今日は沖縄復帰50年になるそうです。
毎日新聞 2022/5/15 沖縄、日本復帰から50年 米軍基地、低い県民所得…残る課題
今日は沖縄復帰50年になるそうです。
毎日新聞 2022/5/15 沖縄、日本復帰から50年 米軍基地、低い県民所得…残る課題
3月15日に、現在Bunkamura ザ・ミュージアムで行われているミロ展のブロガー内覧会が行われ、参加させてもらいました。
ミロ展 - 日本を夢見て - https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/22_miro/
開催期間:2022/2/11(金・祝)~4/17(日)※2/15(火)、3/22(火)は休館
開館時間:10:00-18:00(入館は17:30まで)
毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)
会場:Bunkamura ザ・ミュージアム 〒150-8507 東京都渋谷区道玄坂2-24-1
入館料(消費税込) | 当日 | 前売 |
---|---|---|
一 般 | 1,800円 | 1,600円 |
大学・高校生 | 1,000円 | 800円 |
中学・小学生 | 700円 | 500円 |
解説は学芸員の吉川貴子さん |
このためこれまでも日本文化の影響は言及されてきたそうですが、日本文化に詳しくない美術評論家の解説は、どうしても印象論で語られがち。今回は、様々な角度からミロと日本の関係を明らかにしています。
最初の絵は、ジャポニズムに感化された友人に囲まれて影響を受けたことを示すため、浮世絵を背景にした友人の肖像画から始まります。
《絵画 (カタツムリ、女、花、星)》は絵の中にテキストが書かれています。ミロは絵と文字を区別せず一つの作品に中に入れます。これは、日本の絵巻物など書画に通底する表現ということです。
《絵画 (カタツムリ、女、花、星)》 |
ミロの初期の作品には細い線が入るものが多いですが、《ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子》には、その細い線と書のような太い線が混在しています。
《ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子》 |
この黒背景も日本の影響だそうです。西洋では黒は影くらいにしか使われないということです。
その後も、禅の影響や民芸との関係を示す展示が並びます。《花瓶》は花瓶にしては巨大な作品です。これにもミロらしい模様が施されています。
《花瓶》 |
これは絵巻物。作品名も《マキモノ》です。左の木箱もかわいい。
《マキモノ》 |
7月8日、三菱一号館美術館で、「三菱創業150周年記念 三菱の至宝展」のブロガー内覧会に招待され参加してきました。
三菱創業150周年記念 三菱の至宝展 https://mimt.jp/kokuhou12/
会期:2021年6月30日(水)〜2021年9月12日(日)
会場:三菱一号館美術館 (東京都千代田区丸の内2-6-2)
時間:10:00〜18:00(最終入場時間 17:30) 祝日を除く金曜、第2水曜は21:00まで開館
休館日:月曜日 ※但し、祝日の場合は開館
観覧料:一般 1,900円 / 高校・大学生 1,000円 / 小・中学生 無料
三菱財閥由来の静嘉堂と東洋文庫の所蔵品をメインに、三菱経済研究所などの所蔵作品を加えたものになります。静嘉堂からは美術品が、東洋文庫からは古典籍が出品されています。静嘉堂の美術品は、岩崎彌太郎の弟で三菱第二代社長の岩﨑彌之助と、その子で三菱第四代社長の岩﨑小彌太によって収集されたものというのは知っていたのですが (過去の投稿「静嘉堂文庫美術館 明治からの贈り物」)、創業者岩崎彌之助とその子で第三代社長岩崎久彌による古典籍のコレクション、学術貢献のことは今回初めて知りました。2組の親子で指向性が異なるのが興味深いです。
今回12点の国宝が出品されているというのが売りな訳ですが、やはり曜変天目茶碗が一番の目玉だと思います (写真は特別の許可を得て撮影しています)。曜変天目は、藤田美術館と静嘉堂にそれぞれ所属されているもの、「なんでも鑑定団」で発見 (?) されたものの3つがあると言われていいます。藤田美術館のものは2015年にサントリ―美術館と、2019年に奈良国立博物館で見たのですが、静嘉堂のものは「静嘉堂文庫美術館 明治からの贈り物」を見ると「今回は出品されていません」とあって、見たことがあったような気がしていましたが、もしかして初めてかもしれません。
