2004/08/15

歴史に学ぶ - 日露戦争物語


いつもは反戦の立場に立って書いているのですが、日露戦争100年ということで、このマンガの紹介をしたいと思います。第二次世界対戦の終戦記念日 (敗戦記念日) に、この導入はへんですね。「太平洋戦争の失敗はこのころ既に始まっていた」ということがわかる、江川達也もそれを意図していると思うからです。

なお、このマンガは現在連載中で、秋山真之の少年時代からはじまって、今は日清戦争を描いています。

この11巻では、「死んでもラッパを離しませんでした」のエピソードが描かれています。同じ頃、補給の確保に失敗した責任をとって自害した古志正綱大隊長の話が出てきます。前者は美談として語られますが、後者は大きく扱われることはありませんでした。江川はこれが逆だったら歴史は変わっていただろうと語っています。NHKで日本の敗因というシリーズをやっていましたが (角川文庫で出ているようです)、インパール作戦では、作戦会議で補給路の確保ができないという懸念を述べた人は積極性が足りないと批難され、結局泥沼に入って行きました。これに限らず太平洋戦争では前線の拡大にも関わらず補給は軽視されたようですね。

また、13巻では、平壌の清側の要塞を攻めるところが描かれていますが、誰もいなかった玄武門に対して一番乗りを果たした兵卒が賞賛されたことが描かれています(もちろん批判的に)。

NHK日本の敗因では、ガダルカナルでの戦闘のこともありました。銃剣をもって一斉突撃し、機銃掃射で全滅するというのを、失敗したにもかかわらず何回か繰り返したとのこと (大胆な要約はご勘弁を)。これは日露戦争でうまくいったので、ということを言っていました。日露戦争物語もこのあたりになると、ガダルカナルを意識した記述がでるでしょうか。

日露戦争物語の連載では、現在、清の艦隊との交戦が描かれています。本体命令を無視した行動を取る坪井司令の意図が明かされるが、それは2か月前の海戦で自らがおかした失敗の反省をいかしたものだということがわかる。

明治日本で民間人が必死に富国強兵に邁進する姿も描かれており、「歴史に学ぶ」ということがこのマンガの全体のテーマと思う。そういう意味で今日終戦記念日にマッチした話題ではないかと思います (強引でしたか?)。

ただ、絵と字が細かすぎ、読む気を削ぐのが難点です。

最高を知ること

山村社長のブログ 「ウインザーホテル洞爺湖 完全レストランガイド 8月11日」からのトラックバックです。

その前の記事「二期倶楽部での週末 8月3日」に続いて、最高峰のサービスを堪能されているようで、うらやましい限りです。

なにかのビジネスをする上で、最高を知ることは重要と思います。自分が提供するものが最高でないものを狙うとしても、です。自分がどの位置にあるのかを知らなければ次の発展を考えられないし、小さい物差ししか持たなければ、その長さが最高にみえてしまう。

確かにITサービスのエキサイトとホテルにおいては業界は異なるが、現在発展中でまだ最高が見えないITサービス業界においては、成熟の進んだ他の業界の最高を知ることは重要と思います。声優のことしか知らないと声優の中で一番美人を探してしまう(って違うか)。

こういうことを考えるきっかけになったのは、海老沢泰久の「美味礼讃」。辻調理師専門学校の辻静雄の伝記的な小説なのですが、その中に、フォンドボーの作り方を教えるシーンがある。

副校長が生徒の一人に、できたスープのスプーン1杯の原価を訊く。生徒は1円くらいと答えるのだが、実際は約50円である。これで料理を作ると、スープの分だけで原価500円、売り値はその3倍くらいに設定する必要があり、1500円となる。一品料理全体では8000円から1万円になる。高卒の初任給が15000円くらいの時代の話である。一方、学校に来ている生徒は全てが一流レストランのシェフになる訳ではない。副校長は生徒に問う。
「じゃあ、きみがコックだったらどうする?」
「もっと安く作ります」
「どうやって?」
「わかりません」
「手を抜くんだよ」

「... もしきみたちが、将来これ以上ないという料理をを作ったとしても、それを食べてくれる客がいなかったら、商売として成立しないからだ。その場合、きみたちは店の立地条件や客層を考えて、それに合った限界で料理を作らなければならない。しかし、どういう場合でも、こうあらねばならぬという本物の料理は知っておかなければならない。それを知らなかったら、どれくらい手を抜くかということも分からないからだ。」
海老沢泰久は、広岡達朗を描いた「監督」でデビューして、「F2グランプリ」、「F1地上の夢」などスポーツ小説、スポーツノンフィクションで有名な人ですが、こういう著作もあります。しかし、その根底に流れているのは「一流とは何か」、「仕事とは何か」ということだと理解しています。その点に私は惹かれているのだと思います。

「美味礼讃」はライフログ使って紹介すれば良かったですね。それはまた別の機会に。 → 追加しました。

2004/08/14

ケータイ、TVが起こす新しいタイプの言葉遅れ

毎日新聞に 新教育の森:アドレス探し/8 対話奪う「TV子守」という記事がありました。

3歳になっても言葉を話さない子供が増えているとのこと。表情もない。川崎医科大(岡山県)の片岡直樹教授(小児科)によると、人間の心をはぐくむ2歳までの時期に、テレビやビデオで一方的に情報を浴びせると、自分と他人との関係を理解できず、コミュニケーション能力や五感が育たない、とのこと。子供がテレビ、ビデオを見ている間は泣き止んでいるので、家事をするため等で、そのまま見せ続けることが原因になる。

先日買ってきたPRESIDENT 2004.8.30号にも同様の記載があって、感想を書こうと思っていたところでした (こちらも片岡教授への取材なのでもとは同じでした)。
ここでは、ケータイも原因のひとつにあげられています。授乳しながらメールのやりとりをするので、赤ちゃんの目はみていない。赤ちゃんは言葉はしゃべれなくとも何かを訴えかけているが、それに反応をしてあげられない。また、テレビゲームもインタラクションは限定されており、多様な反応が得られない。

私自身も、子供が泣き出したらこの一本というビデオを用意していた。仕事のことを考えながら相手をしていたりするので訴えかけられても反応できなかったかもしれないし、そもそも訴えかけられているといっても気が付いていなかったと思う。また、ゲームではないですがそれに近いインタラクティブ絵本を与えることが教育的効果があるとも思っていました。言葉がしゃべれなくなることはなかったのは幸いかもしれません (補足: 以上は父親の私の話なので、育児の大部分を占めていた母親はふつうにちゃんとコミュニケーションとっていて問題の発生する可能性はなかったといえますが)。また、子供の成長の間に色々問題が出るものだとは思いますが、その一因だったかもしれないとも思います。

一方で育児ノイローゼということもあり、母親にも携帯メールでストレス発散も必要と思いますし、育児を手伝ってくれる人のいない核家族化した現状では、難しいところだと思います。

2004/08/13

行ってみたい、直島アートサイト

予告とは違う記事ばかりとりあげ、感想を書いているuedaです。

President 2004.8.30号に、安藤忠雄の「瀬戸内・写真日記」という記事があり、ベネッセアートサイト直島にできた「地中美術館」オープニングの日のレポートが載っていました。

ベネッセアートサイト直島
地中美術館

この記事の中で特に興味をもったのは、安藤忠雄が直島プロジェクトをはじめるきっかけ。1987年に当時の福武書店の福武会長から、「直島を世界に発信する現代アートの島にしたい」と持ちかけられたとのこと。やっぱりアートにはお金持ちの理解者が必要なんだなとも思う。美術手帳2003年12月号で森美術館の記事がありましたが、その中で美術館スタッフの「森社長は、本気で日本人の知的文化レベルを向上させようとしているように思える」という言葉を思い出しました。

ともあれ、こんなところに滞在してゆっくり美術を楽しむ時間 (+資金) の余裕をもちたいと感じました。

2004/08/12

どうなるUFJ合併問題

毎日新聞より UFJ経営統合:交渉禁止取り消し 東京高裁、抗告認める
地裁で出したUFJ-HDとMTFG (三菱東京フィナンシャルグループ。銀行名は東京三菱銀行でややこしいな)の合併交渉の禁止の仮処分を取り消すということです。

理由が、
当事者が相互に信頼関係を維持して、協働事業化の実現のために誠実に努力することが大前提となっているところ、
1) UFJHDは窮状を乗り切るため、合意を白紙撤回することを決断し、これを対外的に公表したこと、
2) これに対し住友信託は仮処分を申し立てたこと、
3) その後原審及び当審の審理を経たが双方の主張は対立し、信頼関係はますます悪化し、
双方の溝を埋めることは困難な状況にある。(番号は私が振りました)
ということなんですが、これおかしくない?

信頼関係の維持という前提が成り立たなくなったという事実認識はよいとして、その原因が
1) 合意を白紙撤回したのでということだったら、じゃあ合意/契約って何?
2) 仮処分を申し立てたということなんですが、じゃあ裁判所の役割は何?
ということになると思います。

これに関しては毎日新聞の別の面に記事があって、結納を交わしていてもその後嫌いになったら裁判所は結婚を強制できないということらしいです。それ自身は納得がいきますが、たとえかたがおかしい。ここでたとえるなら、結納を交わしているのに別の人と結婚の準備をし始めているのでそれを止めるということなんですが。

現実的な話をすると、ここまで来ると確かに三井住友とUFJの合併はうまくいかないように思います。一方、東京三菱も、住友信託から損害賠償の訴訟を起こされる火種をもった相手との合併となり、懸念材料です。また、PRESIDENT 2004.8.30 高杉良インタビューによると、UFJ統合前の元三和銀行は問題児だったらしいですね。東海とあさひで進んでいた合併に割り込んだ形で、あさひは三和を嫌って離脱したとのこと。商売のしかたも貸し剥がしマニュアルをつくるようなえげつないやり方の旧三和を東京三菱が受け入れられるかを高杉さんは懸念しています。なるほどと思います。

追記: すみません、怒りの矛先が定まらず、まとまりのない感想になってしまいました。

2004/08/11

長崎市長という仕事

長崎平和祈念式典に出て、長崎市長は (もちろん広島市長も) 通常の市の運営のほかに、ナガサキの声を伝えるという役割を担う存在なんだということを改めて感じました。選挙でもそういう点が評価されているのだと思います。

