2009/11/23

いちるの歯型

こんにちは。ご無沙汰しておりました。

なんかね、ブログの書き方忘れちゃって。いくつかイベントに行ったので、すこしまとめておこうと思います。また、気づいたことのメモを引っ張りだしてまとめたいと思います。

まず、この表題「いちるの歯型」。えっ、何?と思うでしょ。新聞の見出しにあったものです。

釜山射撃場火災:「いちるの歯型」生存確認 (毎日新聞 2009年11月17日 → 魚拓)

「いちるの望み」以外の使い方を初めて見ました。初めは「いちる」という人名かと思いました。ピヨピヨ。
 当初、家族が死亡を確認したものの、後に生存が判明した長崎県雲仙市の中尾和信さん(37)は、全身の90%にやけどを負っており、意識不明の重体。17日にも皮膚移植手術が行われる。

家族は15日夜にも中尾さんが搬送されていた釜山市内のハナ病院を訪ねたが、中尾さんの外見は見分けがつかないほど皮膚の損傷が激しかったため、本人ではないと判断。同行した雲仙市職員らに、別の遺体を中尾さんと取り違えて確認してしまうほど気落ちしていた。

しかし、16日になってから、口を広げて歯並びを撮ったパノラマ写真を持って再び病院を訪問。中尾さんは口に吸引ホースをくわえた状態のため、すべての歯並びは比較できなかったものの、前歯の特徴で本人特定に至ったという。
「いちるの望みの歯型」という意図なんでしょうが、「いちる」を「いちるの望み」の短縮形として扱うのは誤用なのではないかと思います。

「いちる」の辞書内容を見てみると、

Yahoo!辞書 - いち‐る【一×縷】
1 1本の糸。また、そのように細いもの。
・「船は—の黒烟を波上に残し」〈鉄腸・南洋の大波瀾〉
2 ごくわずかであること。ひとすじ。「—の望みを残す」
となっています。

「る (縷)」は、いとへんがつくことからも想像がつきますが、「 (糸のように) 細い」ことが含意されています。「望み」に対しても、糸のように細い手がかりをたぐっていくという比喩的な用法と思われます。「わずか」という意味も書かれていますが、これも量というよりも、太さまたは糸の数にかかるものだと思います。

新聞で使われているのは規範的な表現と一般的に見なされている訳で、誤用が定着する危険を感じてしまいます。

2009/11/11

皇室の名宝展 [11月12日は入館無料]

こんばんは。

10月25日は、東京国立博物館で行われている特別展「皇室の名宝−日本美の華」へ行って来ました。



11月3日までの第1期と、11月12日から29日までの第2期に分かれていて第1期は江戸時代から明治時代までの絵画と工芸品が中心、第2期の方はそれよりそれより古いもの。絵画的には新しい方が好みなので、第1期に行くことにしたのです。

2期に分けても、出展数がとにかく多い。対決展とはまた別の意味でおなかいっぱいです。人も多く疲れました。

特に若冲の作品がセットで出されていて、展示室全体が若冲で埋め尽くされていました。セットと言うのは、もともと相国寺というお寺に若冲が寄進した「動植綵絵」全30幅 (→ Wikipedia)。これと旭日鳳凰図の計31作品です。「動植綵絵」はおなじみのモチーフである鶏もふくめ、様々な動植物、魚介類や昆虫などが、鶏と同様の精密さで描かれたものです。魚介類などは全てが観察で描かれてはいないと思われ、むしろユーモラスな描き方がなされていました。

ほかの日に行った人も言っていたけど、客層は中高年が多かったですね。おばさんの二人連れが、「わたし若冲結構みているけど今日のは見たことないのが多かった、オウムとか」って言ってました。いやみんな初めての出品だと思うぞ。

若冲のことしか書いていませんが、他にも素晴らしい作品が多くありました。
「皇室の名宝—日本美の華」 展示品リスト

図録は買って来なかったので作品名は分らなくなっているのですが、「七宝月夜深林図額」かな、水墨画と思っていたのが七宝焼というのがあって驚きました。

川島織物の巨大タピストリー「春郊鷹狩・秋庭観楓図壁掛」も驚きました。その説明に「断機の戒め」というのがあって、途中で止めて間をおいて再開して完成させたなんて書いてあったのですが、なんで途中で止めちゃったのか、日本語の説明はよく意味が分かりませんでした。英語の方はまだ文章的にはましだったのですが、それでも分りませんでした。

