2005/04/23

小泉首相、久々の合格点

おはようございます。小泉孝太郎です (もちろんウソ。もしかして忘れられた存在かも)。
昨日帰って夕刊の見出しを見ると、

毎日新聞 2005年4月22日 東京夕刊
バンドン会議: アジア植民地支配と侵略、小泉首相「反省、おわび」−−異例の演説
「痛切なる反省と心からのおわびの気持ち」を表明する。
とありました。

「あ〜あ、また泥縄でおわびしても、なんの効果もないのに。」と思いましたが、演説要旨 (同じく毎日新聞)を見ると...
わが国はかつて植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた。
プラスになった面も多く言われていて、実際に評価している国、地域もあり、その点も言及して欲しかったが、ここはあとのつながりから仕方ないかな。
こうした歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのおわびの気持ちを常に心に刻みつつ、わが国は第二次世界大戦後、一貫して、経済大国になっても軍事大国にはならず、いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を堅持している。今後とも世界の国々との信頼関係を大切にして、世界の平和と繁栄に貢献していく決意であることを改めて表明する。
今回泥縄で謝罪している訳ではなく、一貫した態度を取ってきたという強烈な主張になっています。中国、韓国の言い分に対して、ただつっぱねているのではなく、きちんとした反論ともなっています。

また、これが、中国、韓国に対しての個別の「おわび外交」ではなく、国際社会全体へのアピールになっているところがすばらしい。

これまで私は小泉首相に対して批判的な意見が多かったのですが、今回の演説は合格です。

このようなきっちりした演説を日本国民の前でもやってほしいなあ。郵政民営化や人権擁護法案でも。

ところで各国の反応ですが、

韓国: 謝罪演説は「口だけの謝罪で意味がない」
-- 何言っても同じ反応をするだろうと思っていたので、こんなもんだろうと思いましたが、中身を見ると、同じ日に政治家が靖国神社を集団参拝したことを問題にしているのでちょっと予想と違います。集団参拝がなかったらどうなんだろうと思いました。

中国: 演説は「歓迎する」中国外務省報道局長
-- 中国側も問題の大きさに自ら困っている様子でもあるので、それに収拾をつけられる契機となる発言が日本から出ることはありがたいだろうなと思いました。しかし、中身を見ると、歴史問題でさらなる譲歩を引き出したい意向とみられる、ということです。あまり欲張らない方がいいと思うぞ。

追記: トラックバックの3番目の「玄倉川の岸辺」さんの記事は、2回にわたってブロガーの皆さんの記事を、批判的、中立的、肯定的の3つに分けて整理されています。皆さんも見てみてください。努力に感服です。1回目はここ

コメント
Commented by rkya at 2005-04-25 12:41 x
自分の気持ちにとても近い演説でした。いろんな意味で敵でなければならない日本なのでしょうが、「いろんな」は隠されて、歴史問題ばかり突きつけられると、いいかげんうんざりしてきます・・・

 Commented by rakurakuonsen at 2005-04-26 00:56 x
uedaさん、こんばんは。
今回の演説、僕も、近い感覚を持ちました。新しい土俵が出来たような・・・ ちょっと甘いかな。トラバさせて頂きましたので、よろしければお立ち寄りください。

 Commented by cosicosi3 at 2005-04-26 10:57 x
日本は歴史を反省した上で経済援助をしてきたと思うのですが
それが中国の市民には伝わってないようですね。
ある評論家が、日本政府のサイトにどれだけの経済援助をしたのか中国語で掲載したらいいのにと言っていました。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-04-26 23:40 x
★はるかさん、敵を作らないとやっていけない、というのは悲しいことですね。中国の歴史も自ら汚しているように思います。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-04-26 23:44 x
★rakurakuonsenさん、
ええ、誰が原稿を作ったのか知りませんが、芯のとおった内容だったと思います。今後常にこの主張を続け、日本はそういう国と世界中に認識してもらう必要があると思います。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-04-27 00:14 x
★cosicosi3さん、
日本大使館のページ(下記)の「对华经济援助」というのがあるらしいです。中国語は読めないけど。日本語のページもあります。
http://www.cn.emb-japan.go.jp/
それから中国のインターネットにはフィルタがかかっており、どこでも見れる訳ではありません。
http://japan.internet.com/busnews/20050418/11.html
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050416/mng_____tokuho__000.shtml

2005/04/20

期待はずれって言うけれど...

... それは期待が過大だっただけなんじゃないでしょうか。

こんばんは。白馬の騎士です (ウソ)。

ええ、この件です。

毎日新聞 2005年4月19日
ニッポン放送株争奪: フジ、1033億円で全株取得 ライブドアと和解

ブログを見ていると、「期待はずれ」、「大山鳴動ネズミ一匹」、「いったい何だったのか」などの意見があります。確かに私も最初は何か面白いことになりそうとは思いましたが、堀江社長の既存メディアを軽視する発言や、インターネットとの融合が具体的なアイデアを伴っていないことをみると、これは買収は成功してもその後の事業はうまくいかないかもと思うようになってきました。

北尾氏の登場によって、フジテレビの支配は無理になり、影響力がラジオだけになると、さらに事業の構図が描けない状況になっていました。

この時点でなんらかの和解に持っていかないとライブドアの存続自体も危ういものになっていたでしょう。徹底抗戦を主張する堀江氏に対して、宮内氏、熊谷氏ら役員のみなさんの意見が押し切った形らしいですね。

この一連の騒動を振り返って、何にも残さなかったという意見もあるようですが、私はそうは思っていません。勉強になりましたよね。外資への門戸開放が先延ばしになりましたが、無防備のまま開放されるよりかえってよかったんじゃないでしょうか。

リーマン証券と村上ファンドに高い授業料を払うことになりました (堀江さんも1400億のうちの大部分は転換社債による増資とフジテレビからの増資で、無から得たものですから、この中に入れて良いかもしれません) が、それを支払ったのはライブドアの株主とフジテレビで、新生銀行の時のように我々の税金ではありません。ライブドアの株主は、堀江さんに出資した時点でそういうことは覚悟しておかなければならないことですし、フジテレビも資本関係のねじれを放置していたつけだと言われています。

さて、堀江さんは手にしたお金を何に使うのでしょうか。堀江さんもワクワクすると言っていましたが (業務提携のことのように言っていますが、そっちのほうはあまり期待してないんじゃないでしょうか)、観客席の我々も同様です。そういえば、堀江さんの投資セミナーでは、出資に向いている企業のひとつにTBSをあげていたそうですね。

2005/04/17

Tigerが載るまで

こんにちは。伊達直人です (ウソ)。

4月29日にMac OS X v10.4 “Tiger”が発売されますね (ニュースリリース)。

最初OS 9の時にMacを買って、その後、Mac OS X 10.1と10.2は買ったのですが、10.3はもうそろそろMac本体を買い替える時期だろうということで、買っていませんでした。
そこからももうずいぶんたっています。USB1.1なのとiPod shuffleへの転送が時間がかかるのと、ADSLも8Mから高速版に変えたのにあまり速くなった気がしないので、そろそろMac本体を買い替えるのに、iMac G5にするか、Mac miniにするか、それともノート型にするかで悩んでいたところですが、あわてなくて良かった。Tigerが載るまで待とう。

というか普通OSの発売前には、無料アップグレード権がついてくるのですが、今回ないのでしょうか。

ところでちょっと気になる記事が...
ITMedia 2005/04/14
Appleエンジン全開、iPod好調で530%増益
スティーブ・ジョブズCEOは発表文で「Appleはエンジン全開で稼動している。今月末のMac OS X Tigerを皮切りに、今年は目を見張るような新製品が控えている」と述べている。
その「目を見張るような新製品」を待ってたほうがいいかな。ってそんなこと言ってたらいつまでたっても買えないんですけどね。

2005/04/12

中国を啓蒙する

こんばんは、島崎和歌子です (ウソ)。

以前私はサッカーアジアカップその後で、
このままでは4年後のオリンピックの開催国の資格を疑われる、世界からそっぽを向かれるということを伝える必要があると思います。
日本と韓国は、オリンピックやサッカーワールドカップの先輩として、
・ホスト国の政府および地方自治体に求められること
を啓蒙し、中国政府が、自国民に対して
・ホスト国のマスコミに求められること
・ホスト国の国民に求められること
を啓蒙していく必要を教え、さらにその活動に対して協力していく必要があると思います。いつまでも敵対関係ではなく、我々は中国と友好的な関係を築きたい、中国が国際的に孤立することは我々にとっても望むところではないという姿勢をもち、それを的確に伝えることが大事だと思います。
と書きました。

これはオリンピックの開催国としてどうあるべきかというコンテキストのもとに書いたのですが、今回はもうちょっと広い視野で、国際社会の一員としての認知を得るためには法治国家であることを示すことが必要である、ということを教えていかないといけないと思うのです。中国人に対して、どうしたら今後の儲けにつながるかを考えさせれば、自ずと答えは出せるでしょう。

でもこれはほんとに理想論。中国政府がデモを日本のせいにするような状況では、聞く耳を持たないでしょう。日本だけがそういっている状況では。国際世論を味方につける必要があります。浮世風呂さんは「中国反日デモの暴力行為に抗議する:日本の取るべき戦略」で次のように指摘されています。
いま現在の事実をきっちり指摘し、国際社会に問うていく態度が、今の日本には必要だ。 
政府にはもっともっと、発信していく義務がある。
まったくそのとおりと思います。これまでと同様に二国間の協議であやふやにすますと、今後に禍根を残すと思います。

トラックバック追加:
Tomorrow's Way (yodaway2さん) 日本人は我慢している。だから、気付いてほしい。

コメント
 Commented by rakurakuonsen at 2005-04-13 00:26 x
こんばんは。
今回のデモでの暴力にしても、サッカー・アジアカップでの一件にしても、中国国内での反応というのは極めて狭い範囲で自己を捕らえてしまっている点に根源がある気がします。これはわれわれにとってもそうですが、中国の人々にとっても非常に不幸な現実だと僕は思うのです。
すべて自らの思う通りになるというものではなく、社会の中で折り合いをつけながら、生きていく・・・その術が必要であることに早く気が付いて欲しいものです。
そのためにも、日本は発信する必要がある。事実を事実として、きっちり語っていくことが、今後にとっても大切なのではないかと思っています。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-04-15 23:25 x
★ rakurakuonsenさん、コメント返信遅れ申し訳ありません。といいながら、忙しかったんだよー、と申し訳したりして。
日本の言っていることはいつも一本筋が通っていると世界的に認められ、いいがかりをつけても無駄というようになりたいものです。「立派な猫は居るだけで鼠が来ない」

 Commented by yoshihiroueda at 2005-04-21 01:19 x
★鍵さん、コメントありがとうございます。私もいつも訪問しています (コメントできていませんけどね)。おっしゃるとおり、中国に固執するより他の友好国を増やしていくほうが良いと考えています。それらの国とともに発展し、それを見せつけることで、中国も心を入れ替えて仲間に加わりたいと思ってもらいたいと思います。

2005/04/07

事実は事実と

こんばんは。安英学です (ウソ)。

教科書検定結果に対して、韓国や中国が抗議の声をあげています。
これに対して、多くのブログで、内政干渉だという反発がみられます。
しかし、もし事実と違うことを教育しようとしているなら、抗議は当然ではないでしょうか。
もし事実と違うことを教育しようとしているなら、
もし事実と違うことを教育しようとしているなら、
...
そんなことはありませんよね。指摘事項は事実を事実として書くことを要求しているものばかりのように見えます。

事実を捏造やウソであると抗議している国々では、そうすると、
事実とは違うことを「事実」として教えているのではないか、
もしそうなら、むしろそれを批判、抗議すべきではないか (内政干渉と言われようとも) と思っていました。

そういうときに、Tomorrow's Way (yodaway2さん)に
図書館から韓国の歴史教科書を借りてきた。
という記事が投稿されていました。読んでみると、

...

やっぱり抗議しましょう。

こういう教育を受けてきた人たちは、ほかの情報を与えられていなかったので、それを丸ごと信じていると思います。日本からの抗議が (根拠とともに) 伝えられれば、矛盾する2つの「事実」があることを知り、お互いを知る端緒になると思うのです。

喧嘩は友情の始まりと言うか... 甘いかな。

追記 (2005.4.15):
毎日新聞にこんなコラムがありました。
おばさんの逆襲:還暦からの始まり=小林洋子
教科書の記述に問題があるのならお互いの国の教科書を持ち寄って話し合えば良いではないか。教科書見せてよ。そうすれば、昨年のニューヨーク・タイムズの「中国では歴史自体が政治の道具にされている。日本を叩(たた)くことは中国の国民的娯楽だ」という記事の真偽が分かりこちらもすっきりするのだ。
そうだ、そうだ。

毎日新聞の「おばさんの逆襲」はいつも直球で気持ちがいいです。

コメント
Commented by rkya at 2005-04-07 08:51 x
教育って怖いですよね。教育によって思想は作られるわけで、
どんな人間でも作れるわけで。この問題に関しても、もしかしたら
自分も、多少なりとも、日本人に都合のよい教育を受けているのではないか?
という不安があります。世界史の教科書は、万国共通のものにして欲しい!

 Commented by yoshihiroueda at 2005-04-09 12:22 x
★はるかさん、
子どもの頃は学校で得られる知識は絶対だと思っていましたからね。日本の教科書はわりと公平のようです。イギリスの教科書にはアヘン戦争のことも載っていないそうですから。そういう意味で日本に生まれて良かったと思います。

 Commented by ko-bar-ber at 2005-04-16 00:34 x
コメント頂きありがとうございました。
米国で報じられている中国の教科書情報がありますので、TBさせていただきました。
今後とよろしくお願いします。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-04-16 12:37 x
★ ko-bar-berさん、コメントありがとうございます。教科書問題にも言及したコラムがありましたので追記しました。

2005/04/04

立花隆 続き

「立花隆の新連載」の続きです。

前回、私がこれから知りたいことの中に「SBIの参入のような事態が、堀江社長のいう「想定内」のなかに入っていたのだろうか」ということを入れました。

ちょうど連載の第6回のタイトルが
「SBI登場で露呈した、ホリエモンの負け戦も「想定内」
でこれはと思って読んだのですが、
堀江社長は平静を装っているかに見えるが、実際は茫然自失というところだろう
とありました。「想定内」って「堀江さんの」想定内じゃなかった訳ね。私の想定内だったなんていっちゃいけませんよ。そんな後だしジャンケンは許されません。

前回私は「立花氏を絶対視している訳ではないのですが」と書きましたし、はりーさん「世祓い」の記事でこの連載にも批判があることも知っていたのですが、こういう書き方はちょっとがっかりですね。

しかしはりーさんの記事へのコメントでも書きましたが、それでもちょっと期待しているのです。誰でも知ることのできる情報からでも、それを整理して構成し直し分かりやすく提示するのは誰でもできる訳ではない。これは切込隊長が指摘していることに通じると理解しています。

特に第7回
フジのお家騒動から浮かび上がる「因縁の構図」
では、朝日新聞のお家騒動とフジテレビのお家騒動を出し、最後に
今回のソフトバンク・インベストメント(SBI)の登場をながめると、実は意外なもう一つの構図が見えてくる。それは、SBIの北尾吉孝・最高経営責任者(CEO)が、クーデタで追われた鹿内宏明氏の長男、鹿内隆一郎氏と以前から非常に親しい関係にあるという事実だ。
とある。

期待させるのもうまいよね。

2005/03/31

いったい何が起こったのか?

こんばんは。岬君です (ウソ)。

サッカーのことは良く分からなくて、特に解説者や新聞記事で「いい試合だった」とか書かれていても「そうか~?」と思うことがしばしばあります。でも今日のバーレーン戦は面白かったですね (これで専門家が凡戦だったなんて言ってたらどうしよ)。特に点を取ってからがはらはらしました。相手がシュートすると、楢崎の正面でもひやっとします。

毎日新聞 2005年3月30日
サッカーW杯: 日本1−0でバーレーンに勝つ B組2位に

1点入ったときは、ひょこっと入ったので、何が起こったのかわかりませんでした。普通、アナウンサーが「シュートオー!」、「ゴオオオル!」と叫んで点が入るもんだと思っていたし、球に勢いもありませんでしたしね。リプレイを見ると、あらあら、自殺点じゃないですか (オウンゴールというらしいですね)。

バーレーンは強そうだし、あまり期待しないようにしていたのですが、こういうラッキーな勝ち方でも、俄然今後に期待しちゃいますね。「私をドイツに連れてって」といいたくなります。

2005/03/29

夢想は夢想でいいんだけど

私も夢想家なので、夢想を夢想といっている限りはいいと思うのですが (ほんとは義に反した夢想を吐露するのは止めて欲しい)...

朝日新聞 2005.3.27 若宮啓文「風考計」
竹島と独島 これを「友情島」に…の夢想
 例えば竹島を日韓の共同管理にできればいいが、韓国が応じるとは思えない。ならば、いっそのこと島を譲ってしまったら、と夢想する。 
見返りに韓国はこの英断をたたえ、島を「友情島」と呼ぶ。周辺の漁業権を将来にわたって日本に認めることを約束、ほかの領土問題では日本を全面的に支持する。FTA交渉も一気にまとめ、日韓連携に弾みをつける——。
の部分は、夢想だといっているので、朝日新聞の読者の人もそれはわかると思うのですが、それ以外の部分で事実であるかのように書いてあるのは、事実だと理解しちゃうんじゃないでしょうか。

前にも書きましたが、これが事実! って書いてくれないので、この分野の専門家でない人は断片的な知識しか持ちえません。私もその一人ですが、それでもこれは違うんじゃないの、と思います。

「今回思い知ったのは島に寄せる彼らの深い情念だった。」
-- もともとこの島に愛着を持っていたのではないと思うのですが。

「韓国が日本に強要されて保護国となり、5年後に併合されてしまう。」
-- 朝鮮からの依頼で併合にしたと理解しています (石原慎太郎がそういったからではなく)。

「日本が独立運動を容赦なく弾圧したように、彼らも「竹島奪還」の動きには過敏に鉄槌(てっつい)を加える。」
-- 等価なものなのでしょうか。「容赦なく弾圧」ってなんでしょう (いやここは本当に知らないので)。まさか暴力による運動を抑えたって意味じゃないですよね (反語)。

追加 ('05.03.30): 一番問題な部分を忘れていました。
「島を取り返せる見込みはない。」
-- 勝手に断定するな。

これらの文章がまるで事実であるかのように書いてあって、注釈も何もなければ、朝日新聞を読んでいる人は事実と思っちゃうか、少なくとも潜在意識に刷り込まれるでしょう。複数の新聞を読み比べればよいという人もいるかもしれませんが、多くの市井の人々は金銭的にも時間的にも余裕はありません。

最近堀江社長のジャーナリズム観に対する異議をよく聞きます。その多くは同意できるのですが、その主張をいうためには、プロのジャーナリストは事実と主張をきっちり分けて伝える姿勢が必要だと思います。

2005/03/27

立花隆の新連載

こんにちは。紹介が遅れました、てゆーかどうにも代理で紹介してくれる人が思い付きません。

nikkeibp.jp 「専門家の眼」で
立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」

とう連載が始まりました。始まったというのはおかしいですね。「今月の終わり (3月30日) から公開される「立花隆の『メディア ソシオ-ポリティクス』」のページのテスト版である」とありますので。「場合によっては、毎日、あるいは一日に何度も発信することもあるかもしれないし、何日も書きかえられないこともあると思う」とありますが、昨日1日で一連のテーマですが5本の記事が書かれています。

これまで得られた情報(独自に取材したと言うよりは雑誌記事等オープンになっているものの集積)の組み立てによって「ミッシング・リンク」を解明していくのは、他ではみられないところだと思います。切込隊長やそのブログにコメントやトラックバックしている人をみていると、そういう分析は氏でなくともできているのでしょうが、少なくとも整理された形で提示されていません。

今後知りたいのは、
・SBIの参入のような事態が、堀江社長のいう「想定内」のなかに入っていたのだろうか
・それともそれを含めて大きなシナリオがあった (堀江社長は駒に過ぎない) のだろうか。
・SBIはホワイトナイトになり得るのか。フェニックスがハゲタカに変わっただけでは?
・今後の見通し: 今回の行為は堀江社長は告訴等の手段をとると思われるが、それに勝つ可能性はあるのか。また長期戦に耐える体力をもっているのか。
などでしょうか。

立花氏を絶対視している訳ではないのですが、「即物的な最新情報をいっぱいに詰め込んだページとして展開するのではなく、むしろ目の前の現実から一歩引いて、より広い視野からそれを捉え直したときに、何がみえてくるかを中心に書きたい」というところに期待したいと思います。

2005/03/26

技術が満載!

