2012/10/28

雨で出現する壁画

雨で濡れると現れる樫の木の壁画。アメリカコネチカット州ハートフォードのダウンタウンに先月公開された。

木の部分以外は防水加工されており、濡れると木の部分だけが色が濃くなって、壁画が出現する。

Photograph by Erika Van Natta

雨で濡れると、と書いたが、スプリンクラーが取り付けられていて、毎日午後3時に作動させている。

モチーフはCharles De Wolf Brownellの "Charter Oak"。Wikipedia記述ではわかりにくいので日本語の説明を探しました。
Link USA アメリカ州辞典 > コネチカット州チャーターとは植民地の勅許状のことで、イギリス人から植民地を守るためこの樫の木のうろに勅許状を隠したことに由来するそうです。コネチカットの歴史に重要な意味を持つモチーフなんですね。
制作風景

制作の様子。アトリエでステンシルシートをカットして壁に貼付けたとあるが、現場でもカットしているようです。

引用元: The Water-Activated Oak Tree Mural in Hartford.

DesignWorksでも取り上げられていました。

2012/10/21

アラブエクスプレス展と関連シンポジウム

Microsoft SkyDrive のオンラインドキュメントを試すつもりでアラブエクスプレス展の写真をまとめていたのだけれど、あわせて関連シンポジウムの感想まで記載しました。

アラブエクスプレス展

追記: 森美術館のFlickrアルバムに写真が載っていました。せっかく真ん中 (卯城氏とサルキシアン氏の間) に写っているのに下向いてiPhone見てました。
休憩時間にも交流するアーティスト達。左から小泉明朗氏、卯城竜太氏、ハラーイル・サルキシアン氏、スプツニ子!氏

追記 (2017/1/7):関連シンポジウムの感想は上記SkyDrive (今はOneDrive) のドキュメントからここにも転記します。

シンポジウム


9月29日には森ビル内の六本木アカデミーヒルズで行われたシンポジウム「ポップアップ・マトハフ@森美術館—マトハフ・アラブ近代美術館共催シンポジウム 遠くて近い、近くて遠い、アラブと日本:アーティストの役割とは何か」 (2日目)にも参加して来ました。このシンポジウムは無料で、展覧会はここでもらったチケットで行って来たのです。実はチケットくれるんじゃないかと思って、それまでは行っていなかったのです。

2日目のセッション2 「歴史をたどって」では、出展アーティストのハラーイル・サルキシアンとアーティスト小泉明郎の対談。

サルキシアン氏はトルコ生まれのアルメニア人で現在はシリアに住んでいます。トルコによる虐殺がありながら、トルコでは逆にアルメニア人がトルコ人を殺したというように教えられているアルメニア人虐殺事件 (Wikipedia)。彼はイスタンブールでひっそりと暮らすアルメニア人家族を撮影した作品を発表しています (今回出展しているものは別)。

小泉明郎氏は、「特攻に行く青年が両親に向けた出征の言葉を発する」という場面を映画撮影しているというシチュエーションの映像作品を紹介されました。監督が「もっとサムライを表現して」と煽り、出征兵士役の青年がそれに応えて撮り直すのを繰り返すうちに、だんだんエキサイトして行くもの。

この二人のトークでは自ずと戦争、平和がテーマになって行きます。その後の質問の回答の中で「日本人にはスイッチがある、いずれ (自爆テロの) テロリストになる (素養を持っている)」という発言がありドッキリしました。

セッション3 「キッチュなものの力」では出展アーティストゼーナ・エル・ハリールさんがスカイプによる出演し、スプツニ子!さんが会場でという変則的なセッションでした。

セッションのテーマは、二人に共通するポップなものの影響だったのですが、やはり女性ということでジェンダーのことも話題になります。アラブ世界の中で女性アーチストは活動しにくいのではないかということを質問しようと思っていたのですが、先に女性から同じ主旨の質問がありました。レバノンの女性は解放されているほうとはいえ、やはり活動には制約があるようです、外国人と結婚しても国籍は変えられないということでした。

最後のセッションは1日目も含めた出席者全員によるディスカッションです。森美術館の南条館長の発言で、現代アートという共通言語があり、アラブ圏というひとくくりにするのは本来は間違っているという旨の発言が印象に残りました。

この「地域でまとめた展覧会を行うことの是非と意義」は、この前のトリエンナーレ学校のテーマ「アジアの近現代アート」との関連もあって考えさせられました。

現代アートという世界共通言語の中で生きているという意味では地域性はないというのもわかるけど、アーチスト個人は、日本なら日本の影響を、イスラム教国ならその影響を受けているだろうし、それが作品にも滲み出てくると思うのです。また、作品を見る人にも受け入れられるものを作るベクトルは働くと思います。アジアの美術の発展の過程で、欧米人がアジアに期待するものを作って来た歴史もあるとのことでしたので、同様の外からの期待もそうですが、アラブ内部の期待と言うか嗜好も影響するのではないかと思います。それらからなにかしらアラブ的なものもやはり出て来るのではないかと思ったのです。

その点を質問してみました。アーチストの皆さんは、受け入れられるかは関係なく、自分の内面から湧き出る衝動を作品にする、と言っていました。でもそれは、もう売れているから、これからも売れるからじゃないのかと思うのです。売れるというと下世話だけど、評価は気になるのじゃないかと思うのです。

その意味で小泉さんの答えは納得がいきました。 オランダに呼ばれた時は、日本人として呼ばれた意味を考えた。しかしいつまでもそれにとらわれていては、自分の作品にならない。成功している人は皆、そういうプロセスを経て、自分なりのものをつかんだとと言えるだろう。 ということでした。

しかしビッグネームも、やはり、売れた作品から売れるものをつかんで売れるものを作るんだろうと思います。村上隆はこの意味での別格として、奈良美智も草間彌生もそうじゃないかと思うのです。売れなきゃ描き続けてない、売れたから描き続けられている、という側面はあるでしょうが。

売れることは関係ない、売りものでない作品を作っている人だって、賞をとるとか、大きな個展を開けるとか目標になるんじゃないでしょうか。

そういうことを考えさせられるシンポジウムでした。

2012/09/25

IOS6 Apple製Mapで「独島」を検索したら...

... こんなのが出て来たよ!



多分「独島」で検索 → 正しくは「竹島」→ 「竹島」で検索

その前に「竹島」で検索したのだ (どうも検索結果が履歴に影響されるようだ)。


引いてみると ...


Apple独自のマップ非難する人多いけど、というか私も面白がっていたけど、この例で帳消し。私はアップルを全面的に支持します!

2012/08/21

韓国との関係で参考になるリンク

いろいろ見ていると分らないことも多いのですが、感情的にならずロジカルな記述が掬えるものを集めてみました。

外務省:竹島問題
竹島の領有権に関する我が国の一貫した立場
  1. 竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土です。
  2. 韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。※韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立した以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません。
韓国外務省にもこういうページがあって、各項目ごとに相互リンクがあればいいのにね。でも「韓国側からは、... 明確な根拠は提示されていません。」ってきっぱり書かれている。

元韓国人だけど竹島を日本領だとする証拠ってさ
外務省にうまくまとめられてんだな
しかもいろんな言語で(ちょっと英語はわかりづらいところもあるけど)

もっとこれ広めようぜ
韓国人が湧いても韓国語もしくは彼らが得意()だとする英語の
サイトのリンクでも貼り付けてやればいい
この中で、「学校で一方的に自国の主張のみ習って、日本側の主張は無いと言われて以降それに関して調べようともしないから、そもそも日本がこういう主張をしているって事自体知らない人が多い」という記述が気になった。一方、韓国の国民もちゃんとした資料を示されれば考えるだろうというような記述がある。これだけ発展して教育も熱心な国なので、一枚岩で話の通じない民族なんて思わない方がいいと思う。

日本側も学校では外務省HPに載っているようなことは習わないので、外務省HPの「竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土です。」という主張しか知らず、それで満足しちゃっているところがあると思う。

で、そういう人は最初に聞いた論を信じちゃうのだろう。「嫌韓」のブームってありましたね。作者ツイッターやってるんですね。

Togetter 『嫌韓流』シリーズの参考文献と引用の精度
Togetter 『嫌韓流』シリーズの参考文献と引用の精度(その2)
Togetter 李氏朝鮮時代に清へ50万とも60万とも言われる強制連行があったという言説と史料の裏付け
弾薬庫/「美女三千人」貢納言説について

最初のまとめでは、山野 車輪 (@sharinyamano) 氏の、最初は「 (検証を) 出版前にさんざんやってますよ」と言っていながら、後の方では「これ、僕か編集さんのどっちかが確認取っているはずなんですけどね。」とか「まぁ最終的な責任は僕にありますが、確認作業をまかせるところも当然あります。何しろ情報量が膨大なので。」とか「うーん、確認取れてないけど、例え一箇所でも穴があったとしたら、反省だなー。」とかだんだんヘタレになって来て面白い。

「ロジカルな記述が掬えるもの」というのをあつめていたのであった。それはこの中の @jpn1_rok0 氏の発言をたどって行けば良いと思う。

韓国とは少し離れるけど、この人の下記記述も面白かったな。

jpn1_rok0/日本における元寇の評価に対する私見

最後に、以前私が書いたものも挙げておきましょう。リンク切れが多くなっていて使えないものになっているのが残念。

2005/03/19 対馬の日
2005/03/23 竹島問題の解説が…
2005/04/07 事実は事実と
2006/04/23 日韓交渉妥結って…
2006/04/26 韓国大統領、堂々と対処の方針

2012/08/20

山下以登さん個展「ふくろとじ」

8月19日、山下以登さん個展「ふくろとじ」へ行って来ました。



HB FILE COMPETITION Vol.22
藤枝リュウジ賞 山下以登個展【ふくろとじ】


2013年8月17日(金)~8月22日(水)
11:00~19:00(最終日のみ17:00まで)
<Opening Party>8/17(金)18:00~20:00

HB Gallery
渋谷区神宮前4-5-4 原宿エノモトビル1F
03-5474-2325
(東京メトロ 表参道駅A2出口より徒歩3分)

受賞おめでとうございます。

山下以登さんの展覧会は、2008年に個展「さよならブルーマンデー!」(ブログ投稿)、2010年「クロムイエロー」、昨年「キップル雑食系」に行っています。その他にもEN博、マッチ箱展などのグループ展でも作品を拝見していますし、昨年は「私の未明展」でのトークも聴かせていただいています。

