2012/05/19

「課金」の誤用が気になる

最近「課金」が話題ですね。

ネットを見ていると、「課金する」という言葉が「料金を課する」という意味とは逆の「料金を払う」という意味で使っていることに気づく。実際にゲームをやっている人が「課金する」という言い方をしているのだ。

ドリランドに課金しすぎてヤバイことになった:キニ速

この人はユーザーみたいですが、次のKAWANGOってドワンゴの社長じゃないの? (「ドワンゴ会長?「kawango」氏、人力検索はてなで質問中 ほか」をみると会長みたいですね。本人は否定しているそうだけど)。 課金する側だけど、あきらかに「会員が課金する」という使い方をしている。

Twitter / KAWANGO: 今週はじめてわかり、ドワンゴ社内で衝撃が走ったある数 ...(リンク先ははてなブックマーク - もとの投稿は消されているようだ)
今週はじめてわかり、ドワンゴ社内で衝撃が走ったある数字を紹介する。ニコニコのプレミアム会員80万人のうち、携帯のメールアドレスで登録して課金しているのは18万人。そのうちPCでのアクセスを一回もしていないユーザは11万人。
他にも以下のような記事で「課金」が「支払う」意味で使われている。
最初にこの現象に気がついたのは4年前。

「人はなぜゲーム内アイテムにお金を払うのか」 デジタルジェネレーションが生んだ新しい経済価値について,成蹊大学の野島美保氏にあれこれ聞いてみた

ブックマークコメント
「鯖代の足しにしてください」「運営がんばってください」というメッセージを添えて課金(しかもあんまり有利にならないのに)してくれるユーザーばかりです。
というのがある (前は複数あったように思うのだが)。

この記事本文は明確に「お金を頂く」方の立場から書かれているので、この記事を読んだ人の中では誤用はすくないということはあるだろうが、これ以降数年で誤用が定着しているように感じる。

もう少し調べたらこんな情報があった。

課金とは (カキンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
本来この言葉は「料金を課する」、つまり提供者が利用者から料金を徴収することを指すのだが、インターネット上では主体が完全に逆転した解釈のほうが定着している。

「課金されたものに納金する」→「課金する」のように略された形になる。

税金を納めることを"納税"と言わず"課税"と言うぐらい異なった用法である。

とは書いてあるものの、その後は
インターネット上で課金と言えば主に、オンラインゲームなどの内容に利用料金を払うことを指す。使用料を払うこと。
として、その用法で統一してある。

「大百科」にこういう書き方されては、それが正しいと思うよね。KAWANGO氏もここで勉強したんではなかろうか。

ところで、このことを書いたらツイッターで松永英明氏から以下のようなコメントをいただいた。

@ryokan 課金を「金を課す」ではなく「課される」の意味で使って違和感がない人たちって言語感覚鈍いですよね。
8:33 AM - 14 May 12 via モバツイ / www.movatwi.jp . · Details

私はこれに対して、

@kotono8「課される」の意味でも使っていないと思います。「課金する」と能動態で使っていますから。本来の意味とか考えたことないだろうと思います。
8:14 PM - 14 May 12 via Twitter for iPhone · Details

と書いたが、松永氏から

@ryokan 受身形じゃなく意味だけ受け身という気持ち悪い表現はいくつかあるように思いますよ。「商品が店で売ってる」(売られている、ではなく)という表現もありますので、「金を課されることをする」で「課金する」に違和感がない人たちがいそうです。
9:00 PM - 14 May 12 via TweetDeck · Details

とまたコメントを頂いた。これに対しては私はうまい説明をもっていません。

別の観点で「〜を課する」ものとして「課題」があるが、これの反対語には適切な言葉がない。「課題への回答を提出する」、さらには、「課題を提出する」というような使い方になってしまう。あとは「課題やらなくちゃ」のように「課題 - する」という形で使われるのではないか。こういうところから「課金 - する」という使い方になったということも考えられる。

いずれにせよ、「課金」を「お金を払う」の意味で使うのは、現段階で誤用といえるだろう。私は言葉の意味の変遷には寛容なほうだとは思うが、全く逆の使い方が併存してはコミュニケーションを阻害するので避けた方が良いだろう。

たとえ国立国語研究所が許しても、このウエダが許しません。

2012/04/22

Bringing colour to life


Canon Pixma: Bringing colour to life from mcgarrybowen London on Vimeo.

インクをスピーカーの上で踊らせて高速撮影した映像作品 (キヤノンのプリンターのCM)。制作過程が語られている。

2012/03/04

原久路の写真作品

Design Your Trust というサイトを見ていたら、レトロな写真があって興味が引かれた。

そのリンク先"Painterly Photography by Hisaji Hara" * には、
これらの写真は見たことがあるような気がするかもしれない。日本の写真家 Hisaji Hara は近代画家バルテュスの絵画の構図を注意深く再現している。バルテュスの描く少女は、少し薄気味が悪くエロチック。オリジナルはゴージャスな部屋でだらけている少女の絵だが、それを新しいメディア (写真)、新しいシチュエーションで再創造した。オリジナルほど脅威的ではないが、危険な香りが残っている。(意訳)
とあった。日本人から見たら、Hisaji Hara (原久路) のほうが危険な香りがするけどね。

* リンク切れ/同じ記事が "My Modern Met" にある。

オリジナルとどう違うか並べてみた。もとのサイズの絵はそれぞれリンク先にあります。

The room

  

Katia Reading

 

Golden Years

 


原久路のサイトのニュースによると、2月24日から3月31日までロンドンのマイケル・ホッペン・ギャラリーで個展が開催されているそうだ (→ リンク)。

原久路公式サイト Exhibitions/Works に他の作品もあります。

2012/02/27

ユーミン、松井冬子、上野千鶴子

2011年12月18日に松任谷由実氏×松井冬子氏 クロストークに参加してきたのだけど記事にしていませんでした。その時点で展覧会自体は見ていなかったので、2月11日に松井冬子アーティスト・トークがあるのでそのとき行ってあわせて見てから書こうと思っていたのですが、それも出遅れて満員で入れず、展覧会も人が多そうなのでパスして、女子美卒業制作展に行っていました。このぶんだと、いつになるか分らないしなー。

応募が1650通あったそうです。定員200名ですから結構な倍率ですね。

ユーミンは松井冬子にあわせて (対抗して?)、着物で来ていました。松任谷由実の実家は呉服屋さんだそうで、古いけど良いものだそうです。アレンジして着こなしているのだとか。

ひとしきり、今回出されている作品の中でユーミンが気に入ったものとか、話題の作品の話をしていたのだが、途中で「実は客席に上野千鶴子先生が来られているんですよ」と上野千鶴子を紹介。どこにいるんだろうと思ったら私の斜め後ろの方で、本当に一般客として来ていた。立ってはくれたものの、ステージに上がることは固辞されたので、話が変な方向に走ることがなく一安心。

上野千鶴子は、以前「美人なだけじゃない」で書きましたが、どうも持論を主張するために松井冬子を使っている感があって、フェミニズムがどうこうというのではなく上野千鶴子には嫌悪感を感じた。でも今は松井冬子もそのときよりはあしらいになれた感じ。

その直前に読売新聞に上野千鶴子が松井冬子のことを書いた文章が載ったそうで、ユーミンが新聞をみせていました。「リストカットとか、そういうこわいことが書いてあるんですが、本人はそんなことないんですよ」なんて言っていた。ユーミンも苦々しく思ってたんだろうな。また、対談の中で「松井冬子さんってこう見えて実は体育会系ですよね。そうでないとこんな大作作れない」とも言っていて、それも上野が与えようとするイメージを否定するために思えた。

まあフェミニズムはおいておいても、松井冬子の作品の話をすると、グロテスクなものの扱いとか生と死とかそういう話になる訳で、小学5年生のとき初めて猫の死体に触れそれがきっかけになっている話や、子羊の死体をもらって冷凍したものをアトリエにおいていた話とか面白かった。

ユーミンが美大生だった話も出て来た。加山又造が先生で、「音楽やっているんだったら、(提出作品として) アルバム持って来なさい」と言われた話をしていた。加山又造を「サル」とか「エロ」とか言っているのも面白かった。

芸術論のまとめとして、何を描いたかではなく、「対象と筆のストロークが一致する瞬間がある」、それは音楽で「歌詞とメロディーが一致する瞬間がある」のと通じるという話だった。

松井冬子アーティスト・トークも聴きたかったな。「東京藝術大学の博士論文を講演形式で紹介します」ということなので、CiNiiを探したのだけど見つからなかった。
追記: 国立国会図書館にはありました。→ 知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避 
ここからたどるとCiNiiにもあることが分りました。→ → 知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避 

参考:ART TOUCH 絵画と映画と小説と 2008.04.28 「松井冬子と上野千鶴子」

2012/02/20

政策決定に対する科学の役割と課題

昨日 (2月18日) 下記ワークショップ (シンポジウム) に行って来ました。

「ファンディングプログラムの運営に資する科学計量学」第2回ワークショップ

主旨引用します。
科学者が政策の現場からエビデンスを求められても、それをシンプルな科学的合意事項として提供することには様々な困難がつきまとうと考えられます。現代の科学技術自体や科学技術を巡る社会・自然の状況を考えれば、エビデンスそのものが複雑になり、すなわち、専門家以外にはなかなか理解しがたいものとなることも避けがたいといえます。このような状況において、政策の現場では、科学的なエビデンス、とりわけ定量的なエビデンスへのニーズは益々高まっており、一連の「科学技術イノベーション政策のための科学」プログラムに脚光があたっております。
複雑な状況の中で作られつつある科学的知見を提供する第一線の研究者が見た科学的エビデンスについて学び、さらに議論を進め、政策のためのエビデンスについての理解と対話を共有することを目的とし、本ワークショップを企画いたしました。
これはもともと政府の補助金をどのプロジェクトに出すか決定し、理由を示せるようにする、という文脈で始まったものと思っていて、またそれは企業においてどのプロジェクトを進めるかを感ゲル上でも役立つだろうと思って参加のですが、そういうプロジェクトの定量的評価までは至っていなくて計量学という感じにはなっていませんでした。でもそれがかえっておもしろかったと思います。

むしろ、放射線量の基準妥当なの? とか、地震発生の確率って何? とか、可能性は限りなく低いがゼロとはいえないという科学者よりも、スパッと指針を出してくれるトンデモさんのほうが受けるとか、そういう昨今の話題にマッチしていたように思います。

最初の、江守正多氏による「地球温暖化政策とエビデンス」は、IPCC (気候変動に関する政府間パネル) の役割に関して。そう、二酸化炭素が温暖化を引き起こしている、とか、それは陰謀だ、とかいう話につながる話です。

IPCCは政策を決めるところではなく、政策決定のためのエビデンス (証拠というか科学的裏付け) を提供する役割を担っているところということでした。政策決定はCOPが行います。

恣意性を避け、透明性を上げるために、一次草稿のレビュー、二次草稿のレビュー、最終草稿のレビューを行います。一文単位で合意を決めて行きます。レビューコメントひとつひとつに回答を行ってそれも公開するそうです。

IPCCの報告書にはエビデンスだけということで、「気温上昇を2度以下に抑えるためには、CO2排出量を1990年比25%~40%減にしなければならない、4度以下に抑えるためには ...」というような書き方になります。そう書いても、IPCCの報告書が「CO2排出量を1990年比25%~40%減にしなければならない」と書いたようにCOP合意で記載されそうになったので、前提を記載するよう文言修正を要求し変えてもらったと言うことでした。報告書出しただけでは終らないんですね。

牧野淳一郎の「スパコン開発とエビデンス」もちょっと前に話題になった「京」に関することです。「京」は世界一にはなった訳ですが、プロジェクトとしての成功はまだ終っていません。世界一をとることが目標ではなく、そのコンピュータを役に立てることが本来の目標であるべきですから。「べき」と書いたのはそのプロジェクトの目的目標も明確ではないらしい、それは失敗プロジェクトの共通の特徴、ということで牧野氏は「失敗」という断定を避けながらも、このプロジェクトの問題点を語ります。私が特に気になったのは、官僚主導ということでした。官僚が専門家委員会を選ぶが選ぶ専門家によって結論はだいたい見えてくる。官僚は中身には詳しくなく、また2-3年で異動するため専門的知識をつける前にその部門を去ってしまう ...