こんばんは。金田正太郎です (ウソ)。

愛知万博開幕しましたね。今年のはじめくらいは、今年あることもあまり知られていなかったのですが、直前になってからテレビ等でよく取り上げられるようになり、だんだんちょっと行きたいかもという気分になってきました。

今日日経エレクトロニクスの最新号 (2005 3-28) が届いたのですが、その中に
愛知万博から垣間見る 2010年のエレクトロニクス技術
という記事がありました。上記リンクには記事の最初の部分しかないのですが、下記に特集ページがあります。
愛知万博(愛・地球博)スペシャルレポート

つくば科学博では、3Dなど見た目は派手な展示も多かったのですが、「新しい技術」としての展示はあまり印象に残っていません。印象に残っているのは米国館くらいかな。

一方今回は、各社が自社の技術を競って出しているような感じを受けます。トヨタも昨年当たりから展示するロボットをいろいろ発表していますね。「エイリアン」に出てくるローダーみたいなのに乗ってみたい。

接客,掃除,警備など,愛知万博で働く9種類のロボットをNEDOが披露
接客ロボット アクトイド (写真は上記リンクから引用) がフツーにいそうな人をモデルに作っているところが妙にリアル (→ ココロのサイト。動画もある)。身振りを交えながら受け答えるそうだ。きっとナンパしてみる人が出る、に1万ガバス。警備ロボットもいるのでやめといたほうがいいぞ。

ひざ下の軽量化で動作を素早く---愛知万博「トヨタグループ館」のワイヤー駆動ロボット
ワイヤー駆動なので、軽くパンチを出すとびっくりするくらい飛んでいくらしい (ウソ)。

IMTSに試乗,滑らかに加速しながら隊列走行(動画あり)
ハンドルが勝手に回っている動画もあります。専用道路を行くんだったらレールのあるゆりかもめなんかと同じような気もするけど。

行くひまあるかなー。会場までの移動に問題ありとか、お弁当持ち込み禁止で昼食難民が出るらしいとか、そういうのが解決した頃がいいかな。

2005/03/23

竹島問題の解説が...

... 「素朴な疑問: 竹島問題」として毎日新聞2005年3月22日夕刊に載っていました (Webには載っていないようです → 2005.4.6訂正: 載っていましたのでリンク追加しました。毎日新聞のバックナンバー探しにくい)。

こんばんは。チョー・ヨンピルです (ウソ。しかも古ッ)。

解説をしているのは「竹島は日韓どちらのものか」の著者、下條 正男 拓殖大学教授。
感情的な議論を排し、淡々とロジカルに韓国側の論拠を検証し、論拠のほころびを指摘しています。

例えば、ある文献の記載を「鬱陵 (うつりょう) 島 (韓国領) から竹島 (にあたるとされる島) が見える」と解釈し、これを竹島が韓国領である根拠にしています (「見える」ことが根拠というのはここではおいておいて) が、この文献の記述を300年前には「韓国本土の蔚珍 (ウルチン) から鬱陵島が見える」と解釈し、鬱陵島が朝鮮領であることを主張しているそうです。教授はこの自家撞着を韓国側の解釈に問題があることの証拠としてあげています。
しかし一方で、日本側の論拠を集める努力の不足、反論の不足も問題にしており、一方的に日本が正しいとしている訳ではありません。冷静さを失わず、間違っているものは間違っているといい、論拠の薄弱な主張をしない点は、学者としての誠実さが現れています。

最後に
歴史問題は、日韓の社会システムや文化の違いを相互に理解し、問題の本質は何かを考えることから始まります。竹島問題を契機として、日韓の真の友情を育む第一歩にすべきではないかと思います。
とまとめています。

この点は私が先日書いた記事「対馬の日」で書いたこと「韓国の皆さんに歴史をちゃんと認識してもらういい契機になるのではないでしょうか」という点と通じるものがあると思います。まあ、私は本音では冷静な議論ができることに大きな期待は抱いていないのですが。

追加トラックバック
浮世風呂さん: 竹島と歴史教科書:竹島問題勉強ノート
-- 勉強と言うより調査・研究した結果が載せられています。

コメント
Commented by rakurakuonsen at 2005-04-07 00:09 x
こんばんは。TBありがとうございました。
下條正男 拓大教授の記事、読ませて頂きました。確かに、冷静でロジカルな内容ですね。こと、史書の解釈については、一つ一つ地道な点検ができるはずの分野だと思うのですが、いろんなバイアスに邪魔されてしまっているなぁという感がします。
韓国においても「はじめに結論ありき」の言論ではなく、客観的に対話する機運が高まることを期待しています。
現政権にはちょっと期待薄なんですけれどね。改めて、TBありがとうございました!

 Commented by yoshihiroueda at 2005-04-09 12:19 x
★rakurakuonsenさん、そちらにコメントしました。
みなさん、rakurakuonsenさんのブログ浮世風呂はすごいぞ。韓国の民衆に読ませたい。

2005/03/21

ソニー製品しか買わない

... って人は昔は良く聞きましたがが、今はほとんどいないような気がします。私もそれに近いメンタリティを持っていましたが、今はそんな気持ちほとんどなくなっています。
あ、おはようございます。モモです (ウソ)。

ソニー製品は壊れやすい、ソニータイマーというのがあって保証期間が過ぎた頃に壊れる、などいろいろ言われていましたが、それでもソニー製品を選んでしまう。他にないものがあったんですね。やっぱり新しさでしょうか。新しい機能がある、というよりWalkman、ビデオカメラに代表されるライフタイルの提案。それからデザインも見逃せません。総合的に言うと「ソニー」というブランドを買っていた、ソニー製品を使っている自分自身を買っていたともいえるでしょう。ナルシストですね。

そういうところにソニー復活の鍵があると思います。
もちろん、先日の会長、社長の交代というニュースをきっかけに書いているのですが、もうひとつは以下の一連の記事がきっかけになっています。

Wired News 2005年3月16日
マックのモック・デザインといえば「イサム」
Wired News 2005年3月17日
発売前から熱く論じられていた『iPod shuffle』

過去にもこんな記事があります。

Wired News 2004年6月21日
ファンたちがデザインする未来の『iPod』

ここで出てくる「イサム」、真田 勇氏のサイトApplele新種林檎研究所は、DesignCafe Blog (ひらさわさん)でも良く紹介されています。これもDesignCafe Blogで 知ったのですが、Exciteブログも持っておられ、新しいサイトもオープンされたそうです (サイトはここ →apple-style.com)。探したら、真田さんへのインタビュー記事がありました (URLを見ると2002年の記事らしい)。Wired Newsでもずっと前にも紹介されていたんですね。

Wired News 2002年1月31日
マックのデザインを先取りする日本のアマチュア・デザイナー

これらを見ると、アップルが真田さんに限らず熱烈なファンに支えられており、その意味で昔のソニーの立場にあると思います。アップル自体は最初からそういう人気を持っていたと思いますが、スティーブ・ジョブスが復活してから特にその傾向が強まっていると思います。

アップルの話ばかりになってしまいましたので、ソニーの話に戻ります。復活の鍵はCELLにあるのではないかと思います。ただCPUとしてではなく、CELLが入っている機械の相互連携で何か新しい世界が開けることを期待しています。

追記: 忘れていました。こんな記事もありました。 → 日経エレクトロニクス 2005/03/01「Appleにあって,ソニーに足りないもの」 ここの結論のひとつに、「経営陣によるトップダウンのアプローチ」をあげていました。

コメント
 Commented by Applele@所長 at 2005-03-21 14:03 x
yoshihirouedaさん、私のことを取り上げていただいて、ありがとうございます。私も大のソニーファンなんです。ソニーの復活に期待したいですね。

 Commented by design-life at 2005-03-21 19:05 x
そうですね、appleの好きな人がソニーマニアって良くあります。
僕もソニーは大好きです。sanadaさんは欧米では有名ですし、僕
が初めて知ったのもNYでたまたま見かけたMac専門誌だったり
します。sanadaさんがblogを初めていろいろなアイデアがかいま
見れて距離を感じなくなったのは有り難いことです。
ソニーに関して言えば、初代の505のようなパッションを感じら
れる製品が見あたらないこと。経営陣の交代で昔のようなパッシ
ョンとイマジネーションを感じる製品が生み出せるかが復権の
鍵だと思います。日本のメーカーですし頑張って欲しいなと。。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-03-21 21:43 x
★真田所長、コメントいただきありがとうございます。次のひらさわさんのコメントにもありますが、アップルフリークとソニーファンってかぶっているように思います。あとホンダも。ヒントはそこらへんにあると思います。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-03-21 21:49 x
★ひらさわさん、コメントおよびトラックバックありがとうございます。「パッション」... 大事ですよね。
そちらでもう少しコメントします。

 Commented by Macman at 2005-04-14 01:11 x
私が今一番ほしいソニー製品はトリニトロンモニターのPROFEEL-PROです。濃縮ソニー臭がプンプンします。けっして懐古趣味ではありません。このモニターが今のソニーグループ全社にかけているなにかを映しています。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-04-15 23:32 x
★Macmanさん、PROFEEL-PROってあこがれでしたね。床に直接置くスタイルも斬新でした。今だとQualiaシリーズでしょうか。でもQualiaは価格と性能のバランスが悪いように思います。

 Commented by Macman at 2005-04-16 15:24 x
PROFEEL-PROのデザインが秀逸だったのは簡単に言ってしまえば、誰が、どこで、どう使おうとかっこよくみえるところにあります。4畳半、トイレ、風呂なしのモノが散乱した部屋でもそれなりにかっこよくみえます(笑)。4畳半ベンツもありかな。という気がします。対して、おなじく高級、高性能機のQualiaは…。家のたてつけ、部屋のしつらえ、お財布の中身までみあったものでなければなりません。セレブ仕様といった感じがします。住宅会社に委託販売させては?と言った具合です。さて、いまのソニーに必要な価値観はどちらでしょうか?

 Commented by yoshihiroueda at 2005-04-17 09:08 x
★Macmanさん、なるほど。「4畳半にも似合う高級機」ってすごく納得できます。ステータスのためではなくて自分のこだわりのため、というか。

2005/03/20

不愉快な勧誘

おはようございます。ハリーホークです (ウソ)。ハゲタカじゃないぞ。

night_in_tunisiaさんの「徒然なる数学な日々」で、「日本テレコム、ウザー」という記事を書かれていますが、日経 IT Proが先週一週間行っていた【緊急連載・ソフトバンクはどこへ行く】のなかで、新たな主役「おとくライン」を巡る騒動としてまとめられています。
総務省総合通信基盤局消費者行政課は「総務省に寄せられた,おとくラインの代理店の勧誘についての苦情が目に付き始めた。例えばある代理店からの勧誘を断わっても,また他の代理店から勧誘が来るという。そこで日本テレコムに説明を求めた。こういった苦情が減らなければ次の手を考える」という。
また、
NTT西日本は2月14日,他事業者による電話サービス勧誘にまつわる注意文書をWebサイトに掲載(関連ページ)。NTT西日本は「特に日本テレコムを名指ししたものではなく,従来からもあった問題」(広報室)としているが,タイミングとその内容からして日本テレコムのおとくラインに照準をあわせた可能性が高い。
とあります。NTT西日本のサイトをみると、(日本テレコムがと言う訳ではないが)NTT西日本を騙っているものもあるらしい。

以前うちにもかかってきたときには記事にしましたが、その後も掛かってきています。うちへの勧誘は
・断っても何度もかけてきたり、
・申し込んでもいないのにあとは手続きするだけみたいな口振りだったり、
・皆が手続きしなければいけないようないい方だったり、
・工事費が5年分割になっていて、5年間は使い続けないといけないことが、なかなか分からないようになっていたり、
くらいなもんです。これでも十分不愉快ですね。

きっとお年寄りなんかはすなおに従っちゃうんだろうなあ。

それから、日本テレコムはこれまで回線数が順調に伸びていないのをNTTの体質によるものとしていて、私もこの記事を見るまでそういうことあるだろうなと思っていたのですが、それに対して、NTTは「事実に反している」と抗議文書を出しています。

以前にも書きましたが、 お客様を大事にしなければ会社の存続も危うい時代だということを認識する必要があると思います。

2005/03/19

対馬の日

おはようございます。ペヨン潤です (ウソ)。

昨日テレビでのニュースを見て爆笑してしまいました。

毎日新聞 2005年3月18日
馬山市議会: 「対馬の日」条例案を可決

みんなで「ウリナラー、ウリナラー」ってシュプレヒコールやってるんだもん。これ議会? 韓国語に「冷静」って言葉ないの?

今回の一連の事件は、韓国の皆さんに歴史をちゃんと認識してもらういい契機になるのではないでしょうか。

毎日新聞 2005年3月18日
韓国: 対日新政策の要旨

「徹底した真相究明」とおっしゃっていることですし。私もちゃんとした整理が欲しい。新聞などで相手の主張がそのまま記載されると、どこまでがウソで、どこからが捏造なのか分からなくなります(え?)。新聞もそのまま報道するのではなく、「正しくは・・・」と注釈をつけて欲しいです。慰安婦の問題も、「強制連行」といわれるなら「誰が強制連行をしたのか」を明確にして、公式に出してもらいたい。その上で、「これまでそのことをあいまいしていて申し訳ない」と謝罪/反省しましょう。

「韓国の大義と正当性を国際社会に示す努力」ともおっしゃっていますので、国際司法裁判所で示してもらいましょう。1954年、国際司法裁判所に提訴する提案を韓国側は拒否しました(外務省HPより)が、今度は合意してくれるんじゃないでしょうか。これは得難いチャンスですよね。一方、この提案は50年前でそれから提案していないのは、いまだと負けるかもしれないからという観測もあるようです。それで負けるのはつらいことかもしれませんが、今の状態よりましでしょう。50年前の提案を言い訳ににこれまで何もやっていなかった外務省の怠慢も明らかになりますし。また、中国(尖閣諸島問題)に対しても我々は逃げも隠れもしないというアピールになります。

毎日新聞 2005年3月18日
盧大統領: 正面突破を指示 「非外交的」批判も

盧大統領は冷静さを欠いているようですが、これに対してこちらも熱くなってはいけません。また、ただ熱くなっているだけと受け流すのも、問題を先送りにするだけです。冷静に、真摯に、そしてしたたかに、「両国民にとっての利益を最大にするのはなにか」という視点で交渉してもらいたいと思います。「うちはいいけど、あんたそれでいいの? ほんと?」って言ってみましょう。

花粉防衛隊

みなさん、お元気ですか。暖かくなってきて、うれしいですね (涙)。

11月に、はるかさんのところ(パイルダーオン!) に、
11月に病院へ行ったら、ポスターに今年はもう花粉が飛散しているという情報が載っていました。ああ、次はアレルギーの薬もらわなきゃと思っていたのですが、後で考えたらそのとき風邪だと思っていたのはもう鼻炎だったようです。そのときに薬をもらえばよかった... ポスター見た瞬間に気付けよと自分にツッコミを入れてみる。
というコメントを残しました。

その後飲み薬と点鼻薬をもらってきて、鼻はなんとかなっているのですが、目がかゆい。

日経BP 健康 Dr.神谷の目の健康講座
花粉症の季節の“アレルギー性結膜炎”

目も結局目薬なんですね。今度は目薬も処方してもらおう。

鼻は何とかなっていると書きましたが、

日経BP 健康プラス 3/17
花粉症ピーク時の「鼻水・鼻づまり」改善法

に紹介されている「鼻腔クリーム」はちょっと興味ある。「鼻の穴の入り口から内側にクリームを塗って、そこで花粉を捕らえ、奥への侵入を阻止するというもの」だそうだ。花粉がついたら離れないだけでなくて、鼻をとおっている吸気から花粉を呼び寄せる力もあるのでしょうか。

追加トラックバック: 私の対策って訳じゃないんですけどね。 → あなたの花粉症対策は?