あとで調べたら、こういう話でした。→ 繊維ニュース Web編集局:「断機の戒め〜妥協許さぬモノ作り〜」

調べた中に「母断機の教え」というのがあったのですが、正反対の方向で面白い。

ところで、第2期の初日12日は、天皇陛下御即位20年を記念して入館無料ということです (最初のリンク先にあります)。ますます込みそう。

一方、東京都も対抗して (?)、さまざまな施設を無料開放するとのことです。→ 天皇陛下御在位二十年記念事業の実施について

2009/11/09

アイ・ウェイウェイ展

同じ9月23日は、「アイ・ウェイウェイ展 - 何に因って?」も見てきました。

森美術館 アイ・ウェイウェイ展
2009年7月25日(土)〜11月8日(日)

すみません。今日が最終日です。近くの人はまだ間に合います。めずらしく写真が撮れる美術展なので、カメラを持って行きましょう。

実は前日の7月24日にプレス発表会があって、ブロガーへの招待もあったのですが、そのアナウンスがさらにその前日Twitterで行われて、夜10時くらいまでは受け付けていたようなのですが、連絡したのですが間に合いませんでした。プレス発表の雰囲気を味わいたかったのに、残念。



プーアール茶を固めて作ったTea House。床にも茶葉が敷き詰めてあります。お茶の香りはその場でしか楽しめません。



巨大な集積木材のオブジェ。ここからだと何を示しているか分りませんが ...



カメラをもって、上にかざして撮った写真。中国大陸の形になっているのです。



こちらは逆にくりぬかれた部分が中国大陸の形になっています。



巨大なタンスみたいな直方体がならんでいます。実際にタンスと同じように作っているんだったかな。実際のタンスとは違って、丸いあなが開いていますが、その位置が少しずつずれています。覗くと...



月の満ち欠けみたいなイメージが現れます。



壁、床、前面が写真で埋め尽くされています。それぞれの写真は、北京オリンピックを前に、これまであった建物がいっせいに取り壊され現れた巨大な空間を撮ったものです。土地は原則国家のものであった中国では、こういう開発が一気にできるのです。

一方で、アイ・ウェイウェイはあの、北京オリンピックのメーン会場である鳥の巣の設計にも大きく関わっています。

中国の伝統を壊し新しいものに置き換えて行く過程、そういうものに疑問を抱きながらも、新しい中国を築いて行くのに関わる自分。そういうジレンマを作品の中に込めているのかもしれません。

追記: そうだ、広瀬香美さんもこの展覧会に行ったって書いてました。
夜ブログ)「トリの巣スタジアム」の人 (2009.10.20 18:00)

2009/11/08

鴻池朋子展

ご無沙汰しております。

まとまった時間がとれず放置しておいた題材を少しずつ書いて行こうと思います。

まず、9月23日に行って来た鴻池朋子 「インタートラベラー 神話と遊ぶ人」 (オペラシティアートギャラリー)。

全体が大きなストーリーになっているような展示方法が面白かった。ひとつひとつの展示室が、マントル層とか外核、内核のようにテーマ付けられていて、地球の中心に向かって進むような感じになっています。その展示室間は狭い入り口で結ばれています。

モチーフは、人間とオオカミの合体、超と人間の合体、羽根の生えた球体など不思議な生き物。オオカミの毛皮を吊るした部屋もあって、最初にアレルギーがないか訊かれます。

巨大な赤ちゃんの頭の形をしたミラーボールが中心に置かれた部屋もあって、光がぐるぐる廻っています。私はなんとか大丈夫でしたが、一緒に行った人は耐え難いようでした。止まっている時もあるので移動するならそのときがチャンス。

この展覧会は終ったものですが、同じ作品を使った展覧会が鹿児島で行われています。

霧島アートの森: 「鴻池朋子展 インタートラベラー 12匹の詩人」
2009年10月09日(金)〜2009年12月06日(日)

これは美術館外のアートの森などを使った展示がなされるようで、作品としては同じでも展覧会として面白そうですね。とても行けませんが。

Tokyo Art Beatによるインタビュー







先に示した オペラシティアートギャラリーの展示会情報の「展示会について」というところにも、本人が作品を語るビデオがあります。

2009/11/03

今日じゃないけど文化の日

おはようございます。

今日は文化の日。でもやることがあって休日出勤です。連休最後の日の人にむけて、10月31日に行って来たいくつかのイベントに関して書いておこうと思います。



神宮外苑で行われているTokyo Designers Week。開園前に行ったのですが、既にずいぶん並んでいました。

当初は午前中ここへ行って、次に東京ミッドタウンで行われている『THE OUTLINE 見えていない輪郭』オープニングトーク「2人に見えている輪郭」に行って、またここへ戻って来るつもりだったのですが、一旦出たら再入場できないんですね。ここまで来て初めて知りました、というか気がついていませんでした。


急遽予定を変更して東京ミッドタウンへ向かうことにしたのですが、オープニングトークまで時間があるので、一度行ってみたかったワタリウム美術館へ行きました。「ルイス・バラガン邸をたずねる」という展示会が行われています。