藤垣裕子さんのコメント "「数量化、政策のための定量化」の陥穽~ポーターの「数値への信頼」より" も興味深い内容でした。現在ポーターの「数値への信頼」という本を翻訳しているそうですが、そこからの教訓を話していただきました。民主主義の世界になって、何かが問題であり替えなければならないと言うためには、裏付けとなるデータが必要になるが、データを集めるためにも権力が必要になる (インターネットの時代になって変わって来たところではあるだろうけど)、データを収集するだけで人の行動を変容させる、そのデータ自体が権力を持ち始める (例えばデータにより正常と異常に分ける言葉が定義される)。一方でそれでもデータによる定量化は、距離を越える技術になる (グローバルに適用できる指標になる) というところがポイントのようです。

という訳で、期待とは違っていたけれど、期待とは違う収穫が得られた半日でした。

追記: 資料はここで公開されています (しのはらさんサンキュー)。→ 第二回ワークショップ報告

2012/02/18

石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行

行って来ました。

石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行 府中市美術館



石子順三は評論家です。評論家の視点で展覧会が構成されるのは珍しいとのことで、私の記憶にはありません。

展覧会は三部構成になっています。展覧会のサブタイトルにあるように、美術、マンガ、キッチュです。

美術評論家の時代は、虚と実を評論の視点におき、芸術が現実の生活と乖離していくことに疑問をもち、それを気づかせるものをとりあげています。特に、企画に関わった「トリックス・アンド・ヴィジョン展」(1968年)に多くが割かれていました。全然関係ないですが朝の番組でトリックアートが取り上げられていて、似た作品もあったのでグッドタイミング。

個人的には横尾忠則が自らをスターのように作品に取り上げているのが面白かった。

マンガの時代は、正直言ってあまり興味が持てませんでした。収集したマンガ単行本が十数冊あるので時間のある人は見て行くと良いと思います。

ここのコーナーの目玉は、つげ義春の「ねじ式」の全原画。私は「ねじ式」は文庫版だけど持っているので真面目には見なかったのですが、ちょっと見たかぎりではほとんど覚えてないことに気がつきました。

このコーナーで興味をひいたのは林静一の自主制作アニメ2作品。

最後はキッチュのコーナー。ここだけ写真撮影可だったので撮って来ました。

キッチュコーナー展示

世界堂の広告があることは知っていたのですが、行ってみたら「モナリザグッズコレクション」のひとつとして展示されていました。モナリザがなぜよくモチーフに使われるのか、その興味から集められた作品だそうです。


また、ここには食品サンプルが出展されてて、一般のアート作品と同様に説明にミクストメディアと書かれていました。普通なら「油彩、カンバス」とか「シルクスクリーン」とか書かれる場所ね。「ミクストメディア」というのはそういうジャンルに入らない、という意味以外ないな。

2月26日までです。

2012/02/13

女子美卒業制作展 2011

2月11日、女子美大の卒業修了学年選抜学外展 女子美スタイル2011(→ スペシャルサイト(音が出ます)) へ行って来ました。横浜美術館で松井冬子講演を聴いてから行こうと思っていたのですが、満席で入れないという情報を入手、松井冬子展覧会のほうも激込みということだったので、急遽こちらのみに。

見応えがあって、なかなか楽しかったです。

目的「ブログ掲載」として写真撮影許可とったのでいくつか載せて行きますね。

la pluie / 松本来夢さん
R. Yoshihiro Uedaさん(@ryokan)が投稿した写真 -


cycle. / 木下咲香さん
R. Yoshihiro Uedaさん(@ryokan)が投稿した写真 -


夢子屋 / 三原由貴さん
R. Yoshihiro Uedaさん(@ryokan)が投稿した写真 -


昔の駄菓子屋風の作りで、中には女の子のメンコとか紙袋に入って中が見えないフィギュアを売ってる不思議な世界。

和菓子少女 / 松尾康子さん
R. Yoshihiro Uedaさん(@ryokan)が投稿した写真 -


兵馬俑みたい。

作品名忘れちゃった。ごめんなさい。再生 / 松井靖果さん、だったかな。
R. Yoshihiro Uedaさん(@ryokan)が投稿した写真 -


カオスラウンジを思い出しました。この中では珍しいです。

夢裡 / 小山千晶さん


裏地に彼女の思い出が描かれている布が展示されていて、それの上に制作過程やその布を纏っている姿が投影されています。自分は自分だけで出来ているのではなく、蓄積された記憶とともにあることを表現しています。

Dolce 集い語らう優しい時間 / 田中春奈さん


大きな作品も多かったのですが、これってどう保管されるのかなあ。美術学生というと貧乏というイメージしか持ってないのですが、今はスポンサーをみつける能力ももたないといけないのだろうか。

それから、これって選抜なんだけど、選抜されなかった作品もある訳で。その差はなんだろう。「アートの評価ってなんだろうね」を思い出した。

2012/01/22

エリック・ギルのタイポグラフィ展

多摩美術大学美術館で、エリック・ギルのタイポグラフィ展が行われています。

昨日は、関連の講演会があったので行って来ました。

講演開始20分前にいったのですが、すでに満員でした。しかし急遽前の方の関係者席を減らして開けてくれたのでラッキー。

最初の講演は、ルース・クリブさん。女性でした。名前じゃわかんないね。 http://uk.linkedin.com/pub/ruth-cribb/26/952/49
エリック・ギルの研究をつづけている方です。

主にエリック・ギルの生涯を追って、碑文彫刻、彫刻、印刷、モノタイプ社のタイプフェース開発という変遷が語られました。

その中で、社会運動 (社会主義) に関与するようになり、その後カトリックへ改宗したということが語られました。

私は、なぜこんな揺れがあるのかと思っていましたが、次の指先生のお話で背景説明がありました。イギリスでは英国教会が国教で、カトリックは反体制なんですね。

パーティーがあって誰でも参加できるとのことなので、最初の方だけ出て来ました。

20120122-100320.jpg

2012/01/01

2011/12/31

2011年アート系イベント

今年も1年に行ったアート系イベント (展覧会、ワークショップ) をまとめてみました。といっても今年はヨコハマトリエンナーレに初めてサポーターとして参加して、まさにヨコハマトリエンナーレの年と言えるでしょう。


数にしたら結構ありました。何か書いておこうと思いながら記事にしていないのもたくさんあるー、うう。

2011/10/17

魚の釣り方を教えるだけでなく [Blog Action Day - Food]

「魚を与えるのではなく魚の釣り方を教える」というのは最近初めて知りました。いや、意味は分りますが、「食糧を与えるのではなく食糧の生産方法を教える」みたいなえらく直截的な表現で理解していたので。

しかし、「魚の釣り方を教える」でも十分ではないと思う。それはサステナブルではあるけれど、低いレベルで持続可能ということではないだろうか。発展がない。何かというと、より上の生活レベルを目指すための余裕を生まないということだ。

余裕を生むためには「魚の売り方を教える」だろう。自分たちが生きるため以上の生産を促し、余裕となる現金を生むようなモチベーションを持ってもらう。

そこで生まれた余裕はただ消費してしまうものではなく、次のレベルにいくための投資に使ってもらう。具体的にいえば子供への投資 = 教育だ。医療や科学技術の知識を習得するために、親が稼ぎ、子は学びに専念できることが望ましい。

日本はそういうところに力を注ぐべき。それは相手のためだけではない。「情けはひとのためならず」を、日本が生き延びて行くための戦略とするのだ。

もう少し具体的にすると、援助することによって日本の食糧、資源を確保することを戦略に据えるのだ。

今農水省では、食糧自給率が低いことを問題にしている。
Food Action Nippon 日本の食料自給率問題とは 

これ自身を見ると間違ったことは言っていないように見える。

しかし、ここで言っている自給率とはカロリーベースでの計算なのだ。野菜を生産しても自給率は上がらない。牧畜を行うのに輸入した飼料は自給率をマイナスにする方向に働く。

お分かりだろう。自給率を上げるには、お金になる作物を作るのではなく、穀物や芋類など単価は安いがカロリーになるものを作る必要があるのだ。これって農家に自分たちの利益を上げるよりも、国家のいざという時のために食いつなぐ食糧となる作物を作れと言っているようなものだろう。また、国民にも国産の作物を食えと言っているだけでなく、飼料を外国に依存する肉を食うなと言っているようなものだろう。

さて、もとの論旨に戻る。日本がとるべき戦略とは、

貧困国に食糧増産のノウハウを教えインフラを整備するだけでなく、
余剰の生産を行うことで豊かになる道を教え、
余剰生産を日本が優先的に得られる関係、仕組みを作る

ことだと思う。農水省の問題は日本がいきなり孤立してしまうことを前提としている点だ。そのときに食糧だけあって食いつなげても仕方がないと思う。エネルギーはどうするの、工業製品生産に必要な材料部品はどうするの?ということだ。

日本は他の国から孤立しては生きられない。ここで提示した枠組みは、途上国を豊かにする一方で、日本の仲間を増やし、いざという時に孤立しない、いやそれ以前に孤立する状況にならないことを狙うものだ。いわばWIN-WINの関係を築くということだろう。

関連記事
2008年 ホワイトバンドまだつけてる [Blog Action Day] 
2005/07/05 ほっとけない、だけど…

2011/10/16

ヨコハマトリエンナーレ キッズアートガイド

ヨコハマトリエンナーレでは、小中学生が大人に作品の紹介をするキッズアートガイドという企画があります。

これまで 9/11, 9/25, 10/2 の3回行われ、あと2回 10/16, 10/30 に行われます。毎回
11:10-12:00/横浜美術館
14:00-15:00/日本郵船海岸通倉庫(BankART Studio NYK)
というスケジュールで行われているようです。

9/25 横浜美術館と、10/2 日本郵船海岸通倉庫に参加して来ました。

9/25 横浜美術館は、キッズも観客も多いため、2班に分かれ、A班は展示ルートの前半、B班は後半を回ります。最後に美術館の前のウーゴ・ロンディノーネで合流します。私はB班で行くことにしました。開場から間もない時間帯で後半に行くため、ほとんど貸し切り状態になるというのに惹かれて。

作品の解説というより、キッズが作品ごとに分担して、自分が感じたことを観客の皆さんの前でプレゼンします。一生懸命説明してくれるのが可愛いですね。

聞いているだけで良いのかと思ったら、最初の作品のところでいきなりあてられて焦りました。負けないように一所懸命話しました。それぞれの作品でこういうふうに聞かれるのかと思っていたら、ここだけでした。

最後に集まったところで、誰か感想を話してくださいとのことで、今度は自分から手を挙げて全体の感想を話しました。「今後もずっとアートに親しんでください」みたいなことを話しました。

これは日本郵船海岸通倉庫のほうも参加したいと思ったのですが、その日の午後は有志ボランティア アートバードの人たちの「トーキング&ウォーキング ~ヨコハマトリエンナーレをしゃべろう~」に参加することになっていたので、それはまた次回。ということで10/2にしました。


この日は、キッズの数が少なく、一人で複数作品の説明をしていました。王節子先生に聞くと、子ども達にもそれぞれ都合があって午前で帰った子もいるとのこと。観客のほうは9/25 横浜美術館の1班と同じくらいの人数でした。

ただ日本郵船海岸通倉庫は作品と作品の間隔が狭く、観客を前に説明するのは厳しいような感じがしました。午後で他のお客さんも増えている時間帯ですし。また、こちらのほうはフラジャイルな作品が多くはらはらしました。ケンピナスの作品は、作品に沿って歩いて見てくださいなんていうもんだから、磁気テープに当たって揺らす人が続出。みんな気がつかないのかな。サポーターで来た訳ではないのに思わず離れてくださいと声出しちゃいました。

ブログ「美術検定」の記事「ヨコトリ:キッズ・アートガイド2011」で、
キッズ・ガイドは、ビデオテープのインスタレーション作品でも、「ここから作品に沿って歩いて行くと景色が違うものに見えてきます。そこが僕は面白いと思います」という紹介をしてくれました。
という記事は読んでいたのですが、別にすれすれのところを歩かなくていいのにね。

ノイエンシュワンダーのProsopopeia <プロソポピーア>では3種類の参加型作品を全部触らせていましたが、卵のは抜いても良かったんじゃないかな。ただでさえ壊れやすいので、スタッフの皆さんはいつも神経尖らせているのに、大勢で押し寄せると対処に困っている様子でした。

ここも最後は感想を聞かれるので、やはり皆さんの前で話して来ました。基本的に同じような感想ですけど。

あと2回ですので、それにあわせて行くようにすると良いと思います。

2011/10/10

聞き耳ワールド

Smart Illuminationの日、集合時間が16:00だったので少し早めに行って、聞き耳ワールドを体験して来ました。

参加したコースはこれ。
H:関内周辺おすすめランチ紹介ツアー
港町で味わう“異国料理”を大特集


象の鼻テラスへ向かうので、関内からBankART Studio NYK へ向かうコースを選択しました。1時間はつきあえないけど。

歩くペースが同じなので、そろそろ見えてくるとか、いまそばにあるビルが震災のときは ... なんて本当に二人がそばで会話している感じ。

収録日は横浜スタジアムで横浜阪神戦が行われていて、阪神の応援団がすごいみたいなことを話していたのですが、私が歩いた日もちょうど横浜阪神戦やってたみたい。シーズンも終盤で盛り上がりには欠けたかも。

タイカレー、トルコ料理など、一度は行ってみたいところばかりです。

 

2011/10/09

スマートイルミネーション横浜

ヨコハマトリエンナーレのサポーターへのお知らせメールの中に運営ボランティア募集の案内があったので、これは面白そうととって参加して来ました。

スマートイルミネーション横浜 省エネ技術とアートでつくる「もう一つの横浜夜景」

山下公園、元町など各地で色々な取り組みがあったのですが、仕事は象の鼻パークの周辺だけだったので、ボランティア参加ではなく一般客として行った方が良かったかもしれません。

それでもいろいろなイルミネーションを見て来ました。

ひかりの実: 紙袋 (果実栽培用らしい) に各人思い思いのスマイルを描きます。その中にLEDの光を入れて木に飾ります。



参加には500円必要で、このひかりの実は持って帰れませんが、LEDで光るバッジをくれます。18:00までに行くと光るバッジはもらえませんが無料で参加できます。私もそれで参加して来ました。

横浜三塔のひとつ、クイーンのライトアップ。《The Organic Nucleus/有機中芯的「象の鼻」》というタイトルがついているんですね。



光る男。これは、「〈光のアーティスト日下淳一と巡る〉 イルミ・アート・ツアー」というイベントなんですね。日下さんが戻られた時に休憩中の写真を撮らせていただきました (これは公開しません)。



その他の写真は、MobileMeのギャラリーにおきました。

MobileMe ギャラリー: Smart Illuminations
→ 移転  Google フォトアルバム スマートイルミネーション横浜

MobileMeのギャラリーはiPhotoからアップロードするのですが、アップロードした後もiPhotoと連携しているんですね。写真のキャプションを変えるのにはWebで出来なくてiPhotoを使う必要があるようです。編集する場所が決まってしまうと面倒のように思うのですが。これiCloudになった時にどういう扱いになるんでしょうか。

追記: アップロードして編集するのは、ギャラリーからはできないけれどもMobileMe サイトから出来るんですね。その編集結果もiPhotoに反映されるようです。

追記 (2017/1/7): MobileMeと写真を同期していると容量制限を超えてしまうので、容量を気にしなくて良いGoogle フォトアルバムに移転しました。→ スマートイルミネーション横浜

なお、このイベントは10月9日までです。

2011/10/07

Never Be The Same

ジョブズがいない世界。朝訃報を聞いた時にはついにその日が来たかと思っただけなのだが、じわじわと感慨が湧き上がって来る。ジョブズのいない世界は、今までと同じではあり得ない。

しかし ...

