2008/09/13

阿寒湖摩周湖知床層雲峡旭山動物園旅行の巻

遅い夏休みをとって2泊3日で行ってきました。

 北海道のまっすぐに延びた道路。ガイドさんは「北海道では地図を作ってから道を造るのでこうなる」と、つっこんでいいのかいけないか分らないような説明をしていました。



峠から十勝平野に下って行くところ。





阿寒湖の早朝。霧が出てますが、摩周湖ではありません。日が高くなるに連れてだんだん晴れて行きます。

摩周湖。霧はでておらず、凄く良い眺めでした。
Wikipediaによると、法的には湖ではなく、ただの水たまりという位置づけだそうですね。





知床五湖の駐車場から知床連山を望む。

旭山動物園へは開園すぐに入園するスケジュールになっていたので、新しくできたオオカミの森もぺんぎん館もほとんど並ばずに入れました。それでもあざらし館はあっという間に長蛇の列になっていて断念したのですが。


オオカミの森ではこのようなドームから頭を出して観察できます。一つ前の写真はそこから撮ったもの。


ぺんぎん館。鳥が飛ぶように泳いでいるところはみられず、この写真はわかりにくいですが水面にういているところ。

鳥が飛ぶように泳いでいるところは、せば教授のんちゃんの記事をご覧下さい。せば教授のところでは、ペンギンの行進も見られますよ。

2008/09/09

食品会社に売ること自体 ...

... 横流しするのは想定内だってことだよな。

追記: 「工業用糊に限り販売」 農水省の説明は大ウソだった (2008/9/11 J-CASTニュース)
「事故米」が工業用糊としては需要がないのでは、と指摘したところ、これまでの農水省の発表やJ-CASTニュースの取材に答えたこととニュアンスが一変した。

「台風で水に浸った事故米は食用としてすぐに出荷するように、事故米も臨機応変に、何でも工業用に回すというわけではありません」

という理解不能の説明だった。食用に転売される可能性にうすうす気が付いていた、といわれても仕方がないような対応だ。

2008/09/02

なんだよ大事な時に辞任て

毎日新聞 (魚拓)

感想としてはこの人のに近いかな。

東浩紀の渦状言論 「ぽかーん……」

追記: これ見逃してた。

bogusnews 2008/09/01 13:33 掲載 防災の日─今年は未曾有の人災に備えた訓練も・永田町
永田町・議事堂前広場。訓練は正午の時報に合わせ、防災ヘルメット姿の福田首相の宣言ではじまった。
「訓練。人災が発生しました。人望も能力もない人物が首相に就任しました」
宣言と同時に、広場に居合わせた参加者はいっせいに
「orz」
のポーズを取り、地面にうずくまった。

2008/08/28

太田農水相を問いつめても時間の無駄

最初から「血税を着服した」ことを前提に、福田首相に対処を問うことにしよう。

太田農水相の釈明は、予め時間を十分かけて (半日あれば十分でしょ)、福田首相に対してしてもらって、
福田首相の言葉として語ってもらう。

太田農水相の釈明は信用ならんとして、太田農水相をクビにして、自分も任命責任をとって辞めてもらってもよいし、
太田農水相の釈明を真に受けて、首相が責任をもって庇ってくれても良いし、
 (あとで矛盾が出た時に首相がその責任をとって辞める)

太田農水相から真実を聞いた上で、自民党公明党の公式見解として「血税の着服」は問題無し、今後も続ける、と宣言してもらっても良い。
 (次の選挙までは首相でいられる)

民主党も何かあるたびに無駄に時間を費やしていたら国民に愛想つかされるぞ。というか私はもう小沢には愛想つかしてるけどな。小沢だったら戦略的に動けるかもと最初はちらっと思ったのだけど完全に間違ってました。旧来の自民党政治家と同じ穴の狢。

Wikipedia 事故米不正転売事件

伊藤さんが殺害されたことに関して

激しく動揺している。

報道では、村同士の諍いみたいなことが言われていて、
それだったら解決も早いんじゃないの、と思っていた。

そっちばっかり指導してないで、こっちも指導して下せえ、とか。

能天気なことを考えていたのだ。

しかしタリバンか...