長崎新聞に「非核の時代へ =伊藤市政の軌跡=」という連載がありました。

2004年 原爆・平和連載企画

これをみると、高い評価もある一方で多くの批判もあるようですね。私が感動した平和宣言も市長自らの筆によるものではなく、「起草委員会」の手によるものとのこと(広島は市長自ら)。荒削りでも良いので市長としての強い意志が反映されるほうが良いのではないかと思います。

市長と言えば、本島さんのことを思い出さざるを得ません。昭和天皇の戦争責任に関しての言及で自民党の公認を得られず、当時の社会党はこれまで対立候補だった本島さんを支援することを決め、自民党候補を破って当選したのでした。発言自体は至極抑制されたトーンであたりまえのことを述べただけと見えましたが、言及すること自体がタブーだったのでしょう。その中で長崎市長として勇気をもった発言だったのだと思います。

私は長崎市民ではないので選挙権はありませんが、今後も長崎市長は長崎市民の平和への祈りを言葉に変えて世界に主張し続けていただきたいと思います。上記の連載記事の最後のインタビューで、来年の60回平和祈念式典を集大成となるようなものにしたいということが語られています。「被爆者や市民、若い世代はもちろん、平和に貢献してきた内外の方々に参加してもらえるような形」というのに期待しています。私は式典の有効性を疑問視する記述をしましたが、「語り継ぐ」とう点だけでも意義のあるものと思うようになりました。
コメント
jinsei1 の投稿: 2004年8月14日 7:58 AM
何だろな?にコメント、有難うございました。>抵抗の低い水着。いえ、申し訳ない。トラバもさせて頂きました。

jinsei1 の投稿: 2004年8月14日 2:25 PM
有難うございます。(日日更新・行進を、密かに心がけてやってます)常任理事国入りと、九条廃棄とを取引する様な言辞が、あの穏健派と目されていたパウエルからも漏れる昨今。みんなでもっとシッカリ連携して九条は守らねばと思うものです。お互い頑張りましょう。

DAYS Japan買ってきました

以前創刊号から突然休刊になった最終号まで買っていたDAYS Japan。
(右は最終号: A4スキャナでとれずデジカメで撮影して加工したので見苦しいのはご勘弁ください)

それが復活していることを
FAIRNESSさんの記事のコメント
とびげりさんの記事
ではじめて知りました。DAYS Japanのホームページはここ

これは買いに行かねばと思ったのですが、売っている書店が限られており、ようやく昨日 (8/10) 入手しました。バックナンバーもおいてある書店のリストにはいっていたのですが、最新版8月号しか入手できませんでした。バックナンバーは取り寄せることにしますか。

昔のDAYS Japanは講談社から発行されていたのですが、現在は広河隆一責任編集、発行所 (株) デイズ・ジャパンとなっています。広河さんは、昔のDAYS Japan創刊のころから活躍されていて、創刊号特集「四番目の恐怖」では広瀬隆さんと共著者になっています (広河さんは取材と写真担当)。休刊を最も残念がっている人なんでしょう。ついに自分で復活させることにしたのですね。

旧DAYS Japanは、休刊の理由をあきらかにしていないと思います (少なくとも私は新聞などで告知をみたことがありません)。ただ発売日に本屋に出ていなかっただけで、実質最終号には次号予告もちゃんとありました。最終号の前の号でちゃんと取材がなされておらず誤った記述をして、最終号ではそのお詫び記事が出ていましたので、それが原因とみなされているかもしれませんが、私は、商業的に苦戦していて渡りに船でやめちゃったんだと理解しています。調べたら、「男性ヴィジュアル誌はなぜ失敗するのか」という記事がありました。講談社にはフライデーくらいが身の丈にあってるよね。

その前にも教育社のCommon Senseという雑誌を毎月買っていたのですが、これも廃刊になっちゃいました。その後上記記事でも言及されているVIEWSも買ってみましたが今はもうありません。今度のDAYS Japanには期待したいところですが、商業的に持続可能なのか危惧しています。

昔のDAYS Japanと比較してみました。
2004年8月号: 62ページ820円 広告2ページ、硬派記事ばっかり。限定的な書店で販売。
1989年12月号 (実質最終号): 310ページ510円 広告数えきれないくらい。創刊号に比べて軟派記事も多い。どこでも手に入る。

同じく硬派ジャーナリズムで手に入りにくいのも同様な週刊金曜日も商業的に難しいと思っていましたが、こちらはまだ (失礼) 続いているようですね。

内容的には一つ一つの記事の量は少ないものの満足がいくものと思います。ただこれはなくなって欲しくないという意識があることと、他に同様なものがないため、甘い採点になっています。昔と比較するのは、本来は記事の正確さや取材の困難さなどを含めて評価する必要があると思いますが、物足りないというのが正直な印象です。取材力や検証能力も弱いかもしれません。「希望のための選択●水だけで走る夢の車」(きくちゆみ)という記事では「水素分解装置が水からエネルギーを作り出す」とあって、おいおいエネルギー保存の法則はどうなっているのだと問いたい、問いつめたい、...

昔のDAYS Japanのスクラップを多く保存しているので(惜しいことに何年の何月号か分からなくなっている)、順次ブログの記事で使って行きたいとおもいます(原発の安全性の問題も多く取り上げられていますし)。また、これとあわせていくつか雑誌を買っちゃったので、その記事に関連し書きたくなったものがでてきました。一つは週刊ダイヤモンド8月7日号特集「創価学会の経済力」、これは、旧DAYS Japanでも取り上げられていました(「池田大作の悪」最後の大報道)。他にはPresidentの家族特集(子供の脳の成長の問題)、シダックスがパリーグ参加?など。

コメント
Commented by DAYS JAPAN at 2011-03-31 11:14 x
確かに廃刊理由は明らかではありませんね。
当時の記事で衝撃的だったのは
1)チェルノブイリ
2)AIDS
の二つ
1=反原発
2=生物兵器
たしか、米軍関係者の「我々は10年以内に人間の免疫能力を無にするウィルスの開発に成功する」という証言が載っていたと記憶しています。その通りになったと記事は結ばれていたと…

なんらかの圧力またはトラップ?説がありますね。
確かに1.2を敵に回すのは厳しいでしょう。
いずれにしても長く続けて欲しいです。

 Commented by yoshihiroueda at 2011-04-10 11:01 x
★ DAYS JAPAN さん、
コメントを見るのが遅れ申し訳ありません。
今のDAYS JAPANがちょっと危ういところ続いているように思います。浜岡原発の特集は良かったのですがやはり広瀬隆さんの記事はもう少し専門家に見てもらってからのほうがいいかと思います。 http://d.hatena.ne.jp/yoshihiroueda/20110321/1300670240

2004/08/09

語り継ぐ意志

長崎に生まれ、高校まで長崎で過ごしたのですが、生まれて初めて平和祈念式典に参列してきました。

いろいろ考えさせられることの多い体験でした。

・式典の開始まで配られた小冊子を読んでいました。特に伊藤市長による「平和宣言」は、アメリカ市民の皆さん、世界の皆さん、日本政府、若い世代の皆さんへのメッセージで構成されており、それぞれ連帯を求めるものになっています。特に「この若者たちの情熱に希望の光を見いだしています」というところでは、涙が出そうになりました。

・式の進行を高校生男女2名が務めていました。力強くハッキリした口調は頼もしかったのですが、特に最初に「我々が平和への思いを引き継いでいく」(すみません、正確には覚えていません) という意志が示された時には、また涙が出そうになりました。

・式典の最後の方で、「千羽鶴」という歌の合唱がありました。曲や合唱は私の好みではなかったのですが、配られた小冊子の歌詞をみているとまた涙が出そうになりました。鶴を折る際にわき起こる色々な思いを綴ったものですが、特に
未来への希望と夢を
虹色の鶴に折る
というところ。

自分でもびっくりするくらい、戦争の悲惨さ、核兵器の悲惨さよりも、未来の希望、それを若い人たちが受け継ぐというところが、私の琴線に触れていることがわかります。とびげりさんのブログの記事でも「平和は受け継いでゆくから、見守っていてください」とあって、こういう若い人が増えてくれることが、地球にとっての唯一の望みのように思えてきます。

と思う一方で、毎年開催している式典が、世界にどのような影響を与えているのかという無力感も感じます。また、日本政府に対しても同様で、小泉首相の挨拶も表層的にしか聞こえませんでした。もちろんここであまり大きな約束、宣言をする訳に行かないのは分かりますが、「感動した」くらい言って欲しかった。

もとに戻ります。「怒りのヒロシマ、祈りのナガサキ」と言われるようですが、私もその長崎市民のメンタリティを引き継いでいるように思います。しかし、それだけでは世界は変わって行かないと思っています。常に主張を発信し続けないといけないと思います。

戦争をいろいろ理由をつけて正当化しようとする人たちがいます。
たとえノーム・チョムスキーが許しても、このuedaが許しません。

関連リンク:
ナガサキ・ピース・サイト
今後の希望=若い人たち(網羅できないはご容赦ください。決して年齢で選別しているわけではありません):
「灯籠を流しました」(by とびげりさん)
「黙祷。」(by 祥さん)
「きょうは」(by yukiさん)
「合唱」(by 日日光進jinsei1さん): 平和宣言と同様にアメリカ政府ではなくアメリカ市民の皆さんへのメッセージになっています。

コメント 
tobigerihippy の投稿: 2004年8月10日 12:56 AM
こんばんわ、とびげりです。私も、6日〜広島で原爆について勉強して今日関東に帰ってきました。「語り継ぐ意思」とのタイトルですが、私も実際に被爆者の方にお話をお聞きして、「語り継ぐ」必要性、いや『責任』を痛感しました。私達の年代は戦争を知らない世代だから、平和・戦争…偉そうに語ってはいけないんじゃないか?と心のどこかで思っていたんですが、その認識は間違いだったんだ、とはっきりわかりました。実際、被爆者の方は、風化されていく現実に、凄く危機感を持たれていました。私達若い世代は、戦争を語る権利はないかもしれないけど、戦争の悲劇、惨劇を語り、広める責任、義務があるんだと思い直しました。そして、8月6日だけの記念日としてではなく、常にその心を持ち続けること、伝え広げ続けることが大切だと気づきました。まだ、ブログの方には書いていないのですが、広島レポを今週中に書くので、遊びにいらしてくれたら嬉しいです

design-life の投稿: 2004年8月10日 12:59 AM
SECRET: 0
PASS:
チョムスキーの著書は僕も読みましたが、同感です。彼は、太平洋戦争が起こった背景を理解していない。当時の世界経済の活動の枠組みから外されたことが、日中戦争や太平洋戦争に繋がっていった訳だけど、侵攻を推進した日本(もしくは暴走を留められなかった当時の政府)の状況を世界が見放した事実を隠していますよね、アメリカって。靖国参拝も堂々とやっても良いと思うし、被爆国として世界世論に訴えてもなんら恥ずかしくないと思うのですよ。アメリカの教科書にどんなにちっちゃく扱われているか、真実を知れば日本の世論が許さないと思うのです。

tobigerihippy の投稿: 2004年8月10日 12:59 AM
連投ですみません。さっき、写真だけの時にコメント書いてしまいました。書き途中だったんですね!!トラックバック、ありがとうございました!

