こんばんは。
日曜日に、サントリー美術館で行われている鏑木清方の展覧会「清方ノスタルジア」に行って来ました。
サントリー美術館のある東京ミッドタウンはさまざまなクリスマスの飾りで彩られていました。これはサンタクロースの人形が満載のツリーです。11時前に行ったのですが、もうちょっと待つとイルミネーションがついたみたい。
MIDTOWN CHRISTMAS
美術展を見て、東京ミッドタウンのデザインショップ巡りをして、食事して、六本木ヒルズにも行ってみました。
六本木ヒルズって分りにくいですね。普段は美術館へ行ってそのまま途中のお店をスルーして帰るのですが、その帰り道以外にもお店はたくさんあるだろうと思うのです。でもどう行っていいか分らない。マップももらったのだけどその読み方がすぐには分らない。普段スルーするとは言っても少なくともお店が集まっているところに一度は行ったことがあるはずなのですが、どこだったか思い出せない。
結局それは4階より上だったようで、3階まではうろうろしてあきらめた私たちは、もうちょっとちゃんと探せば良かったのかもしれません。しかし賑やかなところへ到達するのに、お店が少ないところを通過して行かなければいけないというのは設計がまずいんじゃないかと思います。
東京ミッドタウンや表参道ヒルズ、横浜ランドマークプラザのように、下から上が分る吹き抜けが必要なんじゃないかなあ。
うちにお土産を買って帰るのに結局また東京ミッドタウンに戻ってしまいました。昼間は結構すいていたのに午後3時頃になると結構混雑していました。なぜかと考えたのですが、イルミネーションが点灯される夕方を待っていたんですね。それを待っていると帰るのが遅くなるので、我々は点灯前に帰って来てしまいました。
そうそう、鏑木清方でしたね。明治時代の人と思っていたのですが、第二次世界大戦後も作品を発表していたんですね。戦時と言うことで美人画が規制される中、それに反発し、発表することをやめ自宅で美人画の制作に打ち込んだ反骨の精神の持ち主。土門拳など同時代のフォトジャーナリストが政府の宣伝機関としての役割を果たすようになって行った中で、その精神は特筆すべきものと思います。
2009/12/23
2009/12/19
新型iMac買いました
こんにちは。ご無沙汰しております。
先週日曜日、新型iMac買いました。一番下のグレードなんですが、102,800円でめちゃ安だったので即決です。
4年前に買ったiMac G5は、処理速度的には特に問題はなかったものの、今年の夏頃から液晶にデフェクトが出て来ていました。縦に表示されないラインが発生して来ていて、それが10本以上になっていたのですが、まだまだがんばるつもりでした。
しかし前日 (12日) 突然立ち上がらなくなったのです。マニュアルを出して来て、トラブルシュートの方法を試してみました。立ち上げる時にPRリセット起動しようとしても起動音にも行き着かない。電源コードもはずしてみたけどダメ。しばらく電源を落としておくと、少しは進むのですが、途中でマウスカーソルが動かなくなるんです。
その日は遅いので、朝から背面開けたまま起動してみたりしたんですが、やっぱり途中で固まるので諦めました。
液晶のデフェクトも256本くらいまでは頑張るつもりでしたが、そのうち買わないといけないと思っていたので、潮時だったんだろうと思います。
まず価格を調べるつもりでお店に行ったら、この価格。おもわずこれ最新型ですよねえとお店の人に聞いてしまいましたよ。光回線への加入が条件と言うのでもなかったので、そのまま買って帰ってきました。
もとのが17インチで新型が21インチです。見た目ははあまり大きくなっていません。
とはいえ、大きな存在感です。もっと全体像を出せばよいのでしょうけど、机の周囲があまりきれいでないので ...
TimeMachineバックアップから転送中。前回も書きましたがらくちんですね。
Intel Macでないと使えないソフトも多くなってたし、iLifeも新しくしてなかったので、これからいろいろ使ってみます。
先週日曜日、新型iMac買いました。一番下のグレードなんですが、102,800円でめちゃ安だったので即決です。
4年前に買ったiMac G5は、処理速度的には特に問題はなかったものの、今年の夏頃から液晶にデフェクトが出て来ていました。縦に表示されないラインが発生して来ていて、それが10本以上になっていたのですが、まだまだがんばるつもりでした。
しかし前日 (12日) 突然立ち上がらなくなったのです。マニュアルを出して来て、トラブルシュートの方法を試してみました。立ち上げる時にPRリセット起動しようとしても起動音にも行き着かない。電源コードもはずしてみたけどダメ。しばらく電源を落としておくと、少しは進むのですが、途中でマウスカーソルが動かなくなるんです。
その日は遅いので、朝から背面開けたまま起動してみたりしたんですが、やっぱり途中で固まるので諦めました。
液晶のデフェクトも256本くらいまでは頑張るつもりでしたが、そのうち買わないといけないと思っていたので、潮時だったんだろうと思います。
まず価格を調べるつもりでお店に行ったら、この価格。おもわずこれ最新型ですよねえとお店の人に聞いてしまいましたよ。光回線への加入が条件と言うのでもなかったので、そのまま買って帰ってきました。
もとのが17インチで新型が21インチです。見た目ははあまり大きくなっていません。
とはいえ、大きな存在感です。もっと全体像を出せばよいのでしょうけど、机の周囲があまりきれいでないので ...
TimeMachineバックアップから転送中。前回も書きましたがらくちんですね。
Intel Macでないと使えないソフトも多くなってたし、iLifeも新しくしてなかったので、これからいろいろ使ってみます。
2009/12/10
地球に一票を
こんばんは。
奥田みのりさんがYahoo!ボランティアブログに「COP15 温暖化防止に賛成の一票を」という記事を書いています。
それがこのサイト。Vote Earth.
多数決で何かが決まる訳じゃないけれど、数は力ですから、参加お願いします。
これとは別ですが、こんなのもあります。→ Hopenhagen
"Let's turn Copenhagen into Hopenhagen."と、希望を託している訳ですね。こちらもお願いします。
奥田みのりさんがYahoo!ボランティアブログに「COP15 温暖化防止に賛成の一票を」という記事を書いています。
コペンハーゲンには行けないけれど、COP15の有意義な決定を望む人も多いはず。
そんな皆様に朗報です!
日本にいながら、皆さんの意思をCOP15に伝えることができるのです!
それがこのサイト。Vote Earth.
多数決で何かが決まる訳じゃないけれど、数は力ですから、参加お願いします。
これとは別ですが、こんなのもあります。→ Hopenhagen
"Let's turn Copenhagen into Hopenhagen."と、希望を託している訳ですね。こちらもお願いします。
2009/12/03
国立国会図書館と著作権法の改正
パブリックコメントの募集で、
著作権法施行規則の一部を改正する省令案に関する意見募集の実施について意見・情報受付開始日:2009年12月2日
意見・情報受付締切日:2009年12月13日
というのがあった。
中身をみると、国立国会図書館館長の長尾先生の講演で出て来た話題に関係する部分があった。ここでは著作権関連をまとめておこう。ただ今回は「著作権法施行規則の一部を改正する省令案」なので、「著作権法施行規則」が必要のない「著作権法」部分があるかもしれない。
・これまで日本ではウェブサイトのアーカイブはできなかったが、今回、国、自治体に関してはできるようになった。自治体は合併すると元の自治体のウェブサイトは消えてしまうため、保存は重要。カナダもウェブサイトのアーカイブができるようになったが、過去分はないため、インターネットアーカイブ社から購入した。
・書籍は書籍としての保存のためにデジタル化ができるようになった。コピーサービス (有料) はデジタルデータから行える。ただし図書館内での利用に限定される。
・また、デジタルデータは研究のために使えるようになった。
・目の見えない人のために、デジタル化し、音声合成で聞かせることができる。
・弱視の人のために、大活字本の作成ができるようになった。
・スキャンした書籍は画像として保持しているため、テキスト検索はできない。OCRを行っているが、それは音声合成用。
画像として保持して検索できないんじゃダメじゃん、という意見があることは私も知っていますし、同意もできるのですが、法律改正でやっとここまでできるようになったというのが実情のようです。著作権者の反対が強く、なかなか変えられないので、5年単位で少しずつ変えて行くことを目指しているそうです。先は長そうですね。
なお、今回、「著作権法施行令の一部を改正する政令案の概要」(PDF) には書かれていて、「著作権法の一部を改正する法律・新旧対照表」 (PDF) に書かれていないものとして、「第30条三」がありました。
著作権法施行規則の一部を改正する省令案に関する意見募集の実施について意見・情報受付開始日:2009年12月2日
意見・情報受付締切日:2009年12月13日
というのがあった。
中身をみると、国立国会図書館館長の長尾先生の講演で出て来た話題に関係する部分があった。ここでは著作権関連をまとめておこう。ただ今回は「著作権法施行規則の一部を改正する省令案」なので、「著作権法施行規則」が必要のない「著作権法」部分があるかもしれない。
・これまで日本ではウェブサイトのアーカイブはできなかったが、今回、国、自治体に関してはできるようになった。自治体は合併すると元の自治体のウェブサイトは消えてしまうため、保存は重要。カナダもウェブサイトのアーカイブができるようになったが、過去分はないため、インターネットアーカイブ社から購入した。
・書籍は書籍としての保存のためにデジタル化ができるようになった。コピーサービス (有料) はデジタルデータから行える。ただし図書館内での利用に限定される。
・また、デジタルデータは研究のために使えるようになった。
・目の見えない人のために、デジタル化し、音声合成で聞かせることができる。
・弱視の人のために、大活字本の作成ができるようになった。
・スキャンした書籍は画像として保持しているため、テキスト検索はできない。OCRを行っているが、それは音声合成用。
画像として保持して検索できないんじゃダメじゃん、という意見があることは私も知っていますし、同意もできるのですが、法律改正でやっとここまでできるようになったというのが実情のようです。著作権者の反対が強く、なかなか変えられないので、5年単位で少しずつ変えて行くことを目指しているそうです。先は長そうですね。
なお、今回、「著作権法施行令の一部を改正する政令案の概要」(PDF) には書かれていて、「著作権法の一部を改正する法律・新旧対照表」 (PDF) に書かれていないものとして、「第30条三」がありました。
著作権を侵害する自動公衆送信を受信して行うデジタル方式の録音または録画を、その事実を知りながら行う場合 (を除き私的使用のための複製を許可する)問題になっていたダウンロード違法化だと思います。「概要」に書いていない、と書きましたが、概要の最後に出てくる
Ⅶ その他規定の整理関係に対応するのかもしれません。
Ⅰ〜Ⅵのほか、「著作権法の一部を改正する法律」(平成21年法律第53号)の施行
に伴い必要となる所要の規定の整理等を行う。
2009/12/01
これでいいのだ!