2005/03/18

屋外広告最前線

こんばんは。天野祐吉です (ウソ)。

仕事で遅くなって、1時過ぎに夕食をいただきながらテレビを見ていたら、トリセツという番組が放送されていました (このサイト1ヶ月アップデートされてませんね)。初めて見ましたが、毎回あるテーマを選んで、そのテーマに関していろいろな側面からの知識を提供するものです。今回は「屋外広告」。

司会の松任谷正隆が、「街を歩いていて普段はあまり気にしませんが、ふと立ち止まってみると街は屋外広告にあふれていることに気付くでしょう」と言っていましたが、そんなことみんな気付いてるっつーの。

という訳であまり期待していなかったんですが、結構楽しめました。

・屋外広告の歴史: 番傘、銭湯など
・立体広告
・ラッピングバス、地下鉄中吊り広告の路線別お値段の差
・高速道路からみえる看板のお値段: カーブは安い。周りに他の広告がないところは高い。
・佐藤可士和、黒生の広告戦略を語る
・ビル全体を広告にする、街全体を広告にする

追記: 特にびっくりしたのが次の2つ。

・地下鉄の窓が映画館。地下鉄の線路の壁がディスプレイになっており、電車のスピードとシンクロさせて画面が順次見えるようになっている。いわばぱらぱらマンガみたいなもの。以前神戸の北神急行か地下鉄で見たことがあるのですが、このときはCG線画だったと思う。今のはフル画面、普通の映像になっている。
・ タイヤにまで広告。タクシーのタイヤのホイールキャップ部分に広告がある。自動車が動いタイヤが回ってもその部分は回転しないようになっている。

ところで、高速道路から見える看板の話の前振りで、松任谷正隆が「昔は高速道路から見えるものって、競馬場やビール工場くらいでしたよね」って、ばかー

もうわかる人少ないんじゃないの。

追記: 改めて見ると内容がない記事でしたね。もうしわけありません。最後のがいいたかっただけかも。

2005/03/16

歴史の証言者 (マンガ編)

こんばんは。呉智英です (ウソ)。

一つ前の記事を書くために、以前 SIGHT 22号のことを書いた記事を読み直してみた。リンクはまだ生きてるかなと思ってたどってみたら、最新号に更新されているではないか! しかも音楽雑誌のくせにマンガ特集!

SIGHT 23号
永久保存版 読むならこれだ!
究極のマンガ特集
年代別ベスト 1960〜2005


早速買ってきた。

10年単位で区切って、その時代のMUST-READマンガについて、対談形式で語っていくもの。1960年代だけちゃんと読んでほかはまだパラパラめくっただけなんですが、1960年代マンガを語る二人のオヤジ夏目房之介 (1950年生まれ) と渋谷陽一 (1951年生まれ) の意気軒昂なこと!
夏目「60年代に日本のマンガは大転換するんですね。その現場をほんとの意味でリアルタイムで見たのが我々ですね」
渋谷「ざまあみろって感じですよね(笑)」

渋谷「で、60年代を総括しますと」
夏目「言っちゃ悪いけどね、あんなにおもしろい時代はない」
渋谷「そうだそうだ!」
「言っちゃ悪いけど」って、ちっとも悪いと思ってないし。

おまえら、ただその時代に生きただけだろ、と言いたい一方で、ちょっとうやましいぞと思う。ここにでてくるのは、スポーツ、音楽と同様に「歴史の証言者」という観点。それが世代の連帯感を作っているのだと思う。

一方70年代以降はまだぱらぱらと見た段階なのだが、それほどのパワーを感じない。それはもしかしたらオヤジの毒気に当てられているだけかもしれない (私もオヤジといっていい年代ではあるのですが)。もう少しじっくり読むと、静かな情熱が感じらるのかもしれない。

ということで、またこのシリーズで書くかも。では。

コメント
Commented by cosicosi3 at 2005-03-16 10:39 x
渋谷陽一さんって音楽評論する人ですよね。
あの語り口が好きです。
それにしても、雑誌の右下「U2が落とした爆弾」が非常に気になります。
アイリッシュバンドのU2?

 Commented by yoshihiroueda at 2005-03-16 21:39 x
★cosicosi3さん、そうなんです。SIGHTは音楽雑誌ROCKIN' ONの別冊で、渋谷陽一はROCKIN' ONを創刊した社長、今はSIGHTの編集長です。SIGHTは政治(主に平和)も扱うし、純粋な音楽雑誌と言うよりサブカルチャー雑誌ですね。という訳で、U2はそう、音楽と政治に接点があるあのU2です。

2005/03/15

歴史の証言者 (ロック編)

こんばんは。ピーター・バラカンです (ウソ)。

本屋に行ったら、こんなムックがあったので、買ってきた。

AERA in ROCK

以前記事にしたSIGHT 22号「特集: 究極のロック・アルバム100枚」が、音楽的にまじめな本だったのに対して、これは、青春を熱く語ったり、斜に構えた描写等、いろいろな角度からの記事があって面白い。

中でも、買うきっかけになったのが、「ミュージシャン血風名珍語録」。解説と言うかツッコミもいい。

スティング「僕はロックグループの一員であるということは、色んな意味で思春期的な現象だと理解している」
-- ソロ活動とポリス解散説の位置付けを聞かれて。以後この発言が不動の結束を誇る新人バンドや、ずっとバンドで活動することそれ自体に意味を見いだしていた人々に、波紋を投げかけた。ロックをこうも客観視した発言は珍しい。

これはまともな例。おばか発言も多いぞ。

「完全モテのロック・スタイリング術」 これも購入のきっかけでした。
「ロック女子覆面座談会: 美形ロックは永遠に不滅」 司会者が、音楽的には違うんじゃないのと言いたいのをうまく言えないのが笑える。

買ってから興味深く読んだのが、LED ZEPPELIN 来日時のことをまとめた記事。歴史の1ページに幸運にも立ち会った人たちの熱気が伝わってくる。以前「江夏の21球」で書いた「歴史の証言者」という感覚がここにもある。いや、ミュージシャンの泊まるホテルにまで行ったりして、むしろこちらの方が積極的にその場に関与しようという姿勢が見られる。毎年やっていていつ感動的なシーンがあるかわからない (むしろそうでない場合が圧倒的に多い) 野球と、もう二度と来日しないかもしれないミュージシャンと比べるのは酷な話か。

全体的には私より上の世代向けに書かれたものなのだが、私は一種冷めた眼で見られ楽しめた。もっと若い世代には、「自分達の世代にはあった熱いものが今の世代にはない」という優越感やノスタルジーが感じられるものになってるかもしれない。

コメント
Commented by fumi_o at 2005-03-15 23:51 x
こんばんは。
ピーター・バラカン大好きなロック少女です。("少女"はウソ)
はてさて、んもう~ このエントリー拝見して即注文してしまいましたよ。もちろん画像をクリックして。(^^ゞ 届くのが楽しみです。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-03-16 00:53 x
★fumi_oさん、私決して朝日新聞社のまわしものではありません(笑)。これ出てから1ヶ月たっているので、注文した方が確実かもしれませんね。さて、fumi_oさんのブログには音楽ネタ多いですよねー。私の知らないのばっかりだ(汗)。

 Commented by fumi_o at 2005-03-16 22:28 x
>音楽ネタ多いですよねー。
そんなに多くはないとおもうのですが、、、。「音ログ」設置していると、自分が聞いているのと同じのを聞いている相手(ブロガー)が分かるのですが、そのブログに飛来してみると、自分よりも干支一回り離れているような若い方ということが多く、「私って成長していないのかしら?(汗」と思ったりすることも。。。
そうそう。
渋谷陽一も嫌いだけど好きですね。わはは
なんだかんだ言っても、著書もってたりして。ロックとカウンターカルチャーなどの本は、一時期ハマって読み漁ってましたけど、知れば知るほど「あと15年早く生まれたかった」などと団塊の世代を羨ましく感じることが多かったですね。←過去形

 Commented by yoshihiroueda at 2005-03-16 23:56 x
★fumi_oさん、成長していないのは昔の音楽を聴き続けている人のことじゃないかな(って私のことですが)。若い人と同じ音楽を聴いているのは、「時代に遅れていない」といいましょう。私も団塊の世代に対しては羨ましくもあり、恨めしくもありというアンビバレントな感情がありますね。

 Commented by fumi_o at 2005-03-21 22:12 x
はろー♪
今朝届いて、今日は1日これを読みながらソファでだらだら過ごしました。(お留守番だったもので) 巻頭のモノクロの写真やインタビュー記事などは読み応えありましたが、アンケートのページはやたらと官僚とか政治家に答えさせているのが、なんだかな。。。と、熱いロックがなんだか「無理矢理熱く語ってないか?この人たち」という気がして、どうにも消化不良。
話は変わってー
今年のサマソニにOASISが出演するらしいので、是非見に行きたいと思っているのですが、どうなることやら。
http://www.summersonic.com/index.html

 Commented by yoshihiroueda at 2005-03-22 23:59 x
でしょでしょ。官僚とか政治化とか、「昔の熱いハートを政治にぶつけてます!」って言ってるようですよね。「俺も昔はワルだったんだぜい」と言うのと変わらん。編集後記も「朝日新聞のエリートの中でも、こんな雑誌作れるのを見せよう」みたいな文化祭的なノリで。まあ全体にそんなトーンなので、ちょっと引いたところで見ると面白いと思います。

2005/03/13

サラリーマン社長のプライド

おはようございます。野田義治です(ウソ)。

エキサイト山村社長のブログを見るとお腹が空いちゃうのであまり見ないようにしていたのですが、パイルダーオン!(rkyaさん) の「頑張ってる男はかっこいい」やdesigncafe-blog (design-lifeさん) の「同感です。。」で紹介されているので見てみました。

頑張れ「サラリーマン!!」 3月8日

全体はサラリーマンとして働く人たちへの讃歌なのだが、私は以下の部分に感動した。
 小生は雇われ社長に誇りを持っている。日本一の雇われ社長、雇われ社長のプロを目指している。よっていまだかつて、自分で会社を起こそうと思った事はない。こんな言い方は乱暴だと思われるかも知れないが、会社は、少しのお金と印鑑で作ることができる。まあいえば能力がなくても会社を作って社長になる事はできる。しかし雇われ社長は違う。能力とスキル、バックグラウンド、パッション、リーダーシップ、ビジョンがなければ雇ってもらえない。雇われる能力がなければ、なれないのである。 
 伊藤忠商事の社長になるには印鑑とお金ではなれない。日々、それも何十年もかけて信用を積み上げて、毎日同じワークを繰り返し立身して、そして大きな運にめぐり合わなければなる事ができない。芸能人で1,2年スポットライトを浴びる事も人生だと思うが、サラリーマンとして何十年もかけて信用を積み上げて立身するという事は、実は大変なスキルと努力と忍耐力が必要なのである。
自分の仕事に対する矜持、それが評価されているという自負が感じられる。

もちろんdesign-lifeさんが書かれているように、起業家であっても永続させるためには総合的な能力が必要になる。その能力には人から信頼を得られることも含まれるだろう。それには仕事への真摯な取り組みが必要になる。

その意味では、起業家社長との違いだけでなく、親から会社を引き継いで最初から社長であることを約束されていたあの前会長や、サラリーマン社長であったことを忘れてしまっているマスコミのあの主筆やあの会長とも違うという主張もあるだろう。

私も別に社長になりたいと思っている訳ではないしその器でもないと思っているが、自分の仕事に自信をもってへこたれず真摯な取り組みを続けたいと思う。rkyaさんが書かれているように頑張ってる人はかっこいいと私も思うし、自分もそうありたいと思う。そしてそれはサラリーマンだけでなく、うちで家事に取り組む専業主婦も同じなのだ。熱があってもがんばっているうちの奥さんを見ていてそう思う (家事代わってやれよって? そう申し出ているのだけど)。

山村さんの記事はサラリーマンだけでなく多くの人に読んでもらいたいものだ。

2005/03/08

報道GOサイン

こんばんは。ライブドアのパブリック・ジャーナリストです (ウソ)。

この件に限った話ではないのだが、なぜ逮捕されるまで全国的に報道されないのだろうか。

毎日新聞 2005年3月8日
カリスマ失墜:西武事件・堤前会長逮捕 生活すみずみまで−−「城下町」所沢
西武鉄道が管理する北口ロータリーは夜10時まで西武以外のタクシーは締め出される。 
市道24路線 (約8000平方メートル) を「ほとんど使われていない」と無断で壊し、(ゴルフ場の) 敷地にした。 
市東部にある「所沢聖地霊園」。西武鉄道は69年、この場所に25万平方メートルの宅地造成を計画した。市は開発に合わせて上下水道を整備したが、西武は近くに火葬場があることを理由に計画を変更した。74年に上下水道完備の奇妙な霊園が売り出された。
なんらかの理由で許されているものもあるのかもしれないが、明らかに不法なものもあるよね。

まるで知っていても言っちゃいけなかったタブーが、堤義明逮捕で解禁になったかのようだ。

地下鉄サリン事件のときも同じような印象をうけた。

そして今この時点でも多くの事実が報道されずにいて、なんらかのGOサインを待っているのだろうか。

ブログサービスの苦闘は続く

こんばんは。真鍋かをりです (ウソ)。

先日、「前兆?」で容量拡大競争のことを書きましたが、このことに言及した記事がありました。

デジタルArena 2005/03/07
ヒット中の「ブログ」、いかにお金を生むビジネスに結びつけるかが最大の課題」

・まず、ユーザの拡大により、設備増強を続けなければならない。
・Yahoo!が容量2GBを売りに参入したことで、他のブログサービスも対抗上容量の拡大を余儀なくされている。
・容量の面でユーザを有料版に誘導することができなくなってきており、課金によるビジネスモデルは成立し難い。
・別のビジネスモデルを模索する必要がある。

課金以外のビジネスモデルモデルが必要というのは最初からの想定だったと思います。可能性が高いのは広告でしょうね。ただ人が集まるというのではなく、同じ趣味、価値観の人が集まるので、そこをうまく活用できればよいと思います。Google Adsenseはその解のひとつだと思います。実際に導入しているブログサービスもありますよね。

とはいえ、私はエキサイトの商売っ気のないところが性に合っているように思います。サービスを提供しているエキサイトだけでなく、集まってきている人たちも私にあっています。アフィリエイトを禁止していることも一因かもしれません。居心地がいいんですよね。他にも作ってみましたが、なんか移る気がしません。

ところで、デジタルArena の記事では、投稿+トラックバックが負荷をかけるみたいな書き方がなされていますが、これだと投稿時にページを作り直せばすむ話のような気がします。しかし実際は訪問のたびにそのページをデータベースから構成しているんじゃないでしょうか。ブログを開設するユーザが増えるとページビューも増えるため、ユーザ数に比例する以上のペースでサーバを増強しないといけないような気がします。

2005/03/06

決闘!

おはようございます。ヤンクミです (ウソ)。

昨日予告した毎日新聞の「余録」から (タイトルはそう見えないかもしれませんが決闘の話です)。

毎日新聞 2005年3月5日
余録: 「この証明は少し補わなければならないが、もう時間がない」…
フランスでは19世紀まで決闘が行われていたそうです。映画「天井桟敷の人々」のことを思い出しました。

天井桟敷の人々
評価の高い映画なんですが、ここでは、映画のクオリティより、拳銃による決闘というシチュエーションがいくつか出てきたことが印象に残っていることについて書きたいと思います。拳銃による決闘?っていつの時代かよく分からなかったのですが、1840年代のパリが舞台だそうです。西部劇ならいざしらず都会でこんなことが行われていたのですね。映画の中では、金持ちが気に食わない貧乏人に決闘を申し込んでいました。決闘は申し込まれたら受けないといけないようで、相手は拳銃を触ったこともないような貧乏人ですから金持ちの勝ちは見えているようなもので、合法的に殺すのに使われていたようでした。映画では、それを救うため、主人公が決闘の前夜にその金持ちを殺しに行っていました。

「余録」の中では「明治日本で決闘罪が作られたのも、主に外来の習慣が入るのを防ぐためだったといわれる」とあります。江戸時代まで日本にも決闘はあった訳ですが、武士同士のものですよね。こんな野蛮な習慣が入ってくると困るので、それを禁止するのは当然でしょう。

一方今回の中学生の決闘。素手でタイマン、相手が降参したら終わり。マンガだったら「正々堂々」という形容で奨励される行動ですよね。少なくとも、陰湿ないじめや集団リンチ等よりずっと良いように思うのは私だけじゃないと思います。

でも新聞じゃそう書けないんですよね。この「余録」でも
まずは誰であれ、暴力ざたを仕組むのを許してはならない。ただ万事に節度や歯止めが失われた世の風潮のせいだろうか。ルールを決めたケンカが独自の犯罪を構成する事実に、ちょっと虚を突かれたのも正直なところだ。
とあって、複雑な思いをうかがわせます。古館伊知郎も疑問を呈していましたが、暴力を肯定する訳にはいきません。

これから、マンガなどではやりにくくなるでしょうね。

トラックバック先
■ 社会派ブログ--実はただのグチさん: 「決闘罪に関する件」

2005/03/05

親の呪縛

こんにちは。辻井喬です (ウソ)。

毎日新聞の「余禄」(天声人語みたいなとこ) で決闘の話題が出ていたので、それを題材に書こうとおもったのですが、まだWebに載っていませんでした。

昨日の分はこれです。

余録: 「他国へ商売に行っても…」 (毎日新聞 2005年3月4日)

ここで紹介されている近江商人、中村治兵衛「家訓」
「他国へ商売に行っても……自分の事よりもまずお客のよいように考え、高利を望まずに何事も天道のめぐみ次第と思い、その地の人々を大切に商売をしなさい」
が、近江商人全体の価値観「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」になっているということです。すばらしいですね。

一方、堤康次郎が作った家憲は、堤家の繁栄しか考えていない。卑しいですね。

しかも株の名義を書き換えて相続税対策。これって「節税」(法律に違反していない) ではなく「脱税」(犯罪) ですよね。「節税」なら今後も真似する人が続出するとおもいます。
こんな人が衆議院議長まで登りつめた政治家というのですから、投票した人もそれを恥じているでしょうね。

堤義明氏逮捕から、いろいろな記録がテレビで流されています。16歳から帝王学を叩き込まれ、その中には「友人は作るな」というのもありました。かわいそうな人生といえるでしょう。

「帝王学」ってなんなんでしょうね。私には無縁の世界の話ではありますが、人の上に立つものの心構え、矜持を学んでいるものだと思っていました。もちろん友達のふりをして近づいてくる人も多く無闇に人を信じてはいけないというもの含まれるでしょう。しかし、信頼関係を構築しなければ大きな組織を動かせないでしょう。

子供、子孫のために良かれと思ってやったことなのかもしれないですが、子孫の幸せにつながっていませんよね。呪縛でしかない。

世の中には、2代目3代目とうまくいっているところもあると思うのですが、そういうところの良い点はあまり出てきません。出てきてもうまくいっている部分だけが出されるので、あまり参考にできません。西武だってこれまではうまくいっている例として扱われていたのですよね。近江商人の家訓は家訓としてではなく共通の価値観として引き継がれて、それはむしろ繁栄や財産を引き継いでいると言うより、繁栄をもたらす考え方を引き継いでおり、繁栄自体は子孫の努力の継続によるものと言えます。やはり、「家」という考え方をする時点、自分の「家」だけの繁栄を考える時点で間違っているのでしょう。

トラックバック先:
■ 瀬戸智子さん 「驕れるもの久しからず」

前兆?

