところだと葉思います。しかし、それをわかっていても、自分の命を軽視した彼に、何か切なさのようなものを払拭できないのです。もう、人々から忘れ去られていくニュースになりつつあるのかもしれませんが、機会があれば、さらに自分でもまとめてみたいと考えています。

 Commented by yoshihiroueda at 2004-11-09 01:20 x
★ethnicさん、世界を見ると人種・民族で命の重さが違うのではないかと考えさせられる面はあります。その人種・民族自体が命を重く見ていないと思われる現象もあります。中国では一人っ子政策の結果男女比が116:100になっているということでしたね。
人種・民族による重さの違いに関しては新しい記事を書きましたが、他の国民が重み付けをするべきものではないと思います。

 Commented by yoshihiroueda at 2004-11-09 01:33 x
★yodaway2さん、彼にシンパシーを抱くのは、これまでの生き方に関する情報が伝わってきていることと(イラクの人や新潟の人たちは自動車ごと崩落に巻き込まれた母子の話等をのぞいて数としてしか伝わってきていない)、その生き方にシンパシーを感じているのだと思います。私は若い時の放浪や冒険にちょっぴり羨ましさを感じています。沢木耕太郎の「深夜特急」って読んでみたくなりました。

 Commented by design-life at 2004-11-11 05:59 x
縛りのある自己責任っていうのか、彼が自分の意志で・・とはいえ
危険を顧みなかったのは恐らく無知からきたものだと思うのです
よ、やっぱり。でも命の価値を軽視する風潮・・そういう意味で
言えばブッシュもイスラム過激派も同じなのですが、おのおのの
価値観で勝手に判断しているように見えますよね。日本政府に対し
て言いたいのは「日本の価値観」「法治国家としての日本の態度」
を明確に示して欲しい。同調するのではなくて。
その中で「国としてはここから先に踏み込んだら皆さんを守れませ
ん」みたいな国としての警告、命を守るための警告がなされれば
少なくても少しは無謀な人たちをくい止められるような気がしま
す。相手が自分たちと同じ生命の価値観を持っているとは限らな
い訳ですからね。残念な事ですが。。

 Commented by yoshihiroueda at 2004-11-11 21:51 x
★design-lifeさん、日本政府に言いたいこと、まさにおっしゃるとおりと思います。現在は同調というかいいなりですよね。
「警告」に関しては、なにかあったときに国として見捨てるよ、というのではなく、国としては最大限の努力をしても救えない場合もあるということを分かってもらうことでしょうか。コメントありがとうございました。

2004/11/04

命の軽重 (2) 自己責任は自分に対しての責任

「命の軽重」続きです。

前回の人質事件で「自己責任論」という概念が提示され、それが正しいものとして定着したかのようだった (今は違ってきている、と信じたい)。 それが受け入れられた背景には、人質の家族の対応に対する反発もあったように思う (これは「覚悟が足りない」で書きました)。香田さんのご両親のように、一番悲しいのは自分達であるのにも関わらず国民の皆さんに謝罪、感謝されている姿があれば違った世論になっていたと考えられる (そんな香田さんのご両親に対して批難の電話をする人も多いそうですが)。

だが、この「自己責任論」って定義された概念なのか。聞いている限りでは、
危険を顧みず、忠告も聞かず出かけたのだから、誰も助けない。また、誰にも助けを求めるな
というように言っているようだ。

ここのタイトルに「自己責任は自分に対しての責任」と書いた。これは、社会に対してまで責任を取れというべきでないといっている。忠告聞かなかったから、
・自分が面倒な状況に追い込まれる。
・恐いめにあう。
・苦しいめ、痛いめにあう。
これらで十分じゃないの? 助けてくれって言っているのに「そのまま死んでしまえ」と言えるほど悪いことをしたの? 国のお金や政府・役人の労力を使うのがそんなにもったいないの? 忠告聞かなかったらそれだけ命が軽くなっちゃうの? などと思う。

・甘い話にのって詐欺にあったら、警察は捜査して犯人を逮捕してくれるんじゃないの? 裁判所は懲役刑を宣告してくれるんじゃないの? お金はあまり戻ってこないかもしれないけど。
・警告を無視して川の中洲でバーベキューしていた人たちに対して、救助隊は罵声を浴びながらも救助しようとしたよね? 全員は助けられなかったけど。
・自殺しようとしているしている人も止めさせようとするよね? 飛び下りちゃったら命は助けることできないかもしれないけど。

もちろん、最善を尽くしても、全てが事件事故がおこらなかったのと同様にはならないかもしれない。国が国民の命や人権や財産を守るということは、あらゆる場合において保証することを意味している訳ではない。ましてや外国では制約も多い。上記3つの例で、「〜けど」とつけたのはそういうこと。そこは本人に自己責任として受けてもらうしかない。
思い出しました。これって、そふぃあさんの受け売りだった (「レベルは違うけど」2004年4月20日)。
「風邪ひいたって、お母さん知らないよ。
自分で薄着がいいって言ったんだからね」
.....
結局、うちの子は薄着で出かけた。
子供の、服を選ぶ自由の権利を
母は認めたのである。
一応、お母さんは知らないよ、とは言ったけどね
風邪ひいたら、しかたない。
看病するのが 親のつとめだもの ね。
ここでは「熱や咳が出て、苦しい」ってとこまでが自己責任ということになるだろうか。

コメント
 Commented by sofia_ss at 2004-11-05 11:41 x
trackbackありがとう^^
私は「自己責任論」というのは、まったく無意味でなんの解決にもならないものだと思っています。自分で最後まで責任とりなさいよ、といったところで本当にそれが実行できるものなのか、できないと最初から見えているのなら、それなりの方策をとるべきだと思っています。
「危険なところに行ったのだから、命をなくす結果になってもこちらは関知しない」というのであれば、勧告ではなくもっと強く姿勢を打ち出せばいい。でも、それは実際にはできないことです。「自己責任」という言葉は、人との関わりを一切断ち切る、方便でしかない。野次馬が使うならまだしも、政治家が使うべき言葉ではないし、それを言ったところで事態が動くのか、と問い詰めたい気持ちになります。
子供が風邪をひく可能性があるのなら、風邪薬を用意するとか、正しい天気予報を把握しておくとか、親の意向に沿わない子供への対処のしかたってもんがある、と思った次第です。

 Commented by yoshihiroueda at 2004-11-06 05:37 x
★そふぃあさん、ありがとうございます。自己責任論が方便だというのはまさしくそのとおりで、政府が批判を避けるために持ち出してきたと思っています。4月は我々国民がそれに乗せられちゃったのが悲しいですよね。今回はあまり大きな声では言われませんでしたが、まだその後遺症が残っているようです。命を軽視する風潮はなんとかしたいですね。

2004/11/03

命の軽重 (1) テロに屈しないということ

「命の軽重」で書きたかったことの一部だけまず書きます。

香田君の事件がおきて、小泉首相はすぐに「自衛隊は撤退しない。テロに屈することはできない」と発言した(毎日新聞 2004年10月27日)。テロに屈しないというのは世界の共通認識といえるだろう。自衛隊を撤退させないというのはこのタイミングでは正しい選択だ。