こんばんは。おでかけですか? いやもう夜だから ...
もうだいぶ前のになるのだけど、THE BIG ISSUE 10/1号に手塚るみ子と赤塚りえ子の対談が載っている。同時期に生きた二人の異なったタイプの漫画家の、同じ世代の娘二人。なかなか面白かったですね。
とか、そんな会話も面白い。手塚るみ子は、「少女漫画家のサインをもらって来て」と父手塚治虫によく頼んでいたらしい。
でもやはり同じ感覚が共有されているのが発見されると面白いかな。
今の時代ではなかなか得られない精神の自由さだよね。
最後に対談はこう結ばれている。
今「就活」という言葉を聞くと、今の若い人達が可哀想になってくる。我々の時代にも「リクルートスーツ」という言葉くらいはあったけどね。その「就活」も、自分を見つめ直し鍛え直す良い機会ととらえる前向きに捉える若い人達。その健気さに対して、この二人の大漫画家の言葉を贈りたくなる。しかし、そう思う自分も彼等にとっては傍観者にしか過ぎない。彼等も自分の人生を必死に生きている。
いただいたトラックバック
Tracked from 流れゆくままに at 2009-12-02 22:45
タイトル : 「ジンクス男の恐怖」なのだ
もうだいぶ前のになるのだけど、THE BIG ISSUE 10/1号に手塚るみ子と赤塚りえ子の対談が載っている。同時期に生きた二人の異なったタイプの漫画家の、同じ世代の娘二人。なかなか面白かったですね。
赤塚「でも、やっぱり父が描いた漫画が一番好きだったよね?」
手塚「いや、ファンではなかったと思う(笑)。... やっぱり10代の頃は少女漫画の作家さんがすごく好きだった」
とか、そんな会話も面白い。手塚るみ子は、「少女漫画家のサインをもらって来て」と父手塚治虫によく頼んでいたらしい。
でもやはり同じ感覚が共有されているのが発見されると面白いかな。
手塚治虫の言葉「親や先生にまっすぐ生きなさいと言われ、自分がそうしたいのか分らないまま突き進んで、結局思った方向に到達できなかった時、今まで何をしてきたんだと自分を見失う。そして親や学校や社会のせいにする。真っすぐに進めなくていいから自分で納得できるゴールに着ければそれが一番」
赤塚不二夫の言葉 (酔っぱらっている時)「最後につじつまがあってりゃ、何やってもいいんだよ!」
今の時代ではなかなか得られない精神の自由さだよね。
最後に対談はこう結ばれている。
手塚るみ子:自由って「自らを由 (よし) とする」と書く。自分が納得できた時に初めて、いろんな意味から開放され、自由が得られる。
赤塚えり子:野次馬やって、自分で納得して、最後に「これでいいのだ!」になればいい。
今「就活」という言葉を聞くと、今の若い人達が可哀想になってくる。我々の時代にも「リクルートスーツ」という言葉くらいはあったけどね。その「就活」も、自分を見つめ直し鍛え直す良い機会ととらえる前向きに捉える若い人達。その健気さに対して、この二人の大漫画家の言葉を贈りたくなる。しかし、そう思う自分も彼等にとっては傍観者にしか過ぎない。彼等も自分の人生を必死に生きている。
いただいたトラックバック
Tracked from 流れゆくままに at 2009-12-02 22:45
タイトル : 「ジンクス男の恐怖」なのだ
これでいいのだ!とyoshihiroueda さんがおっしゃってるので、思い出しました。 こどもの頃、天才バカボンの読者でした。単行本あつめてました。赤塚不二夫氏の、ナンセンスギャグ、実験的作品には、正直、ついていけてなかった部分もあるのですが、今になってわかる作品もあります。 作品タイトル「ジンクス男の恐怖」は、しっかり記憶に残ってます。この作品に出てくるのある男は、朝起きると、「朝日新聞、毎日新聞、、、、」と、毎朝、七つの新聞を破くのです。そして、朝食は生卵。かならず、毎朝おなじ行動を......more
2009/11/30
フォトジャーナリズムの今
こんばんは。
現在、早稲田大学において、DAYS JAPANとの共催で、「フォトジャーナリズム・フェスティバル」という企画が行われています。特に、11月下旬から12月上旬までは、イベントが集中して行われています (→ 日程)。
先週の日曜日22日に、プレ・シンポジウム「戦争・写真 そしてメディアの危機」をめあてに行って来ました。
このシンポジウム自体は午後2時からなんですが、それ以外のイベントも行われているし、2009年11月22日のイベントスケジュールにおすすめプランなんかも書いてあって、午前中から行くことにしました。
ちょうど早稲田大学ではいくつかの学部で推薦入学の入試が行われていて、生協が学生生活相談所を開いていたりしていました。立て看板など、いろいろ懐かしい感じ。
特別展示「触(さわ)れる地球」があるワセダギャラリー。
10時は過ぎていたのですが、まだ学生さんが準備を一所懸命やっている状況だったので、先に同じ建物で行われている、「DAYSの5年 戦争と混乱の時代−フォトジャーナリストは何を伝えてきたか」と企画展「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞の軌跡」を見てきました。これらはもう入ることはできたのですが受付に誰かいる訳でもなく、お客さんもだれもいなくて、大丈夫かと思いましたよ。
どちらもおすすめのスケジュールを埋めるだけの時間がかかる訳でもなく、また期間中ずっとやっているので、講演の前後にちょっとみればいいかという感じなんでしょうね。
「触(さわ)れる地球」。触れる地球は、システムは以前からあって、地球博にも出展されたそうです。これにDAYS JAPANなどの報道写真や、早稲田大学によるボランティア活動の写真が載せられています。
手でぐりんぐりん動かせるのですが、それよりもオートプレイにして、写真が画面に表示されるのにあわせて地球が回転してその写真が撮られた国や地域が前面に出てくるのを待つほうがいい感じでした。
シンポジウム開場前の様子。まだ30分以上時間があるのでそれほど人が集まっていません。
さて内容なんですが、参加者がみんなでTwitterでメモしてくれているのでそちらを利用させてもらいましょう。
フランシーヌの場合は (2009-11-22): 「戦争・写真 そしてメディアの危機」tsudaりまとめ。
--「フランシーヌの場合は」ってブログ名なんだね。若い人は知らないんじゃないの。
以下、私の感想です。
最初の広河さんのあいさつ: 「ジャーナリズムの危機」は、一般には、経済的な危機、経営的な危機として語られるが、それ以前にジャーナリズムそのものが危機に陥っている、という認識が示された。それはジャーナリズムの劣化という意味だろうと思うが、私自身はそれじゃあ良かったことがあったのと思う。
白山眞理「日本の戦争の時代、報道写真家たちはどう生きたか」: 前半は、木村伊兵衛、名取洋之助らが日本にもフォトジャーナリズムの必要性を認識し、その先駆者として努力する姿が描かれたが、後半は彼等およびその後継としての土門拳らが、政府の宣伝機関としての役割を果たす姿が描かれた。写真家自身も疑念を持っていなかったことが伺える。それが私情を交えず淡々と語っておられて、それがいっそう恐怖に感じられた。
広河隆一「現代の戦争報道とメディアの役割」: この中で印象に残ったのは、ジャーナリストも、医師や弁護士のようなプロフェッショナルとしての資格が必要じゃないかという論点。これは、医師や弁護士がもつ職業倫理がジャーナリストにも必要という意味で、決して政府がコントロールすべきだと言っている訳ではない。
上杉隆氏の講演と、広河隆一氏との対談: これが最も期待してたメニューで、期待通りの面白さだった。内容は想像通り主に記者クラブの問題。民主党政権誕生後、亀井大臣や岡田外相のおかげで少しは変化も見られるが、まだまだ他の省庁では記者クラブを温存している訳で、私とはここは一気に変えてもいいところじゃないかと思う。
ところで、DAYS JAPANもこれまでは黒字経営を続けて来たが、今存続が危うい状況になって来ているそうで、定期購読キャンペーンを行っていました。私も以前、「DAYS Japan買ってきました」で、「今度のDAYS Japanには期待したいところですが、商業的に持続可能なのか危惧しています」と書きましたが、5年良く持ったなというのが正直な印象です (いやまだ終ってないけど)。なくなって欲しくない雑誌なので、定期購読を申し込んできました。
5年か。以前書いた「DAYS Japan買ってきました」も同じく2004年8月に書いたものなんですよね。私もその年の5月にこのブログを書き始めて5年半になり、これがちょうど1000記事めです。毎日書く人もいる中でペースはゆっくりなのですが、よく続いたと自分でも思います。最近Twitterで書いてそれで満足しているところもありますますペースがおちてはいるのですが、Twitterで短く書いて、それをもとに少し長めの文章にしてブログに書くという役割分担で、ペースはゆっくりでも続けて行きたいと思います。よろしくお願いします。
追記: Twitterのほうは2000超えてた ...