ブロガー内覧会だからとはいえ、誰も周囲にいない状況で鑑賞できるのは不思議な気持ちです。
この展示は最後の方にあるのですが、途中にある写真撮影コーナーでこんなアトラクションがありました。
フラッシュを焚いて写真をとると、曜変天目の模様が浮かび上がる仕掛けです。写真をとるまで左のパネルがかかっているだけなので、見逃しやすいと思います。私も最初「何これ?」と思い、説明を読んで初めて気づきました。
私はあまり古文書とかに興味はないので、静嘉堂の出品物の方にばかり目が行きます。下は俵屋宗達の≪源氏物語関屋澪標図屏風≫の澪標図 (前期のみの展示 / 後期は関屋図)。奥には橋本雅邦の≪龍虎図屏風≫が写っています。
そういう観点からいくと、以前見た「静嘉堂文庫美術館 明治からの贈り物」のほうが私に向いていたと思います。
そういえば静嘉堂文庫美術館は2022年に東京・丸の内に移転するのですね (静嘉堂文庫美術館の移転について)。所蔵物の保管は世田谷で行われるということで、展示するものだけが東京に行くようですが、どれだけの規模になるのか、曜変天目は常設展示になるのか、今から気になります。
元京都大学総長の長尾真先生が5月23日に逝去されました。ご冥福をお祈りします。
国立国会図書館の館長を勤められたり、文化勲章の受章など、長尾先生の業績に関しては、しっかりとまとめられるところがあると思いますので、ここでは個人的な思い出などを綴ろうと思います。
私が長尾研に配属になったのは昭和54年4月、4回生 (4年生のこと) になってからでした。正式名称は「有線通信研究室」だったと思いますが、当時は電気系学科の中で真正面からコンピューターを扱っていたのは、ここだけと言って良いと思います (別に情報工学科はありましたし、電気系学科の中でも研究の一環で取り組んでいるところはありました)。
長尾研は人気が高かったので、抽選になりましたが、私はなんとなく抽選に負けない予感がしていました。予感と言っても、落ちると宇治の原子力発電系研究室になってしまうことだけは避けたいという思いが、「負ける訳にはいかない」、「負けるはずがない」という根拠のない確信を生んだだけかもしれません。
長尾研では、おおきく画像処理と自然言語処理のテーマに分かれていましたが、私は大学受験においては英語も国語も得意だったので、自然言語処理の方を選びました。得意と書きましたが、潜在的に好きだったのだと思います。活用の種類があって、活用系があって、それぞれに後に繋がる語が決まってくるとか、文は主語と動詞と目的語、補語からなっていて、動詞も動名詞や不定詞や関係詞節で名詞の働きをすることができるので主語や目的語になりうる、というような言語を構造的に扱う、ルールベースの考え方がしっくりきていました。
その頃、長尾研を中心に言語学関連の若手の研究者が月に1度のペースで集まって発表を行う「対話研究会」という集まりがありました。田窪行則先生 (国立国語研究所所長)、山梨正明先生 (京都大学名誉教授) 等がいらして、当時はまだ学生だった三宮真智子先生も話をされました。他の分野の話は、当時はほとんど理解できていなかったと思いますが、それでも面白く、毎回楽しみにしていました。理解できていないながらも、ambiguityとvaguenessの違いとか山梨先生の比喩の話など、今の私の知識や興味範囲を形作るパーツになっています。当時は「学際」という言葉も知りませんでしたが、長尾先生はその重要性を早くから気づいておられ、それを実際に行う環境を用意されたのだと思います。
この会は私が卒業後も続いていて、形式は変わっていましたが、1988年にATR自動翻訳研究所に出向したときに参加したことがあります。
それから、情報工学科の西田豊明先生のところとも交流があり、モンタギュー文法の連続レクチャーに参加させてもらったりしました。
大学、大学院時代はこういう環境にあったのにもかかわらず、就職の段階においては自然言語処理を仕事で続けていこうとは考えていませんでした。ビジネスにおいて機械翻訳というアプリケーションはあったのですが、当時は精度が100%でないと結局人が全部見ないといけなのだから使えないという考え方に対して有効な反論がなく、先が見えない感じがしていたのです。
