2007/08/14

絶望の兵器: 伏龍

こんばんは。「伏龍」って、都内に潜伏しているお相撲さんのこと? いえいえ。

絶望の兵器とともに:/4止 伏龍  (毎日新聞 神奈川版 2007年8月12日 → 魚拓)

・海中に潜水して、海底を蹴って敵の船に近づく。
・機雷をつけた竹の棒を突き上げて、敵の船を撃沈する。
・70キロ近い潜水具。酸素ボンベがある訳ではなく、呼気からカセイソーダで二酸化炭素を吸収したものを吸って呼吸する。
・鼻から吸って口から吐く。誤ると、二酸化炭素を多く含んだ空気が逆流して中毒を起す。
・カセイソーダの入った缶が損傷すると海水と反応して沸騰する。それを吸い込むと胃や食道を焼く。
・ひとつの機雷が爆発すると、衝撃波で他の機雷も誘爆する。

「絶望の兵器」というタイトルが付けられるのが分るだろう。カミカゼや回天よりも犬死にする可能性が高いといえる。考案した人間も、それを採用し訓練させた人間も、敵に勝つことよりも、死ぬこと、死んでお国のためになったという自己満足を得ることが主目的だったと思わざるを得ない。

この「絶望の兵器」は毎日新聞神奈川版で4回シリーズとして載っていたもの。ということは他にもそんな兵器があるということだ。全部リンクしておく。

2007年8月9日絶望の兵器とともに:/1 特攻艇「震洋」 ( → 魚拓 )
-- 敵艦に体当たりするための木製ボート。

2007年8月10日絶望の兵器とともに:/2 海龍 ( → 魚拓 )
-- 2人乗りの潜航艇。人間魚雷回天と違って速度は遅い。

2007年8月11日絶望の兵器とともに:/3 桜花 ( → 魚拓 )
-- 爆弾に操縦席と翼を付けただけのような構造の「人間爆弾」。

桜花の記事からの引用
独力で離陸できないため母機に搭載され、艦船に近づいたところで切り離されて体当たり。しかし大半は敵艦隊のレーダーに捕捉され、目標のはるか手前で迎撃されていった。連合国側は桜花を日本語にちなんで「BAKA BOMB」(バカ爆弾)と呼んだ。
こんなのでは死んでも死にきれないだろう。「俺は、君のためにこそ死ににいく」なんてタイトルを聞いてどう思うだろうか。

あー、まだ「核クライシス」のことについても書かないといけないと思っているのに。「東京裁判」もあったね (これは無理かな?)。

2007/08/13

原爆に対する温度差

おはようございます。今年は原爆について書いておかないとという気になっています。

ちょっと前になりますが、毎日新聞で、原爆に対する日米の認識の「溝」に焦点をあてた連載がありました。

A−Bomb:/上 ニュージーランド人記者が見たナガサキ (2007年7月17日 東京夕刊 → 魚拓)
A−Bomb:/中 英国人記者が見たヒロシマ (2007年7月18日 東京夕刊 → 魚拓 )
A−Bomb:/下 ロサンゼルス支局記者が見たアメリカ (2007年7月19日 東京夕刊 → 魚拓)

特に3番目の記事には、絶望の中にも光明が見える。反・核兵器の姿勢をとる人が若い人のほうで多くなってきていると言う。またマスコミも「国益」という観点からではあるが、核兵器使用に批判的な論説が出てきているという。

ここでは被爆国日本とそれ以外の国の温度差を見ているのだが、日本国内でもヒロシマ・ナガサキとそれ以外の地域で温度差があるのだと思う。それに気づかされたのは核武装論議の是非が話題になったときだ。長崎で育った人間としては、Noという結論が見えている議論に思えたのだが、どうもその前提が共有できていないことが分った。

小学校では夏休みの間に登校日というものが2、3回あるのだが、長崎ではそのうち1日は8月9日に設定されていた。昔はそれが日曜日でも登校日になっていたはず (私は日曜にあたった記憶はない) で、ある年から日曜の場合は変更になることが風化を助長すると議論になった。宿題ブック「夏休みの友」にもその日は原爆がテーマになっていた。

毎年そのような教育を受けていれば、自ずと原爆が何か、他の兵器とどう違うのかは身にしみてわかる。麻生外務大臣も、子供の頃からそんな教育が必要だったのではないか。今からでも遅くないから勉強し直して来い。

高校生平和大使

こんにちは。帰省中、父から「高校生平和大使」に関する本をもらいました。

高校生平和大使 ー ビリョクだけどムリョクじゃない!  (監修: 高校生1万人署名活動実行委員会)

高校生平和大使は、高校生の代表が国連へ行って平和を訴えるもの。1998年から始まって今年で10年目になるそうだ。第4回からは1万人署名活動を始め、署名を携えて国連に行っている。また、今年から新たな取り組みとして世界の195カ国/地域の指導者に向けて核兵器廃絶を訴える英文の手紙を出した。災害の被災地へ支援物資を送ること、各種団体から呼ばれ経験を話すことなど、活動はどんどん広がっている。