はおようございます。ダミアンです (ウソ)。

design-lifeさんの「どう考えてもおかしい・・」へトラックバックしています。

design-lifeさんのところでは、画像容量30MB中13.09MB使用中なのに、グラフのほうは1%くらい (というか測れないくらい) を指しています。

私のも見てみました。0.44MB 使用中...
私もグラフの画像をはりつけようと思ったのですが、グラフには何も出ていません... そんなもの見せられても仕方ないよね。

ブログサービス各社最近容量を拡大する競争を行っていますね。
■ gooブログ、ディスク容量を無料版で3GB、有料版で1TBに拡大 (Broadband Watch 2005/02/15)
■ Seesaaブログ、無料ディスクスペース拡大のお知らせ (Seesaaからのお知らせ 2005/02/09) → テキスト 無制限、ファイル 最大2GB
■ livedoor Blog、容量を最大2GBへ拡張。サイトリニューアルも予定 (Broadband Watch 2005/02/07)
■ Yahoo! JAPAN、最大2GBまで画像投稿が可能な「Yahoo!ブログ」ベータ版 (Broadband Watch 2005/01/31)
■ ココログのディスク大容量化について (お知らせココログ 2005/03/01) → 拡大競争には懐疑的ですが、順次検討とのこと。

いよいよExciteも容量を拡大? その前兆なのかも。期待しちゃいますよね。私も容量制限を気にしないでよくなると、こころおきなく投稿できます (おもいっきりウソ)。

そうなった場合、画像容量拡大のためにアドバンス会員になっている人は複雑な心境かもしれません。

2005/03/02

「もったいない」とアニミズム

こんばんは。もったいないおばけです (ウソ)、という書き出しではじめようと思って、「もったいないおばけ」で検索してみたんです。そしたら、こんなコラムが検索されました。

日経BPスペシャル
幸せになる「もったいない」話 枝廣淳子
(この第2回で「もったいないおばけ」が出ています。)

ここでも、「もったいない」は、環境を守る上でのキーワードであり、日本人の誇れる価値観である(アジア各国にもあるそうですが)という位置付けがされています。この中でも特に、
私たち日本人が「もったいない」と一言いうときには、「お天道さまに申し訳ない」というような……そんな心情的な何かがこもっていますよね?
また、第2回では、「山川草木悉有佛性」という仏教用語が紹介され、
山や川などの自然存在にも、草や木にも、悉(ことごと)く仏となる性質があるということ。動かぬものも、物言わぬものも、どんなものもすべて仏となる性質を持っている。故になにものも粗末にしてはならない、という思想だそうです。
と説明されています。そして第3回では、
 「アニミズム」という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか? アニミズムとは、自然の万物の内に、アニマ(精霊、霊魂)が宿っている、という考え方です。日本の神道の神は、「八百万(やおよろず)の神」と呼ばれますが、山にも川にも、岩にも、動物にも植物にも、火や風や雷や風にも、神が宿っているという感覚は、アニミズムに立脚しています。
とアニミズムにつながっていることを述べています。そして、「生かされている」という感覚。

そうなんです。私の「もったいない」という感覚は、私の宗教観とつながっていたのです(「多神教礼賛(アニミズム礼賛)」)。はよ気付けよと思いますよね。

私が、日本人としての誇りや愛国心を思うとき、他を排斥するナショナリズムとは違って、こういう自分達が共有して持つ価値観に誇りを持っているのだと思います。この価値観を世界に広めていくことが、日本人の役割なんじゃないかと思うのです。京都議定書のような不平等条約も受けいれ、「歯をくいしばってがんばろう」と書いたのは、そういうところに考えのベースがあります。

「甘ちゃんだ」、「夢想家だ」という批判は甘受します。批判に反論しません。いつかあなたも仲間になってくれることを信じています

2005/03/01

もったいない

エキサイトブログのプレゼント企画、締め切り過ぎちゃいました。ぎりぎりをねらっったのがまずかったな。応募すれば絶対当たるという根拠の無い自信があったのに。もったいない。

もったいない? そうでした。この記事

毎日新聞 2005年2月22日 (その他のリンク 1, 2, 3)
マータイさん: 「もったいない」に感動し、離日
ものを作りすぎたり、再使用、再利用できるものを捨てたりすることを「もったいない」と表現する、日本人の知恵に感銘しました。私はこの言葉を世界に発したい。3月にニューヨークで開かれる国連世界女性会議で、この言葉を発表するつもりです。
「日本人の知恵に感銘しました」なんて言われると、ちょっとうれしく誇らしいものです。でも、我々も忘れがちな言葉を再認識させられ、むしろありがとうと言いたい気分です。

ふだん使わないながらも、その価値観は自分の中にしっかり持っていると感じています。衝動買いしたいという衝動が常にあるのですが (どんな衝動だ)、それを抑えているのは、「本当にいるのか」、「今までのものがまだ使えるのじゃないのか」という心の声。

そういう訳で壊れないものはなかなか捨てられないんですよね。電磁調理器なんかもう20年以上使っています。最初は寮の部屋で管理人さんに内緒で鍋パーティをするために買ったのでした。寮を出てガスのあるアパートに移った時もそれだけ自炊してました。結婚して引っ越しするごとに都市ガスになったりプロパンガスになったりしてガステーブルは何回か買い替えたのですが、鍋料理のためにまだ使っています。重くて厚いんです。ファンの音もうるさいし。最近のは鉄鍋でなくても使えるそうですね。でもまだまだひっぱります。まだ使えるものを捨てるともったいないですからね。

しかし、一方ではこういう事実もあります。

日経 買って得する家電製品ニュートレンド講座
第28回 冷蔵庫の失敗しない選び方(1)

400Lくらいの大きめのほうが消費電力が最も少ないそうです。びっくりしました。自分には大きすぎてもったいないと思えるものも、環境的には最も地球に優しいということになります。また、消費電力はどんどん下がっていますから、いまあるものを使い続けるよりいっそ買い替えた方が良い場合もあるでしょうね。一方でそのメリットも出ないうちに買い替え続けていては意味がありませんから、どこで買い替えるべきか難しいところだと思います。

「もったいない」 この言葉を大事にしていきたいと思います。あわせて、ただ情緒的に使うのでなく、何がほんとうにもったいないのか、考えて使わなければならないと思います。

2005/02/26

実質タダで新株を購入できる

先日のこれからどんな顔して報道するの?の続きです。

当然ながら村上さんからの批判が出ましたね。

毎日新聞 2005年2月26日
ニッポン放送株: 村上ファンドが新株予約権発行を批判
(1)発行済み株式総数を大幅に超える多大な新株予約権を株主総会の決議なしに、特定の第三者(フジテレビ)に対して安価に発行するもの
(2)新株予約権の行使により調達する最大約3000億円の資金の使途が明確でなく、希薄化した株式の価値が将来的にどのように高まるのか株主には理解できない
(3)フジの公開買い付け(TOB)中の発表であり、株価に大きな影響を与えた
(2)の資金の使途ですが、

全額フジテレビに無利息で貸し付け

ってやったらどうでしょ。新株予約権といっても購入の予約なので、フジテレビもそれだけの資金が必要な訳ですが (1株当たり1株5950円とすると総額2808億円)、その支払先はニッポン放送であって、実質自分のもの (になるもの) ですよね。これなら50%以上になれば良いというだけでなく、増資すればするほど配当など既存株主のもつ権利を少なくすることができますよね。

しかもこの方法はフジテレビだけでなくどんな企業にも応用できます (本気で増資する気のあるところを除く)。他人の資金を使って、その利益のほとんどは親会社が吸収できる。これが認められれば、我も我もってことになるんじゃないかな。

ライブドアも、ライブドア株が下がればリーマン証券が利益をあげられる契約にしたことは、ライブドア株主を犠牲にしたという意味では同罪ではあります。ただ、今回のフジテレビ (仮処分の申立ての対象はニッポン放送ではありますが、あえてフジテレビと書きます) の行為は影響も大きく、全力で阻止していただきたいとおもいます。

'05/03/01 追記: ライブドアが800億円を調達するのにリーマン証券に出したMSCBは、日本語では「(円貨建)転換社債型新株予約権付社債」というらしいですね。初めて知りました。同じじゃん...

中原めいこ

中原めいこ
中原めいこ / 東芝EMI
スコア選択: ★★★★

こんばんは。やきもちやき ルンバ・ボーイです (ウソ)。

またiPodの話か、なんて言わないでまあ聞いて下さい。いくら「変わるわよ」といっても、iTunesに入っている曲が少ないと同じ曲の繰り返しになっちゃいます。という訳でせっせともっているCDをiTunesに突っ込んでいます。

そうなると何がおこるかというと、シャッフルしても昔のばっかり出てきます。あー、これよく聞いたんだよなー、なんて思い出して、「変わるわよ」というより「戻るわよ」。
そんなアーチストのひとりが、中原めいこ。CMソングになった (何のCMだっけ) 「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」が有名ですが、いい曲が多いんですよ。明るくてカラッとしてて。

特にアルバム"mint"は、ベスト版かと思わせるくらいいい曲が集まっていました。1曲目の「渚のdaydream」の
背中がSexyなアナタにもう夢中...
という出だしから最高でした。

「最高でした。」って過去形で書いているのは、実はこれCDで持っていないんですよ。最初から4作目くらいまで友達からLP借りてカセットでずっと聞いていたのです。CDが普及してきて、昔のLPもCDで再発売されるようになってきた時に買えば良かったんですが、新譜が優先になっていました。後になって東芝EMIがアルバム2枚をセットにして紙ジャケで安く出すという企画をやっていて1作目+2作目はそれで手に入れたのですが、たぶん3作目だった"mint"はずっと手に入れられていませんでした。

で、買っちゃいました「ツインベスト」。当然他のアルバムとの重複もあるのですが、というか重複していないの30曲中8曲だけなんですが、8曲もあればまあ満足です。「渚のdaydream」も入っているし。よく考えたら 「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」も持っていなかったことに気が付きました。

ああ、そうそう。レーザーディスクもありましたね。Meiko TVってやつ。恥ずかしい位の出来なので、買ったなんてブログにも書けません。

ところで最近のアーチストのアルバムってなんか薄くなったような気がします。シングルになっているのはいいのですが、その他の曲も聞きたいからアルバムで買う、っていう欲求がなくなっています。ベスト盤でないと耐えられない。それは私が歳をとったせいでしょうか。それとも私にとって思い入れのあるアーチストがいないからなんでしょうか。はたまたケチになったせいなんでしょうか。

2005/02/25

これからどんな顔して報道するの?

こんばんは。兜町の風雲児 (ウソ) ウエダです。

昨日(2月23日)からの話題はやはりこれでしょうね。

毎日新聞 2005年2月24日
ニッポン放送株争奪: ニッポン放送、フジに新株予約権−−ライブドアに対抗

ライブドアに対しては時間外取り引きの倫理的な問題を指摘する声も多かった訳ですが、こちらのほうが問題としては大きいですね。“ポイズン・ピル” (毒薬)とは言われているということはあまり使うべきではないと認識されているようではあるのですが、そもそも制度として存在していることのほうが信じられません。

株というのは会社の一部を所有していることを意味するのですが、例えば1万株もっていた既存株主は今までニッポン放送の1/3280を所有していたのが、いきなり1/8000になり、それまでの1/2.44に下がるということになる訳です。一株あたりの利益も、配当も下がることが予想されます (利益を今までの2.44倍以上出せるなら別ですが)。堀江さんが、自分だけでなく他の既存株主のことも出して主張するのはうなずけます。

しかも、この記事を見ると、西武鉄道と同じように上場基準を満たさなくなるとのことで、それも株価の下落の材料になるでしょう。フジテレビは、他のメディアと同様、これまでの報道で西武鉄道、堤義明を批判してきたのではないのかな。

株は既に下がっています (毎日新聞 2005年2月24日「東証:ニッポン放送、フジ、ライブドアの株、そろって下落」 別リンク)。もしかしたらそれが狙いかもしれません。皆が暴落を懸念して売って行けばTOBが容易になり、今たくさん買えば買うほど新株予約権を使う量が減りますから。また、ライブドアの株価も下がっています。ライブドアの体力を奪い、長期戦に耐えられなくすることも可能ですね。放送機関としては、論評でそのことを言及すればライブドアの株価をさらに下げることができます。

テレビでの記者会見では、ライブドアが経営権を握った場合、ニッポン放送の経営に悪影響をあたえる、これによって経営の健全性が保たれ、株主の利益も守られると言っていました。まるで、これで株価が下がってもライブドアが経営権を握ったときの下がり具合よりもまし、我々は株主を救ったんだとでもいいたげです。でもライブドアが経営権を握ったら株価が暴落するって証拠あるの? 事実に基づいたものではありませんよね。

これで、これ以降報道番組で、社会正義を旗印とした報道ができるのでしょうか。また、事実に基づいた報道をしていると胸をはっていえるのでしょうか。産經新聞も「正論」が言えるのかな。

ところで今なら堀江さんと村上さんが協力すればニッポン放送の株50%以上を持つことになり、緊急株主総会を開いて現経営陣を全部解任することができるんじゃないの。

2005/02/23

学校の安全管理

大阪寝屋川の小学校教職員殺傷事件は痛ましい事件でした。犠牲となった鴨崎先生のご冥福をお祈りします。

こういう事件がおきると常に安全対策が議論されます。この小学校でも、池田小の事件などをうけ、安全対策を講じていた中でおきたそうですね。一方で「開かれた学校」という要請もあり、簡単に解決できる問題ではないことが分かります。

学校でさすまたが導入されていることに関しても、テレビでコメンテーターが、「一般企業で一般職員が不審者を押さえる訓練をすることなんてありえない」といっていました。ほんとうにそうだと思います。先生だって教職を選ぶときにそういう危険な仕事があることを覚悟していたわけではないはずです (もちろんどんな職場でも純粋な業務だけではなく雑用があるのは分かっていても、です)。また、女性職員も多い中で、どれだけ実効力があるかも懸念されます (ジェンダー論をするつもりでないのでここには突っ込まないでね)。

専門家を導入するというのは仕方ないことなのだろうと思います。
毎日新聞 2005年2月19日
大阪府: 公立小に警備員 大阪市除く全733校に配置−−小学校教職員殺傷受け

ここで気になるのがそのコストです。特に現在三位一体改革がすすめられていますが、教育はその対象に入っていて、地方自治体に任せたときに真っ先に削減される対象になるのではないかと懸念されています。このような状況下で安全対策にどれだけ予算が回されるか懸念されるところだと思います。のどもと過ぎれば、ということになりかねないと思います。国レベルで考えないといけないのではないかと思うのです。

ところでうちの奥さんが、小学校の子供に忘れ物を届けに行った際、職員室の中から事務職員が教室 (授業時間中) に直接持っていくよう指示したそうです。今回の寝屋川の事件の前ではありますが、池田小の事件の後なのに。地域によって温度差があるのですね、では済まされない問題だと思います。

2005/02/19

相続税払ってから言ってね

こんばんは。宮本信子です (ウソ)。

いずれ出るだろうなとは思っていましたが、

毎日新聞 2005年2月19日
コクド株問題: 堤義明氏の弟・康弘氏が会見 (リンク切れ)

帰属不明の株は自分達が相続すべきものらしいです。で、その帰属不明の株というのは何かと言うと
関係者によると、有価証券報告書の虚偽記載が問題になった西武鉄道株は当初、康次郎氏が保有していたが、相続税対策のため57年ごろ、元従業員らの個人名義に分散した。株は大量の印鑑とともにコクド総務部で保管され、堤前会長に引き継がれたという。
のことですよね。

「相続税対策」って「脱税」というのじゃないでしょうか。まずこのときの相続税を払って、残りを相続してもらえばいいんじゃないでしょうか。もちろん40年分の重加算税も。どれだけ残るか知りませんが。あ、株はほとんど流通してないので当時の株価で計算しても意味がないかもしれませんね。その場合は会社の総資産で計算すればよいかと思います。

時効?

たとえ国税庁が許してもこのuedaが許しません。

2005/02/17

世界の「環境保護」の先生になろう

こんばんは。風の谷のナウシカです (ウソ)。

もう昨日になりましたが、京都議定書が発効になりましたね。もともと「環境/ビジネス/カルチャー」を名乗っていたにぶろぐさんとしては触れないわけにはいきません。

私がよく訪問させて頂いているブログでもこのことに言及しているところがあります。
Tomorrow's Way (yodaway2さん): 京都議定書、ついに発効——。そして、カワグチ前外相のこと。
瀬戸智子の枕草子さん: 京都議定書発効
みなさんが指摘されること、それぞれが全く同意できることばかりでした。繰り返しになることも多いと思いますが、私も今の感想をまとめておきたいと思います。

京都議定書に米国、中国が参加していないことで十分な効果は期待できないかもしれない。しかし、動き出すことが「期待」なのだ。

日本は石油ショック以来省エネを進めてきたこともあって、もともと二酸化炭素排出量が他の先進諸国に比べてかなり少ないレベルになっていて、そこか削減となると目標の達成には困難が伴う。しかし、そこを歯をくいしばってがんばろう。そしてその努力を世界に発信しよう。今までの省エネの知恵を世界に伝えよう。姿勢と知識/知恵で世界に範を示そう。「環境」で世界の先生、先輩になろう。気前良く環境の知恵を教えてやろう。

日本の努力、姿勢、知恵を知ってもらい、世界に日本の生き方に共感をもってもらおう。皆に日本みたいになりたいと思ってもらおう。仲間を増やして、アメリカにもこれではいけないと思ってもらおう。次回の議定書の策定にはぜひアメリカにも参加してもらい、世界のリーダーとしての範を示してもらおう。経済発展が続く中国には今度は「発展途上国」としてではなく、やはり世界のリーダーの仲間入りをしてもらおう。

日本国内はかなり環境への意識が高まったと思います。ごみの分別もこんなに分別して対応できるのかと思いましたが、競って協力しているように見えます。もちろんまだまだ満足はしていないのですが、正直なところもっとひどいと思っていました。環境を守ることをプライドとしている人がすごく増えているような気がするのです。みんながそう思えば、それは共通の価値観=文化になります。それに沿っていないと居心地が悪いようになればしめたものだと思います。そしてそれを国際的に広げるのです。

yodaway2さんも引用されていたこの記事
毎日新聞 2005年2月16日
京都議定書: 水没危機のモルディブ「米国も参加を」 (別リンク)
をアメリカの人にも読んでもらいたいです。

本来ならアメリカにも設定されていたはずの二酸化炭素排出枠。これを無視するということは他の国々の二酸化炭素排出枠を盗んでいるのに等しい。モルディブだけでなく、南太平洋などの小さな島々が水没していくということは、排出した二酸化炭素をこれらの島々に捨てていることに等しい。これは見えない搾取なのだ。

2005/02/13

モノを売るのではなく新しい価値を売る

変わるわよ。こんばんは、如月ハニーです (ウソ)。

iPod shuffleが届いてから1週間になりますが、結構満足しています。別にそのせいで更新が滞っていたわけではないのですが。

デジカメやHDDレコーダーは買うまでに結構悩みました。必要だとは思っていたのですが、いろいろ製品があって比較するのさえ億劫になってしまいます。もう少ししたらまた安くなるとも思いますし。なんかこう、背中を押してくれるものがなかったと感じです。