現在、早稲田大学において、DAYS JAPANとの共催で、「フォトジャーナリズム・フェスティバル」という企画が行われています。特に、11月下旬から12月上旬までは、イベントが集中して行われています (→ 日程)。
先週の日曜日22日に、プレ・シンポジウム「戦争・写真 そしてメディアの危機」をめあてに行って来ました。
このシンポジウム自体は午後2時からなんですが、それ以外のイベントも行われているし、2009年11月22日のイベントスケジュールにおすすめプランなんかも書いてあって、午前中から行くことにしました。
ちょうど早稲田大学ではいくつかの学部で推薦入学の入試が行われていて、生協が学生生活相談所を開いていたりしていました。立て看板など、いろいろ懐かしい感じ。
特別展示「触(さわ)れる地球」があるワセダギャラリー。
10時は過ぎていたのですが、まだ学生さんが準備を一所懸命やっている状況だったので、先に同じ建物で行われている、「DAYSの5年 戦争と混乱の時代−フォトジャーナリストは何を伝えてきたか」と企画展「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞の軌跡」を見てきました。これらはもう入ることはできたのですが受付に誰かいる訳でもなく、お客さんもだれもいなくて、大丈夫かと思いましたよ。
どちらもおすすめのスケジュールを埋めるだけの時間がかかる訳でもなく、また期間中ずっとやっているので、講演の前後にちょっとみればいいかという感じなんでしょうね。
「触(さわ)れる地球」。触れる地球は、システムは以前からあって、地球博にも出展されたそうです。これにDAYS JAPANなどの報道写真や、早稲田大学によるボランティア活動の写真が載せられています。
手でぐりんぐりん動かせるのですが、それよりもオートプレイにして、写真が画面に表示されるのにあわせて地球が回転してその写真が撮られた国や地域が前面に出てくるのを待つほうがいい感じでした。
シンポジウム開場前の様子。まだ30分以上時間があるのでそれほど人が集まっていません。
さて内容なんですが、参加者がみんなでTwitterでメモしてくれているのでそちらを利用させてもらいましょう。
フランシーヌの場合は (2009-11-22): 「戦争・写真 そしてメディアの危機」tsudaりまとめ。
--「フランシーヌの場合は」ってブログ名なんだね。若い人は知らないんじゃないの。
以下、私の感想です。
最初の広河さんのあいさつ: 「ジャーナリズムの危機」は、一般には、経済的な危機、経営的な危機として語られるが、それ以前にジャーナリズムそのものが危機に陥っている、という認識が示された。それはジャーナリズムの劣化という意味だろうと思うが、私自身はそれじゃあ良かったことがあったのと思う。
白山眞理「日本の戦争の時代、報道写真家たちはどう生きたか」: 前半は、木村伊兵衛、名取洋之助らが日本にもフォトジャーナリズムの必要性を認識し、その先駆者として努力する姿が描かれたが、後半は彼等およびその後継としての土門拳らが、政府の宣伝機関としての役割を果たす姿が描かれた。写真家自身も疑念を持っていなかったことが伺える。それが私情を交えず淡々と語っておられて、それがいっそう恐怖に感じられた。
広河隆一「現代の戦争報道とメディアの役割」: この中で印象に残ったのは、ジャーナリストも、医師や弁護士のようなプロフェッショナルとしての資格が必要じゃないかという論点。これは、医師や弁護士がもつ職業倫理がジャーナリストにも必要という意味で、決して政府がコントロールすべきだと言っている訳ではない。
上杉隆氏の講演と、広河隆一氏との対談: これが最も期待してたメニューで、期待通りの面白さだった。内容は想像通り主に記者クラブの問題。民主党政権誕生後、亀井大臣や岡田外相のおかげで少しは変化も見られるが、まだまだ他の省庁では記者クラブを温存している訳で、私とはここは一気に変えてもいいところじゃないかと思う。
ところで、DAYS JAPANもこれまでは黒字経営を続けて来たが、今存続が危うい状況になって来ているそうで、定期購読キャンペーンを行っていました。私も以前、「DAYS Japan買ってきました」で、「今度のDAYS Japanには期待したいところですが、商業的に持続可能なのか危惧しています」と書きましたが、5年良く持ったなというのが正直な印象です (いやまだ終ってないけど)。なくなって欲しくない雑誌なので、定期購読を申し込んできました。
5年か。以前書いた「DAYS Japan買ってきました」も同じく2004年8月に書いたものなんですよね。私もその年の5月にこのブログを書き始めて5年半になり、これがちょうど1000記事めです。毎日書く人もいる中でペースはゆっくりなのですが、よく続いたと自分でも思います。最近Twitterで書いてそれで満足しているところもありますますペースがおちてはいるのですが、Twitterで短く書いて、それをもとに少し長めの文章にしてブログに書くという役割分担で、ペースはゆっくりでも続けて行きたいと思います。よろしくお願いします。
追記: Twitterのほうは2000超えてた ...
スキャナ導入
こんにちは。
定期購読している雑誌は、定期的に処分しないとどんどんたまって行きます。また、あとで参照したい記事はページを抜いて紙のフォルダにいれてボックスに入れて保存するということやっていたのだけどそれも最近はずっとやっていませんでした。で、雑誌を床に平積みにしだすとそれがどんどん積みあがっていく。
という訳でスキャナを導入しました。富士通 (PFU) のScanSnap S300M。S1500 (M) というのがよく使われているようなんですが、小さいのが気に入りました。これだと持ち運べ ... いやすみません、持ち運びする気はありません。それから価格が安いのももちろん理由のひとつです。キヤノンにも小さいのがあるのですが、Macに対応してないようです。
フラットベッドスキャナは持っているのですが、ADFで両面同時に連続スキャンできるので、スピードはS1500ほど速くはなくても、とにかくスキャン中に手がかからないのが良い。
特にEvernoteとの連携が導入の決め手になりました。
Lifehacking.jp (2009/05/11) ScanSnap から直接 Evernote へ読み込み
実際にやってこれは面白いとおもって Evernote へ突っ込んでいたのですが、毎月の無料ユーザのアップロード量40MBというのもあって、現在はやめています。もちろんそれも大きい理由なので、有料会員になることも検討しているのですが、それでもEvernoteへ直接投入するのはやらないだろうと思います。
それは雑誌などで記事の最初や最後に別の記事が入ることがあることです。不要なページを削除するのにアップロードした状態ではできないからです。
PDF文書から不要なページを抜くためには、AcrobatのReaderではなくて有償版を使わないといけないのかと思っていましたが、調べたらMac標準にあるアプリ「プレビュー」でできるんですね。
わかばマークのMacの備忘録 (2009/03/14) プレビュー.app で PDFファイル を編集する
これはすばらしい。ページの並び替えや、文書の分割合成もこれでできます。
で、現在は、スキャンしたらあるローカルフォルダに入りこの「プレビュー」が自動的に立ち上がるように設定しています。自動で立ち上がったらスキャンのミスがないかをざっとページ送りで見て、不要なページがあったら削除して保存。その後Evernoteなどに移動させます。Evernoteに入れる時には、あわせて雑誌のバックナンバーのWebページから記事の紹介をコピーしてノートをつくり、それにスキャンで得られたPDFページを添付します。こうするとさらに良いのは、コピーした元記事のURLが自動で入ります。で、できたノートは、PDF文書に、その概要がテキストでついて、もとの雑誌のページへのリンクがつく! すばらしい。
Evernoteだけでなく、Dropbox、ZumoDrive、iDiskにも突っ込めるようですね。これらだとネットに上げたあとにそのままページ削除などができるのは利点ですね。ただその場合は、ファイル名を分りやすいものにする必要があるでしょうね。これらはテキストや元記事のURLがつかないので、スキャンするものによって使い分けが必要だと思います。
これら全てに共通する利点は、iPhoneでいつでも読める!というところです。まあもちろん拡大しながらみないといけないのですが。
あとEvernoteの有料会員になるかどうかが検討事項ですね。初めの方に書いたように、Evernoteの課金体系は、現在使っているディスク容量じゃなく、有料会員になると月単位のアップロード量が増やせるというもの。しばらくのあいだ有料会員になってたくさんアップして、それから一般会員にもどるなんてことできるのかな。ケチ臭いこと考えるなって?すみません。
[追記: これ買ってすぐ後に新型機出た。グレースケールでのスキャンができるのは良い。はやまったな。]
定期購読している雑誌は、定期的に処分しないとどんどんたまって行きます。また、あとで参照したい記事はページを抜いて紙のフォルダにいれてボックスに入れて保存するということやっていたのだけどそれも最近はずっとやっていませんでした。で、雑誌を床に平積みにしだすとそれがどんどん積みあがっていく。
という訳でスキャナを導入しました。富士通 (PFU) のScanSnap S300M。S1500 (M) というのがよく使われているようなんですが、小さいのが気に入りました。これだと持ち運べ ... いやすみません、持ち運びする気はありません。それから価格が安いのももちろん理由のひとつです。キヤノンにも小さいのがあるのですが、Macに対応してないようです。
フラットベッドスキャナは持っているのですが、ADFで両面同時に連続スキャンできるので、スピードはS1500ほど速くはなくても、とにかくスキャン中に手がかからないのが良い。
特にEvernoteとの連携が導入の決め手になりました。
Lifehacking.jp (2009/05/11) ScanSnap から直接 Evernote へ読み込み
実際にやってこれは面白いとおもって Evernote へ突っ込んでいたのですが、毎月の無料ユーザのアップロード量40MBというのもあって、現在はやめています。もちろんそれも大きい理由なので、有料会員になることも検討しているのですが、それでもEvernoteへ直接投入するのはやらないだろうと思います。
それは雑誌などで記事の最初や最後に別の記事が入ることがあることです。不要なページを削除するのにアップロードした状態ではできないからです。
PDF文書から不要なページを抜くためには、AcrobatのReaderではなくて有償版を使わないといけないのかと思っていましたが、調べたらMac標準にあるアプリ「プレビュー」でできるんですね。
わかばマークのMacの備忘録 (2009/03/14) プレビュー.app で PDFファイル を編集する
これはすばらしい。ページの並び替えや、文書の分割合成もこれでできます。
で、現在は、スキャンしたらあるローカルフォルダに入りこの「プレビュー」が自動的に立ち上がるように設定しています。自動で立ち上がったらスキャンのミスがないかをざっとページ送りで見て、不要なページがあったら削除して保存。その後Evernoteなどに移動させます。Evernoteに入れる時には、あわせて雑誌のバックナンバーのWebページから記事の紹介をコピーしてノートをつくり、それにスキャンで得られたPDFページを添付します。こうするとさらに良いのは、コピーした元記事のURLが自動で入ります。で、できたノートは、PDF文書に、その概要がテキストでついて、もとの雑誌のページへのリンクがつく! すばらしい。
Evernoteだけでなく、Dropbox、ZumoDrive、iDiskにも突っ込めるようですね。これらだとネットに上げたあとにそのままページ削除などができるのは利点ですね。ただその場合は、ファイル名を分りやすいものにする必要があるでしょうね。これらはテキストや元記事のURLがつかないので、スキャンするものによって使い分けが必要だと思います。
これら全てに共通する利点は、iPhoneでいつでも読める!というところです。まあもちろん拡大しながらみないといけないのですが。
あとEvernoteの有料会員になるかどうかが検討事項ですね。初めの方に書いたように、Evernoteの課金体系は、現在使っているディスク容量じゃなく、有料会員になると月単位のアップロード量が増やせるというもの。しばらくのあいだ有料会員になってたくさんアップして、それから一般会員にもどるなんてことできるのかな。ケチ臭いこと考えるなって?すみません。
[追記: これ買ってすぐ後に新型機出た。グレースケールでのスキャンができるのは良い。はやまったな。]
2009/11/26
著作権期間の延長を主張する人ってどれだけ強欲なの
こんばんは。
先日、国立国会図書館の長尾真館長の講演を聞いてきました。
この前の爆笑問題の番組のことが前振り。本質的なことに切込んで困らせるような質問が来るかと期待していたのだけれども、図書館すごいなーっていう話で終っていささかがっかりと話しておられました。確かにそんな感じでしたね。長尾先生もっと言いたいことたくさんあったんじゃないのかなと思ったし、放送をその時間帯に見ていた人達のTwitterの発言でもみなさんそう感じられているようでした。
今だと、やはりデジタル化関連の話が一番興味深いですね。「デジタル化の話も法律から変えていかないといけない部分があって、相当苦労されているはず。曖昧なところも大きい著作権だけでなく、図書館に関する法律、国会図書館に関する法律もあわせて対処しないといけないのだろう」と思っていて、そんな話が聞けるものと期待していましたが、期待通りいろいろ聞くことが出来ました。「私企業であるGoogleと、法律で業務が決められている国立国会図書館では、動きに差が出るのは仕方ないところだろう」とテレビを見た後の感想で書きましたが、そのことにも触れられていました。
その中で、著作権の保護期間の話も出ていました。現在著作権の保護期間は死後50年なんですが、例えば若い頃の作品で、作品が作られてから50年後に著作者が亡くなるとするとさらに50年著作権が存続することになる。つまり作品が世に出てから100年間保護されることになる。
私は死後50年ということは理解していたのですが、生前の期間のことを忘れていました。「著作権期間の延長を主張する人は、自分の子と孫だけでなく曾孫まで養いたいのか」と思っていたのだけれど、よく考えると死ぬ段階で孫までいることが多い訳で、孫の曾孫 (玄孫の子、ってなんていうんだろ ... Wikipediaによると「来孫」なんだってね) まで養いたいということになるのですね。
五代先までの繁栄を願うってどんな帝国じゃ。
それとも文学者だから五代先までの醜い遺産相続争いをみたいのかもしれないな。そうか、それを後々の文学者の題材として残したいということか。... どうも強欲な人達を見ると、皮肉な口調にななってしまう。平常心が保てないようだ。いかんなこんなことでは。
しかし著作権期間の延長を主張する人は文学者ばっかりで、ミュージシャンにはいないような気がするのだけど、気のせいだろうか?