在学中に当時ゼロックスパロアルト研究所 (PARC) の研究者だった鈴木則久氏のお話を聞く機会があり、そこで話されたAltoとネットワーク環境にあこがれて、当時の富士ゼロックス (現富士フイルムビジネスイノベーション) を就職先として選びました。当時の富士ゼロックスでは、自然言語処理をやってないことは知っていましたが (後で考えるとかな漢字変換はあった)、それよりもこの新しい計算機環境に魅力を感じたのです。
入社後は希望通り、システム系の技術部門に配属になりました。自然言語処理は離れたつもりでしたが、そこで自然言語処理をテーマにしようという話が出てきました。
当時長尾研を中心に大手電機メーカー各社が参加するMuSystemという機械翻訳のプロジェクトがあり、富士ゼロックスも参加することになりました。またその後、NTTを中心に多くの企業から出向者を集め、ATR国際電気通信基礎技術研究所という研究所が設立されました。先に触れたATR自動翻訳電話研究所はその一つで、私は遅れて1988年から3年間出向しました。
1991年に出向から帰った後も自然言語処理の研究を続けることになり、推敲支援や要約などをテーマとしていました。その後研究で取り組んだ検索と要約を商品化することになり、開発部に移りました。検索と要約の商品化後はうまく次に繋げられず、私はいったん自然言語処理から離れることになります。
仕事上では自然言語処理から離れたものの、心は離れることができず、休みをとって自然言語処理関連の学会やシンポジウムに出たりしていました。特に長尾先生が招待講演をされる時にはできるだけ参加しました。
2008/07/23 音声・自然言語に関する研究開発プロジェクト MASTARプロジェクト キックオフシンポジウム (PDF) 基調講演「これからの言語処理の課題」
2010/02/24 第1回産業日本語研究会・シンポジウム 基調講演「産業日本語を育てよう」
-- 「産業日本語」は、機械翻訳の翻訳対象として翻訳に優しい制限言語。曖昧さが少ない書き方なので、日本語が十分習得できていない外国人にも適している。
2010/03/18 第9回京都大学学術情報メディアセンターシンポジウム 「カルチュラル・コンピューティング」基調講演「文化とコンピュータ」(動画)
-- ここでは書道に触れられている。先生はもともと字に関してはお世辞にもお上手とは言えなかったのだが、その後習字を学んでいると噂で伺った。下の写真の一番奥は先生の書の作品集。
-- この中で、「知」、「情」、「意」の関係にも触れられている。これまでの「知」の時代から21世紀は「情」の時代になるという位置づけ。この時は既に21世紀に入っているが、この話は1993年長尾研究室20周年記念の講演で既に述べられていた。
-- 知識が我々を豊かにする。Through knowledge, we prosper.
-- この時は京都吉兆の徳岡氏のお話が面白かった。料理と料理の間のお酒は口の中の味をリセットする。長尾先生はお酒を召し上がらないので、リセットのためにご飯を求められた。途中途中にご飯を食べるとそれでお腹がいっぱいになるので最後まで楽しんでいただけず、困った。
2011/02/05 知の構造化センター シンポジウム 基調講演
講演アーカイブ
Toggetter 知の構造化センター シンポジウム
2011/03/02 第2回産業日本語研究会・シンポジウム 基調講演「知識インフラと日本語」
-- 日本は情報に疎い。情報を分析するチームを各国持っているが、日本は弱い。「知識インフラ」はこういう問題意識から出ており、課題に対してこれまでの研究を知ることができるものを目指している。構造としては、知識データベースをつなぐもの (ゆるいつながり)。
2011/05/24 講演会「あらゆる知識へのユニバーサルアクセス」 @ 国立国会図書館
-- 長尾先生の講演ではなく、国立国会図書館と提携することになったインターネット・アーカイブのブリュースター・ケール氏の講演。→ 国立国会図書館月報 608(2011年11月)号
2011/11/23 情報処理学会自然言語処理研究会 招待公演「電子図書館と自然言語処理」
-- 午後に嵐山で喜寿お祝い会が行われる日の午前中に行われました。
「情報学は哲学の最前線」 (2019年) 京都大学学術情報リポジトリ紅 PDF
NTT-DATA - Data Insight 2018.9.6 事例&対談 長尾真(情報工学者)新井紀子(数学者)