スティーブ・ジョブズ-驚異のイノベーション」のポイントとなるメッセージは、
ジョブズならどうするだろうか。

これからはそれを僕らが考える番だ。ぶれないキャラクターを心の中に描き、自らの行動をそれに照らし合わせてみる。そこで自分の生き方もぶれないものになるのだろう。

独特の文化をもった企業には、そういうキャラクターがいる。本田宗一郎だったらどう言うだろうか。盛田昭夫はどう判断するだろうか。皆がそのように考えることで、それは共通の価値観となり、文化として定着する。

アップルもジョブズ亡き後もそんな企業になると思う。

しかしジョブズの遺伝子はアップルだけに残すのはもったいない。

皆が「ジョブズならどうするだろうか。」と考え行動することにより、その遺伝子は共有できる。

ジョブズのいない世界は、今までと同じではあり得ない。
しかし、小さなジョブズがたくさんいる世界は作れると思うのだ。

2011/10/02

"The Clock" が面白い

ヨコハマトリエンナーレで展示されている作品の一つに、クリスチャン・マークレーの "The Clock" という映像作品があります。以前の記事に簡単に紹介しました。
今年ベネチアビエンナーレで金獅子賞をとったので、注目の作品です。色々な映画から時計など時間が表示されている部分を繋いで、その時刻にその場面が現れるようにした24時間の映像作品です。入口の前にいたので内容は見れなかったのですが、音を聞いているかぎりでは、ぶちぶち切れた映像ではなくスムーズに繋がっているもののように思います。

今日は中に入って映像を見ていました。何回かに分けましたが、合計すると1時間近く見ていたと思います。じっくり見ていると、スムーズに繋がっていることを再認識させられます。ストーリーは個々の断片にはあるのでしょうが、全体としてはもちろんストーリーはなく、次の展開も予想がつきません。それでも次を見たくなる、見続けたくなるのです。うまく繋がっている以上の何かがあると感じます。

今回気づいた点を列挙します。
  • 音と映像の切れ目は同じではない。
    例えば、室内のシーンから (別のシーンの) 戸外に移る際、戸外の喧噪を室内の シーンに入れているようです。こうすると客は、室内のシーンの途中で、次のシーンへの準備が出来ていることになります。
  • 視線の移動に配慮する
    同様に次のシーンへの予告になるものとして「視線の移動」が考えられます。前のシーンでは登場人物が視線を動かすと、次のシーンではその視線の先にある対象物があると期待します。"The Clock"では、この場合は実際は別の映画から持って来るものになるでしょうが、 こういう場合には見ている対象として違和感のないものが選ばれていると思います。
  • 雰囲気のにたものをつなげる
    例えば電話。電話をかけているシーンがあったら、次はその相手が映っていると期待するだろう。"The Clock"では、(場合によっては別の映画の) 電話をかけているシーンになっているようです。
まだまだ理由はあると思いますが、私が気づいたものは以上です。

これらはもしかして、もともと映画で使われているテクニック、いわば「映画の文法」の一部なのかもしれません。"The Clock" の特徴がそのそのようなものだと仮定すると、それで金獅子賞というのは微妙なところかもしれません。

追記: クリスチャンマークレーのインタビューがありました。制作過程が興味深いです。
ART iT クリスチャン・マークレー インタビュー
やっぱり音は重要な要素だったんですね。

追記:クリスチャン・マークレー「The Clock」24時間上映決定 (ヨコハマトリエンナーレ2011)
2011年10月26日(水)20:00~10月27日(木)20:00
定員 60名だけどソファは24名分しかないので、トイレに立ったら交替!

2011/09/19

パンプキン・プロジェクト

ヨコハマトリエンナーレ2011、スッシリー・プイオックのパンプキン・プロジェクト (PDF) に参加してきました。今回はサポーターではなく、お客さんとして。

スッシリー・プイオックというアーチストはタイ人の若い女性でした。オレンジの大きな日傘の下、ずっとカボチャに彫刻をしていました。オレンジの帽子と緑のシャツで、カボチャコーディネートですな。

こんな作品です。


つるがついたまま畑に並んでいます。

一つの作品にどれくらい時間がかかるか訊いたのですが、2、3時間ということでした。カボチャの堅さによるそうで、日本のカボチャは堅いそうです。この会場内に複数の品種のカボチャがあるようですね。

カービング体験というのもあって、指導を受けながら挑戦して来ました。



スタッフの方が、他のお客さんの作品と一緒に並べてくれたのでそれを撮影しました。

調子に乗って勝手に作品を作ってみました。



恐竜みたいにみえますが、カラスのかーくろうです。胴体、羽根まで作れる力があればよかったのですが ...

カボチャを使ったお菓子3種、レモングラスとバーベナのハーブティーがふるまわれて、いただいて来ました。



作品を鑑賞して、カービング体験をして、お菓子をいただいて、スッシリー・プイオックさんに質問したりして、約1時間楽しい時間をすごしました。

そのあとバスでいったん横浜美術館へ戻り、カールステン・ニコライの参加型作品 "autoR" で壁にステッカーを貼った後、連携プログラムの「新・港村」へ行って来ました。

MacBook その後

2006年に買って、その後膨張したバッテリーを交換してもらった奥さん用MacBookですが、その後いろいろ調子が悪くなってきて直したのでまとめておきます。ええ、まだ使ってますよ。

昨年くらいから熱を持つようになって、保冷剤を下にしいたりしながら使っていたのですが、ファンもぶんぶん回ってうるさいし、カリカリ音もするんですよね。全体が立ち上がらなくなったりして、ハードディスクもやばい。ということで、今年の初めに新しいのを買うか、今使っているのをなんとかするか検討しました。MacBook Airも安くなっているし、これだとハードディスクがうるさいこともないだろと思ったのですが、結局SSDに換装することにしました。あわせてメモリーも2GBに増やしました。約15,000円。

ハードディスクはこれで解決し、しばらく調子良く使っていたのですが、やはり熱を持っているし、音はハードディスクだけの問題じゃなくてファンから出ているものでした。これはファンも替えないといけないのですが、ファンはディスクやメモリーと違って、簡単に交換できるようには作ってないんですよね。

それからまたバッテリーの膨張です。前回はアップルストアで無料で交換してもらったのですが、その後のコメントを見ると最近はもう交換してもらえなくなっているようです。交換したときはもうこの次はマシーン自体を買い替えるサイクルだろうなと思っていたのですが、SSD交換したばかりなので悩みます。サンクコストですな。

この夏息子が帰って来たとき、自分のMacBookの修理もあわせてアップルストアへ持ち込んでくれました (渋谷まで2台持っていくのは結構くると思われます)。見積もりしてもらったところ、バッテリーとファンと修理工賃を含めて14,000円ちょっと。結局修理してもらうことにしました。また息子がとりに行ってくれました。

さてこれはいつまでもたせるかな。

2011/08/29

現代美術とキャプションと解説

森美術館で開催されている「フレンチ・ウィンドウ展:デュシャン賞にみるフランス現代美術の最前線」、今日8月28日が最終日なんですが、田口行弘のトークを聞いた時に見ていながら何も書いていませんでした。

「デュシャン賞」という訳で、「レディメイド」という概念を確立した有名なデュシャンの便器、「泉」が出ていた。私には「泉」の芸術的価値は分らないけれど、当時センセーションを巻き起こしたと言うことは、無視されなかったということで、その議論を起こす価値があったということだろう。そしてその概念「レディメイド」は、いわば常識として定着している。

今行われているヨコハマトリエンナーレに、冨井大裕の "belt is standing" と "measure" が展示されている。作品には素材が書いてあるのだが、それぞれ「ベルト」と「メジャー」。 先日ヨコハマトリエンナーレでサポーター活動したときは、音声ガイドの貸し出しと回収の係りで、回収した音声ガイドを貸し出し窓口に運ぶ時にこの横を通るのだが、その際に観客の反応も見ていた。やはりデュシャンに言及している人もいました。

面白かったのは子供が「そのままじゃん」と言っていたことで、共感してしまった。 デュシャンが使った方法がまだそのまま通用するのかという妙な感慨があります。それともデュシャンと違って何か加工がしてあるのかもしれませんし、何か別の意図が込められているのかもしれません。

ちょうどヨコハマトリエンナーレ関連の情報を調べていたら、横浜美術館のキュレーター天野太郎氏の文章があった。

ヨコハマ創造界隈 VIA YOKOHAMA 第13回 説明を要する現代美術 - 「キャプション論」、再び-
近代以前においては、例えば絵画はその主題とした神話、歴史、宗教において、それらの教養を十分に備えた受容者だけが、キャプションを必要としないで鑑賞出来た。

...

近代以降においては、教養を強化するため、キャプションは不可欠のものとなった。キャプションを必要としない「教養」ある人々が受容者であった時代から、「教養」を身につけるために美術を「学ぶ」ためのキャプションを必要とする受容者の出現が、こうした事態を生んだのだ。無論、近代の美術が、「美」の芸術から「概念」の芸術へシフトしてきたこともまた、作品が、キャプション=テキストを強く要請してきた理由の一つに挙げられるだろう。

キャプションがないとどう見ていいか困るというのは、コンテキストは違うものの、先日 名和晃平展で経験したことだ。

さらに、
横浜トリエンナーレに代表されるような現代美術では、キャプションばかりか、作品を巡るテキストはある意味で必須だ。例えば、主会場の一つ横浜美術館で、最初に遭遇する中国のアーティスト、尹秀珍(イン・シウジェン)の作品。まるで映画のフィルム入れのような金属の容器に、布らしきものが詰められた《one sentence》という作品。

会場で、与えられる情報は、このキャプションと、何よりも作品自体。これでは、何のことやら、謎めいたままだ。

と書いている。

実は、言及した音声ガイドはその穴を埋めている。トリエンナーレの総合ディレクター逢坂恵理子横浜美術館館長がそのことを語っている。

ヨコハマ経済新聞【インタビュー】2011-08-07
ヨコハマトリエンナーレ2011・逢坂総合ディレクターに聞く
今回のヨコトリが挑む、新たなステージとは?