「ブッシュとケリー: 同じ穴のムジナ」で紹介している記事「大詰めの選択: 米大統領選の焦点/中 小泉首相、過度の“親ブッシュ”」 (毎日新聞 2004年11月2日)に以下のような記述がある。
「人命は地球より重い」と言ってダッカ・ハイジャック事件(77年)で超法規的措置に応じたのは当時の福田赳夫首相だ。その福田氏の書生をしていた小泉純一郎首相が、イラク武装勢力による「自衛隊の撤退要求」を即座にはねつけ、帰結として香田証生さんは無残な姿で発見された。 
この27年間で人の命が軽くなったわけではない。変わったのは、テロリストと取引してはならないという原則が、米同時多発テロ以降、各国の指導者にとっての戒律になったことだ。「テロに屈しない」は、テロとの戦いを最優先とするブッシュ米政権への政治的な同調宣言でもある。
ここでは、「テロリストと取引してはならないという原則が、米同時多発テロ以降、各国の指導者にとっての戒律になった」とあるが、ハイジャック事件の時点で「原則」というものではなくすでに「戒律」になっていたように思う。日本の決定が世界から大きな批判をうけ、はじめて私はそれが世界のルールであることを知った。その後、それで解放された日本赤軍のメンバーが国際テロリストになり犠牲者が多く出たこと、その後発生した事件では他国政府は人質に犠牲が出ても突入するという対応をとったことで、「テロに屈しない」ということが世界の常識であるということを再認識していったと思う。

しかし、「テロに屈しない」ということには2つの意味がある。
・取り引きをしない
・犠牲者が出てもテロリスト=犯罪者を逮捕する (場合によってはその場で射殺する)。

今回、小泉首相は「取り引きをしない」という点では正しい対応をとったといえる。身代金の交渉があったということだが、それは相手の要求が自衛隊撤退ということであれば代案を出したことであって納得のいく対応と言って良いと思う。

だが、香田君の殺害という犯罪に対しての対応はどうか。最悪の結末を迎えたみたいな言われ方をしているが、これでこの事件は終わったと認識してはいまいか。テロと戦う決意を示すと言うならば、犯人の居所をつきとめ犯人を拘束するということまでやってはじめてテロと戦ったといえる。

このためには、イラク政府と協力して行わなければならない。イラク政府が許すならば日本から特殊部隊を投入してもよい (現段階では外国での行動までは法整備と訓練ができてないと思いますのでこれは理想論)。これはアフガン戦争の手法=そこに住む民間人の犠牲を厭わないということをいっている訳ではない。あくまでも犯罪として扱うということだ。

自衛隊の撤退に関しては「覚悟が足りない」で述べたが、別の文脈で行うべきであろう。自衛隊は米軍の支援に行っている訳ではなく、イラクの復興支援に行っているのだから、
・まだ戦争は終わっていないという現実を再確認する
・アメリカの意志でなくイラク政府の求めに応じて行う
・求められる支援を行う (雇用や景気回復が求めていることならば自衛隊でなく民間の力をつかって行う)
ことが必要になる。これらから得られる帰結は、「現段階ではひとまず撤退」ということになる。

これ以上に自衛隊の撤退の意味で重要なことは、「イラク戦争は間違っていたことが分かった」ということだ(もともとそうだったと思うのですが現在言うべきこととして)。これはただの侵略戦争であることが明らかになった。我々は侵略者に与しないというメッセージを発する。

ぶち総研さんの「社説比較。武器輸出三原則見直しへの反応」へのコメントで私は
組んでいる相手が尊敬される存在ならば良いのですが、ギャング団だとしたらその一味とみなされる訳で、直接攻撃を受ける可能性は低くなるかもしれませんが、テロを受ける可能性は格段に大きくなるでしょう。今はまだ発生していませんが、テロによる揺さぶりの効果を考えると、打たれ弱そうな (戦力ではなく覚悟ができていないという意味です) 日本が狙われる可能性は、米国本土よりも高いのではないかと思います。
と書いた。この点は、愛のまぜご飯さんの主張(「妄想」)、冬瓜茶さんの主張(「理解ができれば許せるというものでもあるまい」)と同じと思う。

これで議論が進めば、香田君の死は無駄にならず、ヒーローになりえるのではないか。派兵の意味がこれまで十分に議論されていないといことがなさけないことなのだが。

ただ、小泉首相には「これまで間違っていました」と自らいう勇気はないだろうな。

コメント
 Commented by n_ayada at 2004-11-03 23:58 x
はじめまして、ちょくちょく読ませていただいています。
こんなに冷静で、論理的な文章に感心し、尊敬してしまいます。私なぞ未熟者で、つい感情的に走ってしまうもので。日々反省。
これからも、よろしくお願いします。

ブルース・ブラザーズ、私も大好きです。

 Commented by yoshihiroueda at 2004-11-04 22:16 x
★n_ayadaさん、はじめまして。ブログは、自分の考えを書き留めておきたいということと、人にメッセージを伝える訓練ともとらえていて、論理的だと評価していただいて素直にうれしいです。ただ、もう少し短くまとめたいとも思うこのごろ。「食べる・聴く」拝見しましたが、多彩なジャンルがカバーされていて、それぞれの紹介文で聴いたことのない音楽も聴きたくなりました。こちらこそよろしくお願いします。

2004/11/01

命の軽重

今回の人質事件では、香田君が亡くなったことが判明してから「命の重さ」に関して議論されるようになったと思います。それはそれで良いことだと思いますし、私も命に軽重はないというのは根っこの部分では分かるのですが、ちょっと違和感が残ります。

日本は、アフガニスタン、イラクへの戦争を支持していますが、多くの無辜の人が死んでいくことになることは事前に分かっていましたが、それらの人の命の重さは量られたでしょうか。北朝鮮への制裁でも同様です。

すみません、偽善にみえることは分かっています。ちょっと今日はこれ以上まとめられません。もう少し考えがまとめられたらトラックバック等おこないたいと思います。

2004.11.3追記: 考えたいことは現段階では以下のようなものがあります。
● 命の軽重 (1) テロに屈しないということ
● 命の軽重 (2) 自己責任は自分に対しての責任
● 命の軽重 (3) 香田君は自分で自分の命を軽視したのではないか
● 命の軽重 (4) 人種・民族で重さが違うのか

ブッシュとケリー: 同じ穴のムジナ

こんばんは、ラルフ・ネーダーです (ウソ)。米国大統領選挙は11月2日だそうですね。それまでにこの宿題を片付けないと。

マイケル・ムーアの活動などで、ブッシュよりケリーのほうが世界は平和になると思われているようで、ケリー支持が多いようですね。ニューヨーク・タイムズ紙、ワシントンポスト紙ともにケリー氏を支持しています (毎日新聞 2004年10月18日, 毎日新聞 2004年10月25日)。一方、分析としては、ブッシュやや優勢、どっちに転ぶか分からないという情勢みたいです。

ところで、私はこれまで何回かブッシュとケリーは、同じ穴のムジナではないかと書いてきました。

毎日新聞 2004年7月30日
米大統領選: ケリー氏、同盟国と関係再構築 米民主党の指名受諾演説で表明
ケリー氏は「国民を誤って戦争に導かない米軍最高司令官になる」と宣言。「米国はそうしたいからという理由では戦争をせず、しなければならない時だけ戦争をする伝統を取り戻す」と述べ、ブッシュ政権がイラクの大量破壊兵器疑惑を誇張して開戦の根拠にしたとの認識に立ち、こうしたやり方を非難した。
そのうえで「同盟国を米国側に引き寄せる信頼性を有し、負担を共有させ、米国の納税者コストを減らし、米兵の危険を減らす大統領が必要だ。それが任務を終わらせ、米兵を帰還させる正しい道だ」と述べ、米国がイラクの混迷から抜け出すためにも、国際協調態勢が不可欠と訴えた。
一方、「必要とされる時には武力行使をちゅうちょしない。どんな国や国際機関にも米国の安全保障への拒否権を与えない」と、米国の安全が脅かされる事態には、先制攻撃や単独での武力行使を排除しない考えを示した。また米軍の4万人増員などを主張し、対テロ戦争での勝利を誓った。
「9.11」 (うえぶろぐ 2004.9.11)
ブッシュの代わりはケリーです。同じ穴のムジナです。「戦争をしたいからするのではなく、必要だからする」って、2つの間に違いはありません。
「必要だから」というのはイラク戦争だって同様の理屈が与えられます。先制攻撃や単独での武力行使を排除しないと言うのは、必要に迫られてでも無く、他国がどういおうとアメリカにとって必要ならば戦争するという意味です。

