先日、台湾で買ってきたこれ。
コアラのマーチじゃないぞ。「小熊の森」です。なんて書いたのですが、中身はこんなでした。
ん?
拡大すると...
本当にコアラじゃありませんでしたね。小熊とも言い難いですけど。右はまだプーさんみたいとも言えるけど、左は狸だポン。
それからこの形になんの意味があるんだ (笑)。
コアラのマーチじゃないぞ。「小熊の森」です。なんて書いたのですが、中身はこんなでした。
錦糸町の海幸寿司で11貫だと問題あるかもぉ〜^^;なんて書かれています。
冷たい水を張ったバケツの中に溶けたガラスを一滴垂らすと、17世紀のアマチュア科学者の名前にちなんだこのガラスの球は、圧力の塊となる。それはどんなに強く叩かれても平気だが、尻尾の先をちょっと切ると爆発する。元記事はこちら (英語)。
日本全国に点在する動物愛護センター。ここでは、主に飼い主から放棄・息された犬猫や、迷い犬猫などを保護している。元の飼い主や新しい引き取り手が現れないかぎり、多くは「1週間」前後で殺処分となる。返還や譲渡がままならない場合の殺処分も管理業務のひとつなのだ。「動物愛護センター」という名前なのに、その職員は動物を殺すことを強いられているのだ。
法務大臣の仕事、つまり「誰にいつ死を与えるか決定する」のが死神の仕事そのままであることを知らない、あるいはそれを否定して死神という「言葉」に怒る姿が私にはグロテスクに見える。厳しい現実から目をそむけて「言葉」にアレルギーを起こすのは偽善的だ。と述べている。
ネット世論も「死刑は当たり前、法相を死神よばわりするのはひどい」というのが一般的らしい。私は先にも断り書きを入れたが、死刑反対の立場で朝日新聞を批判している。死刑制度の廃止は、制度に従って生きている人を非難することでは達成されないと思う。
2007年6月7日に立法院が台湾民主紀念館組織規程を否決し、再び中正紀念堂(ちゅうせいきねんどう)の正式名称に戻された。とあります。
台湾の年号は「民国」です。
1912年(辛亥革命の翌年)の元旦が元年となり、西暦から11マイナスで民国の年数になります。(例:2001年なら民国90年)
次の日に友人がホテルに来て『ニューヨークタイムズ』の一面の記事を見せてくれました。それから2日以内に、妻がインターネットから60以上の一面記事をダウンロードしました。掲載された写真を見て初めて、私はこの出来事が世界に報道されたことを光栄だと思いました。それは私が常に夢見ていたことだったからです。この日は私にとって特別な日になりました。ここにも正直な高揚感の吐露がある。
トラックにはねられた友だちを介抱していて、ふと視線を上げると周りは「カメラ、携帯、カメラ、携帯…」。やめてくれと言うと「無視された。嫌な顔もされた」そうだこれを見ると使命感があってやっている訳ではないとも思う。
事件現場近くを歩いていた際に、ある男性が「犯人が捕まったぞ」と声を上げたという。周りには写真のコピーを求める人々が殺到。携帯電話の「赤外線送受信」を使うと、5秒程度で写真を自身の携帯に取り込むことができる。その場であっという間に容疑者の画像は不特定多数の通行人に広まったという。ぶんさんは表題からわかるように、「伝える」という意識をもって、なおかつそこでの自分の内面の高揚感を予測し戒めているが、これらの記事を見るかぎり、ブログなどで事件を伝えることを目的としたとは考え難い。
はてなブックマークには『マスコミが伝えると「報道の責務を果たす」になって、個人が伝えると「野次馬」というのは軸としておかしい』『「撮っていい人」と「撮ってはいけない人」を分け隔てているのは何だろう。カメラの口径?職業意識?倫理観?「報道」の腕章?そもそもそんなものがあるのだろうか』というコメントがあった。ここでコメントした人は疑問視しているが、私は「職業意識」と「倫理観」だと思う。
水島教授は「中継した人のブログから自問自答している様子がうかがえた。中継した人だっていつかは撮影されて配信される側になるかもしれない。誰もが本人の意思とは無関係に参加せざるをえないネット社会を我々は選択したわけだ。大切なのは、このように自問自答しながらネット社会での振る舞いを身につけることではないか」と話している。そしてそれは、今のマスコミのことを「マスゴミ」とよぶ批判精神を持った人ならば難しくないと思うのだ。他人には厳しく自分には甘いと言う姿勢で臨みさえしなければ難しくない。
今日は私も「さよならブルーマンデー!」でした。というのはそういうことでしたか。
その行動が正当化されるはずもないのは言うまでもないこと、だからこそ、「なぜ」を問うことが何よりも必要なのではと思います。『それを「許せない」で終らせてはいけないという声』はここから聞こえてきたのか...
「自分が聴きたいものだけ選んだ。皆さん、ついてらっしゃいね」と笑う。なんという唯我独尊。こういうことを嫌みなく言える人は少ないと思う。
「私なんだから、品がいいに決まっているでしょ」
ダンスはうまく踊れない/気まぐれ (1977年4月21日) - 「ダンスはうまく踊れない」は井上陽水が妻となる石川セリと付き合い始めの頃、気を引くために目の前で30分ほどで作ってプレゼントした曲。後年、高樹澪がカバーしヒットした時には、「私のための曲をなんで他の人が歌うのよ。」とご立腹だったそうだ。備考には
「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出たときは (注 - 1984年)、それなりに年輪を重ねていたが、その魅力は凄艶であった。て、執筆者の個人的感想が炸裂。