2007/05/26

松井冬子のインタビューが...

... 毎日新聞夕刊の学生ページ「キャンパる」に載っていました。

インタビュー・会いたい人 日本画家・松井冬子さん (リンク切れ)

松井冬子に関しては、以前"松井冬子を検索したら..."で書いているのですが、このブログの検索キーワードでずっと上位にあったのに、内容がなくてごめんなさい。申し訳ないのでこのインタビューの感想を書きたいと思います。
 松井さんの絵は「花鳥風月」の世界とは対極にある。内臓があらわになった女性の死体。長髪の幽霊はニワトリを手でつかむ。不思議な空間に妖気を漂わせた絵には心をかき乱される。しかし目を離すことができない。

"「日本画」なの?"で書きましたが、「日本画」=「花鳥風月」という構図は崩れているようですね。小瀬村真美は「花鳥風月」を扱っていますが、映像インスタレーションによる屏風絵でやはり既存の日本画とはいえません。
絵画で表現するのは自分自身だという。松井さんの絵の人物が女性ばかりなことについて「私は女性なので男性を描いても絵にシンクロすることはできない」と語る。

女性の横顔を描いた作品が載っていました。「完全な幸福をもたらす普遍的万能薬」 (大きな画像が、+ 花弁手帖 +「夜想耽美展オープニング」に載っています)。この絵をみて、「あれ、この絵って別の人の作品じゃないの?」と思いました。私が覚えていたのは、やはり小瀬村真美の「氏の肖像」で、私の勘違いでした。
ピカソが11歳の時に描いた女の子の絵を見て、本格的に画家を目指そうと決意した。「ピカソの絵って小学生から見たらメチャクチャでうまいと思えなかった。しかしその女の子の絵はびっくりするほどうまくて奇麗だった。絵の奥深さを感じた。一生、学び続けるならこれだと思った」
これは分りますね。私も中学生の時にパウル・クレーの子供の時の絵を見て驚いたことがあります。しりあがり寿もそうだったのだろうか。

「4浪してまで超難関の東京芸術大日本画専攻に入学した」というのも初めて知りました。「今年3月東京芸術大大学院美術研究科博士後期課程美術専攻日本画研究領域を修了」って今まで学生だったんだ。
「日本画は勢いで描くことができない。緻密(ちみつ)な計算と技術が必要です。一筆に覚悟を持たなければならない、そうした意味で日本画は武士道」と語った。
というのも魅力的でした。

この記事には載っていませんが、「ヴォーグ・ニッポン ウーマン・オブ・ザ・イヤー 2006」で、“圧倒的な活躍みせた”女性として選ばれていたんですね (→ 毎日新聞記事 (リンク切れ))。「+ 花弁手帖 +」さんの記事「ヴォーグ Women of the Year 2006」に松井冬子さんの写真とリンクが載っています。松井冬子さんのインタビューの動画もあります。

自衛隊がクラスター爆弾を保持している ...

... って本気で知らなかったので驚いた。

「クラスター爆弾は防衛に必要」 空幕長が明言 (asahi.com 2007年05月25日→ 魚拓)

核兵器と同じく、日本国内で使うことはあり得ない、それだったら保持する必要はないし、保持するというのはすなわち敵国で敵国民を攻撃することを意味する、と思っていたのだ。
田母神空幕長: 「クラスター爆弾で被害を受けるのは日本国民。国民が爆弾で被害を受けるか、敵国に日本が占領されるか、どちらかを考えた時、防衛手段を持っておくべきだ」 
久間防衛相: 「攻撃されて蹂躙(じゅう・りん)されるか、守り抜いた後で不発弾処理をした方がいいか。今の技術レベルだと、私は後者だと思う」
これらの発言はさらに驚いた。

攻撃されるとしたら、ミサイルか空爆かだとぼんやり思っていたのだ。一時的な被害があっても、それは一時的で、他国に占領されるということをイメージしたことはなかった。平和憲法を唱えていればそんなことは決して起こらないと考えていた訳ではなく、自衛隊は結構強いという言い方がよくされていてそれを信じていたのだ。しかし、防衛相が、「今の技術レベル」では蹂躙される可能性があると言っている訳で、自衛隊は結構強いというのは幻想ということになる。

それとも、だからもっと予算よこせ、というアピールなのだろうか。

追記: 同様のことは他国の人も言っていますね。クラスター爆弾:禁止条約結論出ず 日本は孤立 リマ会議 (毎日新聞 2007年5月26日)より
非政府組織(NGO)の連合体「クラスター爆弾連合」のコーディネーター、トーマス・ナッシュ氏は「信じがたい発言。日本を占領できるほど軍事力を持つ敵だったら、クラスター爆弾程度で撃退できるわけがない」と語った。

2007/05/25

量刑の軽減を主張するのは許せるけど...