さらに危険なことは、ヨーロッパではそれを恐れていますが、「負担を共有させ、米国の納税者コストを減らし、米兵の危険を減らす」という点。方法が「負担を共有させ」ることですから、同盟国(もちろん日本を含む)のコスト、危険は増えることを意味します。

また、
毎日新聞10月10日
米大統領選: 第2回テレビ討論 ケリー氏、京都議定書の欠陥修正に前向き
民主党候補のケリー上院議員は、ブッシュ政権が離脱した地球温暖化防止のための京都議定書の欠陥を修正することに前向きな考えを示した。
「米国大統領選イメージ戦略」(にぶろぐ 2004.10.11)
さて結果はどうなるのでしょうか。ケリーは京都議定書への取り組みでも積極的なところを見せているようですが、「修正」を口にしており(毎日新聞10月10日)、やっぱり同じ穴のむじなという印象が抜けません。
「欠陥」はアメリカにとっての欠陥です。現在のようにエネルギー使い放題ができなくなるということです(まあ少しは減らしても良いとは思っているのかな)。欠陥を修正したらこの状態にお墨付きを与えることになります。まだ孤立している状態にさせておく方がましでしょう。

結局どちらをとってもアメリカはアメリカ中心主義(帝国主義といういわれかたもしますが)反省しないということです。

ちょうど以下のような記事がでました。

毎日新聞 2004年11月1日
大詰めの選択: 米大統領選の焦点/上 「テロ生む土壌」議論なく (「下」が出たらリンクを追加します)
結局、ブッシュ、ケリー激戦の構図は、単独行動主義と国際協調路線が米国世論を二分していることを意味しない。どちらが当選しても、国際社会への思いやりに欠ける超大国の国益優先姿勢が続くのではないか。そんな懸念が募る。
私の懸念も同様です。ケリーだと違ったことをやりたくなって、次はイランが危ないのではないか、むしろブッシュのままでいてくれたほうが、犠牲があまり拡大しなくてよいかとも思っています。

追記: 「米大統領選の焦点」 シリーズその後
大詰めの選択: 米大統領選の焦点/中 小泉首相、過度の“親ブッシュ” (毎日新聞 2004年11月2日)
「同じ穴のムジナ」ではなく、ケリーが通った場合の日本への影響の懸念でした。
大詰めの選択: 米大統領選の焦点/下 再び増大「双子の赤字」(毎日新聞 2004年11月3日)
「双子の赤字」(にぶろぐ 2004.10.15)に対してどちらも有効な施策がないと言う意味では同じ穴のムジナでしょうか。

コメント
Commented by jinsei1 at 2004-11-01 21:09 x
我利我利が、ますます我利我利亡者になっては欲しくないものですが、末法の世のその儘を、どう楽土に構築出来ますやら---。日くれて道遥かに遠く。

 Commented by yoshihiroueda at 2004-11-01 21:19 x
★jinsei1さん、さっそくのコメントありがとうございます。合衆国の選挙権ないのもどかしいですね。選挙権くれるのならアメリカのひとつの州になるのもいいかも。アメリカ国民の1/3を日本人がしめたら大きなパワーになると思います。

 Commented by jinsei1 at 2004-11-02 06:52 x
なるほど■の懐に入り込む!なるほどなるほど---。
で、国語が英語???

 Commented by yoshihiroueda at 2004-11-02 08:29 x
今でもアメリカにはスペイン語しか話せない人がいます。州全体で公用語日本語にしちゃう。あとイラクもイスラエルも全世界をアメリカの州にして選挙権を与え、パックスアメリカーナを実現する... ってすみません、また妄想が...

2004/10/07

既定路線?

Bra-netさんから、トラックバックいただきました。

極めて重要!! あなたの子供の未来に確実に影響します!! 2 〜抗議のメールを政府に〜
また、jinsei1さんも記事を書かれています。
例によって

さて、以下のニュース
毎日新聞 2004年10月4日
安保防衛懇:
「多機能弾力的防衛力」を提唱

を見た時、これは大騒ぎになると思いました。確かにこれまでの流れをそれぞれはぽつぽつと言われてきていることのように思います。ただ、これだけまとまって報告書にまとめられ、「防衛計画の大綱」に反映されるとなると、大きな問題になりますよね。

ところが、この記事は単発で、その後おおきく取り上げられていません。ということはもしかしてもう誰も驚かないの? もしかして既定路線で知らなかったのは私だけ? 特に「武器輸出3原則の見直し」はそれほどおおっぴらには言われてなかったように思うのですが? また、「日米同盟の維持・強化」ってありますが、安保条約を「同盟関係」として位置づけるのはもう当然になってるの?

当然のように扱うことによって、今さら聞けないという雰囲気を作り上げ、疑問の声をあげることを封じているのでしょうか。

そうでないことを伝えなければいけません。ここにその既定路線を許さない私達がいます。Bra-netさんが提唱されるように抗議のメールもその手段です。また、ブログでの発信、リンクを通じて平和の輪を拡大させていきましょう。

たとえ坂本龍一が許しても、このuedaが許しません。
このことに懸念を抱いているみなさん(追加)
jasturさん 放置国家!
heteheeteさん 人殺しをせずに人殺しを防ぐ事は出来ないのでしょうか?

2004/09/11

9.11

9月11日ですね。

私はそのとき、正直なところ、アメリカにも「反省」という概念が出てくるかと思っていました。たしかに甘い考え方かもしれません。しかし、犯行の主体がビンラーディンにしろ誰にしろ、その全容解明には相当な時間がかかると思っていましたし、その間には、なぜそうなったかという議論も起こるだろうと考えていました。また、たとえ唯一無二のスーパーパワーであるアメリカにどの国も逆らえない状況とはいえ、アメリカにはいない犯人を見つけだすのに他国との協調も必要になります。

しかし、そうはならなかった。「テロに対する戦争」という概念が発明され、アフガニスタンにいると思われる犯人を見つけだすのに、アフガニスタンに住む人々はどれだけ犠牲になってもよいことになってしまいました。もしビンラーディンが東京にいたらどうなっていたでしょうか。東京は攻撃できませんか? 沖縄だったらどうですか?