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月10日 1:29 AM
書き終わったと思ったらすぐにみなさんからコメントを頂き、おどろいています。みなさん、ありがとうございました。
★とびげりさん、おっしゃるとおりです。長崎に限らず新聞などでは「風化」は毎年問題にされています。私は被爆者ではないですが、父親が被曝者です(ちょっと字が違います。爆弾投下後すぐに被災地援護活動の任務で長崎に戻ったときいています)ので、本来はいろいろ聞いていないといけないのですが、あまりお互い自分のことを話したがらないし聞きたがらない性格なのでしらないことだらけです。この点反省しないといけないですね。体験の風化は避けられないかもしれませんが、平和への意志は風化を避けさらに強化できると思うのです。それには若い人のなかでその意志のある人を増やして行くことと思います。ナガサキでは、原爆資料館や学校の教育で、その意志を風化させないようにしています。私の小学校のころは、8月9日は夏休み中の登校日に設定してあり、平和を考える日になっていました。

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月10日 1:49 AM
★design-lifeさん、すみません。冗談のつもり*で書いたので、誤解させてしまいました。私はチョムスキーを批判しておらず、むしろ信奉しているといっていいくらいです(言語学以外)。また、design-lifeさんがおっしゃるような批判点を知りません(参照文献等示していただければ幸いです)。チョムスキーの、ジャーナリズムで公開された情報を基に論理を組み立て、矛盾点をつき、ものごとの裏に隠された本音を看破するという、その手法に信奉しています。*冗談: 「たとえXXXが許してもこのuedaが許しません」(XXXには決してそれを許さないであろうと衆目の一致する人名/組織名を入れる)というのを基本フォーマットにしようとしています(昔のテレビ番組のパクリです)が、今回外してしまいましたね。

祥 の投稿: 2004年8月10日 5:42 PM
コメントありがとうございます。俺は今回自分としても意図的にトラックバックを多くの人に飛ばしました。それによって原爆や戦争に対していろいろ考える人が多くいる人を知ると同時に原爆について考える人同士を少しでも繋げることが出来たんじゃないかなと思います。自意識過剰なのかもしれませんが。今の自分にはこのことについて無責任に語り継ぐことの出来るほどの知識や思想がありませんがそこで立ち止まってるだけじゃだめなんじゃないか?と思わされました。知らない、分からないで逃げているだけではいけないんですよね。

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月10日 6:38 PM
祥さん、コメント+TBありがとうございます。> 無責任に語り継ぐことの出来るほどの知識や思想がありませんあまり堅苦しく考えなくて良いと思います。知っていることを話せば、もし聞いている人がそれ以上のことを知っていれば補足してくれますよ。「原爆について考える人同士を少しでも繋げることが出来たんじゃないかなと思います。」とおっしゃっているように、それは知らない人に、この輪の広がりを伝えたんじゃないですか。また、ブログのことを知らない人にも、ブログには同じ想いを持った人々のコミュニティがある、ということを伝えるのもできることのひとつと思います。多くの人が声に出せば変えていける。私はそう思います。

jinsei1 の投稿: 2004年8月14日 3:36 PM
トラバ有難うございます。実は中学時代の恩師が、爆心地近くで疎開住宅の取り壊しに学徒動員されて、ヒロシマのピカにやられた被爆者のお一人です。授業のある日黒板に「怒りの炎を燃やせ」と書かれたのを今でも、鮮やかに思い出します。でも、今はすっかり丸くなられ、呼ばれてはインドへ、パキスタンへ、アメリカへ、あるいは日本の各地へ原爆の悲惨を伝えに、後遺症を押して活躍されています。

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月14日 7:32 PM
★jinsei1さん、その先生はまさに語り継ぐ人なんですね。丸くなられても「怒り」は静かに伝えられているのだと思います。我々もその怒りを横に、次世代に伝えて行かねばならないと思います。

2004/08/03

多神教礼賛 (アニミズム礼賛)

遅くなりましたが、愛のまぜご飯さんの「分離フェンス」から、お約束していたトラックバックです。

上記記事にコメントした内容をすこし整理したいと思います。

宗教、特に一神教は、人の心を利用し、戦争に駆り立てる元凶のひとつという思いを日々強くしています。 ユダヤ教をはじめとして、イスラム教、キリスト教 (一部を除く)、オウム真理教 (補足: 松本智津夫に対する個人崇拝ですよね)、...

一神教は、自分の神が唯一であること、そしてそれを信仰することのみが安寧、幸福を得る手段だと教える。そうすることでしか信仰をつなぎ止められないのだとしたら、弱い宗教と言わざるを得ない。また、容易に (戦争に、金儲けに) 利用されてしまう点も弱い。

それに対して多神教は寛容です。とくに私の神様は、自然の中にそこらじゅうに存在しており、
・全てのものに魂が宿っている
・自分が自然の中で生かされていることを感謝するように
・自分の命も人の命も生き物の命も粗末にするな
(食べるためなら命を奪うのは仕方がないが感謝しながら食べなさい)
と教えてくれています。

これこそ誇れる宗教だよなー、でも人前ではいわないけどと思っていたところに、以下のような記事を見つけました。

毎日新聞 2004年6月5日 東京朝刊
オバさんの逆襲: 平和の砦=小林洋子

バックナンバーリストの1番下で、今にも消えそうなので、著作権法上まずいと知りながら全部引用します。世界平和のため見逃してくれよー。
オバさんの逆襲:
平和の砦=小林洋子
東京都目黒区にあるB幼稚園はキリスト教の幼稚園である。この4月から、しばらく園舎改築のため近くの仮園舎に転居しているのだが、その仮園舎というのは、何とお寺なのだ。 
お寺は宗教法人として税制で優遇されているから地域社会に尽くしたい。仏教だのキリスト教だのと堅い事を言わず、困ったときはお互いさま、という双方の合意。 
子供たちがちいさな手を合わせて神に祈るとき、賛美歌を歌うとき、伴奏はどうするのだろうか、まさかオルガンの代わりに木魚で拍子を……想像を膨らましてクスッと笑う。 
「こんなことは日本でしかありえないでしょう」と地区のユネスコ協会長は嬉(うれ)しそう。私たちはクリスマスには神の子の誕生を祝い、大晦日(おおみそか)は除夜の鐘を神妙に聞き、初詣では神社でかしわ手を打つ。そんな自分たちを宗教に対して無節操だと自ら揶揄(やゆ)してきた。 
しかし、良いではないか。それは「鷹揚(おうよう)」ともいうのだ。アメリカとイラクの泥沼の戦いをはじめ、世界のあちこちでは日夜宗教の違いによる諍(いさか)いや殺し合いが起きている。そんな殺伐とした世界の中で、宗派も教義も超えて「困ったときはお互いさま」とお釈迦(しゃか)様とキリスト様が仲良く並ぶ。そういう日本の文化を、私は美しいと思う。 
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦(とりで)を築かなければならない」。ユネスコ憲章の前文の思想を実現できるのは、力で征する米国ではなく、心で包み込むことのできる日本なのかもしれない。(コラムニスト)=毎週土曜日に掲載
いかがでしょう。これまで日本の宗教観は鷹揚だと言う評価はあったと思いますが、これこそが世界平和を実現する文化であると積極的に評価したものは見たことがないように思います。

人を殺せと命令する宗教は正しい宗教ではありません。
たとえジョンレノンが許しても、このuedaが許しません。

Nothing to kill or die for 殺したり命を捧げたりするのに値するものは何もない
And no religion too 宗教だってそう (生命を犠牲にするのに値する宗教なんてない)
"Imagine"より

追記: 私の神様はMother Natureと呼ばれています。記事のタイトルもちょっと変えてみました。

追加トラックバック

■ 瀬戸智子の枕草子さん 「宗教」
■ web-log nostalgiaさん 「11'09''01」
■ たまごの距離さん 「神を忘れて」
■ 仙波眞弓のココロさん 「私の宗教」
■ petite fleur de cabochard (PFCさん - コメントも戴いています) 「神は妄想だ−宗教との決別−」補足

コメント

night_in_tunisia の投稿: 2004年8月3日 12:01 PM
僕も一神教というかキリスト教は何か人を戦争に駆り立てる何かがある気がします。「人をあやめてはいけない」、と教えているはしから「異教徒は殺してよい」ですからね。同じ神を信ぜずは人に非ず、なのか。ところでライフログ使いまくりです。ご教示有難うございました。

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月4日 4:23 AM
たぶん聖書には「異教徒は殺してよい」とは書いていないはずで、本文でちょっとだけ触れましたが宗教自体も利用されているのだと思います。ただ、利用される宗教も弱い宗教だといわざるを得ないし、聖職者がそれに対して何も抗議しない(しているのかもしれないが大きな力にはなっていない)のも、もともとその宗教の教義であると理解されても仕方がないのではないかと思います。いずれこのことも考えをまとめたいと思います。

heteheete の投稿: 2004年8月4日 9:58 AM
おはようございます。素敵な記事のご紹介ありがとうございます。八百万の神々を敬ってきたという歴史と、水に流すという気持ちを大切にしてきたおおらかな日本は、戦争仲裁の出来る唯一の国だと思っていたのですが、多国籍軍参加、九条改正に向かっているのがとても残念です。

plummet の投稿: 2004年8月4日 2:11 PM
はじめまして。ご意見には賛同します。が、ちょっと。一神教が悪いというよりも、その神様が「信徒しか救済しない(イスラム)」「民族しか救済しない(ユダヤ)」から偏狭になるのではないでしょうか。などとあちこち聞きかじりの知識からすると思えてきます。その意味で「救済」なんて概念が出てこない日本の神道(古神道)は仰るとおり特異ですね。自然崇拝型宗教の特徴でしょうか。その他、気になったのがオウム真理教の記述。オウムはインド仏教から派生しているようですので、一神教に含めるのはムリがあります。仏教は多神教というか神様がいませんから。

plummet の投稿: 2004年8月4日 2:12 PM
連続で失礼します。長すぎるって怒られてしまったので。コメントでnight_in_tunisia さんのおっしゃることは、キリスト教よりむしろイスラム、ユダヤに当てはまりますね。旧約聖書とコーランには、相手を限定するけれども「その敵をうち殺しなさい」という言葉が入っています(パレスチナとイスラエルの争いは旧約聖書のその辺りが一因のようで)。新約にはそれはなかったと思われますが、キリスト教徒の聖典はもちろん新約聖書です。むしろ「殺せ」と命じられていないのはキリスト教徒だけのようです。ちなみにイスラム教には「領土に攻め込まれたらたたっ殺して追い返せ」という「防衛ジハード」なる概念があるそうです。成人男子モスレムの義務だとかで。蛇足ながら、ヨーロッパには過去、イスラム支配でありながらユダヤ教徒、キリスト教徒も内包した王朝があったそうです。隣国の王朝に攻め滅ぼされたそうですが(隣国はキリスト教)