初めは長崎の高校生2人または3人だったのが、被爆60年にあたる2005年第8回からは全国から募集して、5名になった。長崎県内から35人が集まって選考会を行い、県外からは作文で選考するのだがそれも90通集まったそうだ。

選ばれたらそれでOKというのではなく、国連軍縮局部長の前でスピーチするための練習もある。最初はキャピキャピしていた高校生も、だんだん顔つきが変わってくるという。

3年前私は、「語り継ぐ意志」
自分でもびっくりするくらい、戦争の悲惨さ、核兵器の悲惨さよりも、未来の希望、それを若い人たちが受け継ぐというところが、私の琴線に触れていることがわかります。
...
こういう若い人が増えてくれることが、地球にとっての唯一の望みのように思えてきます。
と書いた。この時には知らなかったけれども、高校生平和大使のような活動が芽生え育っていたんだ。これらがずっと続いてほしいし、またこの卒業生がふえることで、平和の声を広がっていって欲しいと思う。

関連情報 (原水禁ニュース)

長崎発・高校生の平和活動 (2004年)
「第8回高校生平和大使」 国連へ核兵器廃絶の署名を提出 (2005年)
《高校生平和大使》10年目の取り組み (2007年)

2007/08/12

62年目の夏、長崎原爆慰霊祭

こんにちは。長崎より関東の方が暑い気がします。夜は確実にこちらが暑く寝苦しいです。


今年の夏休みは自転車旅行はお休みして、3年ぶりに長崎に帰省してきました。3年前初めて長崎原爆慰霊祭 (正しくは「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」でした。このあと全部「平和祈念式典」に修正) に参列したのですが (「語り継ぐ意志」)、今年も参列してきました。

政府は被爆国の自覚を 62回目の長崎原爆の日 (長崎新聞 ナガサキ・ピースサイト)

田上新市長にとって初めての平和祈念式典です。また、安倍首相にとっても最初の平和祈念式典での挨拶の年になります。

田上市長による「長崎平和宣言」 (内容自体は起草委員会によるもの) は、3年前のもののように全世界に訴えかけるものとは異なりますが、ロジカルに戦略的に核廃絶をめざす道を、特に国に向けて訴えており、これはこれで意味のあるものと思いました。核武装論議、久間発言など、最近の状況に対する懸念も押さえられいます。

配られた冊子にはことばの解説が含まれています。今回初めて知ったのですが、「非核兵器地帯」というものがあるそうです。
特定の地域内の国が核兵器の生産、取得、保有、配備などをすることを禁止するとともに、核保有国がその地域に核攻撃をしないと約束した「核兵器のない地帯」のことを意味します。
特にモンゴルは、既に1998年にその地位を得ているとのこと。
モンゴルは、1992年(平成4年)の国連総会において、一国非核の地位を宣言し、核保有国に対して、非核の地位を尊重し安全保障を供与するよう求めました。これを受けて、1998年(平成10年)の国連総会で決議が採択され、一国非核の地位が確認されています。
日本こそこういう取り組みをしないといけないと思いますし、第一号の座を逃したとしてもすぐに続くべきだと思いました。

「今回初めて知った」と書きましたが、実は3年前の平和宣言の解説の中にも含まれていました。ただそれが、日本と韓国と北朝鮮の3か国を「非核兵器地帯」にしようとするという「北東アジア非核兵器地帯構想」の中に記載されていたので、実現性のかけらもないものとしてまともに読んでなかったのでした。

なお、モンゴルの「一国非核の地位」に関しては、ぶんさんのブログの「モンゴルをもっと知ろう!」に背景を含め記載されており、参考になります。

被爆者代表による「平和への誓い」は、感情の込め方がちょっと過ぎるなと私は感じたのですが、娘は泣きそうになったと後で言っていました。それだけでも子ども達を連れて行って良かったと思います。

さて、安倍首相の挨拶ですが、3年前の小泉首相の挨拶が心のこもっていないとおりいっぺんの挨拶だったので、正直あまり期待していませんでした。むしろ安倍首相は改憲を政策の柱としており、その点をこの挨拶でどのような扱いで含ませるのかという点に注目していたのです。しかし、意外にもこれまでの主張を翻し、憲法遵守の立場を宣言しました (参照)。また、「国連総会への核軍縮決議案の提出」など、積極的に核軍縮へのリーダーシップをとることを明言しました。

私は、これまで安倍首相に対しては批判的でしたが、この方針転換が本当ならば安倍首相支持にまわろうと思います。今後継続してウォッチしていく必要があるでしょう。
[追記: 言葉だけでしたね]

瀬戸智子さんも、「62年目の長崎」で、この発言を評価されています。ただし、この発言が国内向けのみの発言でないことを釘をさしておられますが。


長崎の夏は暑い。平和祈念式典では、冷たいお茶と凍らせたおしぼりを参列者に配ってくれ、助かります。配っているのは高校生くらいのボランティアの人達。救護所の人々、警備の人々などを含め、式典が多くの人に支えられていることを実感しました。

2007/08/03

一生一緒にいてくれや♪...