文化はこれまでの成果の上に新しいものや改良を加えて行って発展して来たのだと思う。特に日本は、本歌取りなどのように古典を下敷きにすることが尊ばれて来たし、無意識にも気の利いた表現を利用していると思う。それでいて、自分の作品は自分の所有物としての権利を声高に主張するのは醜悪に見える。自分の死後の利益なんかを主張するよりも、後継の新しい才能の開花、文化の発展を願う姿勢でいた方が、今現在も死後も尊敬を得られるのじゃないかな。
先日、国立国会図書館の長尾真館長の講演を聞いてきました。
この前の爆笑問題の番組のことが前振り。本質的なことに切込んで困らせるような質問が来るかと期待していたのだけれども、図書館すごいなーっていう話で終っていささかがっかりと話しておられました。確かにそんな感じでしたね。長尾先生もっと言いたいことたくさんあったんじゃないのかなと思ったし、放送をその時間帯に見ていた人達のTwitterの発言でもみなさんそう感じられているようでした。
今だと、やはりデジタル化関連の話が一番興味深いですね。「デジタル化の話も法律から変えていかないといけない部分があって、相当苦労されているはず。曖昧なところも大きい著作権だけでなく、図書館に関する法律、国会図書館に関する法律もあわせて対処しないといけないのだろう」と思っていて、そんな話が聞けるものと期待していましたが、期待通りいろいろ聞くことが出来ました。「私企業であるGoogleと、法律で業務が決められている国立国会図書館では、動きに差が出るのは仕方ないところだろう」とテレビを見た後の感想で書きましたが、そのことにも触れられていました。
その中で、著作権の保護期間の話も出ていました。現在著作権の保護期間は死後50年なんですが、例えば若い頃の作品で、作品が作られてから50年後に著作者が亡くなるとするとさらに50年著作権が存続することになる。つまり作品が世に出てから100年間保護されることになる。
私は死後50年ということは理解していたのですが、生前の期間のことを忘れていました。「著作権期間の延長を主張する人は、自分の子と孫だけでなく曾孫まで養いたいのか」と思っていたのだけれど、よく考えると死ぬ段階で孫までいることが多い訳で、孫の曾孫 (玄孫の子、ってなんていうんだろ ... Wikipediaによると「来孫」なんだってね) まで養いたいということになるのですね。
五代先までの繁栄を願うってどんな帝国じゃ。
それとも文学者だから五代先までの醜い遺産相続争いをみたいのかもしれないな。そうか、それを後々の文学者の題材として残したいということか。... どうも強欲な人達を見ると、皮肉な口調にななってしまう。平常心が保てないようだ。いかんなこんなことでは。
しかし著作権期間の延長を主張する人は文学者ばっかりで、ミュージシャンにはいないような気がするのだけど、気のせいだろうか?
文化はこれまでの成果の上に新しいものや改良を加えて行って発展して来たのだと思う。特に日本は、本歌取りなどのように古典を下敷きにすることが尊ばれて来たし、無意識にも気の利いた表現を利用していると思う。それでいて、自分の作品は自分の所有物としての権利を声高に主張するのは醜悪に見える。自分の死後の利益なんかを主張するよりも、後継の新しい才能の開花、文化の発展を願う姿勢でいた方が、今現在も死後も尊敬を得られるのじゃないかな。
2009/11/23
デジタルサイネージ内覧会
こんにちは。渋谷109前からお送りします (ウソ)。
先日、「デジタルサイネージについて考えるイベント、ブロガーご招待 11/19」という情報を見つけて、応募してみました。当選したので行って来ました。
「デジタルサイネージ」といいうのは、基本的には情報提示用におかれる書き換えられる表示板のことです。でかいディスプレイとか、プロジェクションなどを指します。
ただ今回発表された、ビズライト・テクノロジーの製品は、タッチパネルでインタラクティブに表示が書き換えられるもので、むしろ情報端末という位置づけ。その意味で、一方通行の「サイネージ」という名前は本来は相応しくない、と社長はおっしゃっていました。後で登壇する「デジタルサイネージコンソーシアム」の江口氏によれば、「電子看板」みたいに一般的な言葉を並べても耳に残らないので、わざとこの名前を選んだということです。
内覧会では、ブロガーさんは一番前の席にすわらされました。ちょっと場違い。スーツを着ていってまだ良かったと思います。
まず、田中社長が今回の新製品の説明を行いました。名前は「Furelo (フレロ)」。タッチパネルに触れて使ってもらうということを意図しています。実際に仙台駅で実証実験を行っており、触れて使ってみることができるそうです。
まあ観光地や博物館などの公共施設ではこういうのはいろいろある訳で、そういう意味では珍しくないかと思われるかもしれません。しかし、巨大なiPhoneと呼ばれているようで、タッチするだけでなくずるずる動かせるところは他にないところだと思います。またレスポンスも速いそうです。
しかし田中社長の説明では、情報を見る側にとってというよりも、情報を提供する側にとって大きなメリットを提供しているのが特徴のようでした。
1) コンテンツとシステムの分離: 通常はコンテンツを埋め込んだシステムになっているそうで、コンテンツを変えるのにも開発したSIerに依頼しなければならない。面倒だったり予算がなくて変えないでいるとだれも使わない残骸になる。このシステムはコンテンツは独立にメンテナンスできる。お店自身がすぐにアップデートできる。ハードウェアからの独立性が高いので、ガチガチに作って使われなくなったシステムも生き返らせることができる。
2) 落ちない: コンテンツをシステムと分離するということは、通常はWebサーバにコンテンツをおきブラウザで表示させる関係になる。通信が切れるとエラーページが晒されることになる。情報提供者側にとってはそれは言語道断。そのため通信が切れても落ちない仕組みにした。具体的には端末側に仮想サーバを設け、そこにはキャッシュした情報を蓄積しておき、落ちた時にはこの仮想サーバ内の情報で表示を続ける。
3) コンテンツは一枚物で持っているのではなくXMLで持っており変更が容易: 例えば地図もXML形式で持っており (SVG?)、システム自体を移動させるときも地図の現在位置だけ書き換えれば良い。ここが看板屋のアプローチと違う、システム屋ならではのソリューション。
以上からも分るように、田中社長は、技術と製品に自信を持っています。通常そういう自信はひとりよがりに過ぎない場合が多いのですが、技術をお客様のために生かす姿勢はそれらとは一線を画すと思います。技術者として好感がもてました。
その後、日本経済新聞社 関口和一氏による特別講演「クラウド時代のメディアの新潮流」、パネルディスカッション、懇親会と続きます。パネルディスカッションの登壇者は、
・司会:慶應義塾大学SFC研究所上席所員 (訪問) 松村太郎氏(@taromatsumura, TAROSITE.NET)
・ビズライトテクノロジー株式会社 代表取締役社長・田中博見氏 (社長ブログ)
-- 発表会に関する記事: 「ありがとうございました」
・株式会社レゾン取締役 いしたにまさき氏(@masakiishitani, みたいもん!)