その中でiPod shuffleは久々の衝動買いでした。軽いとかかっこいいとかいるのもあるのですが、効いたのは、

「iPod shuffleはあなたが過ごす毎日を少しずつ変えてくれるのです。」

というフレーズ (アップルのiPod Shuffleのページより)。何を言っているかというと、これも引用ですが、
「意外性に満ちた毎日」にようこそ。iPodの「曲をシャッフル」機能が、「次に再生される曲がわからない」楽しさで、お手持ちのミュージックコレクションに新境地を切り拓いてくれます。

Pod shuffleは、お気に入りの曲を毎回ちがった順番で再生して、「お決まりのパターン」を完全に排除してくれます。

次に再生される曲が予想できないというだけでも「同じことの繰り返し」から、ほんの少し解放されるはず。iPod shuffleをつけて走れば、いつものジョギングコースの景色も違って見えるでしょう。次にかかる曲がわからないことで、見慣れた交通渋滞も少し新鮮に感じるはず。
ですって。

今までのiPodが「もっている音楽を全部持ち運べる」ということが売りだったので、その面では退化なんですが、容量の少なさを逆手にとったプロモーションといえます。まさに「直せないんだったら仕様にしてしまえ」(ワインバーグ) の実例になっています。

ここでアップルが提供しようとしているものはモノではなく、新しい体験であり、新しい生活。私達が買うのはそのモノではなく、それを使っている「自分自身」。

そういう提案をしているのはアップルがはじめてというわけではなく、むしろ良く考えるとこれまでもそれこそが購買意欲を刺激していたのだと思う。

・ Fun To Drive (トヨタ)
・ モノより思い出 (日産)
・ ウォークマン
・ ビデオカメラ
・ 2002年ワールドカップの年あたりから、そのころまだ高かったプラズマテレビ (今も十分高いけど) が急激に売れるようになった。購買層は中高年男性が多く、居間でくつろぐ余裕のある自分」を買っていたのだ。
・ 上記プラズマテレビの位置は昔はオーディオが占めていた。
・ ユニクロは、「ユニクロ製品で消費者のニーズに応えようとしているわけではなく、ベーシックなユニクロ製品と他のブランドを組み合わせて着てもらうことを想定している」と言っていた。客は「ユニクロ製品を組み合わせてもセンスのいい自分」を買っていたわけだ (全部ユニクロで揃える人も出てきましたが)。

ブログも新しい生活を提案していると言えると思います。そうだ、いつも訪問しているブログで見つけたこれも新しい提案かも。

デジタル家電が好調とは言われているのですが、DVDレコーダーなどの価格の下落ぶりを見ると、先が見えないような気がするんですよね。こういうところに日本の産業の復活の鍵があると思うのです。

■ 追加トラックバック
Life is beautiful (中島聡さん) 「アメリカで、ハイブリッド車が売れる理由、SUVが売れる続ける理由」
-- ハイブリッド車のトータルコスト上昇は問題ではない。ハイブリッドを乗り回す「地球にやさしい自分」が好き。

コメント
 Commented by rkya at 2005-02-15 23:14 x
ほんとですね、購買意欲をそそられるコピーには、それが加わったcool!な生活を予感させるものが多い。iPod shuffleやっぱ欲しいなーw 休日、上下ユニクロになっているダンナに気がつき、悲鳴を上げたことが何度かあります・・・^^;

 Commented by yoshihiroueda at 2005-02-15 23:40 x
★はるかさん、コメントありがとうございます。やっぱり買うことに自分自身が納得したいですよね。そして買った後もああよかったと思いたい。iPod shuffle買いたくなったでしょー(って私はアップルの回し者ですか)。ユニクロ上下はまだジャージ上下よりましでしょう。でも、はるかさんの納得するダンナにするために、はるかさんが気に入った服を買ってコーディネートしちゃいましょう。

 Commented by hide_roc at 2005-03-02 18:14 x
始めましてです。良くこのブログを覗いているモノですが、、、i shuffleについて検索してたところ、この記事に飛んできました。興味深いので、この記事トラックバックさせてもらいました。
それと、誠に勝手ながらリンクも貼らせてもらいました。もし迷惑であれば、一報お願いします☆

 Commented by yoshihiroueda at 2005-03-03 22:15 x
★hide_rocさん、いらっしゃいませ。トラックバックありがとうございます。それから、リンクも大歓迎です。私のところだけでなくリンクするのにいちいち断らなくて良いと思いますよ。へんな分類に入れて紹介されたりするといやですが。

2005/02/09

「ブログを育てる」という感覚

こんばんは。ポケモントレーナーのサトシです (ウソ)。

エキサイトでブログを開設したのは昨年5月で (それ以前にも日記サイトもブログもあったのですが放置状態)、最初はブログってどういう文化なのだろうということを知りたいと思ってはじめたのですが、6月終わり頃からだんだん本格的に書き出すようになりました。それから起算して半年以上になります。「にぶい更新頻度」を掲げてあまり無理しないようにしていても記事数で140になっています。

日記が続いたことがないというか、日記自体を書こうと思ったことがないので、続くとも思っていなかったのが、半年以上続いていて自分でも驚いています。日記と違って毎日書かなければいけないと思わなくて良いというのもありますが、その日あったことを書いている訳ではなく日頃思っていることをちょっとずつ整理して書いている点が大きいかなと思います。時事問題を扱うにしても、それまで考えていたこととの接点ができた時に書いているので、それもやはりただの日記ではない。

以前の書き込みに追記したり、シリーズにして続きへのリンクをはったりして、個々の記事は単一の時間をきりとっただけのものではない。過去の記事に手を加えるのを潔しとしない人もいると思いますが、私はできるだけ「追記」等の断りをいれて書くようにしています (更新しながら書く場合もあってそのときはいちいち記載しないのですが、最終更新の前にコメントで間違いや論旨の不備を指摘される場合もあります)。

また、過去の記事を自分で参照したり、他の人の記事にトラックバックして記事を書き、それにまたトラックバックをもらったりするので、単独の記事の集まり、スタックではなく、だんだん大きくなるネットワークだ。日記だったら読み返すことはないのでそこが大きな違いでしょう。もちろん筆がすべったりして傷もあるし、「息抜き」カテゴリのようにそのネットワークから見たらノイズのようなものもあるのですが、それよりも大きくなって行くネットワークがうれしい。また、コメントは、明示的にはネットワークを形成しないけれども、次の記事を書く励みやヒントを提供してくれている。私の場合はそこが宿題のバックログになる場合もある。

これが表題に示した「ブログを育てるという感覚」。

そだてたブログは小さいけれど私の財産だ。もう捨てられない。また、コメントやトラックバックをくれる人も大事な財産だと思っています。人気サイトに比べると数は少ないけど、荒らしと呼べるようなものはひとつもなく(誤解に基づくコメントはありますがそれは私の責任でもある)、有益なもの、嬉しいものが圧倒的に多い。また、毎回コメントをくれる訳ではないがリンクを続けてくれる人は私の次の記事を期待してくれているのだろうと勝手に思っていて、それらの人々も財産だと思っています。自分のブログの成長のモチベーション、糧になっている。また、他の人にも貢献したいというモチベーションにもなっている。

そして自分のブログの成長は、自分自身の成長につながっていると思う。知識と人のネットワークで武装した自分、そしてそれを生み出す能力を成長させている自分。

これを企業内に導入したらどうだろう。それが私が考えるイントラブログ。これまでは個人の視点で見てきましたが、このネットワークは個人を超えて部門を超えてつながり、企業の知的資産になる。このネットワークは知識のネットワークだけでなく、働く人々のネットワークでもあり、自分自身のことで書いたように個々の働く人々の知識を提供しようというモチベーションを高める。

追記: 忘れていましたが、このような知識共有にはそれを許す企業文化/風土が必須です。少なくともブログを書くことをサボっているとみなさず、知識の展開・創発とみなし奨励できるところでないとうまくいきません(以前『顧客が作る「サービスの魅力」』で触れています)。

ブログのビジネスへの利用を、企業の情報発信/顧客とのコミュニケーションツールの側面と、イントラブログ/企業内情報共有の観点から考えたいと書きましたが、後者が先になっちゃいましたね。

ここまで読んでいただきありがとうございました。次はもっとおばかモードをいれたいと思います。

トラックバック先('05.3.6 + α):
@HOMEさん: 「お気に入りのブログが読めないのは」
瀬戸智子さん: 「愛のまぜご飯」
浮世風呂さん: 「おかげさまで・・・浮世風呂も1周年:ちょっと、振り返り」
あざらしサラダさん: 「▽ブログのチカラ。」
  -- ブログは人の潜在的な「思い」を実現させる勇気を与える。
大西 宏さん: それでもライブドアから引っ越さない理由
  -- 固定読者の利便性を考えると...

2005/02/06

iPodがやってきた

こんにちは。たった今私の名がわかりました (ウソ)。

先日衝動買いで発注していたiPod shuffle (512MB) がやっと届きました。
ご注文受付日時: 2005年01月15日 10:11:AM
出荷予定日: 2-3 週
出荷日: 02/05/2005
予定日の一番最後...

こんな大きな箱に入っていました (本体に比較したらということ。 ちなみに緑の箱はCDくらい)。
(保証書シールとればよかったな)

2005/02/05

ビジネスブログ元年

日本の夜明けは近い。役所広司です (ウソ)。

リニューアル後、エキサイトブログのトップに「2005年 ビジネスブログ元年」って広告が出てきますね。エキサイトブログ向上委員会から「ビジネス目的のブログ利用について」という記事が出されており、
これまでエキサイトブログでは、商用目的のブログ利用を禁止してまいりました。今後、ブログがビジネスツールとして有望視されることから、ビジネス目的の利用を解禁いたします。
とあります。ただ皆さん指摘されているように(はりーさん「ビジネス利用」)、解禁されたと言っても何ができるようになったのか良く分かりません。だいたい、今まで何がどこまで禁止されていたのか明確ではありません。ここはエキサイトに期待したいところだと思います。

ただ解禁と言うのでなく、エキサイトは逆にブログのビジネス利用を推進しようとしています。上記広告の先にはエキサイトビジネスブログというページになっています(これはリニューアルちょっと前からあってはりーさんが紹介しています)。

「エキサイトビジネスブログ」サービス開始のごあいさつ には、
2005年、ブログは個人の日記やコミュニケーションツールを超えて、企業の情報発信、顧客とのコミュニケーションツールとして欠かせない存在となることが予想されます。
とあり、また、「エキサイトブログでビジネスブログを」では、
簡単・便利なエキサイトブログを、ぜひビジネスシーンでご活用ください。
といっています。あと、バナー広告では「エキサイトがビジネスをサポートします」みたいなことが出たような気もするのですが、今は見えません。ただサーバのスペース/機能を貸すだけでなく、コンサルティング、支援までやるのかと思ったんですが。

ここから見えることは、
・企業の情報発信、顧客とのコミュニケーションツールとして有効なものと考えている。
 (普通のWebとは違うと考えている)
・これまでと違って、そういう使い方を積極的に推進する
という姿勢です。

私は以前、「ブログとビジネス」で、ブログのビジネスでの活用を考えました。このときは、エキサイトにとってどうビジネスにつなげられるかという観点から考えていました。ここに山村社長から、
このサービスは一年後にはかなりの規模になっていると思っておりますが、収益源としては考えておりません。(もしなっていく何かが見つかれば嬉しいですが規模が大きくなったからといってオークションサービスのようにいきなり有料にするようなユーザーを裏切るような形態にする事もございません。あくまでも基本機能は無料で提供を続けます。)しかし新しいインターネットらしいメディアの姿がこのブログによって描けるような、まだまだ漠然とではありますが将来像を描いております。
というコメントをいただきました。これがその将来像の一部の実現なんだと思います。

今度はユーザのビジネス利用という観点から考えたいと思います。とはいえ、はりーさんが紹介されている「ビジネスブログブック」と整理の観点は同じになるかと思います。
・企業の情報発信、顧客とのコミュニケーションツールとして
・イントラブログ: 企業内情報共有、ナレッジマネジメント
  -- 後者はエキサイトではあまり想定していないかもしれません

「企業の情報発信」としては、社長ブログだけでなく、新製品(新車)キャンペーン時には開発者の声が直接伝わるブログなどがありますね。ツアーブログも、アーチストがわからの発信と言えると思います。それから、下記ではマクロメディアのユーザーサポートの事例があります。
日経BP 専門家の眼 2005/01/14 Webマーケティングの近未来 第22回〜欧米での企業ブログのケーススタディ(その4)
この記事ではブログによる「企業の情報発信」の難しさもかかれています。それからタイトルに22回とついているように、バックナンバーがたくさんあります。まだ全然追えていません。

ほんとに夜明けが近くなってきました。また後で。トラックバックもおいおいつけていきます。

2005/02/04

懸賞に新機軸

こんばんは。なすびです (ウソ)。

エキサイトブログ1周年おめでとうございます。私がブログ開設したのは5月なんですが、もっと早く気がついていればよかったな。

1周年記念プレゼントというのをやっているのですが、これがまた応募の仕方が新しい。

エキサイトブログ1周年記念プレゼントブログへようこそ!

希望するプレゼントのブログにトラックバックを送ることで応募になるので、
1) 記事を書かないといけない。
2) 応募の事実がばれる。
コメントを書くだけだったら、「ほすいー」とかかいても大丈夫なんでしょうけど、自分のブログに載るし、他からも読みに来るから、ちょっとは面白いこと書かないとね。

と言う訳で、当たる確率高いぞ!

しかも、山村社長と一緒においしいお寿司! というのもあって、
山村社長のおごり !
なんて魅力的なひびきでしょうか。

でもこれに応募する人は気をつけて下さいね。当選したら、みんなからレポートを期待されちゃうんですから。山村さんの言葉を一生懸命メモ取ったりなんかして、お寿司を楽しむ余裕ないかも。

ところでここにトラックバックを送ると何が当たるんだろ。

2005/01/29

僕もウゴツール使ってみた

おはようございます。かーくろうです。



山崎絵日和さんのところで知った「ウゴツール」を使ってみました。

さらに、その元情報は、mken1017さん「きままに_気楽に_まったりと」の「ウゴツール」です。

これだと震えながらマウス動かしても気付かれへんのがいいね(といいながらノートPCのトラックパッド使っていたのを忘れてました)。
ロゴ画像もこれに変えてみよう。

やっぱり「生きる力」

こんばんは。銭っ子です (ウソ)。

さて、はりーさんの「親の成長(しつこいけど)」のコメントで、私は、「人それぞれって個人レベルに落したくないという思いもあって、また考えをまとめたいと思います。ちょっと待ってね。」と書きました。相当待たせました。まだ自分で満足いく答えを出せていないですが、それを待っていてはいつになるか分からないので、少しずつ出して行こうと思います。

再スタートの地点は、その前の「成長欲求その4」のはりーさんの「コミットメント」という言葉と私がコメントで書いた「意志」あたりになります。「意志」、「決意」、「コミットメント」、「自分自身との契約」。これが、成長欲求を満足させる原動力になる。それまで、「経験」、「力」を養ってきていなくても、やるしかない、自分が決めたことなら。

ということに関しては同意する。

同意している、しかし、やっぱり意志の力を持続させられるのは並大抵のことではないと思うのだ。誰もがノーベル賞を取れる訳ではない、イチローになれる訳でもない。壁にぶつかったときに、どこかで「自分の限界はここなのかも」と思い、「これでいいんじゃないの。私にはブールのある邸宅もあるし、そこには美女もいる」と思うときがあるだろう。でもそこには自分へのごまかしがある。低レベルの力を身に付けていなければはやくその限界に達してしまうのではないか、と思うのだ。ここで注意していただきたいのは、低いレベルで限界が来る、といっている訳ではなく、早く限界が来るということを言っています。はやいうちに自分で成長を止めてしまうのではないか、そしてその後満足できない人生を送るのだ (一度挫折したら二度と成長できない訳ではない。ここはわざと極端なことを言っています)。

はりーさんとの考え方の違い (別に同じでなければならないと思っている訳ではありません) のひとつに、この意志の力への信頼の大きさがあると思う。

成長の意志があってそれから力をつけていくのでも、生きる力をつけたら成長の意欲が生まれるのではない。少しずつ力をつけ、自信を得て、次の目標が出てくるし見えてくる。逆にいうと大きな目標を持っていても、まずは小さな目標を目指すようにして、小さな満足を積み重ねて行く、そういうスパイラルアップ (正しい使い方じゃないかも) が必要と思うのだ。

そう進めていっても、誰でもイチローになれるわけではないというのは変わらない。どこかで限界を感じるとしたら、最初に設定した目標にどうやっても自分が達しないことが分かったら何に満足して生きて行けば良いのか。それは、「努力を止めない自分」、「成長を続ける自分」にだ。そしてそれははりーさんが指摘されるようにプロセスであり、目標に達していない段階でも常に得ることのできる満足なのだ。まあこれは「成長」を価値観においた場合の話であって、それ以外の価値観も当然あるのだが。

はりーさんとの認識の違いがもうひとつあるかも、と思っています。ちゃんと書いていませんでしたし、大前研一を引用したので誤解を招いているかもしれないのですが、私が「生きる力」というときに、それはすごく低レベルのことを想定しています。低レベルのことを含んでいるといったほうがいいかな。自分で切符を買って電車に乗って行きたいところへ行く、安いところを探して買い物をする、だまされない、流されない、正しいことを正しいと主張する、生活に自分なりの楽しみを見いだす、挫折から立ち直る、...