研究の背後に、哲学、数学の深い知識とそれを現実の課題と結びつける力があることが分かる。第3次AIブームの先に残る課題「意味」への取り組みにますます必要になるものではないか。 / “長尾真(情報工学者)新井紀子(数学者)|INFO…” — R. Yoshihiro Ueda (@ryokan) September 12, 2018
2020/04/24 4月からの大学等遠隔授業に関する取組状況共有サイバーシンポジウム (第5回)長尾 真 元京都大学総長「危機に直面して」動画 / テキスト(PDF)
-- 先生のお父様の話「長い人生には必ず二度三度か予想もしない厳しい状況に晒されるのだ。このときにどう振る舞うかがその人の価値を決めるのだ」を引用し、こういう時はものごとの本質についてよく考える貴重なチャンスである、古典を読んだり、音楽で心を豊かにしよう。
長くなってしまいました。表題の「学び続ける姿勢」についてまとめておきたいと思います。最後の「危機に直面して」でもわかりますが、どんな時にも学ぶことを重視されていると思います。先生が我々に見せてくれた姿は、情報科学以外では、書道であり、哲学であり、文化です。国立国会図書館の館長という職は、私は最初名誉職と思ったのですが、図書館のデジタル化に関して著作権法の改正に政治家を動かしたり、インターネット・アーカイブからWebのアーカイブを購入したり (ただで集めたものになんで金を払うんだという抵抗がきっとあったと思います)、常に社会をよくしていこうとする姿勢もなかなか真似ができないことと思います。
いや、確かに仕事の大きさや、影響力は真似はできないと思いますが、学び続ける姿勢、チャレンジする姿勢は、我々でも学べるのではないか。今後も折に触れ、先生のことを思い出すことだろうと思います。先生だったらこの場合どのように考えられるだろうか、どのような決断を下されるだろうか、そうやって思い出していくことで、亡くなった後も先生が我々を導いてくれるのだろうと思うのです。ここで「我々」と書きました。私だけでなく、多くの人たちがそんな思いを抱いていると思います。
Cons table というとcons cell の拡張かな?と思うよね、フツー。いやいやここはConstableですから。
ジョン・コンスタブルは19世紀はじめに活躍した英国の風景画家です。ターナー (→ 過去の投稿「ターナーとサブライム」) と同時期の人なんですね。
三菱一号館美術館で開かれているコンスタブル展のブロガー内覧会に参加させてもらいました。
この頃風景画は「ピクチャレスク」(絵になる) 題材が好まれていましたが、コンスタブルは自分の生家がある農村地帯の絵を中心に描いています。題材が平凡なのと、風景画自体もは歴史画などより低くみられていたため、生計のために人物画も描いていました。
彼は、光を感じ、表現するため、屋外での絵画制作を重要視していました。油絵の制作、特に大型のものには道具が水彩に比べてかさ張りますが、父親の製粉工場に道具をおくことができたり、父親がアトリエを郊外に借りてくれていたり、その点では恵まれた環境だったと思います。のちには船で川を移動しながら描くこともやっていたそうです。
右は展示の様子。絵と共に絵を拡大した布がアクセントになっていて、単調な展示になるのが避けられています。写真は特別の許可を得て撮影しています。
同時代の作家の作品も併せて展示されています。下はターナーの作品群。
評価が高くなってくると、展覧会に出展して評判を得るための大型の作品を制作する一方、購入しやすく一般の家庭でも飾りやすい小型の作品 (「キャビネ・サイズ」) も描いていたというのは、微笑ましいお話ですね。結婚して子供もできて、養う必要が出てきたので、人物画もコンスタントに描いていたということです。右は《ジェイムズ・アンドリュー卿》と《ジェイムズ・アンドリュー夫人》。またピクチャレスクな題材も制作するようになりました。ブライトンはリゾート地で以前は俗っぽいと避けていましたが、《チェーン桟橋、ブライトン》(写真右) で取り上げた時には、以前からそこに住んでいて仕事をしている漁民も併せて描いています。その点は他の作家と一線を画すところだと思います。1932年のロイヤル・アカデミー展で、コンスタブルの《ウォータールー橋の開通式(ホワイトホール階段からの眺め、1817年6月18日)》(右) は、ターナーの《ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号》(左) と並べて展示されました。その頃展示会直前に「ヴァーニシング・デイ」という最後の手直しをする期間が設けられていたのですが、ターナーは、コンスタブルの作品に比べて地味だった自作の右下の方に赤いブイを描き加えました。コンスタブルの「ターナーはここへやってきて、銃をぶっ放していったよ」というコンスタブルの発言が勝者の余裕を感じます。以下展覧会の情報です。