... って懐かしいメロディーがカーラジオで流れていました。ああ、そういえば三木道三だったね、この曲。題名忘れちゃったけど。

でもよく聴くと歌ってるの女性でした。さらに一人じゃないような気もします。

自分のことを「あたい」ってたかな、「あたし」だったか、とにかく歌詞も女性主体に替えてあります。

BARKSに記事がありました。

三木道三へのアンサーを歌っているのはRSP (2007-07-21 バークス)

「Lifetime Respect -女編-」。アンサーソングなんですね。歌詞も代名詞を替えただけじゃないということです。「三木道三の原曲の声をサンプリング」って気づきませんでしたが、最初女声であることも気がつかなったのはそう言う訳か。

歌詞をもっとちゃんと聴きたくなりました。上記記事に視聴版へのリンクがありますよ。

環境に配慮してほしい - 日産ノートCM

こんばんは。ジローラモです (ウソ)。

日産のCMで、NOTE「親子で洗車」篇というのがあるんだけど、
家族全員で服を洗車ブラシにして、
身体中泡だらけにして、
そこらじゅうに泡をまき散らして、
洗車してるの。

楽しそうなのはいいんだけど、
洗剤と水の無駄遣いじゃない?
もっと環境に配慮してほしい。

それから、DUALISのCMは誇大広告じゃない?
買ったらトランスフォームボタン探しちゃうよ? (← そんな人いないって)

追記: もっとひどいCM
アクセスジャーナル: 不買運動の動きもーーロート製薬のトンデモCM
主婦がやっと洗濯物の片付けを終わったと思ったら、息子が登場し、「これ、洗っといて」とズボンを投げつける。
 主婦が「エッ」と声を上げると、ごろ寝してテレビを見ていた夫から「静かにしてくれよ」と文句を言われる。
 それで「ムッ」としている主婦に対し、「なせか、ちょっとしたことでイライラ」といったナレーションが流れ、主婦が「これって、更年期障害?」とのセリフ...

2007/08/02

雷鳴かと思ったら...

... 花火でした。

仕事を終ってビルの外に出て初めて気がつきました。もうほとんど終わりでしたよ。もっと早く仕事を切り上げておけば良かった。

駅に着く前に終って、みんな帰りだしたので、ずいぶん混雑していました。

雷で雨も降っているんだろうと思って、置き傘をもって帰ってきた間抜けは私です。

これでした。 → 神奈川新聞花火大会

2007/08/01

今回最も大きな敗北を喫したのは...

... 公明党じゃない?

事前の予測では揃って13議席だった。ということは組織票で計算が可能だったということ。

計算が狂ったのは、「組織」から見放されたのか、「組織」自体が弱体化しているからなのか。

ただ政権与党内にいることが目的になって、自民党のためだけの存在になっているとしたら、「組織」の期待に反しているといえるだろう。といって「組織」の期待に応える政治をされては困るのだけれど。

民主党はこれから正念場

こんばんは。民主党の候補はだれになるんでしょうね? オバマ氏ってなかなかいいんじゃない?

前の記事で、自民党への提案として、民主党を「やっぱり反対するしか能のない政党だというイメージを焼き付ける」と書いた。いやわざわざ提案しなくてもそうなりそうで不安なのだ。

以下は、2年前の総選挙後に書いた記事(「衆院選'05雑感(1) がんばれ民主党」)からの引用
マドンナブームで参議院選挙で大勝した後の総選挙で「政権を下さい」と絶叫していたおたかさんを思い出して不安な気分になりました。
その記憶が頭から離れない。

参議院過半数をとっているので、反対するものは何でも否決することができる (もちろん与党が衆議院で三分の二以上占めているので再可決もできるが)。しかしこればかりを使うと「やっぱり反対するしか能のない」という印象を国民に与えてしまう。

その前兆は「安倍首相に退陣要求を出す」というところから既に始まっていると思う。首相を替えさせて何になる。別の人が出てきて、首相退陣で責任をとりました。これからは新しい自民党です、って言うだけだろう。

それよりも、安倍首相に手を差し伸べ、一緒に法案を成立させて行ったほうが良い。もちろん政府案は事前協議で民主党案を大幅に入れたものにしておく。同時にそのことを大きくアピールし、政権を任せるだけの政策立案能力、交渉力をもっていることをアピールするのだ。

鳩山さんが代表のときに、政府案でも良いものは支持するという姿勢を出していたが、いかんせん両院で過半数を占めていたため、自民党は野党の支持がなくとも法案を成立させることができた。結局民主党のプレゼンスは高いものにならなかった。

また、これも (「衆院選'05雑感(1) がんばれ民主党」) の繰り返しになるが、影の内閣ではどうするかを常に発信し、いつでも替わりが出来ることを国民にアピールする必要があると思うのだ。

その意味で正念場が続く。敵失を生かしきれないままだとそれが失策になり、イメージダウンにつながる。くれぐれも緊張感をもって対峙して頂きたいと思う。

反省していると言うんだったら...