-- 『ツイッター 140文字が世界を変える』共著者
・デジタルサイネージコンソーシアム 常務理事 江口靖二氏(@EGUCCI, 江口靖二の業務ブログ)
それぞれいろいろな新しい情報が得られ、新しい気付きが得られました。
Twitterのハッシュタグ#disi09が示され、松村さんを筆頭に多くの人がTwitter中継を行っています。私も挑戦しましたが、ついて行けないので途中で諦めました。また、懇親会で話をさせて頂いた方の中にも、慶應義塾大学教授 増井さん (@masui)、カメラのキタムラの小副川さん (@osoe) などヘビーユーザがいらっしゃったので、その後フォローさせていただいています。
先日、「デジタルサイネージについて考えるイベント、ブロガーご招待 11/19」という情報を見つけて、応募してみました。当選したので行って来ました。
「デジタルサイネージ」といいうのは、基本的には情報提示用におかれる書き換えられる表示板のことです。でかいディスプレイとか、プロジェクションなどを指します。
ただ今回発表された、ビズライト・テクノロジーの製品は、タッチパネルでインタラクティブに表示が書き換えられるもので、むしろ情報端末という位置づけ。その意味で、一方通行の「サイネージ」という名前は本来は相応しくない、と社長はおっしゃっていました。後で登壇する「デジタルサイネージコンソーシアム」の江口氏によれば、「電子看板」みたいに一般的な言葉を並べても耳に残らないので、わざとこの名前を選んだということです。
内覧会では、ブロガーさんは一番前の席にすわらされました。ちょっと場違い。スーツを着ていってまだ良かったと思います。
まず、田中社長が今回の新製品の説明を行いました。名前は「Furelo (フレロ)」。タッチパネルに触れて使ってもらうということを意図しています。実際に仙台駅で実証実験を行っており、触れて使ってみることができるそうです。
まあ観光地や博物館などの公共施設ではこういうのはいろいろある訳で、そういう意味では珍しくないかと思われるかもしれません。しかし、巨大なiPhoneと呼ばれているようで、タッチするだけでなくずるずる動かせるところは他にないところだと思います。またレスポンスも速いそうです。
しかし田中社長の説明では、情報を見る側にとってというよりも、情報を提供する側にとって大きなメリットを提供しているのが特徴のようでした。
1) コンテンツとシステムの分離: 通常はコンテンツを埋め込んだシステムになっているそうで、コンテンツを変えるのにも開発したSIerに依頼しなければならない。面倒だったり予算がなくて変えないでいるとだれも使わない残骸になる。このシステムはコンテンツは独立にメンテナンスできる。お店自身がすぐにアップデートできる。ハードウェアからの独立性が高いので、ガチガチに作って使われなくなったシステムも生き返らせることができる。
2) 落ちない: コンテンツをシステムと分離するということは、通常はWebサーバにコンテンツをおきブラウザで表示させる関係になる。通信が切れるとエラーページが晒されることになる。情報提供者側にとってはそれは言語道断。そのため通信が切れても落ちない仕組みにした。具体的には端末側に仮想サーバを設け、そこにはキャッシュした情報を蓄積しておき、落ちた時にはこの仮想サーバ内の情報で表示を続ける。
3) コンテンツは一枚物で持っているのではなくXMLで持っており変更が容易: 例えば地図もXML形式で持っており (SVG?)、システム自体を移動させるときも地図の現在位置だけ書き換えれば良い。ここが看板屋のアプローチと違う、システム屋ならではのソリューション。
以上からも分るように、田中社長は、技術と製品に自信を持っています。通常そういう自信はひとりよがりに過ぎない場合が多いのですが、技術をお客様のために生かす姿勢はそれらとは一線を画すと思います。技術者として好感がもてました。
その後、日本経済新聞社 関口和一氏による特別講演「クラウド時代のメディアの新潮流」、パネルディスカッション、懇親会と続きます。パネルディスカッションの登壇者は、
・司会:慶應義塾大学SFC研究所上席所員 (訪問) 松村太郎氏(@taromatsumura, TAROSITE.NET)
・ビズライトテクノロジー株式会社 代表取締役社長・田中博見氏 (社長ブログ)
-- 発表会に関する記事: 「ありがとうございました」
・株式会社レゾン取締役 いしたにまさき氏(@masakiishitani, みたいもん!)
-- 『ツイッター 140文字が世界を変える』共著者
・デジタルサイネージコンソーシアム 常務理事 江口靖二氏(@EGUCCI, 江口靖二の業務ブログ)
それぞれいろいろな新しい情報が得られ、新しい気付きが得られました。
Twitterのハッシュタグ#disi09が示され、松村さんを筆頭に多くの人がTwitter中継を行っています。私も挑戦しましたが、ついて行けないので途中で諦めました。また、懇親会で話をさせて頂いた方の中にも、慶應義塾大学教授 増井さん (@masui)、カメラのキタムラの小副川さん (@osoe) などヘビーユーザがいらっしゃったので、その後フォローさせていただいています。
いちるの歯型
こんにちは。ご無沙汰しておりました。
なんかね、ブログの書き方忘れちゃって。いくつかイベントに行ったので、すこしまとめておこうと思います。また、気づいたことのメモを引っ張りだしてまとめたいと思います。
まず、この表題「いちるの歯型」。えっ、何?と思うでしょ。新聞の見出しにあったものです。
釜山射撃場火災:「いちるの歯型」生存確認 (毎日新聞 2009年11月17日 → 魚拓)
「いちるの望み」以外の使い方を初めて見ました。初めは「いちる」という人名かと思いました。ピヨピヨ。
「いちる」の辞書内容を見てみると、
Yahoo!辞書 - いち‐る【一×縷】
「る (縷)」は、いとへんがつくことからも想像がつきますが、「 (糸のように) 細い」ことが含意されています。「望み」に対しても、糸のように細い手がかりをたぐっていくという比喩的な用法と思われます。「わずか」という意味も書かれていますが、これも量というよりも、太さまたは糸の数にかかるものだと思います。
新聞で使われているのは規範的な表現と一般的に見なされている訳で、誤用が定着する危険を感じてしまいます。
なんかね、ブログの書き方忘れちゃって。いくつかイベントに行ったので、すこしまとめておこうと思います。また、気づいたことのメモを引っ張りだしてまとめたいと思います。
まず、この表題「いちるの歯型」。えっ、何?と思うでしょ。新聞の見出しにあったものです。
釜山射撃場火災:「いちるの歯型」生存確認 (毎日新聞 2009年11月17日 → 魚拓)
「いちるの望み」以外の使い方を初めて見ました。初めは「いちる」という人名かと思いました。ピヨピヨ。
当初、家族が死亡を確認したものの、後に生存が判明した長崎県雲仙市の中尾和信さん(37)は、全身の90%にやけどを負っており、意識不明の重体。17日にも皮膚移植手術が行われる。「いちるの望みの歯型」という意図なんでしょうが、「いちる」を「いちるの望み」の短縮形として扱うのは誤用なのではないかと思います。
家族は15日夜にも中尾さんが搬送されていた釜山市内のハナ病院を訪ねたが、中尾さんの外見は見分けがつかないほど皮膚の損傷が激しかったため、本人ではないと判断。同行した雲仙市職員らに、別の遺体を中尾さんと取り違えて確認してしまうほど気落ちしていた。
しかし、16日になってから、口を広げて歯並びを撮ったパノラマ写真を持って再び病院を訪問。中尾さんは口に吸引ホースをくわえた状態のため、すべての歯並びは比較できなかったものの、前歯の特徴で本人特定に至ったという。
「いちる」の辞書内容を見てみると、
Yahoo!辞書 - いち‐る【一×縷】
1 1本の糸。また、そのように細いもの。となっています。
・「船は—の黒烟を波上に残し」〈鉄腸・南洋の大波瀾〉
2 ごくわずかであること。ひとすじ。「—の望みを残す」
「る (縷)」は、いとへんがつくことからも想像がつきますが、「 (糸のように) 細い」ことが含意されています。「望み」に対しても、糸のように細い手がかりをたぐっていくという比喩的な用法と思われます。「わずか」という意味も書かれていますが、これも量というよりも、太さまたは糸の数にかかるものだと思います。
新聞で使われているのは規範的な表現と一般的に見なされている訳で、誤用が定着する危険を感じてしまいます。
2009/11/11
皇室の名宝展 [11月12日は入館無料]
こんばんは。
10月25日は、東京国立博物館で行われている特別展「皇室の名宝−日本美の華」へ行って来ました。
11月3日までの第1期と、11月12日から29日までの第2期に分かれていて第1期は江戸時代から明治時代までの絵画と工芸品が中心、第2期の方はそれよりそれより古いもの。絵画的には新しい方が好みなので、第1期に行くことにしたのです。
2期に分けても、出展数がとにかく多い。対決展とはまた別の意味でおなかいっぱいです。人も多く疲れました。
特に若冲の作品がセットで出されていて、展示室全体が若冲で埋め尽くされていました。セットと言うのは、もともと相国寺というお寺に若冲が寄進した「動植綵絵」全30幅 (→ Wikipedia)。これと旭日鳳凰図の計31作品です。「動植綵絵」はおなじみのモチーフである鶏もふくめ、様々な動植物、魚介類や昆虫などが、鶏と同様の精密さで描かれたものです。魚介類などは全てが観察で描かれてはいないと思われ、むしろユーモラスな描き方がなされていました。
ほかの日に行った人も言っていたけど、客層は中高年が多かったですね。おばさんの二人連れが、「わたし若冲結構みているけど今日のは見たことないのが多かった、オウムとか」って言ってました。いやみんな初めての出品だと思うぞ。
若冲のことしか書いていませんが、他にも素晴らしい作品が多くありました。
→ 「皇室の名宝—日本美の華」 展示品リスト
図録は買って来なかったので作品名は分らなくなっているのですが、「七宝月夜深林図額」かな、水墨画と思っていたのが七宝焼というのがあって驚きました。
川島織物の巨大タピストリー「春郊鷹狩・秋庭観楓図壁掛」も驚きました。その説明に「断機の戒め」というのがあって、途中で止めて間をおいて再開して完成させたなんて書いてあったのですが、なんで途中で止めちゃったのか、日本語の説明はよく意味が分かりませんでした。英語の方はまだ文章的にはましだったのですが、それでも分りませんでした。
あとで調べたら、こういう話でした。→ 繊維ニュース Web編集局:「断機の戒め〜妥協許さぬモノ作り〜」
調べた中に「母断機の教え」というのがあったのですが、正反対の方向で面白い。
ところで、第2期の初日12日は、天皇陛下御即位20年を記念して入館無料ということです (最初のリンク先にあります)。ますます込みそう。
一方、東京都も対抗して (?)、さまざまな施設を無料開放するとのことです。→ 天皇陛下御在位二十年記念事業の実施について
