食品の偽装問題は、ブランドをありがたがり、ものの価値を自分で判断できない消費者のほうにも問題があるという主張が散見されます。それはある程度あたっているでしょう。
しかしこれはどうかな。
毎日新聞 2007年11月11日 余録:本能の衰退 (魚拓)
人間の世界では、今や腐った食べ物の目安は「賞味期限」表示だ。ところが、その偽装問題が後を絶たない。「白い恋人」を皮切りに、「赤福餅」、船場吉兆の菓子と続くと、あきらめに似た気さえしてくる▲「食べる側にも問題がある」との声も強い。確かに、腐っているかどうかはにおいでほぼわかる。にもかかわらず、もはや味やにおいだけに頼るのは難しい。加工食品の大量生産の裏で、危険を感知する人間の本能が弱っているのかと思うと複雑な気分だ食べる時に悪くなっているのが分るんじゃ遅いんだってば。買う時に匂いかいだり色つやを見たりできない品物の話なのに、「危険を感知する人間の本能が弱っている」と言われても。
賞味期限が「おいしく戴ける」期限の目安であって、それを過ぎてもしばらくは安全面で問題はないことは知っている。だから賞味期限が来たからといってすぐに棄てたりしないし、賞味期限前に全部食べなくちゃとも思わない。そうやってしばらくおいておいて、いざ食べようと思うと痛んでいたりしては困るのだ。
売る側が、賞味期限が過ぎたものをすぐに廃棄してしまうのはもったいないという主張は分る。棄てるんじゃなくて賞味期限が近いものを半額にして売ればいいんじゃない。買うよ。廃棄しているのは、値下げするとそれを待つ人がいて、全体の平均価格が落ちるのを嫌っているだけだと思う。セブンイレブンのように食品を廃棄して行くことを戦略に組み込んでいるところもある (→ 2005年 06月 11日「食品の廃棄はもったいない」)。
確かに指摘が行き過ぎているところもある。原材料の表示が使っている量の順と違うという指摘もあったな。しかしこれは、マスコミがそれをニュースとして報道しているだけであって、消費者は批判していないでしょう? マスコミこそそういう問題の大きさをとらえる感覚を身につけてもらいたいものだ。
消費者はそんなにバカではない。企業側は、消費者を裏切ると会社の存続すら危うくなることを理解する必要がある。
そういう意味で東電などつぶれない企業の偽装はなんとかならないものか。