自国民や、支援する人々を犠牲にして、何を得たいのか。

赤旗 (2008.8.28) 伊藤さん 遺体で発見 / 日本外務省が確認 / アフガン拉致事件

過去記事

多神教礼賛 (アニミズム礼賛)

追記: 下記記事にはなるほどと思った。

finalventの日記:朝日社説 アフガン拉致―青年の志を無にしない : asahi.com(朝日新聞社):社説
それは単純にアフガンの「復興」が武装勢力にとって都合が悪いから。
...
善意の期待では、NGOの行動は実施できない段階にあった。

2008/08/26

大阪の地下鉄にもタヌキが ...

... いたポン。

先週大阪に出張に行って発見しました。これは狸田所長に報告せねばと思いながら忘れていましたが、ポンポコ研究所「副都心線でぶらり散歩(08年8月)」をみて思い出し、写真を発掘してきました (おおげさな)。

PiTaPaは関西のJR以外の鉄道の共通カードのようですが、このタヌキはOSAKA PiTaPa (大阪市交通局) 限定のキャラクターのようです。しかしOSAKA PiTaPaのサイトにもまともな紹介は載っていないし、検索して調べても、「名前はまだない」とか「"PiTaPaたぬき"という名前だ」(そんなぞんざいな名前のつけ方...) とかしか見つかりませんでした。

あ、アランジアロンゾのデザインだということは複数の人が言及しており、そこは間違いなさそう。

もう少し調べたら、グッズのコーナーにありましたよ。"ぴたポン!"でたぶん良いのだと思います。

大阪に行って確認してきましょう。ついでに奈良で鹿にも会ってきましょう。

2008/08/24

日本は法治国家なのだろうか?

「日本は法治国家なのだろうか?」... これは以前『「転び公妨」って言葉 ... 』で引用した森巣博さんの記事のタイトル。

『「転び公妨」って言葉 ... 』の最後に
高知バス白バイ衝突事件なんてのもあることを忘れてはいけないと思う。
と書いた。この件に関してはこれ以上の言及をしていなかったが、最高裁で上告が棄却されたそうだ。新聞には載っていないようだ。

きっこのブログ: 警察による大犯罪を見て見ぬふりの最高裁

バスに乗っていた生徒たちは、完全にバスが停まっていたと訴え続けてきた
→ 最高裁判断: 関係者の証言は信用できない

事故直前にたまたま現場を通りかかったまったく無関係なドライバーの目撃証言
→ 最高裁判断: 供述者が第三者というだけで、その供述が信用できるわけではない

新証言 (事故の翌朝に事故現場を見に来た人の証言)「スリップ痕などどこにもなかった」
→ 最高裁判断: 上告理由にあたらない (高知白バイ事故=冤罪事件進行中「判決でました 」)
-- 注: 通常上告は新証拠/証言がなければ認められない。この最高裁判断は新証言の存在を認めていない、提出を認めないという意志の表明といえる。

バイ隊員の仲間の証言 (事故現場を見えない位置からの目撃証言)
→ 最高裁判断: たとえ関係者であっても、警察官の場合は信用できる

...

「日本は法治国家なのだろうか?」という問いに、ただただ暗澹たる思いになる。

さて森巣さんのコラム、COURRiER Japon 9月号の第16回は「日本は法治国家なのだろうか?(後)」の矛先はマスコミと警察に向けられている。
じつはわたしは、不審人物や犯罪者たちがどこにかたまって存在するのか、知っている。おそらく、日本国民の大多数も、知っている。マスメディアも報道しないだけで、知っている。ところがそれを告発すると、警察に狙われるのは、逆に告発者の側となってしまうのである。
これは、警察のことを言っているのだ。

警察で行われてきた裏ガネ作り。これは横領した公金を返納した、ということですんでいるけれども、その中で様々な犯罪が行われてきたことは全く問われていない。下っ端は偽造領収書に署名捺印させられたが、これは虚偽有印私文書作成・同公使。その他それを強要した上司は強要罪、さらに脱税など8つの犯罪をあげている。それらが全く問われていないのだ。

きっこのブログの記事のタイトル「警察による大犯罪を見て見ぬふりの最高裁」も、それにつながる。

裁判員制度が始まったら、市民の目でこれらの警察の犯罪を抑えることができるのだろうか。裁判員は外部からの情報を遮断されるのだろう? 裁判所が証拠として出したものだけで判断しないといけないのでは監視のしようがないのではないか。

(すみません、この部分正確なところは理解していません。裁判が始まるまで情報をシャットアウトするなんてことが可能な訳はないと思うのですが、どのようにして裁判所提供の情報だけで判断することが可能なのでしょうか。)

マスコミの報道は知ることができるのだろうか。しかし...

