毎日新聞紙面にあった記事をサイトで探そうと思って毎日jpを見ていたらこんな記事に行き当たりました。
平和をたずねて:快楽としての戦争/1 そこに「素敵!」もあった (毎日新聞 2008年6月4日 西部朝刊)
「西部朝刊」ということは東京版にはないということですね。「快楽としての戦争」ってゲームじゃないんだから... と思って読み始めたのですが、なかなか考えさせられる内容でした。
戦争体験を寄せた手記集から
《 ... 戦火の合間には町、或は民家へ巡視警備に出動致し、食料の徴発其の他支那人の女美人とも接し本当に楽しい事も有りました。本当に支那の婦女は美しいです。素敵!尚まだ色々と有りますが此の位にして置きます》その手記集を編纂した北崎宗一さんの話
「暑かったこと、寒かったこと、きつかったこと、ひもじかったこと、そして、楽しかったこと。皆さん、例外なく戦争当時の思い出を、目を輝かせながら話してくださいましてね」北崎宗一さんがショックを受けたのは、これらの言葉が、戦後普通に真面目に農業で働いている人の口から出てきているところだという。
また、これは別の聞き取りをしている人の話になるが、
92歳になる福岡の元戦車隊員も、「面白いことありましたか」との問いに、「ありましたなあ。当時は口にしてはいけないこととか。食料徴発に行って姑娘(クーニャン)を追いかけたり……」と、含み笑いをしながら語っていた。という。
石坂啓の漫画「安穏族」にもそんな記述があった。善良な祖父が暴行を加えた中国人と一緒に写っている記念写真を見つけた衝撃。この漫画は、偽造写真と知らずに漫画の中で使ってしまっているところもあったはずだが、話そのもののベースは間違っていなかったと思っていた。
苦しいばかりでは人間やっていけないのはわかる。また、今「仕事の中に楽しみを見いだそう、作り出そう」と言っていることが、戦地では「戦いの中に楽しみを見いだそう」ということと同義なんだとも思う。しかしその心が一般の (善良とは言わないが) 我々のなかにあることは認めたくないが真実なのだろう。ただ戦争に期待する勇ましい人達に「あなた達は戦争の悲惨さを知らない平和ボケだ」(普通と反対の使い方をしています) と言うだけではダメな、「リアル」というものがそこにはあるのだろう。
エースコンバットで敵機を撃墜したり、敵基地をクラスター爆弾で一網打尽にすることに快楽を感じている自分は否定できない ( → 過去記事)。ゲームには出てこないが、姑娘を追いかける状況が生まれたら喜んでそうするのだろう。
ぶんさんの、「セクシーさに勝つ」という記事にそんなコメントをしたところだったので、この毎日新聞記事は偶然とは思えない。
戦争の中に快楽があれば、今快楽が得られないと感じている人は戦争が起こることを期待するのではないか。
小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」だったか「戦争論」だったかに、現役自衛隊隊員に話を聞く会で「戦争になったら誰を殺しますか」と質問する若者のエピソードが出てくる。自衛隊隊員は、質問の意図がわからずいぶかしげに「敵兵だが」と答える訳だが、この若者は戦争になったら自分が殺したい人を殺せると思っていた訳ですね。
そしてさらにこの話は、赤木智弘氏の「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」というのにつながっていると思うのだ。この文章はまだ読んでおらず、雨宮処凛さんのビッグイシューのコラムで知った、ということをまずお断りして先に進めたい。この主張は、現在の平和が続く世の中で階層、格差が固定化されてしまっているのをひっくり返すには戦争しかないというものだが、少なくとも今よりましというなかに、戦争の中にもある快楽に期待しているようにも思えるのだ。
私が平和を主張するのは、今安定した生活があるから、日常で快楽が得られているからに過ぎないとも思えてくる。いやそれは、そんなことないぞときっぱり否定したい。
そうそう、創刊された超左翼マガジンロスジェネに、雨宮処凛さん (右翼団体出身)、赤木智弘さん登場していますね。買いたいなーと思っているのですがまだ売ってる本屋が見つかっていないのですよ。
発散した文章で申し訳ありません。書き始めると日頃からつながっていると思っていたことが避けて通れなくなってしまいました。でもまだ十分ではない。ぶんさんの「セクシーさに勝つ」に出てくるヒロイズムの話ともつながっているはずなのだがうまくまとまっていない。また、まだ対策が手つかずなのだ。
最後に平和をたずねて アーカイブにはたくさんの記事があり、全部東京版ではないようで、これから読まなくちゃいけませんね。