国連は機能しませんでした。アメリカが攻撃したいと思ったら、国連にわざわざ承認を求める必要はないことを示したのです。証拠も要りません。ただ「テロリストにつくか、われわれにつくか」という選択肢が提示されただけ。「我々」というのがどういうものかということを吟味もせず、日本はこのジャイアン側につくことにしたのです。

ソ連が崩壊して、アメリカのみがスーパーパワーになったとき、一瞬暗い未来を予見しました。しかしすぐに、いやいやアメリカは違う、これまで正義の旗のもとに行動してきたのに、その舌の根も乾かないうちに悪の帝国になれる訳がない、と自分の中で否定しました。それも甘い期待でしかありませんでした。

今後期待はあるのでしょうか。アメリカはアメリカ国民しか変えることはできません。マイケル・ムーアが反ブッシュの運動を行っています。これはかなり効果は持っていると思いますが、ブッシュの代わりはケリーです。同じ穴のムジナです。「戦争をしたいからするのではなく、必要だからする」って、2つの間に違いはありません。

まだ夢想的なことをいうと、日本こそ世界を平和に導けるポジションと資格と力を持ち合わせていると考えています。日本が世界のリーダーになるビジョンを掲げ、日本人の誇りを訴える指導者が出てくると、世の中を変えられると思うのです。

論理の飛躍のある荒っぽい文章ですね。また少しずつ補足して行くかもしれません。

トラックバック先です。

瀬戸智子の枕草子 (瀬戸智子さん) あれから僕たちは何かを信じて来れたかな?
Sofia_SS (ソフィアさん) 911

コメント
 Commented by jinsei1 at 2004-09-11 19:17 x
奇しくも今日9.11、ジェンキンス氏家族伴い、司法取引へ、米軍管轄下に。

 Commented by rkya at 2004-09-12 23:25 x
先日はコメントありがとうございました♪
そうなんですよね、反ブッシュはいいけど、反小泉もいいけれど
じゃあ誰だったらいいの?誰ならどうよくしてくれるの?ってことになると、、、。
ジェンキンスさんの問題、どうか穏便に解決されますようにと祈る様な気持ちです。

 Commented by rakurakuonsen at 2004-09-13 00:02 x
こんばんは。TBさせていただきました。交渉のテーブルにつかせる「度量」が、国際社会の側に求められている…そんな気がします。

 Commented by yoshihiroueda at 2004-09-14 07:12 x
皆さん、コメントありがとうございます。返信遅れ申し訳ありません。
ジェンキンス氏に関しては解決が規定路線で心配することはないと思っています。でもまだまだ他の人が残っていますからね。

 Commented by yoshihiroueda at 2004-09-14 07:21 x
★rakurakuonsenさん、TB、コメントありがとうございます。アメリカに度量を求めるのは相当困難な状況だとは思いますが、親米国日本こそ、その役割を担わなければならないのだと思います。家来としてではなく率直な意見を交し合える友人として。

 Commented by bra-net at 2004-10-06 14:06 x
TBしました。大変なことになってきました。産業界がとうとう軍事政権の表舞台へと上がろうとしています。

2004/09/10

「テロ」と「戦争」

北オセチアの学校占拠事件、これまで何か書こうと思いつつ書けずにいました (04.09.11追記: この点yodaway2さんに近いかもしれません)。いや、今も直接このことに関して書けません。

愛のまぜご飯 (by heteheeteさん) 「テロと戦争」
日日光進 (by jinsei1さん)「オイオイッ!」

これらの記事にトラックバックして記事を書いています。愛のまぜご飯さんのコメントに書いたものをちょっと変えています。タイトルも愛のまぜご飯さんと同じですが、ちょっとだけ変えています。

昔は「テロ」という言葉は明白だったと思います。憎むべき犯罪でした。無関係な人の命の犠牲も厭わない卑怯な犯罪です。一方、「戦争」。これは「避けたいものではあるが、やむにやまれぬもの」というニュアンスがあります。さて、この時点で既に「テロ」は便利な言葉になっています。「テロ」というラベルがついたものは「悪」、「戦争」は理由があれば「義」、「正義」となります。

「テロ」は犯罪です。それも卑怯な犯罪です。絶対に阻止しなければなりません。そのためには人質に犠牲が出てもかまわないというのが国際的なコンセンサスでした。福田さんが「人命は地球より重い」といって、テロリストの要求をのんで犯罪者を解放したとき、日本は大きな批判にさらされることになりました。

「テロ」は犯罪です。「犯罪」に対しては「犯人」を見つけ出し、証拠を見つけ出し、裁判にかけないといけません。捜査の段階で、違法捜査があってはいけません。また、民間人に犠牲が出るような無茶なことはできません。正義のためだったら公正な手続きが必要になります。面倒くさいですね。不便ですね。

そこで便利な概念が発明されました。「テロに対する戦争」です。「戦争」は面倒な手続きは要りません。テロリストの近くに住んでいる無関係な人が巻き添えになってもかまいません。だって戦争なんですから。「無関係な人を巻き添えに」ってどこかで聞いたことがあったような... あ、「テロ」の定義のところでしたね。

相手に対して「テロ」のレッテルを貼りましょう。国際社会がみんな同情、支持してくれますよ。自分のやることは「(正義の) 戦争」と言いましょう。戦争はやっぱり嫌だというところもありますが、支持してくれるところもありますよ。なにせ「正義」なんですから。日本の首相も「仮定の質問には答えられない」と言っていますが、大丈夫、始まったら容認してくれます。支持してくれます。支援してくれます。

さあ、声の大きいところは真似しましょう。ロシアさん? ああ、あなたのところはマスコミもあなたのいうとおり動いてくれるので、うまくいきますよ。うちだと批判を抑える雰囲気作りが大変なので、あなたのところがうらやましい。

途中から文体が変わってきた? 賢くなったって言っていただきたいですね。

[04.09.11 トラックバック追加しました]
Tomorrow's Way (by yodaway2さん) 「露学校人質事件、テロに立ち上がって抗議した少年は……。」
あたしの青春返してよ (by とびげりさん) 「憎しみの連鎖」

[その後の追加トラックバック - 「テロ」という言葉の使い方を問題にされているみなさん、「戦争」の犯罪性を問題視するみなさん]
=社説は語る= (by ko-bar-berさん) 「ウズベキスタン暴動を武力制圧」
浮世風呂 (by rakurakuonsenさん) 「ウズベクでの中露vs英米?:構図は簡単ではない」
designcafe-blog (by design-lifeさん) 「何が正しいのか。」

コメント
 Commented by heteheete at 2004-09-10 09:07 x
おはようございます。heteです。
トラックバックどうもありがとうございました。
『ロシア、海外の武装勢力拠点への先制攻撃を示唆』などという
ニュースを見て、ロシアもアメリカのように戦争を始める大義が出来て
喜んでいるように見えてしまい、恐ろしいです。

(私事で恐縮なのですが、今朝自分のブログにログインが出来ません。
yoshihirouedaさんはそんなことないですよね?)

 Commented by yodaway2 at 2004-09-11 01:18 x
何が正義で、何が正義でないか……。それは拠って立つ国家、民族、宗教によって拘束を受けがちだと思います。しかも、その拠って立つものは、多くが生まれながらにして決まってしまっていることが少なくありません。子どもの頃……、私は戦争のニュースを聞くたびに、神様はとても意地が悪くて、人間が対立するように、対立するようにと世界をつくったのじゃないかと疑っていました。これからの時代、個人であっても国家のレベルであっても、生き残っていくだけでも、けっこう大変になっていくのかもしれません。人間に対して、ちょっと厳しすぎる感想になったかナ?