森巣さんのもう一つの矛先はマスコミだった。このような法治主義下の不平等を放置するマスコミ。
海外、というか主に英語圏のマスコミと日本のそれとの決定的な相違は、日本のマスメディアは素朴な質問を発さない部分にある、と思う。権力に遠慮しているのか、それとも単に頭が悪いだけなのか。権力に媚びる。そして、権力のおこぼれにあずかろうとする。
今回の事故、というか事件でも同様だ。

「高知白バイ事故=冤罪事件進行中」ブログの記事「今日の記者会見」から引用する。
 誰も片岡さんのことを真剣に考えてくれてはいないようだ。(県内一社を除き)
なんで自分の頭で考えてくれないのだろうか?

...

記者会見の後、会見場を出た片岡さんに声を掛けたそうな若い記者が何人もいました。この事故や裁判の経緯を知らなくてもいいんです。

知らなきゃ『知らないんですけど教えてください』で聞けばいい。
追加トラックバック - 裁判員制度に疑問を抱いている人達がいます。

村野瀬玲奈の秘書課広報室: 冤罪の高知白バイ・スクールバス衝突事故 (裁判員制度、大丈夫とは言えない気がします... (6))

2008/08/23

グッドデザインエキスポ2008

こんにちは。佐藤卓です (ウソ)。

昨日仕事で東京ビッグサイトに行ってきたのですが、ちょうどその日の18時からグッドデザインエキスポ2008があるのが分って、行ってきましたよ。





写真を撮っても良いとということで撮ってきました。IT系の展示会と違って統一のとれた展示。ただ露出度の高いおねえさんがいないのが残...

18時オープンなんですが、18:30からはイベントがあるのであまりゆっくり見てられません。文房具を中心に見ていました。






大学のブースもあります。ここには女子大生のおねえさんが... 特に工芸繊維大学では浴衣で...



開会宣言。今年から (産業振興の視点から) 消費者の視点の審査にシフトしたということが語られていました。






デザイナー安積朋子さん、柴田文江さん、司会東海左由留さん (生活品評論家) によるトークセッション。

消費者の視点からということで、女性デザイナーをキャスティングしたのでしょうね。成功していると思います。以前東京デザイナーズウィークでのトークセッションでは、「着想が大事」とか、消費者が生活の中で使うシーンを想定した話がなくて不満だった (過去記事) ので、今回のはとてもしっくりくる話でした。これに関してはまた別に書こうと思います。

デザイナー仲間で構成されたボサノバグループPIPETTEによるライブ。

一番前の席に陣取って、フリードリンクのビールを飲みながら楽しみました。

今日23日は新しい電子楽器TENORI-ONのライブがあります。明日24日はdankogaiがアルファギークたちとウェブアプリケーションのネクストステージについて語る、そうです。ギークなおねえさんも来るのかな。

■ トラックバック

グッドデザイン賞公式ブログ「とうとう開幕!」

蜂の巣

こんにちは。ポケモンNo.015スピアーです (ウソ)。

最近奥さんが庭仕事をする度にスズメバチがでてくる、どこかに巣があるのかなあと言っていたのですが...

木の枝の密集している中に見つけたそうです。
分りにくいですね。



アップにしても輪郭は分りにくいと思いますが、スズメバチの巣に特有の模様は分ると思います。







自治体によっては無償で処理してくれるところもあるようですが、ここでは自分で業者を呼んで自分で負担しなければならないそうで、奥さんが比較的安くで安心できそうなところを選んで処理を依頼しました。

比較的小さいものでも2万円かかります。大きかったり高い位置にあったりすると値段も上がるそうですが、特に料金表がある訳でもなく、担当者が、んーこれくらいだったら2万円、とか言って値段が決まるそうです。当然明細書などもなく、領収書さえ出さないのが普通のようで、出すよう要求してやっとだしたそうです (なんでそういうことを要求されるかなと思いながらみたいですが)。

で、これがそのスズメバチの巣。あぶないので写真を撮るのも渋ったそうですが、奥さんが撮らせてくれと要求して撮ってくれました。ブログのネタ用 (笑)。

ん、なんか左上。
アップにすると...