建築は昔はそれほど興味はなかったのですが、最近少しずつ面白いと思うようになりました。建築もプロダクトデザインと同様に、生活に密着したデザインですしね。

ワタリウム美術館では、「15人の建築家と15人の表現者による対話実験」という企画もやっているんですね。11月12日は武井誠x諏訪綾子『腹の底のさらに奥』

「ルイス・バラガン邸をたずねる」は来年1月24日までで、一度切符を買うと期間中何度も見ることができます。

その後東京ミッドタウンへ。

21_21 Design Sightへつながる遊歩道に沿って流れる小川の中には、アーチストと瓦業者のコラボによる作品が展示されていました。関連イベントの3番目、JAGDA KAWARA EXHIBITIONです。瓦と河原をかけているのかな。2番目のINADA STONE EXHIBITIONには気づかなかったな。

深澤直人と藤井保のトークは予約でいっぱいでしたが、隙間の床に座り込んで聴いてきました。会場が吹き抜けの地下1階なので、そこを見下ろす階段も鈴なりのオーディエンス。充実した2時間でした。


またTokyo Designers Weekへ戻り駆け足でいろいろみてきました。Tokyo Designers Weekは今日が最終日です。

東京ミッドタウンで行われているDESIGNTIDEも今日が最終日。また、東京ミッドタウンではデザイン会社IDEOに関する展示も行われているそうで、これも今日が最終日。これはちょっと行きたくなっています。

リンクも示そうと思いましたが、そろそろ出勤なので、詳しい情報に関して検索してください。個別のイベントに関してはまた別に感想を書く予定です。

2009/11/02

UNIQLO TUNES

UNIQLO TUNES ... うーん、よく分らない。


... もう動いてないですね。

CNET Japan 2009/11/02 ユニクロの音楽サービス「UNIQLO TUNES」公開 (注意!リンク先音が出ます)
UNIQLO TUNESはヒートテックアイテムと有名モデルたちがリズミカルに動くブログパーツ。インターネット上のMP3ファイルを指定することでオリジナルのUNIQLO TUNESを作成することもできる。

2009/11/01

Happy Halloween



こんばんは。

GREMSの今日の画像。10月31日中に間に合いました。

ゆきさんのブログで知りました。

Tokyo Designers Week、深澤直人×藤井 保トークセッション等に関してはまた別記事で。

2009/10/30

今日からTokyo Designers Week

Tokyo Designers Week 2009 10月30日(金)〜11月3日(火・祝)

いつ行こうかな。

同時期にこちらも開催される。→ DESIGNTIDE TOKYO 2009

こちらのほうは一度も行ったことがない。Tokyo Designers Weekへ行ったらそれだけでおなか一杯になるから。

しかしこれだけじゃないぞ。

クンスト・オクトーバーフェスト'09 2009年10月31日(土)11:00 〜19:30
-- 東京・中央区の現代アートギャラリーを20分〜25分間隔でバスが巡回するツアー
-- ビールも乗車も無料!

しかし31日はこちらもある。

『THE OUTLINE 見えていない輪郭』オープニングトーク「2人に見えている輪郭」
-- 深澤直人と藤井 保のトークセッション。

悩むなあ。

過去の記事:
2005年 - Tokyo Designer's Weekに行って来た
2007年 - Tokyo Designer's Week 2007
2008年 - Katrin Olina
-- メイングラフィックを担当したアイスランドのイラストレーター。この年はTDW自体の記事は書いてなかった。

2009/10/29

形容詞+「です」って違和感ありますか

おばんです。

ちょっと前の記事になるが、こんな記事があった。

蟹亭奇譚 2009-10-22 [ことば]「形容詞 + です」という日本語の用法について

ここでは、 九十九式 (復活してたんだ ... ) の『変な日本語(1) 「危ないですから」 』
言うまでもなく、「危ない」という形容詞に直接「です」を付けるのは誤用だ。
に対して、過去の文学作品中でも自然に使われている例を多く挙げ、誤用ではないとしている。

私も誤用ではないと考えるし使ってもいるが、形容詞+「です」って違和感があるという人がいるのも理解できる。自分自身でも「危ないです」とか「大きいです」と書く時にはほぼ毎回そのまま書くか言い換えるか判断しているのだ。それは、「食べれる」や「来れる」など、一般には「ら抜き言葉」と言われる「上/下一段動詞、カ変動詞の可能動詞化」を使う時にも同様だ。

自分ではOKと思っていても読み手が気にすると思えば避ける。余計なところで読み手の思考を中断したり、突っ込む隙を与えたくない (「ソンナトコロニコダワッテナイデ、ホンブンノナイヨウヲヒョウカシテクダサイヨ」)。