 Commented by yoshihiroueda at 2004-09-12 04:42 x
★heteさん、返信が遅くなりました。強いロシア、拡大するロシアはロシア国民が望んでいることで、暗澹たる気持ちになります。でも外にまで出て行く体力あるのかな。

 Commented by yoshihiroueda at 2004-09-12 04:47 x
★yodaway2さん、返信が遅くなりました。価値観の違いはありますが、共通の価値観として人命、人権、幸福というのがあると思いますし、どの文化であってもそこを認識しなければならないと思います。そしてその次に、それ以外は寛容であることが共通の価値観であってもらいたいものです。

 Commented by rakurakuonsen at 2005-05-19 23:42 x
こんばんは。コメント&トラバ、ありがとうございました!
僕の記事を追加していただいたんですね。感謝感謝です。
yodaway2さんへのコメントのなかで
>寛容であることが共通の価値観であってもらいたい
とおっしゃってますよね。
「あぁ、揺らいでいるのはそこかも。」と感じました。まだ、うまくはいえないんですが・・・
じっくり考えていくと、哲学や倫理学の領域に行きそうなテーマですね。(僕は、あまり得意じゃないんですが・・・)
落ち着いて考えてみたいですね。

 Commented by rakurakuonsen at 2005-05-19 23:50 x
蛇足ですが・・・
uedaさんのところにきているトラックバックスパム、僕のところにきていたのと同じものです!撃退法あります。浮世風呂に「ワイルドカードでトラックバックスパム対策」(5/15付)という記事を書いてますので、よろしければご覧下さいませ。

蛇足2
yodaway2さん、400本達成、すごいですね。あそこは、本当にいいコミュニティになってて、いつも素晴らしいと思います。yodawayまつり、やってみます?(笑)。どうするといいかな・・・ blog名の最後に「's way」ってつけてみるとか。 ・・・わくわく。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-05-21 14:18 x
★rakurakuonsenさん、
アメリカの「民主主義の輸出」、コンセプト自体は崇高だと思いますが、手段や本音はちゃんと見据えないといけないと思っています。キーは、その国の人々にとって本当の幸せはなにかということかなと思います。

 Commented by soliton_xyz at 2005-06-11 18:24 x
「テロに対する戦争」というのは、実のところ、アメリカを統合し強化するために必要な「神話」だそうです。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-06-11 22:06 x
★soliton_xyzさん、「テロに対する戦争」って、9.11以降ナショナリズムの強化に使われましたね。びっくりするくらい言論の自由もなくなって、太平洋戦争時の日本みたいと思いました。中国の反日デモ・暴動も同じようなものなんでしょうね。

2004/08/24

「戦争のつくりかた」を読もう/買おう


「戦争のつくりかた」を読み広める会に賛同して、私も推薦の言葉などを。

最近、憲法改正の話題が多くなっているようです。自民党も、民主党も、憲法を改正すべきと言っています。確かに、今の憲法はアメリカに与えられたものであるというのは正しいでしょう。外国から攻め込まれたときに戦わずどうぞ殺して下さいというのかと問われれば、それは嫌でしょう。

議論もせずに反対することを批難する向きもあります。そう、我々は議論し、お互いの意見を理解しなければいけません。いや、議論する前に理解しておかなければなりません、正論と思える議論の裏に、どんな本音が隠されているか、隠されている可能性があるかを。

既に動き出しています。アメリカの「無限の正義」というマントもほころび、戦争する目的が金儲けのためであることは隠しきれなくなっています。アメリカはそれでも平気になってきています。なにしろ誰にも文句をいわれない存在になっているのですから。さらに日本やイギリスが支えてくれていますから。日本はいまやそのアメリカの最大または2番目の支援者であることにいったいどれだけの人が認識しているでしょうか。その覚悟をもっているでしょうか。ちなみにブレア英国首相は国益のためアメリカを支持することを議会(=国民)に対して説得し続けています。一方小泉首相は、開戦前に、どうするつもりなのかを問われても、どうなるか決まっていないことに対して議論できないと答えていました。そう、我々はなんの覚悟も無くここまで来ているのです。

この本を読んで、憲法の改正に、法律の成立にどういう意味があるのか、どういう結末に導く可能性があるのか、知っておいてもらいたいと思います。この本自体は一方の立場でしか語っていませんが、大丈夫、反対の立場からの意見(その正論の部分のみ)は喧しく聞こえてくるでしょう。

なお、この本はWebで読むことができます: Web版 戦争のつくりかた
また、各種参考文献もWebで入手できます: リボン・プロジェクト
本を買うメリットは、背景、参考文献と対比しながら読むことができる点と、お子さんにも与えるまたは目につくところに置いておいて自主的に手にとって読むことが期待できるというところでしょうか。また、購入によって作者、出版社を支援することもできます。

最初に現在の憲法はアメリカに与えられたといってよいと書きました。今また、アメリカの中枢(パウエル国務長官、アーミテージ国務副長官)が、 憲法を与えようとしています。「国連安保常任理事国になりたければ、憲法9条を見直せ」と言っています。アメリカに与えられた憲法ではなく自主憲法を、という声が聞こえてきたら、それは本当に自主なのか疑ってかかる必要があります。

彼等の発言に対して、2つの逆の立場の意見があります。それぞれ考えられた上での結論と思いますので、ここで紹介します。
森田 実: 日本をアメリカの前線にするための憲法改正
田中 宇 (さかい): アメリカは日本に自立を求めている
後者も、自主的にアメリカと同じ立場をとれと言っていると考えると、同じなのかもしれません。私は、森田の「憲法改正問題は、日本が米国から真に独立し、真の独立国家になってから、じっくりと取り組むのがよいでしょう。」という発言に共感します。

追記: 忘れていました。みなさん、この本を紹介する輪にはいりましょう。紹介したら日日光進さんの「戦争のつくりかた」を読み広める会にトラックバック(http://jinsei.exblog.jp/tb/909093)を送りましょう。

2004/08/11

長崎市長という仕事

長崎平和祈念式典に出て、長崎市長は (もちろん広島市長も) 通常の市の運営のほかに、ナガサキの声を伝えるという役割を担う存在なんだということを改めて感じました。選挙でもそういう点が評価されているのだと思います。

長崎新聞に「非核の時代へ =伊藤市政の軌跡=」という連載がありました。

2004年 原爆・平和連載企画

これをみると、高い評価もある一方で多くの批判もあるようですね。私が感動した平和宣言も市長自らの筆によるものではなく、「起草委員会」の手によるものとのこと(広島は市長自ら)。荒削りでも良いので市長としての強い意志が反映されるほうが良いのではないかと思います。

市長と言えば、本島さんのことを思い出さざるを得ません。昭和天皇の戦争責任に関しての言及で自民党の公認を得られず、当時の社会党はこれまで対立候補だった本島さんを支援することを決め、自民党候補を破って当選したのでした。発言自体は至極抑制されたトーンであたりまえのことを述べただけと見えましたが、言及すること自体がタブーだったのでしょう。その中で長崎市長として勇気をもった発言だったのだと思います。

私は長崎市民ではないので選挙権はありませんが、今後も長崎市長は長崎市民の平和への祈りを言葉に変えて世界に主張し続けていただきたいと思います。上記の連載記事の最後のインタビューで、来年の60回平和祈念式典を集大成となるようなものにしたいということが語られています。「被爆者や市民、若い世代はもちろん、平和に貢献してきた内外の方々に参加してもらえるような形」というのに期待しています。私は式典の有効性を疑問視する記述をしましたが、「語り継ぐ」とう点だけでも意義のあるものと思うようになりました。
コメント
jinsei1 の投稿: 2004年8月14日 7:58 AM
何だろな?にコメント、有難うございました。>抵抗の低い水着。いえ、申し訳ない。トラバもさせて頂きました。

jinsei1 の投稿: 2004年8月14日 2:25 PM
有難うございます。(日日更新・行進を、密かに心がけてやってます)常任理事国入りと、九条廃棄とを取引する様な言辞が、あの穏健派と目されていたパウエルからも漏れる昨今。みんなでもっとシッカリ連携して九条は守らねばと思うものです。お互い頑張りましょう。

2004/08/09

語り継ぐ意志

長崎に生まれ、高校まで長崎で過ごしたのですが、生まれて初めて平和祈念式典に参列してきました。

いろいろ考えさせられることの多い体験でした。

・式典の開始まで配られた小冊子を読んでいました。特に伊藤市長による「平和宣言」は、アメリカ市民の皆さん、世界の皆さん、日本政府、若い世代の皆さんへのメッセージで構成されており、それぞれ連帯を求めるものになっています。特に「この若者たちの情熱に希望の光を見いだしています」というところでは、涙が出そうになりました。