こういう力は金持ちかどうかにはあまり関係がないのは確かだろう。そういう意味で「ハングリー精神」に言及したのは適切でなかった。だが、モノだけでなく、だまされないように挫折しないようにするお膳立てなど、これらを全て与えていては「生きる力」は育たないだろう。

今日はここまで。これじゃ社会レベルの話ができるのはいつになるか分からないですね。

2005/01/25

iPodのアクセサリー

こんばんは。椎名林檎です (ウソ)。
先日iPod shuffleを衝動買いしちゃったんですが (発注したけど品物はまだ)、

2005/01/22

朝日のトンデモなさ加減に惑わされるな

こんばんは。久米宏です (ウソ)。

連日続くこの問題では、みなさんのブログ等 (浮世風呂さんの一連の記事、Tomorrow's Wayさん、ほか) をみていました。それらの情報から、私には、朝日の偏向ぶりとトンデモなさが目立ち、NHKの言っていることは正しいようにおもえていました。 取材を受けたNHK幹部が言ったことと反対のことを書かれたと言うのに対する反論も、証拠や根拠をしめす訳でなく、「だってそう言ったもん」というレベル。シバレイさんが、VAWW-NETの弁明を転載されていますが、私にはますますこの「裁判」の異常さと、それを何の批判も無く放送した場合の影響が憂慮されるものでしかありません。NHKは、もっと、「公正さを保つために自主的に手直しを指示しました」と言えば良いのではないか、と上記浮世風呂さんの記事にコメントも残しました。

しかし、日日光進さんの下記の記事をみて私ちょっと反省しています。
慰安婦を巡る朝日対NHK
この中で、毎日新聞2005年1月21日の社説「NHK特集番組 問題点を整理する必要がある」が紹介されていますが、ここでは、問題を整理し、
・ NHKに対し安倍氏らの政治圧力、介入が本当にあったのかどうか。
・ 番組の内容そのものに問題はなかったのか。
を分けて考えるべき、という提言がのべられています。そして、前者に関しては、番組放送前に内容を政府政治家に説明することの是非を問うています。

表題「朝日のトンデモなさ加減に惑わされるな」は自戒の念をこめてつけています。朝日対NHKどっちが正しいことを言っているという見方をするのではなく、どっちもジャーナリストとしていかがなものかという視点で批判精神を持ってみないといけないのだと思いました。

もう一度浮世風呂さんの記事にもどりますが、浮世風呂さんご本人のコメントで、「朝日、週刊新潮の広告掲載拒否」というのがありました。ちょっと前に読売新聞でも広告の一部を消して載せると言うことがありましたね。お互いジャーナリストとして、相手の言論の自由を尊重しないと、自分の首をしめることになるでしょう。今こそ、Tomorrow's Wayさんのサイドバーに掲げられている言葉「吾、汝の言に反対す。されど吾、汝の、その言を言うの権利、死に至るまで擁護せん」を噛み締めて欲しいものです。

2005/01/21

ブッシュ2期め

こんばんは。近藤里沙です (誰だそれ)。

昨日の晩からブッシュ2期めの就任式典の話題がよく出ていましたね。
お金使い過ぎ、イラクやインドネシアの復興に使え、とか
圧政をなくすため、とか言うんだったらイラクから出て行け、とか
ネクタイの色が水色なのは国際協調を重視している表れ、ってそんなことないだろ、とか、
今度は無線でなくて直接指示された言葉で宣誓してるのね、とか。
(最後のほうは私が言ってるだけです。)

その中でおかしかったのは、パロディムービー。
↓ ここにあります(Second Termから入れます)。
http://www.jibjab.com/originals/second_term (歌詞はここ)
ただ批判するために作ったのかと思ったら、$2.99でダウンロード販売もしているのね。肖像権等で訴えられないのかしら。

瀬戸智子さんも指摘されていますが、世界中の首脳が登場してるのに、小泉さんは出てないらしい。小泉さんも「湾岸戦争の轍を踏まないため頑張って支援したのに...」って思ってるのでしょうか (笑い)。

追記: 以前のパロディムービー"This Land" (上記サイトで見ることができます) では著作権の使用で問題を起こしていたそうです。
「ブッシュ対ケリーの喧嘩を描く大人気パロディー作品に、思わぬ落とし穴」(Wired News 2004年7月29日)
「ブッシュ対ケリーのパロディーアニメ、楽曲の公正使用権を主張して法廷へ提訴」 (Wired News 2004年8月5日)

冬は鍋!

こんばんは。なべおさみです (ウソ、しかしベタベタやな)。

日経BPの健康サイトにこんな記事が...
冬太り予防の“鍋”はスープが決め手

冬は鍋ですよね。週1回鍋をするとして、これで3週間分の鍋メニューが決まったな。

でもここで問題が...

ここで紹介されているメニュー、特に最後のやつなんか、1回で作ってテーブルに出すことが前提になっているような。うちはそれでは足りませんから! 食べながら食材をどんどんほおり込んで行かないと。しゃぶしゃぶじゃないですが豆乳鍋もやったことはあるのですが、最後は豆乳といえない状態になってますから!

もうひとつ。「野菜は長い時間煮込まないように注意」ってあるんですが、白菜なんか十分火が通ってとろとろになったやつが甘くておいしいんじゃないですか。

最後に、鍋はおいしすぎてついつい食べ過ぎちゃいますから! 「冬太り予防」って無理! きっぱり。

夏やせせず、秋に太って、冬に太って、って、切腹!

開腹! っていうなー。

2005/01/18

はてなアンテナあんたは何点?

こんばんは。イッパイアッテナです (ウソ)。

designcafeさんの「悩みますね」にトラックバックしています。

情報処理学会誌の「インターネット向上委員会」という連載で、「Webページのチェックを効率的に - アンテナ、RSS -」という記事がありました。

RSSは分かるけど、「アンテナ」って初耳。ということではてなアンテナへ行ってみました。サンプルページを見ましたが、うーん微妙。サイトの更新順に並ぶのですが、RSSリーダー (glucoseやgoo RSSリーダーなど) と違って記事単位にならないようですね。また、カテゴリで分類もできないみたいだし。RSSのないところも更新が分かるという利点はありそうですが。

MyBlogListも使ってみたんですが、これもどうも使いにくい感じがします。これもブログごとの最新記事が示されるようで、複数の記事が更新されている場合に、最新の記事に興味がなければ前の記事を見逃しそう。

使い方で勘違いがあったらご指摘下さい。

あ、それからアクセス解析も入れることを検討したんですが、これってサーバに負担をかけたりしないのでしょうか。ただでさえ、エキサイトブログ遅くなっているのにと思って躊躇しています。

補足: 「世祓い」のはりーさんが、関連ツールをサーベイされています。「これで決まり」という推薦もあります。→「更新チェックツール」
さらに、「テクノラティ」というブログ検索サービスの紹介と考察もあります。→「テクノラティ」

1月17日

過ぎちゃいましたね。

今日は私は淡々と書きます。

多くの関西在住のブロガーの皆さんが被災状況を伝えてくれています。関西には親戚で被災した人はいるのですが、幸い亡くなった人や大きなけがをした人はいませんでした。被災者の皆さんの心情が分かっていないところがあると思いますが、ご容赦下さい。

その頃私は横浜に住んでいました。あの朝起きてテレビをつけたら、関西で大きな地震が起こったらしいといっていました。まず感じたのは、なにかの間違いじゃ、ということでした。地震が起こったらテレビですぐに各地の震度が出るのが普通だったので、「らしい」って何だろうと思ったのでした。情報を伝えることもできないくらいの被害だったんですね。また、「関西に地震はない」と言われていたので、そのような準備もできていなかったんですね。

朝の段階ではニュースも混乱していて、被害の大きさがなかなか伝わってきませんでした。普通に出社して、途中に情報もはいっていたと思うのですが、事の重大さを実感したのは帰宅してからのように思います。

その後も日が経つにつれ被害の大きさが分かってきました。こんなときやはり感じたのは、お金を送る事くらいしかできないもどかしさでした。

海外のメディアが、暴動等起こっていないことを驚きの目で伝えていましたね。自分がほめられた訳ではないのですが、誇らしいと思うと同時に、日本人の自制心、いざと言う時の強さを神戸の人たちが証明してくれたようでありがたいと思いました。時代が違うのですが、関東大震災の時のような民族差別も起こりませんでした。テレビでは、神戸は昔から国際都市で多民族が融和して生きてきたと解説していました。東京ではこうはいかないだろうともいっていましたが、仮定の話になるのでそうかもしれないと思うほかありませんでした。

以前も書きましたが、田中康夫氏(現長野県知事)が、女性用下着だったか生理用品だっかをバイクで配って回っていると雑誌の連載で書いていました。被災地で必要なものは何かということに関して、それまでの災害ではあまり話題にあがらなかったように思います。それを気付かせてくれた点でも田中氏の行動は評価されるべきものと思います。今回の新潟中越地震では「被災地に必要なもの」ということがかなり認識されていたようにおもいます。それでもカップラーメンだけあってお湯がないとか、その一方でなまものがだめになったということもあったようですが。

これはだいぶ後になりますが、仮設住宅への移行はなかなかすすまなかったときいています。仮設住宅が遠く不便という意見が多かったようです。2年後くらいに神戸の六甲山の北側の新興住宅地に行ったことがあるのですが、そこの公園に仮設住宅が建てられていました。確かに神戸の中心地までは遠いかもしれないが、ここから毎日通勤している人もいるのに、こんな遠いところなんていうのは失礼じゃないかと思いました。慣れ親しんだ土地や友人と離れるということは理解できますが、会おうと思えばいつでも会える距離なんですから。

地震保険にはいっていない人が多かったことも問題としてあげられていました。後で知ったのですが、地震保険は掛け金が高く、また火災保険の特約としてはいるのですが、火災保険の1/3しか補償されません。入るのをためらってしまいます。

ここ数日のテレビや新聞で、改めて被害の大きさを再認識しています。被害の大きさ、亡くなった人の多さよりも、今後を強く生きて行こうとする人々の底力に感動をおぼえます。難病の子が書いた「生きる力」という習字を見たら涙がでそうになりました。これからを築いて行く若い人の意志に対しては涙腺が緩む傾向にあるようです。歳をとったということか。

「生きる力」... あ、宿題忘れてた。

2005/01/15

杉田かおるさん結婚おめでとう

こんばんは。酒井 順子です (ウソ)。

杉田かおるさんが電撃結婚だそうですね。紀宮さまのときよりもなんかほのぼのしちゃいます。

今朝の情報番組では、結婚後も仕事を続けるという本人のコメントが紹介されていましたが、同じようなキャラでは使えないと思うぞ、って心配してやる必要もないんですけどね。貴理子も生き残ってるからなんとかなるのか。

今度は中森明菜に幸せになってもらいたいです。

青色LED特許裁判和解

こんばんは。ドクター中松です (ウソ)。

もう既に多くのブロガーの方が記事に書かれていますが(トラックバックは最後にまとめます)、中村修二氏と日亜化学工業の間で和解が成立しましたね。私もずっと日経エレクトロニクスの記事等読んでいましたが、日経BP社がこれまでの記事をまとめたサイトをオープンしました。双方の立場からの主張が載せてあります。事実関係は明らかにならないところも多いのですが。

スペシャルレポート 中村裁判
(リンク先には会員登録(無料)が必要なところもあります)

いくつか感想を。

・ まず、和解しておいて裁判所に不満をいうのは見苦しい (誰かも言及されていたと思うのですが見つからない...補足: 小言日記さんでした。失礼しました)。

・ サインするときにその意味、もたらす結果を把握していない (僕が会社を訴えたわけ) のは大人の態度じゃない。ソフトウェアをダウンロードしたり何かの会員になるときには、利用規約を読んでAcceptボタンを押すよね(すごいスピードで読むけど)。

・ 6億円 (遅延損害金を加えて8億4000万円) でも、十分技術者に希望を与える額だと思う。

・ ビジネスの成功/失敗が分かった段階での「貢献度」は算出は難しい。本来は価格設定にライセンスのコストが勘案されるべきなので、あらかじめ契約をするもの。契約によってどちらもリスクをとる (安く技術を売っちゃうリスク、ライセンス料が高くてコストにはねかえり結果的に売れず双方が損するリスク等)。

・ とはいえ、発明した後に社員側に譲渡しない選択肢はない。譲渡しなければ特許は出せず双方の損失になる。結局契約は発明前に行われるべき (今度改正される?された?特許法ではそうなる)。

・ 発明を行っている時間も給料を貰っている、発明という業務を行うための報酬は支払っているという「職務発明」という概念はある程度理解できる。

・ しかし、発明で得られた利益を全く発明者に還元しないというのでは、良い技術者は集まらないだろう。また、既に社員になっている人にとっても、良い特許を書くモチベーションにならない。

今後技術者は今まで以上に自分の価値、自分がこれから生み出す価値について客観的な評価が必要になるでしょう。現在は労働市場の流動性はまだ高いとは言えませんが、将来流動性が高くなって行けば、自分を適切に評価してくれるところを探すという傾向が出てくるでしょう。それは逆に価値の低い技術者は会社にいられないということも意味しています。これは自戒でもありますが、常に価値を高めて行く努力が必要になると思います。

トラックバック先
■ dragon2011さん: どっちもどっちかはたまた。青色LED訴訟
■ night_in_tunisiaさん: 青色発光ダイオード訴訟和解の件
■ 瀬戸智子さん: 青色青光
■ 小言日記さん: 怒り

2005/01/10

文句をいうなら汚したほうへ言え

こんにちは。杉原千畝です (ウソ)。

こんなニュースがありました。

毎日新聞1月10日 (リンクはYahoo!ニュース)
少林寺拳法 「卍」紋章を変更 香川・多度津の本部
(新しいマークは少林寺拳法オフィシャルホームページからリンクをたどって見て下さい。今のマークも出ています。)
「卍」はナチスのかぎ十字(ハーケンクロイツ)を裏返した形になっているため、欧米のユダヤ人団体などから反発が続いていた
って逆だろ。まんじが先にあって、ハーケンクロイツがそれを裏返しにしたものだ (補足: 成立は違うけどね)。

ユダヤ民族の諸君へ。ハーケンクロイツを連想するのは分かるが、文句は卍を穢したドイツ民族に言え。

ドイツ民族の諸君へ。私達が卍を穢しました、ごめんなさい、卍に罪はありません、我々が悪の象徴とするために卍を「裏返して」使いました (補足: design-lifeさんのコメントにありますが、逆卍ももともとあって、いい意味をもっているそうですね)、って全世界に発信しろ。毎年各国の主要紙に全面広告をだせ。ユダヤ民族が納得するまでだ。ドイツ民族にはもっといいたいことがあるが、人道的見地から控えておきます。

少林寺拳法グループの皆さんへ。卍は君たちだけのものじゃない。君たちが折れたら卍全部が使えなくなるまでいわれなき批難が続く。猪木だって必殺技が封印されたら困るだろ。使ってきたんだったら最後までちゃんと主張しろ。「世界中に少林寺拳法の普及」なんて利己的な理由と天秤にかけるな。

記号をけがすな。記号に罪をおしつけるな。卍がハーケンクロイツを連想させるというのなら、世界には虐殺や侵略のシンボルそのものといえるものがたくさんある。ダビデの星はパレスチナ侵略虐殺の象徴だ、十字架も中東と中東までの経路に対する侵略と略奪を行った十字軍の象徴だ、二度と使うな、と言われたら皆さんどーする?

補足: 日の丸もずっと昔から使っているものだ。侵略戦争のシンボルだから使うなと言う論調はおかしいだろ。

たとえアラファト議長が許してもこのuedaが許しません。

コメント
Commented by n_ayada at 2005-01-10 15:53 x
>ダビデの星はパレスチナ侵略虐殺の象徴だ、十字架も中東と中東までの経路に対する侵略と略奪を行った十字軍の象徴だ
このへんの歴史認識は、もっとしっかりする必要がありますよね。私も含めて、勉強しましょう。

 Commented by night_in_tunisia at 2005-01-10 17:05 x
イスラム圏の人にしてみたら十字架は侵略のシンボルなんじゃないかなー。いや、よく知らないけど。僕はうえださんに賛成。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-10 20:36 x
★n_ayadaさん、勉強するのはやぶさかでないのですが、どう勉強したらよいのでしょうね。
一部だけ切り取られて引用されると誤解を受ける可能性がありますが、私ダビデの星や十字架を使うなという論調に与していません。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-10 20:36 x
★night_in_tunisiaさん、コメントありがとうございます。自分の見方が全てではない、自分の価値観だけで他者を否定するなということを言っています。もちろん、人命、人権、愛など人間に共通する価値観はあるべきだと思いますが。

 Commented by fumi_o at 2005-01-10 23:45 x
お久し振りです♪
全然話は違いますが、青森県弘前市の銘菓に
#卍最中(まんじもなか)
というのがあります。:-)
こちらのサイトで確認できますよ。↓
http://ajiwai.or.jp/ajiwai_data/no146/page_02/page_02_data.html

 Commented by n_ayada at 2005-01-11 00:54 x
私の文章力が無いばかりに、言いたかったことと反対の意味に受け取られたようです。この記事には賛意を示したつもりだったんです。
反省・・・・・

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-11 04:12 x
★fumi_oさん、いらっしゃいませ。コメントしていませんが私も継続して拝見しています。卍って弘前市の市章でもあるんですね。で、弘前市のホームページも見てみましたが、宗教的な意味はもたせてないんですね(弘前市のホームページの「市政」の下に「市議会」や「産業」と同じレベル、しかも「産業」の前に「りんご」ってあって微笑ましい)。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-11 04:17 x
★n_ayadaさん、真意を誤解して申し訳ありません。あの部分はわざと挑発的に書いて、自分でもぴりぴりしていたので、あの部分だけ取り出されると誤解を受けたかと思いました。
賛同いただけてありがたいです。

 Commented by まきこ at 2005-01-11 19:20 x
にゃはは。おもしろい。
ハーケンクロイツは、ナチス党の党章だから、もしこれを誰かが使い出したら「おまえどういうつもりでそれ使ってるんだ」っていわれるのは当然ですよね?
日の丸は、大日本帝国の旗なわけじゃないからOK? 
ってことは、大日本帝国の面々は、日本のみなさんに、「みなさんが親しんできた旗を侵略に使って、嫌われる旗にしてしまってごめんなさい」って謝って、侵略した国々には「みなさん、私たちはこの旗を使って侵略しましたが、これはもともと侵略のシンボルではありません」ってわかってもらうまで説明する必要があったってことになるのかな?
そうかもねー。でなきゃ、あの旗、使いにくいですよね。
ところで日の丸って、大日本帝国以前から日本の人たちに親しまれていたのかな。よくわかりません。

 Commented by design-life at 2005-01-11 23:46 x
この記事確かに気になりました。デザインに身を置く者として、安易に謝罪して欲しくないものです。アメリカの友人とも話していたんですがユダヤの人々は、特に被害妄想が強いのかこの手の事(言い出したらキリがないし、同じような矛盾も秘めているのに)に神経質になっていますよね。マークを問いただすより、本質を問いただして欲しい。ちなみに卍ネタで言うとインドネシアの「スワルテチィカ」という逆卍の紋章(と言うかシンボル)があるのですが、それは幸福の象徴でもあるんです。たった一つの言いがかり(言い過ぎかもしれませんが)が諸民族の文化を犯すのはおかしいことです。。

 Commented by hrcod at 2005-01-12 18:46 x
はじめまして。
記号の持つ力というか、与える影響にびっくりしました。自分を表す一つのツール、または象徴としての意味の上に、いろいろなものを背負って成り立っているものなのだなぁ、と感じました。それだけ影響のあるものとして、その対象としてデザイン(記号)は意味あるものだと痛感しました。しかし、その一方で「記号に罪を押しつけるな」という一節にはとても共感します。
それにしても、時には吐き捨てていたり、それでいて鋭い文章。こんなに爽やかに共感できたのは初めてです。思わずコメントしてしまいました。