テート美術館所蔵 コンスタブル展
https://mimt.jp/constable/
場所: 三菱一号館美術館〒100-0005 東京都千代田区丸の内2-6-2
会期: 2021年2月20日(土)~5月30日(日)
開館時間: 10:00〜18:00 (金曜日の夜間開館は3月中は中止中)
休館日:月曜日 (※但し、祝日・振替休日の場合、会期最終週と2月22日、3月29日、4月26日は開館)
⼊館料・当日券: 一般1,900円、高校・大学生 1,000円、小・中学生 無料
Composition with Red, Blue and Yellow (WikiArtより) |
オンラインチケット | 当日窓口チケット | |
---|---|---|
一般 | 1,500円 | 1,700円 |
大学生 | 1,100円 | 1,300円 |
小中高校生 | 無料 | 無料 |
障がい者手帳をお持ちの方 | 無料 | 無料 |
先日、「SDGs・ESG×レゴ®ワークショップで、これからのビジネス思考をつかむ!」というワークショップがあり、その基礎編第二部に参加しました。
最初にSDGsの説明があり、その中で「エコロジカルフットプリント」という話がありました。エコロジカルフットプリントは、現在の地球上の人間の生活を支えるために必要な面積。2019年は地球1.7個分だった。2020年はパンデミックのせいで経済活動が停滞したため少し改善したが、地球1.6個分にあたり、持続可能というのは程遠い状況にあります。なお、WWFの資料2019年版 (PDF) を見ると、もし世界中が日本人と同じ生活をすると地球2.8個分が必要だそうです (アメリカ人では5.0個)。
* SDGsの説明:外務省 JAPAN SDGs Action Platform
このワークショップでは学んだことをレゴで表現します。
まずは自己紹介でウォーミングアップ。「今の気分」、「Myヲタク要素」、「私の仕事」をレゴで表現します。最初の2つはブロック1個だけ、最後の「私の仕事」は複数使って組み立てても良いというルールです。私は、
次のワークは、自分の価値観を伝える。「お金」、「友人」、「名誉」をそれぞれ青、赤、緑のブロックで表し、紙の上に配置してそれらの優先順位を伝えます。「伝える」前に、普段はそういうことを考えていないので、自分の価値観を見直すことから始める必要なあると感じました。私の場合、お金は大事だと思っていますが、今は生活に困らない状況なので、低いというより基礎として下におき、その上に友人と名誉を並べておきました。名声は必要ないけれど、友人を失っても守るべき矜恃があると思って、友人と名誉は横並びです。
次のレクチャータイムでは日本のSDGs達成状況について、参加者に問いかけがありました。日本で達成できていない5つのゴールは何か? 多くの人は「目標5 ジェンダー平等」は正しく挙げられていましたが、それ以外は少し正解率が落ちるようでした。その他は、「目標13 気候変動」、「目標14 海の豊かさ」、「目標14 陸の豊かさ」、そして「目標17 パートナーシップ」です。ODAの実績は、総額では世界4位ですが、国民一人当たりにすると18位なんですね (参考:外務省 ODA実績 (令和2年3月27日))。総額も2000年くらいまでは1位だったのですが (参考:外務省 日本のODAについて)。
今日のメインのワークは、現状をレゴで表現するもの。言葉で表現すると抽象化されたきれいごとの表現になってしまって、その後の対話が進まないそうです。作品制作後それぞれが説明するのですが、その時にグループのそれ以外の人から質問を受けます。答える時のルールとして「なんとなく」とかはダメで、必ず理由を答えなければいけません。その時にまた自分がなぜそれを選んだのか考えることになるのです。
私が作成したのは、ゴミの山の中でゴミを拾って生活している少年。
学校にも行けず、ゴミの中から金になるものを見つけて生活費にします。何が捨てられているかわからないので、怪我の危険性もあります。SDGsでいうと、「目標1 貧困をなくそう」、「目標3 健康と福祉」、「目標4 教育」につながります。