昨年「キップル雑食系」で、あれ?と思ったのですが、今回の作品はそれよりも大人向けになって来ています。なるほど「ふくろとじ」というのはそういうことでしたか。おじさんとしてはもっとリアルな表現のほうが ... グハ!☆(゜o゚(○=(-_-;パンチ

ギャラリーには山下さんが挿絵や表紙を描かれた書籍、雑誌もおかれているのですが、それも今回はかなり増えていました。

一人の作家さんを続けて見ていると、作品の傾向の変遷や、活躍の場が広がっているのが分って楽しいですね。

その日はこの後、同じく表参道 Espace Louis Vuitton Tokyoでの 『AWAKENING』展、娘の大学美術部の合同展「心展」、NTT インターコミュニケーションセンターで行われている「ひかり*くうかん じっけんしつ」に行って来ました。

ひかり*くうかん じっけんしつ

NTT インターコミュニケーションセンターで行われている ひかり*くうかん じっけんしつ に行って来ました。展示会タイトルに "ICC キッズ・プログラム2012" とつけられているように、子供向けのプログラムではあります。

いくつかの小部屋に分けられていて、それぞれの小部屋では光と影の関係を見せてくれます。

実験ですから、参加できます。模型鉄道をゆっくり走る電車には、小さな光源が載せられていて、鉄道の周辺におかれたものの影が周囲の壁、天井に映ります。周辺のものを自由に置き替えて影の出来方の違い、電車が動く効果を確認できます。ざるのような網状のものは特に面白い。

これどこかで見たなーと思ったので、帰って検索してみました。

必見!鉄道模型による光と影のアート (元気!本気!勇気!)

The Tenth Sentiment / 10番目の感傷(点・線・面)という作品で、第14回文化庁メディア芸術祭のアート部門優秀賞・受賞作品でした。メディア芸術祭には2010年と2012年には見に行っているが、2011年第14回には行っていないので、ここオープンスペース2010で見たのでしょう。

その制作者のクワクボリョウタが、今回パーフェクトロンというユニットとして出展しているのですね。

当日は閉館19:00からアーチスト・トークがあったのですが、そこまで待つ元気がなくて帰って来ました。

8月26日には小学生対象のワークショップがあります。もう事前締め切りは過ぎてますが。

2012/08/19

「具体」展

もう1ヶ月前になりますが、国立新美術館で行われている「具体」展に行って来ました。

「具体」-ニッポンの前衛 18年の軌跡
展覧会Facebookページ: http://www.facebook.com/gutai.nact

「具体」というグループの存在自体知らなかったのだけれど、時代を切り開いていった集団だったんですね。彼らの熱気とその変質が感じられる展示でした。

「熱気」というのは、「これまでになかったものを作る」ことを目指していたことが伝わります。様々な素材、動く作品、音の出る作品、美術館から出たインスタレーション、アクションペインティング等制作方法、観客が参加することで成立する作品、朽ちる等変容を受容した作品 ... きっとグループ内でも、誰が最初にやったかで競争になっていたのだと思います。

きっとそこには、作品を「売る」という意識はなかったでしょう。しかしフランス人美術評論家ミシェル・タピエ氏がこのグループを世界に紹介し出したことで「変質」が始まります。彼は画商でもあったため、作品が売買の対象になります。売るためには保存、移動ができないといけません。前衛であることには変わりはなかったでしょうが、活動の中心がタブロー形式の絵画に移って行きます。

これは想像ですが、作家の意識も「新しい」ものよりも「売れる」ものにシフトして行ったのではないかと思います。ある作品が売れたら、同じような傾向の作品が求められるようになる。それは「画風」という意味で非難されることではないですが、グループ内では、また個人としても葛藤があったのではないかと思います。

最初の「新しいもの」というところに戻ります。

展覧会の解説には、これが関西の、しかも、高級住宅街を擁する芦屋を中心する活動だったので、受入れられ育ったとありました。土地全体に進取の気性に富んでいたとのことでした。展覧会もデパートで行われるなど、上流階級だけでなく、一般にも受入れられていたんでしょう。

展覧会の休憩室では、当時のニュース映像が流されていました。「これが新しい芸術というものらしいです」みたいな表現があって、分らないけれども受入れる姿勢が微笑ましく思いました。今だと、私は分ってますよ的なスタンスで伝えるんじゃないでしょうか。



これ知らなかったんですが、作品だったんですね。当時の再現だそうです。ニュース映像の中では、この紙を破るパフォーマンスが「まさに横紙破り」と紹介されていました。



これは外に展示してあって、見逃してしまいました。「水の彫刻」の再現。過去のニュース映像では「前衛芸術を見て頭が痛くなった人は、これで頭を冷やしてください」って言ってて実際に子供が頭にあてていました。当時は触れたんですね。

9月10日までです。

2012/08/06

Feel on! 使ってみた

どうやって知ったのか忘れちゃったけど、Feel on! for Twitter というアプリの存在を知って使いはじめた。タダだしね。
Feel on!だから面白い!SNSマルチポスト機能も搭載されて、ますます楽しくなった新感覚のTwitterアプリです。
SF Japan Nightでの優勝をはじめとして、国内外で数々の受賞と高評価を獲得しています。
手書き風文字、マンガつきで表示されます。



自分で投稿する時にイラストを選択することもできる。これだと、普通のTwitterアプリを使っている人にもイラストが見れる(下記リンク先)。

https://twitter.com/ryokan/status/231726538851221504

しかし面白いのは、イラストが自動で選択されるとき。投稿内容に反応しているようだ。





怒っているとき (上)。[徳力さんのツイート使わせていただきました]



「映画」に反応している。



「調べる」に反応している。



「いいね!」でサムアップ。「曲」でヘッドホン。



文字化けにはこんな。



もとから「日本語にしか対応していない」と書いてある。

イラストには特別なバリエーションもあるようだ。



松岡修造の似顔絵もあった。「熱い」に反応して出て来たかな (笑)。

2012/07/16

個人向けグリーン電力証書「えねぱそ」

グリーン電力証書は、大規模イベントに使うだけでなく、個人や小規模事業者でも使うことができる。それが「えねぱそ」。サイトは別になっているがやはりエナジーグリーン社の商品だ。

これはオンラインで購入申し込みをすることもできるし、パタゴニアの直営店およびオンラインショップで購入できる。購入に関してはハードルが低い。小規模事業者でも環境保護への取り組みをアピールしたいところにはうってつけだろう。メリットの最初に、「選んだ発電所の電気を、ご自宅やお店で使っていると表明する権利が得られます。」と書かれている。宣伝に使えるということだ。

仕組みもちゃんと書いてあるし、これが自然エネルギーの普及に繋がることも示されているのだけれど、やはり気になるのは、買う人が理解して買っているか、買った小規模事業者が宣伝に使う時にお客様にちゃんと伝わるかどうかだ。

買う人が理解して買っているかというのは、特にパタゴニアの店舗などで購入する際に説明を受けて買っているかということだ。お店の雰囲気に流されて買っちゃうじゃないかとも思う (日本のサイトにもないけど、お店ではシーシェパードを支援しているなんて書いてないだろうし)。オンラインショップにも簡単かつ適切な説明は書いてあって、少なくともレビューを書いている人はちゃんと理解していることが分る。

より気になるのは宣伝に使う場合で、前の記事にも書いたが、
宣伝に使う時に「環境付加価値」の説明なんか書いてもお客さんに読んでもらえないと判断すると「自然エネルギーで賄ってます!」ですますだろう。
お客さんはそれを見て、どういうことか詮索しないだろう。

「環境付加価値分」を購入するなんて分りにくい構図よりも、いっそのこと寄付といってしまえばいいじゃんとも思う。

グリーン電力証書に関して

ここ数年、「このイベントには全て自然エネルギーで作られた電力が使われています」といったキャッチコピーを見ることが多くなった。特にアースデイなどエコ関係のイベントや、自然環境保護を訴えるコンサート等で多く見られる。

とはいえ、現在の太陽光発電や風力発電で、その場で発電してそのイベントで使える電力が賄えるとは思えない。また、そのイベントのために風力発電所や太陽光発電所から送電線をひく訳にはいかないだろう。

自然エネルギーによる電力を謳っているところでは、グリーン電力証書というものを購入するということだ。

なるほど、グリーン電力証書を買って、そのお金が風力発電所や太陽光発電所に行けば、実質的に自然エネルギーによる電力を買っていることになるわな、と思った。

想定したのはこんな仕組み。ここではイベントが東京電力管内であると仮定する。
  • 電気の使用者は、グリーン電力証書を買う。電気自体は東京電力が供給するものを使う。
  • グリーン電力証書の代金は、一部手数料を除いて、自然エネルギー発電所に行く。その代金分の電力は東京電力に供給される。
  • 東京電力は、電気の使用者へ提供する電力分が、自然エネルギー発電所からの供給分で相殺される。一部手数料を受け取る。


これにより通常は東京電力から自然エネルギー発電所に対価がはいるところを、グリーン電力証書を経由して電力使用者から対価がはいることになる。これが東京電力の買い取り価格よりも高い値段であれば、自然エネルギー発電所にとってもプラスになり、自然エネルギー振興に繋がるだろう。

と考えていた。

しかし、グリーン電力証書を発行しているエナジーグリーン社グリーン電力証書 証書のしくみ (図はリンク先から引用) を見ると、お取り引きの電力会社 (ここでは東京電力) との間は「従来通りの電力供給」となっている。また、自然エネルギー発電事業者と地域電力会社の間は「電力販売」となっている。これはともにここには通常の対価が発生していることを意味する。



とすると、電力使用者は、東京電力とエナジーグリーン社に二重に支払いが必要になる。また、自然エネルギー発電所も地域電力会社とエナジーグリーン社から二重に支払いを受け取っていることになる。

このような認識は正しいのか、エナジーグリーン社に問い合せた。その結果、その認識は間違っていないことが分った。

ただし、こちら (「グリーン電力とは」) には次のような図がある。



グリーン電力証書によって「グリーン電力を買う」のではなく、自然エネルギーであることの「環境付加価値」分を買うことになっているとのことだ。「ご購入頂いたグリーン電力証書のグリーン電力相当量は、環境に優しい自然エネルギーによる電気を利用したとみなすことができます」とある。