話がそれた。「大きいです」に違和感のある人も

「大きいですね」
「大きいですよ」

は、すっと入ってくるのではないだろうか。

「大きいですが ...」

はどうだろう。

このように日本語は (言語はかもしれない) その前後によって容認される度合いが大きく変わってくる。九十九式氏のように、「です」を「だ」に変えると受入れられないのが分るでしょ、というのは意味がない。「です」を「だ」に変えるから受入れられなくなるのだから。

蟹亭奇譚氏の記事では最後の段落
我々は 《話し言葉》 を用いるとき、聞き取りやすい言葉、わかりやすい言葉を使ったほうが、相手によく伝わることを、経験から学んでいる。駅員が 「危険ですから」 ではなく、「危ないですから」 とアナウンスすることによって、外国人や子供を含むより多くの人たちに理解を促すことができれば、そのアナウンス自体の目的を達成したことになるのではないだろうか。
に強く同意する。言語は人に伝えるためのものなのだから。

一方、変えないようにするという立場も一定の範囲で理解ができる。「変えない」=「皆が共通に理解できる」=「伝わる」なのだから。「一定の範囲」と書いたのは、また九十九式氏の文章に戻るが、最後に
本当は正字・正仮名遣いで書いた方が望ましいよなぁ…ということになるんだけど、これはまた別の話ということで。
と書かれているからだ。九十九式氏はここでは態度を表明していないが、歴史的仮名遣いを使う主張をしている人は存在する。彼等は「伝わる」ことを「伝統に忠実である」か何か (彼等は「美しさ」と呼ぶかもしれない) よりも低く評価している。

最後に、出版社ディスカバー21の社長干場さんがこういう発言をしている。

hoshibay: 「危ないです」は書籍編集では「危険です」か「危ないのです」に直します RT @masakocafe9516: 丁寧に言う時は使います。RT @mayumiura RT @maruyama097: 「危ないですから」に違和感を持つ人がいること、初めて知りました。 (Sat Oct 24 16:24:31 +0000 2009)

本の現場では「形容詞+です」はまだ避けるべき表現なのだろう。それは先に書いた読み手を考えるというところにつながる。

ただ「の」を入れるというのは、どうなんだろうね。例えば「大きいです」に「の」を入れて、「大きいのです」にしちゃうとニュアンスが変わってしまうと思う。強調されるだけでなく、理由を意図しているような感じをうける。

デアル調で書いてみるとニュアンスの違いが見えて来るかもしれない。

「大きい」と「大きいのだ」。

「今日の富士山は美しい」と書くとそのままでもすっと入るけど、「今日の富士山は美しいのだ」だと、「だから何?」と聞きたくなる。

さきほど、「です」を「だ」に変えるから受入れられなくなるのだ、と書いておきながらなんだよと思われるかもしれないが、ここでは接続可能かという構文上の話をしている訳ではなく、ニュアンスの話ということでご了解下さい。

2009/10/23

同盟の皆さん!

なんと魅惑的な響きでしょうか。

肉料理のテーマパーク「ミートレア」12月3日オープン 「とんかつパフェ」も (ITmedia 2009/10/21)

それともこちらでしょうか? (via ゆきさん)

追記: すみません、「同盟」じゃなくて「連盟」でしたね。

2009/10/17

「よろしかったでしょうか」の意味

こんにちは。

先日、「いらいらさせる言葉 [英語編]」で、
「ウエダさんのお宅でよろしかったでしょうか (いきなりなぜ過去形?) 」とか「こちらがコーヒーになります (いつなるんだよ)」など腹立たしい言葉が多くありますね。
と書いたら、pacer3さんから「過去形の日本語ってのは、昔からえん曲の丁寧語としてあったようですね。」とのコメントいただいた。

そういう使い方のことをしらなかったのだけど、ちょうどその前10月9日にNHKで放送された、「みんなでニホンGO!」という番組で「よろしかったでしょうか」がとりあげられたそうだ。

はてな匿名ダイアリー 2009.10.10 これでも「よろしかったでしょうか」を認めない奴は何が不満なんだ!
乱れた敬語とされている「よろしかったでしょうか」は文法的には全く間違っていない。「た」は婉曲表現であると明海大学井上史雄教授。
井上史雄に関しては以前取り上げたのだけど、彼の著書は基本的には言語の使用のされかたをそのまま受け入れるスタンスだった。「婉曲表現である」というのは、現在そのような使われ方をされているということだろう。文法的には全く間違っていないというのも、構文的に間違っていなくても、意味論的に間違っているものや運用論的に間違っていないということの検証が必要だろう。

