「命の軽重」3回目です。
命の軽重 (2) では、「自己責任」と「命の重さ」の関係に関して考えた。「自己責任=自分でリスクをとって行動を起こした場合、命はそれだけ軽くなるのか」という問いに対して私の提出した答えは、「否。死に値するだけの責任は存在しない。ただし命を救える確率が等しい訳ではない」である。
今日の問いは、
人が社会に提供する価値によって命の重さが変わるのか。
今日は先に答えを提出してしまおう。
原則 No.
「原則 No.」ってあいまいですね。外交官であれ、ボランティアであれ、ジャーナリストであれ、呑気な旅行者であれ、みんな同じ命。法の範囲内でできる最大限の努力を尽くそう。犯罪者だったら? 法治国家としては、法治国家であることを示すためにも、命を救って、裁判にかけて、それで罪をつぐなってもらう (判決によっては死刑ということもありうる)。要人または何かのシンボル的存在 (たとえば報道の自由の象徴など)だったら? 「法律の範囲の中で」を弾力的に解釈する必要があるかも。いわゆる超法規的措置というもの。(日本人にとって)「テロに屈しない」という価値観よりも守るべきものが大きければ、「テロに屈しない」が戒律であったとしてもそれを破らざるを得ないだろう。「人間の命の重さは同じ」というのはきれいごとにすぎない。「人間の命の重さ」の部分は同じだが、その上に付加価値が載っているというべきか。
さて、今日の表題「香田君は自分で自分の命を軽視したのではないか」に関して。「人が社会に提供する価値によって命の重さが変わるのか」は、ちょっと乱暴な言い換えになるかもしれないが、「人が社会に提供する価値によって人間の価値は決まるのか」ということだ。これは何人かのブロガーの皆さんが指摘されていることだが、香田君は自分を価値のない人間だと考えたのかもしれない。さらに、どうせ生きていても仕方がないと思ったのではないだろうか。推測の域を出ないのだが、そうでなければリスクを軽視した、というより無視した理由が思い付かないのだ。
[補足: あらためてブロガーの皆さんの意見を読むと、「みんな若い頃は無茶やるよね」という意見も多かったですね。それもそうかも、いやいや、いくらなんでも無茶を超えたレベルだろ、とも思う。]
香田君がイラクに旅立った理由に思いを馳せるみなさん
designcafe■さん:
「自己責任って・・」 田口ランディのアメーバ的日常さん:
「魔法が消えていく」 何でも書き書きエッセイさん:
「脳足リン、餌食に」 Tomorrow's Wayさん:
「香田さんの死に。すべての、無力を思う。」 浮世風呂さん:
「「いのち」を思わずにいられない」 ぼちぼち行こうよさん:
「回り道の人生を」
ところで、
命の軽重 (2)で「自己責任」と「命の重さ」の関係を、命の軽重 (3)で「提供する価値」と「命の重さ」の関係を、というように分けて意見を述べた。分けたのには理由があって、そうでないと信念が揺らいでしまうのだ。一緒にすると「忠告を聞かずイラクに入った呑気な旅行者」の命の重さは?となる。もっといえば、「忠告を聞かず、所持金100ドル程度しかもたず、短パンTシャツで、イラクに自分探しの旅に行った呑気な旅行者」だ。これでは、悪魔の囁きが聞こえないようにするのは難しい。
コメント
Commented by ethnic at 2004-11-07 08:43 x
TB、コメントありがとうございました。正直言って命の重さは生活環境によって変わっていくものだろうと思います。生まれ育ったところ、社会的位置づけ、周辺事情等によるのではないかと思います。生き物という視点で見ると一つの事例ですが、子どもの数が多い国は貧しいし、子どもも病気や栄養不良でドンドン死んでいきます。だからこそ命が続くようたくさん産みます。子孫を残すための本能。こういうところでは命は客観的にも主観的にも軽く見られているし見ているのではないでしょうか。社会環境のなかでの命の重さは、固体としては生まれたときは同じでも変化していくのではないかと思います。本来的ではないかもしれませんが、貨幣価値で見ると、生命保険金も賠償金も環境、そして本人とのかかわりに対する命の価値代金みたいになってもいますし・・・・。難しいですね。(^_^.)
Commented by yodaway2 at 2004-11-08 12:58 x
さまざまな議論に接しつつも、私にとって香田さんの死は、実は他人事に受け取れないところがあるのです。これがホンネです。命の重さ――について言えば、それは米軍の爆撃に巻き込まれて亡くなっているイラクの人々もいれば、日本では今回の地震で亡くなっている方もいると思います。それゆえ、本人の無謀さが原因となっている香田さんに同情や共感を抱くのは、当然にして疑義の生まれるところだと葉思います。しかし、それをわかっていても、自分の命を軽視した彼に、何か切なさのようなものを払拭できないのです。もう、人々から忘れ去られていくニュースになりつつあるのかもしれませんが、機会があれば、さらに自分でもまとめてみたいと考えています。
Commented by yoshihiroueda at 2004-11-09 01:20 x
★ethnicさん、世界を見ると人種・民族で命の重さが違うのではないかと考えさせられる面はあります。その人種・民族自体が命を重く見ていないと思われる現象もあります。中国では一人っ子政策の結果男女比が116:100になっているということでしたね。
人種・民族による重さの違いに関しては新しい記事を書きましたが、他の国民が重み付けをするべきものではないと思います。
Commented by yoshihiroueda at 2004-11-09 01:33 x
★yodaway2さん、彼にシンパシーを抱くのは、これまでの生き方に関する情報が伝わってきていることと(イラクの人や新潟の人たちは自動車ごと崩落に巻き込まれた母子の話等をのぞいて数としてしか伝わってきていない)、その生き方にシンパシーを感じているのだと思います。私は若い時の放浪や冒険にちょっぴり羨ましさを感じています。沢木耕太郎の「深夜特急」って読んでみたくなりました。
Commented by design-life at 2004-11-11 05:59 x
縛りのある自己責任っていうのか、彼が自分の意志で・・とはいえ
危険を顧みなかったのは恐らく無知からきたものだと思うのです
よ、やっぱり。でも命の価値を軽視する風潮・・そういう意味で
言えばブッシュもイスラム過激派も同じなのですが、おのおのの
価値観で勝手に判断しているように見えますよね。日本政府に対し
て言いたいのは「日本の価値観」「法治国家としての日本の態度」
を明確に示して欲しい。同調するのではなくて。
その中で「国としてはここから先に踏み込んだら皆さんを守れませ
ん」みたいな国としての警告、命を守るための警告がなされれば
少なくても少しは無謀な人たちをくい止められるような気がしま
す。相手が自分たちと同じ生命の価値観を持っているとは限らな
い訳ですからね。残念な事ですが。。
Commented by yoshihiroueda at 2004-11-11 21:51 x
★design-lifeさん、日本政府に言いたいこと、まさにおっしゃるとおりと思います。現在は同調というかいいなりですよね。
「警告」に関しては、なにかあったときに国として見捨てるよ、というのではなく、国としては最大限の努力をしても救えない場合もあるということを分かってもらうことでしょうか。コメントありがとうございました。