音声ガイドの貸し出しもあります。

―それは画期的です。普通、現代美術の展覧会ではあまりしませんよね。現代美術のファンは、説明を嫌う人も多いですから。

そうなんです。でも今回は、現代美術にあまり馴染みない方にも来て頂きたいので。

私自身はまだ音声ガイドの内容は知らないのだが、今度観客として行く時にはぜひ借りてみようと思う。

2011/08/10

ヨコハマトリエンナーレ2011 アーチストトーク

8月7日、ヨコハマトリエンナーレ内覧会に続いて2回めのサポーター活動。

この日は閉館後、日本郵船倉庫会場で、ジュン・グエン・ハツシバの作品制作に協力した人たちが集まって記念撮影が行われます。そのためその人たちには配慮してくれて、日本郵船倉庫会場担当になりました。

さらに、ハツシバのトークが聴けるよう、トーク会場担当にアサインしていただきました。

アーチストトークを聴くと、俄然作品に対する愛着がわきます。特に制作に関わったハツシバの作品には愛着も一入です。

そういう個人的な事情を除いても、震災後に作品のコンセプトを変えて被災者を応援するメッセージを込めたと聴くと、思い入れが強くなるでしょう。

作品としても、感動的なものに仕上がっています。自分が担当した部分は、「これが桜?」という感じなんですが、たくさん集まるとみごとなものです。また、幹の部分はベトナム ホーチミン市を流れる川を使っていて、これがうまくはまっています。

参加者が走っている写真が別の壁に順次映されています。たくさんあるので自分の写真が出るまでかなり待つことになるのですが、せっかくなので待ちました。とは言え、2回行ったうちの一つだけですが。会場に来られたら、探してみてください。

写真撮影には、内覧会でお会い出来なかった三潴さんも来られていて (ハツシバのエージェントとしてよりも三潴さんも作品制作に参加されています)、少しお話をさせていただきました。こういう大災害でアーチストが果たせる役割や、三潴さんがツイッターでよく発言されている原発のことなど。


2011/08/06

ヨコハマトリエンナーレ2011 オープン前内覧会

ヨコハマトリエンナーレは本日8月6日から。

ヨコハマトリエンナーレ2011 2011年8月6日(土)~11月6日(日)途中休館日ありご注意下さい。

しかし、ボランティアは8月5日から必要ということで、志願して行って来ました。前夜祭みたいな特別なことがあると期待して。パーティーに出られる訳ではないのですが、内覧会ということで有名人が集まる確率が高い訳です。ってミーハーだな。

でも林文子横浜市長御一行しか確認できませんでした。会田誠、ミヅマアートギャラリーの三潴さんも来られたようですが気づきませんでした。他にも浅田彰も来ていたらしい。

よく考えたら芸能人とは違って名前を知っていても顔は良く知らない場合が多いので当然の結果だと思います。

しかしそれでも内覧会ということで、報道陣も多く、通常とは違う雰囲気なんだろうと思います。

今回配置についたのは、BankART Studio NYKの方で、ジルヴィナス・ケンピナスの作品の入口、シガリット・ランダウの作品の前、クリスチャン・マークレー "The Clock"の入口の外でした。

クリスチャン・マークレー "The Clock" は、今年ベネチアビエンナーレで金獅子賞をとったので、注目の作品です。色々な映画から時計など時間が表示されている部分を繋いで、その時刻にその場面が現れるようにした24時間の映像作品です。入口の前にいたので内容は見れなかったのですが、音を聞いているかぎりでは、ぶちぶち切れた映像ではなくスムーズに繋がっているもののように思います。

最初はみんな横浜美術館から先に来るのか比較的すいていたのですが、3時過ぎる位からだんだん増えて大盛況になりました。会期中も高い人気が予想されるので、早め (午前中) に行った方が良いと思われます。

シガリット・ランダウの作品は、有刺鉄線に死海の塩の結晶をつけた立体作品と、死海に渦状に繋がって浮かべた西瓜とそのなかに一緒にヌードで入っているアーチスト本人が、だんだん渦が解かれていく様子を撮影した映像作品 "DeadSee"。
"DeadSee"の抜粋が http://www.sigalitlandau.com/videos にあります。

1時間半以上そこについていたので、もうランダウのおっぱい飽きた。そういうことじゃないか。ここはお客さんが「これは何ですか」と質問してくることが多く、やりがいのある担当でしたね。

ジルヴィナス・ケンピナスの作品「第5の壁」はここで説明しないほうがよいでしょう。見に来て、奥まで入っていただくと驚きの視覚効果に気づかされます。

次は8月7日で、その後8月は毎週土曜日に行くことにしているのですが、会場担当になると立ちっぱなしで後にひびくので9月は少し控えようかな。

2011/08/05

名和晃平展

東京都現代美術館で行われている名和晃平展へ行って来ました。昨年から今年の初めにかけて行われた小谷元彦のような、立体作品の新しい表現を期待して。

東京都現代美術館 名和晃平 ─ シンセシス 展 2011年6月11日(土)‒ 8月28日(日)

最初に入った部屋は、偏光パネルを使ったもの*で、アクリルの中にある物体が見えたり見えなかったりするもの。これは他の作品も期待できます。

[* 注: あとで説明を見るとプリズムを使っていて、中に立体物がはいっていると思ったのも実際は平面画像だったようです。]

各作品には、題名や使用した素材などのキャプションがついてないんですよね。しかし作品リストを持って見ている人はいます。美術館のスタッフの人に聞くと、最後にお渡しするとのことでした。

作品をちゃんと見て欲しいという意図なんでしょうね。しかし題名がないと何を意図したものかも分らないし、素材がないとどうやってこの表現が編み出されているのだろうという興味にも答えることができないと思います。どう鑑賞していいか分らず、20分ちょっとで見終わってしまいました。

作品リストを持って見ている人は2ラウンド目を見ていたんですね。

すぐに見終わったというのは鑑賞の仕方が分らないだけではありません。作品自体がつまんないのですよね。ただでかいだけ。

最近みた現代美術は規模の大きいものが多く、国立新美術館で見たArtist FileDOMANI展でみた作品などは、迫力があるなーと思って、作品が大きいことにはむしろ肯定的な印象を持っていたのですが、今回はそれを考え直すきっかけになりました。

作品がでかいと、経済的に恵まれた人でないと作品が作れないと思います。さらに問題は保管場所です。

これは新しいアーチストの門戸を狭めるのではないでしょうか。その場を得られなかった人がすべてカオス・ラウンジのようなところに向かうとは思いませんが、二極化するような気がします。

脱線しましたが、大きいからつまらないという訳ではなく、作品自体が安易に作られているような気がするのです。展示を見終わったあとギャラリーショップで製作風景ビデオを見ましたが、でかいオブジェに樹脂をスプレーしているだけに見えました。それはそれでたいへんだとは思いますが、同じような作品をたくさん作る必要ないんじゃね?と思ってしまうのです。

最後の方にある映像作品は面白かった。床に投影した白い映像の中を観客が歩くと、加減の部分がカラフルに浮き上がる。加色混合で白を作り出していたんですね。

東京都現代美術館のMOT Collection展は、石田尚志の特集をやっていました。今回は次の予定が入っていて、以前写真美術館Artist File 2010で見たのでほとんどパス。時間のある人にはおすすめです。

前回込んでて見れなかったピピロッティ・リストの映像作品をじっくり楽しんできました。

アップルとディーター・ラムス

スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション」の法則5 デザイン「1000ものことにノーという」は、デザインを極限までシンプルにすること。そうすることで、必要なもののみがうきあがる機能美が現れるということだろう。

これは以前府中市美術館で見たディーター・ラムスにつながるものだ (ブログ書いてなかった)。

府中史美術館 2009/5/23 - 7/20 純粋なる形象 ディーター・ラムスの時代―機能主義デザイン再考

関連記事
この時点で、アップル製品のラムスデザインに対する類似性は指摘されていた。最初のインタビュー記事から引用する。
―現在、多くの人々がアップル社の「iPod」や「iPhone」などで音楽や映像を外に持ち出して楽しんでいるわけですが、この「iPod」や「iPhone」のデザインに、ラムスさんが影響を与えたと言えるのではないでしょうか? たとえばこの「TP1」のように、「縦型」というデザインのポイントなど。それについてはいかがでしょう。

 私の持っている基本的意見と、よく似た考えで作られているということは、確かに感じます。私の知り合いのジャーナリストや友人によっては「あれはコピーだ」という意見を私に言ってくることもありますね。でも、そう言われることは、逆に私にとっては褒め言葉だと思います。デザイナーの持つ宿命と言いますか、私自身は模倣ではないと思います。私にとっての最大級の褒め言葉だと感じていますよ。
それはそれ以前から指摘されてきていることだし、その後もみかける。

らばQ 2008/1/18 Appleがあのブラウンからパクったグッドデザイン10の原則
(元ネタ GIZMODO 2008/1/14 1960s Braun Products Hold the Secrets to Apple’s Future)
Wired.jp 2011/5/16 Appleデザインに影響を与えた古いガジェットたち「パクった」と「影響を与えた」って言葉の選び方で、そのサイトのテーストが現れていますね。

増加する機能を、いかに整理して提示するかは今後も続く課題だろう。

2011/08/04

製品を売るな。夢を売れ。

スティーブ・ジョブズ-驚異のイノベーション」で第3法則に「製品を売るな。夢を売れ。」というのがあった。

これって、以前書いた「モノを売るのではなく新しい価値を売る」と同じですね。まあ、これもアップルのiPod shuffleをきっかけとして書いたのですが。

しかし私の原点はウォークマンにあります。録音できないカセットプレーヤーが出た時、私は消費者として、これ売れるの?と思いました。しかし、みんなが使っているのを見て、自分でも使ってみて、それなしに過ごせなくなってしまいました。ソニーが売っていたのは、「音楽を持ち歩く生活」だったんですね。

お客様に聞くのではなく、新しい製品を提示して、「どうです、これがあなたが欲しかったものじゃありませんか」と問い、"Yes" と答えさせる。こうありたいですね。

しかしそういう提案がまず企業内で出しにくいところがあります。

顧客志向、お客様の声を聞く、というのは一見正しく、それに対して反論する論理はなかなか出しにくいと思います。しかし、イノベーションのジレンマは、顧客の声を聞く先行企業が後発に負けてしまうという話でした。

ああ、これも「 みんなソニーが大好き」で書いたことでしたね。進歩ないな。

2011/08/03

スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション

読みました。

スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション―人生・仕事・世界を変える7つの法則
カーマイン・ガロ 外村 仁 解説
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イノベーションというと、技術者や経営者にしか関係なさそうに見えますが、自分の人生をよりよくしたいすべての人に向けられた本のように思います。
発明家になれる人は限られているが、イノベーターには誰でもなれる。 ... イノベーションは、すばらしい人生を送るために普通の人々が日々、行うことだ。
その人たちが、スティーブ・ジョブズだったらどうするだろうかを考える時に指針になることを目指しています。
1日に何回も、何か問題を抱えたどこかの学生、どこかのアントレプレナー、どこかの産業デザイナー、どこかのCEOがこう自問しているはずだ ーー『スティーブ・ジョブズならどうするだろうか?』と。
これに対してここでは7つの法則を提示しています。
  1. キャリア「大好きなことをする」
    -- 自分の心に従え。
  2. ビジョン「宇宙に衝撃を与える」
    -- 自分のビジョンに賛同する人を惹きつける。
  3. 考え方「頭に活を入れる」
    -- 創造性はさまざま物事をつなぐこと。そのためには幅広い体験が必要だ。
  4. 顧客「製品を売るな。夢を売れ。」
    -- 顧客からニーズを聞くのではなく、顧客の本当の希望を知る。
  5. デザイン「1000ものことにノーという」
    -- 不要なものを取り除き、必要なものの声が聞こえるようにする。
  6. 体験「めちゃくちゃすごい体験を作る」
    -- アップルストアの顧客サービスは体験を提供している。
  7. ストーリー「メッセージの達人になる」
    -- プレゼンにより周りの人を巻き込む。
各法則には2章を使い、1章はジョブズの場合、もう1章では他の人の事例 (他の成功した人もこの法則にあてはまること) が載っています。

法則の全てが誰にでも適用可能なものとは言えないかもしれませんが、自分にどう関わってくるかを考えるのは有効だと思います。

特に重要なのは法則1 「大好きなことをする」ではないでしょうか。

アップルから追い出されたころのことをこう語っています。
くじけず前に進めたのは、自分がしていることが大好きだったからです。大好きなことをするのでなければ、すばらしい仕事などできるはずがありません。
またこのようにも話しています。
アントレプレナーというのは大変な仕事だからね。この仕事で成功した人と成功できなかった人を分けるものの半分は、忍耐力だと思うんだ。
...
大きな情熱がなければやり遂げられるはずがない。
また、情熱が傾けられるものが今なければ、レストランの雑用係かなにかになって、見つかるまで探すべきだということもいっています。

ちょうど前後してみたジャック・ウェルチのインタビュー (CEO EXCHANGE) で、リーダーシップに必要なものとして、4つのE (Energy, Energize, Edge, Execute) に1つのP (Passion) を加えていました。ここでも「情熱」が語られています。

7月30日、Earthling 2011 で講演された山中俊治さんも「自分の好奇心に従え」と語っていました。

NHK教育で再放送されていた、FIRSTサイエンスフォーラム「常識の壁を打ち破れ」でも、同じメッセージが出されていました。情熱を傾けて一生懸命やると何かは必ず得られる。

そして同じメッセージが「スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション」の法則1の後半でも出てきます。次の言葉は社会起業家ビル・ストリックランドが、アップルから追放された時のジョブズに関して語ったもの。
情熱があっても失敗はします。でも情熱があれば、失敗で終ってしまうことがないのです
失敗したときこそ、その夢がどれほど大事なものかよくわかるとも言っています。

読んで自分の行きて来た道を考えると複雑な心境ですね。がんばってきたつもりではあるのだけど情熱が足りなかったんじゃないのとも思います。情熱が傾けられるところにいながら、少しずつずれてきて今ここにいるのかもしれない。一方でこれからでも少しずつでも情熱の傾けられる道に修正していかないといけないと思うのです。

2011/08/02

Mac OS X Lionのスクロール

こんばんは。

先日、Mac OS X の新バージョン Lion が発売になりましたが、当初は混雑してなかなかダウンロードが終らないということでしたので、先週末に購入ダウンロードしました。