まだハチがいますね。







2008/08/22

痩せたい+食べたい

おはようございます。松岡修造です (ウソ)。

CNETブログにこんな記事がありました。

検索エンジン窓にお願いする人たち
「痩せたい」というキーワードは、「ダイエット」に比べて明らかに検索数の少ないワードですが、「痩せたい」の周辺ワードを見ていると、事情や熱意まで見えて興味深かったりします。
ふむふむ。
「本気+痩せたい」「絶対痩せたい」「痩せたい+太もも」「どうしても痩せたい」「とにかく痩せたい」「もっと痩せたい」「早く痩せたい」など、本気、絶対、どうしても、とにかく、など、フツーではちょっと想像できないワードが打ち込まれていたりします。
なるほど。
「痩せたい+ 食べたい」「食べたい+痩せたい」など揺れる気持ちがそのまま打ち込まれていて
「揺れる気持ち」w

2008/08/16

対決−巨匠たちの日本美術

おはようございます。赤塚不二夫です (ウソ)。

「対決−巨匠たちの日本美術」展に行ってきたのだ。でも手塚治虫VS石ノ森章太郎はなかったのだ。

それはともかく、混雑するというので、先週休みをとって行ってきました。会期明日までなのに「込むから平日に行ってきた」って、挑戦ですか、ごめんなさい。

とはいえ、平日でも結構込んでいました。

通常だと同じ画家を並べるとか、同じ美術館のコレクションを持ってくるなどで、目玉があってその他のものが並ぶという感じになり、見る方もめりはりつけて見るのですが、今回は全部目玉と言って過言ではありません。

二人ずつ比較して見るし、解説で差を見ながら見るので、時間もかかり疲れました。作品的には好きになれないものもあるのですが、なぜ好きになれないのかとか考えながら見ているので、そういうのにも時間がとられます。

見応えがあったということです。

時代背景とか、使えるようになった技術、技法などもわかって面白かったです。

東京国立博物館は初めて行ったのですが、これが行われた平成館以外に、本館、東洋館で常設展もあり、こちらも充実しています。すいていますし。とはいえ、時間もあまりなく疲れてもいたので、ぞんざいな見方しかしていないのですが。

「対決−巨匠たちの日本美術」展に関しては、下記にミナさんの力の入ったレポートがあります。といって自分では手抜きをさせてもらってここで終りたいと思います。

footprint 「対決 巨匠達の日本美術」

MOON

おはようございます。夜中に目が覚めたのですが、結構明るいの。満月だったんだね。

iPodに入れた曲はシャッフルで聴いているのですが、新しい曲はそんなに増えないので、古い曲を繰り返し聴くことになります。

昨日レベッカの"Moon"が流れていました。
MOON あなたは知ってるの
MOON あなたは何もかも
初めて歩いた日のことも
ああ、そういえば、この曲、英語の歌詞のやつもあったな、と思っていたら、偶然次の曲がそれでした。
MOON you follow me where I go
MOON whatever I am you know me
My secrets are safe with you forevermore
英語の文法的にはどうかと思うけど、「どこにでもついてくる」って感じはいいですね。

この曲はお母さんと娘の話になっていて
こわしてしまうのは 一瞬でできるから
大切に生きてと 彼女は泣いた
という歌詞が出てきます。

ゆるいのも日本の文化だろ

おはようございます。伊能忠敬です (ウソ)。

【絵文録ことのは】松永英明さんの「グーグル・ストリートビューに儀礼的無関心を求めるのは筋違い」に対して、私は
エクステリアの「あるべき論」はわかるが、日本人の少なからずの人が「エクステリア」=「金持ちの道楽」と思っている。また、Webの世界の「あるべき論」を適用するのも間違い。

というコメントともにブックマークした。これに対して松永さんは次の記事「グーグル・ストリートビューは、やっぱり気持ち悪くないと思う」で、
ここで使った「エクステリア」という用語は、単に建築物の「内と外とさらに外」みたいな区別を厳密化させるために用いたものであって、たとえばアパートのベランダなども含めることは本文で書いたとおり。
つまり、外から見られる部分について、実際に(日本人であろうと何国人であろうと)「私的領域に属しながら、外から見られる」ことを(おぼろげながら)自覚しているはずだ、という話。