... 強行採決で成立させた法案は全部もう一度やりなおせって。

小泉にもらった絶対多数をそんなふうに使う人間には危なくて任せられない、というのが国民の声だと思う。

内閣改造で済ますというのは、結局「閣僚の選択」に関してだけ反省しているということだろう。失言大臣とか汚い金に手を染めている人間とか多くて、さんざん「任命責任」を問われたから、それが強く印象に残ってるんだろう。僕悪くないもん、って感じか。

もう一度最初の主張に戻る。強行採決で成立させた法律をやりなおす (勝手に廃案にできる訳じゃないから、教育基本法再改正案などを出して行くということ) ことによって、民主主義を大事にすること、「美しい国」のあり方の実践を提示できると思うのだ。国民はその姿に感銘を受けるだろう。

逆にそうでなければ、次の総選挙まで内閣改造で誤摩化す今のイメージを引きずったままだろう。

というのは正論過ぎて... 実はもうひとつ方法がある。もう下手なことはせず、徹底的にみんなからいじめられて同情票を集めるという方法。出す法案はことどとく参議院で否決されるようにしむけ、小沢民主党に対する不信感、嫌悪感を醸成する。やっぱり反対するしか能のない政党だというイメージを焼き付ける。

どっちも難しいか。

2007/07/29

改憲か解釈か

こんにちは。選挙行く前というか投票日前に書いておくべき話題だったと思いますが...

クーリエ・ジャポンに、森巣博氏による「越境者的ニッポン」という連載があります。森巣博は、ギャンブラーで作家。連載の第1回ではそのことについて書いていました。自分のことを「チューサン階級」(中学3年生程度の知識の持ち主) と称していますが、博学で種々の経験もあって文章も論理的で面白い。

3回目 (8月号) 「正論といふもの」では「憲法改正」に関して書いています。

・「国民投票法」は「憲法改正手続き法」であるはずが政府もメディアもちゃんと伝えていない。
・自民党が出した新憲法草案は「新憲法制定」というべきもので、「改正」という言葉を使うのもおかしい。
・言葉の置き換えによる言論誘導が行われており、全てがなし崩しに進んでいる。
・「戦争犠牲者」も本来は「戦争被害者」であり、「犠牲者」への言い換えは「加害者」の存在を不問にする。
・森巣自身は「改憲」派という立場をとる。条件付き改憲派。
・今までの憲法は、政府 (法の執行機関) によって解釈を曲げられてきた。
・これにより「現実が憲法にあわない状態になっている。
・現実を認め、憲法を政府が守れるものにしてあげましょう。
・しかし、そうやって決めた新しい憲法は絶対に守らせることが必要だ。
・守らせるための担保が必要となる。憲法とは別に罰則規定を定めた法律が必要だ。
・これこそが正論だ。

私も、『「お釣りはお駄賃」は許しません』 (2005年 10月 16日)では、
第9条改正は、前原さんと同様、条文の矛盾をなくす意味では必要と思っています。ただ、現在検討されているのは、憲法の位置付けを、「国家権力を抑制する」ものから、「国民のあり方を規定する」ものにすることを主眼としているらしい。
と書きました。ごまかしが嫌いなのです。

一方で、私の立場は護憲にあることは読み取れると思います。憲法改正でさらに憲法を改正しやすくなったり、国民のあり方が規定されることで、ただでさえ同調圧力に弱い (「空気読め」に抗いきれない) 日本人から自由な議論が奪われることを恐れています。

また、解釈憲法によっても、今まで平和が維持され、繁栄を享受出来ている面もある。今のままで良いのでは? 矛盾を包含したものも世の中じゃない?という思いも前よりも強くなってきたと思います。

そういう考え方に影響を与えたものの一つに内田樹さんの憲法論があります。「憲法の話」 (2007年05月03日) があります。
二つの対立する能力や資質を葛藤を通じて同時的に向上させることを武道では「術」と言う。

「平和の継続」と「自衛力の向上」を同時に達成しようと思ったら、その二つを「葛藤させる」のがベストの選択なのである。
九条と自衛隊が矛盾的に対立・葛藤しているという考え方は、『九条どうでしょう』でも詳述したように、戦後の日本人がすすんで選んだ「病態」である。

...

本来は存在しない九条と自衛隊の葛藤を苦しむという不思議な病態を演じることを通じて、日本人はその「疾病利得」として、世界史上例外的な平和と繁栄を手に入れたのである。

この「演じる」ということはキーワードかもしれませんね。

さて、もとの森巣博氏の主張に戻ります。私はこれは全面的に「正論」だと思います。括弧付きの「正論」は、「そうは言っても」という諦観を含みます。そこは「絶対に守らせる」というところが共有認識になっていないところにあります。まずそこが共有認識になるまで、私は「護憲」の立場をとるでしょう。

追記: 藤代裕之@ガ島通信さんが、「[ニュース・時事ネタ]投票完了」で、「投票完了」のトラックバックもお待ちしています、ということですのでトラックバック送ります。

2007/07/28

投票に行かない権利?