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月5日 1:24 AM
★plummetさん、コメントありがとうございます。
・偏狭な一神教がよくないのではというご指摘はそのとおりだと思いますが、一神教で「信徒しか救済しない」ものでないのがあるのでしょうか。
・オウム真理教はわざとあげました。あげた理由も書こうと思って忘れていました。なぜ一神教に加えたかというと、松本智津夫個人崇拝だからです。仏教の一派のような言い方をしているのは知っていますが、仏教と全く関係のない教義 (というものがあれば) です。ほかにも個人崇拝になっている宗教は多くありますね。
・旧約聖書には「その敵をうち殺しなさい」という言葉が入っているとは知りませんでした。ありがとうございます。

plummet の投稿: 2004年8月5日 4:40 PM
 ははは、揚げ足は取らないでください。逃げちゃいます。
 記事本文だと、一神教が悪い、とストレートに言っているように読めたものですから、そうではなく「信徒しか救済しないといった部分で信徒自身が先鋭化して偏狭になる」ことがいけないのだろう、という提起の意味だったんです。ちょっと過程をはしょりすぎましたね、分かりにくくて失礼しました。
 要するに蛇足で示したように、先鋭化し偏狭にならなければ、一神教(という言葉も実はおおざっぱですが)の信徒同士が共存出来るわけですし、『一神教は、人の心を利用し、戦争に駆り立てる元凶のひとつ』(引用)という表現は厳しすぎるかなと思ったということなんです。
 ちなみに記事本文で挙げられているタイプの多神教だと、一神教と違って「神様に救済してもらう」という概念がなかったりしますね。その辺が大きな印象の違いを生んでるなと思ってます。

plummet の投稿: 2004年8月5日 4:47 PM
また連投すいません。

「その敵を〜」の部分ですが、旧約聖書は「民族を土地から追い出したやつら(事実上パレスチナ人のこと)は殺して、もとの土地へ帰れ」みたいに書かれてます。コーランでは「侵略してくるやつらは殺していい」と書かれてます。ユダヤとパレスチナが殺し合うはずですね。こういうのを乗り越えた共存国家があったというのが驚きです。ひょっとしてご存じないかたも見ているかもしれないので念のため、旧約聖書はキリスト教とはほぼ関係ありません。

じゃあこれにて逃げます。

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月6日 6:22 AM
★plummetさん、補足説明ありがとうございました。素人の書いた素朴な感想ですから(といって逃げているわけではないですが)、大胆すぎる一般化があると思います。それに対して怒るわけでもなく認識不足を説明していただけるのは大人の対応だなーと思います。助かります。プロテスタントの教会へは行ったことがあり、牧師さんが新約聖書を引用して話をしているのは知っていたのですが、聖書は旧約と新約と一緒になって売られているので、旧約聖書を使う場合もあるのだと思っていました。ありがとうございました。今後もよろしくお願いしす。

祥 の投稿: 2004年8月11日 10:23 AM
場違いなコメントかもしれませんが申し訳ありません。
俺は宗教には否定的です。
宗教自体を否定しているわけではなく、俺の中に信じる宗教が無いという意味で。

俺は宗教や価値観はその人の中にあるものであって
影響されることはあっても
強要や批判されるものではないんじゃないかなと思います。
その人なりの価値観があり
その人なりの幸せや喜びがある。
時には悲しみを乗り越えるために宗教を必要とするのかもしれない。
しかしそれはその人の中に起きるものであって
他人が批判するものではないのではないかと思います。

宗教を持つ人が他の宗教の批判をしたり
自分の宗教への賛美や勧誘をすることも
争いへの引き金になってるのではないかと思います。
自分の信じる宗教を信じ、
他人の信じる宗教を認めることこそ
平和への道なのではないのかなと思います。

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月11日 10:32 PM
★祥さん、コメントありがとうございます。
> 自分の信じる宗教を信じ、
> 他人の信じる宗教を認めることこそ
> 平和への道なのではないのかなと思います。
この点同意します。私の主張の趣旨も「他人の信じる宗教を認める」寛容性が重要ということです。
私の批判は、宗教そのものに対してではなく、他を認めない偏狭な宗教、人命や人権よりも宗教を重んじる宗教に向けられています。

小林洋子 の投稿: 2004年9月6日 3:57 PM
yoshihirouedaさま初めまして。毎日新聞で「オバさんの逆襲」のコラムを書いています小林洋子です。「平和の砦」をyoshihiroさんのブログでご紹介いただいてありがとうございました。
これは柿木坂にある「ベテル幼稚園」のお話で、「貸してあげた」お寺は「立源寺」といいます。子供たちが実際に木魚を伴奏にして賛美歌歌っているかどうかはまだ確認に行っていないのですが、もう今月の10日で仮園舎の使用は終わりになるようです(^-^)。
今日たまたま「小林洋子」の同姓同名でいかに沢山の方々がいらっしゃるのか試しに検索をしていましたら貴方様のブログと出会ってしまい、おそまきながらコメントを残させていただきました。読者の方とこんなコミュニケーションができるなんて、インターネットって素敵ですね!

yoshihiroueda の投稿: 2004年9月6日 11:29 PM
小林さん本人からコメント頂き、ありがたい限りです(最初は著作権侵害の警告かと緊張しました)。
> 読者の方とこんなコミュニケーションができるなんて、インターネットって素敵ですね!
はい。私はまだ交流が少ない方ですが、リンクを辿って行くと例えば平和の輪が無限に広がっているような錯覚さえしてきます。「新しい希望」といったら言い過ぎかもしれませんが。

PFC の投稿: 2006年7月26日 9:57 PM
はじめまして。heteheeteさんのブログから参りました。古い記事へのコメントで申し訳ありませんが、この記事の内容に共感しました。TBの代わりに自分の名前に記事のリンクをしました。言葉足らずですが、見ていただけると嬉しいです。

yoshihiroueda の投稿: 2006年7月28日 12:25 AM
★PFCさん、いらっしゃいませ。
PFCさんの記事拝見しました。平和を求める姿勢は同じだと思いました。この記事は昔書いたものですが、自分でも気に入っていて、あとからもトラックバック追加しています。

2004/08/01

最期の言葉占い

愛のまぜご飯さんの今まで本当にありがとうからトラックバック。TB数珠繋ぎをみるとすぐさんかしたくなっちゃう。

占いはここ→ 「あなたがつぶやく最期の言葉」

さて結果は...
高校の同窓会で急性アルコール中毒、そのまま帰らぬ人に(推定年令:不明)
ってブログの記事のタイトルにできない! 末路もトホホだし。

出たものは仕方ない。それまで強く生きていきます。結果詳細は以下。

あなたの総合運: ☆☆☆
従順であると思うと反抗的、現実的な反面、夢想家だったりと、あなたの心の中には相反する価値観が同居しているようです。基本的に素直な性格なので、それ故、ついつい言い過ぎた発言をしてしまうことも。よくないですね。
そんなあなたがつぶやく最期の言葉は『お前らみんな死んじまえ!』です。何年ぶりのことでしょうか。旧友主催の高校の同窓会に招かれ、久しぶりに顔を合わせた友と酒を交わし、楽しい時間を過ごしていたのですが、そんな中、事は起こります。何気ない友の言葉にかっとなり、酒が廻っていた事も手伝い、売り言葉に買い言葉。『お前らみんな死んじまえ!』あなたがそう叫んだ瞬間、あなたは意識不明に。なんとそのまま帰らぬ人へ。残されたものにひとつの教訓与える最期となることでしょう。
→ 前半部分あたっているかも。ブログに出てるかな?
あなたの仕事運: ☆☆
あなたはあまり社会性があるとは言えませんね。技術や能力、感性などの個性を生かす職業に就くことをお薦めします。しかし、自身の不安定な精神状態が仕事の結果を左右しますので、心を鍛え集中力をつける努力が必要です。そしてチャンスを逃さない判断力をつけるように。
→ ブログは社会性をつける鍛錬に役立つかな?
あなたの金銭運: ☆☆☆☆
あなたお金に困り果てた経験が少ないからか、お金というものに対しての執着心が薄く、金銭感覚がまるでありません。そのあなたの安心しきっている態度が、お金が貯まらない理由かも。もっと危機感を持ちましょう。また、ギャンブルは、当たりハズレが激しく、ハマりやすいので深入りは避けたほうが...。
→ 低予算で生活できるので、困っていないのは確かかも。ギャンブルに関してははまるのが怖く意識的に避けています。
あなたの恋愛運: ☆☆☆
異性に無関心を装っていますが、好きになった相手には献身的な愛情で尽くします。犠牲的な面もあり、自分より相手を優先して考えられる事に喜びを感じるようです。基本的には一途で、相手に悲しい思いをさせるような真似はできないので、目移りする事もありません。ですが突然冷めて、どうでもよくなってしまう場合もあるようです。
→ 最後の部分が怖いですね。
ラッキーワード:
『ごめん、言い過ぎた。』
 (ここぞ!という時につぶやくとラッキー度、更にアップ!)
→ ここぞっていつ? 自分が死ぬ直前で、さらに「死んじまえ」って言った後? おそいと思う...