と書かれている。それは分って上で書いているのだけれど、ブクマコメントでは十分な説明になっておらず誤解を招く。ここではもうすこしまとめてみたい。

概要:良し悪しはともかくとして、私的領域と公共領域の境界をふくめて、ゆるいことは日本の文化だろう。グローバルスタンダードに合わせなければならないのだろうか。

ここで「文化」というのは、「芸術」とか、保護すべき「伝統」ではなくて、「共通の価値観」という意味。日本人の好みが変わって行けば変わって行くもの。多くの人が電車の中でケータイ通話が気にならなくなれば、車内放送での呼びかけもポスターもなくなるよ。

実は私も最初はストリートビューは単純に面白いと思った。今は大都市しかないし、大都市の中で知っているところは繁華街くらいなのでそういうところしか見ていなかったから。

それが、松永さんの記事でもとりあげられたhiguchi.com樋口さんの「Google の中の人への手紙 [日本のストリートビューが気持ち悪いと思うワケ]」という記事を読んで、なるほど単純に面白がってはいられない問題だなと思った。この樋口さんの記事は、単なる違和感ですませるところを、文化的背景から説明しており、良い記事だと思う。

松永さんの記事はそれを理解した上で否定している。「見て見ぬふりをしてほしい」というのに対して、「実際にもともと見えていたものなのに、それに無頓着過ぎたのだ」というのでは妥協点はないだろうな。

まず、「見える (see) 」と「見る (look at)」では違うと言うことをあげておこう。Googleストリートビューは「見える 」と「見る」に変える装置だ。

ここでやっと「エクステリア」の説明に入れる。もう一度松永さんの認識をあげる。
単に建築物の「内と外とさらに外」みたいな区別を厳密化させるために用いたものであって、たとえばアパートのベランダなども含める。

多くの人はこの意味での「エクステリア」は理解できるだろうし、「エクステリア」という言葉は使わなくても外から見られている空間であることは認識しているはずだ。そこを私は、
エクステリアの「あるべき論」はわかる

と書いた。

その上で私は、
日本人の少なからずの人が「エクステリア」=「金持ちの道楽」と思っている。

と書いた。見えるのは分るけど、それを写真に撮られて全世界に公開して恥ずかしくないというレベルまで持って行くだけの余裕は金銭的にも時間的にもない、勘弁してよ、ってことだ。

「恥ずかしくない」というところがポイントで、高級住宅街にぽつんと自分の家があったら恥ずかしいけど、周りもみんなそんな家だし、おっさんがステテコのまま歩き回っているようなところなんだから、「見て見ぬふりをしてほしい」ってことだ。

そんな「ゆるさ」を日本人はもっていると思う。それを一気にグローバルスタンダードに合わせることを強いるのがGoogleストリートビューだろう。

「Webの世界の「あるべき論」を適用するのも間違い」も同じ。これは無断リンクをいやがる人達と同一視したものだが、Webでの公開はもともとフラットで全世界に公開されていたものであって、自宅をそこに来る人に見られているのとは訳が違う。

「金銭的に余裕がない」と書いたが、家を持つ金があるんだったらそのくらいの余裕はあるだろ、エクステリアのメンテナンスまで配慮することを含めて家を持つとことだろ、という指摘はあるかもしれない。でもね、やっと買った家だってGoogleカー (高木浩光さんは「Googleカー」と書いていたw)から下手したら窓の中まで見えるくらいの敷地に建てていて、アメリカの住宅地や農村とは違う。借家だってアパートだって同じ。洗濯物をベランダに干さざるを得ない。それにやっぱり日本人はいくら貯金があっても余裕がないんですよ。まだ読んでいないけど、吉村 葉子 「お金がなくても平気なフランス人 お金があっても不安な日本人」に書いてある (はず)。

これからGoogleストリートビューはアジアの他の国やアフリカにも進出してくるんだろ。もちろん価値観も違うので抵抗もかえってすくないということはあり得るけど、日本以上に貧しいところが多い。アンカテessaさんは、「グーグルにNO!と言えるニッポン」
このエントリは、相手が違う文化、違う常識を持っていることを前提としていて、そういう相手に理解してもらえるように説明している所が素晴しいと思ったからです。

こういう形で異議をとなえることは、日本の重要な責任ではないかと私は考えています。
と書かれている。

Googleには全世界で同じサービスを提供するという方針とともに、それぞれの文化を尊重する姿勢はあると思う。また、"evil"にならないことを宣言しているし (これをGoogleは"evil"でない = Googleがやっていることは正しいと思っている人も多そうで心配だけど)。今回はそれに気づかなかっただけだと思うので、何らかの形で改善することを望みます。少なくともカメラの高さを人の目の高さにすることくらいはできるはず。

2008/08/13

スパムコメントがあったので...