こんにちは。暑いですね。明日はどうなのかな。投票率が気になります。

選挙が近くなると、3年前に「投票率アップを考える」(1), (2), (3)というのを書いたのを思い出します。それはそれまでにずっと考えていたことをまとめたものなので、それ以降新しい考えは浮かんでいません。このため、投票率に関しては書いてきていなかったのでした。

それから、「投票に行かない権利」を主張していた人のことも思い出します。

誰も入れる人がいないから、何も変わらないから、というのではなく、棄権することに積極的な意味を見いだしているようでした。

・ 投票に行かないことは「選挙権の行使」と言える
・ 誰にも投票しない = 「誰も選ばれるべきではない」の意思表明
→ 棄権が多い = 誰も選ばれないとなるべき
・ 選挙で選ばれた人が暴走する → その人に投票した人は責任がある(これは一理ある)。誰も選んでいない人は責任がない。

「投票しないということは、他の有権者の票で選挙結果が決まる」という事実がどうしても理解出来ないようでした。コメント欄では、私を含め多くの人が間違いを指摘したのですが、結局誰も納得させることは出来なかったようです。

あ、コメント欄でひとつ面白いのがありました。
いままでの選挙では、投票行動のときに選べる選択肢を見るにつけ、効果的でフィージブルなシナリオが描けませんでした。ぼくは、そういう場合は、機が見えるまで、動かないで、待つことにしています。剣道と同じです。つけ込む隙が見えたとき、一気に攻めるべきで、機の見えないときに、やみくもに剣を振り回すと、逆に相手につけ込まれるだけですから。(Posted by ゆたか* at 2004年08月30日 16:09)
つけ込む隙が見えたとき、一気に一票を投じるんでしょうね。

* Livedoorはもしかしたらブログやめた人のURLを使い回ししているかもしれません。この「ゆたか」さんは、以前見たときと別人のように思います。

今回の選挙に際して、投票することの意義をちゃんと認識しようとよびかけている皆さんがいます。

瀬戸智子さん: 「棄権は危険」
-- 選挙はずっと続く。前回の衆議院選挙でだまされたと思った人も諦めるな。

デザイン夜話(sivaprodさん): 「それをやらないやつは、人間のカスです。」
-- 橋本治の高校生向けエッセイの紹介なんですが、「いざという時、関わりを持たなきゃいけないような事態がやって来た時、関わりの持ち方を忘れちゃうから。」という部分は特に良いですね。

ガ島通信 (藤代裕之さん): [ニュース・時事ネタ]参院選の投票に行こう

私も書くことがないなんて書いたけれど、毎回言い続けることが大事なんだろうなと思います。

2007/07/26

ヘンリー・ダーガー・アニメ

おはようございます。ヴィヴィアンです (ウソ)。

ヘンリー・ダーガー展、これからどこかで予定されてないかと思って検索したら、2番目に次のようなのがヒットした。

ヘンリー・ダーガー・アニメ
上記はリンク切れなので別のものを探した。
Harelip Music Video "That a Boy Wait"- HENRY DARGER ANIMATION

へー、引きこもってアニメ制作もやってたのかとか思いながら (そんな訳ない)、見てみた。なかなかよく出来ているじゃないですか。絵をパーツごとに分解して動かして、音楽、ナレーションもつけている。あー、英語がわかるといいんだけど。

関連するビデオの欄には次のようなのがあった。

Henry Darger, Realms of the Unreal, Trailer
Trailer for Jessica Yu's "Realms of the Unreal" about Henry Darger. Narrated by Dakota Fanning.
映画作品だったんだ。しかもアニメが主体ではなく、ドキュメンタリーのようだ。

Internet Movie Database: In the Realms of the Unreal (2004年 Jessica Yu監督)

Jessica Yu監督に関して調べたら、Wikipedia英語版の記述が見つかった。ドキュメンタリー短編部門でアカデミー賞をとったこともあるそうだ。

当初の目的から大幅に脱線しちゃったね。

追記(2008.5.3):日本でも公開されたんですね。→ 映画『非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎』公式サイト

2007/07/25

AFPBB News メールマガジン創刊

こんばんは。ここもリニューアルしようかな。

AFPBB Newsのメルマガ今日創刊だそうです。いつ登録したのか忘れてましたよ。
AFPBB News

他の新聞に載っていない国際ニュースが載っている(逆に言えば日本の大新聞が取り上げているニュースがあまりない)のと、写真が必ずついているのが特徴的なネット新聞です。公式ブログに、シバレイさんのブログなんかあったりしてリベラルなスタンスを明確にしている新聞なのかと思っていたのですが、スポーツ、エンターテインメント、ファッション (ブランド) の話題も多く、そういうスタンスを強く出している訳でもないのかもしれません。