この中の旗は希望です。この環境の中でも、ここは自分の場所だという主張です。そしてここから出ていくことを夢見ている、という想定です。花も希望かと問われたのですが、その解釈もいいのですが、どんなに美しいものもゴミ捨て場に捨てられたらゴミになってしまうということを表すために入れました。
最後のレクチャーはビジネスとの関係です。これまで社会貢献は企業の余裕を示す程度の扱いでした。余裕がなくなると真っ先に切られる。しかし、持続可能な社会でないと企業も持続できません。持続可能性に投資することは企業の存続にも意味があるのです。また、持続可能性を重視する消費者が増えれば、ESGを重視する企業の製品・サービスを選ぶでしょう。
投資会社BackRockのCEO ラリー・フィンクがLarry Fink Letterの中で、持続可能性を重視する企業へ投資する方針をあきらかにしました。先日YAMAPのブランドリニューアルのお話を聞きましたが、単なるロゴのリニューアルではなく、企業のビジョンから変えるという話の中で、このラリー・フィンク・レターのことが言及されていました。
21_21 DESIGN SIGHTで、「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」が開催されています。自然言語処理関係者だったら開幕即行くぐらいの勢いでないといけないのですが、昨日、要約、いや、漸く行ってきました。
企画展「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」
http://www.2121designsight.jp/program/translations/
会期:2020年10月16日(金) - 2021年6月13日(日)
会場:21_21 DESIGN SIGHT ギャラリー1&2
休館日:火曜日(11月3日、2月23日、5月4日は開館)、年末年始(12月26日 - 1月3日)
開館時間:11:00 - 17:30(入場は17:00まで)
入館料:一般1,200円、大学生800円、高校生500円、中学生以下無料
最初に企画説明があります。この展覧会では、「翻訳」を「理解して、相手がわかる言葉にする」というプロセスだと捉えています。人間が見たものの説明をしたり、自分が考えていることを表明したりする場合も、見たもの/考えていることを取捨選択し、表現する適切な言葉を選ぶところから始めなくてはいけません。そこでの選択ミスは「誤訳」ということになります。聞いたことを人に伝える時にも、録音機のように聞いたことをそのまま伝えることはできないので、要約したり別の言葉で言い換えたりすることが発生するので、同じ言語でも誤訳が生じます。
言語間でなく、この展覧会は様々な非言語の変換を題材にしています。「オンテナ」は音を振動と光に変換し聴覚障害者が音を感じるのを助けます。「見えないスポーツ図鑑」は競技中のアスリートの感覚を感じることを目指しています。さらには「Human × Shark」の研究の先には匂いを媒介としたサメとのコミュニケーションができる未来があるかもしれません。
各展示には持ち帰れる説明シートがあります。片面は日本語、片面は英語です。
展示の中には体験型のものも多くあります。最初の グーグル・クリエイティブ・ラボの「ファウンド・イン・トランスレーション」もその一つ。展示スペースの中央にマイクがあって、画面に表示される質問に答えると、分析の様子がグラフィック表示され、各国語に表示されます。
私は「昨日見た夢はなんですか」という質問に対して、「このコロナ禍の中、みんなを連れて旅行に行ってきました」と言ったつもりでしたが、「この頃、中野中みんなを連れて ... (このころなかのなかみんなをつれて)」と聞き取られ、「中野の全ての人を連れて ...」みたいに翻訳されているのがご愛嬌。後ろのパネルには転移学習の説明があります。
一つの言語から学べることは、あらゆる言語に適用できる。
これまで見たことのない言語であっても、ある言語の知識があればコンピューターは別の異なる言語を理解できることを研究者たちは発見しました。この発見により、ほとんど知られていない言語や遠隔地の言語、さらには絶滅の危機に瀕している言語でも翻訳が可能になります。
ってざっくり説明しすぎだろ。
