ニコラス・ネグロポンテが、「測らなければ分からない違いは大した違いではない」といっていたような気がしました。「ビーイング・デジタル」を読み返してみると
精神物理学で使われる計量単位に「最小可知差異 (JND)」というものがある。こんな概念はヒューマン・インターフェース・デザインにとってはほとんど意味がない。仮にJNDと呼ぶべきものがあったとする。しかし、どうしてそんなものを気にかけなければならないのだろう? 違いがあるかどうかを知るために注意深い測定が必要だとすれば、要するにそれは大して重要でないということだ。ということでヒューマン・インターフェースの話でした。
でも、それ以外でも適用可能な気がしますね。なにか商品を購入しようとするときに、大事なことはその商品に惚れた魅力そのもの。そこには他とは明らかに違うものが存在している。スペックは後付けで自分の選択を自分で納得するためにしか使っていないような気がします。逆にスペックで決めると、後から後悔することが多いように思います。使ってみて初めて何が大事なものだったのかわかると言うか。
マニフェストも同様ですね。マニフェストと言っても、数が増えただけで、なんかスローガンや努力項目に過ぎず、以前の公約と変わらない。それよりもマニフェストに書いていないことが大事なのではないか、と。何を大事にするところなのかを見たほうが良いと思います。まあ、劇場型政治が面白いからそれを続けて欲しい、というのもひとつの価値観ではあろうと思いますが。
タイトルと全然違う話になってますね。すみません。
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