昨日予告した毎日新聞の「余録」から (タイトルはそう見えないかもしれませんが決闘の話です)。
毎日新聞 2005年3月5日
余録: 「この証明は少し補わなければならないが、もう時間がない」…
フランスでは19世紀まで決闘が行われていたそうです。映画「天井桟敷の人々」のことを思い出しました。
天井桟敷の人々
評価の高い映画なんですが、ここでは、映画のクオリティより、拳銃による決闘というシチュエーションがいくつか出てきたことが印象に残っていることについて書きたいと思います。拳銃による決闘?っていつの時代かよく分からなかったのですが、1840年代のパリが舞台だそうです。西部劇ならいざしらず都会でこんなことが行われていたのですね。映画の中では、金持ちが気に食わない貧乏人に決闘を申し込んでいました。決闘は申し込まれたら受けないといけないようで、相手は拳銃を触ったこともないような貧乏人ですから金持ちの勝ちは見えているようなもので、合法的に殺すのに使われていたようでした。映画では、それを救うため、主人公が決闘の前夜にその金持ちを殺しに行っていました。
「余録」の中では「明治日本で決闘罪が作られたのも、主に外来の習慣が入るのを防ぐためだったといわれる」とあります。江戸時代まで日本にも決闘はあった訳ですが、武士同士のものですよね。こんな野蛮な習慣が入ってくると困るので、それを禁止するのは当然でしょう。
一方今回の中学生の決闘。素手でタイマン、相手が降参したら終わり。マンガだったら「正々堂々」という形容で奨励される行動ですよね。少なくとも、陰湿ないじめや集団リンチ等よりずっと良いように思うのは私だけじゃないと思います。
でも新聞じゃそう書けないんですよね。この「余録」でも
まずは誰であれ、暴力ざたを仕組むのを許してはならない。ただ万事に節度や歯止めが失われた世の風潮のせいだろうか。ルールを決めたケンカが独自の犯罪を構成する事実に、ちょっと虚を突かれたのも正直なところだ。とあって、複雑な思いをうかがわせます。古館伊知郎も疑問を呈していましたが、暴力を肯定する訳にはいきません。
これから、マンガなどではやりにくくなるでしょうね。
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