いろいろ考えさせられることの多い体験でした。
・式典の開始まで配られた小冊子を読んでいました。特に伊藤市長による「平和宣言」は、アメリカ市民の皆さん、世界の皆さん、日本政府、若い世代の皆さんへのメッセージで構成されており、それぞれ連帯を求めるものになっています。特に「この若者たちの情熱に希望の光を見いだしています」というところでは、涙が出そうになりました。
・式の進行を高校生男女2名が務めていました。力強くハッキリした口調は頼もしかったのですが、特に最初に「我々が平和への思いを引き継いでいく」(すみません、正確には覚えていません) という意志が示された時には、また涙が出そうになりました。
・式典の最後の方で、「千羽鶴」という歌の合唱がありました。曲や合唱は私の好みではなかったのですが、配られた小冊子の歌詞をみているとまた涙が出そうになりました。鶴を折る際にわき起こる色々な思いを綴ったものですが、特に
未来への希望と夢をというところ。
虹色の鶴に折る
自分でもびっくりするくらい、戦争の悲惨さ、核兵器の悲惨さよりも、未来の希望、それを若い人たちが受け継ぐというところが、私の琴線に触れていることがわかります。とびげりさんのブログの記事でも「平和は受け継いでゆくから、見守っていてください」とあって、こういう若い人が増えてくれることが、地球にとっての唯一の望みのように思えてきます。
と思う一方で、毎年開催している式典が、世界にどのような影響を与えているのかという無力感も感じます。また、日本政府に対しても同様で、小泉首相の挨拶も表層的にしか聞こえませんでした。もちろんここであまり大きな約束、宣言をする訳に行かないのは分かりますが、「感動した」くらい言って欲しかった。
もとに戻ります。「怒りのヒロシマ、祈りのナガサキ」と言われるようですが、私もその長崎市民のメンタリティを引き継いでいるように思います。しかし、それだけでは世界は変わって行かないと思っています。常に主張を発信し続けないといけないと思います。
戦争をいろいろ理由をつけて正当化しようとする人たちがいます。
たとえノーム・チョムスキーが許しても、このuedaが許しません。
関連リンク:
ナガサキ・ピース・サイト
今後の希望=若い人たち(網羅できないはご容赦ください。決して年齢で選別しているわけではありません):
「灯籠を流しました」(by とびげりさん)
「黙祷。」(by 祥さん)
「きょうは」(by yukiさん)
「合唱」(by 日日光進jinsei1さん): 平和宣言と同様にアメリカ政府ではなくアメリカ市民の皆さんへのメッセージになっています。
コメント
tobigerihippy の投稿: 2004年8月10日 12:56 AM
こんばんわ、とびげりです。私も、6日〜広島で原爆について勉強して今日関東に帰ってきました。「語り継ぐ意思」とのタイトルですが、私も実際に被爆者の方にお話をお聞きして、「語り継ぐ」必要性、いや『責任』を痛感しました。私達の年代は戦争を知らない世代だから、平和・戦争…偉そうに語ってはいけないんじゃないか?と心のどこかで思っていたんですが、その認識は間違いだったんだ、とはっきりわかりました。実際、被爆者の方は、風化されていく現実に、凄く危機感を持たれていました。私達若い世代は、戦争を語る権利はないかもしれないけど、戦争の悲劇、惨劇を語り、広める責任、義務があるんだと思い直しました。そして、8月6日だけの記念日としてではなく、常にその心を持ち続けること、伝え広げ続けることが大切だと気づきました。まだ、ブログの方には書いていないのですが、広島レポを今週中に書くので、遊びにいらしてくれたら嬉しいです
design-life の投稿: 2004年8月10日 12:59 AM
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チョムスキーの著書は僕も読みましたが、同感です。彼は、太平洋戦争が起こった背景を理解していない。当時の世界経済の活動の枠組みから外されたことが、日中戦争や太平洋戦争に繋がっていった訳だけど、侵攻を推進した日本(もしくは暴走を留められなかった当時の政府)の状況を世界が見放した事実を隠していますよね、アメリカって。靖国参拝も堂々とやっても良いと思うし、被爆国として世界世論に訴えてもなんら恥ずかしくないと思うのですよ。アメリカの教科書にどんなにちっちゃく扱われているか、真実を知れば日本の世論が許さないと思うのです。
tobigerihippy の投稿: 2004年8月10日 12:59 AM
連投ですみません。さっき、写真だけの時にコメント書いてしまいました。書き途中だったんですね!!トラックバック、ありがとうございました!