言い換えると、「環境に優しい自然エネルギーによる電気を利用した」と言える権利を購入したということができると思う。

もうひとつ分ったことは、自然エネルギー発電事業者が発電する全てがグリーン電力証書の対象ではない、ということだ。自然エネルギー発電事業者は発電してそれを地域電力会社に売るだけでなく、自分たちでも使う。設備を稼働させたり、自社で働く人のための照明や空調などに使うと言うことだ。これが前の図の「場内消費」。この限られた「場内消費」分だけが、グリーン電力証書の販売対象になる。

以上、ホームページから分ることと、エナジーグリーン社に問い合せた内容をまとめた。

一番の疑問は、グリーン電力証書を購入することで「イベントをグリーン電力で賄っている」と言えるかということだったが、これには納得していない。また、一般に正しい理解がされているかと言えばそれも疑問に残る。

グリーン電力証書を導入しているところを見ると「環境付加価値分を購入している」ということは分る。例えば丸紅の「株主総会会場でのグリーン電力使用について」。しかし、グリーン電力証書を使っている会社がそのことを宣伝に使う時に「環境付加価値」の説明なんか書いてもお客さんに読んでもらえないと判断すると「自然エネルギーで賄ってます!」ですますだろう。

一般の人にどれだけ伝わるか疑問だ。誤解を招く使われ方をしているのではないか、その認識に関しても問い合せてみたのだが、それにはまだ結果が来ていない。

2012/05/19

「課金」の誤用が気になる

最近「課金」が話題ですね。

ネットを見ていると、「課金する」という言葉が「料金を課する」という意味とは逆の「料金を払う」という意味で使っていることに気づく。実際にゲームをやっている人が「課金する」という言い方をしているのだ。

ドリランドに課金しすぎてヤバイことになった:キニ速

この人はユーザーみたいですが、次のKAWANGOってドワンゴの社長じゃないの? (「ドワンゴ会長?「kawango」氏、人力検索はてなで質問中 ほか」をみると会長みたいですね。本人は否定しているそうだけど)。 課金する側だけど、あきらかに「会員が課金する」という使い方をしている。

Twitter / KAWANGO: 今週はじめてわかり、ドワンゴ社内で衝撃が走ったある数 ...(リンク先ははてなブックマーク - もとの投稿は消されているようだ)
今週はじめてわかり、ドワンゴ社内で衝撃が走ったある数字を紹介する。ニコニコのプレミアム会員80万人のうち、携帯のメールアドレスで登録して課金しているのは18万人。そのうちPCでのアクセスを一回もしていないユーザは11万人。
他にも以下のような記事で「課金」が「支払う」意味で使われている。
最初にこの現象に気がついたのは4年前。

「人はなぜゲーム内アイテムにお金を払うのか」 デジタルジェネレーションが生んだ新しい経済価値について,成蹊大学の野島美保氏にあれこれ聞いてみた

ブックマークコメント
「鯖代の足しにしてください」「運営がんばってください」というメッセージを添えて課金(しかもあんまり有利にならないのに)してくれるユーザーばかりです。
というのがある (前は複数あったように思うのだが)。

この記事本文は明確に「お金を頂く」方の立場から書かれているので、この記事を読んだ人の中では誤用はすくないということはあるだろうが、これ以降数年で誤用が定着しているように感じる。

もう少し調べたらこんな情報があった。

課金とは (カキンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
本来この言葉は「料金を課する」、つまり提供者が利用者から料金を徴収することを指すのだが、インターネット上では主体が完全に逆転した解釈のほうが定着している。

「課金されたものに納金する」→「課金する」のように略された形になる。

税金を納めることを"納税"と言わず"課税"と言うぐらい異なった用法である。

とは書いてあるものの、その後は
インターネット上で課金と言えば主に、オンラインゲームなどの内容に利用料金を払うことを指す。使用料を払うこと。
として、その用法で統一してある。

「大百科」にこういう書き方されては、それが正しいと思うよね。KAWANGO氏もここで勉強したんではなかろうか。

ところで、このことを書いたらツイッターで松永英明氏から以下のようなコメントをいただいた。

@ryokan 課金を「金を課す」ではなく「課される」の意味で使って違和感がない人たちって言語感覚鈍いですよね。
8:33 AM - 14 May 12 via モバツイ / www.movatwi.jp . · Details

私はこれに対して、

@kotono8「課される」の意味でも使っていないと思います。「課金する」と能動態で使っていますから。本来の意味とか考えたことないだろうと思います。
8:14 PM - 14 May 12 via Twitter for iPhone · Details

と書いたが、松永氏から

@ryokan 受身形じゃなく意味だけ受け身という気持ち悪い表現はいくつかあるように思いますよ。「商品が店で売ってる」(売られている、ではなく)という表現もありますので、「金を課されることをする」で「課金する」に違和感がない人たちがいそうです。
9:00 PM - 14 May 12 via TweetDeck · Details

とまたコメントを頂いた。これに対しては私はうまい説明をもっていません。

別の観点で「〜を課する」ものとして「課題」があるが、これの反対語には適切な言葉がない。「課題への回答を提出する」、さらには、「課題を提出する」というような使い方になってしまう。あとは「課題やらなくちゃ」のように「課題 - する」という形で使われるのではないか。こういうところから「課金 - する」という使い方になったということも考えられる。

いずれにせよ、「課金」を「お金を払う」の意味で使うのは、現段階で誤用といえるだろう。私は言葉の意味の変遷には寛容なほうだとは思うが、全く逆の使い方が併存してはコミュニケーションを阻害するので避けた方が良いだろう。

たとえ国立国語研究所が許しても、このウエダが許しません。

2012/04/22

Bringing colour to life


Canon Pixma: Bringing colour to life from mcgarrybowen London on Vimeo.

インクをスピーカーの上で踊らせて高速撮影した映像作品 (キヤノンのプリンターのCM)。制作過程が語られている。

2012/03/04

原久路の写真作品

Design Your Trust というサイトを見ていたら、レトロな写真があって興味が引かれた。

そのリンク先"Painterly Photography by Hisaji Hara" * には、
これらの写真は見たことがあるような気がするかもしれない。日本の写真家 Hisaji Hara は近代画家バルテュスの絵画の構図を注意深く再現している。バルテュスの描く少女は、少し薄気味が悪くエロチック。オリジナルはゴージャスな部屋でだらけている少女の絵だが、それを新しいメディア (写真)、新しいシチュエーションで再創造した。オリジナルほど脅威的ではないが、危険な香りが残っている。(意訳)
とあった。日本人から見たら、Hisaji Hara (原久路) のほうが危険な香りがするけどね。

* リンク切れ/同じ記事が "My Modern Met" にある。

オリジナルとどう違うか並べてみた。もとのサイズの絵はそれぞれリンク先にあります。

The room

  

Katia Reading

 

Golden Years

 


原久路のサイトのニュースによると、2月24日から3月31日までロンドンのマイケル・ホッペン・ギャラリーで個展が開催されているそうだ (→ リンク)。

原久路公式サイト Exhibitions/Works に他の作品もあります。

2012/02/27

ユーミン、松井冬子、上野千鶴子

2011年12月18日に松任谷由実氏×松井冬子氏 クロストークに参加してきたのだけど記事にしていませんでした。その時点で展覧会自体は見ていなかったので、2月11日に松井冬子アーティスト・トークがあるのでそのとき行ってあわせて見てから書こうと思っていたのですが、それも出遅れて満員で入れず、展覧会も人が多そうなのでパスして、女子美卒業制作展に行っていました。このぶんだと、いつになるか分らないしなー。

応募が1650通あったそうです。定員200名ですから結構な倍率ですね。

ユーミンは松井冬子にあわせて (対抗して?)、着物で来ていました。松任谷由実の実家は呉服屋さんだそうで、古いけど良いものだそうです。アレンジして着こなしているのだとか。

ひとしきり、今回出されている作品の中でユーミンが気に入ったものとか、話題の作品の話をしていたのだが、途中で「実は客席に上野千鶴子先生が来られているんですよ」と上野千鶴子を紹介。どこにいるんだろうと思ったら私の斜め後ろの方で、本当に一般客として来ていた。立ってはくれたものの、ステージに上がることは固辞されたので、話が変な方向に走ることがなく一安心。

上野千鶴子は、以前「美人なだけじゃない」で書きましたが、どうも持論を主張するために松井冬子を使っている感があって、フェミニズムがどうこうというのではなく上野千鶴子には嫌悪感を感じた。でも今は松井冬子もそのときよりはあしらいになれた感じ。

その直前に読売新聞に上野千鶴子が松井冬子のことを書いた文章が載ったそうで、ユーミンが新聞をみせていました。「リストカットとか、そういうこわいことが書いてあるんですが、本人はそんなことないんですよ」なんて言っていた。ユーミンも苦々しく思ってたんだろうな。また、対談の中で「松井冬子さんってこう見えて実は体育会系ですよね。そうでないとこんな大作作れない」とも言っていて、それも上野が与えようとするイメージを否定するために思えた。

まあフェミニズムはおいておいても、松井冬子の作品の話をすると、グロテスクなものの扱いとか生と死とかそういう話になる訳で、小学5年生のとき初めて猫の死体に触れそれがきっかけになっている話や、子羊の死体をもらって冷凍したものをアトリエにおいていた話とか面白かった。

ユーミンが美大生だった話も出て来た。加山又造が先生で、「音楽やっているんだったら、(提出作品として) アルバム持って来なさい」と言われた話をしていた。加山又造を「サル」とか「エロ」とか言っているのも面白かった。

芸術論のまとめとして、何を描いたかではなく、「対象と筆のストロークが一致する瞬間がある」、それは音楽で「歌詞とメロディーが一致する瞬間がある」のと通じるという話だった。

松井冬子アーティスト・トークも聴きたかったな。「東京藝術大学の博士論文を講演形式で紹介します」ということなので、CiNiiを探したのだけど見つからなかった。
追記: 国立国会図書館にはありました。→ 知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避 
ここからたどるとCiNiiにもあることが分りました。→ → 知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避 