... 殺意はなかったなどと主張するのは許せない。

山口・光の母子殺害:元少年側「傷害致死」 検察側「死刑が相当」−−差し戻し審 (毎日新聞 2007年5月25日)

事実
弥生さん(当時23歳)を強姦目的で襲い、抵抗されたため首を絞め殺害。泣き続けていた長女夕夏ちゃん(同11カ月)を床にたたきつけたうえ絞殺した。

弁護側の主張
弁護側は、独自に行った法医鑑定から殺意を否定。「弥生さんについては、騒がれたため口をふさいだら誤って首を押さえ続け窒息死させた。夕夏ちゃんについては、泣きやまないので首にひもをまいて、蝶々(ちょうちょう)結びにしたら、死んでしまった」などと傷害致死罪を主張。強姦目的についても「被害者に中学1年の時に自殺した母親を重ね、甘える思いで抱きついた」などと否定した。

どう言い換えても、殺すことが目的だったことは明らかだ。

だいたい、殺人の構成要件に「殺意」が含まれていること自体がおかしい。考えればどうなるか分るだろ、というか、考えなくても分るだろ。

なお、私は死刑自体は反対です。死刑反対を訴えるのは良いですが、その手段としてウソの主張をするのが許せないのです。

追記: 以前読んで頭に残っていた記事。私の文はこれらの記事が頭にあって書いたものということさえ忘れていました。申し訳ありません。

世に倦む日日さん: 「本村洋の復讐論と安田好弘の怠業 − 山口県光市母子殺人事件」
反米嫌日戦線「狼」さん: 「山口母子殺人事件についての安田弁護士の言い分」

あのさあ、俺思うんだけど

Twitterのマネじゃね?

なんだかなーと思いながら使い始めているみなさん:

不完全日記(すぷりーさん): とりあえず始めとこうか
で、最初のつぶやきはこれ
あのさあ、俺思うんだけど... なんで今までのこと忘れて、新しいサービスとりあえず使ってみちゃうんだろ。
追記: あのさあ、俺思うんだけど... ブログ書き始めて3周年の記事がこれだった。

2007/05/22

はしか流行

おはようございます。「恋ははしかのようなもの」って間違いだよね。だって免疫できないから... いやその、今の話ぢゃないよ。

毎日新聞 特集: はしか流行
はしか:都の西北に飛び火…学生や商店街に戸惑いや不安 (毎日新聞 2007年5月21日)

20日夕刊には、1989年から1993年に予防接種の接種率が落ちたと書いてありました。事故が続いたことが原因のように書かれていましたが、病気にかかるデメリットと比較する必要がありますよね。
追記 : ありました → 「知りたい:はしか拡大、大学生受難 予防接種敬遠の世代」(毎日新聞 2007年5月21日 東京夕刊)。

最初の子が生まれた頃、小児科医による本を買って勉強していたのですが、その中に予防接種を受けさせない親のことが書いてありました。「予防接種を受けなくても一旦かかれば免疫ができてそれ以上かからない」と聞いて「それならば自然にかかる方がいい」と言うそうです。なんか天然の方が体にいいという信仰みたいなものかもしれません。

mixiで知ったのですが、現代医学に対する不信感があり、ホメオパシーという「代替医療」と彼等が呼んでいるもの (「信仰」と言っていいのか「ビジネス」と言っていいのかよくわからない) があります。これについては別に書こうと思いますが、ここでは、投薬も避けているだけでなく、予防接種も避けるようにしているようです。

「予防接種とホメオパシー」の質問「お友達から確実に水疱瘡や風疹をうつしてもらう方法について」では、以下のような質問が出されています。
あと、麻疹パーティーという話があったかと思うんですが、昔、私の子どもも水疱瘡とおたふく風邪をお友達からもらおうと思ってそのお宅に行って2時間ほど遊んで、ストローでジュースの回し飲みをしたんですが、それでも、もらえなかったので(笑)、どのような状態で行くのがよいのか、疲れさせてから行くとか(笑)、今でも疑問なので、その辺を教えていただけたらと思います。
「麻疹パーティー」って... わざわざ子供に病気を移させるらしいです。

またこれとは別に、「みんなが予防接種を受けているから、その病気は流行することはない。それだったら予防接種を受ける必要はない」という身勝手な考え方もあるそうです。

mixiの[懐疑論者の集い-反擬似科学同盟-]というコミュニティで批判の書き込みが多くあって勉強になります。

2007/05/18

Get the Glass!

こんばんは。「賢い主婦はスーパーで手前に並んでいる古い牛乳を買う」なんていうやつは叩くよ!