その前にインストールディスクを作成しました。
参考: マイコミジャーナル (2011/07/22) 新・OS X ハッキング! 6 Lionへアップグレードするその前に~インストールDVDをつくろう~

インストールしたら、マジックマウスのスクロールが効かなくなって、慌てました。

検索したら、実は、スクロールの方向が逆になっていて、トップにきててそれ以上上に行かない状態になっていたことが分りました。
参考:Mac OS X Lionの逆スクロールを従来の方向に戻す方法

なんでスクロールを逆にするかなと思ったのですが、上記ブログの次の記事で意図が分かりました。
参考: Mac OS X Lionの逆スクロールに慣れる方法。 | 和洋風◎

なるほど。設定を変える方法もあるのだけれど、ジョブズが変更したのには訳があるんだから、大人しくしたがって慣れるようにするか。「設定」では、これまでと逆の方向が「ナチュラル」となってるし。

コンテンツの下の部分を見るとき、これまではスクロールバーを下に動かして下を見た。Lion では、コンテンツを上に動かして下の隠れている部分を見る。そう考えると合点がいく。

ただ、それは、「つかむ」というメタファーが働く時だけだと思う。iPhone, iPad は画面を触って、そこにあるものを動かす感じ。トラックパッドは画面とは離れているけれど、触って動かすというメタファーはまだ有効だと思う。

一方で、マウスでは触るというのはクリックするか、ボタンを押下してドラッグすることに対応するだろう、マウスを押さずに、マウスの上を指でなぞる、というのはどうもこれまでの操作性からすると違和感があるのだ。

Snow Leopard の設定に戻すかな。そうすると、やっぱりオヤジには適用力なかったかといわれちゃいそうですよ。

2011/07/20

パウル・クレー展

16日土曜日、パウル・クレー展に行って来ました。その日、特別講演会 (無料) があるというので狙ってその日にしたのですが、予約ではなく入るためには並ばないといけなくて、残念ながら講演会は聴けませんでした。

実はパウル・クレーは、小学校か中学校のときに最初に行った展覧会で、それ以来最も好きな画家の一人です。その後も何回か行っていて、展覧会のカタログが2冊、画集というか解説本が2冊ありました。もう要らないような気もしますが、今回の展覧会は展示の構成が面白かったので、今回も買ってしまいました。

どう面白かったかというと、クレーが使った技法で分類して解説してあったところです。有名作品はないけど、その構成が興味深い。

昔は作品を集めるだけでよかったけど、今は背景知識をあわせて提示しないと満足してもらえないんだろうと思います。何年か前のマティス展でも制作の過程が見えるようになっていたし、最近ではBunkamuraでひらかれたジヴェルニーの画家達も画家の交流を浮かび上がらせる企画が面白かった。

一緒に所蔵品展と工芸館も入れるというので、両方みて来ました。工芸にはあまり興味はないのですが、見たことがないような技法の作品が見られて収穫がありました。

2011/07/18

再び桜ドローイング

先日、横浜トリエンナーレに出品するジュン・グエン=ハツシバの作品《Breathing is Free: JAPAN, Hopes & Recovery》の制作サポートに参加して来た話を書きました (→ 「横浜トリエンナーレのプロジェクトに参加してきた」)。

これって多くの人が参加するためのものと思っていたのですが、Facebookにあがる報告を見ていると複数回参加した人もいるのですね。

その後、ジュン・グエン=ハツシバ氏の来日 (ベトナム) にあわせて、サポーター交流会というのがあり参加してきました。交流会に参加した人の中には5コース分行った人もいました。

交流会の中で、まだいくつかコースが残っているので、参加者のみなさんにはまた参加して欲しい旨のお話がありました。私が1回目に参加した時はなかったのですが、参加には事前レクチャーを行うようになったようです。経験者が参加してくれた方が嬉しいようです。その交流会の場で申し込んできました。

前振りが長くなってしまいましたが、7月10日午後、港南台のコースに参加してきました。

コースはこんなコース。予めデータをもらってGoogle Earthに入れていきました。




コース全長は6.5kmで、前回のコースに比べたら半分ちょっとしかありません。

しかし結構たいへんでした。

暑いのもあって、最初ペットボトルを2本用意していったのですが、途中1本 + アイス調達。

アップダウンは前回ほどではなかったのですが、道なき道というのもあり、結局道が見つからないところもありました。蚊の大群に襲われ、私は長ズボンで長袖も用意していたのでそれほど被害にはあいませんでしたが、サポート役の女性 (前回のときと同じ学生さん) はレギンスの上から刺されたようです。10カ所以上も刺されて可哀想でした。

道が見つからないのと蚊の襲撃で断念したところはこのあたりです。上空から道があるように見えないでしょ。



帰りはバスがあるところで助かりました。行きは元気だったので駅から歩いてコースまで行きましたが、さすがに疲れたので。

今回のコースはちゃんと取れたのでしょうか。確かに断念したところがあるので完全ではないのですが、それ以外にもGPSの電源を入れ忘れてたりとかしないかいまいち不安です。

横浜トリエンナーレは8月6日から。会期が始まったら会場案内などのボランティアで参加しますので、声をかけてくださいね。

2011/06/13

この国の新しい風景

こういう記事があった。

地熱発電:国立公園の外から「斜め掘り」 十和田八幡平 - 毎日jp(毎日新聞)
 三菱マテリアルと東北電力が地中を斜めに掘る技術を利用して、国立公園の直下にある地熱エネルギーを使う発電を計画していることが11日、分かった。日本は地熱資源の約8割が国立公園など自然公園に存在するとされるが、開発が厳しく制限されていた。しかし、政府は10年6月、景観に配慮した開発を認めるよう規制を緩和した。実現すれば斜め掘りを利用した日本初の地熱発電となり、他地域の地熱活用にもはずみがつきそうだ。
景観に関しては、以前、「東電の国有化に関して」で、
再生可能エネルギーでは主に太陽光発電と風力発電を想定していたが、地熱発電のコストは従来の発電とほぼ同等らしいので日本だと特に期待できるところだろう。火山というと国立公園内という場合も多いだろうが、今の状況だと多少風景を犠牲にしてもエネルギー自立を図るべきだと思う。
と書いた。

今はもう少し進んで、「風景を犠牲にしても」というネガティブな理由ではなく、積極的に地熱発電所があることを新しい日本の風景として取り入れても良いのではないかと思う。

地熱発電所を、日本の復興のシンボルにする。

先日、「横浜トリエンナーレのプロジェクトに参加してきた」で、高台から見える工場地帯の風景の写真をあげた。コンビナートってワクワクするよね。高速道路も、ダムも、橋も。戦争からの荒廃から立ち直る際に、これらの風景は日本人の心を奮い立たせたと思うのだ。

震災からの復興は、そんなワクワク感とはちょっと違うかもしれないが、国立公園に観光へ行った際に地熱発電所の施設を見る度に、復興への意志を新たにすることができるのではないか。そして将来、こうやって日本はまた復活したのだよと誇りにすることができると思う。

それは地熱発電だけではない。各家庭の屋根や、ビルの外壁、高速道路の防音壁を覆い尽くす太陽電池パネルも新しい風景になる。風力発電は日本では設置する場所は少ないが、海上に設置するという構想もあるようだし、それも新しい風景だ。休耕田は、メガソーラーにするよりも食糧増産に使うべきだと思うが、休耕田のままにしておくよりはメガソーラーの方がましだと思う。

電力のことばかり書いたが、東北を地震・津波に強い地域にするための開発も新しい日本の風景になると思う。高台に散在する住宅地、そこを繋ぐ交通機関。低地の使い方は議論が必要だろうが、できるだけ災害時の復旧が容易な利用方法を考えていく必要があると思う。大規模経営の農地や牧場など、今の土地の価格では成立しないかもしれないが、高台の価値が上がることによる相対的な価格低下、大規模化効率化によるコストダウンでなんとか出来ないかと思う。

2011/05/22

横浜トリエンナーレのプロジェクトに参加してきた

今年は横浜トリエンナーレの年。8月6日の開幕に向けて準備が進んでいるようです。

その中の活動の一環として、横浜トリエンナーレサポーター というのがあります。ボランティアによるお手伝いです。サポーター登録して、自分が参加できる活動があれば参加します。

アーティストの制作補助を行う、アーティストサポートチームというのがあり、先日参加者を募集していたので、5月21日の午前の部に参加してきました。

ジュン・グエン=ハツシバ《Breathing is Free: JAPAN, Hopes & Recovery》参加サポーター募集!  
本プロジェクトは、アーティストが2007年よりメモリアルプロジェクトとして実施しているものの一部で、横浜ではアーティストと一般市民がGPSを身につけて街を移動し地上に花の図案を描きます。このプロジェクトをとおして参加者は作品の制作サポートをしながら横浜の街を知ることができます。今回は、3月11日に発生した東日本大震災の被災者にむけてホーチミン市で始められたプロジェクトを横浜で発展させ、横浜市内にも桜の花を描きます。このホーチミン市で描かれた桜と横浜市で描かれた桜をあわせて作品化し、ヨコハマトリエンナーレ2011の会場で展示します。

みんなでわいわい言いながら歩いて行くのかと思っていましたが、事務局の人と、若いアーチスト(学生さん)とサポーター(私)の3人組で行動するものでした。

私が参加したコースはこれ。


コースを思い出しながらGoogle マップに線を描いていったので、正確でないところがありますがご勘弁を。

地図上では分りませんが、高低差が大きく、狭い階段も多くて、これで正しいコースなの?と3人で悩みながら進みました。

こんな道や



こんな道も通ります。



高低差があることろだったので、こんな眺めも楽しめました。



3時間の予定だったのですが、5時間以上かかりました。事務局の人によれば、これまでで一番ハードなコースだったそうです。疲れましたが、楽しい一日でした。

作品の完成が楽しみです。

■ 過去の横浜トリエンナーレ

2005 横浜トリエンナーレ2005
2008 Yokohama Triennale 2008横浜トリエンナーレ2008は11月30日が最終日

2011/05/16

ネンチャクシコウ展ワークショップ

六本木AXISギャラリーで行われているネンチャクシコウ展 (→ かみの工作帖「かみの道具4 ネンチャクシコウ展 開催!」)、今日はワークショップがあるというので行って来ました。

昨年、スパイラルガーデンで行われた「空気の器」のワークショップ同様、かみの工作所の主催でした。「空気の器」も準備されていましたが、完成品だったので今日は見せるだけで、他のものを作るのでしょう。初めて見る「トリノス」(鳥の巣) がおいてあります。

始まって分かったのですが、複数の制作セッションがありました。トリノスのほか、ORIBON (ORI + RIBBON)、紙飛行機型ハガキ、テープ型フック、ミイラの包帯状のシールを剥がすと絵が出てくるハガキ。バラエティがあってどれも楽しい。特に作った紙飛行機を飛ばすセッションはみんな楽しそうでした。あ、あまり楽しかったので写真撮って来るの忘れた。

デザイン関係のイベントだけあってiPhone率高いですね。ツイッターのハッシュタグが公開されていたわけではないので捕捉率は低いですが、それでも「ネンチャクシコウ」で検索すると、ワークショップに出てるという発言がいくつかみられました。私の斜め前にいた人だ、とか推測できます。

22日まで。

トリノス (山田佳一郎)

20110515-061440.jpg

ミーーーラ (サダヒロカズノリ)

20110515-061501.jpg

tapehook (トラフ建築設計事務所)



追記: Togetterでまとめました。→「2011/05/15 ネンチャクシコウ展ワークショップ」

2011/05/09

Ruby Reader で Twitter 英語ツイートを読む

先日こんな記事がありました。
TechWave.jp 英文記事の読解が数倍速くなる驚愕のアプリRuby Reader登場

このレビューで評価が高いし、ロングマン英和辞典を内蔵しているんだったら1200円も高くないかと思って購入した。

購入したけれど、よく考えたらRSS自体はほとんど読んでいないのであった。特にRSSで英語の記事は皆無だった。一方、英語の情報が入って来るのはTwitter。最初に日本語ユーザーがほとんどいない時にフォローしたのは米国のジャーナリスト (特に技術関係) が多かったので、今でも一定量の英語ツイートが含まれている。

そういう訳でTwitterに対応してくれるといいのだけど、と思った。しかしもしかしてTwitterのタイムライン (できれば英語だけで構成されているリスト) のRSSがあれば良いのではないかと思った。

以下調べた内容を調べた順に示す。結論だけ知りたい人は"more" 以降をご覧下さい。

SafariだとURL欄の最後に"RSS"と書かれたボタンがあるのでこれで調べる。FavoritesのRSSだった。次のような形式 http://twitter.com/favorites/nnnnnnn.rss (nnnnnnn はユーザーのアカウントに対応する数字で表現されたID - この調べ方は iPhone4: ツイッターをRSSリーダーで読もう  参照)。

もう少し調べたら、Twitter まとめWiki というところがあって、「RSSフィードのURLは?」と言う項目があった。それによると
  • ユーザー単独 http://twitter.com/statuses/user_timeline/nnnnnnn.rss
  • with friends http://twitter.com/statuses/friends_timeline/nnnnnnn.rss

