ポール グレアム Paul Graham
「ハッカーと画家」を読んでいるのだけど、その中に格差を肯定する論を述べた章がある (補足: このポール・グレアム「ハッカーと画家」はすごく面白い本です。計算機オタクには特に)。
・格差がある社会の方が社会全体で豊かだ。格差のない国の上層は格差のある国の下の層より貧しい。
このベースには、富が一つのパイであって格差はその切り方で生じるものという考え方ではなく、富 (これはお金に限らない) は新たに産み出せるものであって、富を多く産み出した人が上に伸びることによって格差が生じているという考えかがある。さらに、新しく産み出された富の多くは世の中全体にもたらされるものという認識による。
例として出されたもののひとつにスティーブ・ジョブズがある。ジョブズは金持ちになるのに誰かのものを盗んだり誰かを貧乏にさせた訳ではない。生産性をあげたり無から富を紡ぎだせるコンピュータを世の中に提供することで、世の中を豊かにし、自分も豊かになった。
付け加えると雇用を創出したこともあげられるだろう。
それはそうかもしれない。鄧小平の考え方「先に豊かになれる人が豊かになり、豊かになった人は他の人も豊かになれるように助ける」もそうなんだろう。
しかしこれは、民主主義に裏打ちされた資本主義のもとで成り立つ話で、ナイーブに過ぎるといえるだろう。
鄧小平の考え方も後半部分は実現できていない。それは中国の経済成長が「安い労働力」を競争力にしている部分が大きいから。すなわち、国民に都市戸籍と農村戸籍の二重構造があり、農村が豊かになれないことを前提にして経済成長が成り立っているといえるのだ。
アメリカだって同じ。アメリカの戦争、特に冷戦後の戦争の意味を考えてみると分るだろう。二酸化炭素の排出も、排出権を買わずに排出しているということは、排出権という資源を搾取していると同じだろう。
コンピュータなどハイテク分野では他を貧しくすることなく富を作り出せると言うこともできるかもしれないが、何らかの資源がからむところでは、そしてそれはほとんどの経済活動がそうなのだが、どうしてもパイの奪い合いは避けられない。
そしてパイの奪い合いは分野を越えて発生する。バイオエタノールの生産への補助が食糧の価格の高騰を招き、貧困を拡大している。
最初の話から大きくなり、散漫にもなってしまったが、「格差」ということを言い出すと、いろいろな思いが生じてしまうのだ。
中島聡さんの『「少年よ大志を抱け!」よりも「若者よどん欲になれ!」の方が良くないか?』を読んでいて、特に後半に出てくる
そもそも資本主義というのは、「企業や個人が自己の利益を最大にするためにする経済活動が社会全体に利益をもたらす」ように設計されている。社会主義の国ならいざ知らず、日本が資本主義の国である限り、人々の「利益を追求する」強い欲求があってこそ経済活動がさかんになり、それが国力につながる。の部分で、このポール・グレアム「ハッカーと画家」の格差に関する記述を思い出した。同じナイーブさを感じるが、ひとつのブログ記事でそこまで言及していないからと言って批判するつもりはありません。
それからこれもちょっと関連する話題。
切込隊長BLOG: グローバリズムは何故、貧困を引き起こすか