それはともかくとして、Web Designingを見てたら、こんなサイトが紹介されていました。

www.gettheglass.com

ジオラマの中で模型を動かすグラフィック。ここまでできるのか。

メインのすごろくはいいんですが、とまったところで出されるミニゲームやクイズをやるためには、私の英語力では厳しいものがあります。

そういえば、クレイアニメでゲームを作った「クレイマン・クレイマン」を思い出しました。

追記: トラックバックをもらったらふぃさんのところにはスナップショットが置いてあるので、私も。下記はゲーム前に見ることの出来るAdachi家のプロフィールというか、容疑者プロファイルと証拠物件。息子のTad Adachi君は歯が悪くて、サンドイッチを粉々にしてピューレにしてストローで飲むそうだ。で、牛乳が必要だね!ということみたいです。


らふぃさんのところには、これまでのキャンペーンなど、いろいろ背景情報も分って面白いですよ。

2007/05/17

DoCoMo 2.0って...

... ふたを開ける前からがっかり感満載。

技術的には、革新的な進歩につながるネタはなさそうに思う。小さな新機能の集合体ではなかろうか。

サービス的には... これはちょっと予想がつかない。SNSみたいなものに直接乗り出すとか... それでもサプライズとはいえないなあ。また、全く新しいコンセプトかもしれないけれど、その場合ユーザが理解して飛びつくのには時間がかかると思う。

料金プランかも... 安くなるんだったら価値はあるけど、これもびっくり感は少ないと思われる。

iPhoneのパートナーは実はうちでした、っていうのだったら拍手だ。

意表をついてoPhoneだったりしたら... これはこれで拍手です。

新製品 902.0iシリーズ発表... 全米が泣いた。

まあこれだけ出したのだから、どれかは6億円あたるでしょ。

追記: ずっと前に出てたんですね。何のためのティーザー広告だ。
ドコモ夏野氏が宣言、「904iはDoCoMo 2.0、ドコモの反撃だ」 (ケータイWatch 2007/04/23)
でも何が反撃の戦力なのかよう分らん。

それから、今日グランドオープンだったんですね、DoCoMo 2.0 スペシャルサイト
CMにお金かけているのはよく分った。

追記: 参照なしトラックバックは拒否してるんだけどなあ。どうやって回避したのか。それともトラックバックしたあと参照を消したのか。謎だ。

2007/05/15

俺は、君のためにこそ死ににいく

見ないで批評するのはどうかと思うけど...

タイトル聞いただけでもうイヤ。
公式サイト

せっかく多部未華子も出てるのに。(← 「多部未華子 壁紙」で検索してくる人が多いので追記してみました。)

追記 (2007.6.28): 反米嫌日戦線「狼」さんのレビューのコメントに書きましたが、
この「君」は「君が代」の「君」
と考えると納得がいくな。

ところで反米嫌日戦線「狼」さんは、
本当は石原に金を落とすなんぞ真っ平ゴメン。しかしだ、世の中には「仕方なくても観なくてはならない映画」ってものがあるのだよ。
と書かれているのだが、私の記事は内容ではなくタイトルを批判しているので、勘弁してくだせえ。

追記 (2008.6.3):ぶんさんの「セクシーさに勝つ」という記事で、
私の世代だと、スティーブ・マクイーンの『大脱走』、ちょっと前だと、トム・クルーズの『トップ・ガン』の映画に象徴されるように、アメリカ人の中には祖国の為に立ち上がって。正義と平和の為に闘う軍服姿のりりしい姿に惚れ惚れとしてしまうような感覚が根強くあると思うのです。そういう姿の強烈なセクシーさが圧倒的な力を持ってしまっている、、、。 
日本も大東亜戦争の時は、そういうヒロイズム、セクシーさに踊らされた部分があったと思いますが、完膚なきまでに惨めな敗戦の惨状をくぐって、或いはそういう世代から直接話を聞いて育った世代には、戦争は悲惨で醜いものという意識があると思います。そういう世代でも例外はありますし、残念ながら親の世代も戦争を知らない世代には、戦争をヒロイズムでセクシーと受け止めてしまう世代も育ちつつあるようですが、、。
という記述がありました。

この映画もそういう狙いをもったものかもしれません。映画自体はあまりヒットしなかったように思いますが、感化された人がたとえ少人数でもいたかもと思うと残念です。私としてはこういう映画を見る価値もないものとして一蹴することで少しでもそういう風潮に歯止めをかけたいと思うのです。

2007/05/11

COURRiER Japonがリニューアル

こんばんは。クーリエと言えば、Remote Procedure Call (ってわかんないですか、すみません)。

創刊号買って、面白いと思いながらあまり(というかほとんど)買っていなかったCOURRiER Japon。2ヶ月前くらいに「月刊化のお知らせ」が出ていました (それまでは月2回刊)。

で、しばらく忘れていたのですが、今日駅の売店に出ていたので買ってきました。

新装刊32号 (Amazon.co.jpへのリンク)