のwith_friends が使えそうだ。と思って実際にブラウザURL入力欄に入れてみた。しかし、ユーザー単独はすぐに返ってきたけれど、"wuth friends" の方は動いていない模様。

このWikiによればリストのRSS 取得法もなさそうだ。引き続き探すと、ツールがありそう。

bizMode: 『Twitter List機能』をもっと活用する為の、すごいサービスを4つほど

これは期待できそうだ。このうちの「3.Twitter List をRSSで読んでみる」はばっちり目的にあっている! しかしここで紹介されているサービス http://twiterlist2rss.appspot.com/ は動いていないようだ。

他のブログなどを見ても全てここを指していた。結局該当するサービスはみつからない。

最後の手段として Twitter API を用いる方法を考える。Twitter API Wiki にあった。

Twitter REST API Method: GET list statuses

ようやく到達しました。以降結論です。

2011/05/08

トリウム原発のしくみを調べてみたけれど

昨日の記事「トリウム原発って何だろう」で、「この記事には方式に関しては書かれていない」と書いた。日経ビジネスオンラインの元記事 "中国が独占意欲「トリウム原発」とは" には、方式自体は「溶融塩炉」として書かれていて、
 この方式は、核燃料(トリウム-232)をフッ化物にして、フッ化物塩からできている溶融塩に溶解した状態で燃やす。地殻の中のマグマに少し似ていて、“ストーブ”の中で燃え続け、絶えず巨大なエネルギーを出す。液体燃料の原子炉ということがほかの原子炉と違うところだ。
という説明はあるのだが、そこでどういう核反応があってどういう副産物ができるかか分らないと、クリーンかどうか判断できないと思うのだ。特に、「既存の核廃棄物を含むさまざまな種類の核燃料を消費できる」という部分は、今の原発廃棄物の問題もあわせて解決できることになり期待できる特性だと思うが、これにしてもどういう仕組みでそうなるのか納得したい。

最初に検索で調べた結果得たのがこれ。→ トリウムの放射性壊変系列
このサイトには「地面からの放射線」というページもあり、さらにそのひとつであるトリウムに関する説明がある。

ただこの「トリウムの放射性壊変系列」をみると、自然に崩壊するプロセスに関して記載してあるようだ。原子炉として使うには別のプロセスがあるはず。

調べたらやはりWikipediaに到達した。→  Wikipedia トリウム燃料サイクル
\mathrm{n}+{}_{\ 90}^{232}\mathrm{Th}\rightarrow {}_{\ 90}^{233} \mathrm{Th} \xrightarrow{\beta^-} {}_{\ 91}^{233}\mathrm{Pa} \xrightarrow{\beta^-} {}_{\ 92}^{233}\mathrm{U}

中性子をあてることでトリウム233になり、その後ウラン233になる。ウラン233 は原発で使われるウラン235と同様に核分裂を起こし、その生成物はトリウム229となっている (Wikipedia ウラン233)。トリウム239は最初に調べた「トリウムの放射性壊変系列」に入ってて、ここでこのラインの追跡は終わってしまう。

これ以外の系列もWikipedia トリウム燃料サイクル にはあるのだけれど、確率的な反応なので分裂せずに別の同位体として残ったり、それが別の核種に崩壊したりするようだ。たくさんあって、自分の手に負えないように思う。ここで一旦断念したい。

ただ確率的な過程の中でさまざまな核種が存在する状態になっており、そのため
崩壊を繰り返して237Np、238Pu、239Pu、240Pu、241Pu、241Am、242Puと、有害なプルトニウムの同位体を生成する。 237Npは半減期214万年と比較的安定で、再処理で除去(違う元素なので分離可能)できる。アメリシウムやキュリウムについても同様で、廃棄するほか原子炉に戻して核変換によるリサイクルを図ることも可能。
というようななんでもOKという状況なのかもと思う。

それは一方では、
トリウム燃料サイクルは、原子炉内の核種変化や使用済み核燃料の再処理によるリサイクルについて様々な期待がもたれている。しかし実現には課題も多く、当面は同様に使い捨て状態で運用されて行く見込みが強い。
と書かれている部分につながっているのかと思う。やはり最終的にどうなるのか、事故が起こったときどうなるかは、気になるところだ。

まだまだ理想にはいかないのだろうけれども、研究だけは国家レベルで進めていただきたいと思う。今のように、御用学者でないと生きて行くのが難しいという態勢にするのでなく (参考: 現代ビジネス  2011年04月30日「迫害され続けた京都大学の原発研究者(熊取6人組)たち」)。

トリウム原発って何だろう

これは原発事故の前の話なのだが、こんな記事があった。

中国が独占意欲「トリウム原発」とは:日経ビジネスオンライン

中国科学院の発表に関して書かれた解説なのだが、その中国科学院の発表内容はびっくりする内容で、これは気になっていた。発表内容を一部抜粋する。
1トンのトリウムは200トンのウランあるいは350万トンの石炭と同じエネルギーを発生させる。

わが国はトリウム資源大国。1000年にわたって枯渇の心配がない。

その特徴は構造が簡単で、長期連続運転が可能で、燃料の“雑食性”が強いなどの利点がある。しかも、小型かつ精巧に作ることができ、一定量の核燃料を装入すれば数十年の安定運転ができる。さらに、理論的に、核廃棄物は現在の技術による原子炉の1000分の1しか発生しない。次世代原子炉は世界で研究開発中であるが、我が国がトリウム溶融塩炉の研究を今始めれば、おそらくすべての知的所有権を獲得することになる。
トリウムという元素自体が今まで認識していないものだったので、ここでみるかぎり天然に存在するものだということも全然知らなかった。この記事を読み進めると、レアアースと一緒に産出されるもののようだ。ということはこれまで廃棄されていたということか (あとでまた記事にするが実際被害が出ているようだ)。

また、この記事をみると、米国も積極的に推進しようとしているし、日本を除く全世界で研究が進められているという。オバマの推進理由として、クリーンエネルギー (ここでは基本的には二酸化炭素削減) だけではなく、核兵器廃絶も狙いにある。

この人の前の記事『「友愛」は通用しない資源外交――“核ルネッサンス”に乗り遅れるな』では、
2.米オークリッジ国立研究所が中心になって開発した、原子燃料としてトリウムを利用する溶融塩炉とよばれる原子炉が、技術的にも経済的にも実用化の可能性が出てきた。もともと核の平和利用には最適でむしろ本命であったと言われる
と書かれている。核兵器の材料となるプルトニウムが生成されないことがネックだったというような書き方だ。

という訳で、もしこの方式の安全度が高いのなら、日本こそが推進すべきと言う著者谷口氏の主張に同意する。

ただこの記事には方式に関しては書かれていない。方式に関しては別の記事を探して調べたのですが、まだ理解できておらず、今の所は保留にしたいと思います。[補足: 少し調べました。→ トリウム原発のしくみを調べてみたけれど ]

2011/05/07

夢の原発?

以前日経エレクトロニクスでこんな記事があった。

夢の原発「TWR」,実現への道 (日経エレクトロニクス2010年8月23日号)

ビル・ゲイツが進めているということで話題ではあったのだけれど、原発自体に興味も基礎知識もなかったので、そのときには読まず積んだままにしてあった。

原発事故があって、もんじゅもヤバい状況だという話も聞こえて来る中、もしこれがより安全な方式なら検討する必要もあるのじゃないかと思って読んでみた。

今核燃料としては使えない劣化ウランに対して中性子をあて、プルトニウムに変換する。そのプルトニウムが核分裂する。そこで発生する中性子で劣化ウランをプルトニウムに変え ... という基本的に高速増殖炉と同じ原理のようだ。しかも同様に冷却剤にNaを使う。

日経エレクトロニクスの記事には、TWR (Traveling Wave Reactor) という名前しか書かれていないが、日本語では「進行波炉」というようだ。→ Wikipedia 進行波炉

Wikipediaの記述に
燃料である劣化ウランに点火された後、その反応の波が、60年以上かけてゆっくりと進行する炉であることから、進行波炉と呼ばれている。
とあって「高速」のつかない「増殖炉」なのかと思ったのだが、あとで教えていただいたところによるとそれは間違い。「増殖」のつかない「高速炉」だそうだ。

Wikipedia 高速増殖炉 には
高速増殖炉(こうそくぞうしょくろ、Fast Breeder Reactor、FBR)とは、高速中性子による核分裂連鎖反応を用いた増殖炉のことをいう。

高速中性子を利用しながら核燃料の増殖を行わない原子炉の形式は、単に高速炉 (Fast Reactor : FR) と呼ばれる。
とある。「高速増殖炉」の「高速」は「高速中性子」のことだった。中性子には「高速中性子」と「熱中性子」があって ... この説明も外部に頼ろう。
高速中性子と熱中性子

高速増殖炉の冷却剤 (熱運搬剤といったほうがいいように思うが) が水ではなく金属ナトリウムなのは、水は減速剤でもあるから。同じ意味でTWRも金属ナトリウムを使う。

一方、「高速増殖炉」の「増殖」は、「転換比」(→ Wikipedia ) が1以上あるという意味だと言うが、これはちょっとまだ理解できていない。この転換比というのは何を投入燃料とし、何を生成物として比較するかによって決まると思うのだが、TWRの場合は生成物はないことになるのでその場合どうなのだろう。内部では最初に投入したプルトニウム以上のプルトニウムが一旦生成されているはずなので「増殖」と言ってもいいような気がする。

「夢の原発」TWRに関しては、まだ技術課題があるようだ。特に燃料封止用の被覆管の耐久性がネックとのこと。TWRの寿命である60年〜100年までもつものがない。

私としては金属ナトリウムを使う点も気にかかる。何か事故があった時に、基本的に収束方向に進むという反応でないと不安は拭えないと思う。

トリウム原発に関してもあわせて書きたかったが、出掛ける時間になったので、それはまた別稿で。[追記: 書きました。→ 「トリウム原発って何だろう」]

2011/05/01

田口行弘のインスタレーションアニメーション

インスタレーションアニメーションという言い方は本人はしていないかもしれません。インスタレーションを少しずつ動かしてそれをコマ撮りしてひとつの映像作品にしたもの。


森美術館で展示が行われているのですが、先日アーチストトークを聴きに行ってきました。

MORI ART MUSEUM [MAM PROJECT] 田口行弘
ベルリンを拠点に活躍する田口行弘(1980年生まれ)は、ドローイング、パフォーマンス、アニメーション、インスタレーションが混然一体となった「パフォーマティブ・インスタレーション」で近年注目を浴びています。日用品や家具、スタジオの床板までが命を吹き込まれたように踊りだす映像は、静止画像を繋げる古典的なアニメーションでありながら、現代にも何らかの可能性を示唆してくれます。
ここには「パフォーマティブ・インスタレーション」とありますね。 森美術館の壁の一部を使って同じようなインスタレーションを作っています。上記のビデオの最後にあるものですが、会期中に今後も少しずつ変わるんじゃないかな。 会場の中で制作風景のビデオも流していました。上記のビデオの2番目の畳を使ったものなんですが、畳を持っている人たちに、川の対岸からメガホンで指示している風景が面白い。「次、最後尾の人、畳をもって先頭へ移動してください」なんて。

トークでは、これらのインスタレーション以外に、香港で行った街を駆け抜けるパフォーマンスの話がありました。固定ビデオカメラをセットして、その前を全力で駆け抜けて行くのです。海に飛び込むところまであって、警察から不審尋問されているところの写真もありました。 インスタレーションをアニメーションにするというと石田尚志の作品もありました。これは「アブストラクトアニメーションの源流」で見たのでした。 石田尚志 作品

そうそう、ストップモーションアニメと言うとこれも思い出しました。


2011/04/15

Paul Simon Interview

ポールサイモンのインタビューがNBCであった。最初は動画を埋め込んでいたのだけど、現在はできないようで、リンクだけ載せる。

Paul Simon, still playing after all these years


Brian Williams interviews the legendary singer/songwriter about his new album, the changing music business, and the best signals to throw in baseball.
http://www.nbcnews.com/video/nightly-news/42598920#42598920

Paul Simon: 'I love...playing for myself'


The pop icon talks with Brian Williams about how he has managed to produce powerful music for more than four decades, and credits clean living for his clear voice.
http://www.nbcnews.com/video/nightly-news/42595792#42595792

Acoustic vs. Autotune: Paul Simon breaks it down


In an interview with Brian Williams, the pop singer talks about the "perfect storm" of technology that has changed the music business.
http://www.nbcnews.com/video/nightly-news/42596363#42596363

Paul Simon defends Barry Bonds: ‘We can’t all be Derek Jeter’


In an interview with Brian Williams, the pop icon and part-time little league baseball coach weighs in on drug use--both in sports and in music--and cautions against taking a moralistic stance. Watch the full interview Thursday on NBC Nightly News.
http://www.nbcnews.com/video/nightly-news/42594426#42594426