エラ・フランシス・サンダース「翻訳できない世界の言葉」は、文字どおり翻訳が難しい語を集めたもの。絵本として出版されているものからの抜粋なんですね。日本語からは "TSUNDOKU" (積ん読) などが採録されています。ティム・ローマスの「ポジティブ辞書編集」も同様に翻訳不可能な言葉を集めたものです。これは感情を表す言葉なので余計に翻訳が難しそうです。一方で感情は人類に共通する部分も多そうですから、ある言語のある感情を表す言葉が国際共通語として広まる可能性もあると思います。
和田夏実+筧康明の「…のイメージ」はジェスチャーを画像に変換します。具体的にはふんわり包み込むような動きをすると、正面スクリーンに雲が生まれ浮いて流れていきます。また、手を上下に揺らすと雨が落ちてきます。
永田康祐の「Translation Zone」の翻訳対象は言語ですらなく、日本で揃う食材を使って外国の料理を作るもの。レヴィ=ストロースの料理の三角形 (全ての料理は、「焼く」、「煮る」、「薫製」の3頂点の三角形の辺のどこんかに位置付けられるという説。その後「油:揚げる」が加わって四面体になる) に従えば、全ての国の料理が再現できることになる。ただし手に入れられない材料があるので、そこは「誤訳」が生じることになる。
[検索したら、日本調理科学会誌の記事がありました。]
東南アジアのチャーハン的な料理と焼うどん的な料理を作っていましたが、美味しくできたようです。もととは違うものではあるのでしょうけど、もととどう違うかはわかりませんよね。でもこれは言語の翻訳でも同じようなものです。
自国の材料で他国の文化を再現するということで、以前日本語ラップを「文化翻訳」という視点で考えた「ラップの文化翻訳」を思い出しました。
オンラインでトークイベントも何回も行われていたんですね。もっと早く気づくべきでした。
2020年はたいへんな年でした。おかげであまり展覧会やアートイベントにいけていませんし、この投稿も遅くなってしまいました。
年末から年始にかけ、新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) に罹患、入院していました。罹患から退院までの経緯を報告します。
2020/12/24
「日本を取り戻す」というスローガンは、「民主党から取り戻す」という意味で捉えられている人も多いと思うが、この7年8ヶ月のことを見るともっと大きな意味があったのだと思う。
それは、「戦後民主主義で国民の手に渡った主権を、取り戻す」ということであろう。
それは安倍政権のスローガンというよりも、日本会議などの旧来の価値観をもつ人々の悲願であったと思う。その最たるものが憲法改正で、自衛隊の明文化だけでなく、天賦人権論の否定など、国家を縛るのではなく国民を縛るものにするというのが基本的な考え方であろう。
憲法自体は安倍首相の任期中には変えられなかったが、現憲法の軽視は進んだ。安法法制での解釈改憲や、「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」という憲法53常に基づく臨時国会の召集要求を無視してきた (衆議院 憲法第五十三条に基づく臨時国会召集に関する質問主意書)。
また、法律も無視し続けてきた。モリカケ、桜の会はそのプロセス中の法律違反だけでなく、それを正当化するために、文書改ざん、文書破棄も行われてきたし、東京高検黒川検事長の定年延長において法律の曲解が行われたのも記憶に新しい。
この意味で、「最悪の内閣」と言えるだろう。
そして、「最低の内閣」でもあった。国会でのヤジや、ウソ、誤りを認めず謝罪しない姿勢、はぐらかし答弁など、国会の品位を落とし続けてきた。安倍首相がやっていいんだったら他の議員もそれにならう。「ご飯論法」はその最たるものだろう。与野党の質問時間割合を変更し、大幅に与党よりにしたことで、質問よりも「首領様を讃える言葉」みたいな内容のものが多くなり、国民の声は届かない。
このように、この「最長最悪最低」首相のもとで憲法改正は達成できなかったものの、「日本を取り戻す (国民から)」は着実に進んだ。
次の自民党総裁が誰になるかわからないが、この状況を反転させ、「日本を取り戻す、国民の手に」ということを進めて欲しい。まずは福田元首相が導入した公文書管理の仕組みを再整備して欲しい。骨抜きができないように。
毎日新聞 2020/08/30 安倍政権の「大きな罪」 野党が批判する「ご飯論法」、閣僚まで広がる
今の時点でいるのではなく、マスコミは毎回適時「またはぐらかし」「これで何回目」と見出しにあげる必要があったと思う。