特集は「世界が見たNIPPON」。COURRiER Japonらしく、最初の特集としてふさわしいテーマと言えるでしょう。あおりは「日本人がまさか読むとは思わなかった」だって。うまいね。

ウォールストリートジャーナルの「世界を駆ける新奇グッズは病んだ日本社会から生まれる」というのもよいのですが、やっぱり中国「環球」の『日本人のここが知りたい! 中国人による「105の質問」』が面白かったです。中国人が知りたい日本人に関するQ&A。

雑誌のほうには紙面の都合で24問しか載っていないのですが、サイトには全部載っています (と書いてあるけど今の段階ではまだ50問だけ)。

答の中には、的確なものもあります。っていうのはそうでないのが多くて面白い、ってことなんですけど。

これなんか面白いと思います。まだサイトには載っていませんが。
Q 日本の女子学生は、なぜ冬でもミニスカートを穿いてるんですか?
A 日本の教育では。厳しい環境にも耐えられる力を身につけるため、子供のときから体と精神を鍛えることが重視されています。
...
もちろん、おしゃれのためにミニスカートを穿く人もいます。
だってさ。ツッコミを入れながら読むと面白いと思いますよ。

おもしろい記事が多く、ひとつひとつは比較的短いので、ちょっとずつ読んでいっているうちに2週間経っちゃう感じだったので、月刊にして正解ではないかと思います。

2007/05/07

北米入植400年ということで...

... ナショナルジオグラフィックに載っていた下記記事が興味深かった。

植民地建設当時のアメリカ (ナショナルジオグラフィック 2007年5月号)

特に、入植者が (意図しないものも含めて) 持ち込んだ外来種によって生態系が変わってしまい、それが先住民の衰退につながったという部分。もちろん、入植者による開墾による直接の生態系破壊も書かれています。

外来種で興味深いのはミミズ。ミミズは、我々は土を豊かにしてくれる益虫 (虫じゃないか) と理解していますが、どんなものにせよ既存の生態系に組み込まれていないものは生態系の破壊者になりえます。
ミミズのいない森では、落ち葉は分解されずに地面に積もる。そこにミミズが持ちこまれると、ほんの数カ月で落ち葉を分解し、蓄えられていた栄養分が雨水で流されてしまう。北部の森で生育する低木は落ち葉から栄養を吸収しているため、落ち葉が分解されると若木も含めて低木がほとんど枯れてしまい、うっそうとした森は、木々のまばらな乾燥した森へと姿を変えた。
このミミズは、バラスト (底荷) として使われた土に入っていたと推測されています。
ミツバチは意図して持ち込まれたものですが、野生化し、大きな影響を与えたようです。
 ほとんどのミツバチは数種の植物の蜜しか集めないため、生息地は限定される。しかし、セイヨウミツバチは生息地も植物の種類もほとんど選ばない。そのため、持ちこまれた先でどんどん増えて巣箱からあふれ、南北アメリカ大陸のいたるところに広がった。
ミミズと違って羽があって移動、すなわち広がり方も桁違いですからね。

病原菌のしみ込んだ毛布を先住民にプレゼントするなんて話はここでは書かれていませんが、入植者によって持ち込まれたマラリアが先住民の反撃する活力をそいだということが書かれています。直接の原因で死に至ることはまれが体内に潜んで定期的に再発するとのこと。病気にかかるのは入植者も同じなのですが、入植者は毎年補充されるという点が異なり、次第に先住民の勢力が弱まっていったということです。

以前こんなマンガを読んだことがあります。
コロンブス: 「新大陸を発見した!」と喜んでいる。
先住民: 「ついにコロンブスに発見されてしまった!」とがっかりしている。

先住民にとっては厄災の始まりだったといえるでしょう。以前に比べてアメリカでは先住民の土地、生命、生活を奪ったことを反省する意識は出てきてはいます (ただ自分の祖先がおこなたものとして返還、補償までは考えていないようですが)。この「北米入植400年」をただのお祭りみたいな扱いにする気にはならないでしょうね。

点検で防げたのだろうか

こんばんは。連休も終わり。仕事のペース取り戻せるのだろうか。

昨日起きたこの事故に関して。まず亡くなった方のご冥福をお祈りしたいと思います。

コースター事故:脱線し1人死亡、19人が重軽傷−−大阪・エキスポランド (毎日新聞 2007年5月6日魚拓)

設置以来車軸を交換したことがないとのことですが、点検の時にどういう基準で交換することになっていたのでしょうか。1年点検を引き延ばしたことは問題にされているのは良いのですが、点検の方法によっては、ちゃんと行っていたとしても異常が発見され交換につながっていたかどうか分からないと感じました。