2011/04/13

原発が夢の技術だなんて思ったこと一度もない

この一ヶ月に何度か見かけた発言。
原発は夢の新技術だと思っていた。
自分が一度もそう思ったことがないので、こういう発言には驚いた。例えば中島聡さん

Life is beautiful 2011.04.01 「エンジニアから見た原発」
典型的な「理科系少年」として育った私にとっては、原子力発電は宇宙旅行や人工知能とならぶ「人類の英知を集めた科学技術の結晶」であり、あこがれでもあった。ブルーバックスの相対性理論に関する本はすべて読んだし、アインシュタインの書いた e=mc2 という式は私にとってはまさに「人類の英知」を象徴するシンボルであった。
私は原発の仕組みは今回ようやくだいぶ理解してきたが、これまでは「原爆のエネルギーをゆっくり取り出すこと」くらいの認識しか持っていなかった。制御棒で抑制するけど、もしそれが故障したら制御が効かなくなるもの。確かに、制御棒での制御は、壊れたら炉に落ちて反応をストップさせる方にしか進まないということは知っていたが、それでも落とせなくなったりする可能性もあるんじゃないのと思っていた。

安全ではないから、敦賀湾のように都会からはなれたところにつくる。以前読んだ記事に、その土地の老人が、「周辺に住んでいる人にまでお金をくれるということは、何かあったらあきらめろという意味だろう。自分は老い先短いのでもうあきらめている」という主旨の発言をしていた。

もう一つは廃棄物の問題だ。処理ができず、子孫までずっと保管する、そしてそれはずっと増え続ける。こんな無責任な話はないだろう。それは自分達の世代で石油を枯渇させるよりもひどい話だと思う。

原発のプラスの面は、日本には資源がないから仕方ない、というもので、とてもプラスには思えないもの。それだって、ウランも輸入しなければならないと聞くとなんじゃそりゃと思う。技術的にすばらしいと思える点はひとつもない。

もっとも、私が長崎で生まれ育ったというところが大きいかもしれない。ただ大きな爆弾という訳ではない原爆のことを知っていれば、原発は安全なものだと言う教育はできなかっただろうし、受入れられなかっただろう。よその地域では、原発推進のポスターを子どもに書かせていたところもあったんだね。

核アレルギーという言われ方もあることは知っているけれど、それは原発から遠く離れたところの人間の勝手な言い分だと思っていた。

今話題になっている記事

福島には原発が必要だった - 夢の中ではうまく歌える
を読んで、40年前はそれでも受入れざるを得ないところがあったんだな、そしてそれはある程度豊かになっても、いやそれで豊かになったからこそ、捨てられなかったんだなと思う。

さて全国の残る原発の周辺の皆さんはどのように考えられているのだろうか。

2011/04/11

東電の国有化に関して

東日本大震災以降、一度もブログを書いていませんでした。まず、被災された皆さんにお見舞い、お悔やみ申し上げます。また、義援金、支援物資を送る以外のことができていなくて申し訳ない思いです。

さて今日の本題。

東電の国有化という話があるようだ (http://t.co/KRR2PkQ)が、それが東電の責任を国がそのままかぶるという意味になるなら反対する。

先日ツイッターで次のように書いた。

ryokan: ソフトバンクの孫さんが主張するようなNTT分離は電力でこそ行うべきだな。スマートグリッド化をすすめ、再生可能エネルギーを使う発電業者の参入を促す。配電新会社を国営で立ち上げる。配電網は東電から買い上げ、賠償の足しにしてもらう。まずは関東圏から。 (Mon Mar 28 23:42:44 +0000 2011)


ryokan: 少々高くても再生可能エネルギー発電業者から買うよ! (Mon Mar 28 23:48:05 +0000 2011)



いっぺんにいろいろなことを書いたので整理すると、
  • まず東電に賠償責任があることを明確化する。地震の規模は想定外だったかもしれないが、冷却機構の喪失とそれが回復できていないのは想定外とはいえない(http://bit.ly/fBWvsY)。
  • 東電の賠償は基本的に東電の内部留保 (http://goo.gl/NgcF0)の取り崩し、資産の売却でまかなう。
  • 資産といっても電力事業者でないと不要なものが大半だろう。受け皿として国有会社を設立する。
  • 現在東電が行っている発電と送配電の業務を分離する。新会社はまず配電から。それでも賠償額に足りない場合既存の発電所を順次切り売り。
  • 発電に関しては独占とせず新規参入を促す。特に再生可能エネルギーを使う発電業者の参入を促進させる。
  • 消費者はいずれかの発電会社と契約する。価格の安いところや、少々高くても再生可能エネルギーを供給するところなど、各自の価値観で選択する。
  • 配電会社は各消費者の使用量を計算し発電会社ごとに集計する。発電会社の供給量も計算する。供給量が足りていない発電会社は他の発電業者から購入する。その価格は発電業者間で決める。
  • 発電会社が安い価格を設定しても良いが、自社で発電量が足りない場合は他社から仕入れることになるので、そのリスクを見込んで価格設定、契約者の募集をしなければならなくなる。
この時は新規発電会社は再生可能エネルギーのことしか言及していなかったが、森ビルや製鉄会社が発電しているのを東電に供給しているそうなので、従来の発電で新規参入するところも多いだろう。特にエネルギー利用効率の高いコジェネは期待できる。

また、再生可能エネルギーでは主に太陽光発電と風力発電を想定していたが、地熱発電のコストは従来の発電とほぼ同等らしいので日本だと特に期待できるところだろう。火山というと国立公園内という場合も多いだろうが、今の状況だと多少風景を犠牲にしてもエネルギー自立を図るべきだと思う。

各家庭で発電した電気を買い取って売る業者も複数出てきて良いと思う。そのためには買い取り価格も自由化を行う必要があるだろう。

まず関東圏から始めるがうまくいったら全国的に広げる。既存の各地域の発電会社は東電のような賠償の負債を抱えている訳ではないが、配電網の買取で得た資金は原発の安全性の強化にあててもらう。いつ東電のような危機が訪れるかもしれず、そのときに国が救ってくれないと分っていれば、現在の経営陣も安全性強化を先送りにはできないだろう。

地震は不幸なことではあるが、ただ悲しんでばかりもいられない。脱原発から再生可能エネルギー産業を輸出する国にする大転換のチャンスとすべき。太陽光発電や太陽熱発電のような他国に依存しないエネルギーは新興国にとっても有利なはずで、そういう国々と協力しながら産業の転換を進める。

国にいくらでも資金があるような書き方をしたけれど、原発以外の震災の立て直しも行わなければならない。その資金を賄うためには、増税や電気料金の値上げも必要だろう。「日本人の力をあわせる」というのは、ボランティアを行うとか義援金を出すというだけでなく、増税なども容認するって意味だろう。産業界に関してはそれとは別に考える必要があるけど、円高や新興国の安価な労働力への対抗等に比べると容認できるレベルになるのではないかと思う。

この転換の中で、東電の株が紙切れ同然になるかもしれないがそれも我慢する。私も直接東電の株を持っている訳じゃないけど、投資信託や年金基金の中に組み込まれているから影響はあるだろう。それも仕方ない。

この震災の中で、日本人として希望を持たせるメッセージを何度も目にした。ただ頑張って前と同じ日本を復活させるのではなく、旧来の悪弊や制度疲労を起こしている仕組みもあわせて解体して、新しい日本を創っていくべきなのだと思う。

2011/03/31

Web Intents テスト


ryokan: 日当40万円の仕事があるのだけど、働ける時間は最大15分で、その時間分しか支払いません! (Wed Mar 30 12:54:18 +0000 2011)



以下はTwitterのWeb Intents APIを使っています。

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詳細はここ → Web Intents

2011/03/02

産業日本語研究会シンポジウム

まず長尾先生の基調講演 「知識インフラと日本語」。前回の知の構造化シンポジウムのときと同様、「知識」と「知」の関係。「知」には慣習や善・得に支えられているもの、という話が導入になる。その後情報の分析の話が中心になった。

分析の目的には、日本の産業の強化、イノベーション推進があるようだ。日本は要素技術はもっているものの、iPadのようなものを実際に出すのは外国の会社に先を越されている。

人文科学、社会科学的視点をもった、経済・社会にインパクトを与える研究開発が必要になる。SNS 的に人をつなぐ必要がある。それをサポートする知識インフラが必要になる。これは各分野の知識データベースをゆるいつながりでつないだようなもので、4月からはじめる科学技術基本計画 に取り入れられている。

後は言語技術の重要性であるが、これに関しては皆さん合意ができているだろうことですので、省略します。

発表資料はここから入手できます。→ 「第2回産業日本語研究会・シンポジウム」発表資料

2011/02/16

森美術館 MAMCナイト

もうだいぶ前になっちゃいましたが、森美術館で行われた MAMCナイト に参加してきました。これはMAMC メンバー向けのイベントなんですが、メンバー外への無料招待に当選したのです。

現在行われている「小谷元彦展:幽体の知覚」展を解説付きで2回まわります。1回目の解説はキュレーターの荒木夏実さん、2回目はコンサヴァターの相澤邦彦さん。コンサヴァターというのは、美術作品の保存と修復を行うお仕事の人で、現代美術には関係なさそうに見えるのですが、今回は現代美術でコンサヴァターがどう関わるのかを聴かせてもらいました。

小谷元彦展は以前カテジナ・シェダーのアーチストトークがあったときに見たので、3回見たことになります。八面スクリーンに映し出される滝の作品があるのですが、前回は並んでいる人が多くて断念したのを、今回はゆっくり鑑賞できてよかったです。

小谷は彫刻家ですが、動かない作品だけでなく、このような動きのあるものも制作しています。他にも、髪の毛で編んだドレス、狼の毛皮で作ったドレス、映像作品もあります。髪の毛で編んだドレスは、京都のお寺にある髪の毛で結った太い綱にインスピレーションを受けたそうです。

解説によると、コンセプトだけの作家ではなく、彫刻家としての確かな技術をもっているという評価がなされているそうです。能面をモチーフにした作品も面打ち師に師事してから作ったとのこと。

コンサヴァターの相澤邦彦さんのお話では、現代美術での関わりとして「予防保全」という考え方があるとのことでした。巨大な彫刻作品を壊さないようにどのように運び、展示するか。今回は、美術館の壁に穴をあけて支柱を通し、作品の目立たないところにワイヤーを伝わせて固定するといったことも行われています。

保全という意味で、現代美術は現代美術なりの難しさがあるということでした。それは、様々な素材を使うことで、新素材の情報を常に仕入れないといけません。プラスチックという素材は出来てからまだ百年そこそこ。いつまでもつのかまだ分かっていない。だが、アーチストにとって魅力的な素材の一つ。他の素材では表現出来ないものもある。

保全の敵は、湿度、温度、光だけでない。人が入るとほこりが舞うし、虫を連れてくる場合がある。昔は美術館を締め切って燻蒸を行っていたが、人体や環境に悪いので、今は湿度や温度のコントロールを含めた統合的な対処に移って来たということです。前の展覧会では、部屋一杯に生土を使った作品があり、最初に土を焼き、湿度をうんと下げたりしたとのこと。

私は、この前の展覧会にも行ったのですが、実は繋がっているその隣の部屋の展示では、霧が出てくる作品があったのです。その点で難しかったのではないかと質問してきました。湿度を下げた影響で、霧があまり出なかったとのことでした。あらあら。

粉機の展示には写真作品もありました。デジタルで製作された作品は、修復するのではなく再出力すればいいのだが、出力機器がいつ迄あるのかという問題もあるし、保存メディアにも寿命がある。またデジタルデータのフォーマットもいつ迄も使われている保証はないということです。確かに自分が持っているDVDも劣化するんですよね。テープのときと違ってじわじわ劣化するのではなくて、いきなり見れなくなるから厄介です。

MAMCのメンバーになれば、美術館や展望台にいつでも行けるだけでなく、こういうイベントやカクテルパーティーにも参加できるのですが、年間21,000円はちょっと出せないな。私は年間パスポート 5,250円を買うかどうかで悩むレベルです。

そうそう、今3大個展といわれている他の二つ、曽根裕高嶺格も見に行かなくちゃ。

関連記事:
不可能で限界があるから彫刻は面白い―小谷元彦 アーティストトーク (これは行っていませんが)
flickr MAMCナイト 1/25/11

《スケルトン》の形状に、興味津々で見上げます

2011/02/13

みんなソニーが大好き2

週刊ダイヤモンド 2月12日号の第2特集は「SONYを去ったエース社員たちからの提言 ヤメソニーに訊け!!」。これは技術者としては考えさせられた特集だったな。元ソニー社員のソニーに対する愛が伝わってくる。

以前書いた「みんなソニーが大好き」は、ソニー部外者からの愛を感じて書いたものだったけれど、もちろん社内の人の方が愛は強いだろう。そしてここに集まって来ている人たちは、ソニーを愛しながらも、もしかしたらその愛の強さ故に去らざるを得なかった人たちとえるのではなかろうか。いわばソニーに片思いし続けた人たち。

この特集の中に、1969年のソニーの求人広告 "「出るクイ」を求む! 英語でタンカの切れる日本人を求む" が出ている。そういう人たちが集まってできた会社。しかしソニーは次第に変わってくる。