10月25日は、東京国立博物館で行われている特別展「皇室の名宝−日本美の華」へ行って来ました。
11月3日までの第1期と、11月12日から29日までの第2期に分かれていて第1期は江戸時代から明治時代までの絵画と工芸品が中心、第2期の方はそれよりそれより古いもの。絵画的には新しい方が好みなので、第1期に行くことにしたのです。
2期に分けても、出展数がとにかく多い。対決展とはまた別の意味でおなかいっぱいです。人も多く疲れました。
特に若冲の作品がセットで出されていて、展示室全体が若冲で埋め尽くされていました。セットと言うのは、もともと相国寺というお寺に若冲が寄進した「動植綵絵」全30幅 (→ Wikipedia)。これと旭日鳳凰図の計31作品です。「動植綵絵」はおなじみのモチーフである鶏もふくめ、様々な動植物、魚介類や昆虫などが、鶏と同様の精密さで描かれたものです。魚介類などは全てが観察で描かれてはいないと思われ、むしろユーモラスな描き方がなされていました。
ほかの日に行った人も言っていたけど、客層は中高年が多かったですね。おばさんの二人連れが、「わたし若冲結構みているけど今日のは見たことないのが多かった、オウムとか」って言ってました。いやみんな初めての出品だと思うぞ。
若冲のことしか書いていませんが、他にも素晴らしい作品が多くありました。
→ 「皇室の名宝—日本美の華」 展示品リスト
図録は買って来なかったので作品名は分らなくなっているのですが、「七宝月夜深林図額」かな、水墨画と思っていたのが七宝焼というのがあって驚きました。
川島織物の巨大タピストリー「春郊鷹狩・秋庭観楓図壁掛」も驚きました。その説明に「断機の戒め」というのがあって、途中で止めて間をおいて再開して完成させたなんて書いてあったのですが、なんで途中で止めちゃったのか、日本語の説明はよく意味が分かりませんでした。英語の方はまだ文章的にはましだったのですが、それでも分りませんでした。
あとで調べたら、こういう話でした。→ 繊維ニュース Web編集局:「断機の戒め〜妥協許さぬモノ作り〜」
調べた中に「母断機の教え」というのがあったのですが、正反対の方向で面白い。
ところで、第2期の初日12日は、天皇陛下御即位20年を記念して入館無料ということです (最初のリンク先にあります)。ますます込みそう。
一方、東京都も対抗して (?)、さまざまな施設を無料開放するとのことです。→ 天皇陛下御在位二十年記念事業の実施について
2009/11/09
アイ・ウェイウェイ展
同じ9月23日は、「アイ・ウェイウェイ展 - 何に因って?」も見てきました。
森美術館 アイ・ウェイウェイ展
2009年7月25日(土)〜11月8日(日)
すみません。今日が最終日です。近くの人はまだ間に合います。めずらしく写真が撮れる美術展なので、カメラを持って行きましょう。
実は前日の7月24日にプレス発表会があって、ブロガーへの招待もあったのですが、そのアナウンスがさらにその前日Twitterで行われて、夜10時くらいまでは受け付けていたようなのですが、連絡したのですが間に合いませんでした。プレス発表の雰囲気を味わいたかったのに、残念。
プーアール茶を固めて作ったTea House。床にも茶葉が敷き詰めてあります。お茶の香りはその場でしか楽しめません。
巨大な集積木材のオブジェ。ここからだと何を示しているか分りませんが ...
カメラをもって、上にかざして撮った写真。中国大陸の形になっているのです。
こちらは逆にくりぬかれた部分が中国大陸の形になっています。
巨大なタンスみたいな直方体がならんでいます。実際にタンスと同じように作っているんだったかな。実際のタンスとは違って、丸いあなが開いていますが、その位置が少しずつずれています。覗くと...
月の満ち欠けみたいなイメージが現れます。
壁、床、前面が写真で埋め尽くされています。それぞれの写真は、北京オリンピックを前に、これまであった建物がいっせいに取り壊され現れた巨大な空間を撮ったものです。土地は原則国家のものであった中国では、こういう開発が一気にできるのです。
一方で、アイ・ウェイウェイはあの、北京オリンピックのメーン会場である鳥の巣の設計にも大きく関わっています。
中国の伝統を壊し新しいものに置き換えて行く過程、そういうものに疑問を抱きながらも、新しい中国を築いて行くのに関わる自分。そういうジレンマを作品の中に込めているのかもしれません。
追記: そうだ、広瀬香美さんもこの展覧会に行ったって書いてました。
夜ブログ)「トリの巣スタジアム」の人 (2009.10.20 18:00)
森美術館 アイ・ウェイウェイ展
2009年7月25日(土)〜11月8日(日)
すみません。今日が最終日です。近くの人はまだ間に合います。めずらしく写真が撮れる美術展なので、カメラを持って行きましょう。
実は前日の7月24日にプレス発表会があって、ブロガーへの招待もあったのですが、そのアナウンスがさらにその前日Twitterで行われて、夜10時くらいまでは受け付けていたようなのですが、連絡したのですが間に合いませんでした。プレス発表の雰囲気を味わいたかったのに、残念。
プーアール茶を固めて作ったTea House。床にも茶葉が敷き詰めてあります。お茶の香りはその場でしか楽しめません。
巨大な集積木材のオブジェ。ここからだと何を示しているか分りませんが ...
カメラをもって、上にかざして撮った写真。中国大陸の形になっているのです。
こちらは逆にくりぬかれた部分が中国大陸の形になっています。
巨大なタンスみたいな直方体がならんでいます。実際にタンスと同じように作っているんだったかな。実際のタンスとは違って、丸いあなが開いていますが、その位置が少しずつずれています。覗くと...
月の満ち欠けみたいなイメージが現れます。
壁、床、前面が写真で埋め尽くされています。それぞれの写真は、北京オリンピックを前に、これまであった建物がいっせいに取り壊され現れた巨大な空間を撮ったものです。土地は原則国家のものであった中国では、こういう開発が一気にできるのです。
一方で、アイ・ウェイウェイはあの、北京オリンピックのメーン会場である鳥の巣の設計にも大きく関わっています。
中国の伝統を壊し新しいものに置き換えて行く過程、そういうものに疑問を抱きながらも、新しい中国を築いて行くのに関わる自分。そういうジレンマを作品の中に込めているのかもしれません。
追記: そうだ、広瀬香美さんもこの展覧会に行ったって書いてました。
夜ブログ)「トリの巣スタジアム」の人 (2009.10.20 18:00)
2009/11/08
鴻池朋子展
ご無沙汰しております。
まとまった時間がとれず放置しておいた題材を少しずつ書いて行こうと思います。
まず、9月23日に行って来た鴻池朋子 「インタートラベラー 神話と遊ぶ人」 (オペラシティアートギャラリー)。
全体が大きなストーリーになっているような展示方法が面白かった。ひとつひとつの展示室が、マントル層とか外核、内核のようにテーマ付けられていて、地球の中心に向かって進むような感じになっています。その展示室間は狭い入り口で結ばれています。
モチーフは、人間とオオカミの合体、超と人間の合体、羽根の生えた球体など不思議な生き物。オオカミの毛皮を吊るした部屋もあって、最初にアレルギーがないか訊かれます。
巨大な赤ちゃんの頭の形をしたミラーボールが中心に置かれた部屋もあって、光がぐるぐる廻っています。私はなんとか大丈夫でしたが、一緒に行った人は耐え難いようでした。止まっている時もあるので移動するならそのときがチャンス。
この展覧会は終ったものですが、同じ作品を使った展覧会が鹿児島で行われています。
霧島アートの森: 「鴻池朋子展 インタートラベラー 12匹の詩人」
2009年10月09日(金)〜2009年12月06日(日)
これは美術館外のアートの森などを使った展示がなされるようで、作品としては同じでも展覧会として面白そうですね。とても行けませんが。
Tokyo Art Beatによるインタビュー
先に示した オペラシティアートギャラリーの展示会情報の「展示会について」というところにも、本人が作品を語るビデオがあります。
まとまった時間がとれず放置しておいた題材を少しずつ書いて行こうと思います。
まず、9月23日に行って来た鴻池朋子 「インタートラベラー 神話と遊ぶ人」 (オペラシティアートギャラリー)。
全体が大きなストーリーになっているような展示方法が面白かった。ひとつひとつの展示室が、マントル層とか外核、内核のようにテーマ付けられていて、地球の中心に向かって進むような感じになっています。その展示室間は狭い入り口で結ばれています。
モチーフは、人間とオオカミの合体、超と人間の合体、羽根の生えた球体など不思議な生き物。オオカミの毛皮を吊るした部屋もあって、最初にアレルギーがないか訊かれます。
巨大な赤ちゃんの頭の形をしたミラーボールが中心に置かれた部屋もあって、光がぐるぐる廻っています。私はなんとか大丈夫でしたが、一緒に行った人は耐え難いようでした。止まっている時もあるので移動するならそのときがチャンス。
この展覧会は終ったものですが、同じ作品を使った展覧会が鹿児島で行われています。
霧島アートの森: 「鴻池朋子展 インタートラベラー 12匹の詩人」
2009年10月09日(金)〜2009年12月06日(日)
これは美術館外のアートの森などを使った展示がなされるようで、作品としては同じでも展覧会として面白そうですね。とても行けませんが。
Tokyo Art Beatによるインタビュー
先に示した オペラシティアートギャラリーの展示会情報の「展示会について」というところにも、本人が作品を語るビデオがあります。
2009/11/03
今日じゃないけど文化の日
おはようございます。
今日は文化の日。でもやることがあって休日出勤です。連休最後の日の人にむけて、10月31日に行って来たいくつかのイベントに関して書いておこうと思います。
神宮外苑で行われているTokyo Designers Week。開園前に行ったのですが、既にずいぶん並んでいました。
当初は午前中ここへ行って、次に東京ミッドタウンで行われている『THE OUTLINE 見えていない輪郭』オープニングトーク「2人に見えている輪郭」に行って、またここへ戻って来るつもりだったのですが、一旦出たら再入場できないんですね。ここまで来て初めて知りました、というか気がついていませんでした。
急遽予定を変更して東京ミッドタウンへ向かうことにしたのですが、オープニングトークまで時間があるので、一度行ってみたかったワタリウム美術館へ行きました。「ルイス・バラガン邸をたずねる」という展示会が行われています。
建築は昔はそれほど興味はなかったのですが、最近少しずつ面白いと思うようになりました。建築もプロダクトデザインと同様に、生活に密着したデザインですしね。
ワタリウム美術館では、「15人の建築家と15人の表現者による対話実験」という企画もやっているんですね。11月12日は武井誠x諏訪綾子『腹の底のさらに奥』。