ちょっと補足すると、運用論的に間違っているというのは、「○○部長はいらっしゃいますか?」と電話で問われて、「はい、そばにおります」と答えるようなもの。

この匿名ダイアリーの人は、NHKの取材をまとめるとOKと結論づけられたものが、一般のアンケートでは否定的であることに対して、それはクレームをつける人が (特に東京で) 多いからであって、言葉狩りであるとして断罪している。

これに対して、次のような意見もあった。

Living, Loving, Thinking: 「よろしかったでしょうか」はやはりよろしくない
「た」は他のありようがありえないような確定性、排他的な断定性を表す。
...
とすれば、何故「よろしかったでしょうか」がむかつくのかは略自明であろう。
承認を求めているようにみえて、否定を許さないというニュアンスがあることを指摘している訳だ。

さて私は最初「ウエダさんのお宅でよろしかったでしょうか」は腹立たしいと書いた。これは電話での第一声に対しての反応で、実はレストランで確認される「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」は私自身は問題視していない。

レストランでの注文の確認のシーンはこうだ。
・ご注文を繰り返させていただきます。
・ハンバーグステーキセットと ...
・ご注文は以上でよろしかったでしょうか。

ここで過去形にしているのは、私の理解を述べた、その表明 (過去というより完了) に対する承認を得ている訳で、決して客が注文するものを押し付けている訳じゃない。

一方で電話の「ウエダさんのお宅でよろしかったでしょうか」は、「私は (カモ顧客候補リストをみて) 電話をかけた、その電話番号は間違ってなかったか」ということを問うている訳だ。

知るか。電話掛けてって頼んでねーよ。

腹立たしいというのがご理解いただけると思う。

ところで「いらいらさせる言葉 [英語編]」でいただいたコメントに対して、私は、
英語では助動詞の過去形が丁寧として使われるのですが、そこには共通する何かがあるのかもしれませんね。
と書いた。

"Living, Loving, Thinking"のSUMITA氏は、
「よろしかったでしょうか」の「た」は「婉曲表現」であると国語学者の井上史雄氏は述べているらしい。そうなの? ただ、「よろしかったでしょうか」の〈外資系起源〉説があったと思う。英語では、will you…?よりもwould you…?の方が丁寧な表現であるように、時制を過去にすると丁寧になるということがある。「よろしかったでしょうか」は外資系企業の英語の接客マニュアルを和訳するときに〈丁寧としての過去〉を素直に直訳してしまったのが起源なのだと。と書きつつ、その出典は忘れてしまった。
と書いている。私は「共通する何かがある」と書いた時に、誤解のことも意識していた。

以前「コーヒーが飲みたい」という文に対して、「コーヒーが何を飲みたいのかな?」という形で間違いを指摘している人がいた。この人は、主語と目的語があって、主語は「〜が」、目的語は「〜を」で示さねばならないという固定的な考えを持って言っているのだと思う。きっと日本語で「私はコーヒーが飲みたい」というのが自然な文として認識できなくなっていたのであろう。

2009/10/15

できることから、って陰謀では?

こんばんは。今日はBlog Action Dayですね。

今年のテーマは「気候変動」なんだけど、これって一昨年の「環境」とどう違 ... はっ、これもう言ったんだった。

二酸化炭素排出削減に関して、よくテレビなどで、「みんなできることから始めよう」なんて言い方がされるんだけど、私としては「そんなんじゃ不十分だろ」とずっと思っている。例えばこんなの。
男の子:「ぼくはこまめに電灯を消すことにします」
女の子: 「えー? そんなのでいいの?」
先生: 「いいんです。みんなができることをやって行く、それが大事なんです」
日本はもともとオイルショックで省エネ化が進んだところが削減のスタートラインになるので、国民は「乾いた雑巾を絞るような」努力が必要だったはず。そんなんでダメだろ、と思っていました。

そんななか、最近smart.fmの英語学習教材にとりあげられたアル・ゴアの講演で、ゴアは同じような主張をしていることを知った。

Smart.fm Al Gore 『気候Tの危機的状況に関する新しい考え方』

TED Al Gore's new thinking on the climate crisis
We have to have a unified view of how to go about this: the struggle against poverty in the world and the challenge of cutting wealthy country emissions, all has a single, very simple solution.
世界の貧困との闘い、そして先進国による二酸化炭素排出の削減という課題、全てに、一つのとても簡単な解決法があるのです。
People say, “What’s the solution?” Here it is. Put a price on carbon. We need a CO2 tax, revenue-neutral, to replace taxation on employment, which was invented by Bismark.
人々は「その解決法って何?」と聞きます。これがその答えです。炭素に値段をつけるのです。つまり二酸化炭素税です。ビスマルクが考案した雇用税に代えて、増減税同額の税制が必要なのです。
これにより先進国も発展途上国も一様に削減の努力をするモチベーションになる。