... 見てみた。

こんばんは。沖縄でスパムおにぎりは売ってあったんだけど、怖くて買ってません。やっぱブロガーとしては食べてみるべきだったかな...

さて、昔の記事にスパムコメントが来ていました。URLがYouTubeのごく普通の形式("http://jp.youtube.com/watch?v=WkjTeN6jGTk")だったので、ウイルスはあり得ないだろと思い、どうせエッチな動画だろうなと期待してあてにしないで見てみました。

思わず吹いた。

New ! David Blaine Street Magic Part 4

Part 4なので、これ以外もあるということなんだけどこれらも別のおかしさがあります。

豪華中華

こんばんは。

開会式見た?断片しか見ていないのだけど、すごい仕掛けがたくさんあったようですね。CGとか...

GIZAZINE 2008年08月12日 北京オリンピック開会式の花火による「巨人の足跡」は本当にCGだったのかどうかを検証してみた

最初はリレハンメルくらいだったかな、自然に還る材料で作った食器を使ったり、選手村を開催後自然に戻せるようにしたり、環境に配慮した運営がトレンドになっていたと思うけど、今度の北京オリンピックでの取り組みはどうなんだろ。

2008/08/11

Songs for TIBET

おはようございます。

開会式見た?断片しか見ていないのだけど、すごい仕掛けがたくさんあったようですね。生放送で見た人は「なげーよ」って感じだったみたいなので、少なくともダイジェストくらいみたかったな。

福島香織さんが、「五輪開会式は見られなかったけれど雰囲気は味わった。」で伝えている会場外の雰囲気も良かったな。中国の民衆にとっては本当に何ものにも代え難い思いなんだと思う。
現場は鳥の巣から1㌔以上東の高架道路の上。道路から人が落ちても不思議でないくらいぎゅうぎゅうで、汗だくの体でべったりくっつきながら携帯で撮影会。はっきりいってほとんど何も見えない、聞こえない、警察は「さっさとかえれ!」とめっちゃえらそう。でも中国庶民は、このくらい虐げられるのは慣れっこなので、みんなものすごく興奮して楽しそうだった。

これらの人はまだここまで近づけたので良かったけど、そうでない人も多い。
高揚した気分で帰途について、ふと携帯電話をみると、友人の作家の余傑さんからメールが。「自宅のアパートの前に、アパートから派遣された保安要員(おそらく公安)が監視ステーションを作って、私たち一家が家から出ないように監視している。同じ家賃を払っているのに、どうしてこういう目にあうんだ!」。余傑さんは、中国非公認のキリスト教徒で、ブッシュ大統領に面会して中国の地下教会や非公認キリスト教の弾圧ぶりを訴えたりして、当局ににらまれている。五輪の安全を理由に事実上の自宅軟禁を強いられている。

COURRiER Japonの9月号にも次のような記事がある。

富坂聡、中国メディアの裏を読む!第7回OLYMPIC
「外出は控えよう!」はないだろう
いったい誰のためのオリンピックなのか?

「北京を訪れる外国の友人たちに快適で広い道を提供するため、できるだけ外出は控えよう!」という標語がだされているそうだ。中国人のためのオリンピックとは思わないけれど、中国人が楽しめなかったら意味がないよね。

これを伝える記事には
「北京を訪れる外国の友人たちに快適で広い道を提供するため、できるだけ外出は控えよう!」という言葉は、果たして何を連想させるだろうか。それは「中国人と犬、渡るべからず!」というあの屈辱的な文句にほかならない

これは上海の日本人租界に架かっていた橋の入り口に掲げられていたそうで、中国人にとって恥辱の象徴とされてきた文言だそうだ。

オリンピック会場とインフラの整備に関わってきた大量の出稼ぎ労働者もオリンピックが始まる前に郊外に出されたそうだ。その労働者は「オリンピック期間中は北京はテロの危険性が高まるので、政府は我々の安全に配慮してくれている」と語っていた。

外国人メディアも観光客も厳しいチェックを受けているようで、それは、中国にはそのような警戒が必要だ、そういう問題を抱えているということを全世界に伝えられて良いと思う。