そういう意味で、立場に関わりなく楽しめる新聞かもしれません。

今日の段階で目立つのはエコバッグブーム。ブロガー人気記事のランキングベスト10に3つもはいっています。

1位: “エコバッグ”はもはや社会現象 インドネシアで発売中止 (2007年 07月 21日)
2位: アニヤ・ハインドマーチのエコバッグ、7月に日本で発売 (2007年06月18日)
3位: アニヤ・ハインドマーチのエコバッグが日本上陸、先行販売に長蛇の列 (2007年07月17日)

もちろんランキング自体はブロガーが注目しているというとを示すに過ぎないが、少なくともそれだけの記事を出していると言うところが他紙と違うところでしょう。英国の最初の発売 (2007年 04月 27日) から追っていたことが分ります。また、環境関連のニュースも他よりも多いと思います。

私はエコ (ロジー) とエコ (ノミー) を両立させているほうだと思います (すなわち、お金を使わないのがエコにつながると考えている) が、世の中を見ていると「エコ」=「金持ちの道楽」という印象が強い (というかますます強くなってきている) と感じています。そういう意味で、インドネシアでもエコバッグブームの過熱が心配って、ちょっとびっくり。

2007/07/23

ヘンリー・ダーガー展

こんばんは。「子ども奴隷の反乱」からアフリカの子供兵の現実を考えていました。どうすることもできないのがもどかしい。

「ヘンリー・ダーガー 少女たちの戦いの物語—夢の楽園」展(TAB - Tokyo Art Beatの紹介)、17日最終日に行ってきました。ヘンリー・ダーガーとう作家は知らなかったのですが、展覧会の表題と、TABの案内文(下記)と、原美術館に惹かれて。
両親との早すぎる死別、知的障害という診断と施設への収容などを経て、青年期から81歳で亡くなるまでの間、完全な孤独の中で、膨大な量の物語と絵画を制作しました。人目に触れることもなく描きためられた作品群は、家主であり、自身も芸術家としてシカゴにおけるニュー バウハウスの中心的存在の一人であったネイサンラーナーに託され、その慧眼により、没後の損失を免れることになります。
膨大な量の物語って、どれくらい膨大かというと15,145ページ。19歳頃から11年以上かけて書いたそうだ。タイトルは、『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子ども奴隷の反乱に起因するグランデコ・アンジェリニアン戦争の嵐の物語』 (長いよ)。普通には「非現実の王国で」というそうだ。

Wikipedia: 非現実の王国で

その後この物語を題材とした絵を描き始める。今回の展覧会はそれを中心としたものだが、それ以外の作品や、アトリエ (アパート) の写真などが展示されている。作品が、雑誌の写真、マンガをコラージュして作られているものが多いため、アトリエにはその材料となる新聞や雑誌が束になっておかれている。

さて、感想なんですが、ちょっと言い表すのが難しいですね。膨大な量に圧倒されるというのもあるし、独特の世界観というのもある。でも作品自体はどうなの?というのが正直なところです。

知的障害 (感情障害) でまともな教育 (もちろん美術教育も) を受けていないという背景も私の評価に影を落としているかもしれません。美術教育を受けていないからダメと思っている訳ではありません。特に抽象画を見て、これはさすがに美術教育を受けた人が描いた作品とか分る訳じゃないので。じゃあなにかというと、評価されてきているっていうのは、「美術教育を受けていないのに」とか、「引きこもりなのに」という修飾がついた上での評価ではないかと思うからです。

最終日からなのかもしれませんが、多くの入場者がありました。若い人と外国人が目立ったように思います。私もその中に含まれるのですが、「ヘンリー・ダーガー知ってるんだぜ」というために来ている人達という印象を持ちました。若冲みたいな感じ?

ミュージアムショップも混雑していたので、美術手帳の「ヘンリー・ダーガー特集号」を手に取ったのですが、買わずに帰ってきました。後で大手書店でバックナンバーを探して買えばいいかと思って。でも最近のバックナンバーでは、その号だけ売り切れてましたよ。やっぱりブームなのかな。

住宅街の中の美術館。この美術館自体ももとは個人邸宅として作られたもの。ルーフバルコニーに出ることもできます。一室丸ごと作品 (現代美術ね) になっているところや、奈良美智のアトリエになっている部屋もあります。

次は家族で行けるインカ・マヤ・アステカ展かな。

追記: 最初に行きたいと思った理由を並べていたのですが、最初は、All Tomorrow's Girls (fumi_oさん)の「ヘンリー・ダーガー展」で知って、これ行ってみたいと思っていたのでした。すっかり忘れており、失礼しました。今日のエントリ「the Vivian Girls」でやっと思い出しました。という訳で慌ててトラックバック送ります。

上記 fumi_oさんの記事にあった、ヘンリー・ダーガー作品集へのリンク → CARL HAMMER GALLERY

ART TOUCH 美術展評 (安積 桂さん) 「ヘンリー・ダーガー」
  -- 「挿絵画家」として「一流」と評価されていますが、「芸術家」としては低い評価。絵を作品そのものでなく背景情報から評価する風潮を批判しています。

2007/07/17

チョコレート展

小さな瞳 夢見るチョコレート... あ、おはようございます。

東京ミッドタウンの21_21 Design Sightで行われているチョコレート展に行ってきました。「チョコレート」をキーワードに、アーティストがチョコレートに関係があると思えば何でもあり、というコンセプトで行われている美術展です。素材としてのチョコレート、色としてのチョコレート、銀紙、カカオ農場で働く人達...