・式の進行を高校生男女2名が務めていました。力強くハッキリした口調は頼もしかったのですが、特に最初に「我々が平和への思いを引き継いでいく」(すみません、正確には覚えていません) という意志が示された時には、また涙が出そうになりました。

・式典の最後の方で、「千羽鶴」という歌の合唱がありました。曲や合唱は私の好みではなかったのですが、配られた小冊子の歌詞をみているとまた涙が出そうになりました。鶴を折る際にわき起こる色々な思いを綴ったものですが、特に
未来への希望と夢を
虹色の鶴に折る
というところ。

自分でもびっくりするくらい、戦争の悲惨さ、核兵器の悲惨さよりも、未来の希望、それを若い人たちが受け継ぐというところが、私の琴線に触れていることがわかります。とびげりさんのブログの記事でも「平和は受け継いでゆくから、見守っていてください」とあって、こういう若い人が増えてくれることが、地球にとっての唯一の望みのように思えてきます。

と思う一方で、毎年開催している式典が、世界にどのような影響を与えているのかという無力感も感じます。また、日本政府に対しても同様で、小泉首相の挨拶も表層的にしか聞こえませんでした。もちろんここであまり大きな約束、宣言をする訳に行かないのは分かりますが、「感動した」くらい言って欲しかった。

もとに戻ります。「怒りのヒロシマ、祈りのナガサキ」と言われるようですが、私もその長崎市民のメンタリティを引き継いでいるように思います。しかし、それだけでは世界は変わって行かないと思っています。常に主張を発信し続けないといけないと思います。

戦争をいろいろ理由をつけて正当化しようとする人たちがいます。
たとえノーム・チョムスキーが許しても、このuedaが許しません。

関連リンク:
ナガサキ・ピース・サイト
今後の希望=若い人たち(網羅できないはご容赦ください。決して年齢で選別しているわけではありません):
「灯籠を流しました」(by とびげりさん)
「黙祷。」(by 祥さん)
「きょうは」(by yukiさん)
「合唱」(by 日日光進jinsei1さん): 平和宣言と同様にアメリカ政府ではなくアメリカ市民の皆さんへのメッセージになっています。

コメント 
tobigerihippy の投稿: 2004年8月10日 12:56 AM
こんばんわ、とびげりです。私も、6日〜広島で原爆について勉強して今日関東に帰ってきました。「語り継ぐ意思」とのタイトルですが、私も実際に被爆者の方にお話をお聞きして、「語り継ぐ」必要性、いや『責任』を痛感しました。私達の年代は戦争を知らない世代だから、平和・戦争…偉そうに語ってはいけないんじゃないか?と心のどこかで思っていたんですが、その認識は間違いだったんだ、とはっきりわかりました。実際、被爆者の方は、風化されていく現実に、凄く危機感を持たれていました。私達若い世代は、戦争を語る権利はないかもしれないけど、戦争の悲劇、惨劇を語り、広める責任、義務があるんだと思い直しました。そして、8月6日だけの記念日としてではなく、常にその心を持ち続けること、伝え広げ続けることが大切だと気づきました。まだ、ブログの方には書いていないのですが、広島レポを今週中に書くので、遊びにいらしてくれたら嬉しいです

design-life の投稿: 2004年8月10日 12:59 AM
SECRET: 0
PASS:
チョムスキーの著書は僕も読みましたが、同感です。彼は、太平洋戦争が起こった背景を理解していない。当時の世界経済の活動の枠組みから外されたことが、日中戦争や太平洋戦争に繋がっていった訳だけど、侵攻を推進した日本(もしくは暴走を留められなかった当時の政府)の状況を世界が見放した事実を隠していますよね、アメリカって。靖国参拝も堂々とやっても良いと思うし、被爆国として世界世論に訴えてもなんら恥ずかしくないと思うのですよ。アメリカの教科書にどんなにちっちゃく扱われているか、真実を知れば日本の世論が許さないと思うのです。

tobigerihippy の投稿: 2004年8月10日 12:59 AM
連投ですみません。さっき、写真だけの時にコメント書いてしまいました。書き途中だったんですね!!トラックバック、ありがとうございました!

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月10日 1:29 AM
書き終わったと思ったらすぐにみなさんからコメントを頂き、おどろいています。みなさん、ありがとうございました。
★とびげりさん、おっしゃるとおりです。長崎に限らず新聞などでは「風化」は毎年問題にされています。私は被爆者ではないですが、父親が被曝者です(ちょっと字が違います。爆弾投下後すぐに被災地援護活動の任務で長崎に戻ったときいています)ので、本来はいろいろ聞いていないといけないのですが、あまりお互い自分のことを話したがらないし聞きたがらない性格なのでしらないことだらけです。この点反省しないといけないですね。体験の風化は避けられないかもしれませんが、平和への意志は風化を避けさらに強化できると思うのです。それには若い人のなかでその意志のある人を増やして行くことと思います。ナガサキでは、原爆資料館や学校の教育で、その意志を風化させないようにしています。私の小学校のころは、8月9日は夏休み中の登校日に設定してあり、平和を考える日になっていました。

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月10日 1:49 AM
★design-lifeさん、すみません。冗談のつもり*で書いたので、誤解させてしまいました。私はチョムスキーを批判しておらず、むしろ信奉しているといっていいくらいです(言語学以外)。また、design-lifeさんがおっしゃるような批判点を知りません(参照文献等示していただければ幸いです)。チョムスキーの、ジャーナリズムで公開された情報を基に論理を組み立て、矛盾点をつき、ものごとの裏に隠された本音を看破するという、その手法に信奉しています。*冗談: 「たとえXXXが許してもこのuedaが許しません」(XXXには決してそれを許さないであろうと衆目の一致する人名/組織名を入れる)というのを基本フォーマットにしようとしています(昔のテレビ番組のパクリです)が、今回外してしまいましたね。

祥 の投稿: 2004年8月10日 5:42 PM
コメントありがとうございます。俺は今回自分としても意図的にトラックバックを多くの人に飛ばしました。それによって原爆や戦争に対していろいろ考える人が多くいる人を知ると同時に原爆について考える人同士を少しでも繋げることが出来たんじゃないかなと思います。自意識過剰なのかもしれませんが。今の自分にはこのことについて無責任に語り継ぐことの出来るほどの知識や思想がありませんがそこで立ち止まってるだけじゃだめなんじゃないか?と思わされました。知らない、分からないで逃げているだけではいけないんですよね。

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月10日 6:38 PM
祥さん、コメント+TBありがとうございます。> 無責任に語り継ぐことの出来るほどの知識や思想がありませんあまり堅苦しく考えなくて良いと思います。知っていることを話せば、もし聞いている人がそれ以上のことを知っていれば補足してくれますよ。「原爆について考える人同士を少しでも繋げることが出来たんじゃないかなと思います。」とおっしゃっているように、それは知らない人に、この輪の広がりを伝えたんじゃないですか。また、ブログのことを知らない人にも、ブログには同じ想いを持った人々のコミュニティがある、ということを伝えるのもできることのひとつと思います。多くの人が声に出せば変えていける。私はそう思います。

jinsei1 の投稿: 2004年8月14日 3:36 PM
トラバ有難うございます。実は中学時代の恩師が、爆心地近くで疎開住宅の取り壊しに学徒動員されて、ヒロシマのピカにやられた被爆者のお一人です。授業のある日黒板に「怒りの炎を燃やせ」と書かれたのを今でも、鮮やかに思い出します。でも、今はすっかり丸くなられ、呼ばれてはインドへ、パキスタンへ、アメリカへ、あるいは日本の各地へ原爆の悲惨を伝えに、後遺症を押して活躍されています。

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月14日 7:32 PM
★jinsei1さん、その先生はまさに語り継ぐ人なんですね。丸くなられても「怒り」は静かに伝えられているのだと思います。我々もその怒りを横に、次世代に伝えて行かねばならないと思います。

2004/08/03

多神教礼賛 (アニミズム礼賛)

遅くなりましたが、愛のまぜご飯さんの「分離フェンス」から、お約束していたトラックバックです。

上記記事にコメントした内容をすこし整理したいと思います。

宗教、特に一神教は、人の心を利用し、戦争に駆り立てる元凶のひとつという思いを日々強くしています。 ユダヤ教をはじめとして、イスラム教、キリスト教 (一部を除く)、オウム真理教 (補足: 松本智津夫に対する個人崇拝ですよね)、...