「分解して超音波や磁石を使った解体点検も行っていた」ということで、これを聞く限りでは丁寧な点検に見えるのですが、この車軸が超音波診断の対象であって、さらに超音波診断でどのような結果が出たら交換するか決まっていないと、安全確保につながらないと思います。点検方法にしても、最初に導入した時の担当者がずっとやっているならともかく、世代交代があったりするとそのノウハウがきちんと伝わっていないことも考えられると思います。

何か事件事故があった際に、表に出ていなかった企業のずさんさが暴かれることが多くあります。そういう場合だったらまだ
「きちんとやっていれば問題はなかったはず」
→ 「他の (きちんとやっている) 企業は問題ないはず」
という一応の安心は得られるのですが、今回はそれにあてはまらないような気がするのです。2月に行う予定の点検を3ヶ月ずらさなかったら今回の事故は起きなかった、とはとても思えない。言い換えると、他の絶叫マシーンでもいつ起こるか分らないのではないかと思うのです。

調査が進んでいない時点なので、上記の推論は適切でないところもあるでしょう。今後の調査に期待したいと思います。また、調査で問題点が明らかになった場合、他の施設でもその問題点がないのか自ら明らかにしていってもらいたいです。

追記: 他の事業者も同じように感じているんですね。
コースター事故:点検、遊園地任せ 安全教育も規定なく (毎日新聞 2007年5月6日 → 魚拓)
西日本のある遊園地は「もし法令通りに点検して事故を防げなかったのならば、今の自分たちの方法では安全と言いきれなくなってしまう」と原因究明を強く望んでいる。
追記: 車軸を交換していなかったのはここだけのようです。点検が形だけだったのか、点検では分らない劣化だったのかは分りませんが、少なくとも他事業者は交換する必要があると判断できていた訳で、その差異は問われるべきです。

2007/05/06

規格外日本語

こんばんは。連休も明日を残すのみ、ってもうただの土日って感覚ですよ。

新聞のバックナンバーを探していたら、こんなのがありました。全米が泣いた伝説の記事 (ウソ)。見逃してたなー。

規格外の新・日本語 鋭い観察力・表現ピタリ・思わず爆笑 (毎日新聞 2007年4月27日 東京夕刊 → 魚拓)

「ふとレス」は使えそうだ。「ふつうの子」はなるほどと思いますよ。「恋戦恋傷」、「どす恋」、「送り羊」は思わず吹き出しちゃう。

この記事で言及されていた「みんなで国語辞典!」、今度買ってみようかな。

みんなで国語辞典!—これも、日本語
「もっと明鏡」委員会 北原 保雄
大修館書店 2006-12

2007/05/05

なんで高校野球だけ?

ほかのスポーツではOKなのに、なんで高校野球だけ? と思っていたのですが、
特待制度:野球留学にメス入れる狙い 日本高野連 (毎日新聞 2007年5月3日)
他校の出す金額を引き合いに出して売り込みに訪れる親もおり、学費どころか、親の生活費、遊び金まで丸抱えで入学させたこともある。中学の硬式チームでも、強豪校とパイプを作って選手を送り込み、その実績をPRして小学生を集めるという。
「第三者」が介在し、金銭授受が行われている実態が浮かび上がった。
こうなってくると「特待制度」といえるレベルではないということなんでしょうね。

しかし、野球はずっと人気があるからそうなんでしょうけど、これは他のスポーツでも起こりうる話でしょう。高野連だけにまかせるのではなく、全体を統轄する組織で、「容認できる範囲」を規定すべきではないかと思います。

本文に関係ないけど、Googleのロゴとリンク (「なぜ高校野球だけ」の検索結果) をつけておきます。

追記: 検索したら、Yahoo! 知恵袋 「野球特待生に難癖をつける高野連に嫌気がさしました 高野連なんか脱退して、新たに...」の回答で、「高野連自体が高体連に入ればいいんです。」という回答がありました。本文で書いた「全体を統轄する組織」というのは、その「高体連」を想定していたのですが、この回答は「高野連」は「高体連」の下部組織ではないということを意味していますね。

で、さらに「高野連 高体連」で、調べたらこんな記事がありました。

高野連:特待制度の根絶へ 参事、高体連に方針説明 (毎日新聞 2007年4月28日)
野球以外の高校スポーツを統括する全国高等学校体育連盟
って。やっぱり野球は特別なんですね。もともと金銭がつきまとう温床があるからかもしれません。

もう少し見ていたら、うさぎのことば (雪うさぎさん) 「高野連と高体連」で、「高野連というのは高等学校の野球が始まって以来,それは戦前からの歴史がありそう。対する高体連は戦後の,高等学校制度から始まっている」と書かれていました。なるほどー。高野連のサイトで選手権大会(夏の甲子園)の歴史を見ると、昭和21年「全国中等学校野球連盟を結成」とありますね。戦後ではありますが。一方、高体連の歩みをみると、高体連は昭和23年設立で、やはり高野連の方が先のようです。しかしこの段階で高野連も統合してもよさそうなものですが、先に新聞社がバックについている高野連にとっては、一から作り上げていかねばならない高体連と一緒になるのは得策ではないと考えたのでしょう。