ちょっとフェティッシュの香りも。國村隼や市川実和子が出ている映像作品が面白かった (すみません、アーチストの名前は見たはずだけど思い出せません)。

市川実和子は、男性とレストランに来ている。出されるのは苺一個とかバナナ一本とか料理とは言えない代物。しかしカトラリーは銀紙で包んだチョコレートなのだ。フォークとナイフの銀紙をはがして、バナナを切って食べる。そしてチョコレートで出来たナイフも食べる。ワインゴブレットもチョコレート。飲み終えたら食べちゃう。皿ももちろんチョコレートで、バリバリバリバリ食べてしまう。チョコレートで汚れた口のアップ...

國村隼が出ているシーンは、チェスの駒がチョコレートで出来ていて、相手の駒をとるとそのままチョコレートを食べてしまうのだ。にやりとする男と悔しがる相手。お酒の入った杯になった駒もあって、やはり飲んで杯まで食べちゃう。最後は酔いつぶれる二人。

チョコレートを題材に遊んだというような小ネタ的な作品も並んでいました (もちろん作品は手をかけて作ってるんですが)。美術展にしては親子連れも多く、そのような作品を親子で楽しんでいました。

21_21 Design Sight外観。ミッドタウン・ガーデンの中にあって、入り口さえ目立たないような建物なんですが、展示室は地階にあって十分なスペースが確保されています。
21_21 Q。21_21 Design Sightのショップは、キューブをベースにした屋台です。一台はGOODS、もう一台はFOODSです。
ミッドタウン・ガーデンは広い芝生の庭で、ジョギングコースまで用意してくれています。贅沢だなー。これってリッツカールトンの宿泊客やショップのお客さんの財布から出ていくお金で運営されてるんだよなーと思った次第です。

次は昨日最終日だったヘンリー・ダーガー展について書く予定です。

追記: PingMag「深澤直人:頭の中のチョコレート」に深澤直人へのインタビューが載りました。ここには作品の写真も多数ありますよ。

2007/07/15

スティール・パートナーズって...

... 名前が悪いよね。「泥棒仲間」。高裁が主張をとりあげないのは当然だ。

ブルドックソース:初の買収防衛策、あす発動 東京高裁、スティールの抗告棄却 (毎日新聞 2007年7月10日)

なに? 綴りがどうしたって? 聞こえないよ。

戦後レジームからの脱却...

... の中身って初めて聞いた気がする。

遊説録:参院選 安倍晋三首相 (13日、青森市) (毎日新聞 2007年7月14日)
年金の記録問題が起こった原因の多くは社会保険庁の体質にあった。親方日の丸体質、あしき労働慣行、労働組合が跋扈(ばっこ)した。そして労使のあしき癒着。公務員制度の中にも積み上げられてきた仕組みだ。私はそういうものをドーンとぶち壊していく。それが私の申し上げている戦後の体制、戦後レジームからの脱却だ
教育基本法や憲法を変えたり、憲法解釈を変えなくてもできるじゃん。

2007/07/14

エコセレブランキング


おはようございます。赤星たみこです (ウソ)。

クーリエ・ジャポンの今月号は、エコ特集。ソトコトなんかと違って、客観的な眼でみているのが面白い。別に批判的なものばかりという訳ではなく、バランスがとれている。

その中で特に面白かったのが、「巷を賑わすエコセレブたち いちばんクールなのは誰だ」。エコを看板に掲げる有名人の「非エコ度」を暴いている。

アル・ゴアの自宅豪邸では、普通の人の20倍の電力が消費されている。LIVE EARTHに自家用ジェットで来た。そういえばLIVE EARTHであるアーチストが観客に「自家用ジェットで来なかった人は手を挙げて」ってやってたな。その観客の中にはアル・ゴアはいなかったけど。

もっと低いランキングなのはマドンナ。すっかり社会派として定着した感のあるマドンナは、コンサートで使われるエネルギーの量が問題にされていた。ただ、その点を指摘するのはあまり適切でないと思う。日常の生活のエコ度を問題にして欲しかった。確かにマドンナは、養子問題などそれちょっと違うんじゃないのという点は多いけど。

エコ度トップにあげられていたのはディカプリオ。プリウスに乗るというライフスタイルを流行らせた張本人で、私自身はただのパフォーマンスに過ぎないと思っていたが、それだけでなく社会活動に積極的な点が評価されていた。エコとは違うけど、「ブラッドダイヤモンド」があったね。

