こんばんは。
先週は国立新美術館で開かれている
光 松本陽子/野口里佳
に行って来ました。ハプスブルグ展が始まったばかりで多くの人がそちらに行ってたけど。
松本陽子の抽象画は、同じようなものばかりでちょっとうんざりした。いつもならば、抽象画や現代美術は、その訳の分らなさを楽しむ姿勢で臨むのだけれど、これだけ同じようなものが続くとそんな気にもなれない。
展示室の中にカタログが置いてあったので、本人の文章を読んだ。それを読んで自分の不満の理由がわかったような気がする。
・抽象画は凡庸になりがち。独自性が必要になる。
・世の中には、赤の抽象画、青の抽象画が多い。その中で自分はピンクを選んだ。
・奇を衒った訳ではない。自分のものにして行った。それは自分にとって約束された色だ。
・変わらなければいけないし、変わってはいけない。
最後の項目はよく分る。自分の個性というものは同じスタイルを続けて初めて認識される。それは「作風」といわれ、それがなければ個性が確立されていない、発展途上と呼ばれてしまうのだ。一方で、その個性はマンネリとも同義だ。
松本の作品は、色だけがマンネリというだけでなく、形もないので、作品の差が見えない。作品を作る際に、制作意図がそれぞれあるのだろうかとさえ思う。個々の作品に対する内面から生まれてくる情熱ではなく、アーチストとしてのマーケティングが見えるような気がするのだ。そこがうんざりした理由なんだろうと思う。
一方、もう一人の 野口里佳は写真家で、こちらの作品は、アート的な良さは分らないのだけど、松本作品のような嫌悪感を感じることはなかった。
ところで、それより前に、鴻池朋子展とアイ・ウェイウェイ展にもいたのだけど、こちらは感想をまだ書いてなかったな。
4 件のコメント:
一般化してしまえば、小説やマンガ、音楽だって、その人の「色」、「個性」が重要ですよね。同系色でかけば、ファンは安心するけど評論家はマンネリだと評する。そんな感じでしょうか。私は、偉大なるマンネリズムが好きです。
★ pacer3さん、ええ、たしかにどんなクリエーティブな現場にも通じることですね。吉本新喜劇とか水戸黄門とか寅さんもそうですね。私は一本筋がとおった変わらなさと言うのがあって、その中で今度はこう来たかと思わせるのが好きです。昔のChicagoのジャケットとか。
通りすがりです。自分もこの展覧会行ってきたんですけど同じ感想でした。本当に似たような絵ばかりで、もっと違う配色や形の絵があってもいいのになぁと…。写真は暗くしてある部屋の光の展示は結構好きでした。
★ 通りすがりさん、この展覧会へ行って野口作品の感想だけ書いている人も多いですね。あと展覧会の構成としても、二つの個展をただ一緒にしただけって評価も多い、というか展覧会の主旨説明からそのような感じで書いてあります。私も野口美佳個展だけで良かったかなという気もしますが、ただ写真家の個展だと行っていないと思われ、難しいところです。
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