追加トラックバック
ゴリ蔵さん: 「今まで本当にありがとう」 -- 愛のまぜご飯さんと同じですな。

靖国の問題

靖国問題、コイズミ首相はどうする気?——ここはがまんと思うけれど。からトラックバックです。最初コメントで書いていましたが、長くなりそうなのでトラックバックにします。

上記記事のコメントでaosamさんが指摘されるように、靖国問題にはいろんな問題が絡み合っています。

・戦没者だけでなく戦犯 (もちろんこれも一律にするわけにはいかないのはyodaway2さんのコメントで指摘されるとおり) も祀られていること、
・戦没者でも「賊軍」に属していた人 (西郷隆盛とか) は含まれていないこと、
・戦争で犠牲になった民間人は含まれていないこと、
・神道の宗教法人であること
などです。

設立の目的が国家のために戦うことを奨励することであった以上、「自国の戦没者を慰霊している」と単純化したくても、そうは見えないというつっこみどころが満載なのです。そしてそれを指摘するのは中国人だけではなく日本人にもいます。もちろん中国の主張をそのまま受け入れている人もいるだろうし、中国の主張とは異なるけれども近隣諸国との軋轢を避ける必要があってそういう意見の人もいるでしょう。しかし上記あげた側面を考慮すると純粋に日本人として靖国参拝に反対している人がいるのは想像に難くありません。

「自国の戦没者を慰霊している」というように単純化したいならば、別の施設を作るべきという考えがあります。また、それはすでにある (千鳥が淵) という意見もあります。千鳥が淵に行かず靖国に行くということは、その単純化を拒否しているとも言えるかもしれません。遺族会の影響力が強いので靖国ではないといけないのかもしれません。

首相にも信教の自由がある以上、参拝に対して云々するのはどうかという意見もあるでしょう。宮沢さんはプライベートで参拝し、公式には明らかにしていません (側近に尋ねられたら、それはもうすませたからいいんだ、と言ったらしい)。これはこれでスマートだとは思いますが、問題を先送りにしただけだといえます。

私の考えを言っていませんでした。他国から非難されるのを避ける以上に、自国民として純粋に戦争の犠牲者を敬う場がないことは不幸です。国民の議論を深め、別の施設を作るなり、千鳥が淵を公式にそのように定義して、子孫として慰霊の意を表し、今後新たな犠牲者を増やさないような決意を表明する場と、公式な行事が必要だと考えています。

追加トラックバック (「内政干渉」だけでない分析をされているみなさん):
インターネット民主主義実験室さん: 「謝罪と靖国参拝」
◆木偶の妄言◆さん: 「靖国参拝の不思議(上)」
  -- 別の記事へのトラックバックをいただいていますが、上記記事に歴史的な背景説明が詳しいです。

追記: 靖国問題のまとめ資料
靖国参拝問題: 基本がわかる 「靖国」とは? (毎日新聞 2005年6月20日)

2004/07/31

言語は生き物、だけど...

日本語テスト、私は全敗でした。^^からのトラックバック。私もちょっと考えてみたいと思います。

ニュースの基になった文化庁の発表はこちら

文化庁が正解としているものの中には、yodaway2さんがコメントで指摘されているように、すでに意味が変わっているいるものもあるかもしれないし、ただ自分が/皆がそう思っているだけかもしれません。「憮然」は本当にこんな意味があるのかという感じだし、「とんでもございません」は、なぜいけないのか分からない人も多いと思います。「的を得る」は正しくは「的を射る」ですよといえば誰もが納得するでしょう。「姑息」は大掛かりな「卑怯」や周到に準備された「卑怯」には使わないと思うので、やはり「一時凌ぎ」の意味は残っているのでしょう。

言語は生き物であって、変わっていくのは仕方がない

と思う一方で、

言語はプロトコル、ころころ変わってしまってはコミュニケーションがとれなくなる

という思いがあり、常に揺れ動いている状況です。

基本はやはりコミュニケーションなので、
1) 正しくても聞き手がそのまま誤解するようだったらなるべく使わない
2) 正しく使って聞き手が誤解を糺すことが期待できるなら使っても良い
3) 誰もがわざとということが理解できるなら、間違った使い方(=ボケ)をしても良い

というのが基準かなと思います。

1) は例えば、「気がおけない」。本来の意味は「気遣いする必要がない。遠慮がない。」の意味なのだが、「気を許せない」という全く逆にとらえている人が多い。「おかなくてよい」を「おけない」という可能動詞で表現されているので、誤解されるのも当然といえば当然といえる。こういう場合、正しく伝えたいと思ったら、もう使わないほうが良いと考えています。「気遣いする必要がない」といえば良いことと思います。

2) は「的を射る」など。これは正しく使っても「的を得る」を使っている人に誤解を受けることはないと思うし、正しい使い方に揺り戻せることが期待できる。ただ口頭では音も似ているので気が付かないかもしれません。「他人事(ひとごと)」も文字を見せながら話さないといけません。

3) は「なにげに」など。わざとだと分かるので使っていいと思いますが、TPOは考えたほうが良い(広告代理店の提案書に書いてあった。そんな提案採用するなよ)。さらに気をつけなければいけないことは、それが正しいものとして定着することと、定着しないで死語になっているのに気がつかずそのまま使っちゃうことですね (「ナウい」とか「イマい」とか、存在を知っているだけで恥ずかしいかも)。

言語、日本語に関しては今まで書いたことはなかったのですが (実は別のブログがあってそちらで書いていこうと思っていましたがずっとほおりっぱなし)、今後こちらでも少しずつ取り上げていきたいと思います。

2004/07/25

Paul Simonの「ひとりごと」


There Goes Rhymin' Simon
Paul Simon / Warner Brothers

最初に日本で出たときのアルバムタイトルは「ひとりごと」だったと思う。その割にはにぎやかな曲が多く、最初のシングル「僕のコダクローム」もそう。いろいろなミュージシャンとの競演を行っており、「夢のマルディ・グラ」での間奏 (後奏?) はすばらしい。
その中で特に気に入っていたのが「アメリカの歌」。全体的に暗いトーンの歌詞なのだが、現実を受け入れなければいけないというあきらめの中に、アメリカ移民の子孫として今後を良くしていかねばならないという矜持が感じられる。

We come on the ship they call the Mayflower
We come on the ship that sailed the moon
We come in the ages most uncertain hour
And sing an American tune
But it's all right, it's all right
You can't be forever blessed
Still, tomorrow's going to be another working day
And I'm trying to get some rest
That's all I'm trying to get some rest

"You're The One"についてきたブックレット「ポール・サイモンを知る50の方法」によると、American Tuneは第2の国歌として認識されているそうです。そうあってくれればうれしいけれど、本当かなあ。このブックレットの作成は9.11以前だということを前提にして考えても、ちょっと信じ難い。

その次の "Still Crazy After All These Years"もすきだ。この機会にこの2枚をCDでも購入することにしました。また、その後の"Graceland”もお気に入りで一時期私の中でのパワープレイでした。

2004/07/24

Lego SpiderMan

Lego SpiderMan
QuickTimeニュースで知りました。
力が入っているなあ。

新機能ブックマークレットを使っています。
URLが自動で貼られるわけではないんですね。
後で投稿することができるようなものかと思っていたら、その場で記事を書く必要があるんですね。
何のためにあるんでしょう。

ブログとビジネス

今回はエキサイトブログの新しい機能ライフログを使って投稿しようとおもっていたのですが、社長の山村さんが新機能について語っているので、ビジネスについて考えることにしました。

私もブログを初めて見ようと思ったきっかけは、以下のような記事に触発され、ブログのカルチャーを中にはいって考えてみようと思ったことと、それがサービス提供者にとってどういう利点、ビジネスにつながるのか、そのビジネスはどのように発展できるのかを考えてみたかったことです。

「情報処理」(情報処理学会誌)Vol.45 No.6の「Weblogの現在と展望−セマンティックWebおよびソーシャルネットワーキングの基盤として−」(武田英明・大向一輝)という記事(すみません。情報処理学会員以外はPDFを購入しないと読めません)と、
IT Proの参入相次ぐblog,ソーシャル・ネットワーキング[2004/05/14]という記事。
実は以前にも、PlayStation2のトロイの木馬作戦にかかってみようと思い、HDDユニットを先行販売で入手したり、FF XIのベータテスターに応募したりしていたのでした。

閑話休題。

エキサイトブログを選んだのは、
・β版でまだビジネスになっていないのでこれからどう打って出るか期待
・ブログセンターをみて、自分に合いそう、加入者間のインタラクションが多そうと思った。
・エキサイトIDを持っていた (これはちょっと失敗。本名使っている人ほとんどいないんだもん)
というところでしょうか。良い選択だったと思っています(と媚を売ったりしてみる)。あ、でも、最近有名になったあの社長のところもよかったかも。

さて今回の新機能とビジネスの関係ですが、

1) ライフログとそれをつかった投稿機能: Amazon.comのアフィリエイトプログラムでは、そのページに関連があると思われる本を自動的に選択して広告をつける機能があります。しかしそこで紹介された本は、そのページの著者も読んでいないかもしれません、というか、その可能性が高い。一方、ライフログは、自分が知っている/情報源として信頼しているブロガーがお勧めするものですので、読んでみたいと思う度合いは桁違いでしょう。それに関する投稿で、そのブロガーが熱烈に推薦していればなおさらです。これは上記の2番目の記事で言及されていることでもあります。

2) PDF出版: 有料会員向けのサービスですが、Adobe Acrobatは結構お高い製品ですからもとはとれると思います。デザインも自分でやるよりセンス良いものができるでしょう。それよりも本にできるとなったら、
・ある程度の量と統一性が必要になるので、ブログを使い続ける
・品質の良い文章を作るモチベーションがあがる
・品質の良いものができれば、訪問者が増える。コメントも増える。
・さらにやめられなくなる
という良いループがまわることと思います。来訪者の数の増加は作者にとっての喜びだけでなく、エキサイトにとっての利益でもあります。

以上思い付いたものを書きましたが、ほかにもあると思います。機能の向上は、単純に参加者の増加、来訪者の増加につながります。エキサイトにとってはそれだけでも価値のあることかもしれません。

ではまた。次回ほんとうにライフログを使った投稿をする予定。

2004/07/22

参院選総括 (3)

【3】これからどうなる? どうすべきか? (7/22ちょっと補足修正)