「ルイス・バラガン邸をたずねる」は来年1月24日までで、一度切符を買うと期間中何度も見ることができます。
その後東京ミッドタウンへ。
21_21 Design Sightへつながる遊歩道に沿って流れる小川の中には、アーチストと瓦業者のコラボによる作品が展示されていました。関連イベントの3番目、JAGDA KAWARA EXHIBITIONです。瓦と河原をかけているのかな。2番目のINADA STONE EXHIBITIONには気づかなかったな。
深澤直人と藤井保のトークは予約でいっぱいでしたが、隙間の床に座り込んで聴いてきました。会場が吹き抜けの地下1階なので、そこを見下ろす階段も鈴なりのオーディエンス。充実した2時間でした。
またTokyo Designers Weekへ戻り駆け足でいろいろみてきました。Tokyo Designers Weekは今日が最終日です。
東京ミッドタウンで行われているDESIGNTIDEも今日が最終日。また、東京ミッドタウンではデザイン会社IDEOに関する展示も行われているそうで、これも今日が最終日。これはちょっと行きたくなっています。
リンクも示そうと思いましたが、そろそろ出勤なので、詳しい情報に関して検索してください。個別のイベントに関してはまた別に感想を書く予定です。
今日は文化の日。でもやることがあって休日出勤です。連休最後の日の人にむけて、10月31日に行って来たいくつかのイベントに関して書いておこうと思います。
神宮外苑で行われているTokyo Designers Week。開園前に行ったのですが、既にずいぶん並んでいました。
当初は午前中ここへ行って、次に東京ミッドタウンで行われている『THE OUTLINE 見えていない輪郭』オープニングトーク「2人に見えている輪郭」に行って、またここへ戻って来るつもりだったのですが、一旦出たら再入場できないんですね。ここまで来て初めて知りました、というか気がついていませんでした。
急遽予定を変更して東京ミッドタウンへ向かうことにしたのですが、オープニングトークまで時間があるので、一度行ってみたかったワタリウム美術館へ行きました。「ルイス・バラガン邸をたずねる」という展示会が行われています。
建築は昔はそれほど興味はなかったのですが、最近少しずつ面白いと思うようになりました。建築もプロダクトデザインと同様に、生活に密着したデザインですしね。
ワタリウム美術館では、「15人の建築家と15人の表現者による対話実験」という企画もやっているんですね。11月12日は武井誠x諏訪綾子『腹の底のさらに奥』。
「ルイス・バラガン邸をたずねる」は来年1月24日までで、一度切符を買うと期間中何度も見ることができます。
その後東京ミッドタウンへ。
21_21 Design Sightへつながる遊歩道に沿って流れる小川の中には、アーチストと瓦業者のコラボによる作品が展示されていました。関連イベントの3番目、JAGDA KAWARA EXHIBITIONです。瓦と河原をかけているのかな。2番目のINADA STONE EXHIBITIONには気づかなかったな。
深澤直人と藤井保のトークは予約でいっぱいでしたが、隙間の床に座り込んで聴いてきました。会場が吹き抜けの地下1階なので、そこを見下ろす階段も鈴なりのオーディエンス。充実した2時間でした。
またTokyo Designers Weekへ戻り駆け足でいろいろみてきました。Tokyo Designers Weekは今日が最終日です。
東京ミッドタウンで行われているDESIGNTIDEも今日が最終日。また、東京ミッドタウンではデザイン会社IDEOに関する展示も行われているそうで、これも今日が最終日。これはちょっと行きたくなっています。
リンクも示そうと思いましたが、そろそろ出勤なので、詳しい情報に関して検索してください。個別のイベントに関してはまた別に感想を書く予定です。
2009/11/02
UNIQLO TUNES
UNIQLO TUNES ... うーん、よく分らない。
... もう動いてないですね。
CNET Japan 2009/11/02 ユニクロの音楽サービス「UNIQLO TUNES」公開 (注意!リンク先音が出ます)
... もう動いてないですね。
CNET Japan 2009/11/02 ユニクロの音楽サービス「UNIQLO TUNES」公開 (注意!リンク先音が出ます)
UNIQLO TUNESはヒートテックアイテムと有名モデルたちがリズミカルに動くブログパーツ。インターネット上のMP3ファイルを指定することでオリジナルのUNIQLO TUNESを作成することもできる。
2009/11/01
Happy Halloween
こんばんは。
GREMSの今日の画像。10月31日中に間に合いました。
ゆきさんのブログで知りました。
Tokyo Designers Week、深澤直人×藤井 保トークセッション等に関してはまた別記事で。
2009/10/30
今日からTokyo Designers Week
Tokyo Designers Week 2009 10月30日(金)〜11月3日(火・祝)
いつ行こうかな。
同時期にこちらも開催される。→ DESIGNTIDE TOKYO 2009
こちらのほうは一度も行ったことがない。Tokyo Designers Weekへ行ったらそれだけでおなか一杯になるから。
しかしこれだけじゃないぞ。
クンスト・オクトーバーフェスト'09 2009年10月31日(土)11:00 〜19:30
-- 東京・中央区の現代アートギャラリーを20分〜25分間隔でバスが巡回するツアー
-- ビールも乗車も無料!
しかし31日はこちらもある。
『THE OUTLINE 見えていない輪郭』オープニングトーク「2人に見えている輪郭」
-- 深澤直人と藤井 保のトークセッション。
悩むなあ。
過去の記事:
2005年 - Tokyo Designer's Weekに行って来た
2007年 - Tokyo Designer's Week 2007
2008年 - Katrin Olina
-- メイングラフィックを担当したアイスランドのイラストレーター。この年はTDW自体の記事は書いてなかった。
いつ行こうかな。
同時期にこちらも開催される。→ DESIGNTIDE TOKYO 2009
こちらのほうは一度も行ったことがない。Tokyo Designers Weekへ行ったらそれだけでおなか一杯になるから。
しかしこれだけじゃないぞ。
クンスト・オクトーバーフェスト'09 2009年10月31日(土)11:00 〜19:30
-- 東京・中央区の現代アートギャラリーを20分〜25分間隔でバスが巡回するツアー
-- ビールも乗車も無料!
しかし31日はこちらもある。
『THE OUTLINE 見えていない輪郭』オープニングトーク「2人に見えている輪郭」
-- 深澤直人と藤井 保のトークセッション。
悩むなあ。
過去の記事:
2005年 - Tokyo Designer's Weekに行って来た
2007年 - Tokyo Designer's Week 2007
2008年 - Katrin Olina
-- メイングラフィックを担当したアイスランドのイラストレーター。この年はTDW自体の記事は書いてなかった。
2009/10/29
形容詞+「です」って違和感ありますか
おばんです。
ちょっと前の記事になるが、こんな記事があった。
蟹亭奇譚 2009-10-22 [ことば]「形容詞 + です」という日本語の用法について
ここでは、 九十九式 (復活してたんだ ... ) の『変な日本語(1) 「危ないですから」 』の
私も誤用ではないと考えるし使ってもいるが、形容詞+「です」って違和感があるという人がいるのも理解できる。自分自身でも「危ないです」とか「大きいです」と書く時にはほぼ毎回そのまま書くか言い換えるか判断しているのだ。それは、「食べれる」や「来れる」など、一般には「ら抜き言葉」と言われる「上/下一段動詞、カ変動詞の可能動詞化」を使う時にも同様だ。
自分ではOKと思っていても読み手が気にすると思えば避ける。余計なところで読み手の思考を中断したり、突っ込む隙を与えたくない (「ソンナトコロニコダワッテナイデ、ホンブンノナイヨウヲヒョウカシテクダサイヨ」)。
話がそれた。「大きいです」に違和感のある人も
「大きいですね」
「大きいですよ」
は、すっと入ってくるのではないだろうか。
「大きいですが ...」
はどうだろう。
このように日本語は (言語はかもしれない) その前後によって容認される度合いが大きく変わってくる。九十九式氏のように、「です」を「だ」に変えると受入れられないのが分るでしょ、というのは意味がない。「です」を「だ」に変えるから受入れられなくなるのだから。
蟹亭奇譚氏の記事では最後の段落
一方、変えないようにするという立場も一定の範囲で理解ができる。「変えない」=「皆が共通に理解できる」=「伝わる」なのだから。「一定の範囲」と書いたのは、また九十九式氏の文章に戻るが、最後に
最後に、出版社ディスカバー21の社長干場さんがこういう発言をしている。
本の現場では「形容詞+です」はまだ避けるべき表現なのだろう。それは先に書いた読み手を考えるというところにつながる。
ただ「の」を入れるというのは、どうなんだろうね。例えば「大きいです」に「の」を入れて、「大きいのです」にしちゃうとニュアンスが変わってしまうと思う。強調されるだけでなく、理由を意図しているような感じをうける。
デアル調で書いてみるとニュアンスの違いが見えて来るかもしれない。
「大きい」と「大きいのだ」。
「今日の富士山は美しい」と書くとそのままでもすっと入るけど、「今日の富士山は美しいのだ」だと、「だから何?」と聞きたくなる。
さきほど、「です」を「だ」に変えるから受入れられなくなるのだ、と書いておきながらなんだよと思われるかもしれないが、ここでは接続可能かという構文上の話をしている訳ではなく、ニュアンスの話ということでご了解下さい。
ちょっと前の記事になるが、こんな記事があった。
蟹亭奇譚 2009-10-22 [ことば]「形容詞 + です」という日本語の用法について
ここでは、 九十九式 (復活してたんだ ... ) の『変な日本語(1) 「危ないですから」 』の
言うまでもなく、「危ない」という形容詞に直接「です」を付けるのは誤用だ。に対して、過去の文学作品中でも自然に使われている例を多く挙げ、誤用ではないとしている。
私も誤用ではないと考えるし使ってもいるが、形容詞+「です」って違和感があるという人がいるのも理解できる。自分自身でも「危ないです」とか「大きいです」と書く時にはほぼ毎回そのまま書くか言い換えるか判断しているのだ。それは、「食べれる」や「来れる」など、一般には「ら抜き言葉」と言われる「上/下一段動詞、カ変動詞の可能動詞化」を使う時にも同様だ。