参考:ART TOUCH 絵画と映画と小説と 2008.04.28 「松井冬子と上野千鶴子」

2012/02/20

政策決定に対する科学の役割と課題

昨日 (2月18日) 下記ワークショップ (シンポジウム) に行って来ました。

「ファンディングプログラムの運営に資する科学計量学」第2回ワークショップ

主旨引用します。
科学者が政策の現場からエビデンスを求められても、それをシンプルな科学的合意事項として提供することには様々な困難がつきまとうと考えられます。現代の科学技術自体や科学技術を巡る社会・自然の状況を考えれば、エビデンスそのものが複雑になり、すなわち、専門家以外にはなかなか理解しがたいものとなることも避けがたいといえます。このような状況において、政策の現場では、科学的なエビデンス、とりわけ定量的なエビデンスへのニーズは益々高まっており、一連の「科学技術イノベーション政策のための科学」プログラムに脚光があたっております。
複雑な状況の中で作られつつある科学的知見を提供する第一線の研究者が見た科学的エビデンスについて学び、さらに議論を進め、政策のためのエビデンスについての理解と対話を共有することを目的とし、本ワークショップを企画いたしました。
これはもともと政府の補助金をどのプロジェクトに出すか決定し、理由を示せるようにする、という文脈で始まったものと思っていて、またそれは企業においてどのプロジェクトを進めるかを感ゲル上でも役立つだろうと思って参加のですが、そういうプロジェクトの定量的評価までは至っていなくて計量学という感じにはなっていませんでした。でもそれがかえっておもしろかったと思います。

むしろ、放射線量の基準妥当なの? とか、地震発生の確率って何? とか、可能性は限りなく低いがゼロとはいえないという科学者よりも、スパッと指針を出してくれるトンデモさんのほうが受けるとか、そういう昨今の話題にマッチしていたように思います。

最初の、江守正多氏による「地球温暖化政策とエビデンス」は、IPCC (気候変動に関する政府間パネル) の役割に関して。そう、二酸化炭素が温暖化を引き起こしている、とか、それは陰謀だ、とかいう話につながる話です。

IPCCは政策を決めるところではなく、政策決定のためのエビデンス (証拠というか科学的裏付け) を提供する役割を担っているところということでした。政策決定はCOPが行います。

恣意性を避け、透明性を上げるために、一次草稿のレビュー、二次草稿のレビュー、最終草稿のレビューを行います。一文単位で合意を決めて行きます。レビューコメントひとつひとつに回答を行ってそれも公開するそうです。

IPCCの報告書にはエビデンスだけということで、「気温上昇を2度以下に抑えるためには、CO2排出量を1990年比25%~40%減にしなければならない、4度以下に抑えるためには ...」というような書き方になります。そう書いても、IPCCの報告書が「CO2排出量を1990年比25%~40%減にしなければならない」と書いたようにCOP合意で記載されそうになったので、前提を記載するよう文言修正を要求し変えてもらったと言うことでした。報告書出しただけでは終らないんですね。

牧野淳一郎の「スパコン開発とエビデンス」もちょっと前に話題になった「京」に関することです。「京」は世界一にはなった訳ですが、プロジェクトとしての成功はまだ終っていません。世界一をとることが目標ではなく、そのコンピュータを役に立てることが本来の目標であるべきですから。「べき」と書いたのはそのプロジェクトの目的目標も明確ではないらしい、それは失敗プロジェクトの共通の特徴、ということで牧野氏は「失敗」という断定を避けながらも、このプロジェクトの問題点を語ります。私が特に気になったのは、官僚主導ということでした。官僚が専門家委員会を選ぶが選ぶ専門家によって結論はだいたい見えてくる。官僚は中身には詳しくなく、また2-3年で異動するため専門的知識をつける前にその部門を去ってしまう ...

藤垣裕子さんのコメント "「数量化、政策のための定量化」の陥穽~ポーターの「数値への信頼」より" も興味深い内容でした。現在ポーターの「数値への信頼」という本を翻訳しているそうですが、そこからの教訓を話していただきました。民主主義の世界になって、何かが問題であり替えなければならないと言うためには、裏付けとなるデータが必要になるが、データを集めるためにも権力が必要になる (インターネットの時代になって変わって来たところではあるだろうけど)、データを収集するだけで人の行動を変容させる、そのデータ自体が権力を持ち始める (例えばデータにより正常と異常に分ける言葉が定義される)。一方でそれでもデータによる定量化は、距離を越える技術になる (グローバルに適用できる指標になる) というところがポイントのようです。

という訳で、期待とは違っていたけれど、期待とは違う収穫が得られた半日でした。

追記: 資料はここで公開されています (しのはらさんサンキュー)。→ 第二回ワークショップ報告

2012/02/18

石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行

行って来ました。

石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行 府中市美術館



石子順三は評論家です。評論家の視点で展覧会が構成されるのは珍しいとのことで、私の記憶にはありません。

展覧会は三部構成になっています。展覧会のサブタイトルにあるように、美術、マンガ、キッチュです。

美術評論家の時代は、虚と実を評論の視点におき、芸術が現実の生活と乖離していくことに疑問をもち、それを気づかせるものをとりあげています。特に、企画に関わった「トリックス・アンド・ヴィジョン展」(1968年)に多くが割かれていました。全然関係ないですが朝の番組でトリックアートが取り上げられていて、似た作品もあったのでグッドタイミング。

個人的には横尾忠則が自らをスターのように作品に取り上げているのが面白かった。

マンガの時代は、正直言ってあまり興味が持てませんでした。収集したマンガ単行本が十数冊あるので時間のある人は見て行くと良いと思います。

ここのコーナーの目玉は、つげ義春の「ねじ式」の全原画。私は「ねじ式」は文庫版だけど持っているので真面目には見なかったのですが、ちょっと見たかぎりではほとんど覚えてないことに気がつきました。

このコーナーで興味をひいたのは林静一の自主制作アニメ2作品。

最後はキッチュのコーナー。ここだけ写真撮影可だったので撮って来ました。

キッチュコーナー展示

世界堂の広告があることは知っていたのですが、行ってみたら「モナリザグッズコレクション」のひとつとして展示されていました。モナリザがなぜよくモチーフに使われるのか、その興味から集められた作品だそうです。


また、ここには食品サンプルが出展されてて、一般のアート作品と同様に説明にミクストメディアと書かれていました。普通なら「油彩、カンバス」とか「シルクスクリーン」とか書かれる場所ね。「ミクストメディア」というのはそういうジャンルに入らない、という意味以外ないな。

2月26日までです。

2012/02/13

女子美卒業制作展 2011

2月11日、女子美大の卒業修了学年選抜学外展 女子美スタイル2011(→ スペシャルサイト(音が出ます)) へ行って来ました。横浜美術館で松井冬子講演を聴いてから行こうと思っていたのですが、満席で入れないという情報を入手、松井冬子展覧会のほうも激込みということだったので、急遽こちらのみに。

見応えがあって、なかなか楽しかったです。

目的「ブログ掲載」として写真撮影許可とったのでいくつか載せて行きますね。

la pluie / 松本来夢さん
R. Yoshihiro Uedaさん(@ryokan)が投稿した写真 -


cycle. / 木下咲香さん
R. Yoshihiro Uedaさん(@ryokan)が投稿した写真 -


夢子屋 / 三原由貴さん
R. Yoshihiro Uedaさん(@ryokan)が投稿した写真 -


昔の駄菓子屋風の作りで、中には女の子のメンコとか紙袋に入って中が見えないフィギュアを売ってる不思議な世界。

和菓子少女 / 松尾康子さん
R. Yoshihiro Uedaさん(@ryokan)が投稿した写真 -


兵馬俑みたい。

作品名忘れちゃった。ごめんなさい。再生 / 松井靖果さん、だったかな。
R. Yoshihiro Uedaさん(@ryokan)が投稿した写真 -


カオスラウンジを思い出しました。この中では珍しいです。

夢裡 / 小山千晶さん


裏地に彼女の思い出が描かれている布が展示されていて、それの上に制作過程やその布を纏っている姿が投影されています。自分は自分だけで出来ているのではなく、蓄積された記憶とともにあることを表現しています。

Dolce 集い語らう優しい時間 / 田中春奈さん


大きな作品も多かったのですが、これってどう保管されるのかなあ。美術学生というと貧乏というイメージしか持ってないのですが、今はスポンサーをみつける能力ももたないといけないのだろうか。

それから、これって選抜なんだけど、選抜されなかった作品もある訳で。その差はなんだろう。「アートの評価ってなんだろうね」を思い出した。

2012/01/22

エリック・ギルのタイポグラフィ展

多摩美術大学美術館で、エリック・ギルのタイポグラフィ展が行われています。

昨日は、関連の講演会があったので行って来ました。

講演開始20分前にいったのですが、すでに満員でした。しかし急遽前の方の関係者席を減らして開けてくれたのでラッキー。

最初の講演は、ルース・クリブさん。女性でした。名前じゃわかんないね。 http://uk.linkedin.com/pub/ruth-cribb/26/952/49
エリック・ギルの研究をつづけている方です。

主にエリック・ギルの生涯を追って、碑文彫刻、彫刻、印刷、モノタイプ社のタイプフェース開発という変遷が語られました。

その中で、社会運動 (社会主義) に関与するようになり、その後カトリックへ改宗したということが語られました。

私は、なぜこんな揺れがあるのかと思っていましたが、次の指先生のお話で背景説明がありました。イギリスでは英国教会が国教で、カトリックは反体制なんですね。

パーティーがあって誰でも参加できるとのことなので、最初の方だけ出て来ました。

20120122-100320.jpg

2012/01/01

2011/12/31

2011年アート系イベント

今年も1年に行ったアート系イベント (展覧会、ワークショップ) をまとめてみました。といっても今年はヨコハマトリエンナーレに初めてサポーターとして参加して、まさにヨコハマトリエンナーレの年と言えるでしょう。


数にしたら結構ありました。何か書いておこうと思いながら記事にしていないのもたくさんあるー、うう。

2011/10/17

魚の釣り方を教えるだけでなく [Blog Action Day - Food]

「魚を与えるのではなく魚の釣り方を教える」というのは最近初めて知りました。いや、意味は分りますが、「食糧を与えるのではなく食糧の生産方法を教える」みたいなえらく直截的な表現で理解していたので。

しかし、「魚の釣り方を教える」でも十分ではないと思う。それはサステナブルではあるけれど、低いレベルで持続可能ということではないだろうか。発展がない。何かというと、より上の生活レベルを目指すための余裕を生まないということだ。