yoshihiroueda の投稿: 2004年8月10日 1:29 AM
書き終わったと思ったらすぐにみなさんからコメントを頂き、おどろいています。みなさん、ありがとうございました。
★とびげりさん、おっしゃるとおりです。長崎に限らず新聞などでは「風化」は毎年問題にされています。私は被爆者ではないですが、父親が被曝者です(ちょっと字が違います。爆弾投下後すぐに被災地援護活動の任務で長崎に戻ったときいています)ので、本来はいろいろ聞いていないといけないのですが、あまりお互い自分のことを話したがらないし聞きたがらない性格なのでしらないことだらけです。この点反省しないといけないですね。体験の風化は避けられないかもしれませんが、平和への意志は風化を避けさらに強化できると思うのです。それには若い人のなかでその意志のある人を増やして行くことと思います。ナガサキでは、原爆資料館や学校の教育で、その意志を風化させないようにしています。私の小学校のころは、8月9日は夏休み中の登校日に設定してあり、平和を考える日になっていました。
yoshihiroueda の投稿: 2004年8月10日 1:49 AM
★design-lifeさん、すみません。冗談のつもり*で書いたので、誤解させてしまいました。私はチョムスキーを批判しておらず、むしろ信奉しているといっていいくらいです(言語学以外)。また、design-lifeさんがおっしゃるような批判点を知りません(参照文献等示していただければ幸いです)。チョムスキーの、ジャーナリズムで公開された情報を基に論理を組み立て、矛盾点をつき、ものごとの裏に隠された本音を看破するという、その手法に信奉しています。*冗談: 「たとえXXXが許してもこのuedaが許しません」(XXXには決してそれを許さないであろうと衆目の一致する人名/組織名を入れる)というのを基本フォーマットにしようとしています(昔のテレビ番組のパクリです)が、今回外してしまいましたね。
祥 の投稿: 2004年8月10日 5:42 PM
コメントありがとうございます。俺は今回自分としても意図的にトラックバックを多くの人に飛ばしました。それによって原爆や戦争に対していろいろ考える人が多くいる人を知ると同時に原爆について考える人同士を少しでも繋げることが出来たんじゃないかなと思います。自意識過剰なのかもしれませんが。今の自分にはこのことについて無責任に語り継ぐことの出来るほどの知識や思想がありませんがそこで立ち止まってるだけじゃだめなんじゃないか?と思わされました。知らない、分からないで逃げているだけではいけないんですよね。
yoshihiroueda の投稿: 2004年8月10日 6:38 PM
祥さん、コメント+TBありがとうございます。> 無責任に語り継ぐことの出来るほどの知識や思想がありませんあまり堅苦しく考えなくて良いと思います。知っていることを話せば、もし聞いている人がそれ以上のことを知っていれば補足してくれますよ。「原爆について考える人同士を少しでも繋げることが出来たんじゃないかなと思います。」とおっしゃっているように、それは知らない人に、この輪の広がりを伝えたんじゃないですか。また、ブログのことを知らない人にも、ブログには同じ想いを持った人々のコミュニティがある、ということを伝えるのもできることのひとつと思います。多くの人が声に出せば変えていける。私はそう思います。
jinsei1 の投稿: 2004年8月14日 3:36 PM
トラバ有難うございます。実は中学時代の恩師が、爆心地近くで疎開住宅の取り壊しに学徒動員されて、ヒロシマのピカにやられた被爆者のお一人です。授業のある日黒板に「怒りの炎を燃やせ」と書かれたのを今でも、鮮やかに思い出します。でも、今はすっかり丸くなられ、呼ばれてはインドへ、パキスタンへ、アメリカへ、あるいは日本の各地へ原爆の悲惨を伝えに、後遺症を押して活躍されています。
yoshihiroueda の投稿: 2004年8月14日 7:32 PM
★jinsei1さん、その先生はまさに語り継ぐ人なんですね。丸くなられても「怒り」は静かに伝えられているのだと思います。我々もその怒りを横に、次世代に伝えて行かねばならないと思います。
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