一神教は、自分の神が唯一であること、そしてそれを信仰することのみが安寧、幸福を得る手段だと教える。そうすることでしか信仰をつなぎ止められないのだとしたら、弱い宗教と言わざるを得ない。また、容易に (戦争に、金儲けに) 利用されてしまう点も弱い。

それに対して多神教は寛容です。とくに私の神様は、自然の中にそこらじゅうに存在しており、
・全てのものに魂が宿っている
・自分が自然の中で生かされていることを感謝するように
・自分の命も人の命も生き物の命も粗末にするな
(食べるためなら命を奪うのは仕方がないが感謝しながら食べなさい)
と教えてくれています。

これこそ誇れる宗教だよなー、でも人前ではいわないけどと思っていたところに、以下のような記事を見つけました。

毎日新聞 2004年6月5日 東京朝刊
オバさんの逆襲: 平和の砦=小林洋子

バックナンバーリストの1番下で、今にも消えそうなので、著作権法上まずいと知りながら全部引用します。世界平和のため見逃してくれよー。
オバさんの逆襲:
平和の砦=小林洋子
東京都目黒区にあるB幼稚園はキリスト教の幼稚園である。この4月から、しばらく園舎改築のため近くの仮園舎に転居しているのだが、その仮園舎というのは、何とお寺なのだ。 
お寺は宗教法人として税制で優遇されているから地域社会に尽くしたい。仏教だのキリスト教だのと堅い事を言わず、困ったときはお互いさま、という双方の合意。 
子供たちがちいさな手を合わせて神に祈るとき、賛美歌を歌うとき、伴奏はどうするのだろうか、まさかオルガンの代わりに木魚で拍子を……想像を膨らましてクスッと笑う。 
「こんなことは日本でしかありえないでしょう」と地区のユネスコ協会長は嬉(うれ)しそう。私たちはクリスマスには神の子の誕生を祝い、大晦日(おおみそか)は除夜の鐘を神妙に聞き、初詣では神社でかしわ手を打つ。そんな自分たちを宗教に対して無節操だと自ら揶揄(やゆ)してきた。 
しかし、良いではないか。それは「鷹揚(おうよう)」ともいうのだ。アメリカとイラクの泥沼の戦いをはじめ、世界のあちこちでは日夜宗教の違いによる諍(いさか)いや殺し合いが起きている。そんな殺伐とした世界の中で、宗派も教義も超えて「困ったときはお互いさま」とお釈迦(しゃか)様とキリスト様が仲良く並ぶ。そういう日本の文化を、私は美しいと思う。 
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦(とりで)を築かなければならない」。ユネスコ憲章の前文の思想を実現できるのは、力で征する米国ではなく、心で包み込むことのできる日本なのかもしれない。(コラムニスト)=毎週土曜日に掲載
いかがでしょう。これまで日本の宗教観は鷹揚だと言う評価はあったと思いますが、これこそが世界平和を実現する文化であると積極的に評価したものは見たことがないように思います。

人を殺せと命令する宗教は正しい宗教ではありません。
たとえジョンレノンが許しても、このuedaが許しません。

Nothing to kill or die for 殺したり命を捧げたりするのに値するものは何もない
And no religion too 宗教だってそう (生命を犠牲にするのに値する宗教なんてない)
"Imagine"より

追記: 私の神様はMother Natureと呼ばれています。記事のタイトルもちょっと変えてみました。

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■ 瀬戸智子の枕草子さん 「宗教」
■ web-log nostalgiaさん 「11'09''01」
■ たまごの距離さん 「神を忘れて」
■ 仙波眞弓のココロさん 「私の宗教」
■ petite fleur de cabochard (PFCさん - コメントも戴いています) 「神は妄想だ−宗教との決別−」補足

コメント

night_in_tunisia の投稿: 2004年8月3日 12:01 PM
僕も一神教というかキリスト教は何か人を戦争に駆り立てる何かがある気がします。「人をあやめてはいけない」、と教えているはしから「異教徒は殺してよい」ですからね。同じ神を信ぜずは人に非ず、なのか。ところでライフログ使いまくりです。ご教示有難うございました。

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月4日 4:23 AM
たぶん聖書には「異教徒は殺してよい」とは書いていないはずで、本文でちょっとだけ触れましたが宗教自体も利用されているのだと思います。ただ、利用される宗教も弱い宗教だといわざるを得ないし、聖職者がそれに対して何も抗議しない(しているのかもしれないが大きな力にはなっていない)のも、もともとその宗教の教義であると理解されても仕方がないのではないかと思います。いずれこのことも考えをまとめたいと思います。

heteheete の投稿: 2004年8月4日 9:58 AM
おはようございます。素敵な記事のご紹介ありがとうございます。八百万の神々を敬ってきたという歴史と、水に流すという気持ちを大切にしてきたおおらかな日本は、戦争仲裁の出来る唯一の国だと思っていたのですが、多国籍軍参加、九条改正に向かっているのがとても残念です。

plummet の投稿: 2004年8月4日 2:11 PM
はじめまして。ご意見には賛同します。が、ちょっと。一神教が悪いというよりも、その神様が「信徒しか救済しない(イスラム)」「民族しか救済しない(ユダヤ)」から偏狭になるのではないでしょうか。などとあちこち聞きかじりの知識からすると思えてきます。その意味で「救済」なんて概念が出てこない日本の神道(古神道)は仰るとおり特異ですね。自然崇拝型宗教の特徴でしょうか。その他、気になったのがオウム真理教の記述。オウムはインド仏教から派生しているようですので、一神教に含めるのはムリがあります。仏教は多神教というか神様がいませんから。

plummet の投稿: 2004年8月4日 2:12 PM
連続で失礼します。長すぎるって怒られてしまったので。コメントでnight_in_tunisia さんのおっしゃることは、キリスト教よりむしろイスラム、ユダヤに当てはまりますね。旧約聖書とコーランには、相手を限定するけれども「その敵をうち殺しなさい」という言葉が入っています(パレスチナとイスラエルの争いは旧約聖書のその辺りが一因のようで)。新約にはそれはなかったと思われますが、キリスト教徒の聖典はもちろん新約聖書です。むしろ「殺せ」と命じられていないのはキリスト教徒だけのようです。ちなみにイスラム教には「領土に攻め込まれたらたたっ殺して追い返せ」という「防衛ジハード」なる概念があるそうです。成人男子モスレムの義務だとかで。蛇足ながら、ヨーロッパには過去、イスラム支配でありながらユダヤ教徒、キリスト教徒も内包した王朝があったそうです。隣国の王朝に攻め滅ぼされたそうですが(隣国はキリスト教)