ただしもちろんここには痛みを伴う。家庭も「できることから」レベルではすまされないし、それ以上に、企業へのインパクトが大きい。

そのため、このような仕組みの導入を阻止するべく、導入時にはご家庭の負担はこんなになる等の脅しをかけ、一方で「できることからでよい」( = 「新しい税の導入は不要」) と思わせるキャンペーンを行っているのではないか。というのが私の穿った見方。

さらには、「このような新しい税の導入は、庶民からお金を巻き上げて懐に入れることを狙った陰謀」と考えている人もいるが、そのような考えを植え付ける陰謀が存在しているのではなかろうか。陰謀論が好きな人は、そういう新しい陰謀論を容易に取り入れるので、攻略しやすい存在と言える。

この陰謀は、陰謀論を信じ二酸化炭素削減に懐疑的な層も、二酸化炭素削減に素直に一生懸命取り組む層も、両面を同時に攻略する戦略なのではないか。って私もだんだん陰謀論の魅力に取り憑かれているような気がする。うそうそ。まだ冷静なので皆さんご安心下さい。

2009/10/14

今年のBlog Action Dayのテーマは「気候変動」

一昨年の「環境」とどう違うんだよ!

明日です。

日本語サイトは Blog Action Day 2009: Climate Change

事前登録もしておきましょう。→
ブログアクションデイ登録ページ(日本語)

何を取り上げようかな。「気候変動」に絞るとちょっと書きにくいですねー。

過去の記事:

2007年 予告: 10月15日 Blog Action Day - 今年のテーマは"環境"、当日: ヤトロファって何?
2008年 予告: 今年のBlog Action Dayのテーマは「貧困」、当日: ホワイトバンドまだつけてる [Blog Action Day]

2009/10/12

いらいらさせる言葉 [英語編]

こんにちは。

表題は「うぜ〜言葉」とかしたほうが良かったかもね。日本語だと「ウエダさんのお宅でよろしかったでしょうか (いきなりなぜ過去形?) 」とか「こちらがコーヒーになります (いつなるんだよ)」など腹立たしい言葉が多くありますね。それから最初書いた「うざい」とか、自分の考えを表現できず、「あなたとは関わりたくない」という意味しかない言葉。

もちろん人を不快にさせる表現は日本語だけではない。

ABC Newsにこんな話題がありました。
Oh, Anyway, Whatever! (video)
'Whatever' So Totally Top Annoying Word Poll (text)

以下投票結果。

whatever 47%
you know 25%
it is what it us 11%
anyway 7%
the end of the day 2%

最初の "whatever" に関しては、"Slang: The people's Poetry"の著者でもあるインディアナ大学英語学マイケル・アダムス准教授"whatever"は、言い方にもよるが、dismissivenessを示す言葉になりうると言う。

"dismissiveness"とは何か、辞書には"dismissive"
dismissive 形容詞(思い上がった態度で)(…を)却下する[はねつける]ような?of ...?
と「思い上がった態度で」という但し書きがついている。ふむふむ。

"you know"は、キャロライン・ケネディが使っているところが出ているけど、同意を求める言葉。日本語では「ご存知の通り」か。これ言われると、知らない方がいけないみたいな感じになる。日本語でそれよりも押し付けがましいのは、「〜じゃないですか」かな。「私って、〜な人じゃないですか」なんて言われると「知らねーよ」と言いたくなるな。

上に出て来た言葉は日本語に比べて気にならないな。それって、私が英語のニュアンスが分らず、一方で日本語のほうがその後ろにあるコノテーションを感じ取ってしまうからかもしれない。

2009/10/10

オバマのノーベル平和賞受賞もいいかもね

おはようございます。

昨夜第一報を知ったのがTwitterだったので、最初「え?候補に上がったの」と思ったのですが、本当だったんですね。

mainichijpedit: 速報!今年のノーベル平和賞はオバマ米大統領です。 (Fri Oct 09 09:07:08 +0000 2009)

mainichijpedit: ノーベル平和賞オバマ米大統領に 当初より少し詳しくなりました http://bit.ly/165rZ5 (Fri Oct 09 12:25:42 +0000 2009)

この前、核兵器廃絶の意志を述べた演説には喝采を送ったけど (にぶろぐ「核兵器のない世界に向けて」)、まだ言っただけじゃん。おめでてーな。

ノーベル平和賞は、特に政治的な側面が強いよね。長く継続して取り組んで来た無名の人よりも、少しでも (民主主義社会にとって) 好ましい方向に進めた影響力のある人を取り上げるとか。しかしオバマねえ。私は期待しているけど、期待が裏切られる可能性は常にあると思ってる。ノーベル賞が期待を裏切られたらしょうがないんじゃないの?

