2008/07/18

考えない人間を作る教育

おはようございます。

森巣さんが、卒業式における国歌斉唱問題で、起立斉唱しない人は自分の考えを持ってそうしているのであり、その人達を処分するのは教育の場に相応しくないという主旨のことを書いていた。

[今ソースが確認できないのであとで追記 → 最後に追記しました。]

ここは森巣さんの認識は正しくないと思った。「愛国」教育の目的は盲信する人間を作ることだろう、もちろん教育する側はそういうことは言っていないけどね。

そしてそれはかなり成功していると思っていた。

内田樹先生のブログに「アメリカ人はどこまで」という記事があった。はは、アメリカ人はよその国のこと知らないんだよな、と思いながら読んでいたら、後の方は日本の若者の話になっていた。最後の方で、
今の日本社会では「知性的にならない」ことに若者たちは知的エネルギーを集中している。

無知は情報の欠如のことではなく、(放っておくと入ってきてしまう)情報を網羅的に排除する間断なき努力の成果である。

「知性的になってはならない」という努力を80年代から日本は国策として遂行してきたわけであるから、これはスペクタキュラーな「成功」なのである。

と書いてあった。

マスコミのこととか、死刑制度のこととか、裁判員制度とか、格差社会とか、左翼と右翼のこととか、最近いろいろなことがつながっていると感じます。

追記: 森巣博氏の記事はCOURRiER Japon 2008年5月号でした。前半は御自身の息子さんのお話。移民である森巣氏の息子さんは集団行動が出来ないのだが、オーストラリアの教育関係者は、息子さんの才能を発見し、環境を与え、15歳で大学、18歳で大学院に入学した。そのころオーストラリアには飛び級の制度がなかったので、既存の規則よりも子供の才能を伸ばすという信念を優先させたということになる。

これに対して日本の教育はどうなのかということが後半の主張になる。

・神奈川県教育委員会は君が代斉唱の際に不起立などの行動をとった職員は罰するとした。
・学校運営に大きな支障があるからという理由である。
・それがどのような支障というのであろうか。おそらく思想統制なのだと思う。
・不起立の職員は「愛国心」に欠けているということであろう。
・思想改造が必要と判断しているのであろう。東京都などは不起立の教職員を、北朝鮮のように「研修所 (= Re-education Camp)」に送り込んでいる。
・「愛」の反対は「憎悪」ではなく、「無関心」だ。[心理学者の共通認識]
・無関心な教職員は、命ぜられるまま起立することであろう。
・信念に従って不起立を貫く教職員たちは、(信念に従って起立する教職員と同様に) 「愛国者」だと思う。

不起立だけでは、「愛」と「憎悪」の区別はつかないだろう。しかし、国を「憎悪」しているならば、教職について次世代の日本人を育てることはしていないはずである。おそらく、思想統制を進める (= 自分で考えることをやめさせる) 日本の現状を憂いての行動だと思う。

私の「愛国心」も、そういう愛国心だ。

9 件のコメント:

sprewell8_daisuki さんのコメント...

>「愛国」教育の目的は盲信する人間を作ること

そうですよね。そしてその教育は明治以降から続いてる、と(何度も言ってますがww)その目論見は、もうかなり成功してると思います。子供を持つ身として、今後の日本がどうなってしまうのか、すごく心配です。

bs2005 さんのコメント...

考えさせないようにしてきた日本の教育、すっかりそれにはまって考えなくなってしまった日本人、その日本人に考えないと始まらない裁判員制度をやらせようとする目論見の危うさを考えようともしない多くの日本人、、、。ブラック・ヒューモアのようですね〜(息)。今の日本の問題の核心を衝いておられると思います。

sofia_ss さんのコメント...

どこか考えることを他人任せにしているような気がします。自分のことも誰かがなんとかしてくれるだろう、みたいな感じ。どうにもならないのだけどね。自分の頭で考えないと。

yoshihiroueda さんのコメント...

★ すぷりーさん、
この子供達の未来はほんとうに心配です。日本がこれだけ豊かになったのはこれまでの日本人の知恵や努力のおかげなのですが、官僚や政治家をはじめみんなでそれを食いつぶしているように思います。

yoshihiroueda さんのコメント...

★ らふぃさん、
最近になって「ゆとり教育」の狙いを知ったのですが、自分で学ぶ意志が育つことを期待したものだそうですね。詰め込み教育に対する批判から詰め込む内容を減らすことと、教員の(労働者としての)負担を減らすことだと思っていました。目的に対する手段が間違っていると思います。フィンランドなど方法を学ぶところは多くあると思います。大学で学力の足りない部分の補充から進めているというのは知っていたのですが、知識をつなぐ訓練もしているのでしょうか。それを統一的におこなうという動きがあるのは知りませんでした。大学のレベルによって必要なトレーニングも異なると思うのですが。

yoshihiroueda さんのコメント...

★ ぶんさん、
裁判員制度に関しては、考える力の訓練だけでなく、国民同士に縛り合いをさせ、これにより統治者の自由度をあげるという狙いがあるのではないかと思っています。それはすぐには出てこないけれど、じわじわと効いて来るのかと思うと心配です。

yoshihiroueda さんのコメント...

★ そふぃあさん、
他人任せにしていることは自分自身も感じています。いろいろ考えなくちゃ行けないことだらけなのに、それだからこそひとつひとつをきちんと考えられていないと言うか。きっと考えるエネルギーの向け方のバランスが崩れているんだと思います。

raphie さんのコメント...

>「愛」の反対は「憎悪」ではなく、「無関心」だ。

これはマザーテレサの言葉として覚えています。カルカッタのスラムで見捨てられて最期を迎える人々のお世話をした彼女の言葉として重いものを感じていましたが、こうしてヒロさんの解釈を伺うと、「愛」という言葉の対比として普遍的な内容がある言葉だったことに改めて驚いています。

yoshihiroueda さんのコメント...

★ らふぃさん、
「愛」の反対は「無関心」だと言うのは、私もブログを始めてから知った次第です。この箇条書きの部分は森巣さんの記事の要約なので、私の解釈と言う訳ではないのですが、なるほどと思いました。日本の国が本当はどうすべきなのか、どうあるべきなのかを考えず、「空気」を読んで「空気」に従う人を育てて行くことは本当に恐ろしいことだと思います。