全然関係ないけど... しょこたん22歳誕生日だそうだ。

2007/05/04

庭木の剪定

ゴールドクレストが奔放に伸びてきたので、家族そろって剪定しました。というか、面倒くさがりの私は、みんながやっているので後から出て行ったのですけどね。


「処理中」って... 息子君の作品です。

憲法施行60年

こんばんは。特に旅行の計画などないのにうっかり9連休にしてしまいました。

今日は憲法記念日でした。憲法施行60年だそうです。

という訳で、先日放送されたNHKスペシャル「日本国憲法 誕生」を見ました。

憲法成立までの過程を描いたノンフィクションです。「アメリカ、GHQに押し付けられた憲法」という言い方が定着している日本国憲法ですが、その過程での日本人の関与が結構あったことがわかり興味深い内容でした。

GHQから与えられた憲法草案ですが、その前に日本人の間で新憲法に関する議論が行われており、その中で民間の研究会が発表した案が、アメリカ側も容認できる内容だったことが分かります。と言うよりも、この研究会の案がGHQの草案のベースになったのではないかとも思えるような内容でした。

政府案がなかなか出てこず、一方では極東委員会が組織化されると主導権はそちらに移るため、GHQは原案を提示します。その後は、日本政府とGHQの議論によって検討が加えられます。この中でも日本側からの意見が盛り込まれます。

一旦はそれが合意に達したものの、極東委員会のソ連、中国などの要求で修正が必要になります。ここでは、アメリカ側から日本への要求は、「極東委員会を納得させるために必要だ」ということがベースになります。日本に対して説得するような感じになっていました。国際社会で認められるために、日本が自ら選んだものとする期待が込められているようでした。

また、オーストラリアの要求で日本国民が憲法制定のプロセスに参加することが求められ、普通選挙が行われることになりました。これにより国会でも修正がなされることになりました。「戦争の放棄」に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という一節が加えられ、「これはただ与えられたものではなく、日本国民の意志である」という宣言が加えられたことが語られます。

このように、「与えられた」ではなく、(例えそれが国際社会から認められることを目的としていたとはいえ) 自らが参画して制定した過程を知ると、余計に愛着が湧いてきますね。

そういうプロセスは定期的に必要なのかもしれません。今後改憲のプロセスは政治日程に上がっていくのでしょうが、ただやみくもに護憲をいうのではなく、議論した上でやっぱり今の憲法がいいというようになれば良いと思います。ということを、天木さんの「真の改憲論議はまだ先の話だ」を読んで思いました。引用します。
国民の中に賛成、反対の議論が起き、酒場でも料理屋でも議論になる。そのくらい熱中しなければ出来ない問題だ・・・
今このような議論は避けられる傾向にあり、それが改憲でも同様...ということもあり得ることでその点は懸念事項ではありますが。

追記: 憲法施行60年に際し記事を書かれている皆さん
瀬戸智子さん 「憲法施行60年」

2007/04/25

ルート225

こんばんは。大後 寿々花です (ウソ)。

先日、レンタルビデオ屋にいって、せっかくだからテレビで放映されそうにないのをと思って探していたのですが、パッケージに書いてある説明を読んで借りてきました。

ルート225

なかなか学校から帰ってこない弟 (いじめられていたのだ) を迎えにいって、二人で帰ってくる途中にパラレルワードに入り込んでしまうエリ子。そこは、ほとんど同じだけど微妙に違う世界で、大きく違うのは両親がその世界にはいないこと。二人はもとの世界にもどるべくいろいろ試行錯誤を重ねる...

というような内容で、冒険活劇なのかと思っていたのですが、普通の町内で話は淡々と進むのです。両親のいない世界を冷静に受け止めるエリ子が不思議な感じを醸し出します。盛り上がりに欠ける展開なのですが、最後まで見てしまいました。

で、最後は、「え〜? これで終っちゃうの?」という結末なんですが、次の紹介ページをみると、もとの世界に戻ろうとする過程、心の動きを味わうものだったんだと納得しました。実際私も盛り上がりに欠けるといいつつも、最後まで飽きずに観ていた訳で。
ルート225 − 映画作品紹介

そのあとしばらくこの映画のことが気になっていました。そして、主演女優の多部未華子と言う人のことも。

テレビを見ていて、あれっ、この人と思ったのはこのCM
サントリー天然水 (南アルプス)
バスを待つ間ダンスの練習をしていて、バスが来たのにも気づかず踊っている女の子。この子でした。