余裕を生むためには「魚の売り方を教える」だろう。自分たちが生きるため以上の生産を促し、余裕となる現金を生むようなモチベーションを持ってもらう。

そこで生まれた余裕はただ消費してしまうものではなく、次のレベルにいくための投資に使ってもらう。具体的にいえば子供への投資 = 教育だ。医療や科学技術の知識を習得するために、親が稼ぎ、子は学びに専念できることが望ましい。

日本はそういうところに力を注ぐべき。それは相手のためだけではない。「情けはひとのためならず」を、日本が生き延びて行くための戦略とするのだ。

もう少し具体的にすると、援助することによって日本の食糧、資源を確保することを戦略に据えるのだ。

今農水省では、食糧自給率が低いことを問題にしている。
Food Action Nippon 日本の食料自給率問題とは 

これ自身を見ると間違ったことは言っていないように見える。

しかし、ここで言っている自給率とはカロリーベースでの計算なのだ。野菜を生産しても自給率は上がらない。牧畜を行うのに輸入した飼料は自給率をマイナスにする方向に働く。

お分かりだろう。自給率を上げるには、お金になる作物を作るのではなく、穀物や芋類など単価は安いがカロリーになるものを作る必要があるのだ。これって農家に自分たちの利益を上げるよりも、国家のいざという時のために食いつなぐ食糧となる作物を作れと言っているようなものだろう。また、国民にも国産の作物を食えと言っているだけでなく、飼料を外国に依存する肉を食うなと言っているようなものだろう。

さて、もとの論旨に戻る。日本がとるべき戦略とは、

貧困国に食糧増産のノウハウを教えインフラを整備するだけでなく、
余剰の生産を行うことで豊かになる道を教え、
余剰生産を日本が優先的に得られる関係、仕組みを作る

ことだと思う。農水省の問題は日本がいきなり孤立してしまうことを前提としている点だ。そのときに食糧だけあって食いつなげても仕方がないと思う。エネルギーはどうするの、工業製品生産に必要な材料部品はどうするの?ということだ。

日本は他の国から孤立しては生きられない。ここで提示した枠組みは、途上国を豊かにする一方で、日本の仲間を増やし、いざという時に孤立しない、いやそれ以前に孤立する状況にならないことを狙うものだ。いわばWIN-WINの関係を築くということだろう。

関連記事
2008年 ホワイトバンドまだつけてる [Blog Action Day] 
2005/07/05 ほっとけない、だけど…

2011/10/16

ヨコハマトリエンナーレ キッズアートガイド

ヨコハマトリエンナーレでは、小中学生が大人に作品の紹介をするキッズアートガイドという企画があります。

これまで 9/11, 9/25, 10/2 の3回行われ、あと2回 10/16, 10/30 に行われます。毎回
11:10-12:00/横浜美術館
14:00-15:00/日本郵船海岸通倉庫(BankART Studio NYK)
というスケジュールで行われているようです。

9/25 横浜美術館と、10/2 日本郵船海岸通倉庫に参加して来ました。

9/25 横浜美術館は、キッズも観客も多いため、2班に分かれ、A班は展示ルートの前半、B班は後半を回ります。最後に美術館の前のウーゴ・ロンディノーネで合流します。私はB班で行くことにしました。開場から間もない時間帯で後半に行くため、ほとんど貸し切り状態になるというのに惹かれて。

作品の解説というより、キッズが作品ごとに分担して、自分が感じたことを観客の皆さんの前でプレゼンします。一生懸命説明してくれるのが可愛いですね。

聞いているだけで良いのかと思ったら、最初の作品のところでいきなりあてられて焦りました。負けないように一所懸命話しました。それぞれの作品でこういうふうに聞かれるのかと思っていたら、ここだけでした。

最後に集まったところで、誰か感想を話してくださいとのことで、今度は自分から手を挙げて全体の感想を話しました。「今後もずっとアートに親しんでください」みたいなことを話しました。

これは日本郵船海岸通倉庫のほうも参加したいと思ったのですが、その日の午後は有志ボランティア アートバードの人たちの「トーキング&ウォーキング ~ヨコハマトリエンナーレをしゃべろう~」に参加することになっていたので、それはまた次回。ということで10/2にしました。


この日は、キッズの数が少なく、一人で複数作品の説明をしていました。王節子先生に聞くと、子ども達にもそれぞれ都合があって午前で帰った子もいるとのこと。観客のほうは9/25 横浜美術館の1班と同じくらいの人数でした。

ただ日本郵船海岸通倉庫は作品と作品の間隔が狭く、観客を前に説明するのは厳しいような感じがしました。午後で他のお客さんも増えている時間帯ですし。また、こちらのほうはフラジャイルな作品が多くはらはらしました。ケンピナスの作品は、作品に沿って歩いて見てくださいなんていうもんだから、磁気テープに当たって揺らす人が続出。みんな気がつかないのかな。サポーターで来た訳ではないのに思わず離れてくださいと声出しちゃいました。

ブログ「美術検定」の記事「ヨコトリ:キッズ・アートガイド2011」で、
キッズ・ガイドは、ビデオテープのインスタレーション作品でも、「ここから作品に沿って歩いて行くと景色が違うものに見えてきます。そこが僕は面白いと思います」という紹介をしてくれました。
という記事は読んでいたのですが、別にすれすれのところを歩かなくていいのにね。

ノイエンシュワンダーのProsopopeia <プロソポピーア>では3種類の参加型作品を全部触らせていましたが、卵のは抜いても良かったんじゃないかな。ただでさえ壊れやすいので、スタッフの皆さんはいつも神経尖らせているのに、大勢で押し寄せると対処に困っている様子でした。

ここも最後は感想を聞かれるので、やはり皆さんの前で話して来ました。基本的に同じような感想ですけど。

あと2回ですので、それにあわせて行くようにすると良いと思います。

2011/10/10

聞き耳ワールド

Smart Illuminationの日、集合時間が16:00だったので少し早めに行って、聞き耳ワールドを体験して来ました。

参加したコースはこれ。
H:関内周辺おすすめランチ紹介ツアー
港町で味わう“異国料理”を大特集


象の鼻テラスへ向かうので、関内からBankART Studio NYK へ向かうコースを選択しました。1時間はつきあえないけど。

歩くペースが同じなので、そろそろ見えてくるとか、いまそばにあるビルが震災のときは ... なんて本当に二人がそばで会話している感じ。

収録日は横浜スタジアムで横浜阪神戦が行われていて、阪神の応援団がすごいみたいなことを話していたのですが、私が歩いた日もちょうど横浜阪神戦やってたみたい。シーズンも終盤で盛り上がりには欠けたかも。

タイカレー、トルコ料理など、一度は行ってみたいところばかりです。

 

2011/10/09

スマートイルミネーション横浜

ヨコハマトリエンナーレのサポーターへのお知らせメールの中に運営ボランティア募集の案内があったので、これは面白そうととって参加して来ました。

スマートイルミネーション横浜 省エネ技術とアートでつくる「もう一つの横浜夜景」

山下公園、元町など各地で色々な取り組みがあったのですが、仕事は象の鼻パークの周辺だけだったので、ボランティア参加ではなく一般客として行った方が良かったかもしれません。

それでもいろいろなイルミネーションを見て来ました。

ひかりの実: 紙袋 (果実栽培用らしい) に各人思い思いのスマイルを描きます。その中にLEDの光を入れて木に飾ります。



参加には500円必要で、このひかりの実は持って帰れませんが、LEDで光るバッジをくれます。18:00までに行くと光るバッジはもらえませんが無料で参加できます。私もそれで参加して来ました。

横浜三塔のひとつ、クイーンのライトアップ。《The Organic Nucleus/有機中芯的「象の鼻」》というタイトルがついているんですね。



光る男。これは、「〈光のアーティスト日下淳一と巡る〉 イルミ・アート・ツアー」というイベントなんですね。日下さんが戻られた時に休憩中の写真を撮らせていただきました (これは公開しません)。



その他の写真は、MobileMeのギャラリーにおきました。

MobileMe ギャラリー: Smart Illuminations
→ 移転  Google フォトアルバム スマートイルミネーション横浜

MobileMeのギャラリーはiPhotoからアップロードするのですが、アップロードした後もiPhotoと連携しているんですね。写真のキャプションを変えるのにはWebで出来なくてiPhotoを使う必要があるようです。編集する場所が決まってしまうと面倒のように思うのですが。これiCloudになった時にどういう扱いになるんでしょうか。

追記: アップロードして編集するのは、ギャラリーからはできないけれどもMobileMe サイトから出来るんですね。その編集結果もiPhotoに反映されるようです。

追記 (2017/1/7): MobileMeと写真を同期していると容量制限を超えてしまうので、容量を気にしなくて良いGoogle フォトアルバムに移転しました。→ スマートイルミネーション横浜

なお、このイベントは10月9日までです。

2011/10/07

Never Be The Same

ジョブズがいない世界。朝訃報を聞いた時にはついにその日が来たかと思っただけなのだが、じわじわと感慨が湧き上がって来る。ジョブズのいない世界は、今までと同じではあり得ない。

しかし ...