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月5日 1:24 AM
★plummetさん、コメントありがとうございます。
・偏狭な一神教がよくないのではというご指摘はそのとおりだと思いますが、一神教で「信徒しか救済しない」ものでないのがあるのでしょうか。
・オウム真理教はわざとあげました。あげた理由も書こうと思って忘れていました。なぜ一神教に加えたかというと、松本智津夫個人崇拝だからです。仏教の一派のような言い方をしているのは知っていますが、仏教と全く関係のない教義 (というものがあれば) です。ほかにも個人崇拝になっている宗教は多くありますね。
・旧約聖書には「その敵をうち殺しなさい」という言葉が入っているとは知りませんでした。ありがとうございます。

plummet の投稿: 2004年8月5日 4:40 PM
 ははは、揚げ足は取らないでください。逃げちゃいます。
 記事本文だと、一神教が悪い、とストレートに言っているように読めたものですから、そうではなく「信徒しか救済しないといった部分で信徒自身が先鋭化して偏狭になる」ことがいけないのだろう、という提起の意味だったんです。ちょっと過程をはしょりすぎましたね、分かりにくくて失礼しました。
 要するに蛇足で示したように、先鋭化し偏狭にならなければ、一神教(という言葉も実はおおざっぱですが)の信徒同士が共存出来るわけですし、『一神教は、人の心を利用し、戦争に駆り立てる元凶のひとつ』(引用)という表現は厳しすぎるかなと思ったということなんです。
 ちなみに記事本文で挙げられているタイプの多神教だと、一神教と違って「神様に救済してもらう」という概念がなかったりしますね。その辺が大きな印象の違いを生んでるなと思ってます。

plummet の投稿: 2004年8月5日 4:47 PM
また連投すいません。

「その敵を〜」の部分ですが、旧約聖書は「民族を土地から追い出したやつら(事実上パレスチナ人のこと)は殺して、もとの土地へ帰れ」みたいに書かれてます。コーランでは「侵略してくるやつらは殺していい」と書かれてます。ユダヤとパレスチナが殺し合うはずですね。こういうのを乗り越えた共存国家があったというのが驚きです。ひょっとしてご存じないかたも見ているかもしれないので念のため、旧約聖書はキリスト教とはほぼ関係ありません。

じゃあこれにて逃げます。

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月6日 6:22 AM
★plummetさん、補足説明ありがとうございました。素人の書いた素朴な感想ですから(といって逃げているわけではないですが)、大胆すぎる一般化があると思います。それに対して怒るわけでもなく認識不足を説明していただけるのは大人の対応だなーと思います。助かります。プロテスタントの教会へは行ったことがあり、牧師さんが新約聖書を引用して話をしているのは知っていたのですが、聖書は旧約と新約と一緒になって売られているので、旧約聖書を使う場合もあるのだと思っていました。ありがとうございました。今後もよろしくお願いしす。

祥 の投稿: 2004年8月11日 10:23 AM
場違いなコメントかもしれませんが申し訳ありません。
俺は宗教には否定的です。
宗教自体を否定しているわけではなく、俺の中に信じる宗教が無いという意味で。

俺は宗教や価値観はその人の中にあるものであって
影響されることはあっても
強要や批判されるものではないんじゃないかなと思います。
その人なりの価値観があり
その人なりの幸せや喜びがある。
時には悲しみを乗り越えるために宗教を必要とするのかもしれない。
しかしそれはその人の中に起きるものであって
他人が批判するものではないのではないかと思います。

宗教を持つ人が他の宗教の批判をしたり
自分の宗教への賛美や勧誘をすることも
争いへの引き金になってるのではないかと思います。
自分の信じる宗教を信じ、
他人の信じる宗教を認めることこそ
平和への道なのではないのかなと思います。

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月11日 10:32 PM
★祥さん、コメントありがとうございます。
> 自分の信じる宗教を信じ、
> 他人の信じる宗教を認めることこそ
> 平和への道なのではないのかなと思います。
この点同意します。私の主張の趣旨も「他人の信じる宗教を認める」寛容性が重要ということです。
私の批判は、宗教そのものに対してではなく、他を認めない偏狭な宗教、人命や人権よりも宗教を重んじる宗教に向けられています。

小林洋子 の投稿: 2004年9月6日 3:57 PM
yoshihirouedaさま初めまして。毎日新聞で「オバさんの逆襲」のコラムを書いています小林洋子です。「平和の砦」をyoshihiroさんのブログでご紹介いただいてありがとうございました。
これは柿木坂にある「ベテル幼稚園」のお話で、「貸してあげた」お寺は「立源寺」といいます。子供たちが実際に木魚を伴奏にして賛美歌歌っているかどうかはまだ確認に行っていないのですが、もう今月の10日で仮園舎の使用は終わりになるようです(^-^)。
今日たまたま「小林洋子」の同姓同名でいかに沢山の方々がいらっしゃるのか試しに検索をしていましたら貴方様のブログと出会ってしまい、おそまきながらコメントを残させていただきました。読者の方とこんなコミュニケーションができるなんて、インターネットって素敵ですね!

yoshihiroueda の投稿: 2004年9月6日 11:29 PM
小林さん本人からコメント頂き、ありがたい限りです(最初は著作権侵害の警告かと緊張しました)。
> 読者の方とこんなコミュニケーションができるなんて、インターネットって素敵ですね!
はい。私はまだ交流が少ない方ですが、リンクを辿って行くと例えば平和の輪が無限に広がっているような錯覚さえしてきます。「新しい希望」といったら言い過ぎかもしれませんが。

PFC の投稿: 2006年7月26日 9:57 PM
はじめまして。heteheeteさんのブログから参りました。古い記事へのコメントで申し訳ありませんが、この記事の内容に共感しました。TBの代わりに自分の名前に記事のリンクをしました。言葉足らずですが、見ていただけると嬉しいです。

yoshihiroueda の投稿: 2006年7月28日 12:25 AM
★PFCさん、いらっしゃいませ。
PFCさんの記事拝見しました。平和を求める姿勢は同じだと思いました。この記事は昔書いたものですが、自分でも気に入っていて、あとからもトラックバック追加しています。

2004/06/14

環境/ビジネス/カルチャー

環境、ビジネス、カルチャーと、興味のポイントを並べてブログ名にしていましたが、あまりそういう名前の付け方をしている人はいないようなので、変えたいと思います。興味のポイントが変わるわけではないので性質は変わらないと思いますが、もともと環境、ビジネス、カルチャーを並べた理由である相互の関連に関して書いておこうと思います。書き出すと長くなるので、箇条書き。

・Sustainable: 地球環境保護は重要だが、地球の上で人間が生きていくことはもっと重要。
・そのためには環境保護がビジネスの中に組み込まれる必要があると思う。
・もっといえば「環境保護」が儲かる仕組みになればよいと思う。
・ひとつは省エネ、省資源: 経済性が環境保護に直接つながっている。
・もうひとつは文化:「文化」というのは共有する価値観のことなので、皆が「環境保護」に価値を認めるなら、そこにお金は集まる。
・国際社会はそういう方向にいきつつあるが、まだそうなっていないところのひとつにアメリカがある。あと中国も危ない。
・国際社会の価値観が「環境保護」に傾けば、自由主義経済に代わる(包含する)ルールになる。
・そして、日本: これまでの省エネ、省資源文化と技術力で、そういう国際社会へ導くポテンシャルを持っている。
・ただ日本には戦略がない。今のままではそのような世界の構築は夢でしかない。



というようなことを日々夢想している訳です。

You may say I’m a dreamer
But I’m not the only one
I hope someday you’ll join us
And the world will live as one

お気づきかと思いますが、「平和」もひとつのテーマです。チョムスキー信奉者でもあります。
新しい名前は「にぶろぐ」にしようと思います。鈍い更新頻度でちょっとずつ書いていこうと思います(byteの半分=nibbleから)。
[追記: その後「うえぶろぐ」に変更しました。]