お金持ちの有名人は難しいよね。リサイクルするのにも環境負荷がかかるから、本来ならリユース、リデュースのほうが重要なんだけど、いつも同じ服って言われるようでも困るし。

また、CMに出た企業が環境によくないということが分ったらイメージダウンだ。以前スティングが宮崎のシーガイアのCMに出てコンサートまで開いたので批判されたことがあった。日本のCMは日本でしか流されないし、本国ではそのこと自体が知られていないから良いのかもしれないが、ポーズだけでなく本当に環境保護に意識のあるアーティストなら汚点に思うだろう。

クーリエ・ジャポンのエコ特集には、その他にも面白い記事があります。「低燃費ドライバー」の数々のテクニックも面白い。エンジン切ってトラックのスリップストリームにはいるって、それ危険ですから! ダンスステップで床発電するエコディスコとか。汗を集めてトイレで流す計画もある、って電車の中で読んでて吹いてしまいましたよ。

編集長の言葉の中で、エコバッグについてこう語っているところがある。
たしかにビニール袋を減らすことで、CO2の削減には貢献するだろう。しかし、いっぽうで店頭には様々なエコバッグ商品が出回り始めている。売り文句は「地球に優しいエコバッグ」。なんのことはない。"エコ"を売りにした商品が次々に生産され、新たなCO2 が排出されているではないか。環境のことを考えるなら、いま持っているバッグを使ったほうがいいに決まっている。
エコバッグを新しく買うのがそんなにおかしいかと思ったんですが、このことのようです。

個別記事のページ から
一見、ただのキャンバス地のバッグ。
だが今年3月、ロンドンでこのエコバッグが発売されると、
客が殺到、ネット・ショッピングのサイトeBayでは
200ポンド(約5万円)近い高値(もともとの値段はたった5ポンド!)で
取り引きされるにいたった。
なんかホワイトバンドがヤフオクで取引されていたのを思い出した。

このエコバッグというのは、アニヤ・ハインドマーチというブランドの『I'm Not A Plastic Bag 』という製品。日本では今日発売だそうですが、開店前に並んでいる人の分で売り切れだそうです。

ちなみに私のエコバッグは、なんかの景品だったらしく、あまったものをバザーみたいなところで買ってきたものです。10円で。

2007/07/13

最大の争点が「年金」だって

選挙:参院選公示 安倍政権を問う 「年金」最大の争点−−29日投開票 (毎日新聞 2007年7月12日 東京夕刊 → 魚拓)

直近の問題を争点と位置づけるのは、何も学習していない証拠。

前回の衆院選は、「郵政民営化」が争点と位置づけられ、マスコミも他の争点もあるとしながらもほとんどの時間を「造反組」、「刺客」などの話題で費やした。選挙の結果をうけ、郵政民営化はすぐに成立し、任期4年の残りは「お釣りはお駄賃」状態になってしまった。私も「ゆるしません」とは書いたものの、半分諦めムードだったと思う。議論もまともになされないまま強行採決の嵐。教育基本法、国民投票法なども採決までマスコミで問題点が報道されることもほとんどなく、成立して初めて問題点が示されるような状態だった。

今度の選挙は任期6年で、解散もない。任期中には憲法改正も日程にあがる。民主党の中にも憲法改正論者は多いので、政党で見るのではなく、個人別にどのような態度をとっているのか見て行く必要がある。憲法改正反対の立場の有権者だけでなく、賛成の立場の有権者も同様です。

憲法改正が日程にあがるような状態でなくても、過半数を握りフリーハンドをもったら議論せず強行採決を繰り返す、民主主義をないがしろにするような人間にこの国をまかせる訳にはいかないと思うのだ。マスコミも直近の争点だけでなくこの国を託すという意味があるのだということをちゃんと伝えてもらいたいものだ。

補足: 「きまぐれな日々」さんが、「参院選民主党候補の憲法問題に対する認識」で、民主党候補(執筆当時予定者)の憲法改正に対する態度を整理されています。トラックバックを送りますが、「第21回参議院選挙公示に伴うお知らせ」では、
特定の党派または候補者への応援の要素が含まれていると管理人が判断したコメントやトラックバックは、たとえその内容に管理人が賛同できるものであっても、承認はいたしませんので、ご理解とご了承のほどよろしくお願い申し上げます。
と書かれています。私の文中には「特定の党派または候補者への応援の要素」は含まれていないと考えていますが、どうかな?

それから、エクソダス2005《脱米救国》国民運動さんが、「護憲派候補者リストの見直し:社民党推薦候補は必ずしも全員9条堅持ではないのではないか?」で、「純護憲」派候補推奨リスト (試案) を書かれています。えーと、これは私の「特定の党派または候補者への応援」ではありません、と逃げを打っておきます。それから、このリストは、「勝てそうな党・候補者」という戦術的な要素が含まれているので、私としてもそのまま賛同できるものではありません。