そうか、これで戦争と言う選択肢をとりにくくするんだな。

オバマはTwitterでは"Humbled"と一言つぶやいている。

"humbled"というのは「大統領就任演説」 (YouTube) の最初の文で使った言葉。
My fellow citizens, I stand here today humbled by the task before us, grateful for the trust you have bestowed, mindful of the sacrifices borne by our ancestors.
国民のみなさん。私は今日、我々の目の前にある問題に対しての謙虚な気持、皆さんが私に授けてくださった信頼への感謝、我々の先祖たちが払った犠牲を心に留めながら、ここに立っています。
(smart.fmより)
訳の対応は分りにくいけど。「謙虚になっている」ということ。

「謙虚になっている」というよりも、期待の大きさを裏切れないという困惑かもしれない。
ケイティ・クーリックは、"Katie Couric's Notebook: Nobel Prize"で、
But just nine months into his first term, it seems more like an investment - a futures trade from the Nobel committee - on the promise of what they might see one day - from the man who now literally has the world on his shoulders.
と言っている。「投資」みたいなもの。

投資というより賭かもしれない。

しかし、投資の世界では大口投資が株価の上昇につながりさらに多くの投資家を集めることになる。こういう比喩を考えると、彼にノーベル平和賞を与えることが、彼の核兵器廃絶への取り組みへの期待を大きくさせ、廃絶への道に進展することが期待できるかも。

ただね、私は廃絶が進展することにはあまり大きな期待を抱いていない。世界中の意識が廃絶の方向に向かうだけでも十分。北朝鮮とかイランとか拡散する方向が止まってくれればと思う。

ぶんさんが、オバマのノーベル平和賞受賞スピーチをとりあげていますね。ここでも"humbled"と言っている。

マグロの日って

エキブロカレンダーに載ってたんだけど (載せたの俺だけどな)、10月10日なの? それとも第2月曜日なの?

exbloggers - Calendar

そういえば、10月15日はBlog Action Day。今年のテーマは「気候変動」。

あ、xiaoxiaさんのところでお祭り始まってました。

2009/10/03

光 松本陽子/野口里佳

こんばんは。

先週は国立新美術館で開かれている

光 松本陽子/野口里佳

に行って来ました。ハプスブルグ展が始まったばかりで多くの人がそちらに行ってたけど。

松本陽子の抽象画は、同じようなものばかりでちょっとうんざりした。いつもならば、抽象画や現代美術は、その訳の分らなさを楽しむ姿勢で臨むのだけれど、これだけ同じようなものが続くとそんな気にもなれない。

展示室の中にカタログが置いてあったので、本人の文章を読んだ。それを読んで自分の不満の理由がわかったような気がする。

・抽象画は凡庸になりがち。独自性が必要になる。
・世の中には、赤の抽象画、青の抽象画が多い。その中で自分はピンクを選んだ。
・奇を衒った訳ではない。自分のものにして行った。それは自分にとって約束された色だ。
・変わらなければいけないし、変わってはいけない。

最後の項目はよく分る。自分の個性というものは同じスタイルを続けて初めて認識される。それは「作風」といわれ、それがなければ個性が確立されていない、発展途上と呼ばれてしまうのだ。一方で、その個性はマンネリとも同義だ。

松本の作品は、色だけがマンネリというだけでなく、形もないので、作品の差が見えない。作品を作る際に、制作意図がそれぞれあるのだろうかとさえ思う。個々の作品に対する内面から生まれてくる情熱ではなく、アーチストとしてのマーケティングが見えるような気がするのだ。そこがうんざりした理由なんだろうと思う。

一方、もう一人の 野口里佳は写真家で、こちらの作品は、アート的な良さは分らないのだけど、松本作品のような嫌悪感を感じることはなかった。

ところで、それより前に、鴻池朋子展とアイ・ウェイウェイ展にもいたのだけど、こちらは感想をまだ書いてなかったな。

2009/09/29

犬猿の仲

おはようございます。
ABC の "Good Morning America" で「自然の法則に挑む動物のカップル」ってやってた。オランウータンとハウンドドッグ (こういう犬種じゃないよね,たぶん) の組み合わせ。あ、オランウータンは猿って言っちゃいけないのか。
この番組の仲ではNational Geographicのビデオとして出ているので、YouTubeのNationalGeogaphic チャンネルを探したんだけど見つからなかった。かわりに見つけたのがこれ。

もとは http://www.youtube.com/v/mteaujyyeO0 だったけど無効になっている。新しく見つけたのが下記。


サイトまであるんだね。→ www.SuryiaAndRoscoe.com なお、National Geographicのサイトには下記ページがあった。 UNLIKELY ANIMAL FRIENDS タブでビデオ、写真に切り替えられます。