全世界にとは書いたが、日本ではお祭りムードが先行し忘れられていることも多い。

アムネスティインターナショナル: 中国 : 中国政府が公約に反しオリンピックの遺産を危機に
「人権について訴える人びとを起訴し処罰し続けることによって、中国政府は、オリンピック招致が決まった7年前に自ら表明した多くの約束を反故にしてきた」と、アムネスティのアジア太平洋部副部長ロジーン・ライフは香港での記者会見で語った。

中国はオリンピック直前までアムネスティサイトへのアクセスを遮断していた (ソース1)。今はオリンピック関連施設と北京市内からはアクセス可能になっている(ソース2)。それ以外の場所からはアクセス遮断が続いているということだろう。

ところで、もうひとつの聖火リレーはどうなったのだろう。自分も含め、こういうのをすぐ忘れちゃうのが良くないところなんだよな。

さて、前置きが長くなりました。表題の"Songs for TIBET"はこれ。

AFPBBNews 7/23 スティングら有名歌手によるチベット支持アルバム、北京五輪直前に発売
iTunes Storeでも買えます。→ Songs for Tibet - The Art of Peace
お金の支援がどれだけ問題の解決に役に立つのか疑問ではあるけれど、微力ながら私にできることでお手伝いしようと思う。

グーグルで人間はバカになる!?

こんばんは。これでいいのだ。

COURRiER Japonの9月号に、「グーグルで人間はバカになる!?」という記事が出ていた。
かつては本に没頭したり、長い記事に読みふけったりすることは、日常の一部だった。展開されている議論にもすんなりと入っていけたし、長い文章を何時間も夢中になって目で追い続けたものだ。だが今では2〜3ページも読んだところで意識が移ろい始めることはしょっちゅう。落ち着きがなくなり、筋を見失い、気が散ってあたりを見回し始める。かつては自然に読書の世界に入っていけたのに、今では読み続けること自体がひどく難儀だ。
まあ、表題で「グーグル」を出しているのは実は釣りだな。筆者自身もインターネットを使うようになってからということは認めている。

ただ、グーグルが出てきたこと、そしてインターネットの情報量が増えてグーグルが必要になるくらいになってきたことは無縁ではないだろう。昔はYahoo!が整理してくれている情報で十分だった、というより、満足していたと言った方がいいか。

それ以外の要因もある。2ちゃんねると、はてブと、そしてブログもその原因だと思う。興味の対象が拡散しちゃったんですね。もちろんそれはいい面もある。というよりも、マスメディアに乗ってやってくる情報は、偏っていることが分ってきたのはこれらオルタナティブ・メディアのおかげであり、いまさら既存マスメディアに頼るわけにはいかないと思う。

この記事では、歴史をひもといて、いつの時代にも新しい技術がもたらす麩の側面があったことに言及していて、単なる感覚的な物言い、もっと言えばただの愚痴に堕する事のないよう配慮されていると思う。古くはプラトンの著書「ファイドロス」には、文字の発明を嘆くソクラテスが描かれているそうだ。人がものを覚えずに紙に書き付けることによって、記憶することを辞めてしまい、忘れっぽくなることをおそれていたという。今は「忘れられること」=「新しいことを考えらるのに集中できる」として肯定されているのにね。また印刷機の発明も同様に知的怠慢を招くことが懸念されていたそうだ。

しかしこの筆者がインターネットの影響を恐れるのは、また別の次元のことであるようだ。記憶ということではなく、考える能力が阻害されることを恐れている。
集中して活字の海に潜ることが尊いのは、著者の言葉から得る知識のためではない。著者の言葉が私達の意識に知的か共振を生じさせるためだ。
そしてそれはネットでは得られないと主張している。

確かに一連の主張は共感するところがおおいにある。しかし、流し読みするのはネットの情報だけであって、相変わらず印刷物はちゃんと読んでいるんじゃないかな。

それにはいくつか原因があると思う。

・ネットの情報は取捨選択しなければならない。「ウソをウソと判断できる人でなければ...」ってやつですね。
・ネットの情報自体が断片的。本を読めば体系的にある分野が俯瞰できた。今は自分で断片を組みあわせて体系づけないといけない。
・いつでも脱線できる、いつでも戻れる安心感。書籍の場合分らない部分があってもとりあえず先に進めないといけない。一方ネットだとその場で調べられる。
・[これはブロガーだけの話かもしれないが]、あまり読みすぎると自分の意見を書く時間がなくなる。さらには自分の(少数と思っていた)意見は既にネット上にあることが多く、そうすると自分の意見はユニークではないことになり、わざわざ書くモチベーションがなくなる。もちろん意識して読まないようにしているとは言えないだろうが、見てしまうと書けなくなるので積極的には他の情報を求めなくなる。