そして、もしかして、この前NHKで放映されたドラマは... と思いました。
「すみれの花咲く頃」
HDDレコーダーに録って、ちょっとだけ観てそのままにしていたのを観ました。上記リンク先にもあるように、やはり多部未華子の主演でした。

多部未華子 オフィシャルサイトも見てみました。事務所の所属タレントの一人としてではなく、彼女ひとりのために、しっかりプランニングしてお金かけて作り込んでいます。期待の大きさが伺えます。

そうそう、市川実日子と洞口依子 (→ iWebを使ったHP!) を思い出しました。

2007/04/23

新市長田上氏に期待

こんばんは。夜中に目がさめちゃった。

統一地方選挙の後半戦終りましたね。私の地域では後半はなかったのですが、やはり長崎市長選がいちばん気になっていました。

長崎市長選:事件に配慮、万歳控え 田上氏 (毎日新聞 2007年4月23日 → 魚拓)

田上氏は、私にとって「伊藤市長が亡くなって急遽出馬したもう一人の人」という認識だったのですが、「長崎さるく博」の企画者だったのですね。

「さるく博」に関しては、以前「カステラ一番は何?」でふれただけで感想は何も書いていなかったのですが、市民からボランティアを募ってガイド役をやってもらうなど、広告代理店まかせではなく、市民参加型のイベントで、すばらしいと思っていました。ボランティアで参加した市民にとっても、ガイドする上で長崎のことをより知ることになっただろうし、より愛着が増したのではないかと思っています。

こうのような企画を出して成功させた人だったら、より市民に密着した市政を行ってくれるのではないでしょうか。短い選挙戦で信頼を勝ち得たのには、市民の信頼が基盤にあったのですね。

もちろん、平和への祈りを世界に発信してくれることにも期待しています。また、暴力、テロに対しては断固として排除し、それによって市政を曲げないことは言うまでもありません。

さて、今回の選挙で気になったのは、亡くなった伊藤前市長の長女で、今回落選した横尾氏の妻の優子さんの言葉。
 優子さんは「本当にありがとうございました。父伊藤一長はこの程度の存在でしたか。父は浮かばれないと思います。残念です。父の愛する長崎でこんな仕打ちを受けるとは思いませんでした」と声を詰まらせた。
「この程度の存在」とか「こんな仕打ち」とか、勘違いも甚だしいと思います。

「弔い合戦」という旗を掲げることで票を集めることを苦々しく思っていた、いやむしろ、政策や人物に対する判断よりもそういうことで票を入れてしまう人々にはうんざりしていたのですが、今回はそうならずに良かったと思います。いやもちろん私は横尾氏のことを知らないので市長として不適切だと思っていた訳ではありませんが、この優子さんの言葉を聞いて、そうならなくて良かったと確信しました。

最後にもう一度、田上氏の今後の市政運営に期待を表明してこの稿を終えたいと思います。

2007/04/18

許せん

まだ背後関係は分からないのですが、許せません。

長崎市長:銃撃され心肺停止…選挙事務所前 男を逮捕 (毎日新聞 2007年4月17日 → 魚拓)

このニュースを聞いて最初に思い起こされるのは、前の市長本島さんのこと。まだご存命だったんですね。

長崎市長銃撃:「2代続けて銃撃は異常」…本島・前市長 (毎日新聞 2007年4月17日 → 魚拓)

ここには書かれていませんが、本島さんは、天皇の戦争責任について言及したのでした。言い方は覚えていませんが、当然あると考えているということを表明したのでした。

長崎市長は平和を希求する人でないとなれません (以前の記事: 長崎市長という仕事)。どういう理由であれ暴力は許せませんが、このような暴力による言論の封殺は特に許すことができません。この前の加藤紘一氏の実家の放火に対して、マスコミの論調はあまりつよくなかったように思います。マスコミ同士の非難合戦などやっていないで、力を合わせて糾弾してもらいたいと思います。

追記: 日本中の人々の願いにもかかわらず、18日未明なくなられました。ご冥福をお祈りします。

2007/04/16

不思議な砂

おはようございます。大槻です (ウソ)。これもプラズマで説明がつくんですけどね... (ウソ)

YouTube: Magic Sand 
リンク切れなのでこちらを → ニコニコ動画 魔法の砂 Magic sand
Amazonで売られていた。→ Magic Sand【マジックサンド】  全6種セット ガチャガチャ魔法の砂 Magic sand

水に濡れる表面積を少なくするように集まる性質があるらしいです。

この団結力、見習わないとね。ぇ

2007/04/15

「フェミニズム」と「フェミズムのようなもの」

こんにちは。小山田ノンです (ウソ)。

前回の記事でちょっとふれた、「なぜフェミニズムは没落したのか」 (荷宮 和子) の感想。

1980年代の後半はバブルの時代で、最近は「バブルへGo!」なんて映画も出来て見直されているけれど、あまり肯定的な捉え方をされていないと思います。少なくとも私はこんな時代はおかしいと思いながら過ごしていました。そうそう、「新人類」なんて言葉もあったな。