2009/09/23

アンリ・リヴィエール展

おはようございます。敬老ウィークももう終わりですね。私明日も休み取ってるけど。

昨日は神奈川県立近代美術館 葉山で行われているアンリ・リヴィエール展へ行って来ました。名前も知らないアーチストだったのだけど、展覧会がすばらしく充実していて、良かったです。

リヴィエールは浮世絵に心酔し、フランスにいながら (日本には一度も来たことがない)、独学で浮世絵を作るための木版画の技法を開発したそうです。そして自分でも浮世絵風の多色刷り木版画を制作しています。構図や色使いにも影響をうけているのがよく分ります。

日本の浮世絵が、絵師、彫り師、刷り師の分業体制で作品を制作したのに対して、リヴィエールはそれを一人でこなしたので、恐ろしく時間がかかる。彼の習熟度では、細い線などを出すことができなかったのでしょう、浮世絵としては我々から見るとかわいい感じの作品になっています。でも当時の洋画界 (っていう言い方もおかしいけど) では新鮮な作風だったんだろうなと思います。

そのため、やがて、彫りと刷りを工房に任せられるリトグラフに移って行きます。工房と一緒にリトグラフのぼかし技法を開発し、浮世絵の作風をリトグラフで再現するようになったそうです。

私としては、このリトグラフ作品が一番気に入りました。木版画の時代よりも特に色使いの面で格段に進歩していると思います。また、ここでも研究熱心なところが出ていて、季節による違い、明け方から夜までの違い、天候による違いを出すことを試みた連作を多く発表しています。そのバラティも気に入った理由の一つでもあります。

«建築中のエッフェル塔 トロカデロからの眺め»
今回の展示が素晴らしかったのは、リヴィエールの作品と、構図の似ている浮世絵作品と並べたり、彼自身がとった写真と版画を並べて、比較できるようにしたところです。

また、リヴィエールに影響を受けた日本の版画家の作品も展示していました。この中には同じ版木を使って異なった時間帯のその場を表現した連作もありました。こういう他との関連も分る展示がただの回顧展と違うところだと思います。今回は作品も良かったのですが、この展示方法に、ただ借りて来て並べましたというのではない、意欲が感じられました。

アンリ・リヴィエールって今回初めて知ったのだけど、そもそも作品が出回っていなかったように思います。今回、これだけ大量の作品が出た背景には、所有していた人がフランス国家に相続税の物納として納めたということがあるらしいです。

湘南はやっぱり渋滞していました。午前中は江ノ島から鎌倉方面は+15分くらいの込み方ですんだけど、午後になって逆方向は+1時間かかりました。

今日はこれから鴻池朋子 「インタートラベラー 神話と遊ぶ人」にいってきます。

2009/09/21

こうやってビジネスプランはできていく

ほんとか。

継続してTwitter用ツール実践テスト中。
[追記: アイコン変えられると追えなくなるのはなにか方法あるのかな。]
追記 (2017/1/8): もう動かしていません。


goroyasu: 勝間和代疲れなる言葉が最近あるけど、勝間さんらしくない圧倒的に役に立たないくだらん本出したらいいと思う。広瀬香美と延々無駄話してるだけの本とか。 (Mon Sep 21 02:33:01 +0000 2009)





Ginzi_IT: 買う! @hoshibay さん、出しませんか? かなり有用な書になる気がします。 RT @goroyasu: 勝間和代疲れなる言葉が最近あるけど、勝間さんらしくない圧倒的に役に立たないくだらん本出したらいいと思う。広瀬香美と延々無駄話してるだけの本とか。 (Mon Sep 21 03:10:15 +0000 2009)





hoshibay: だって! @kazuyo_k さん! RT @Ginzi_IT: 買う! @hoshibay さん、出しませんか? かなり有用な書になる気が RT @goroyasu: 勝間さんらしくない圧倒的に役に立たないくだらん本出したらいいと思う。広瀬香美と延々無駄話してるだけの本とか。 (Mon Sep 21 04:07:48 +0000 2009)





kohmi: RT @hoshibay: だって @kazuyo_k さん! RT @Ginzi_IT: 買う! @hoshibay さん出しませんか? かなり有用な書になる気 RT @goroyasu: 勝間さんらしくない圧倒的に役に立たないくだらん本出したらいいと思う。広瀬香美と延々無駄 (Mon Sep 21 04:08:52 +0000 2009)





kohmi: @hoshibay あら〜私とかずよちゃんのトークは、みなさんに勇気と希望をあたえる会話だと思うんですけれどねー(微笑) (Mon Sep 21 04:10:14 +0000 2009)


そういえば「頼る力」はどうなった?

そうだ、こういうRTの連鎖を見るために、viratterってあったな。

結果: goroyasu さん発言からのRTツリー



発言の文字列としての比較を行っているのでちょっとでも違うと追えなくなることはあるだろうね。