きっと文字が出来た後、記憶を外部化するという利点を捉えて利点を活用することが推奨されたように、ネット時代にはネット時代なりの使い方のベスト・プラクティスなんていうのが出て来るのであろう。

なお、考える力に関して言うと、ここにラリー・ペイジの発言が引用されていた。
昨年、ペイジは科学者を集めた会議で語った。グーグルは「本気で人工知能を構築しようとしている。しかも大規模に」と。
ここからHALにつながってくる。ターミネーターに出てくるスカイネットも同じような存在だろう。

先日聴講したパネルディスカッションで、原爆を開発した科学者の反省に基づき、「研究者は技術が社会に対する影響を考えなければならない」旨の発言があったのを思い出した。ストリートビューによってもたらされる違和感も、それらの考察がない無邪気な技術への信仰に対する警鐘なのだと思う。

2008/08/09

今年の原爆慰霊祭

こんにちは。

今年の原爆慰霊祭は自宅でテレビで見ていました。2004年2007年は長崎で参加してきたのですが。

この時期は毎年最高に暑いですね。長崎も暑そうだ。原爆慰霊祭では凍らせたおしぼりと冷たいお茶を配ってくれるのが嬉しいんですよね。

今年は北朝鮮、イランの問題もあって、被爆地は危機感を募らせているそうです。イラクは核兵器を持っていなかったから攻撃された、核兵器を持つことで自国の安全と独立を守ることができるという主張があるが、これが正しかったというメッセージを発信するような対応がなされており、暗澹たる気持ちになる。

平和宣言で、非核三原則の法制化を訴えているのに対し、福田首相は非核三原則の堅持の方針を示すにとどまっている。

先日NHK特集「見過ごされた被爆 〜残留放射線 63年後の真実〜」で知ったのだけど、原爆症の認定基準が今年になって緩和されたという。それでもまだ対応外の症状があって認められていない人がいる。

これもNHK特集なんだけど「解かれた封印 〜米軍カメラマンが見たNAGASAKI〜」も良かったね。ジョー・オダネル氏は原爆の効果を写真に撮ることを任務として長崎に入ったのだけれど、軍規に背いて被爆した人達の写真も撮って隠していた。隠していたけれども、晩年になって公開し悲惨さを訴える活動を始めるのだ。幸せな家庭を築いていたのだけれど、それによって離婚にまで至っている。そこまでの犠牲を払って悲惨さを訴えてきたオダネル氏のような人が米国人から出て来るところが、今後の希望のように思える。そういう父の姿を尊敬し、息子さんが遺志を継いでいる点も良かった。写真は人を動かす力があるんだね。

写真と言えば石原さとみが被爆地で撮られた写真の少女を捜すという番組をやっていた (これは民放) 。これも良かったけど、2時間番組のなか3つのトピックのひとつだったのでどうしても内容は浅かったな。

2008/08/04

脱コイズミ内閣

こんばんは。赤塚不二夫さんのご冥福をお祈りしますざんす。

上杉隆さんが、今回の改造内閣に対して、「脱コイズミ内閣」と特徴づけていました。

それはそうなんだけど、「痛みを伴う改革」の、国民に対する「痛み」は残して、もともと薄かった政・官に対しての「痛み」はしっかり取り除くような、そんな揺り戻し方というのがはっきりしたように思える。ガソリン税は残り、渡辺さんも梯子をはずされた。そして消費税増税の必要性が声高に叫ばれ、無駄使いを追求する声は埋もれて行くだろう。

これで人気が回復すると思っているのだろうか。

特に野田聖子。郵政民営化に反対するところは主張を持った政治家なのかと思ったが、復党を望む様の卑しさは、利権が欲しいだけだったということを強烈に印象づけた。

郵政民営化のときの動き、その後の苦労する様を回想して、「野田聖子入閣を祝す」などと言う訳にはいかないと思う。