自民党敗退。選挙前は責任論も出ていたが、小泉続投。この背景には、これも yodaway2さんの記事へのコメントの再録(+ちょっと補足)ですが、小泉抵抗勢力の面々は、
・今回の予測は50議席行かないくらいかな
・それより上の値を目標にしておけば小泉首相の責任も問えるな
・でも本当にやめられても困る、代わりはいないし
・もしやめると言い出しても遺留できて、恩を売れるくらいで設定しておこう
というシナリオ/読みがで参院戦の勝敗ラインを事前に語っていたのではないかと思っています。

このシナリオからいけば、今後の予測としては、
A) 小泉首相の発言力低下、改革は名前だけは進むかもしれないが、中身はますます骨抜きになる。
となるでしょう。

一方、期待としては、yodaway2さん、REDistさんらが指摘する
B) 小泉首相が腹をくくって改革に邁進する。
ということがあります。私も、小泉さんに対する評価は揺れ動いていますが、改革を本気でやってくれるならば誰でもよい。でも、最も改革に近いのは、当然ながら今の小泉首相の位置です。圧力に負けず、改革を進めていただきたいと思います。そのためには、党内抵抗勢力に対峙するのにエネルギーを使うのではなく、民主党を味方につけてでも改革を進めていただきたいと思います。妥協するだけでなく、民主党が掲げた政策で採用できるものは採用し、花をもたせてもいいでしょう。本当に自民党をぶっつぶしてもよい。そのほうが、名首相として歴史に名を残せると思います。自民党の総裁任期は2期4年ですが、首相にはなかったはずで、民主党と組んで小泉長期政権も夢ではありません。

以上です。次はお気楽な話題に戻したいですね。

2004/07/19

参議院選挙総括 (2)

すこしずつしか書けないのはご勘弁下さい。

【2.5】 自民党敗因

まず、「小泉首相を評価」ですが、全面的な評価ではありません。「今まで誰もが先延ばしにしてきた年金などの問題を提起しての結果」にしては、に限定しています。それも「問題を提起」すら彼の意志というよりも、厚生労働省役人に「今なら出せる」と利用されているという疑いを抱いています (細川内閣時代の、コメ関税化や福祉税導入提案など)。

7/23追記: ゆびとまさんによる竹中平蔵演説の記録を読むと、官僚から出たのではなく竹中平蔵が問題にあげたらしいですね。本人のいうことは話半分にきかないといけないとは思いますが、これだけ自信をもって話しているのですからそのままうけとりましょう。

私自身の小泉首相への評価ですが、yodaway2さんへのコメントに書きましたが、
・彼でないと改革は進まないんじゃないの、とか
・ただ人気を利用されているだけで、彼でも改革は進まないんじゃないの、とか
・ほんとは彼も改革のことをあまり考えてないんじゃないの
(郵政民営化も民営化すれば良い、と思っているふしもあって)
などと、揺れ動いています。今は1番目の項目重視 (というか期待) に傾いています (これに関しては次回)。

自民党の敗因ですが、年金を争点にしたこと、その中で未納の問題がでたこと、その対応のまずさ、などいろいろあるかと思いますが、小泉改革の中身が見えてきた点が大きいのではないかと思います。私の評価の2, 3項目目に近いかも。

「痛みを伴う改革」 ? 「構造改革」は「リストラクチャリング」ですね。「リストラ」が「解雇」を意味するようになったので本来の意味での「リストラクチャリング」は使われなくなってしまいましたが(これに関しても別途あげたいテーマです → 「コトバノチカラ (3) コノテーション」)、本来痛みを伴うのは理解できます。その上で皆さん支持したはずです。ところがふたをあけてみると、痛みは国民のみが背負う形になっていました。従業員=官僚(+族議員)に関しては何も変わっていない。今後も変わりそうにない。

3年前に比べて大きく議席数を減らすのは必然だと思います。むしろこれくらいで済んだのが不思議なくらいで、小泉首相でなかったらもっと大きな敗退だったに違いありません。その点が「小泉首相を評価」につながっています。有権者の皆さんも、それでもやっぱり「彼でないと改革は進まないんじゃないの」と思っているのだと思います。

今日はここまでにしておきたいと思います。次回【3】にいけるでしょうか。

コメント
rakurakuonsen の投稿: 2004年7月20日 12:13 AM
こんばんは。コメント、ありがとうございました。僕もぼちぼち自分なりのペースで書いてます。「選挙区」の区切りで見た記事を書きました。普段は、なかなか観察できないところなのですが、そのレベルで見ると、結構リアルに見える紋があるなというのが感想です。よろしければ、ごらんになってください。続編、楽しみにしてます。

2004/07/18

参議院選挙総括

いろいろまわっていたので、遅くなりました。

参考にさせていただいた皆さんの記事/コメント
takayanさん 何が変わったというのか——第20回参議院議員選挙総括
yodaway2さん 選挙の話題が続くけれど、やっぱり話さねば!
REDistさん がんばれ小泉純一郎
rakurakuonsenさん 参院選を振り返る・事前投票でモノを言う
Dailywatchさん 通常選挙雑感・2、3
それから私にコメントをいただいたdragon2011さん
みなさん、ありがとうございます。

【1】投票率
56.57% 戦後3番目の低投票率だった前回01年(56.44%)とほぼ同水準。
微妙ですね。50%割るかもという予想もあったことを考えればまあまあといえるし、これだけ争点があってこれでいいの? とも思う。私は基本的に後者。
与党(暗黙)支持率または容認率を出してみましょう。
比例区で考えると、自民党と公明党の得票率の和は、30.03% + 15.41% = 45.44%
与党(暗黙)支持率: 56.57 * 45.44 / 100 + (100 - 56.57) = 69.13 %
7割の有権者が今の状態でよいと言っていることになります。

【2】自民党は負けたのか?
これも微妙です。マスコミは負けたと言っている。ブログのコミュニティは少し冷静で、直後は、2議席減のみで全体の議席減を考えると減らしたともいえないんじゃないのという分析もありました。その後は、目標自体が橋本内閣惨敗の時が基準で、それすらも達成していないと意見も多くなったような気がします。一方、今まで誰もが先延ばしにしてきた年金などの問題を提起しての結果ですので、小泉首相を評価する向きもあります。
私自身は、上記の全部に流されています。ということは、今は最後の「小泉首相を評価」です。

【3】これからどうなる? どうすべきか?
以下次回。

ちょこちょこ書き換えると思います。

2004/07/16

気をつけろ!

ブログを徘徊していたら、ブロガーの「燃え尽き症候群」に関して言及した記事がありました。すぐTBすれば良かったのですが、見失ってしまったので、検索してみました。元ネタと思われるHotwiredの記事 (下記) とそれに反応したブロガーの皆さんの投稿(もはや私が見たのがどれか特定できない) がたくさん出てきました。
ブロガーに蔓延する「燃え尽き症候群」
私はむしろ他の人の更新を楽しみしている方なので、自分自身がこうなることを心配していないのですが、人にプレッシャーを与える側に容易になりうるのが心配ですね。私にコメントを書かれた皆さん (笑い)、気をつけて下さいねー、じゃなくてあまり気にしないで下さい。

むしろ気になったのは、上記記事に関連記事としてあげてある下記の記事。
人気ウェブログは頻繁に「無断引用」??ウェブログ間の情報の流れを解析
引用もとを書かずに (トラックバックせずに) 自分が出した新たな話題として書きはじめてしまうそうです。私のこの記事自体がそうなってしまっています。とはいえ、全く新しい視点がいつもでるわけではなく、誰か (複数の人の場合も多い) に触発されたりして書き始めることが多く、書き始めるときには誰の記事に触発されたかとか分からなくなっている事も多いんだろうなとも思う。人気ウェブログになってプレッシャーを感じない限り、独自の視点に困ってと言う事でしょうから、あまり気にしても仕方がないかとも思ったりします。

まあ、ぼちぼちいきましょう。にぶい更新頻度で、ちょっとずつ (nibble単位で) 書いて行こうとおもいます。

2004/07/14

環境政党

自分なりの選挙の総括をしておきたいなと思い、トラックバック、コメントのリンクをたどって、みなさんの意見をみてまわっていました。ブログの盛り上がりは新しい動きなのでそれも書かないといけないなーと思いながら。

その中で、次のような記事にいきあたりました。

無くなる前にご一読頂けたら・・・

みどりの会議のマニフェストの紹介です。詳細には読んでいませんが、以前書いた自分の考えにかなり近い。おはずかしい話ですが、投票に行く直前まで広報を読んでおらず、読んではじめて主張を知ったのでした。当然マニフェストまで読んでいませんでした。中村敦夫がなだいなだと対談している雑誌記事もちらっとみただけで最後まで読んでいなかったので、中村敦夫が今回改選だということも知らなかった。党の名前もみどりの党とごっちゃになっていましたし。

中村敦夫が引退してこの政党もなくなっちゃうのかと思うと残念です。中村敦夫公式サイトに「何らかの形で再スタートを」とあるのに期待したいと思います。

選挙の総括は別の記事で (できるだけ新鮮なうちに)。

2004/07/10

曽我さん一家におめでとう... でも...

dragon2011さんのこれ選挙対策だろ・・・からトラックバックです。

上記のコメントに、「いくらなんでも国民ばかにしすぎ。でももしかしてこれでだまされる人も多いのかも。」と書きました。それは毎日新聞に載っていた、香山リカさん(人形じゃない方...って当たり前ですが)の

参院選への視点:
/中 香山リカさんに聞く 自己防衛に走る、視野狭窄の世論

が脳裏にあったからです。

へたに要約するより上記を直接読んでもらったほうが良いですが、この中で香山さんは、
・現状の日本人は1枚の映像によって目に入った情報だけで、善しあしを判断している
・参院選での投票行動が、直前に起きる出来事に左右されるのは間違いない
と語っています。

今、曽我さん一家再会が「直前に起きる出来事」になっています。実際は「起きる」じゃなくて作った訳ですが。この大報道を見ていると、香山さんの予言が的中しそうな感じです。

これで年金とかイラク問題とか (この後3年間に選挙がないことを考えると憲法問題でもある) を忘れちゃっていいの、とか、犯罪者から人質をとりもどすのに (今回は人質とは言えませんが) 相手にどれだけ譲歩しているの、とか考えると、曽我さん一家再会には素直におめでとうと言えない自分がいます。

100万アクセス達成! (も夢でないかも?)

私もトラックバック数珠つなぎに参加しよう。

design-lifeさんのこれ面白いね。にトラックバックしています。

URL占いというサイト。「URLを入力すると、あなたのサイトがどんな性格かを占っちゃいマスヨー!」だそうです。

早速試してみました。

結果は「メガヒット サイト」!