しかし、この時代に働き始めた女性から見ると、がんばって働けば自立が得られる、そういう実感が得られた時代と肯定的に捉えられていことが語られています。それは、バリバリのキャリアウーマンがというのではなく、普通に生活を楽しみたい、おしゃれしたい、美味しいものをたべたい、普通のOLが、という意味で普遍性をもったものとして扱われています。

自分で働いて実力で自立する生き方が共有されていた。

これが、筆者のいう「フェミズムのようなもの」。

なぜ「フェミニズム」とわけているかというと、「上野千鶴子に代表される」フェミズムに対する嫌悪感がベースにある。私達はあの人達とは違うという感覚。
女を見下してやまない「大人男」と同様、80年代フェミニストもまた、「仕事はできるけれど、可愛いものになんか興味のない女」と「かわいいものが大好きな、仕事のできない女」とに分断しなければ、「女」という生き物を理解することができない類の人間だった。
という文に代表されると思う。

本来「フェミニズム」は女性全体のためにあるはずなのに、一部の女性にしか適用できないものにしてしまったことを批判している。リーダーならば本当は、私達になにをすべきか教え、私達をひっぱってくれなければいけなかったのに。

それに対するものとして位置づけているのが林真理子。働いて稼いで、自分の欲しいものを得て自分のやりたいことができる、そういうことを伝えてくれた。手本を示してくれた。

その意味で松田聖子も自分達の側に立つ人間として扱われている (先日NHKで松田聖子を扱ったドキュメンタリーをやっていましたが、自立する女性として同世代の女性から支持されていることが描かれていました。ちょうどこの本を読んだところだったので、タイミングがよかったな)。

さてこの「自立」だが、「風邪をひいたとき、一人暮らしをしていてよかったとつくづく思う」という文がでてくる。女性にとっては、実家では風邪をひいても気兼ねなく寝込むことができない、ということらしい。それまでは結婚しなければそういう立場を得ることができなかった。雇用機会均等法ができて、「実家から通うこと」が就職の条件から外れることで、手に入れることができた立場。男性にはあたりまえにあったものなので、気づかない視点だと思う。

これ以外にも、DCブランドに対する思い、「アンアン」派と「JJ派の違い、大人の女性に受入れられようになったキャラクターグッズ、少女マンガの傾向の推移など、男性では分からない分析が多く、その意味でも興味深く読めた。主張が散漫になるようにも見えるが、主張を支える意味で必要な部分なのだと思う。

これも主張に必要だったのだろうが、この本で流れているもう一つの対立軸は世代の差。フェミズムの没落の原因にフェミニズム派への反発があるのなら、「フェミズムのようなもの」は残っても良さそうではある。でもそうなっていない。団塊ジュニア以降には「がんばってもしょうがない」という価値観が流れているというのだ。

この原因はあまり分析されていない、というよりも私が納得できていない。私にはバブルがはじけて不況が続いているからという理由に思えるのだが、それだったら景気が良くなるとまた「フェミズムのようなもの」は復活するのだろうか (政府発表では不況を出して長い間上昇を続けているということなのだけど)。

筆者は「雇用機会均等法」の存在をあげている。ここは主張が分かりにくい点ではある。いくつもの観点が出てくるが、「雇用機会均等法」以降、女性の生き方が「結婚」をめざすか「仕事」をめざすかが、人生のいろいろな節目で選択を迫られるようになったこと。均等法を勝ち取った世代とあたりまえにあった世代の差。自分達の世代が女性が働くことの辛さをつらさを伝えすぎ喜びの伝え方が足りなかったのではないかという反省...

いろいろあるけれど、やっぱり次世代以降の姿勢を問題視している点が大きいように感じる。うーん、こう書くと「近頃の若いもんは」になってしまうのだけど。少なくとも、頑張っている自分と自分の世代に対する自負は好ましく感じた。

さて最後にこの本における男性の捉えられ方に関して。この本の初めの方では、男性と女性が同権でないことが、自分達が頑張ってきたモチベーションであることがわかる。それは「私より共通一次の点数が低い男よりも安い給料で働かなきゃいけないわけ!?」という言葉に代表されている。しかし最後になると「男自体がバカだから (戦争を起こす、差別する)」という論調に変わってくるのだ。
結局、私の本音を言葉で表現してみるなら、男女平等主義者でも女権拡張論者でも男女共同参画論者でも男性敵視主義者でもなくって、ただ単に私は、男性蔑視主義者であるに過ぎないんだなー
最初に書けよっ!

そういう意味で、殿方にはお勧めしませんことよ (← 女子かっ)。