スティーブ・ジョブズ-驚異のイノベーション」のポイントとなるメッセージは、
ジョブズならどうするだろうか。

これからはそれを僕らが考える番だ。ぶれないキャラクターを心の中に描き、自らの行動をそれに照らし合わせてみる。そこで自分の生き方もぶれないものになるのだろう。

独特の文化をもった企業には、そういうキャラクターがいる。本田宗一郎だったらどう言うだろうか。盛田昭夫はどう判断するだろうか。皆がそのように考えることで、それは共通の価値観となり、文化として定着する。

アップルもジョブズ亡き後もそんな企業になると思う。

しかしジョブズの遺伝子はアップルだけに残すのはもったいない。

皆が「ジョブズならどうするだろうか。」と考え行動することにより、その遺伝子は共有できる。

ジョブズのいない世界は、今までと同じではあり得ない。
しかし、小さなジョブズがたくさんいる世界は作れると思うのだ。

2011/10/02

"The Clock" が面白い

ヨコハマトリエンナーレで展示されている作品の一つに、クリスチャン・マークレーの "The Clock" という映像作品があります。以前の記事に簡単に紹介しました。
今年ベネチアビエンナーレで金獅子賞をとったので、注目の作品です。色々な映画から時計など時間が表示されている部分を繋いで、その時刻にその場面が現れるようにした24時間の映像作品です。入口の前にいたので内容は見れなかったのですが、音を聞いているかぎりでは、ぶちぶち切れた映像ではなくスムーズに繋がっているもののように思います。

今日は中に入って映像を見ていました。何回かに分けましたが、合計すると1時間近く見ていたと思います。じっくり見ていると、スムーズに繋がっていることを再認識させられます。ストーリーは個々の断片にはあるのでしょうが、全体としてはもちろんストーリーはなく、次の展開も予想がつきません。それでも次を見たくなる、見続けたくなるのです。うまく繋がっている以上の何かがあると感じます。

今回気づいた点を列挙します。
  • 音と映像の切れ目は同じではない。
    例えば、室内のシーンから (別のシーンの) 戸外に移る際、戸外の喧噪を室内の シーンに入れているようです。こうすると客は、室内のシーンの途中で、次のシーンへの準備が出来ていることになります。
  • 視線の移動に配慮する
    同様に次のシーンへの予告になるものとして「視線の移動」が考えられます。前のシーンでは登場人物が視線を動かすと、次のシーンではその視線の先にある対象物があると期待します。"The Clock"では、この場合は実際は別の映画から持って来るものになるでしょうが、 こういう場合には見ている対象として違和感のないものが選ばれていると思います。
  • 雰囲気のにたものをつなげる
    例えば電話。電話をかけているシーンがあったら、次はその相手が映っていると期待するだろう。"The Clock"では、(場合によっては別の映画の) 電話をかけているシーンになっているようです。
まだまだ理由はあると思いますが、私が気づいたものは以上です。

これらはもしかして、もともと映画で使われているテクニック、いわば「映画の文法」の一部なのかもしれません。"The Clock" の特徴がそのそのようなものだと仮定すると、それで金獅子賞というのは微妙なところかもしれません。

追記: クリスチャンマークレーのインタビューがありました。制作過程が興味深いです。
ART iT クリスチャン・マークレー インタビュー
やっぱり音は重要な要素だったんですね。

追記:クリスチャン・マークレー「The Clock」24時間上映決定 (ヨコハマトリエンナーレ2011)
2011年10月26日(水)20:00~10月27日(木)20:00
定員 60名だけどソファは24名分しかないので、トイレに立ったら交替!

2011/09/19

パンプキン・プロジェクト

ヨコハマトリエンナーレ2011、スッシリー・プイオックのパンプキン・プロジェクト (PDF) に参加してきました。今回はサポーターではなく、お客さんとして。

スッシリー・プイオックというアーチストはタイ人の若い女性でした。オレンジの大きな日傘の下、ずっとカボチャに彫刻をしていました。オレンジの帽子と緑のシャツで、カボチャコーディネートですな。

こんな作品です。


つるがついたまま畑に並んでいます。

一つの作品にどれくらい時間がかかるか訊いたのですが、2、3時間ということでした。カボチャの堅さによるそうで、日本のカボチャは堅いそうです。この会場内に複数の品種のカボチャがあるようですね。

カービング体験というのもあって、指導を受けながら挑戦して来ました。



スタッフの方が、他のお客さんの作品と一緒に並べてくれたのでそれを撮影しました。

調子に乗って勝手に作品を作ってみました。



恐竜みたいにみえますが、カラスのかーくろうです。胴体、羽根まで作れる力があればよかったのですが ...

カボチャを使ったお菓子3種、レモングラスとバーベナのハーブティーがふるまわれて、いただいて来ました。



作品を鑑賞して、カービング体験をして、お菓子をいただいて、スッシリー・プイオックさんに質問したりして、約1時間楽しい時間をすごしました。

そのあとバスでいったん横浜美術館へ戻り、カールステン・ニコライの参加型作品 "autoR" で壁にステッカーを貼った後、連携プログラムの「新・港村」へ行って来ました。

MacBook その後

2006年に買って、その後膨張したバッテリーを交換してもらった奥さん用MacBookですが、その後いろいろ調子が悪くなってきて直したのでまとめておきます。ええ、まだ使ってますよ。

昨年くらいから熱を持つようになって、保冷剤を下にしいたりしながら使っていたのですが、ファンもぶんぶん回ってうるさいし、カリカリ音もするんですよね。全体が立ち上がらなくなったりして、ハードディスクもやばい。ということで、今年の初めに新しいのを買うか、今使っているのをなんとかするか検討しました。MacBook Airも安くなっているし、これだとハードディスクがうるさいこともないだろと思ったのですが、結局SSDに換装することにしました。あわせてメモリーも2GBに増やしました。約15,000円。

ハードディスクはこれで解決し、しばらく調子良く使っていたのですが、やはり熱を持っているし、音はハードディスクだけの問題じゃなくてファンから出ているものでした。これはファンも替えないといけないのですが、ファンはディスクやメモリーと違って、簡単に交換できるようには作ってないんですよね。

それからまたバッテリーの膨張です。前回はアップルストアで無料で交換してもらったのですが、その後のコメントを見ると最近はもう交換してもらえなくなっているようです。交換したときはもうこの次はマシーン自体を買い替えるサイクルだろうなと思っていたのですが、SSD交換したばかりなので悩みます。サンクコストですな。

この夏息子が帰って来たとき、自分のMacBookの修理もあわせてアップルストアへ持ち込んでくれました (渋谷まで2台持っていくのは結構くると思われます)。見積もりしてもらったところ、バッテリーとファンと修理工賃を含めて14,000円ちょっと。結局修理してもらうことにしました。また息子がとりに行ってくれました。

さてこれはいつまでもたせるかな。

2011/08/29

現代美術とキャプションと解説

森美術館で開催されている「フレンチ・ウィンドウ展:デュシャン賞にみるフランス現代美術の最前線」、今日8月28日が最終日なんですが、田口行弘のトークを聞いた時に見ていながら何も書いていませんでした。

「デュシャン賞」という訳で、「レディメイド」という概念を確立した有名なデュシャンの便器、「泉」が出ていた。私には「泉」の芸術的価値は分らないけれど、当時センセーションを巻き起こしたと言うことは、無視されなかったということで、その議論を起こす価値があったということだろう。そしてその概念「レディメイド」は、いわば常識として定着している。

今行われているヨコハマトリエンナーレに、冨井大裕の "belt is standing" と "measure" が展示されている。作品には素材が書いてあるのだが、それぞれ「ベルト」と「メジャー」。 先日ヨコハマトリエンナーレでサポーター活動したときは、音声ガイドの貸し出しと回収の係りで、回収した音声ガイドを貸し出し窓口に運ぶ時にこの横を通るのだが、その際に観客の反応も見ていた。やはりデュシャンに言及している人もいました。

面白かったのは子供が「そのままじゃん」と言っていたことで、共感してしまった。 デュシャンが使った方法がまだそのまま通用するのかという妙な感慨があります。それともデュシャンと違って何か加工がしてあるのかもしれませんし、何か別の意図が込められているのかもしれません。

ちょうどヨコハマトリエンナーレ関連の情報を調べていたら、横浜美術館のキュレーター天野太郎氏の文章があった。

ヨコハマ創造界隈 VIA YOKOHAMA 第13回 説明を要する現代美術 - 「キャプション論」、再び-
近代以前においては、例えば絵画はその主題とした神話、歴史、宗教において、それらの教養を十分に備えた受容者だけが、キャプションを必要としないで鑑賞出来た。

...

近代以降においては、教養を強化するため、キャプションは不可欠のものとなった。キャプションを必要としない「教養」ある人々が受容者であった時代から、「教養」を身につけるために美術を「学ぶ」ためのキャプションを必要とする受容者の出現が、こうした事態を生んだのだ。無論、近代の美術が、「美」の芸術から「概念」の芸術へシフトしてきたこともまた、作品が、キャプション=テキストを強く要請してきた理由の一つに挙げられるだろう。

キャプションがないとどう見ていいか困るというのは、コンテキストは違うものの、先日 名和晃平展で経験したことだ。

さらに、
横浜トリエンナーレに代表されるような現代美術では、キャプションばかりか、作品を巡るテキストはある意味で必須だ。例えば、主会場の一つ横浜美術館で、最初に遭遇する中国のアーティスト、尹秀珍(イン・シウジェン)の作品。まるで映画のフィルム入れのような金属の容器に、布らしきものが詰められた《one sentence》という作品。

会場で、与えられる情報は、このキャプションと、何よりも作品自体。これでは、何のことやら、謎めいたままだ。

と書いている。

実は、言及した音声ガイドはその穴を埋めている。トリエンナーレの総合ディレクター逢坂恵理子横浜美術館館長がそのことを語っている。

ヨコハマ経済新聞【インタビュー】2011-08-07
ヨコハマトリエンナーレ2011・逢坂総合ディレクターに聞く
今回のヨコトリが挑む、新たなステージとは?

音声ガイドの貸し出しもあります。

―それは画期的です。普通、現代美術の展覧会ではあまりしませんよね。現代美術のファンは、説明を嫌う人も多いですから。

そうなんです。でも今回は、現代美術にあまり馴染みない方にも来て頂きたいので。

私自身はまだ音声ガイドの内容は知らないのだが、今度観客として行く時にはぜひ借りてみようと思う。

2011/08/10

ヨコハマトリエンナーレ2011 アーチストトーク

8月7日、ヨコハマトリエンナーレ内覧会に続いて2回めのサポーター活動。

この日は閉館後、日本郵船倉庫会場で、ジュン・グエン・ハツシバの作品制作に協力した人たちが集まって記念撮影が行われます。そのためその人たちには配慮してくれて、日本郵船倉庫会場担当になりました。

さらに、ハツシバのトークが聴けるよう、トーク会場担当にアサインしていただきました。

アーチストトークを聴くと、俄然作品に対する愛着がわきます。特に制作に関わったハツシバの作品には愛着も一入です。

そういう個人的な事情を除いても、震災後に作品のコンセプトを変えて被災者を応援するメッセージを込めたと聴くと、思い入れが強くなるでしょう。

作品としても、感動的なものに仕上がっています。自分が担当した部分は、「これが桜?」という感じなんですが、たくさん集まるとみごとなものです。また、幹の部分はベトナム ホーチミン市を流れる川を使っていて、これがうまくはまっています。

参加者が走っている写真が別の壁に順次映されています。たくさんあるので自分の写真が出るまでかなり待つことになるのですが、せっかくなので待ちました。とは言え、2回行ったうちの一つだけですが。会場に来られたら、探してみてください。

