こんな記事がありました。
japan.internet.com 2008年11月28日 IT は人類を突然変異させている?
・親指を使った高速タイプスキルに有利になるよう、手と前腕の筋肉が鍛え上げられた
・タイピングが誰でも出来るようになった。呼吸するのと同じレベルに順応した
・知識のアウトソーシング: HDDやインターネットにおくことで記憶を拡大する
・反復性ストレスへの耐性: 以前は2時間おきに休憩をとる指示をうけたが今は必要ない
・画面に対する耐性: 眼精疲労など問題にならなくなった (画面に依存する種になった)
・ポケット振動過敏:われわれの脳は、ガジェット類を体の一部だと思っている
-- 指し棒をもつと指し棒の先端までが自分の身体であると感じるという研究発表を聞いたことがあります。
・研ぎ澄まされた CG 処理知覚力:昔驚いたCGも今は途方もなく偽物のように見える
ケータイなど私自身にはあてはまらないところも多いのですが、眼精疲労など気にしなくなったという指摘などはなるほどどういえばと思います。
しかし、よく考えたらこれってITに限った話ではなく、技術の進展はいろいろな感覚を変えてきたことが分ります。特にスピードへの順応はよく分る例でしょう。生活の中の訓練によって順応する力を獲得してきたと言えるでしょうね。
その一方で失うものも多いのだと思います。暑さ寒さへの耐性は確実に落ちているでしょうね。
能力の退化に関しては、最近読んだ棚橋さんの文章を思い出しました。
DESIGN IT! w/LOVE 2008年11月02日カムイ伝講義/田中優子
日本の近代産業は、単純に機械が導入されたから成功をしたのではなく、その基礎にとてつもなく高い手仕事能力を有した職人たちが大量に存在し、彼らが機械を自らの仕事の助力として用いたから成功をおさめたのでしょう。さらに、「日本の社会自体がそれまで保持していた技術力による可能性(possibility)を失った」と指摘しています。
しかし、このことが誤解され、あたかも機械が手仕事に勝るというように考えられるようになれば、... 昭和2年に書かれた『工藝の美』で柳宗悦さんが「近代工藝の醜さは、機械が手工を助けず、手工が機械に侵されるところから起こる」と嘆いているように、職人のもつ高い技術力が機械の稚拙な生産力にとってかわられてしまうなんてことが起きます。
棚橋さんは別の記事、例えば「失敗を恐れ、労を嫌って、何を得ようというの?」でも、自分で取り組むことによって得られる感覚、能力を重視されています。