感想としてはこの人のに近いかな。
東浩紀の渦状言論 「ぽかーん……」
追記: これ見逃してた。
bogusnews 2008/09/01 13:33 掲載 防災の日─今年は未曾有の人災に備えた訓練も・永田町
永田町・議事堂前広場。訓練は正午の時報に合わせ、防災ヘルメット姿の福田首相の宣言ではじまった。
「訓練。人災が発生しました。人望も能力もない人物が首相に就任しました」
宣言と同時に、広場に居合わせた参加者はいっせいに
「orz」
のポーズを取り、地面にうずくまった。
永田町・議事堂前広場。訓練は正午の時報に合わせ、防災ヘルメット姿の福田首相の宣言ではじまった。
「訓練。人災が発生しました。人望も能力もない人物が首相に就任しました」
宣言と同時に、広場に居合わせた参加者はいっせいに
「orz」
のポーズを取り、地面にうずくまった。
それは単純にアフガンの「復興」が武装勢力にとって都合が悪いから。
...
善意の期待では、NGOの行動は実施できない段階にあった。
高知バス白バイ衝突事件なんてのもあることを忘れてはいけないと思う。と書いた。この件に関してはこれ以上の言及をしていなかったが、最高裁で上告が棄却されたそうだ。新聞には載っていないようだ。
じつはわたしは、不審人物や犯罪者たちがどこにかたまって存在するのか、知っている。おそらく、日本国民の大多数も、知っている。マスメディアも報道しないだけで、知っている。ところがそれを告発すると、警察に狙われるのは、逆に告発者の側となってしまうのである。これは、警察のことを言っているのだ。
海外、というか主に英語圏のマスコミと日本のそれとの決定的な相違は、日本のマスメディアは素朴な質問を発さない部分にある、と思う。権力に遠慮しているのか、それとも単に頭が悪いだけなのか。権力に媚びる。そして、権力のおこぼれにあずかろうとする。今回の事故、というか事件でも同様だ。
誰も片岡さんのことを真剣に考えてくれてはいないようだ。(県内一社を除き)追加トラックバック - 裁判員制度に疑問を抱いている人達がいます。
なんで自分の頭で考えてくれないのだろうか?
...
記者会見の後、会見場を出た片岡さんに声を掛けたそうな若い記者が何人もいました。この事故や裁判の経緯を知らなくてもいいんです。
知らなきゃ『知らないんですけど教えてください』で聞けばいい。
「痩せたい」というキーワードは、「ダイエット」に比べて明らかに検索数の少ないワードですが、「痩せたい」の周辺ワードを見ていると、事情や熱意まで見えて興味深かったりします。ふむふむ。
「本気+痩せたい」「絶対痩せたい」「痩せたい+太もも」「どうしても痩せたい」「とにかく痩せたい」「もっと痩せたい」「早く痩せたい」など、本気、絶対、どうしても、とにかく、など、フツーではちょっと想像できないワードが打ち込まれていたりします。なるほど。
「痩せたい+ 食べたい」「食べたい+痩せたい」など揺れる気持ちがそのまま打ち込まれていて「揺れる気持ち」w
MOON あなたは知ってるのああ、そういえば、この曲、英語の歌詞のやつもあったな、と思っていたら、偶然次の曲がそれでした。
MOON あなたは何もかも
初めて歩いた日のことも
MOON you follow me where I go英語の文法的にはどうかと思うけど、「どこにでもついてくる」って感じはいいですね。
MOON whatever I am you know me
My secrets are safe with you forevermore
こわしてしまうのは 一瞬でできるからという歌詞が出てきます。
大切に生きてと 彼女は泣いた
エクステリアの「あるべき論」はわかるが、日本人の少なからずの人が「エクステリア」=「金持ちの道楽」と思っている。また、Webの世界の「あるべき論」を適用するのも間違い。
ここで使った「エクステリア」という用語は、単に建築物の「内と外とさらに外」みたいな区別を厳密化させるために用いたものであって、たとえばアパートのベランダなども含めることは本文で書いたとおり。
つまり、外から見られる部分について、実際に(日本人であろうと何国人であろうと)「私的領域に属しながら、外から見られる」ことを(おぼろげながら)自覚しているはずだ、という話。
単に建築物の「内と外とさらに外」みたいな区別を厳密化させるために用いたものであって、たとえばアパートのベランダなども含める。
エクステリアの「あるべき論」はわかる
日本人の少なからずの人が「エクステリア」=「金持ちの道楽」と思っている。
このエントリは、相手が違う文化、違う常識を持っていることを前提としていて、そういう相手に理解してもらえるように説明している所が素晴しいと思ったからです。と書かれている。