写真撮影には、内覧会でお会い出来なかった三潴さんも来られていて (ハツシバのエージェントとしてよりも三潴さんも作品制作に参加されています)、少しお話をさせていただきました。こういう大災害でアーチストが果たせる役割や、三潴さんがツイッターでよく発言されている原発のことなど。


2011/08/06

ヨコハマトリエンナーレ2011 オープン前内覧会

ヨコハマトリエンナーレは本日8月6日から。

ヨコハマトリエンナーレ2011 2011年8月6日(土)~11月6日(日)途中休館日ありご注意下さい。

しかし、ボランティアは8月5日から必要ということで、志願して行って来ました。前夜祭みたいな特別なことがあると期待して。パーティーに出られる訳ではないのですが、内覧会ということで有名人が集まる確率が高い訳です。ってミーハーだな。

でも林文子横浜市長御一行しか確認できませんでした。会田誠、ミヅマアートギャラリーの三潴さんも来られたようですが気づきませんでした。他にも浅田彰も来ていたらしい。

よく考えたら芸能人とは違って名前を知っていても顔は良く知らない場合が多いので当然の結果だと思います。

しかしそれでも内覧会ということで、報道陣も多く、通常とは違う雰囲気なんだろうと思います。

今回配置についたのは、BankART Studio NYKの方で、ジルヴィナス・ケンピナスの作品の入口、シガリット・ランダウの作品の前、クリスチャン・マークレー "The Clock"の入口の外でした。

クリスチャン・マークレー "The Clock" は、今年ベネチアビエンナーレで金獅子賞をとったので、注目の作品です。色々な映画から時計など時間が表示されている部分を繋いで、その時刻にその場面が現れるようにした24時間の映像作品です。入口の前にいたので内容は見れなかったのですが、音を聞いているかぎりでは、ぶちぶち切れた映像ではなくスムーズに繋がっているもののように思います。

最初はみんな横浜美術館から先に来るのか比較的すいていたのですが、3時過ぎる位からだんだん増えて大盛況になりました。会期中も高い人気が予想されるので、早め (午前中) に行った方が良いと思われます。

シガリット・ランダウの作品は、有刺鉄線に死海の塩の結晶をつけた立体作品と、死海に渦状に繋がって浮かべた西瓜とそのなかに一緒にヌードで入っているアーチスト本人が、だんだん渦が解かれていく様子を撮影した映像作品 "DeadSee"。
"DeadSee"の抜粋が http://www.sigalitlandau.com/videos にあります。

1時間半以上そこについていたので、もうランダウのおっぱい飽きた。そういうことじゃないか。ここはお客さんが「これは何ですか」と質問してくることが多く、やりがいのある担当でしたね。

ジルヴィナス・ケンピナスの作品「第5の壁」はここで説明しないほうがよいでしょう。見に来て、奥まで入っていただくと驚きの視覚効果に気づかされます。

次は8月7日で、その後8月は毎週土曜日に行くことにしているのですが、会場担当になると立ちっぱなしで後にひびくので9月は少し控えようかな。

2011/08/05

名和晃平展

東京都現代美術館で行われている名和晃平展へ行って来ました。昨年から今年の初めにかけて行われた小谷元彦のような、立体作品の新しい表現を期待して。

東京都現代美術館 名和晃平 ─ シンセシス 展 2011年6月11日(土)‒ 8月28日(日)

最初に入った部屋は、偏光パネルを使ったもの*で、アクリルの中にある物体が見えたり見えなかったりするもの。これは他の作品も期待できます。

[* 注: あとで説明を見るとプリズムを使っていて、中に立体物がはいっていると思ったのも実際は平面画像だったようです。]

各作品には、題名や使用した素材などのキャプションがついてないんですよね。しかし作品リストを持って見ている人はいます。美術館のスタッフの人に聞くと、最後にお渡しするとのことでした。

作品をちゃんと見て欲しいという意図なんでしょうね。しかし題名がないと何を意図したものかも分らないし、素材がないとどうやってこの表現が編み出されているのだろうという興味にも答えることができないと思います。どう鑑賞していいか分らず、20分ちょっとで見終わってしまいました。

作品リストを持って見ている人は2ラウンド目を見ていたんですね。

すぐに見終わったというのは鑑賞の仕方が分らないだけではありません。作品自体がつまんないのですよね。ただでかいだけ。

最近みた現代美術は規模の大きいものが多く、国立新美術館で見たArtist FileDOMANI展でみた作品などは、迫力があるなーと思って、作品が大きいことにはむしろ肯定的な印象を持っていたのですが、今回はそれを考え直すきっかけになりました。

作品がでかいと、経済的に恵まれた人でないと作品が作れないと思います。さらに問題は保管場所です。

これは新しいアーチストの門戸を狭めるのではないでしょうか。その場を得られなかった人がすべてカオス・ラウンジのようなところに向かうとは思いませんが、二極化するような気がします。

脱線しましたが、大きいからつまらないという訳ではなく、作品自体が安易に作られているような気がするのです。展示を見終わったあとギャラリーショップで製作風景ビデオを見ましたが、でかいオブジェに樹脂をスプレーしているだけに見えました。それはそれでたいへんだとは思いますが、同じような作品をたくさん作る必要ないんじゃね?と思ってしまうのです。

最後の方にある映像作品は面白かった。床に投影した白い映像の中を観客が歩くと、加減の部分がカラフルに浮き上がる。加色混合で白を作り出していたんですね。

東京都現代美術館のMOT Collection展は、石田尚志の特集をやっていました。今回は次の予定が入っていて、以前写真美術館Artist File 2010で見たのでほとんどパス。時間のある人にはおすすめです。

前回込んでて見れなかったピピロッティ・リストの映像作品をじっくり楽しんできました。

アップルとディーター・ラムス

スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション」の法則5 デザイン「1000ものことにノーという」は、デザインを極限までシンプルにすること。そうすることで、必要なもののみがうきあがる機能美が現れるということだろう。

これは以前府中市美術館で見たディーター・ラムスにつながるものだ (ブログ書いてなかった)。

府中史美術館 2009/5/23 - 7/20 純粋なる形象 ディーター・ラムスの時代―機能主義デザイン再考

関連記事
この時点で、アップル製品のラムスデザインに対する類似性は指摘されていた。最初のインタビュー記事から引用する。
―現在、多くの人々がアップル社の「iPod」や「iPhone」などで音楽や映像を外に持ち出して楽しんでいるわけですが、この「iPod」や「iPhone」のデザインに、ラムスさんが影響を与えたと言えるのではないでしょうか? たとえばこの「TP1」のように、「縦型」というデザインのポイントなど。それについてはいかがでしょう。

 私の持っている基本的意見と、よく似た考えで作られているということは、確かに感じます。私の知り合いのジャーナリストや友人によっては「あれはコピーだ」という意見を私に言ってくることもありますね。でも、そう言われることは、逆に私にとっては褒め言葉だと思います。デザイナーの持つ宿命と言いますか、私自身は模倣ではないと思います。私にとっての最大級の褒め言葉だと感じていますよ。
それはそれ以前から指摘されてきていることだし、その後もみかける。

らばQ 2008/1/18 Appleがあのブラウンからパクったグッドデザイン10の原則
(元ネタ GIZMODO 2008/1/14 1960s Braun Products Hold the Secrets to Apple’s Future)
Wired.jp 2011/5/16 Appleデザインに影響を与えた古いガジェットたち「パクった」と「影響を与えた」って言葉の選び方で、そのサイトのテーストが現れていますね。

増加する機能を、いかに整理して提示するかは今後も続く課題だろう。

2011/08/04

製品を売るな。夢を売れ。

スティーブ・ジョブズ-驚異のイノベーション」で第3法則に「製品を売るな。夢を売れ。」というのがあった。

これって、以前書いた「モノを売るのではなく新しい価値を売る」と同じですね。まあ、これもアップルのiPod shuffleをきっかけとして書いたのですが。

しかし私の原点はウォークマンにあります。録音できないカセットプレーヤーが出た時、私は消費者として、これ売れるの?と思いました。しかし、みんなが使っているのを見て、自分でも使ってみて、それなしに過ごせなくなってしまいました。ソニーが売っていたのは、「音楽を持ち歩く生活」だったんですね。

お客様に聞くのではなく、新しい製品を提示して、「どうです、これがあなたが欲しかったものじゃありませんか」と問い、"Yes" と答えさせる。こうありたいですね。

しかしそういう提案がまず企業内で出しにくいところがあります。

顧客志向、お客様の声を聞く、というのは一見正しく、それに対して反論する論理はなかなか出しにくいと思います。しかし、イノベーションのジレンマは、顧客の声を聞く先行企業が後発に負けてしまうという話でした。

ああ、これも「 みんなソニーが大好き」で書いたことでしたね。進歩ないな。

2011/08/03

スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション

読みました。

スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション―人生・仕事・世界を変える7つの法則
カーマイン・ガロ 外村 仁 解説
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イノベーションというと、技術者や経営者にしか関係なさそうに見えますが、自分の人生をよりよくしたいすべての人に向けられた本のように思います。
発明家になれる人は限られているが、イノベーターには誰でもなれる。 ... イノベーションは、すばらしい人生を送るために普通の人々が日々、行うことだ。
その人たちが、スティーブ・ジョブズだったらどうするだろうかを考える時に指針になることを目指しています。
1日に何回も、何か問題を抱えたどこかの学生、どこかのアントレプレナー、どこかの産業デザイナー、どこかのCEOがこう自問しているはずだ ーー『スティーブ・ジョブズならどうするだろうか?』と。
これに対してここでは7つの法則を提示しています。
  1. キャリア「大好きなことをする」
    -- 自分の心に従え。
  2. ビジョン「宇宙に衝撃を与える」
    -- 自分のビジョンに賛同する人を惹きつける。
  3. 考え方「頭に活を入れる」
    -- 創造性はさまざま物事をつなぐこと。そのためには幅広い体験が必要だ。
  4. 顧客「製品を売るな。夢を売れ。」
    -- 顧客からニーズを聞くのではなく、顧客の本当の希望を知る。
  5. デザイン「1000ものことにノーという」
    -- 不要なものを取り除き、必要なものの声が聞こえるようにする。
  6. 体験「めちゃくちゃすごい体験を作る」
    -- アップルストアの顧客サービスは体験を提供している。
  7. ストーリー「メッセージの達人になる」
    -- プレゼンにより周りの人を巻き込む。
各法則には2章を使い、1章はジョブズの場合、もう1章では他の人の事例 (他の成功した人もこの法則にあてはまること) が載っています。