以下本文
・あなたのサイトのURLは、メガヒット、つまり100万アクセス以上のヒットをする可能性が高いURLです。

とはいえ、内容がないとそれもなかなか難しいので、こまめな更新やプロモーションの努力も、忘れてはいけません。

また大ヒットをしても決して浮かれすぎないよう、日々自制心を養っておきましょう。
design-lifeさんの6ヒットに勝ったな、って私こそ本当はそのくらいの数字なんですけどね。ちなみに最後のスラッシュをつけるか否かでも結果が変わってきます。作者名は関係なさそうです。いくつかのパターンを用意して切り替えているだけと思いますが、どれくらいのパターンを用意しているのでしょうか。

2004/06/28

投票率アップを考える (3) 選管の仕事

自分でトラックバックというのも変ですが...

先日、投票率アップを考える(2)の中で、

その状況を作っているのは自分達だということを分かってもらいたい、
でもこれは、特定の候補者に有利にはたらくことになりますので、各選管ではできませんね。

と書きましたが、似たようなことが現実に起こっていました。

<参院選啓発ポスター>抗議受け岩手選管が掲示中止 (リンク切れ)

「不満があるのに何も言わないの?」「投票しなきゃ変わらない!」

というのは、私の書いたものと違って一般化されており、至極当然のことを書いていると思いますが、[不満」=「現政権への不満」=「野党への投票呼びかけ」とつながってしまうのでしょうね。

しかしここで疑問。選管の仕事って何? ということです。投票率を上げることをミッションとしてもっていて、一方でその意味、上位目的は言っちゃいけないとなると、何のために私はこの仕事を行っているのかとの自問自答にも答えられず、モチベーションをあげようにあげられないのではないかと思います。

投票率があがると、浮動票が増え、自民党や公明党に不利になるため、本当は投票率を上げる努力をしないように圧力がかけられているのでは? とも勘ぐってしまいます。

コメント
dragon2011 の投稿: 2004年7月12日 7:40 PM
選挙おわりましたね。投票率も結果も、なんか日本ぽいというかそれなりで終わってしまいました。民主党はそれなりでしょうが、自民も落としたとはいえそれなり。投票率も前回同様と。なんら体制に影響ないところで終わった選挙という感じがしました。トラックバック・リンク共ありがとうございました。

yoshihiroueda の投稿: 2004年7月13日 12:42 AM
そうですよね。小泉首相続投だけど影響力低下ってあいまいな結末。やっぱり小泉でないとと今後の改革に期待して投票した人にとっては複雑な心境と思います。コメントありがとうございました。

2004/06/25

投票率アップを考える (2)

選挙始まりましたね。前にも書きましたが、テレビでは選挙が終わってはじめてもりあがるようです。選挙期間中は報道には制約があるのでしょうか。選挙違反も投票が終わるまで逮捕しないみたいですし。

ここらあたりが最も改善すべきかと思いますが、なかなか進まないと思いますので、せめてブログのコミュニティーで有益な情報、意見を入手し、よい判断、価値のある投票行動につなげたいと思います。

さて今日は投票率アップの方策の続きです。

2) 年代別投票率を出して公開する

と書いたところで、Googleで調べてみましたが、出している選管もたくさんあるんですね。訂正します。

2) 年代別投票率を出して、その意味するところを示す。

です。「意味するところ」というのは、若年層で投票率が低くて、老人の投票率が高ければ、必然的に老人向けの政策になる、ということです。年金にしても、将来破たんしようが今受取額が減らなければ良い、ということになりますよね。また、政治家も、今自分が選挙にとおればよいし、将来の事を考えても肝腎の若年層は聞いてないし、となるのは必然であることを伝える。就職も希望通りにならないし将来が見えないから投票しないと言っても、その状況を作っているのは自分達だということを分かってもらいたいと思うのです。

でもこれは、特定の候補者に有利にはたらくことになりますので、各選管ではできませんね。

これも対策としてはまだまだ甘いような気がします。

3) マイナス票を導入する。

これは以前小選挙区制導入を軸とした選挙改革が議論されていたときに出ていた案のひとつです。犯罪や犯罪に近い行為を行った政治家も、地元への貢献があれば、地元へまだまだ利益を誘導してくれる人間だと評価されれば、次の選挙ではみそぎを済ませたといってまた議員を続ける事ができる。また、小選挙区で落ちても比例代表で確実に議席を約束されたひともいる。これって無力感倍増ですよね。

よその選挙区でのみ行使できるマイナス票を導入すると、地元にどれだけ人気があっても他府県の選挙民から受けれられなければ、国会議員になることができない。0.1票でも十分な効果がえられるでしょう。一度の選挙ではそれで落される人が1、2名くらいしかいなくても、汚職などの大きな抑制効果が期待できると思います。汚職や秘書給与詐欺のような犯罪を犯す人がなくなれば、これで落される水準が上がってきて、国会で議論よりももっぱら暴れるのが目立っている人などがターゲットになるでしょう。そしてそのレベルアップは国民の眼と意識が作って行くことになるのです。

短期的にも誰をおとそうか、誰が最も多くマイナス票を集めるかなど、選挙に対する関心、候補者に対する評価が日常会話で行われるなど、投票率アップにつながる大きな効果が得られると考えています。

これは法律改正が必要なので今すぐ実施できるわけではありませんが、各新聞社の支持率調査などの際に1項目質問を増やしてシミュレーションしてみるとよいと思います。

これからも新しい案がでるかもしれませんが、これまで考えてきていたのはこれで全部です。ではまた。

コメント
yodaway2 の投稿: 2004年6月28日 8:47 AM
投票しなくとも自分は生きていける……そう考えている人の多い日本は、やっぱり平和(+ボケ)な国なのです。(1)(2)と、とても参考になりました。

yoshihiroueda の投稿: 2004年6月28日 9:58 PM
我々の親の世代は、子供たちには自分と同じ苦労は味わわせたくないと、一生懸命働いて、日本をここまで持ってきたのだと思います。そして、yodaway2さんのおっしゃるように、それは得ることができました。でもそれは良かったの? 我々の世代が、そして我々の世代の子供が、その後に残すものは何でしょうか。と、思うのです。

2004/06/23

投票率アップを考える (1)

先日、次は投票率アップの方策を考えます、と言っておきながら、書いていませんでした。遅くなりましたが、実現性はともかく(法律改正が必要なものもあるので)、考えてみました。

もっとも大きい原因は、無力感だと思います。私の一票では政治を変えられないと思うと、投票することの意味が感じられない。一票の影響力がないのは変えられないですが、それが集まると意味があることを分かってもらわないといけないと思います。

1) 棄権票を、第一党の (暗黙) 支持票に加えた統計を出す。

投票率が50%しかないのにそのうちの過半数をとったとしても支持率は30%に達しない、これで政権をとれるのがおかしいという意見をきくことがあります。でもこれは間違い。投票していない50%は、誰でも良いと言うことを表明しているのだと考えるべきです。第一党の支持率を、投票率*得票率+(100% - 投票率)で計算し、新聞などではそれを使うようにします。「戦後最高の支持率更新」、「80%の信任を得て自信深めるXX首相」という感じ。

ここまで準備ができたら、あとは国民へのメッセージです。「あなたは政府の政策に異論を唱えていますが、でも国民の8割は政府を支持しているのですよ」という。不況も、財政赤字も、年金も、道路族も、就職難もあなたが支持しているのです、と伝える。

いかがでしょう。私はこの状況を容認しないという人は、投票所に足を運ぶと思うのですが、甘いでしょうか?

2番目以降はまた (って投票後にならないようにしたいです)。→ ここ

コメント
123456 の投稿: 2004年8月11日 6:01 PM
>いかがでしょう。私はこの状況を容認しないという人は、投票所に足を運ぶと思うのですが、甘いでしょうか?

「与党に不満があるなら投票に行け」といわれていく人は言われなくても野党に入れるために投票にいってるはず。棄権者にそういうことを言っても、「野党にも不満だから行きません」「与党でも満足です」と言われるだけです。実際私の周りはそうでした。与党支持者が棄権する場合もあるし、「今の政治に不満がある=野党の政治なら満足」ってわけでもないし。

yoshihiroueda の投稿: 2004年8月11日 10:22 PM
はい、おっしゃるとおり、与党でも満足な人は、棄権でも良いと思います。
ただ、そえさえ意識していない人が多いと考えているのです。棄権は(どちらでも)満足であるというメッセージを発信していると同じだということを理解してもらう必要があるということです。野党にも不満だから行かない人は、両方不合格点だけれど20点と30点では30点のほうがまだ評価されることを伝えることによって、だんだん変わってくることを理解してもらう必要があると思います(ここで与党20点野党30点と言っている訳ではないことにご注意下さい)。
これはここであげた対策では不十分な点だと思います。
コメントありがとうございました。

night_in_tunisia の投稿: 2004年9月20日 11:10 AM
>もっとも大きい原因のは、無力感だと思います。

本当にその通りだと僕も思います。地方分権をすすめるのが一番良いのだと思います。でも都市から地方への所得移転+一票の重さの違いを考えるとそれはありえないですけど。最高裁判所の判事の投票では僕はとりあえず全員不信任にしてます。その後知ったことですが、裁判官出身の人は概ね現状の一票の格差を合憲としていて、その他の弁護士出身の人などは違憲としていることが多いんですよね。意外と最高裁判事の信任投票も大事だと思います。

yoshihiroueda の投稿: 2004年9月22日 1:59 AM
判事の審査も重要ではあるのですが、無力感はより大きいですよね。
不信任になった人いないですよね。
情報が少ないことと、審査期間が長い(一旦合格になるとしばらく審査がない)ことも大きく影響していると思います。

2004/06/20

松岡正剛BLOG: にっぽんXYZ

松岡正剛のにっぽんXYZというBlogが始まりました。

私は日本の歴史に詳しいわけではないので、気のきいたコメントができるわけではないのですが、ここで示される情報の整理のしかたは魅力的だと思います。具体的には毎回のテーマに対して3つのキーワードを選びX、Y、Zとして整理するとのことです。「いっぺんになるべく多くの情報やモノを自分に通過させること」がコツだとも言っています。最初のテーマは日本の文化の始まりで、X「稲」、Y「鉄」、Z「漢字」の3つをキーワードとしています。現在「稲」編の1回目です。次の更新は6/21。

