こんばんは。
先日、国立国会図書館の長尾真館長の講演を聞いてきました。
この前の爆笑問題の番組のことが前振り。本質的なことに切込んで困らせるような質問が来るかと期待していたのだけれども、図書館すごいなーっていう話で終っていささかがっかりと話しておられました。確かにそんな感じでしたね。長尾先生もっと言いたいことたくさんあったんじゃないのかなと思ったし、放送をその時間帯に見ていた人達のTwitterの発言でもみなさんそう感じられているようでした。
今だと、やはりデジタル化関連の話が一番興味深いですね。「デジタル化の話も法律から変えていかないといけない部分があって、相当苦労されているはず。曖昧なところも大きい著作権だけでなく、図書館に関する法律、国会図書館に関する法律もあわせて対処しないといけないのだろう」と思っていて、そんな話が聞けるものと期待していましたが、期待通りいろいろ聞くことが出来ました。「私企業であるGoogleと、法律で業務が決められている国立国会図書館では、動きに差が出るのは仕方ないところだろう」とテレビを見た後の感想で書きましたが、そのことにも触れられていました。
その中で、著作権の保護期間の話も出ていました。現在著作権の保護期間は死後50年なんですが、例えば若い頃の作品で、作品が作られてから50年後に著作者が亡くなるとするとさらに50年著作権が存続することになる。つまり作品が世に出てから100年間保護されることになる。
私は死後50年ということは理解していたのですが、生前の期間のことを忘れていました。「著作権期間の延長を主張する人は、自分の子と孫だけでなく曾孫まで養いたいのか」と思っていたのだけれど、よく考えると死ぬ段階で孫までいることが多い訳で、孫の曾孫 (玄孫の子、ってなんていうんだろ ... Wikipediaによると「来孫」なんだってね) まで養いたいということになるのですね。
五代先までの繁栄を願うってどんな帝国じゃ。
それとも文学者だから五代先までの醜い遺産相続争いをみたいのかもしれないな。そうか、それを後々の文学者の題材として残したいということか。... どうも強欲な人達を見ると、皮肉な口調にななってしまう。平常心が保てないようだ。いかんなこんなことでは。
しかし著作権期間の延長を主張する人は文学者ばっかりで、ミュージシャンにはいないような気がするのだけど、気のせいだろうか?
文化はこれまでの成果の上に新しいものや改良を加えて行って発展して来たのだと思う。特に日本は、本歌取りなどのように古典を下敷きにすることが尊ばれて来たし、無意識にも気の利いた表現を利用していると思う。それでいて、自分の作品は自分の所有物としての権利を声高に主張するのは醜悪に見える。自分の死後の利益なんかを主張するよりも、後継の新しい才能の開花、文化の発展を願う姿勢でいた方が、今現在も死後も尊敬を得られるのじゃないかな。
4 件のコメント:
私も文書の電子化で悩んでいる者のひとりです。今時、納品形態が電子データなので、こちらのバックアップは楽なのですが、こと、それを作るために使用した参考資料となると、著作権がネックで、保管に困っています。大量にあるため、電子化しないとスペースに限りがあります。何とかならないものかと、頭を痛めています。
本質的な質問ですかぁ。でも、しょうがないかもしれません。番組の方針として、毎回、爆笑問題の二人はなんの専門家の方に話を伺うか、前情報なく現場に行って収録するらしいです。つまり、出たとこ勝負ですね。特に太田さんは家を出て現場に着くまで、なんの仕事かすら把握してないそうです(笑)。
★ pacer3さん、公開する訳ではなければ電子化保存は問題ないと認識していたのですが、会社によっては厳しい自己規制をかけているのでしょうか。それとも著作権契約の時にバックアップもとれない契約で許可をうけたのでしょうか。次の記事で私の電子化をまとめてみました。
★ マッカビーズさん、他の回ではわりと切込み厳しいような印象なんですが、事前準備なしだとすると、太田さんは自分のペースで自分が聞きたいことを聞く、聞かれる側の先生はいつもと勝手が違って太田さんのペースに巻き込まれちゃっているので、厳しい切込みに見えるだけなのかもしれませんね。
コメントを投稿