自分ではOKと思っていても読み手が気にすると思えば避ける。余計なところで読み手の思考を中断したり、突っ込む隙を与えたくない (「ソンナトコロニコダワッテナイデ、ホンブンノナイヨウヲヒョウカシテクダサイヨ」)。
話がそれた。「大きいです」に違和感のある人も
「大きいですね」
「大きいですよ」
は、すっと入ってくるのではないだろうか。
「大きいですが ...」
はどうだろう。
このように日本語は (言語はかもしれない) その前後によって容認される度合いが大きく変わってくる。九十九式氏のように、「です」を「だ」に変えると受入れられないのが分るでしょ、というのは意味がない。「です」を「だ」に変えるから受入れられなくなるのだから。
蟹亭奇譚氏の記事では最後の段落
我々は 《話し言葉》 を用いるとき、聞き取りやすい言葉、わかりやすい言葉を使ったほうが、相手によく伝わることを、経験から学んでいる。駅員が 「危険ですから」 ではなく、「危ないですから」 とアナウンスすることによって、外国人や子供を含むより多くの人たちに理解を促すことができれば、そのアナウンス自体の目的を達成したことになるのではないだろうか。に強く同意する。言語は人に伝えるためのものなのだから。
一方、変えないようにするという立場も一定の範囲で理解ができる。「変えない」=「皆が共通に理解できる」=「伝わる」なのだから。「一定の範囲」と書いたのは、また九十九式氏の文章に戻るが、最後に
本当は正字・正仮名遣いで書いた方が望ましいよなぁ…ということになるんだけど、これはまた別の話ということで。と書かれているからだ。九十九式氏はここでは態度を表明していないが、歴史的仮名遣いを使う主張をしている人は存在する。彼等は「伝わる」ことを「伝統に忠実である」か何か (彼等は「美しさ」と呼ぶかもしれない) よりも低く評価している。
最後に、出版社ディスカバー21の社長干場さんがこういう発言をしている。
hoshibay: 「危ないです」は書籍編集では「危険です」か「危ないのです」に直します RT @masakocafe9516: 丁寧に言う時は使います。RT @mayumiura RT @maruyama097: 「危ないですから」に違和感を持つ人がいること、初めて知りました。 (Sat Oct 24 16:24:31 +0000 2009)
本の現場では「形容詞+です」はまだ避けるべき表現なのだろう。それは先に書いた読み手を考えるというところにつながる。
ただ「の」を入れるというのは、どうなんだろうね。例えば「大きいです」に「の」を入れて、「大きいのです」にしちゃうとニュアンスが変わってしまうと思う。強調されるだけでなく、理由を意図しているような感じをうける。
デアル調で書いてみるとニュアンスの違いが見えて来るかもしれない。
「大きい」と「大きいのだ」。
「今日の富士山は美しい」と書くとそのままでもすっと入るけど、「今日の富士山は美しいのだ」だと、「だから何?」と聞きたくなる。
さきほど、「です」を「だ」に変えるから受入れられなくなるのだ、と書いておきながらなんだよと思われるかもしれないが、ここでは接続可能かという構文上の話をしている訳ではなく、ニュアンスの話ということでご了解下さい。
2009/10/23
同盟の皆さん!
なんと魅惑的な響きでしょうか。
肉料理のテーマパーク「ミートレア」12月3日オープン 「とんかつパフェ」も (ITmedia 2009/10/21)
それともこちらでしょうか? (via ゆきさん)
追記: すみません、「同盟」じゃなくて「連盟」でしたね。
肉料理のテーマパーク「ミートレア」12月3日オープン 「とんかつパフェ」も (ITmedia 2009/10/21)
それともこちらでしょうか? (via ゆきさん)
追記: すみません、「同盟」じゃなくて「連盟」でしたね。
2009/10/17
「よろしかったでしょうか」の意味
こんにちは。
先日、「いらいらさせる言葉 [英語編]」で、
そういう使い方のことをしらなかったのだけど、ちょうどその前10月9日にNHKで放送された、「みんなでニホンGO!」という番組で「よろしかったでしょうか」がとりあげられたそうだ。
はてな匿名ダイアリー 2009.10.10 これでも「よろしかったでしょうか」を認めない奴は何が不満なんだ!
ちょっと補足すると、運用論的に間違っているというのは、「○○部長はいらっしゃいますか?」と電話で問われて、「はい、そばにおります」と答えるようなもの。
この匿名ダイアリーの人は、NHKの取材をまとめるとOKと結論づけられたものが、一般のアンケートでは否定的であることに対して、それはクレームをつける人が (特に東京で) 多いからであって、言葉狩りであるとして断罪している。
これに対して、次のような意見もあった。
Living, Loving, Thinking: 「よろしかったでしょうか」はやはりよろしくない
さて私は最初「ウエダさんのお宅でよろしかったでしょうか」は腹立たしいと書いた。これは電話での第一声に対しての反応で、実はレストランで確認される「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」は私自身は問題視していない。
レストランでの注文の確認のシーンはこうだ。
・ご注文を繰り返させていただきます。
・ハンバーグステーキセットと ...
・ご注文は以上でよろしかったでしょうか。
ここで過去形にしているのは、私の理解を述べた、その表明 (過去というより完了) に対する承認を得ている訳で、決して客が注文するものを押し付けている訳じゃない。
一方で電話の「ウエダさんのお宅でよろしかったでしょうか」は、「私は (カモ顧客候補リストをみて) 電話をかけた、その電話番号は間違ってなかったか」ということを問うている訳だ。
知るか。電話掛けてって頼んでねーよ。
腹立たしいというのがご理解いただけると思う。
ところで「いらいらさせる言葉 [英語編]」でいただいたコメントに対して、私は、
"Living, Loving, Thinking"のSUMITA氏は、
以前「コーヒーが飲みたい」という文に対して、「コーヒーが何を飲みたいのかな?」という形で間違いを指摘している人がいた。この人は、主語と目的語があって、主語は「〜が」、目的語は「〜を」で示さねばならないという固定的な考えを持って言っているのだと思う。きっと日本語で「私はコーヒーが飲みたい」というのが自然な文として認識できなくなっていたのであろう。
先日、「いらいらさせる言葉 [英語編]」で、
「ウエダさんのお宅でよろしかったでしょうか (いきなりなぜ過去形?) 」とか「こちらがコーヒーになります (いつなるんだよ)」など腹立たしい言葉が多くありますね。と書いたら、pacer3さんから「過去形の日本語ってのは、昔からえん曲の丁寧語としてあったようですね。」とのコメントいただいた。
そういう使い方のことをしらなかったのだけど、ちょうどその前10月9日にNHKで放送された、「みんなでニホンGO!」という番組で「よろしかったでしょうか」がとりあげられたそうだ。
はてな匿名ダイアリー 2009.10.10 これでも「よろしかったでしょうか」を認めない奴は何が不満なんだ!
乱れた敬語とされている「よろしかったでしょうか」は文法的には全く間違っていない。「た」は婉曲表現であると明海大学井上史雄教授。井上史雄に関しては以前取り上げたのだけど、彼の著書は基本的には言語の使用のされかたをそのまま受け入れるスタンスだった。「婉曲表現である」というのは、現在そのような使われ方をされているということだろう。文法的には全く間違っていないというのも、構文的に間違っていなくても、意味論的に間違っているものや運用論的に間違っていないということの検証が必要だろう。
ちょっと補足すると、運用論的に間違っているというのは、「○○部長はいらっしゃいますか?」と電話で問われて、「はい、そばにおります」と答えるようなもの。
この匿名ダイアリーの人は、NHKの取材をまとめるとOKと結論づけられたものが、一般のアンケートでは否定的であることに対して、それはクレームをつける人が (特に東京で) 多いからであって、言葉狩りであるとして断罪している。
これに対して、次のような意見もあった。
Living, Loving, Thinking: 「よろしかったでしょうか」はやはりよろしくない
「た」は他のありようがありえないような確定性、排他的な断定性を表す。承認を求めているようにみえて、否定を許さないというニュアンスがあることを指摘している訳だ。
...
とすれば、何故「よろしかったでしょうか」がむかつくのかは略自明であろう。
さて私は最初「ウエダさんのお宅でよろしかったでしょうか」は腹立たしいと書いた。これは電話での第一声に対しての反応で、実はレストランで確認される「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」は私自身は問題視していない。
レストランでの注文の確認のシーンはこうだ。
・ご注文を繰り返させていただきます。
・ハンバーグステーキセットと ...
・ご注文は以上でよろしかったでしょうか。
ここで過去形にしているのは、私の理解を述べた、その表明 (過去というより完了) に対する承認を得ている訳で、決して客が注文するものを押し付けている訳じゃない。
一方で電話の「ウエダさんのお宅でよろしかったでしょうか」は、「私は (
知るか。電話掛けてって頼んでねーよ。
腹立たしいというのがご理解いただけると思う。
ところで「いらいらさせる言葉 [英語編]」でいただいたコメントに対して、私は、
英語では助動詞の過去形が丁寧として使われるのですが、そこには共通する何かがあるのかもしれませんね。と書いた。
"Living, Loving, Thinking"のSUMITA氏は、
「よろしかったでしょうか」の「た」は「婉曲表現」であると国語学者の井上史雄氏は述べているらしい。そうなの? ただ、「よろしかったでしょうか」の〈外資系起源〉説があったと思う。英語では、will you…?よりもwould you…?の方が丁寧な表現であるように、時制を過去にすると丁寧になるということがある。「よろしかったでしょうか」は外資系企業の英語の接客マニュアルを和訳するときに〈丁寧としての過去〉を素直に直訳してしまったのが起源なのだと。と書きつつ、その出典は忘れてしまった。と書いている。私は「共通する何かがある」と書いた時に、誤解のことも意識していた。
以前「コーヒーが飲みたい」という文に対して、「コーヒーが何を飲みたいのかな?」という形で間違いを指摘している人がいた。この人は、主語と目的語があって、主語は「〜が」、目的語は「〜を」で示さねばならないという固定的な考えを持って言っているのだと思う。きっと日本語で「私はコーヒーが飲みたい」というのが自然な文として認識できなくなっていたのであろう。
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