整理方法の事例を学べることを期待して、毎回楽しみに待ちたいと思います。

2004/06/19

Quest for the Rest

Web DesigningのメルマガWD Expressより、タロアウトさんの紹介

questfortherest [リンク切れ]

いろいろな場所をクリックしてみよう。一回クリックしたところもまだクリッカブルになっている場合がある。うまくいくと次のシーンに進める。

こちらも魅力的
animals on the underground.com

2004/06/17

投票率と開票速報番組

政治の世界は選挙モードに突入したようですね。

選挙のたびに思うのは、毎回下がる投票率にもかかわらず、投票時間終了直後から各放送局で始まるショウアップされた開票速報番組のこと。こんなに投票率が低いんだったらみんな結果になんか興味ないんじゃないの?とか、どう議論しても結果は決まってるんだから、とか思う。それとも日本人は結果だけが興味あるのか? (私も野球中継は見ないでスポーツニュースで満足してるし)

選挙期間中は公平を期すために報道にも制約があるのだろうけど、それに注ぎ込むエネルギーやアイデアを投票率のアップにつなげられないのだろうか。マニフェストの実現可能性検証とか、前回のマニフェストの達成率評価とか、今国会出席日数ランキング、居眠り時間ランキングとか。

次回投票率アップする方策について考えます。

2004/06/14

環境/ビジネス/カルチャー

環境、ビジネス、カルチャーと、興味のポイントを並べてブログ名にしていましたが、あまりそういう名前の付け方をしている人はいないようなので、変えたいと思います。興味のポイントが変わるわけではないので性質は変わらないと思いますが、もともと環境、ビジネス、カルチャーを並べた理由である相互の関連に関して書いておこうと思います。書き出すと長くなるので、箇条書き。

・Sustainable: 地球環境保護は重要だが、地球の上で人間が生きていくことはもっと重要。
・そのためには環境保護がビジネスの中に組み込まれる必要があると思う。
・もっといえば「環境保護」が儲かる仕組みになればよいと思う。
・ひとつは省エネ、省資源: 経済性が環境保護に直接つながっている。
・もうひとつは文化:「文化」というのは共有する価値観のことなので、皆が「環境保護」に価値を認めるなら、そこにお金は集まる。
・国際社会はそういう方向にいきつつあるが、まだそうなっていないところのひとつにアメリカがある。あと中国も危ない。
・国際社会の価値観が「環境保護」に傾けば、自由主義経済に代わる(包含する)ルールになる。
・そして、日本: これまでの省エネ、省資源文化と技術力で、そういう国際社会へ導くポテンシャルを持っている。
・ただ日本には戦略がない。今のままではそのような世界の構築は夢でしかない。



というようなことを日々夢想している訳です。

You may say I’m a dreamer
But I’m not the only one
I hope someday you’ll join us
And the world will live as one

お気づきかと思いますが、「平和」もひとつのテーマです。チョムスキー信奉者でもあります。
新しい名前は「にぶろぐ」にしようと思います。鈍い更新頻度でちょっとずつ書いていこうと思います(byteの半分=nibbleから)。
[追記: その後「うえぶろぐ」に変更しました。]

2004/06/12

イオンとシャープが和解

イオン: シャープとの取引再開 1日でスピード決着 (リンク切れ)

はやく解決して良かった。ジャスコは環境問題への取り組みも評価できるし、なにより近所では一番よく使っているスーパーなので、(自分自身の)不買リストに入れなくてはいけなくなると困るところでした(って、そういう理由で解決を喜んでいるのか)。三菱自動車などは不買リストに入っても困らないんだけどね、ってこれも逆に制裁になってないってことですが。

2004/06/11

政治家専用BLOGオープン

6月10日より、政治家専用WEBLOG”ele-log”がスタート

だそうです。6月9日から入れている人もいます。政治家専用なので、一般人が自分のBlogを持てるわけではないですが、コメント、トラックバックができるので、意見はできます。でも読むのかな。土井たか子HPみたいに、誰でもかけるようにすると、1日くらいで閉鎖したくなるだろうな*。そうならないように、ロジカルに適確な意見を出して、みんなで民主主義を育てて行きましょう。

* よくみると、コメント、トラックバックはチェックがはいるそうです。ま、しかたないか。

2004/06/10

米の「不法特権」

毎日新聞:記者の眼「米の「不法特権」=松藤幸之輔(那覇支局)」 (リンク切れです)

・地位協定では、米軍が損害を与えた民間人への賠償について、米側にのみ責任がある場合、裁判で確定した賠償額の75%を米国、残りを日本が負担すると規定している。
・これまで、米国はその75%を払ったことがない (とは書いていないがそう読める)。
・その分すべて(総額は約18億9000万円)は日本政府が支払っている。

というわけで、米軍が損害を与えた民間人への賠償は、全て日本人の税金でまかなわれている、ということになる。これでは米軍による犯罪はなくならないわけだ。

その他、Yナンバーに関しても言及している。車庫証明をとっていない=車庫法違反が放置されているとのこと (私は、自動車税を払っていないと聞いたことがあるがこれは誤解だったかな)。

「治外法権」という言葉がこの記事でも使われているが、まさしくそのとおり。「国際社会で名誉ある地位を得る」っていつになることだろう。

追加トラックバック:
瀬戸智子の枕草子「守るべきものは誰か?」

2004/06/05

2ch「著作権侵害中」の挑発

ひさしぶりに2chへいったら、トップページに

「著作権侵害中」

なんて、でかでかと書いてある。

リンク先に説明らしきものがある。京都新聞の記事へのリンクと抜粋が示されているのだが、この記事では鳥獣戯画や風神雷神図など文化財が使われるのを「不正使用」、「無断転用」と位置付けている。ただしくは、これらは著作権の切れているものなので、記事自体が完全な誤解に基づいている。

著作権に関しては、どこまでが既存のものでどこからが創作かなど難しい問題が多いのは事実であるが、それ以上に誤解も多い。「盗作」のことを「無断引用」と言ったりしている(引用は、適切に引用元を示しさえすれば、許諾をもとめる必要はない)。また、まちがった範囲の権利を声高に主張する人、それをよく分からずにのんでしまう人がいて、さらに混乱をひろげていると思う。

今後著作権に関しては少しずつとりあげてきたいと思います。
・マンガの引用
・JASRAC
・ディズニー
・パロディ/オマージュ

2004/05/30

Intentionallies

Intentionallies

面白いインターフェースのサイト。

以前にも紹介されていましたが、Web Designing 2004/6月号で記事に載っていたので、また訪問してみました。この記事を書いた松原慶太氏も、すでに多くを語られているが自分も語りたくて、と断り書きを入れていますが、その意味で私が書くことはさらにないのですが...

面白いというより実験的といったほうがよいかな。

基本的になにか欲しい情報があって探すというのでなく、出会うという感じ。

作者の中村勇吾氏のサイトも見て見ましたが、"A NEW ENVIRONMENT IS COMING SOON."とのこと。楽しみですね。旧バージョンもおいてあるので、そちらも見ましたが、これも面白いインターフェース。こんなのを見てると時間がいくらあっても足りなくなる。これらの感想はいずれ。

2004/05/28

なぜ真相を明らかにしないのか。

激闘!日朝会談;なぜ、30分も早く打ち切られたか——。

上記記事面白く読ませていただきました。

これだったら、小泉よくやった、といえる。また、小泉首相だって、胸はって帰国できると思います。次の選挙も磐石でしょう。

でも、やはり疑問が残る。これが真相なら、なぜ明らかにしないのか。外交交渉を公表するのはルール違反かもしれない。しかし、相手は犯罪国家。相手のレベルにまで合わせる必要はないけれど、紳士を気取っても仕方がない。yodaway2さんが指摘するように、 したたかに、そして気迫を込めて、というのでなければならない。そしてそれが日本が国際社会において名誉ある地位を得られる道だと思う。

2004/05/25

小泉首相起死回生の一打

小泉さんも北朝鮮へ行って予想される最悪のシナリオで帰ってきたため、さんざんですね。ガキの使いとか、プライドあるのかとか。一度恥をかかされたにもかかわらず、なぜまた田中均を信じちゃったのか不思議ですね。

でも、まだ起死回生の一打がある。「北朝鮮が約束した残る10名の被害者の再調査の成績に応じて、食糧支援の量を決める」と宣言するのです。今月は何も進んでないので25万トンのうち1万トンとかね。

それから、食糧のパッケージには被害者の写真とともに背景説明と情報提供の依頼を載せる。アメリカで牛乳パックに誘拐された子供の写真が載っているように (今もやってるのかな)。

コメント
yodaway2 の投稿: 2004年5月26日 12:32 AM
タナカをいまだに使わなくちゃいけない、この国の不幸……。 彼には、今回の会談で、実質的に足を引っ張った疑いがある。

愛国者宣言

私は、たぶん、愛国者。
ただしそれは右翼的な愛国とは違う。左翼とも違う。
中国、朝鮮、ロシア、アメリカ、どこにもへつらわず、正しいことを正しく主張できる、名誉ある地位を占める日本であってほしい。

2004/05/16

ブロードバンドムービーit

it
追記: もう公開してないみたいですねー。最初なんで記事にしたかも忘れちゃった。

ヌーベルブログ

ヌーベルブログ

追記: ecotonoha関連。リンクだけあげているのだけど何を書こうと思ったのか忘れちゃった。

2017/01/05 追記: リンクも切れていますね。調べたら次のような記事がありましたが、やはり詳細は不明です。
認定NPO法人かものはしプロジェクト: ヌーベルブログが取り上げられました!  (2005/01/01)

ecotonoha

エコトノハと読むらしい。枝に言葉を書き込むと、その言葉を枝葉にして樹が育っていき、大きな言葉の樹になる。これと同時にスポンサーからお金が出て植林がなされていくという。賞を受賞したというので見に行ったのですが、活動期間は2003年7月14日から12月25日までで、2004年度のecotonohaプロジェクトは6/1より開始するとのことです。現在は、言葉は書き込むことはできるが、植林には反映されない状況です。

ecotonoha

2004/03/21

言語処理学会へ行ってきました

パネルとその後のセッションを聴講、懇親会に参加してきました。

パネリストは長尾先生をはじめ歴代の会長の先生方。包括的なレビュー、今後の夢、目指すべき方向性などが語られて聞き応えがありました。

2004/03/06

言語処理学会

言語処理学会が3月15日から開催されますね。パネルディスカッションには参加したいです。
NLP10 program