法則の全てが誰にでも適用可能なものとは言えないかもしれませんが、自分にどう関わってくるかを考えるのは有効だと思います。

特に重要なのは法則1 「大好きなことをする」ではないでしょうか。

アップルから追い出されたころのことをこう語っています。
くじけず前に進めたのは、自分がしていることが大好きだったからです。大好きなことをするのでなければ、すばらしい仕事などできるはずがありません。
またこのようにも話しています。
アントレプレナーというのは大変な仕事だからね。この仕事で成功した人と成功できなかった人を分けるものの半分は、忍耐力だと思うんだ。
...
大きな情熱がなければやり遂げられるはずがない。
また、情熱が傾けられるものが今なければ、レストランの雑用係かなにかになって、見つかるまで探すべきだということもいっています。

ちょうど前後してみたジャック・ウェルチのインタビュー (CEO EXCHANGE) で、リーダーシップに必要なものとして、4つのE (Energy, Energize, Edge, Execute) に1つのP (Passion) を加えていました。ここでも「情熱」が語られています。

7月30日、Earthling 2011 で講演された山中俊治さんも「自分の好奇心に従え」と語っていました。

NHK教育で再放送されていた、FIRSTサイエンスフォーラム「常識の壁を打ち破れ」でも、同じメッセージが出されていました。情熱を傾けて一生懸命やると何かは必ず得られる。

そして同じメッセージが「スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション」の法則1の後半でも出てきます。次の言葉は社会起業家ビル・ストリックランドが、アップルから追放された時のジョブズに関して語ったもの。
情熱があっても失敗はします。でも情熱があれば、失敗で終ってしまうことがないのです
失敗したときこそ、その夢がどれほど大事なものかよくわかるとも言っています。

読んで自分の行きて来た道を考えると複雑な心境ですね。がんばってきたつもりではあるのだけど情熱が足りなかったんじゃないのとも思います。情熱が傾けられるところにいながら、少しずつずれてきて今ここにいるのかもしれない。一方でこれからでも少しずつでも情熱の傾けられる道に修正していかないといけないと思うのです。

2011/08/02

Mac OS X Lionのスクロール

こんばんは。

先日、Mac OS X の新バージョン Lion が発売になりましたが、当初は混雑してなかなかダウンロードが終らないということでしたので、先週末に購入ダウンロードしました。

その前にインストールディスクを作成しました。
参考: マイコミジャーナル (2011/07/22) 新・OS X ハッキング! 6 Lionへアップグレードするその前に~インストールDVDをつくろう~

インストールしたら、マジックマウスのスクロールが効かなくなって、慌てました。

検索したら、実は、スクロールの方向が逆になっていて、トップにきててそれ以上上に行かない状態になっていたことが分りました。
参考:Mac OS X Lionの逆スクロールを従来の方向に戻す方法

なんでスクロールを逆にするかなと思ったのですが、上記ブログの次の記事で意図が分かりました。
参考: Mac OS X Lionの逆スクロールに慣れる方法。 | 和洋風◎

なるほど。設定を変える方法もあるのだけれど、ジョブズが変更したのには訳があるんだから、大人しくしたがって慣れるようにするか。「設定」では、これまでと逆の方向が「ナチュラル」となってるし。

コンテンツの下の部分を見るとき、これまではスクロールバーを下に動かして下を見た。Lion では、コンテンツを上に動かして下の隠れている部分を見る。そう考えると合点がいく。

ただ、それは、「つかむ」というメタファーが働く時だけだと思う。iPhone, iPad は画面を触って、そこにあるものを動かす感じ。トラックパッドは画面とは離れているけれど、触って動かすというメタファーはまだ有効だと思う。

一方で、マウスでは触るというのはクリックするか、ボタンを押下してドラッグすることに対応するだろう、マウスを押さずに、マウスの上を指でなぞる、というのはどうもこれまでの操作性からすると違和感があるのだ。

Snow Leopard の設定に戻すかな。そうすると、やっぱりオヤジには適用力なかったかといわれちゃいそうですよ。

2011/07/20

パウル・クレー展

16日土曜日、パウル・クレー展に行って来ました。その日、特別講演会 (無料) があるというので狙ってその日にしたのですが、予約ではなく入るためには並ばないといけなくて、残念ながら講演会は聴けませんでした。

実はパウル・クレーは、小学校か中学校のときに最初に行った展覧会で、それ以来最も好きな画家の一人です。その後も何回か行っていて、展覧会のカタログが2冊、画集というか解説本が2冊ありました。もう要らないような気もしますが、今回の展覧会は展示の構成が面白かったので、今回も買ってしまいました。

どう面白かったかというと、クレーが使った技法で分類して解説してあったところです。有名作品はないけど、その構成が興味深い。

昔は作品を集めるだけでよかったけど、今は背景知識をあわせて提示しないと満足してもらえないんだろうと思います。何年か前のマティス展でも制作の過程が見えるようになっていたし、最近ではBunkamuraでひらかれたジヴェルニーの画家達も画家の交流を浮かび上がらせる企画が面白かった。

一緒に所蔵品展と工芸館も入れるというので、両方みて来ました。工芸にはあまり興味はないのですが、見たことがないような技法の作品が見られて収穫がありました。

2011/07/18

再び桜ドローイング

先日、横浜トリエンナーレに出品するジュン・グエン=ハツシバの作品《Breathing is Free: JAPAN, Hopes & Recovery》の制作サポートに参加して来た話を書きました (→ 「横浜トリエンナーレのプロジェクトに参加してきた」)。

これって多くの人が参加するためのものと思っていたのですが、Facebookにあがる報告を見ていると複数回参加した人もいるのですね。

その後、ジュン・グエン=ハツシバ氏の来日 (ベトナム) にあわせて、サポーター交流会というのがあり参加してきました。交流会に参加した人の中には5コース分行った人もいました。

交流会の中で、まだいくつかコースが残っているので、参加者のみなさんにはまた参加して欲しい旨のお話がありました。私が1回目に参加した時はなかったのですが、参加には事前レクチャーを行うようになったようです。経験者が参加してくれた方が嬉しいようです。その交流会の場で申し込んできました。

前振りが長くなってしまいましたが、7月10日午後、港南台のコースに参加してきました。

コースはこんなコース。予めデータをもらってGoogle Earthに入れていきました。




コース全長は6.5kmで、前回のコースに比べたら半分ちょっとしかありません。

しかし結構たいへんでした。

暑いのもあって、最初ペットボトルを2本用意していったのですが、途中1本 + アイス調達。

アップダウンは前回ほどではなかったのですが、道なき道というのもあり、結局道が見つからないところもありました。蚊の大群に襲われ、私は長ズボンで長袖も用意していたのでそれほど被害にはあいませんでしたが、サポート役の女性 (前回のときと同じ学生さん) はレギンスの上から刺されたようです。10カ所以上も刺されて可哀想でした。

道が見つからないのと蚊の襲撃で断念したところはこのあたりです。上空から道があるように見えないでしょ。



帰りはバスがあるところで助かりました。行きは元気だったので駅から歩いてコースまで行きましたが、さすがに疲れたので。

今回のコースはちゃんと取れたのでしょうか。確かに断念したところがあるので完全ではないのですが、それ以外にもGPSの電源を入れ忘れてたりとかしないかいまいち不安です。

横浜トリエンナーレは8月6日から。会期が始まったら会場案内などのボランティアで参加しますので、声をかけてくださいね。

2011/06/13

この国の新しい風景

こういう記事があった。

地熱発電:国立公園の外から「斜め掘り」 十和田八幡平 - 毎日jp(毎日新聞)
 三菱マテリアルと東北電力が地中を斜めに掘る技術を利用して、国立公園の直下にある地熱エネルギーを使う発電を計画していることが11日、分かった。日本は地熱資源の約8割が国立公園など自然公園に存在するとされるが、開発が厳しく制限されていた。しかし、政府は10年6月、景観に配慮した開発を認めるよう規制を緩和した。実現すれば斜め掘りを利用した日本初の地熱発電となり、他地域の地熱活用にもはずみがつきそうだ。
景観に関しては、以前、「東電の国有化に関して」で、
再生可能エネルギーでは主に太陽光発電と風力発電を想定していたが、地熱発電のコストは従来の発電とほぼ同等らしいので日本だと特に期待できるところだろう。火山というと国立公園内という場合も多いだろうが、今の状況だと多少風景を犠牲にしてもエネルギー自立を図るべきだと思う。
と書いた。

今はもう少し進んで、「風景を犠牲にしても」というネガティブな理由ではなく、積極的に地熱発電所があることを新しい日本の風景として取り入れても良いのではないかと思う。

地熱発電所を、日本の復興のシンボルにする。

先日、「横浜トリエンナーレのプロジェクトに参加してきた」で、高台から見える工場地帯の風景の写真をあげた。コンビナートってワクワクするよね。高速道路も、ダムも、橋も。戦争からの荒廃から立ち直る際に、これらの風景は日本人の心を奮い立たせたと思うのだ。

震災からの復興は、そんなワクワク感とはちょっと違うかもしれないが、国立公園に観光へ行った際に地熱発電所の施設を見る度に、復興への意志を新たにすることができるのではないか。そして将来、こうやって日本はまた復活したのだよと誇りにすることができると思う。

それは地熱発電だけではない。各家庭の屋根や、ビルの外壁、高速道路の防音壁を覆い尽くす太陽電池パネルも新しい風景になる。風力発電は日本では設置する場所は少ないが、海上に設置するという構想もあるようだし、それも新しい風景だ。休耕田は、メガソーラーにするよりも食糧増産に使うべきだと思うが、休耕田のままにしておくよりはメガソーラーの方がましだと思う。

電力のことばかり書いたが、東北を地震・津波に強い地域にするための開発も新しい日本の風景になると思う。高台に散在する住宅地、そこを繋ぐ交通機関。低地の使い方は議論が必要だろうが、できるだけ災害時の復旧が容易な利用方法を考えていく必要があると思う。大規模経営の農地や牧場など、今の土地の価格では成立しないかもしれないが、高台の価値が上がることによる相対的な価格低下、大規模化効率化によるコストダウンでなんとか出来ないかと思う。