 Commented by smpinkd at 2005-01-12 22:49 x
はじめまして。色々と考えてしまいました。もっと勉強しなきゃ。
僕なんかは単純に世界的に広めたいのなら仕方ないんじゃないかと思ってました。少林寺拳法の関係者にしてみれば、グローバルに展開して、いずれは「オリンピック競技」になんてことの方が重要なんですよ。伝統よりも繁栄の道を選んだのですね。きっと。
この新しいマークが卍を超えるものだったら大拍手だったんですけどね。って話題が逸れてしまってますね。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-13 00:05 x
★たまごの距離のまきこさん、いらっしゃいませ。そんなにおもしろいですか?
私は「大日本帝国の面々」と日本民族を分けて考えていません。反戦を貫いた人もいるでしょうが、日本全体が戦争を歓迎または容認する空気になっていたのだと思いますので。といって批判するつもりもなく、ただ今後二度と過ちは繰り返しませんという決意につなげたいと思っています。
他国のシンボルをけがした訳ではないので、積極的に謝る必要はないと思いますが、日の丸が侵略のシンボルだと言われたら、そうではないことを根気づよく説明して行くしかないかと思います。もちろん多くの日本人がそこまでして日の丸にこだわる必要ないと思うのなら別なのですが、私は日の丸のデザインには愛着がある。色を3つ並べたデザインが多い中で、シンプルでユニーク、力強いデザインだと思う。鉢巻きに日の丸描いて「合格」なんて書けば勉強にも身が入るというものです。
話がそれました。日の丸の歴史は古いはずですが、どれだけ親しまれていたかに関しては分かりません。日の丸の歴史は国粋主義的な観点から書かれたものは多くみつかるのですが、客観的な記述を見つけることができません。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-13 00:16 x
★design-lifeひらさわさん、トラックバック+コメントありがとうございました。おかげさまで今日のアクセス倍増しており、とってもありがたいのだけれど、とってもコッパズカシイデス(ってすみません、PROP DESIGNさんの文章をパクってみました)。特にデザイン関係の人にとってはコンセプトから考えに考え抜いて作ったものに別の意味を与えられ、さらに謝罪すると言うことは相手の主張を認めることで受け入れがたいと思います。
おっしゃるとおりこれは「文化」であって、「文化」というのは「共有する価値観」のことです。それを否定するのが、一神教の宗教をもつ民族の不寛容性だと思います。
http://ryokan.exblog.jp/796210

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-13 00:30 x
★ hrcodさん、いらっしゃいませ。
言語は私のテーマの一つなんですが、言語も記号の一種で、同じような力を持っています。次の記事も関連していることを書いているので読んでいただくとありがたいです。うちの奥さんからはそんなかたいテーマで書いても誰も読んでくれないんじゃないのと言われているのですが。
http://ryokan.exblog.jp/1495261
それから、文章に関して過大な褒め言葉をいただきありがとうございます。てれるなあ。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-13 00:45 x
★smpinkdさん、いらっしゃいませ。
smpinkdさんもデザイン関係か建築関係なんですね。どちらにしろ新しいデザインを作る場合にはターゲットに響くだけでなく、多くの人に受けいれられるものにするのは重要だと思います。ただそのために伝統を犠牲にしてもらいたくないです。

 Commented by 鍵 at 2005-01-14 13:50 x

 Commented by あのう at 2005-01-14 19:08 x
>まきこさんは
みしるしもって戦争や紛争を人間は何千年やってたと思ってるんですか。
>ってことは、大日本帝国の面々は、日本のみなさんに、「みなさんが親>しんできた旗を侵略に使って、嫌われる旗にしてしまってごめんなさい」>って謝って
学校教科書受け売り程度の知識でよく言う。
中韓以外の国の当時の日本の対応とか国情しらべてみろ。
欧米的覇権侵略とまた違った側面がある。
インドネシアやフィリピン、台湾じゃ尊敬されてる日本人が沢山居た。
偶には相容れないかもしれんが対立側の情報も調べてみろ。
そんな浅はかな知識で国叩きなんぞ虫唾が走る。

 Commented by 聞きかじり at 2005-01-14 22:37 x
卍や逆卍は単なる記号でなくて漢字のように意味をもった文字(凡字、チベット仏教の文字)じゃなかったっけ? 卍は「和」を意味し、逆卍は「力」を意味して双方を持たざれば人々を涅槃に導くことができないんじゃなかったっけ?卍からハーケンクロイツを連想するのは容易に想像できるが、言葉を尽くして説明したのかな?という気はしますね。残念です。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-14 22:40 x
★錠さん、「少林寺拳法がナチスより前」とは書いていません。「卍が(ナチスの)ハーケンクロイツより前」と書きました。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-14 23:22 x
★あのうさん、まきこさんは、「ということは」で始めているので、仮定を置いた場合の話をしていると思います。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-14 23:24 x
★聞きかじりさん、逆卍の存在は知りませんでした。ありがとうございます。「言葉を尽くして説明したのかな?という気はしますね。残念です。」という点は私も同意します。

 Commented by SUSI at 2005-01-15 01:29 x
初めまして&既出だったらごめんなさい。
非常に不思議なんですけど、イスラエルはフィンランドやスウェーデンのルーセン伯爵家に文句をつけたことがあるのでしょうか? 青い逆卍(ハカリスティ)はルーセン家の幸福のシンボルであり、フィンランドは一時国章にしていました。さすがに紛らわしいので、1944年11月からは青十字を国章にしておりますけれども。現在でも、フィンランドにおいて青い逆卍はフリーパスです。
WW2時、NSDAPが意匠として使っていたのは45度右に傾けた逆卍で、正確には逆卍じゃないんですけどねえ。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-15 03:42 x
★SUSIさん、情報ありがとうございます。ルーセン伯爵家のことは初めて知りました。なにをもって反発されるのかよく分からなくなってきました。

 Commented by かかしA at 2005-01-15 05:53 x
『ゴルゴ13”裏切りのスワスチカ”』にこのネタがありました。
ハーケンクロイツはオカルトに傾倒したナチスが、スワスチカというチベットの卍をデザイン化したもの、と説明してありました。

原因は来歴も知らずに嫌う人の方にあるのでしょうが、「一々、頭に血が上った人たちに対応するリスクを負うよりはいっそ変えちゃったほうが楽だ」というのも、まあもっともな考え方かなと思います。
もしどこかの団体のように「我々の勝利だ」などと宣伝に利用されたらたまったものではないでしょうが、今の所そういった話はないようですし。

しかし政治の尻拭いを、無関係な第三者がさせられるというのは、非常に苦々しい話ですね。

 Commented by kotaro at 2005-01-15 07:25 x
少林寺拳法を少し習った者です。道着の左胸には卍の印がありました。級や段が上がっていくと,黒色卍が緑卍,赤卍,黄色卍などと替わっていくので,練習の励みにもなったものです。

少林寺拳法を学ぶとき,同時に教典を渡されました。中には,聖句,誓願,信条,道訓などが書いてありました。それらの教えの元に,鍛錬を積んだものです。自分のためと人のために。その内容は総本山のHPにもあります。ぜひ一読されたい。少林寺拳法は,自己確立と自他共楽のためにあるのです。

そのマークとしての卍が,理解なき怨恨によって変えられるというか,自己規制してしまわれるのが残念です。これには少林寺拳法総本山の開祖である故宋道臣先生も悲しんでおられるのではないでしょうか。

少林寺拳法を世界に広めるためには,その形だけ物理的にできていったってだめだというのは,やってる人間なら分かるはずです。卍マークも新しいマークと同様に広めていって,少林寺拳法がめざすものを文字通り説いていってほしいと願っています。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-15 11:17 x
★かかしAさん、コメントありがとうございます。逆卍の由来ですが、親衛隊の略称がSSでそれをデザイン化したものというのもありました。
http://www.ne.jp/asahi/mili/surva/dooberu/manzi.html
私は少林寺拳法グループにはもっと頑張ってほしかったのですが、民間団体に期待し過ぎなのかもしれませんね。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-15 11:23 x
★kotaroさん、コメントありがとうございます。少林寺拳法はそういう理念も重要視しているのですね。そういう理念を学んだ方にとっても、その理念まで曲解されているような無念さがあるのはとても理解できます。

 Commented by newright at 2005-01-15 21:27 x
蒸し返すようですが日本の国旗が云々について・・・

ドイツが過去の過ちを悔いて逆卍を封印したことは相手の気持ちを慮った評価できる贖罪の方法ではあるでしょう。けれど一方の日本が戦中のシンボルでもあった日の丸を捨てなかったことはまるっきり過去から目を背けた開き直りなのでしょうか。
戦中の日本が何をしたとかしなかったとかいまさらな議論です。法的に裁かれ、賠償の責務もある程度果たしたはずのわたしたちがいまさら何を否定し、あるいは自らを貶める必要があるのでしょうか。
キリスト教の十字架はそもそも十字架に架けて神をその手で殺めてしまうという人間の犯した最大の罪を決して忘れないという意志によってシンボル化されたものです。
自らの過ちを認めて、それを繰り返さないために罪を背負っていくことは、そうした意思を保つ限りにおいて誇れる行為です。過去の罪をシンボルと一緒に捨て去って、わたしたちは変わりました、というほうがよっぽど楽なことだと思います。

ただそんなことをすっかり忘れて、旗についている汚れを躍起になって洗い流そうとするくらいなら、そんなものは捨てちゃったほうがいいですけどね。

 Commented by 赤井報道 at 2005-01-16 10:47 x
昔、十字軍の遠征で侵略されたイスラム諸国では、赤十字の十字はタブーなので旗が違います。旗の図案は「剣を持った赤い猿の絵」です。
やはりタブーになるんでしょうな。

だがそれに過敏になり、他人に強制をするのもどうかと思う。
人が嫌うものをわざわざ誇示するのは単なる嫌がらせでしょうが、別に
自分が嫌いなのなら避ければいいだけ。また卍や逆卍を使う方も、十分な説明をして自分に意図的な非は無いと理解させればいい。
相手の立場を理解し、無意味な言葉狩りや記号狩りをすべきではないと思う。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-16 14:16 x
★newrightさん、コメントありがとうございます。おっしゃる通りだと思います。今後も平和を築いて行こうとする意志が重要ですよね。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-16 14:19 x
★赤井報道さん、イスラム世界における赤十字の扱いに関しては初めて知りました。ありがとうございます。
> 無意味な言葉狩りや記号狩りをすべきではない
私も同じ思いです。

 Commented by KEN-NYE at 2005-01-26 15:02 x
 赤十字は国際組織があって、その下に各国の組織がありますが、イスラム圏では十字を使わず「赤新月」になっていますね。「赤新月」の言葉はイラクのニュース等でお馴染みかと思いますが。

http://rcehime.parfe.jp/kokusai51.html

 日の丸って美しいですよね。3歳児でも書けるし、遠くから見ても間違えようがない。「色の順番どうだっけ?」と悩むこともない。私の知識が間違っていなければ、元々貿易船だったか軍艦だったかが国籍を明確にするために使い始めたのがそのうち「国の旗」と認められるようになったもので、明治時代ぐらいからでしょう。意匠としては大昔からあるようです。
 侵略戦争に対する非難を全身で受け止める日の丸も可哀相です。そろそろ、受けるべき人が非難を受け止めなければ?

 Commented by yoshihiroueda at 2005-01-27 01:19 x
★KEN-NYEさん、前のコメント通り、私はイスラム圏の赤十字のことは知らなかったのです。「赤新月」というのはKEN-NYEさんの情報で初めて知りました。ありがとうございます。日の丸は守って行きたいもののひとつですね。
 Commented by 赤井報道 at 2005-03-08 00:47 x
日の丸はシンプルで、それでいて美しい。
明治時代、この日の丸を売って欲しいと言ってきた国もいるほどです。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/hinomaru.html
>遂にはフランス(泉欣七郎・千田健共編『日本なんでもはじめ』 注、安津素彦『国旗の歴史』によればイギリス)が、正式に政府代表を立てて明治新政府に対し、「日の丸を500万円(当時の金額)で我が国に売却して欲しい」と依頼してきたのです。

 Commented by yoshihiroueda at 2005-03-08 02:59 x
★ 赤井さん、日の丸を売ってくれという依頼があったことははじめて知りました。教えていただきありがとうございます。売ってくれといわれるほどだと知ってますます誇らしくなりますね。また、売らなかった明治政府にも感謝したいと思います。

 Commented by 23 at 2005-04-27 14:55 x
少林寺拳法は以前から外国では違うマークを使っていますた。今回の変更は団体内部の利権がらみではないかと言われれおり、怒っている少林寺拳士がたくさんいますよ。ちなみに、少林寺は中国の少林寺にパテント料みたいなものを貢いでいることでも有名ですが

 Commented by yoshihiroueda at 2005-04-29 07:36 x
★23さん、情報ありがとうございます。23という名前のところは2ちゃんねる当該スレッドへのリンクなんですね。少林寺拳法と中国の少林寺は組織的なつながりはないとはいいながら、そういう関係(ロイヤルティ?)はあるんですね。

 Commented by 昔習ってました at 2007-09-23 16:20 x
う~ん、やはり他の国に遠慮してマークを変えたというのはどう考えてもばかばかしい。
ホントウの理由があるがそれを公表できないのでもっともらしい理由をとってつけたと考えるのが良いのでは?23さんの言うように利権がらみってのが妥当なところでしょう。
中国の少林寺かどうかはわかりませんが、もっと俗っぽい個人もしくは団体に、「俺たちが権利もっているから使うなら金払え」って言われていたとか。

 Commented by yoshihiroueda at 2007-09-23 23:49 x
★ 昔習っていた方、
昔の投稿にコメントをいただき少々驚いています。なにかあったかな?
他のスポーツが体育協会みたいな組織になっているのに対して、日本の少林寺は個人が立ち上げた組織のようですね。そういう意味で情報公開も十分でないのだと思います。単なる言い訳に使われたのだとしたらユダヤ団体の皆さんにも迷惑な話ですね。

2005/01/08

欠乏充足欲求と成長欲求

おはようございます。人はパンの耳だけで生きられない、って何を言ってるのだ俺は。

はりーさんが、「成長欲求その3」で「これでも違和感は残るなぁ。」と述べている。たぶん微妙なところで定義が違うのではないだろうか。または定義は同じだがそこにはいるインスタンスの想定が違うのかもしれない。

まず、「欠乏充足欲求」は他人が与えることもできるもの、「成長欲求」は他人が与えることができないものという区別(定義ではない)は同意していただけると思う。
また、ハリーさんのいう
満腹になればそれ以上は食べられない。美味しい物や珍しい物を食べたいとかいう、さらなる欠乏は発生するだろうけど、基本的に欠乏は埋めれば解決、満足できる。
これに対して、成長はプロセスであり、その欲求も満足も客観的な尺度など無い。自分が実現できていると感じるかどうか、でしかないのだ。
「状態」と「プロセス」の差異にも同意できる。

しかし、ここで成長欲求で例に出されているものがスポーツや芸術家などなのだが、これらは個人レベルの努力で実現 (プロセスなので「実現」という言葉はおかしいが) できるものに限定されているように思う。

例えば、バンドをやりたい、コンサートをやりたいといったらどうだろう。また、こんな商品を世の中に送り出してやりたい、ヒットさせたいという欲求はどうだろう。人との関わりの中で自分の意志を伝えたり、他人が求めているものを知ったり、社会の仕組みを理解していたり、欠乏充足欲求を自分で満たそうと思った場合に必要だったスキルはやっぱり必要になるだろう。何でも与えられていた時には必要でなかった工夫も想像力も必要だ。もちろんハリーさんのいうように違う力は求められるが、欠乏充足欲求を満たすために必要だった基本的な「生きる力」はやはり必要と思うので「前提」と書いた。

もしかしたらこの「欠乏充足欲求を満たすために必要な力」というもののレベルがハリーさんと私で違うのかもしれない。それは「欠乏充足欲求」のレベルが違うのかもしれない。というのは、
限られたパイを奪い合うのと、自分が成長したり、より良き社会を創り上げていくのとでは、必要となる力は違うんじゃないかなぁ?
とあるのだが、私が想定する「欠乏充足欲求」は、今の日本では、不満さえいわなければ「限られたパイを奪い合う」ことなしに満たすことができると思っているからだ (前回大前研一を引用したのはこの考え方にはあっていないので不適切だった)。確かにこの「不満」は、「より良い生活をしたい」という意味では「欠乏充足欲求」なのかもしれないが、「私にはもっと価値のある仕事ができるはず」という意味では「成長欲求」と思えるのだ。どちらかが正しいといってる訳ではなく、捉え方はさまざまだろうといっています。
...
話が結局「欠乏充足欲求」と「成長欲求」に区別がつけられないという方向になりつつある。最初の時点で、私が言いたかったことをハリーさんが出された「成長欲求」に絡めた話に持って行こうとしたのがまずかったのか。

これらをふまえてもう一度言いたかったことを修正してみる。前回の修正版
低レベルの欲求を自分の力で満たしていく上で身に付けた力が、上位レベルの欲求を実現する前提になっているのかもしれない。
を、これまでの言葉もとりいれて
他人が与えることで欲求を自分の力で満たしていく力を身に付けていないと、他人が満たしてやれない欲求を持った際に途方にくれる。他人が満たしてやれない欲求を自分で満たそうと思わなくなり、さらには、欲求をもたなくなるようにもみえる。
と修正してみた。原型とどめていませんね。

どうかな。乱暴な論理展開は含まれていると思うが、私の中では整理されてきたと思う。つきあっていただいたハリーさんには感謝しています。

最後にちょっと補足。もともと子どもに何でも与え過ぎるのはどうかという話だったが、子どものときに与え過ぎると一生ダメと思っている訳ではありません。大人になってもまれてから生きる力の不足に気付いても取り返しはつくと思っています。逆に大人になってからも生きる力が衰えることがあるだろうと思います。

2005/01/07

成長欲求を叶える力

こんばんは。海賊王に俺はなる、ルフィです(ウソ)。

私の生煮えの考えにトラックバック、ご意見ありがとうございました。

まず、マズローの言葉を使っていますが、これに関しては、トラックバックしてくれたハリーさんの「成長欲求」へのコメントでsabretoothjapanさんが、解説およびそれに対する批判も含めて解説して下さっています。ごめんなさい、ちゃんと理解してもいないまま使っていました。私の捉え方はすごく低レベルで、「衣食足って礼節を知る」、ちがった、「人はパンのみにて生きるにあらず」くらいの意味でした。以降ではマズローの「自己実現」などという言葉は使わず、ハリーさんが使われている「成長欲求」を使うことにします。あるいは「夢」といっても良いかもしれません。

私が書いた記事
もしかしたら、低レベルの欲求(1. 生理的欲求と2. 安全の欲求)は自分の力で満たしていくことが、上位レベルの欲求をいだく前提になっているのかもしれない、とも思う。
の部分に対して、ハリーさんは、
要するに如何に明日を創っていくか、なのだろうから、低次欲求を自分で満たすかどうかとは直接関係しないと思うのだがねぇ。
と書かれています。