前日、それから当日の朝まで続投の観測が流れていたので、安倍首相の辞任表明は正直なところ驚いた。
毎日新聞 2020/8/28 14:19 安倍首相、辞任の意向固める
毎日新聞 2020/8/28 17:18 安倍首相が辞意表明「職を辞することとした」潰瘍性大腸炎が再発
病気という理由は非難すべきことではないし、潰瘍性大腸炎というのは難病ということは理解できるが、このために批判がしにくい状況にある。私も病気自体を批判するつもりはないが、安倍首相のこれまでの政治姿勢を批判する上において、「病人を病気を理由に批判している」と読まれてしまうことには覚悟が必要と考えている。
本当の理由は前回と同様に政治的環境に耐えられなくなったのだと思われる。与党が国会で過半数を占める状況下での政権運営が長く続き、野党がどれだけ批判しても思う法案を通すことができ、不祥事に対する批判も自身は矢面に立たず、担当官僚に対応させてきた。国会答弁だけでなく、公文書破棄、改ざんなども自分では直接手を下さずにすませてきた。国会を解散し選挙で勝てばそれらの問題は解決したことになってしまう。今回新型コロナウイルス対応はそういう手法が使えず、これまでにない局面だったと思われる。
本来はもっと早くやめることもできたのだと思うが、やはり最長連続在任記録更新を達成したかったのではないか。その間できるだけ矢面に立たないようにということを第一に考えていたのだろう。臨時国会開会を拒否し、記者会見も行わないようにしていた理由はわかる。一方で「連続勤務」と、甘利氏など周辺の人々を使って仕事のしすぎというアピールを行ってきたが、これも今回の辞任の布石だろう。
安倍首相は、不祥事だけでなく、憲法や法律を無視/軽視する姿勢、ウソ、国会での野次など品性の低さなど、日本の国を代表するポジションに立つ人物としてふさわしくない人物だった。そういう意味では、後任の人は安倍氏よりもましな可能性は高く、今回の辞任は日本の国にとってはプラスになるといえる。しかし、本来は国民の手で審判を下せる場面は多くあったが、今やその機会はなくなってしまったと言える。今後「志半ばにして病に倒れた」という悲劇のヒーロー的な物語が語られ、批判が不十分なまま終わってしまうことを危惧する。
昔、柔道の斉藤仁選手は打倒山下泰裕選手を目指してきたが最後まで勝てず、その山下選手が引退して初めてトップに立つことができた。そのときの斉藤仁選手の無念さはいかばかりかと思う。私は今そんな心境だ。とても「祝・安倍首相辞任」という心境になれない。
追記: 「なぜ我々は安倍政権を選び続けてきたのか」を説明する記事がありました。
現代ビジネス 2020/08/29 安倍総理、辞任。日本の政治を「空洞化」させた政権の7年半
(5ページ) 安倍政権を支えたのは、スローガンと現状維持だった。そして、有権者は、スローガンを叫びながら、実際には何も変えない内閣を選んだ。
それは、危機のときに日本がたびたびとってきた手法だ。実際の数字には目をそむけ、ドラスティックな改革を避けることで、多くの支持者は安心した。つまりは、「ゆるやかな衰退」を我々は選んだのだ。変わることを「混乱」ととらえ、変わらないことを「安定」ととらえた我々有権者は、安倍政権を「安定した政権」と評価した。
ヨコハマトリエンナーレ2020と同様、ここも日時指定の鑑賞券が必要です。私は年間パスを持っているので、月曜日のお昼ごろは枠がたくさん空いていることだけ確認して、当日枠で入れるだろうという予測のもとに予約をせずに行きました。
年間パスを持っているといっても、6月に切れているので、今回の新型コロナウイルス対策で閉館していた期間の延長をしてもらいます。閉館は3か月程度だったと思いますが、5か月延長してもらえます。11月まで有効期限が伸びましたが、このSTARS展は来年1月まであるので、次の展示会も行ける、という訳ではありません。
今回 Stars という訳で、現代日本美術を代表する6名のアーティストのグループ展になっています。
村上隆《Ko²ちゃん(プロジェクトKo²)》 |
村上隆《阿像》 | 村上隆《吽像》 |
李禹煥《関係項—不協和音》 |
草間彌生《ピンクボート》《無題 (金色の椅子のオブジェ)》《トラヴェリン・ライフ》 |
宮島達男《「時の海—東北」プロジェクト(2020東京)》 |
奈良美智《玉葱王子》など |
文化功労者として、これからも国威発揚を文化を通じて行っていく所存でございます
私はこのコメントを読んで「幻の東京オリンピック前夜のようだ」と感じました。