こういう形で異議をとなえることは、日本の重要な責任ではないかと私は考えています。
現場は鳥の巣から1㌔以上東の高架道路の上。道路から人が落ちても不思議でないくらいぎゅうぎゅうで、汗だくの体でべったりくっつきながら携帯で撮影会。はっきりいってほとんど何も見えない、聞こえない、警察は「さっさとかえれ!」とめっちゃえらそう。でも中国庶民は、このくらい虐げられるのは慣れっこなので、みんなものすごく興奮して楽しそうだった。
高揚した気分で帰途について、ふと携帯電話をみると、友人の作家の余傑さんからメールが。「自宅のアパートの前に、アパートから派遣された保安要員(おそらく公安)が監視ステーションを作って、私たち一家が家から出ないように監視している。同じ家賃を払っているのに、どうしてこういう目にあうんだ!」。余傑さんは、中国非公認のキリスト教徒で、ブッシュ大統領に面会して中国の地下教会や非公認キリスト教の弾圧ぶりを訴えたりして、当局ににらまれている。五輪の安全を理由に事実上の自宅軟禁を強いられている。
「北京を訪れる外国の友人たちに快適で広い道を提供するため、できるだけ外出は控えよう!」という言葉は、果たして何を連想させるだろうか。それは「中国人と犬、渡るべからず!」というあの屈辱的な文句にほかならない
「人権について訴える人びとを起訴し処罰し続けることによって、中国政府は、オリンピック招致が決まった7年前に自ら表明した多くの約束を反故にしてきた」と、アムネスティのアジア太平洋部副部長ロジーン・ライフは香港での記者会見で語った。
かつては本に没頭したり、長い記事に読みふけったりすることは、日常の一部だった。展開されている議論にもすんなりと入っていけたし、長い文章を何時間も夢中になって目で追い続けたものだ。だが今では2〜3ページも読んだところで意識が移ろい始めることはしょっちゅう。落ち着きがなくなり、筋を見失い、気が散ってあたりを見回し始める。かつては自然に読書の世界に入っていけたのに、今では読み続けること自体がひどく難儀だ。まあ、表題で「グーグル」を出しているのは実は釣りだな。筆者自身もインターネットを使うようになってからということは認めている。
集中して活字の海に潜ることが尊いのは、著者の言葉から得る知識のためではない。著者の言葉が私達の意識に知的か共振を生じさせるためだ。そしてそれはネットでは得られないと主張している。
昨年、ペイジは科学者を集めた会議で語った。グーグルは「本気で人工知能を構築しようとしている。しかも大規模に」と。ここからHALにつながってくる。ターミネーターに出てくるスカイネットも同じような存在だろう。
太平洋戦争で連戦連勝の日本陸軍はガダルカナル島で、陸海空一体の米軍と初めて戦闘を繰り広げる。先兵となった北海道・旭川の兵士の証言から「初の大敗」の深層を描く。としか書いていないんですが、銃剣をもって敵の陣地にみんなで突っ込んで行くんですよね。銃剣で銃の先端に剣がついているものなんですが、銃としては使わなくて、結局敵の兵を刺すまでなにも攻撃にならないもの。敵は陣地から銃で掃射するので、全滅してしまう訳です。
数カ月前に流行った言葉が全国規模で広がるころには、すでに友人グループやクラス単位の「内輪レベル」で新たな流行語が生まれているのが、この世代の特徴だ。と書いてあるが、最前線のサンプルって、たまたまそのグループで使われているだけのものもあって、これをひとつひとつ覚えることは意味のあることではない。覚えて使うと「なにこのオジさん」って言われるのがおち。
「マジか」を筆頭に、「面倒くさいから」「適当に会話したい」などの理由で、会話を円滑かつ穏便に「流す」風潮が目立っている。面と向かって言わない代わりに、表向きの相づちで会話をつなぎ、言われる側も空気を察してそれとなく会話を流す、そんなコミュニケーションが、さまざまな「適当」系言語を派生させる。近頃の若いもんは、面倒くさいとか思いながら会話してるんだ、そりゃ問題だなー、なんて最初は思ったのですが、よく考えたらこれって若い人達に限らないような。
同メニューは、中央に温泉卵が乗った、半分が牛丼でもう半分がカレーライスの丼。甘辛い味付けのオーソドックスな牛丼が自民党を、ピリリと辛いスパイシーなカレーが民主党を、中央に乗った温泉卵が国民を表わしており、「ねじれ国会」の様子を丼の中で表現する。で、共産党は紅生姜と。
「牛丼とカレーだけを混ぜて食べるとお互い主張し合ってけんかしてしまうけど、温泉卵も加えるとけんかしなくなりおいしくなる」と土切さん。「お互い主張するばかりではなく、国民の意見を反映させて自民党と民主党の良い部分だけを取り上げてほしい」とのメッセージが込められているという。温泉卵 = 国民をまんなかに入れ、けんかしないように、国民の意見を反映させてほしい、っていいことを言うなあ。