うん、分かります。ではこう変えてはどうでしょうか。
低レベルの欲求を自分の力で満たしていく上で身に付けた力が、上位レベルの欲求を実現する前提になっているのかもしれない。
変え過ぎですね。

私がいいたかったのは、この「力」なのではないかと思う(まだちゃんと整理できていないので他人事みたいな書き方になっています、腹が据わってなくて申し訳ありません)。生きる上で工夫したり、想像力を発揮したりする必要がなかったら、そういう力を身に付けることができず、いざ自分の夢をもったときにどう実現させれば良いのか途方に暮れるのではないか。そして一部の人は最初の時点から挫折するのではないか。そしてそれは「成長欲求」を持っていない状態と区別が付かないのではないか、と思うのだ。

ちょうどPRESIDENT 2005.1.17号で大前研一が
これから日本は大混乱に陥る。一寸先は闇のジャングルの中で生きてることのできるできる人間を育てないといけない。その訓練を世間知らずの教師に任せていたら、生贄になるための人間を育てるようなもので、世の中に出たら即死すること間違いなしだ。... 会社の厳しさ、マーケットの激しさといった「ジャングルのルール」を教えられるのは父親だけなのだ。
と書いている (原文には母親ではなく父親だけと書いてあるのだがそこはここの論旨から外れるので引用しない)。要は生きる力を身につけさせろということだろう。ここで引用していない分も含めると、低レベルの生きる力だけでなく夢を実現させる力も含んでいることが分かる。

まだ固まった意見とはいいがたいですが、少なくとも「生きる力」を具えることは重要と思う、ということだけはいっておいて筆を置きたいと思います。

2005/01/04

豊かな時代のモチベーション

こんばんは。富豪刑事 深田恭子です(ウソ)。

そふぃあさんが、「すこし改まって」
私も戦後の世代ですが、生まれたときはまだまだ日本が貧しかった頃でした。
現代の若者や我が子を見るたびに、物質的には恵まれた時代だと、しみじみ思います。
しかし、モノが豊かになった分、頭を使ったり工夫したり想像したりすることが
減ってきているな、ということも確実に感じます。
欲すればいくらでも手に入る時代、我慢したり辛抱したり苦労するのは
馬鹿げたことなのかもしれないですが
と書かれています。

私も今から見れば子供の頃は豊かではありませんでしたが、物質的に窮乏を感じたことはありません。大学時代は親元を離れ仕送り+奨学金 (+バイト) で生活していたので決して自由にお金が使えた訳ではなかったのですが、それで不幸だと思ったことはなく、その範囲で生活することを楽しんでいたように思います。帰省は周遊券を使えば急行は追加料金が不要だったので、夜行の急行 (寝台車ではなく一般座席) を使ったりしていました。就職してからも多少楽になったものの、一人暮らしは変わらないので、お金をセーブしながら生活を楽しむのは変わりません。そのレベルでの生きていく力はあったと思います (今も貧乏性が抜けないのはちょっと困る点)。

一方今の子どもたちは、そふぃあさんが指摘されるように、物資的に豊かになっています。工夫、想像が足りないのは、そうしなくても生きていけるからだと思います。物質的だけでなく、精神的にも、少子化と家庭内労働の短縮化で親のケアが行き届くことと、叱らない育て方の広がりによって、自分で問題を解決しなければいけない局面も減ってきていると思うのです。

こんな満たされた世の中で子どもたちは何を目標にして生きていくのだろうか。

はりーさんが、「抱負」で、
マズローの言う通り、自己実現は人間の最高次の欲求であり、一人ひとりがそれに向けて成長していると実感できるときにこそ、大きな価値が産み出される。
と書かれているように、物質的要求 (マズローでは1. 生理的欲求と2. 安全の欲求に対応) が満たされていても、その上の欲求がある。低レベルの欲求が実現されていることは、高次の欲求を実現するためのスタートライン上で優位な位置にあるともいえるのに。

もしかしたら、低レベルの欲求 (1. 生理的欲求と2. 安全の欲求) は自分の力で満たしていくことが、上位レベルの欲求をいだく前提になっているのかもしれない、とも思う。

昔大学時代のことだが、本宮ひろ志のマンガで、「近頃の若者は恵まれているのでなっとらん」と言われた主人公は、「恵まれていて何が悪い。我々若者は恵まれたものを受け入れ、そこから新しいものを創っていくのだ」と反論するシーンがあった (かぎ括弧でくくっていますが記憶はめちゃくちゃあいまいです)。私はその当時この主張に違和感を持った。ハングリー精神と言うかそういうものが必要なんじゃないかと思った。

一方、海老沢泰久が井上陽水のことを描いたノンフィクション「満月 空に満月」では、
... そのころは、豊かな生活とか豪華なものとかを知らなかったからね。その存在そのものを。でもその意味では、いまだに知らないのかもしれないんだよ。あるところでは、そういう豊かなものとか豪華なものを拒否している部分もあるしね。

ようするに、これがなさけないところで、精神至上主義というか、ものに対して豊かになっていくことで精神が汚れていくんじゃないかという神話にまだふりまわされているところがあるんだよね。でも一方では、そこらへんでふりまされるような精神じゃ、ぜんぜん駄目だとも思うんだよ。豪華なプールや美女に囲まれた生活で駄目になる精神じゃね。...
という記述があって、自分はどうなんだろうかと思う。今は駄目になっているとは思わないが、それはレベルの問題であって、豪華なプールや美女に囲まれた生活だったら駄目になるかも。今NEETと呼ばれている人達は、そこまで行かないレベルで精神が駄目になった (と言うのはいいすぎですが) といえるのかもしれない。

散漫になってしまいました。豊かさとモチベーションに関して、今度は個人レベルではなく社会レベルで考えてみたいと思います。

2005/01/01

あけましておめでとうございます '05

みなさんのご健康と地球の平和を祈っています。


昨年はお世話になりました。
今年もブログの目標は鈍い更新頻度、マイペースです。
こんな私ですがよろしくお願いします。

バックログ 2004年下半期

一旦宿題を整理して、残った宿題で新たな宿題リストを作ります。
2004年下半期 (9月から)  課題 31 (途中追加を含む) ◯ 12、× 19
新潟中越地震最新情報:
新潟中越地震 被災者救援本部@2ch Wiki
  -- 常に最新の情報のようですが、フラットになり過ぎていて切迫感が伝わってこないのが残念です。下記を御覧下さい。
中越元気村
シバレイさんのブログにイラク民主化国民潮流からのメッセージが載せられています。
ここではいつか書きたい話題を更新しています。
コメントやトラックバックに適切な場所がない場合もここへどうぞ。

2004/12/31

バックログ 2004年下半期

* 一旦宿題を整理して、残った宿題で新たな宿題リストを作ります。
* 2004年下半期 (9月から)  課題 31 (途中追加を含む) ◯ 12、× 19

新潟中越地震最新情報:
新潟中越地震 被災者救援本部@2ch Wiki
  -- 常に最新の情報のようですが、フラットになり過ぎていて切迫感が伝わってこないのが残念です。下記を御覧下さい。
中越元気村

シバレイさんのブログにイラク民主化国民潮流からのメッセージが載せられています。

* ここではいつか書きたい話題を更新しています。
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コトバノチカラ (3) コノテーション

しまった。勉強足りないのに専門用語なんか使うんじゃなかった。大雑把なことを書きますので間違い等ご指摘いただければ幸いです。

言葉の本来の意味をデノテーションといい、言外の意味、付随する意味、想起される意味をコノテーションといいます。例えば「バラ」のデノテーションは植物・花としてのバラですが、コノテーションとして「情熱」という意味を持ちます。

言葉は普通最初はデノテーションだけで生まれ、使われていくうちにコノテーションが付加されていくのだと思います。もともとのクリーンな意味がだんだんいろいろなものを身にまとっていくと言うか、汚れていくというか、そういうイメージ。

例えば「リストラ」。もともとは「リストラクチャリング」で、「(企業の) 事業構造を組み替えることにより、積極的に経営のあり方を変革させていく」ことでした。基本的には事業の軸足を変えることなので、縮小して立て直しということも含まれはするのですが、本来は前向きなイメージだったはずです。ところが、事業が苦しくなって当面のコストを減らすために人員削減するだけの場合も使う経営者が出てきました。良いイメージの言葉で実情を糊塗する訳ですね。さらにはピンポイントで退職を勧告したりクビにしたりする場合も使われるようになり、個人を主語にして「リストラされる」という使い方までされるになりました。こうなっては解雇の意味以外では「リストラ」という言葉は使えなくなります。

今は「構造改革」と言います。小泉首相がこの言葉を使い出したとき、私は、公務員の解雇をイメージさせるので「リストラ」という言葉を避けているのだと思いました。「痛みを伴う改革」もリストラなんだから痛みを伴うのは当然だろうと思っていました。会社でいうと従業員にあたる公務員も経営者である政府側も。ところが蓋を開けてみると痛みを伴うのは国民 (会社にたとえると顧客+株主) だけという結果になりそうです。また、聖域を作らないとも言っていましたが、手をつけられているのは一部だけで、それらもみんな骨抜きになっています。これによって汚された「構造改革」という言葉も今後使うのに躊躇が必要な言葉になり、さらには新しい言葉が発明されていくのではないかと思います。
他の例としては、ネットでよく使われる「プロ市民」。私はすでに「ゴロツキ」という感じのコノテーションしか残っていない段階でこの言葉を知ったので本来のデノテーションを知らなかったのですが、当初はいい意味だったらしいですね。

こうやって言葉が使い捨てられて行くのですね。

いや、正しくは、まだ捨てられているわけではない。相手に対してその言葉でラベル付けをすることで、相手に対して悪いイメージを与えることができます。そのラベルが正しいかどうかはあまり関係がありません。読者の多くはそのラベルが本当なのかという検証をする時間を持っていませんので、とりあえずそのラベルが正しいものと判断して先へ進めます。検証する機会はその後二度と来ないかもしれません。マスコミも使っていますから(前回の記事参照)、一旦ラベルがつけられると、それを取り外すことは非常に困難になります。
皆さんにお願いしたいのは、このようなラベルを疑ってみてもらいたいということです。最初にそのラベルをつけた人は、何を根拠にそのラベルをつけたのか、その理由は正しいのか、また、ラベルをつけた人の意図はなんなのか。特に「テロリスト」、「ファシスト」、「抵抗勢力」、「プロ市民」、「ウヨ」、「サヨ」、「差別主義者」...

言葉を汚し、汚れた言葉を利用する人達。
たとえアカデミー・フランセーズが許してもこのuedaが許しません。

ああ、今年最後なのにきれいに終われませんでした。まあきれいに終わるより自分を出して終わるほうが良いかもしれません。窓の外には雪が... 汚い現実を覆ってくれています。って何を言ってんだ俺は。

来年もこんな調子で怒りを表明したり、バカをさらけ出したり、ウソ言ったりしますので、よろしくお願いします。

2004/12/30

コトバノチカラ (2) 意図の伝達能力

"Boys, be ambiguous." クラーク博士です (ウソ)。

次回は、「あいまいさの少なさ」の予定と言っていましたが、もう少しストレートに「意図の伝達能力」としました。自然言語であいまいさが少ない?と訝しがる方もおられると思いますので。

ここでは、イメージ (動画を含む) と比較します。見えるものそのものなのであいまいさはないだろうとおっしゃる方も多いと思います。しかし、実体にはさまざまな側面があります。一人の人をとっても、性別、年代での位置付け、職業、その時点での行動や位置付け (「歩行者」、「被害者」など)、個人的関係 (「友人」など)、固有名もあります。文章中では、どれかのラベルを選択するか (複数かもしれない) は、伝える側がどう認識しているか、どう伝えたいかによります。これが「意図の伝達」です。映像ではそうのような解釈無しで見える情報は一度に伝えられます。この映像で伝えられないものは、それまでのストーリー中で分かるように説明しておく必要があります。

実体だけでなく行動も意味付けを与えることができます。映像で「人を押し倒している」ようにみえる行動は、暴力をふるっている場合もあるでしょうし、柔道をやっているのかもしれませんし、犯罪者をとりおさえているのかしれません。このため、フォトジャーナリストの広河隆一もジェームズ・ナクトウェイも、「写真にはキャプションは不可欠だ」といっています (DAYS JAPAN 2005年1月号 「報道とフォトジャーナリスト」)。

一旦このように伝達側がラベルをつけてしまうと、受信側はそのことに言及する際に違うラベルをつけにくくなります。違うラベルで言及した場合に混乱を招くからです。傍で聞いている人がいる場合は特にそうでしょう。最初にラベルをつけると後々までコントロールすることが可能になります。例えば「教祖」と名乗れば、たとえその団体が宗教的なものよりも利益追求集団というべきものであっても、「教祖」と呼ばざるを得ません。せいぜいかぎ括弧をつけて「自称」であることを示すくらいでしょうか。自分に対するものだけでなく、相手に対しても「抵抗勢力」等ということができます。

それが使われつづけると、そのそのラベルがその実体を指す正しいものなのかさえ問われなくなり、前提化してしまいます。「抵抗勢力」といったときに、理由があって反対しているという位置付けが失われ、改革に抵抗している = 既得権益を守ろうとしている = 国をくいものにしている人々という印象を持たせることが可能になります。

「意図の伝達能力」は、最初は話し手と聞き手、書き手と読み手の関係での話だったのが、そのあとまで影響を与えることができるのです。

次は「コノテーション」の話の予定です。

2004/12/29

コトバノチカラ (1) 経済性

ご無沙汰しておりました。玉置宏です (ウソ)。ちょっと余裕がなくてサボっていました。

「言葉のもつ力を少しずつ考えたい」という宿題が残っていました。まず第1回目、経済性について書きます。とはいえ、これは普通に言われていることで私の独自の考えという訳ではありません。

言葉は記号です。無限の音を少ない数の文字 (日本語だと濁音を含め約70種の文字) で表現し、その文字を組み合わせ数千から数十万語の単語を組み立て、その有限の単語で無限の概念を表します。日本語だと音 (かな) と単語の間に「漢字」というレベルがあるといってもいいかもしれません。またその単語を組み合わせて複雑な事実、知識、思想を伝えます。

ここで「無限」と言っているのは、連続的になっているということで、いわばアナログです。それに対して人間の認知能力はそれらを十分区別出来るほど解像度は高くない。いや違いは分かるのですが、伝達できないということです。虹は連続に色が変化していますが、それを区別できないので七色と言うのです。そういう意味では「言葉はデジタル」と言えます。ちょっと普通に言われていることと違うので変な感じがするかもしれませんが。

伝達できないだけでなく、受け手も区別する必要ないということです。「赤は止まれ」という時の「赤」は、「青」、「黄」と区別できれば良いということです。正確に言えば波長で表すことはできるのですが、人間の感じ方も一定ではありませんし、その意味するところの本質が伝えられることが重要になります。

表題に「経済性」と書きましたが、記号化によって短いビット長で伝達できるという以上に、受け手が区別に悩まずにすむことで認識が速いと言うことが重要なのではないかと思います。

次回は、「あいまいさの少なさ」の予定です。

2004/12/23

木村さん、それ冒涜ではなくて著作権法違反です

皆さん、こんにちは。竹中平蔵です (ウソ)。

徒然なる数学な日々 (night_in_tunisiaさん) の記事「ひさびさにキムキム」からこのことを知りました。

木村剛さんが、週刊! 木村剛 の記事 "2004.12.23 「引用」は「リンク」に対する冒涜なのか?" で、
「引用」「転載」をコミュニケーションのツールとして多用してきましたが、こうした手法に反対の方々も少なくないようです。ネット界の重鎮の中には、「ネット社会に対する冒涜」と捉える方もいらっしゃるようで、ネット界もなかなかに難しいものだと感じさせられる今日この頃です。
と書かれています。

まだネットの世界がリアルの社会とは違ったものと考えられているのですね。特別なものではありません。ネットの世界は現実社会の一部です。現実社会のルール・法律は、うまく実効性を発揮できていない面もありますが、ネットの世界でも適用されます。

なにが問題なのか。たとえば2004.12.19の記事「ドン・キホーテ放火事件で本当に悪いのは誰?」では、ちょっと問題提起の文を書いて、ドン・キホーテの安田隆夫社長のコメントをまるごと転載しています。
おそらくドン・キホーテの安田隆夫社長は「冒涜された」とは考えないと思います。私が行った「転載」という行為については、逆に感謝しているのではないかと推察いたします。
とあることから、無断であることが分かります。

著作権法は「転載」が可能なものとして、「国若しくは地方公共団体の機関又は独立行政法人が一般に周知させることを目的として作成し、その著作の名義の下に公表する広報資料、調査統計資料、報告書その他これらに類する著作物」(第32条)と「新聞紙又は雑誌に掲載して発行された政治上、経済上又は社会上の時事問題に関する論説」(第39条) があります。安田社長のコメントはどちらにもあたりませんね。

また、第32条に引用の規定があり、「報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。」とあります。引用されたものになんらかのコメントをする場合でも「正当な範囲内」に限られます。ここではコメントも無く、全文ですから明らかにこの範囲を逸脱しています。night_in_tunisiaさんが指摘されているとおりです。引用に関しては、「著作権の話(3) 他人の権利を尊重する」を御覧下さい。
木村氏は、別のところでは
原典を明示した上で「引用」されることは、「情報発信者としての名誉」であって、まかり間違っても「情報発信者に対する権利侵害」にはあたりません。
と書かれていますが、これはおっしゃるとおり、「引用」ならば名誉である場合が多いでしょうし、権利侵害でもありません。しかし、木村氏の行っていることは「転載」です。
木村氏は「引用」と「転載」について分けて書かれており、ちゃんとふたつの違いを区別できているようです。しかし、ここでは「引用」の正当性で自身の「転載」を正当化しようとしています。

論理が分からないのでしょうか。それとも論理が分かった上で、読者を欺く詭弁を使っているのでしょうか。どちらにしろ真剣な議論をする資格はありません。切込隊長との論戦に関しては経済関係の法律に疎いので、どちらの言っていることがただしいのか判断をくだせないながらも、木村氏がちゃんと答えられていないと感じていました。こういう議論のしかたをみると、切込隊長のほうが正しいと言う確信が強まります。

木村氏は
出版物において護られる「情報発信者の権利」以上に、ネット上において「情報発信者の権利」が護られるべきとは考えていないからです。
と書かれています。著作権法に対する挑戦状ですね。

出版物はお金がとれる、ネット上の情報はタダ、ということと、権利の有無をごっちゃにしているのだと思います。

最後に。この文章の「引用」は著作権法に沿った形で自由に行っていただいて構いません。なお、「転載」はエキサイト社には既に許諾しています。