「みんなソニーが大好き」 で書いた中に、クリステンセンの「マーケティング部門が市場分析を重視するようになったため、ソニーは破壊的技術を創り出せなくなったのである」というのがあった。私は、"市場調査で分かるのは、「今よりちょっとだけいいもの」なのです。"と書いた。そのときは知らなかったけど、ヘンリー・フォードが「もし私が顧客に彼らの望むものを聞いていたら、彼らはもっと速い馬が欲しいと答えていただろう」と言っていたんだね。

週刊ダイヤモンドでも本社機構の肥大を問題にしている。ハルトムット・エスリンガー 「デザインイノベーション デザイン戦略の次の一手」 にもソニーのことが書いてあった。出井さんは巨大企業に必要なビジョンを出せなかったという評価。
しかし今のソニーは、1945年に東京通信研究所を立ち上げた井深大が、盛田昭夫とともに会社を興したころとは、大きく異なっている。井深と盛田が第一線を退いて、老い、やがてこの世を去ったとき、ソニーが失ったものは創業者だけではなかった。そのときに会社の魂も失われた。
私は外から見ていて、出井さんは、ハードとソフトとネットの統合というビジョンを出しているんだなと感じたけど、きっと整合を持った形でビジョンをインプリメントできなかったんだと思う。どこで読んだかわすれたけれど、ソニーの技術者は、彼のような技術出身でない経営層を「文官」と呼んでいるそうだ。自分達は「武官」。出井さんは武官の心をつかめなかったのだろうね。土井利忠さんがソニーの技術者から愛されていると感じた (以前の記事) が、それと対照的なのではないかな。いやここはあくまで外部からの見方ですが。

'グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた' の著者 辻野晃一郎さんも出てくる。辻野さんへのインタビューの中で、同じくソニーを辞めた知人の言葉を紹介している。
「辻野さん、ソニーって会社の名前じゃなくて、生き方ですよね」
こういう言葉には心動かされる。

他にもソニーの生き方を志した人の話が出てくる。2005年にソニーの若手社員だった三根さんは、Googleを訪問して「ここは21世紀のソニーだ」と思ったそうだ。三根さんの入社は2001年以降で、その時代にはソニーは変わって行っているころだと思うけど、ソニースピリッツというものは残っていたんだろう。

この記事の中には希望も見いだせる。今でもソニーには、出る杭や、出る杭を目指す人材が集まって来ることだそうだ。大事にして欲しいと思う。

他にもソニーに関して書いた記事があります。

ソニー製品しか買わない (2005年3月21日)
Tokyo Designer's Weekに行って来た (2005年11月10日)

2011/02/06

知の構造化センター シンポジウム

2月5日、東京大学知の構造化センターのシンポジウムを聴きに行きました。

東京大学・知の構造化センターシンポジウム

Ustream 中継がありました。アーカイブは以下。
会場の東大福武ホールは、各席に電源があり、今回は無線LANも提供されて、ハッシュタグ #cks11 も宣言されたので、多くの人がTwitterで発信していました。Togetterまとめ ができています。発言者数が 1月の"Japan Innovation Leaders Summit" のときほど多くなかったので、まとめもまだ見やすいと思います。

長尾先生は、精力的にさまざまところで講演されていて、私もできるだけ聴きに行っています。今回はこれまで話があった国立国会図書館のデジタル化、著作権法改正の話が中心だったのですが、1994年の日本初の電子図書館となった京大図書館の話は私は初めてて でした(って勉強が足りんということなんですが)。ただ全文検索が出来るというのではなく、書籍を目次の構造で構造化しており、部品単位に得ることができます。これはGoogle Booksでも実現されていない機能です。コピペ論文は一般によくないとされているが、この図書館で部品単位でばらばらにされたものを再構築した論文は必ずしも悪いと思わないという発言が印象的でした。

12月の暮れの東京芸大シンポで「芸術・文化のアーカイブの検索」に関してはなされたそうで、その話も今回のお話にも入れたかったが時間が足りないということで軽く言及されただけだったのが残念でした。東京芸大のシンポジウムはあらかじめ知っていたら参加したのにと思います。

セッション1 「思想」の構造化は、今回の目玉だと思います。岩波の雑誌「思想」の90年分をデジタル化し、MIMAサーチで検索、分類、分析可能にしたということです。検索結果をコンテキストで分類されるので、果物のアップルと、IT企業のアップルを分けて得ることができます。文書の類似性でリンクが貼られ、思想界が俯瞰でき、また年代別にトピックの変遷を知ることができます。「これは研究のツールとして使える」と、文科系の先生が興奮されていたという話が印象に残りました。

その文科系の研究にとっての価値は、ビデオレターとして登場したコロンビア大学キャロル・グラック先生の話で裏付けられます。
知の構造化は、知の「脱」構造化にも繋がる。私たちの思考を制約している既存の枠組みから私たちを解放する可能性も持っている。
既存の研究も「〜派」という枠組みに囚われずに見直すことにより、新たな発見、新たなものの考え方が生まれるとすると素晴らしいことだと思います。会場の意見などを聞いていると、既存の枠組みだけで考えるだけではダメで、枠を超えた思考が人文系研究者に求められるようになるだろうという観測でした。学会の大御所の抵抗もあると思うのですぐには変わらないかもしれませんが、ITが社会を変革することの現場に居合わせたような気がしました。エジプトのデモの前夜のような感覚と似ているのかもしれません。

午後は技術が中心であまり新鮮な話もなかったのですが、Wikipediaの分類、マップ化のデモは興味深かったです。この分類技術も昔からあるものではあるのですが、Ajaxを使ったズーミングと画像でWikiページを表現することを組み合わせたインターフェースが魅力的です。→ Wikipedia SOM Visualization

パネルディスカッションでは、いろいろな側面から議論が行われ、その点ではテーマが絞られていなかったと思います。その中で、東大辻井先生の『人類史上初めて「知識」を客観的な研究の対象としてみることができるようになったのではないか。』という発言が印象に残りました。

2011/01/30

電子雑誌 fotgazet 創刊

先日メールかツイッターで知ったのですが、fotgazet というフォトジャーナリズムの雑誌の創刊のためのリクエストを募集していました。その時点では既に目標数を達成していて創刊されることは決まっていたのですが、価格等が決まって創刊準備が進んでいるようです。

http://www.fotgazet.com/

ここにサンプル版が置いてありますが、サンプル版でもボリュームがあります。創刊号は100ページ以上になるそうです。また、電子書籍なので、インターネットへのリンクやビデオもあります。これで年4回発行2,400円だったら安いんじゃないでしょうか。

一方の "DAYS Japan" も電子版の配信をするそうですね。
http://daysjapanblog.seesaa.net/article/180301031.html
これはまだ目標数に達してないのか ... 皆様、ぜひご協力をお願いします。
 

なお、fotgazetは、メルマガ「fotgazet通信」を出すそうです。 こちら → http://www.melma.com/backnumber_00189203/

2011/01/25

フォントのふしぎ

発売前にTwitterかメールかで知って、発売された直後に買いました。

フォントのふしぎ  ブランドのロゴはなぜ高そうに見えるのか?
フォントのふしぎ ブランドのロゴはなぜ高そうに見える...by 小林章¥ 2,100

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こんな表紙じゃないと思ったのだけど、写真をたっぷり使ったカバーの下はこうなっていました。

フォントの説明よりも、それがどこで使われ、どのような効果を出しているかを主に写真で紹介したもの。テキストが少ないので、読むよりも鑑賞するといった感じになります。

もともとレタリングが好きで、教科書や書体字典を買って描いたり、中学校の時は新聞の広告や、包装紙からロゴを切り抜いて集めたりしていたので、そのころを思い出しました。

この本の記述で、Xの交差部分は線を少し細くしている、とか、ゴシック体でも"O"の上下と左右の線の太さは同じではない、とか書いてあって、「そうそう」と嬉しくなりました。

2011/01/03

人生の戦略とプロトタイプとプロセス

計画とプロトタイプ


ずっと前から読んでたんだけど、年末から元旦にかけて読み終えた。
デザイン思考が世界を変える―イノベーションを導く新しい考え方 (ハヤカワ新書juice)デザイン思考が世界を変える―イノベーションを導く新しい考え方 (ハヤカワ新書juice)
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この中に「人生をデザインする」という項があって
人生を「計画」するのと、人生を「漂う」のと、人生を「デザイン」するのとでは、大きな違いがある。
と書かれている。「漂う」は論外として、「計画」と「デザイン」ではどう違うのだろうか。

ここでは「計画」を次のように捉えているのだ。
あらゆる道のりをあらかじめ計画して、人生を過ごす人々がいる。どの大学に入学すべきか、どのインターンシップが出世の近道か、何歳で退職するか、あらかじめ決めている。そして、行き詰まったら、両親、代理人、ライフ・コーチの力を借りるのだ。
そして次のように続ける。
しかし、残念ながら、この方法はうまくいかない。そもそも最初から勝者が分っていたら、ゲームをプレイする意味などないに等しいのだ。
だからといって、ダイスを振るようなものではなく、やっぱりゲームだったら勝つことを目指すんだろう。勝つということは人によっては適切ではないので言い換えると、目的意識をもつことだ。

ここでティム・ブラウンはデザイン思考で用いる概念「プロトタイプ」を持ち出す。
人生をプロトタイプと考えてみよう。実験を行い、発見をし、視点を変えることができる。
人生のような答えが分っていないものに対して「計画」は不適切で、それよりも、試してみて良ければ採用し、さらに改良を加えて行く、悪ければ別の視点から取り組むほうが良いということだろう。

勝間和代の人生戦略手帳


ツイッターでフォローを始めたのをきっかけに、勝間和代オフィシャルメールマガジン (有料版じゃないやつね) をとっている。1月1日に来た年賀状メールには、『勝間和代の人生戦略手帳』の宣伝ページへのリンクが書かれていた。

これは、目標実現のための行動・実践を、手帳に書いた計画と、勝間さんから来るメール (有料版) による後押しを組み合わせることで確実に実施していくもののようだ。

それでは自分は


勝間和代さんのいうように、目標を設定して戦略を立ててというのは大事なのは分るけど、正直なところそういうのに抵抗のある自分がいる。長期的な目標を設定すること自体に抵抗があるのは、歳をとったせいなのかとも思う。また、今までいろいろなところに首を突っ込んでいくような生き方をしてきていて、例えばそれはブログであったりツイッターだったりする訳だけど、そのような生き方を否定したくないという思いもあるのだろうと思う。

目標を設定してそれにまっしぐらに向かわないことの言い訳みたいなところもあるのは、自分自身で理解もしているのだけれど。

計画して実行して...というPDCAをまわすということと、人生をプロトタイプと考えて実験を重ねる、というのはある意味では同じなのだろうけど、プロトタイプのほうがしっくりいく。それは、そう考えると失敗を容認しやすい、ということは冒険がしやすい、ということかもしれない。

という訳で、自分としては、どのような実験にトライするのか考えたい。また、その実験の選択も間口を広げておきたいと思う。求められれば引き受けるというスタンスをとるということだ。

あまり大きなことは達成できないかもしれないと思うけれど、少しでもよくなることを目指す、そのプロセスに人生の充実を見いだして行きたい。

そういうことを考えていたところに宋文洲さんのツイートが目に入った。

sohbunshu: 結果の多少よりも、自分の努力と実力で結果を得るプロセスが楽しい。「稼ぐのが簡単、使うのは難しい」の本来の意味だ。 (Sun Jan 02 23:02:30 +0000 2011)

また、次のツイートもプロトタイプの考え「視点を変える」に近いかと思う。

sohbunshu: 「人生のやり直し」とはできなかったことに拘ることではなく、違うことに意味を見出すこと。 (Mon Jan 03 00:40:48 +0000 2011)

2011/01/01

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。

今年の目標はブログ再開でしょうか。昨年8月にブログを中断して主にTwitter (@ryokan) にしか書いていなかったのですが、Twitterだとまとまったことを書けない以上に、残らないんですよね。書いた内容自体は別ブログに転送していて、読めるし検索もできるのですが (取りこぼしもあるようですが)、自分のなかで書いたことが残っていない感じ。一つの記事に複数の話題が混じっているし、一つの話題が複数の記事に渡って書かれている。整理されていない状態がそのまま残っていて、かたをつけずに先に行っている感が強いのです。

もちろんブログでも複数の記事に渡っている場合もあったし、結論は出せていないままのものも多いのですが、ブログでは投稿の時点でその時点の頭の整理は行っていて、その頭の整理を行ったということ自体が残っているということでしょう。

今後はTwitterで書き散らしたものをブログで整理するプロセスを定着させて行きたいと思います。いままでブログにもTwitterで書いた方がいい程度の記事も結構あった (「つぶやき」タグをつけています) のですが、そういうのは少なくなって全体に数は少なくなると思います。

場所に関しては、昨年8月からFC2、Typepad、VOXなどいろいろ試して見ているのですが、なにかしっくり来ないのですよね。exblog の使いやすさが忘れられないというか。そんな中、Microsoft Liveで提供されていたSpacesがWordPressに移行したので、これを機に新しいものに挑戦という意味を含めてこちらをメインにしていこうかと思います。

皆様、よろしくお願いします。